前節で取り上げた,アリサとチアキは日本で言うところの「オタク」であり,自らも「オタ ク」と自称している。「オタク」という語源には諸説あるが,一般的には字面通り「お宅知っ てる?」と尋ねることにある。「オタク」同士は,同じ趣味を互いに紹介しあい交流をする。
それどころか相手よりも知っていること,相手より深く知っていることに価値がある。アリ
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サとチアキの語りにもあったように,アサイの町でもこの「オタク知ってる」が飛び交って いる。表7-1は子どもたちの語りの中に現れてきた日本とコミュニケーションする際に援用 されるICT技術の一覧である。
表7-1 日本とのコミュニケーションに利用されるICT技術
Facebookを中心とするSNS 日本の情報収集・友人らの動向確認。家族・親類との連絡。
LINE・Skypeなどの通話ツール 知り合い中心の親密な関係の維持。家族・親類との連絡。
Twitterや匿名掲示板 日本の情報収集・匿名による日本人/ブラジル人とのコミュ
ニケーション。
子どもたちは,主にインターネットに由来する ICT 技術を活用することで,日本との繋が りを維持し続けている。そしてそれは先述したように,ブラジルでの辛さを乗り越えるため の言わば「緩衝材」のようなものである。「緩衝材」は,例えばブラジル日本移民の一世が, ブラジルで日本の小説を読むことや,日本の歌謡曲を聞くことの現代版のようにもみえる。
本節ではこの「緩衝材」の現代的な特質を描きたい。そこには,トランスナショナルな空間 を援用することで,柔軟に生き抜こうとする子どもたちの生存戦術がみられる。
(1) サブカルチャーの同時的受容
1995 年生まれのモモコ74は,デカセギ中の母親がブラジルに一時帰国して出生,すぐに日 本へと渡った。保育園,公立学校と通い,帰国直前にブラジル人学校へと通った。日本で生活 していたころから,はっきりと「自分はブラジル人」と考えていたので,いつかはブラジルに 帰るだろうと思っていた。ブラジル人学校に転校したときは「いよいよだな」と察した。
ブラジル人学校の勉強はよくわからなかったので,ナナミと一緒にポルトガル語を話せな い友達と授業を抜けだしていたという。日本の学校では友達があまりできなかったので,勉 強が出来ない友だちができたことが嬉しかった。授業をサボりすぎて,しばしば校長先生に 呼び出されて怒られた。ブラジル人学校ではポルトガル語を勉強したが全くついていけず, 姉や友人と共にサボってばかりだった。
*:(ブラジル人学校の)クラスの人数とか(覚えてますか?)
モ:覚えてないなあ・・・サボりすぎた(笑)
*:学校は好きだったの?
モ:あんまりー
*:先生は?
74 モモコ、女性、18歳、日本の公立小学校、ブラジル人学校を経て、ブラジルの公立中学 校へ、日本語でインタビュー
134 モ:好きじゃなかったな
*:なんかお友達ともあまり遊べなかったんだって
モ:勉強とかはともかくなんですけど,遊びとかは厳しくて
*:へー
モ:普通の日本人とは違ったし,ブラジル人ともちがったかな
ブラジル帰国後は学年を下げて,アサイの公立学校に入学した。しかし「でも友だちがで きなくて。話せないし。学年を下げたからまわりは年下」ということもあり,なかなか友人 には恵まれなかった。ここでモモコがいう「話せない」というのは,話題がないということ である。サボリがちだったブラジル人学校ではあったが,ポルトガル語についてはモモコの 力になっていた。
その後,モモコはブラジルでの学校になじめないまま,再び日本へ渡り,弁当工場と自動車で 働いた。学校とは違い,給料が出ることで「仕事はじめて知り合いが増えて。お化粧を覚え て,服を買って。友達とですね」「普通の女の子って感じになりました」。それでもブラジル に戻ったのは工場で働くことが嫌になったからだという。
モ:うん。(日本で)働きながら,ブラジルに帰って勉強したいと思いました
*:働いてたからかー
モ:そうですね。工場は嫌だなあと思い始めてました。
*:うん。それでブラジルに戻って大学みたいな モ:そうですね
ブラジルの大学へと進学し,イラストレーターとして働きたいと考えている。ただし現在 もブラジル人の友人は少なく,もっぱら同じように日本から帰国した青年らとの付き合いが 中心である。ブラジル人の友人にあわせて会話をすることはあっても,心から通じあえるよ うな瞬間はない。
モ:うん。なんか話しづらいんですよ
*:いわゆるブラジル人と?
モ:そう
*:へー
モ:話も合わないし
*:みんなに話してるの?
モ:なんだろうなあ・・・アイドルとかかな
*:お,それじゃあ,あうじゃん
モ:あ,でもそれブラジルのアイドルですよ
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例えばブラジルのアイドルが着る洋服はモモコの趣味ではない。着たい洋服は日本のも のだが,ブラジルで生活している手に入らない。アサイの生活ではオシャレができるわけで はないが,日本から持ち帰った服を着回すことで工夫しいる。姉のナナミとは違って,将来は ブラジルで大学に進学すると決めている。ブラジル人としてブラジルで仕事を見つけて生 活したいという。大学ではイラストレーターになるための勉強をしている。アリサやチア キ,サツキと仲がよく,マンガの貸し借りをしている。男性同士の熱い友情や「男性同士の恋 愛もの」が大好きで「うちら腐女子グループなんですよね」という。ブラジルでの生活を 楽しむ一方で,モモコは「ブラジルに来たことを後悔しても仕方がない」という。
*:選べない?
モ:でしょう?でも選べないなりに楽しんでるんですよ
*:ブラジルで
モ:そ。友達もいるしね
モモコは自分の人生を「選べなかった」と語る。少なくともブラジルに望んできたわけ ではないからである。そこで,モモコは選べないなりにブラジルでの生活に楽しみを見出そ うとしている。支えとなっているのが,同じ境遇で日本へと戻ってきた子どもたちである。
モモコと同じような境遇にあるサツキ75は,友人の存在があるからこそブラジルで生きてい けると語る。サツキは2009年の経済危機で失職した父親と共に帰国した。現在も母親は日 本で働いている。父親は日本で仕事が見つからないことにずいぶんショックを受けていた が,ブラジルで事業を始めたので帰国した。母はサツキの中学校の卒業式にブラジルへと一 時帰国したが,すぐに日本へと戻っていった。サツキがブラジル帰国後困ったことは「ポル トガル語」ではなく友人作りだったという。ブラジルの生活に馴染むことができたのは,日 本帰りの仲間たちだった。
小学校5年生に進学しようとしていた頃,突然「一ヶ月後に帰ることになった」と言われ, 慌ただしく帰国の準備をした。母親と日本に残ることも選べたが,ブラジルにいる高齢の祖 父母のことも気になったので父親と帰国することにした。父親は現在ブラジルで不動産業 を営んでいる。事業を安定化させるため父親はブラジルで事業を運営し,母親は日本の工場 でいまも働いて家族に仕送りを続けている。
日本がいまでも懐かしいという。カレーとポッキー,アイスといった食べ物が懐かしい。
日本の学校も楽しかった。運動会,音楽会とブラジルにないイベントが多く思い出に残って いる。両親も学校の行事には積極的に参加してくれた。ただし勉強の成績は良かったわけ ではない。国語が苦手だった。日本に帰国したくてたまらなかったが,それでもブラジルで
75 サツキ、女性、14歳、日本のブラジル人学校、公立小学校を経てブラジルの公立中学校 へ、日本語でインタビュー
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生活できるようになったのは「同好の友」がいたからである。
サ:町が小さいですから。みんなで教えあうんです
*:そうかあ。
サ:チアキやユキナですねえ。みんな
*:そうなんだ
サ:日本人だけの,ブラジル人もいるけどグループを作るんです
*:グループ
サ:グループの歌もあるんです。ダンスもありますよ
*:そうなの(笑)どんな名前なの?
サ:腐女子フレンドです(笑)
*:腐女子!
サ:ええ(笑)
*:それでそういう漫画とか交換するの?
サ:するんですよ
*:へー本とか,漫画とか?
サ:ええ。本とか漫画はないですけど,データを。物自体はないけどデータを
*:いいの見つけたよって?
サ:そうそう。「お前に貸してあげる。みてね,みてね」みたいな
サツキと同じくユキナもこの「腐女子フレンド」で日本帰りのブラジル人青年と交流を 深めている。そして友人関係を作るための「ネタ」が,インターネットで受容できるサブカ ルチャーなのである。そしてこの「同好の友」は,日本で日本の公立学校に通っていた子ど もたちばかりではない。現在ではグループの輪を広げ,ブラジル人学校出身の友人やブラジ ル育ちの友人も加入している。
例えば,ブラジル人学校出身のユキナ76のように,ほとんど日本語がわからない子どもたち も参加し,ポルトガル語が得意な子どもは日本語を,日本語が得意な子どもはポルトガル語 を教えてもらうことで「ウィン−ウイン」の関係となっている。
*:さっきサツキにも聞いたけど,グループにはいって?
ユ:はい。チアキとかもですね。ブラジル人もいますけど日系人が中心です
*:腐女子フレンド(笑)
ユ:はい(笑)
*:そこで漫画とかを交換して。紹介して
76 ユキナ、女性、14歳、日本のブラジル人学校を経て、ブラジルの公立中学校へ、ポルト ガル語でインタビュー