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浜松校のサンドラ校長は,2003 年に開校した EAS 豊橋校で校長を務めた後,2007 年に EAS 浜松校へと赴任した。サンドラ校長は私塾参入前を知る数少ない教師の一人である。

家族の都合で渡日したとき,ブラジル人の子どもたちの劣悪な教育環境に心を痛めたという。

最近はブラジルの生活を懐かしいと思うこともあるというが,日本に残るブラジル人の子ど

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もたちのことを思い,教鞭をとり続けてきた。私塾参入はEASにいかなる変化をもたらした のだろうか。サンドラ校長によると,私塾参入後,EASには安心して子どもたちに教育できる 体制が整うようになったという。設立当初のEAS浜松校には図書室やパソコン室が設置さ れておらず,日々の教材作成も苦労するほどだった。

昔はたいへんなときは本とかも仕入れるのに苦労もしたんですけど,今はもうそれは解決し て。ようやく授業に集中できるようになりました。

当時の EAS は,地方自治体から教科書購入補助など行政支援を一部うけていたが,学校の 運営を考えれば微々たる支援であった。必然的に授業料に依存した学校経営がおこなわれ るようになるが,それでは生徒数が減少することで学校の経営が立ち行かなくなってしまう。

ブラジル人の多くは,不安定な雇用状況にあり,雇用主の経営状況によって簡単に解雇され てしまう。仕事を解雇されると,ブラジルに帰国するか仕事を求めて転職・転居することに なり,子どもたちも帰国・転校してしまう。したがって,授業料収入に依存した学校経営はリ スクが大きいわけだが,ブラジル人を中心とする経営陣は不安定な状況を打開することがで きないでいた。

こうした EAS の教育環境を整備し学校経営を安定させるための舵取りを担ったの

が,2007年からEASの運営を担ってきた理事長である。EASにとって最も大きな挑戦とな

ったのが,グループの学校法人化と各校の各種学校化である。学校法人格の取得や各種学校 認定には,行政文章を揃えるだけでなく,学校を運営するうえでの安定した財源や学校環境 の整備が条件となる。カリキュラムの整備に加え,校舎や校庭など必要項目は多岐にわたる。

そしてすべての書類を日本語で揃えなくてはならない。そのため,ブラジル人学校が各種学 校化するのは極めて難しいとされてきた。それでもEASを学校法人化し各種学校認定をう けるために努力する意義があるという。なぜなら,第一に各種学校への補助金を受領するこ とによって経営が安定するためであり,第二に日本の法制度に則ることで学校の社会的位置 づけが明確になるためであるという。各種学校化を目指すことについて,理事長は学校を安 定して経営するためだと説明している。

長くやるためには地道にこつこつと,ですかね。うーんだからあんまり利潤はあんまり追求 してないですよ。利潤を追求しないというとあれですけどね,お金ないといろんなことでき ないですから。

その後,EASは2010年4月に日本の各種学校として認可される。行政(静岡県と浜松市)

からの補助金による助成対象となることで若干ながら経営が安定していく。また,学校法人 化されたことで高校無償化の対象となり,高等部の生徒は学費が約月1万円減額されること となる。こうしてEASは経済的にも生徒が通いやすい学校となった。社会的位置づけも私

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塾参入によって明確になっていった。以前のEASは,日本社会との接点がほとんどなかった。

「日本とブラジル人学校は別の場所だった」とサンドラ校長はいう。

前までは,家から学校までいって,学校でおしえて,家にもどって。ずっとブラジルにいるよう な感じでした。全部ポルトガル語でやってて,週末だけどこかにいくときだけは,外国にいる なと思いました

サンドラ校長によると,EASは良くも悪くも「日本にある」ブラジルの学校であり,まるで

「ブラジルにいるような感じ」だった。子どもたちにとっても,教員にとっても「ブラジル の学校」は日本社会に関わる際の「障壁」を感じさせないものであった。

しかし一方で,「いつ学校がなくなるかわからない」状況にあり,廃校の不安が常につきま とった。「日本にありながらブラジルの学校というのは不思議な状況だった」とサンドラ校 長は当時を振り返っている。ブラジル人学校としての自治を維持しながら,長期的に安定し た経営をおこなうために日本社会との接点をつくる。それは私塾が参入しなければ難しか ったことである。こうした学校を安定化させる「経営努力」はいかなる論理を背景にして いるのだろうか。

理事長によると,学校法人化はできるだけ多くのブラジル人に教育機会を与えるためのチ ャレンジだったという。EASは「学校」である。「学校」が廃校するかもしれないという不 安定な状況で,子どもたちは安心して勉強を続けることができない。

そうですね。子どもにとっていい未来を与えてあげる,子どもにとって快適な環境を与えて あげる。そういう子どもたちが大きくなって遊びに来るっていいのはいいですよね。そう いうふうにして学校ってのは広がっていく。知名度も,信頼度も高まっていくし,学校法人の 実績を積み重ねていくことで,業績のほうも上向いていくものですから,小手先の授業料改 定とか,なんていうんですか,新しいプロジェクトをぼんとだしても一時的な効果でしかな い。

その後,理事長は EAS の経営を安定させ,日本社会との接合によって安心して通える「日 本のブラジル人のための学校」をつくりあげていった。理事長やサンドラ校長の教育理念 はとてもシンプルである。日本で教育を必要としているブラジルの子どもたちに,できるだ け幅広く教育を提供するというものである。サンドラ校長によれば,学校が安定することで 学費の問題はあるにしても「基本的に全ての入学希望者を受け入れる」ことができるよう になったという。その意義は極めて重要であるように思われる。

6.「移動」に対応するための幅広く質のよい教育の提供する

東海地方には様々なブラジル人学校がある。保護者らにとって選択肢は多い。保護者の

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なかには,よい教育が受けられると聞きつけ,子どもを EAS へ転校させる場合もある。なぜ 保護者らはEAS浜松校を選ぶのだろうか。サンドラ校長によると,多くの保護者がEAS浜 松校を選ぶのには,2 つの理由がある。第一に,豊富な経験と実力を備えた教師による「質の よい教育」。第二に,学習環境が充実していることである。

ここで筆者の印象に残るロナルド先生の授業を紹介しよう。中学校1年生の授業の冒頭。

いわゆる「つかみ」の時間である。生徒らの集中力は散漫である。ロナルド先生はブラジ ル本国の先住民や黒人の生活を話題にした。ロナルド先生はブラジルの地図を使いながら, 自身のブラジルでの経験を生徒らに語りかける。学生らはロナルド先生の語りに耳を傾け ているが難しそうな顔をしている。ロナルド先生は生徒らの反応について「生徒たちはブ ラジルでの生活経験が少ない。場合によってはほとんど知らない。日系人だけが特別じゃ ない。白人,黒人,先住民,いろんな人がいるのがブラジル。でも日本の生徒たちは実感がない。

ブラジルの地理だって知らないので実感が伴わないからだ」と説明してくれた。

そこで,ロナルド先生は生徒らの出身地を訪ねていく。サンパウロ近郊だけでなく,各地か ら日本へやってきたことが浮かびあがっていく。すかさずロナルド先生は生徒らに出身地 の特徴を話してもらう。ドイツ系,イタリア系が住んでいたこと。先住民らが民族衣装を着 ているのに中国料理を食べていたこと。さまざまなストーリーをロナルド先生は引き出し ていく。

なかでもサンパウロ市内でのバール(飲食店)のコジネイロ(調理師)が北部からきた 黒人ばかりだという話を引き出すと,ロナルド先生はブラジル北部の話に切り替えていく。

なぜ北部に黒人が多いのか。生徒らの知識を確認しながら,ブラジルの北部開拓とアフリカ との関係を説明する。生徒らも「なるほど」という顔をみせる。手元のブラジルだけの地 図ではなく,世界地図を広げブラジルとアフリカ,そしてヨーロッパの地理関係を確認する。

最後にロナルド先生は生徒らに「みんな同じ顔をしているかい?」という。それぞれが 周囲の顔を確認する。顔つきはさまざまだ。そこから,さまざまな歴史を背景として,みなが 日本へ居ることを確認し,再びロナルド先生が授業をはじめる。生徒らは先ほどと打って変 わって集中した表情を向けるようになった。

ロナルド先生によれば「さまざまな生徒がここで勉強している。日本しか知らない生徒 もいる。ブラジルのことを教えることは難しい」という。先生らはさまざまな工夫を凝ら しながら授業をおこなっているのだ。EAS浜松校で7年間教師を務めているマルシア先生 は,以前務めていた他のブラジル人学校での経験と比較して次のように語っている。

優れた教師がこの学校にいる(中略)当たり前のことに思えるかもしれないが,学年ごとに クラスがわけてあって,教科ごとに教師がいる。いい教材をブラジルから取り寄せて研修も 行っている

ブラジル人学校の多くは小規模校である。教室も教師も少ない状況では,ひとつの教室で