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次に日本での生活に満足していたが,帰国後の適応の困難を語った9事例をみてみよう。9 事例の語りは,内容の違いから日本での学校選択の違い(ブラジル人学校グループと公立学 校グループ)に特徴付けられる。ブラジル人学校ではブラジル教育がおこなわれているた め,帰国後の文化適応に問題が生じにくく,逆に日本の公立学校出身者のほうが帰国後に問 題が生じやすいと想定されうるが,ブラジル人学校出身者も,特有の問題を抱えており,ブラ ジル社会への適応が難しい場合が見られた。そこで,まずはブラジル人学校出身者の事例を, つぎに日本の公立学校出身の子どもたちについてみてみよう。

39 チカ、女性、20歳、ブラジル生まれ、日本の公立学校を経て、ブラジルの公立高校へ、

日本語でインタビュー

92 ミナミの生活史から40

ミナミが日本へ渡ったのは小学校進学時であった。ブラジルで両親が離婚し,母親は生活 のため日本へデカセギすることを決めた。ブラジルへの帰国を見据え,母親はミナミをブラ ジル人学校に入学させた。ブラジル人学校の高額な授業料の支払いは家計的に厳しかった が,子どもにより良い教育を与えたかったからである。ミナミにとってブラジル人学校の勉 強は,難しいうえに進度がはやく,ついていくのに苦労した。それでも先生や友人たちに助け られながら,ブラジル人学校で勉強した。苦労も多かったが日本での生活は楽しかったと語 った。

2008 年の経済危機で母親が失職。このままでは,ブラジル人学校への通学はもちろん,生

活を続けていけないと考え帰国することになった。帰国したミナミは経済的な理由から公 立学校に進学した。しかし,ブラジルの学校が日本と違い面白くないという。ミナミは高校 2年生のクラスに編入した。しかしミナミにとってブラジルの公立学校の授業レベルは低く, 日本の中学校 3年生にあたる基礎学校 8年生の内容が教えられていた。日本で全部勉強し たことがある内容であり簡単すぎておもしろくなかった。周囲の生徒らも授業を真面目に 聞いておらず,教室の雰囲気も好きになれない。

辛かったことは,友人を作ることができず孤立したことであった。学校の同級生は日常の 生活や恋愛を話題とし,編入したミナミは話題を共有することができなかった。気を紛らわ せようとしても,治安のよくないブラジルでは外出も制限されている。面白くない学校と家 の行き来に嫌気し,ミナミはブラジルでの生活にむいていないのではないかと考えるように なっていった。

日本での勉強のおかげで,大学進学を望めばよい大学へ進学できると学校からいわれてい る。しかし,ミナミはブラジルで生活を続けるつもりはない。日本へ留学生として戻ったほ うが良い教育が受けられると考えている。母親は日本の景気が回復すれば再渡日するつも りなので,母と共に日本へと再渡日する計画である。

日本のブラジル人学校出身者で,ブラジルの生活に馴染めないと語る事例は,ここでとり あげたミナミ以外に,ヴァニア41の事例がある。それぞれ,2008年のサブプライム・ショック によって突然帰国することになった。経済的な理由から帰国せざるをえなかったため,費用 がかからない公立学校へと進学している。学校では,日本のブラジル人学校で学んだポルト ガル語を駆使し高い成績をおさめている。それにもかかわらず,子どもたちは現状への不満 や将来の不安から,ブラジルでの生活を諦めて,現在は再渡日を模索している。

40 ミナミ、女性、18歳、ブラジル生まれ、日本の公立学校を経て、ブラジルの公立高校へ、

ポルトガル語でインタビュー

41 ヴァニア、女性、16歳、ブラジル生まれ、日本のブラジル人学校を経て、ブラジルの公 立高校へ、日本語でインタビュー

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かれらの語りに共通する不満や不安は,ブラジルの公立学校の学習内容の低さ・学習進度 の遅さ,さらに日常を安全に暮らすことができないということである。

ヴァニアは,学習進度のあまりの遅さに「このままブラジルの学校に通っていたら,勉強が できなくなる」と不安を感じ,アキコは,治安の問題から自由に外出できず,いっそう「勉強し かすることがない」だけに,ブラジルの公立学校の勉強に不安を感じ「早く帰国して日本で 勉強したい」と語っている。

さらに,サブプライム・ショックによって突然帰国したことで,帰国が充分意味づけられて おらず,日本の景気次第で再渡日するかもしれないと考えている。なかでも,ミナミは,家族が 日本に帰ることを望んでいることもあり,ブラジル滞在が「一時的」なことであると考え,ブ ラジルでの勉強に身が入らない状況にある。このように,ブラジル人学校出身者でも,帰国後 の生活に適応できるわけではない。ブラジル人学校は日本にいる日系ブラジル人を受け入 れる教育機関としてのみ存在しているのではなく,ブラジルで生活している子どもたちにと っては「日本でも通える学校がある」といったある種の「よりどころ」としても機能して いるのである。こうした子どもたちのリアリティとは,ブラジル人学校を卒業し,親と同じよ うに日本で働くか,ブラジルでの進学を目指すことである。

それでは日本の公立学校出身者の事例ではどうだろうか。日本の公立学校出身者がブラ ジル社会に適応することを考えたとき,問題となるのはポルトガル語能力である。しかし,日 本の公立学校出身者の場合,ポルトガル語能力以外の要素によっても適応が難しくなる場合 がある。ここでは,それが顕著に現れる大学進学を前に帰国したセルージオの事例をみてみ よう。セルージオは大学進学のためにブラジルへ帰国した。しかし両国の制度の違いや生 活環境の違いから挫折してしまった。ユカのように,ブラジルでの生活に馴染めず日本への 再帰国を模索し実際に再渡日した。

セルージオの生活史から42

両親を含め親戚が日本で働いていたので,セルージオはブラジルの祖母の元で暮らしてい た。両親は日本での生活に満足し,ブラジルへの帰国を取りやめ,小学校入学時にセルージオ を日本へ呼んだ。

しかし,セルージを呼んだ両親の関係が悪くなり,渡日後しばらくして離婚,それぞれ別の 相手と再婚した。セルージオは住む場所も定まらず,叔母と母の家を転々とした。来日当初, セルージオは日本語を喋ることが出来なかった。それでも熱心に勉強し日本の学校の勉強 についていけるようになった。日本では多くの友達に恵まれた。ブラジル人であることを 気にせず打ち解けてくれたことが嬉しかったという。家庭生活が安定しなかったぶん,学校 に通うことは楽しかった。

高校 3年生になって大学進学を目指し受験勉強に打ち込んだ。しかし,母から金銭面の問

42 セルージオ、男性、20歳、ブラジル生まれ、日本で高校まで進学。日本語でインタビュ ー

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題から進学は難しいと言われ落ち込んでいたところ,ブラジルならば無料で進学できるとい う薦めを受けた。ブラジルのほうが勉強も簡単で生活しやすいという断片的な情報を聞く ことがあった。そこで,帰国を望んでいた祖母と共にブラジルへ帰国した。

帰国後,大学受験を試みるが,試験が予想以上に難しく失敗する。近年のブラジルは経済的 な急成長に伴い,教育産業が伸長し,受験競争も激しさを増している。セルージオが望んでい た国立大学進学のためには,ブラジルでも相当の勉強が必要である。ポルトガル語能力の問 題もあったが,試験で最も厳しかったのが,ブラジルの地理や歴史科目である。ブラジルでの 学校経験がないセルージオに突破できるような試験ではなかった。

さらに,ブラジルは経済成長に伴って生活用品の価格も上昇傾向にあり,祖母の年金だけ で生活することは難しい。やむを得ず就職することを考えたが,ポルトガル語能力の問題で どこも雇ってくれなかった。その他にも「ノリの違うブラジル人」とは友人になれず,ブラ ジルでの生活は孤独感でいっぱいだった。ブラジルでの生活に期待をすることもあったが, 大学進学ができなかったこと,ブラジルの生活に馴染めないことを「失敗」と考えるうち自 信を失ってしまった。その後,セルージオは日本へと帰国し,アルバイトを経て日本で大学進 学を果たした。あまりにも簡単に日本の大学進学できたことを「そりゃそうか・・・高校 まで勉強してたんだし」と語っている。

ブラジルに帰国した日本での公立学校出身者は,ポルトガル語能力や生活環境の違いから 適応の難しさを語る場合が多かった。だが,その点ばかりを強調すると,その他の問題が見過 ごされてしまう。学校生活の違いについて,ポルトガル語だけでなく,歴史や地理といった特 有の科目に関する困難が語られている。

セルージオ以外にも,例えばサムエル43の場合,日本では公立学校に通っていたが,幼少の 頃から両親がポルトガル語を徹底して教え,帰国後は家庭教師をつけて勉強をさせている。

帰国したサムエルは,学校のポルトガル語は理解できたという。しかし,歴史や地理といった 科目の知識が充分でなかったことで,学校生活に困難を感じている。

セルージオの事例では問題が更に複合的である。家庭の不和や生活の困窮がありブラジ ルへの適応を難しくしている。ブラジルの経済成長によって,日本と変わらない生活ができ ることを肯定的に捉える子どもたちがいる一方で,物価の上昇により生活の豊かさが失われ, 日本以上の貧困状況におちいる子どもたちもみられた。

ところで,セルージオの事例をみると,ブラジルに帰国したことで将来展望をもつことが 困難になったが,再渡日したことで,将来の展望をもつことができた子どもたちもいる。以下 でも取り上げるが,生活拠点を別の国に移すことで生じた困難や課題を,再移動によって解 消しようとすることが,子どもたちにとって選択肢のひとつとなっているのである。より自 分にあった教育を求め再移動することは,今回の調査上度々みることができた。

43 サムエル、男性、16歳、ブラジル生まれ、日本の公立学校を経て、ブラジルの私立高 校、日本語でインタビュー