• 検索結果がありません。

日本政府が具体的な移民政策を施行することができぬまま迎えた2008年。リーマン・シ ョックとそれに伴う経済不況は,日系ブラジル人労働力のさらなる搾取を生んだ。先述して いるように,バブル崩壊以降の経済不振は,自動車に代表される製造業界に多大なる影響を 与えてきたが,日系ブラジル人に関しては雇用の更なる不安定化をもたらした。コスト面で 差がなければ,企業は日系ブラジル人から日本人へと労働力を切り替えていく。

リーマン・ショック以降,その傾向はいっそう顕著なものとなり,日系ブラジル人はこれま で以上に人件費圧縮のための調節弁となっていく。他方で,バブル崩壊以降の雇用の流動化 により,賃金が多少安くとも中小企業に直接雇用されていた人々や景気の影響を受けにくい 食品業に従事する人々は,製造業界で間接雇用されていたブラジル人に比べれば経済危機の 影響が少なかったとされる(樋口 2010)。経済危機により日系ブラジル人が日本人と同様

「派遣切り」されたことは,各種メディアにおいて大きく報道された。行政はもちろん労働 組合なども日系ブラジル人の雇用喪失には敏感に反応している。こうした状況から,すでに 日系ブラジル人は「見えない」存在というより「見える」存在になったという指摘もある

(浅川2009)

筆者の知りうる事例では,日系ブラジル人の労働問題は 2011 年頃から再び「見えなくな った」ように思われる。先ほど取り上げた食品加工工場は変わらずブラジルから労働力を 呼び寄せている。また関連企業は諸経費を低く抑えられる都市部から山間部へ工場を移転 し,いっそう日系ブラジル人は再び「見えない」存在となっている 。「仕事がなくなったか ら帰国した」というのは,日本からブラジルへと渡った人々が語る代表的な帰国理由である。

46

こうした語りは,サンパウロ州やパラナ州奥地の地方都市へと帰国した人々に聞かれた。

ここで日本におけるブラジル人の外国人登録者数を確認しておこう。1989 年に 14,528 人であったのが,2008 年の 316,967 人と急増している。その後経済危機を経て 2011 年に

210,032人と減少した。2011年における幼児から19歳の外国人登録者数は,46,010人であ

る。経済危機を経て徐々に人数は減少しているも10万人以上ものブラジル人が日本で生活 している。このことがブラジル人の定住化を意味するのか,あるいは減少傾向を維持するの かは今後の経過を待たなくてはならない。いずれにしても,本研究との関係からいえば,ブラ ジル人の急増と急減がわずか20年足らずのあいだにおきたことを確認しておきたい

2-4 日本におけるブラジル「国籍」の在留者数

法務省「在留外国人統計(旧登録外国人統計)」各年次版より

失職したブラジル人への政府対応は,これまでに比べれば素早い対応であった。特に2009

24 051 3 , 673

47

年初頭に厚生省が主導したブラジルなど母国への帰国希望者に対する「日系人離職者に対 する帰国支援事業」は「手切れ金」政策として大きな話題となった。いわゆる帰国費用の 一部負担を打ち出したのである。内閣府が2009年3月末,「日系定住外国人施策推進会議」

を開催し, 国内定住者にたいしては,地方自治体を中心に求職支援などがおこなわれた。文 部科学省は,同日に初等中等教育局長通知「定住外国人の子どもに対する緊急支援について」

を発出。そして4月には国際教育交流政策懇談会が「 定住外国人の子どもの就学支援に関 する緊急提言」を提出したことがきっかけとなり,国政においてブラジル人学校の窮状が議 論されるようになった。その結果打ち出されたのが,以下の二つの政策である。

まず,定住外国人の子どもに対する緊急支援措置として,2009 年度補正予算で文部科学省 に約37億円が措置され,文部科学省は,国際移動機関(IOM)に拠出して,3年間の予定で「定 住外国人の子どもの就学支援事業」(通称「虹の架け橋教室」事業)を実施した。また,ブラ ジル人学校の経営を安定化させるために各種学校設置認可の弾力化が進められ, 2009 年末 に文科省はさらなる認可基準の緩和を各都道府県に求めるようになる。この各種学校認可 の弾力化によって,認可のハードルが下げられ2012年時点では12校が各種学校として認可 されることになった。

そして,2011 年には内閣府から「日系定住外国人政策に関する行動計画」が公表される。

同計画には「ブラジル人学校等の各種学校・準学校法人化の促進等の支援,ブラジル本国政 府などへの要請等」の項目が含まれており,同計画にそって,翌年には「外国人学校の各種学 校設置・準学校法人設立の認可等に関する調査委員会」が設置され,各種学校設置・準学校 法人設立の認可のさらなる弾力化が模索されるようになった。

それでは受け入れ側となったブラジルの状況はどのようなものであったのだろうか。ブ ラジルは,80 年代のブラジルは経済不安を抑えることができず,危機的な状況を招いたこと で日系ブラジル人の「デカセギ」を生じさせた。窮地に陥ったブラジルは,その解決を世界 銀行やIMFといった国際機関に求め,構造調整政策(Structural Adjustment Program)を 受け容れる。

周知のように,世界銀行や IMFが主導する構造調整は,経済システムだけでなく,行政シス テムの抜本的な変革を求める。こうして,国際的な経済競争力向上のため,保守的な経済政策 を見直し,徹底的なコストカットが実施された(Kempner and Jurema, 2002)。これらの新自 由主義の影響が色濃い改革は,ブラジル経済を立て直すだけでなく,劇的な経済成長をもた らした。そしてブラジルの政策に,これまでみられなかった連邦政府主導のアウトプット評 価や数値管理を持ち込むことになった。

教育政策をみたとき,連邦政府は地方分権化による権限委譲を推し進める一方で,ナショ ナルカリキュラムを策定し,全国的な基準設定と到達目標による管理統制を強めていった。

ここでいう基準とは,ブラジルが独自に定めた国内基準だけでなく,OECD をはじめとした 国際機関が提示する開発目標や先進各国の平均値などを参照した国際基準でもある。国際 基準へ到達するためには,客観的な基準を設定し,これに基づいて測定・評価されなくてはな

48

らない。また対外的に説得力を持った現状評価を提示できなければ,いつまでも「経済だけ が発展した国」として評価されてしまう。こうした国際基準を意識した目標設定は,先進諸 国に追いつこうとするブラジルにとって避けられないものだったのだ。

さらに国際的な地位向上のために,ブラジルには乗り越えなくてはならない大きな国内問 題が存在している。再三にわたり UNESCO や世界銀行から指摘されてきた,国内に根強く 残る民族差別や経済格差の是正である。これまでも国際人権規約に則った基礎教育の充実 や中等教育機関の門戸開放が要求されてきたが,充分な対応をとることができていなかった。

経済の立て直しを課題としていたブラジルにとって,教育問題や民族問題は優先度が低い テーマであった。しかし,2003 年に労働組合出身のルーラ大統領が就任すると,経済成長を 維持しながら国内の貧困問題に立ち向かうことを宣言し,政策の軸に貧困問題の解決と,子 どもたちの教育が位置づけられることとなった。ここに,教育と福祉も世界的なスタンダー ドに近づけることが目標とされたのである。

以降,ブラジルの行政文章には,UNESCOのサマランカ宣言(1994),世界教育サミットの ダカール目標(2000),ミレニアムサミットでのミレニアム開発目標(2000)などが散見さ れるようになる。こうした宣言や目標で目指された「万人のための教育(Education for all)」

は,全国的な先住民,黒人差別などの民族問題,都市部と農村部の格差是正に取り組むための 論拠となった。例えば,2000 年代に入ると,教育省主導の下,各地で先住民教育に関する国内 会議が開催された。そこで改めて国内の民族差別や地方教育格差が指摘されたことを受け, 連邦政府は2004年に「継続・識字・多様性教育局(Ministério da Educação, Secretaria de Educação Continuada, Alfabetização e Diversidade Diretoria de Educação para a

Diversidade)」を教育省内に新設した。これまで教育から疎外されてきた人々に焦点を当

て,より厳しい状況にある人々へ支援が行き届く制度を設計することがその目的である

(MEC 2004)。

注意が必要なのは,ブラジルにとって不平等是正の教育といったとき日系ブラジル人がそ の範疇に入りにくいということにある。筆者によるブラジルの聞き取りにおいても,日系ブ ラジル人の「再入国」に戸惑う声が聞かれた。

「日系人の問題は把握しているが,どのように対処していいかわからない。(政府教育局)」

「ブラジルの公教育では「日系人」よりも優先度の高い課題を抱えている。(ブラジリア 多様性教育担当)」

「実数の概要は把握しているが,現状はわからない。現場の先生に聞いてくれ(ロンドリ ーナ教育局)」

「州立学校,市立学校へ入学した場合人数は把握できる。しかし,地方への帰国者が多く対 応ができない。子どもたちの学力,言語能力が違いすぎる。学校での問題もあるが,子ど もたちの文化的な適応の問題も認識している。ブラジル文化になじめず非行にはしる 子どもたちにどのように対応すればいいか(トッパン市公立学校校長)」