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ここまで見てきたように,帰国した子どもたちは日系人同士の自助グループを形成するこ とに加えて,インターネットを通じて日本の情報を得ることや,SNS サイトを通じて日本人 と交流することでブラジルでの生活を乗り切ろうとしている。それは日常生活をブラジル 社会で過ごしながら,自宅や友人同士で愛好する日本のサブカルチャーを「緩衝材」として 活用している。日本人とのインターネットでの交流は「居場所づくり」とも言い得るもの である。1人を除けば,本章で扱う子どもたちは日本,なんらかの形で日本と「接続」し続け ることで,ブラジルでの生活を乗り切ろうとしている。

日本との繋がりを「緩衝材」や「居場所」としていくなかで,子どもたちの日本との「接 続」の物語も維持されている。それでも「乗り切る」と表現したように,徐々にブラジルで の生活に慣れていくことで,子どもたちの移動の物語が変化していく。先ほど見たマルタは 日本の帰国を夢見ながら大学に進学しているが,徐々に日本との「接続」の物語から「切断」

を語るようになっている。2008年のインタビューでは「はやく日本に帰りたい」と語って

いたが,2012二年のインタビューではブラジルに残る可能性を語っている。

マ:(将来は日本に)住みたい。普通に仕事したり,休みの日はどっか行ったり。でもうち は,たぶん 15 年くらいはこっから出られないんだよね

*:なんで?

マ:大学の払わなくちゃいけないから

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*:授業のお金はすごい高いの

マ:結構高いかな。一か月に日本のお金だったら 1 万くらい,ちがうもっとだ。2 万 8000 円くらい。こっちの 1 か月の給料くらい

*:大変だね

マ:まだ大学にいるだけで 50 ヘアル 3 か月に 1 回払って。卒業したら全部払わなくちゃ いけない。大学まで行っちゃってるしね。

「大学に進学すれば残るしかない」というように,高額な学費を支払わなければならない。

そして大学を卒業すればブラジルで就職する可能性も見えてくる。前章で議論した「競合 条件」に対して有利に臨むことができることから,「ブラジルでもいいかもしれない」と思 うようになった。こうした移動の物語の変容についてはトモも語っている。

*:(アサイのグループは)2008 年,2009 年ごろ(に帰国した)の子が中心になるの?

ト:そうだね。大学に行く子もいるけど,いまでもみんなで集まってさ

*:アサイって田舎なのに,なんでそんなにアニメ好きかわからないやん

ト:ああそれね(笑)田舎だから暇だし,みんなでこう紹介しあって,それを楽しんでっての がいいんだよね。そういうものだと思うなあ

*:うん。面白いよねえ

ト:携帯があればいまはなんでもね

*:へー・・・

ト:そうだね

*:でもみんな帰国した頃は悩んでたよね。2009 年に話を聞いたときはそういうことば っかり

ト:うん。鬱ぎ込んでいた時期はあったよ。みんなね。2010 年頃はそうだったけど,なん だかんだでみんな誰かとつながって,それで乗り越えてきたと思う。ブラジルが嫌だと 話していても,まあなんとかここまではきたね(中略 将来どうするかは)大学とかが 大きいと思うよ。まずはね。あとは仕事とか。でも人それぞれで。アサイならではの 部分もあって。例えばアサイなら友達を作れるじゃないですか。でも大きな街だと難 しいというか意味が無いというか。

*:みんなで仲良くできることのほうがいいか

ト:だから日本に帰るだけじゃない選択があるという子も増えてきたね

2009 年にはじめてインタビューしたトモは,ブラジルの学校に馴染めずふさぎ込んでい た。その後の経過は先述したとおりで,時間が経過するに連れ日系人グループをつくりブラ ジルでの生活に馴染んでいった。ただし,マルタが大学に進学する一方で,トモは大学に進学 することが出来なかった。そのため「競合条件」を考えたとき,非大卒のトモにとってブラ

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ジルで望みにかなう仕事を得ることは難しい。そこで,大学に進学するためには日本に渡る ことが近道となる。トモがそれでもブラジルで生活しているのは,トモの両親がブラジルで の永住を決めているからである。2010年にインタビューしたトモの母親であるカオリさん は,娘の考えが「甘い」という。

カ:娘は日本に行けばどうにかなるといいます。先生(筆者),本当なんですか。私た ちは日本で苦労しました。そして一緒に生活することを望んでいます。トモちゃんが 日本が好きなのは理解できますが。甘いのではないかと思います。

トモの両親はデカセギを終え,ブラジル帰国後は日本移民である祖父母の農地を引き継い だ。慣れない農園運営に苦労しながらも,家族で過ごせる時間を大切にしているという。ト モも日本で両親が忙しく働いていたことを知っているので,一緒に日本に行けるとは考えて いない。

ト:日本に一人で行けるとは思ってないですよ。でも気がついたら留学生のサイトとか 見るんですよね。私は帰国子女とかにはならないですよね。それって損だな

しかし 2013 年のインタビューでは,母親のカオリ79さんもトモも日本に行く予定である という。日本の大学進学にめどが立ったわけではないが,ブラジルでアルバイトをしながら 日本の参考書を取り寄せ勉強しているトモに,両親が日本への渡航を許した。

カ:根負けしました。それに日本の景気も良くなっているので,もしトモちゃんが困る こ とがあれば私も日本に行くことが出来ます。いまは日本で住んでいる親戚にお願いす る予定です。

ブラジルに帰国し家族での永住が「家族の物語」であった。しかしトモが日本との繋が りを維持し続け,家族が根負けするほど日本への渡航を訴えたとき,一家での永住という「家 族の物語」を変容させていった(図 7-1)。そしてトモは日本への渡航に向けての準備を進 めている。日本で生活する友人らに日本渡航を告げ,インターネットでアルバイトサイトを 検索して日本での仕事を探している。まずは日本での生活を安定させ大学進学を目指すと いう。

79 カオリ、女性、NA、ブラジルの高校卒、日本語でインタビュー

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図7-1 家族の物語と移動の物語の相互関係

以上のように,日本との「接続」を語りがちなマルタとトモであるが,大学進学を契機に, マルタは日本との「切断」を語るようになった。他方で,トモは日本との「接続」を語るだ けでなく,実際に日本渡航へと結びつけようとしている。いずれも日本と「接続」すること から,ブラジルでの生活の困難を乗り切り,新しい進路を選択しようとしている。それととも に,新しい移動の物語を語ろうとしているのである。

そしてこの移動の物語は,家族の物語をも変革していく。当初,親主導で形作られた「ブラ ジルルに帰国し永住する」といった家族の物語が,日本の景気安定や,子どもの意向に影響さ れゆさぶられ変容する。その背景には「デカセギによって子どもを振り回した」という親 にとっての負い目もある。

ただし,その物語の変容は例えば「子どもと一緒に家族で再移住」であるとか「子どもだ けが日本に留学する」だけでなく「永住を決めた子どもとブラジルで生きていく」など様々 なパターンが考えられる。こうした変動は,ブラジルでの生活が不安定な家族ほど生じるこ とになる。日本にいけばいまよりも安定した生活があるかもしれないという期待は,子ども たちだけでなく親にもあるからである。

6. おわりに

アサイは日本移民由来のごく小さな地方都市であるが「オタク」の語源そのままに,子ど もたちは相互に日本のサブカルチャーを紹介する姿を描いてきた。その特質のひとつとし て本章で強調したのが,日本の若者文化を「そのまま」ブラジルで享受していることである。

子どもたちは「日本での流行りもの」を媒介として,帰国した子どもたちの同好集団を形 成する。さらに,ブラジル人を含めた「集まり」を作ることで,ブラジル社会に居心地の良い

「場」をつくりあげている。こうした「リアル」な場所だけでなくネットワーク上でも子 家族の

物語

移動の 物語

日本での経験

ブラジル での経験

インターネットを 通じたつながり 渡日も渡伯も

親主導

子どもの成長とと もに子どもの意向 が反映されていく

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どもたちは繋がり合っている。図7-1は子どもたちの社会関係を図示したものである。

図7-2 帰国した子どもたちの語りから見えるトランスナショナルな社会空間

帰国した子どもたちは子どもたち同士での友人関係を大事にしている。それは同じよう な境遇を生きぬく戦友のようなものである。アサイにおいて子どもたちを結びつけたのは, 日本移民の遺産「日本語学校」である。子どもたちはここで日本語ではなくポルトガル語 を学んでいる。大局的にみれば「日本語話者」が激増したことで,日本語学校にとっても利 点がある。そして子どもたちを包むのがブラジル社会である。ブラジル社会が子どもたち の「主戦場」となるわけだが,そこに一人で立ち向かうのではなく,「仲間とともに」子ども たちは立ち向かっている。そのために日本のサブカルチャーが,友人関係を構築するため切 っ掛けになることや,一時の「癒やし」としての効果をもつ。最後に日本社会である。ここ でいう日本社会とはインターネットで関われる範囲内を意味する。子どもたちが日本社会 に繋がり続けるのも「日本に行きたい・帰りたい」というものから,「趣味」まで様々であ る。共通しているのは,特にサブカルチャーを通じて日本人ともブラジル人とも交流してい ることである。それは子どもたちにとってはブラジル社会から逃避するための「居場所」

でもある。

「居場所」であることにくわえて,日本との繋がりは子どもたちの「武器」でもある。一 部の子どもたちは,日本語を自由に操り最新の日本の文化にも熟知している。仮に日本に帰 国すれば,こうした日本に関する知識は「円滑な社会復帰」の足がかりにもなり得る。また, サツキやチアキなど,ブラジルでの生活の苦しさや難しさを軽減するための拠り所として

「日本での流行りもの」を位置づけている。このように,子どもたちにとって日本の繋がり とは,未知の場所での生活をうまくやりくりする生存戦術のための資源なのである。

それでは,子どもたちは額賀(2013)が指摘するような「グローバル型能力」を身につけ

日本社会 

インターネット) 

ブラジ ル社会  日本語学 校「あゆ み」 

帰国し た子ど もたち の友人 関係