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旁称用法の“人家”および旁称代名詞“別人”と直接指示

第 3 章 “人家”に関する観察

3.4 観察結果

3.4.1.1 旁称用法の“人家”および旁称代名詞“別人”と直接指示

現代中国語の人称代名詞には、1人称、2人称、3人称以外に「旁称」と呼ばれるも のがあり、その「旁称」には、“別人”や旁称用法として使用される“人家”が属す とされている。この「旁称」と呼ばれる人称代名詞は、一般に、話し手・聞き手以外 の不特定の人を指すと解釈されており、その解釈に従うならば、「旁称」は、定義上、

発話現場にいる特定の人物を指示すること、すなわち発話状況からの直接指示はでき ないということになる。実際、先行研究で提示された“別人”の例文が指示するのは いずれも、(53)のように、話し手と聞き手の会話に出現したか、あるいは、双方の記 憶の中に存在する人である。また、筆者が収集したデータの結果も同様に、“別人”

が発話現場にいる人を指した例はなかった。

(53) 别人 给 他 介绍 了 四五回 对象, 全 是 第一面 就 吹 了。

ほかの人 に 彼 紹介 完了 四五回 見合相手 すべて だ 初対面 すぐ だめ 完了

《丹凤眼》

「(ほかの人は彼に72)四、五回見合相手を紹介したこともあるが、いずれも一度 会っただけでだめになってしまった。」

また、“別人”が直接指示用法を持たないことは、以下の筆者が作成した文におけ る文法性の違いにおいても確認される。

(54) [状況:A,B,Cはみな発話場面にいる]

72 コーパスの日本語訳に明示していない主語「ほかの人」および目的語「彼」は括弧に入れて補足した。

さらに、一部修正した。

A:是 谁 干 的?

だ だれ やる 強調

「だれがやったの。」

B:*不 是 我,是 别人。(指で発話場面にいるCを指しながら)

否定 だ だ ほかの人

「私じゃなくて、ほかの人だ。」 (筆者作例)

(54)が示すように、話し手が同じ発話場面にいる特定の人物を“別人”で指定する と、不自然な文となる73。これは、“別人”が、定義上、不特定の対象を指すことし かできず、発話場面にいる特定の対象を指示できないからである。つまり、発話状況 からの直接指示ができず、この点は東郷(1999)が指摘している直接指示の特性(51a) に合致しない。また、話し手のいる発話場面において、語彙内容に依存せずに直接に 指示対象は与えられない。これは東郷(1999)が指摘している直接指示の特性(51b) に合わない。以上のことから、“別人”は直接指示用法は持たないと言うことができ る。

次に、先行研究(吕主編1980、刘・潘・故2001など)において“別人”に相当す るとされた旁称用法の“人家”を見てみよう。上で見た(54)の“別人”を“人家”に 置き換えると、(54)’になる。

(54)’ [状況:A, B, Cいずれも発話場面にいる] A:是 谁 干 的?

だれ やる 強調

「だれがやったの。」

B:*不 是 我,是人家。(指で発話場面にいるCを指しながら)

否定 だ

「私じゃなくて、彼だ。」

(54)’は、(54)の“別人”の場合と同様に、発話場面にいる特定の人物を“人家”を 用いて指定するのは不自然であることを示している74。旁称用法の“人家”は、“別 人”と同じく、定義上、発話現場にいる特定の人物を指示することはできないため、

直接指示はないことを示したものと言える。また、(54)の文脈、すなわち、発話場面

73 しかし、以下の例が示すように、“別人”が発話場面にいない不特定の人物を示す場合には自然な 文となる。これに関する考察は3.4.1.5で行う。

例:[状況:A,Bは発話場面にいるが、“別人”の指示対象は不在] A:是谁干的?「だれがやったの。」

B:不是我,是别人。「私じゃなくて、ほかの人だ。」

74 “人家”には現場に居合わせる人を指す例もある。このことについては後述する。

にいる特定の第三者を示す際に、“人家”の使用が可能になる場合がある。それは当 該の“人家”が特定の第三者を指す3人称用法の“人家”である。しかし、この場合、

話し手の指示対象に対する感情の表出が必要で、(54)’の場合、当該“人家”には指示 対象に対する話し手の感情が見られないため、不自然となる75

以上、筆者の作例および収集されたデータを基に、旁称用法の“人家”、“別人”

と直接指示の関係を見てきた。その結果、旁称用法の“人家”および旁称代名詞“別 人”は直接指示としては使用されないことが確認された。

3.4.1.2 3人称用法の“人家”および3人称代名詞“他”と直接指示

本項では、3人称用法の“人家”および3人称代名詞“他”と直接指示の関係を観 察していく。まず、発話場面にいる第三者を示す“他”の例を作成し、その振る舞い を観察する76

(55) [状況:AとBは同じ発話現場にいる第三者のことを話している。]

A:站 窗户边 那个人 是 谁 啊?

立つ 窓際 その人 だ だれ 疑問

「窓際に立っている人はだれ。」

B:他 是 小王。

王さん

「彼は王さんだ。」 (筆者作例)

(55)の3人称代名詞“他”は発話場面に存在する特定の第三者を指したものであり、

自然な文である。つまり、発話状況から直接に指示できる。これは先に見た東郷(1999) の直接指示の特徴(51a)に一致しており、このことから、3人称代名詞“他”は直接指 示が可能ということがわかる。また、この3人称代名詞“他”は、次の例が示すよう に、同じ形式“他”で異なる対象を指示することもできる。

(56) [状況:警察官と被害者が取調室の窓を通して複数の容疑者を眺めている。]

A:请 你 指出 当时 施暴 的 人。

頼む 貴方 指す 当時 暴行 の 人

「あのとき暴行した人を指差してださい。」

B:他、他,还有 他。

75 3人称用法の“人家”の感情表出については後述する。(3.4.2.2参照)

76 以下、例文では指示対象が男性の場合の“他”を用いる。なお、文法性の判断に指示対象の性の違い は関与しない。

それから

「彼、彼、それから彼です。」 (筆者作例)

(56)のBでは同じ“他”という代名詞が3回連続して用いられているが、それが指 示する人はそれぞれ異なっている。このように、3人称代名詞“他”は発話場面に存 在する同じ性の複数の第三者をそれぞれ指示することができる。つまり、発話場面で は、話し手の指示意図を示す指さし行為によって、指示領域を自由に分割することが できる。これは東郷(1999)が指摘している直接指示の特性(51d)に合致する。

一方、先行研究によれば、3人称用法の“人家”は3人称代名詞“他”に相当する と指摘されている。そこで、以下では、(55)の“他”がそれに相当するとされる“人 家”に置き換えられるか否かを検証する。

(55)ʼ [状況:AとBは発話場面にいる第三者のことについて話している。]

A:站 窗户边 那个人 是 谁 啊?

立つ 窓際 その人 だ だれ 疑問

「窓際に立っている人はだれ。」

B:*人家是小王。

(55)ʼが示すように、3人称代名詞“他”の使用が自然である直接指示用法において、

当該代名詞を“人家”に置き換えることはできない。これは、3人称用法の“人家”

は直接指示の特性に合致しないことを示す。

(56)ʼ [状況:警察官と被害者が取調室の窓を通して複数の容疑者を眺めている。]

A:请 你 指出 当时 施暴 的 人。

頼む 貴方 指す 当時 暴行 の 人

「あのとき暴行した人を指差してださい。」

B:*人家、人家,还有人家。

同様に、(56)ʼが示すように、“人家”の使用は、発話場面に存在する複数の第三者

をそれぞれ指差す際にも不自然になる。つまり、3人称用法の“人家”は“他”のよ うに指示領域を自由に分割することができず、直接指示の特性(51d)にも合致しない。

以上のことから、3人称用法の“人家”には、直接指示用法はないと言える。

ところで、上述の“他”が使用される環境で“人家”が用いられないもう一つの理 由として、“人家”が出現する文型があると思われる。(55)ʼの“人家”は、話し手と 聞き手が認識している特定の指示対象が誰であるかを同定する文に出現したもので

あるが非文となる。また、(56)ʼは、「あのとき暴行した人」という属性を持つ対象を 指定する文であるが、ここでも“人家”は非文となっている。すなわち、これらは、

(55)ʼおよび(56)ʼのような指示対象を確定する「同定文77」と「指定文78」には“人家”

が出現できないことを示唆するものである。

3人称代名詞“他”と3人称用法の“人家”の違いを示すために、楊(1991:35) は、以下の例文をあげている。

(57) (=(27)) a.他 是 谁?

「彼は誰か。」

b.*人家是谁?

(57)は「発話者が聞き手に対して、現場にいる指示対象あるいは写真の中の人物を 指してその人が誰であるかを尋ねる」(楊1991:35)文であるが、“他”は文法的で あるが、“人家”は非文になる。なぜならば、“人家”を使用するとき、発話者は“人 家”の指示対象についての知識を持っていることが前提であるのに対して、“他”は この前提がなくても使用できるからだと言う(楊1991:36)。しかし、この考えでは、

以下のような例を説明することができない。

(58) [状況:A, B, Cいずれも発話場面にいる。しかし、AとBはCのことを知らな

い。また、AとBは同じ方向を向いている。]

A:你 看! 人家 穿着 高跟鞋 爬山 呢!(Cを指差しながら)

貴方 見る [=C] 履いている ハイヒール 山を登る 強調

「見て、あの人、ハイヒールを履いて山を登ってるよ。」

B:看着 好 危险 啊!

見て とても 危ない 感嘆

「危なそうだね。」 (筆者作例)

(58)の“人家”は、AとBと同じ発話場面にいるCを指しているが、AもBも指示 対象Cに関する知識を何も持っていないにも拘わらず、“人家”の使用が可能となっ ている。先に見た楊(1991)によれば、“人家”の使用は、話し手が“人家”の指示 対象についての知識を持っていることが前提であった。しかしながら、(58)の“人家”

77「同定文(identifying sentence)」とは、「こいつは山田村長の次男だ。(西山2003168 (140e))」の ように「ABだ」の形式を取る文で、Aは指示的名詞句で指示対象を示し、BAを同定する特徴 記述となっている。

78「指定文(specificational sentence)」とは、「幹事はあの人だ」のように「ABだ」という形式を取 る文で、Aは「幹事」のように非指示的であり、Bは「あの人」のようにAを満たす値を表す。

は、そのような前提条件が満たされていなくても、自然である。そこで、今、改めて 楊(1991)のあげた(57)を見ると、それは(55)ʼと同じく、話し手と聞き手が認識して いる特定の対象が誰であるかを同定する文である。そのため、(57)の「人家是谁?」

は不自然な文となっているのだと考えられる。すなわち、同文も3人称用法の“人家”

が「同定文」には許容されないことを示したものと言える。しかし、ここで強調して おきたいのは、“人家”に許容されない「同定文」の用法は、いかなる場合でも用い られないわけではないという点である79

上述した例からわかるように、(55)ʼ、(56)ʼ、(57)の“人家”が出現した文は「同定 文」、「指定文」である。すなわち、“人家”の指示対象を確定することに焦点が当 てられている。一方、(58)は、話し手と聞き手が発話場面において認識している対象 のあり様を記述したいわゆる「措定文80」である。すなわち、“人家”が出現する文 は、その対象の同定・特定よりも、むしろ、その対象がどのようであるかといったそ の特徴にこそ関心があると思われる。このことは、3人称代名詞“他”が指示対象の 性の区別を標示するのに対し、“人家”は基本的にその指示対象が話し手・聞き手以 外の人であることを示すだけで性の区別には関与しないということにも表れている ように思われる。

ところで、先に見た“人家”の使用が可能な例の(58) を再度見てみよう。(58)の“人

家”は(55)ʼ、(56)ʼ、(57)と同じく、発話場面にいる特定の第三者を指示したものであ

る。すなわち、いずれの“人家”も発話状況からの直接的指示という直接指示の特徴 があるように見えるが、(55)ʼ、(56)ʼ、(57)では“人家”が用いられないのに対し、(58) で“人家”が用いられる理由は何であろうか。この点については、次の間接指示にお ける3人称用法の“人家”で述べる。

3.4.1.3 1人称用法の“人家”および1人称代名詞“我”と直接指示

本項では、1人称用法の“人家”と対応する1人称代名詞“我”の直接指示におけ る類似点と相違点を観察する。まず、1人称代名詞“我”の直接指示を示す例を見て みよう。

79 以下の例では、“人家是谁?”の使用が可能になる。しかし、この“人家”は、相手の発話中に出現 した“人家”を繰り返して用いたもので、直接指示ではない。

例: 燕七道:“人家不愿意做的事你为什么偏偏要人家做?”

「人が言いたくないものを、どうして無理に言わそうとするんだ?」

郭大路问:“人家是谁?”

「人って誰のこと?」

燕七道:“人家就是我。”《歓楽英雄》

「おいらのことだっ」

80 措定文(predicational sentence)」とは、「「花子は学生だ」のように「ABだ」という形式を取 る文で、Aは指示的であり、BAの属性・性質を表す。