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感情表出機能から見た資料体における“人家”の実態

第 3 章 “人家”に関する観察

3.4 観察結果

3.4.2.5 感情表出機能から見た資料体における“人家”の実態

本項では、収集した資料体における“人家”をもとに上述の内容を検証する。

まず、『中日対訳コーパス』と筆者が収集した80年代以降の中国語現代小説の「会 話」、「地の文」、「独白」における“人家”の諸用法が出現した頻度を見る。

図3-2 中日対訳コーパスにおける“人家”の出現数

図3-3 80年代以降の中国語現代小説における“人家”の出現数

図3-2と図3-3から、『中日対訳コーパス』でも80年代以降の中国語現代小説でも、

“人家”が出現する頻度がもっとも高いのは「会話文」であることがわかる。従来の 研究では、“人家”は話し言葉としてよく会話中に使用されると指摘されているが、

本研究でもこのことは確認されたと言える。一方、先行研究で、“人家”の「地の文」

や「独白」における使用について言及するものは、管見の限り、ない。しかしながら、

図3-2と図3-3によれば、“人家”は、「会話文」のみならず、「地の文」および「独 白」にも出現することが少なくないことがわかる。その中から次の二例を見られたい。

(100) [地の文]

人们 拿 魏石头开着心,慢慢地,什么粪汤儿 都 往 人家 身上 倒 啦。

人々 人名 からかう 段々と 何のクソ 全部 に[=魏石頭(人名)]身体 ぶっかける 強調

《盖棺》

「人びとは魏石頭を慰みものにしているうちにだんだんとミソもクソも彼の身 体にぶっかけるようになっていった。」

(101) [独白]

关雎尔 想想 邱莹莹 的 态度,是啊, 人家 不 听 有 什么办法。

人名 思う 人名 態度 そうか [=邱莹莹(人名)] 否定 聞く ある 何の方法

《欢乐颂》

「关雎尔は邱莹莹の態度を見て、そうか、彼女はどんな方法があるのか全然聞い てくれない(と思った)93。」

(100)、(101)の“人家”はそれぞれ「地の文」と「独白」に現れたものである。(100)

の“人家”は前文に出現した“魏石頭”(人名)を指示する。“人家”の使用により、

語り手が指示対象“魏石頭”に同情の感情を抱いていることがわかる。また、“人家”

の出現により、読み手も先に見た語り手が指示対象に対する感情に共感する可能性が 高くなる。この文脈で、“人家”ではなく3人称代名詞“他”を使用すると、語り手 の指示対象に対する感情を欠いた客観的な描写になる。

他方、(101)の“人家”は前文に現れた“邱莹莹”(人名)を指示する。“人家”の

使用により、“关雎尔”(人名)の、指示対象“邱莹莹”(人名)が自分の話を聞い てくれないことに対する悲しい感情が表されている。このように“人家”を用いるこ とにより、語り手は“关雎尔”(人名)という人物に対するより詳細な描写に成功し ている。つまり、「会話文」の場合、“人家”は話し手の感情を表し、それを聞き手 が受け取ることになり、「地の文」の場合には、“人家”は語り手の感情を表し、そ れを読み手が受け取ることになるのだが、このような“人家”による話し手、語り手 の感情の表出は、“人家”が指す人物に対するより個人的(主観的)な描写を可能に しているのである。

以上、感情表出機能の観点から“人家”の3人称用法、1人称用法、2人称用法と 各用法に対応する人称代名詞との類似点と相違点を見てきた。その結果をまとめると、

次のようになる。

まず、3人称用法の“人家”、1人称用法の“人家”、2人称用法の“人家”を、そ れぞれ対応する3人称代名詞“他”、1人称代名詞“我”、2人称代名詞“你”へと 置き換えることにより、典型的人称代名詞は指示性が強く、話し手の感情を表すこと がないのに対し、“人家”は指示性も示すが、それ以上に話し手の感情および話し手 の指示対象に対する態度・評価の表出が際立たせることがわかった。話し手の感情と

“人家”の指示対象に対する態度・評価は異なるものとして扱われる。具体的には、

“人家”の3人称用法の場合には、話し手の感情は“人家”の指示対象に対する態度・

評価から生じたものであり、“人家”の1人称用法と2人称用法の場合には、話し手 の感情は聞き手に対する態度・評価によるものであると考えられる。

93 日本語訳は筆者。

また、文脈が提示されず単独で“人家”が使用される場合、“人家”は指示対象に 対するポジティブな態度・評価しか表さないことが判明した。一方、ネガティブな感 情を表す“人家”はポジティブな文脈を付与すれば、その使用が可能となる。

先行研究では、“人家”の感情表出機能は“人家”という語そのものと深く関わる と指摘するものが多い。無論、指示対象に対する感情が“人家”という語と全く関係 がないと言うわけにはいかないが、“人家”の使用により喚起される感情が具体的に どのようなものなのかは文脈を見なければならない。つまり、“人家”は、指示対象 に対する感情を喚起するマーカーのような存在と言える。

最後に、先行研究によれば、“人家”は話し言葉として会話文で主に使用されると 指摘されている。しかしながら、本研究の資料体を「会話文」、「地の文」、「独白」

に分け“人家”の出現数を分析した結果、数は少ないものの、「地の文」と「独白」

にも出現することがわかった。このことは、“人家”が「会話文」に現れる場合は、

話し手の感情および話し手の指示対象に対する態度・評価を表出するが、「地の文」

に現れる場合には、語り手の指示対象に対する感情を表し、「独白」に現れる場合に は、独白者の“人家”の指示対象に対する態度・評価を表すことを意味する。