九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
談話における現代中国語の人称代名詞「人家」に関 する研究
任, 暁雪
https://doi.org/10.15017/4060253
出版情報:九州大学, 2019, 博士(学術), 課程博士 バージョン:
権利関係:
談話における現代中国語の人称代名詞“人家”に関する研究
九州大学大学院地球社会統合科学府 任 暁雪
要 旨
現代中国語における人称代名詞としての“人家”には、旁称用法、3人称用法、1 人称用法があると言われるが、このような“人家”の諸用法と、同じく「旁称」と呼 ばれる人称代名詞“別人”、3人称代名詞“他”、1人称代名詞“我”との類似点と 相違点についての詳細な研究はほとんどない。また、“人家”には他の人称代名詞に は見られない感情表出機能があると言われるが、その機能の緻密な分析もほとんどな い。さらに、このような“人家”の特徴を統一的な観点から研究したものは皆無であ る。本研究は、そのような先行研究の問題点を解決すべく、東郷(2000)の提唱する
「談話モデル理論」を基に、人称代名詞として用いられる“人家”の諸用法を統一的 に説明し、他の人称代名詞との相違を解明することを主たる目的としたもので、以下 の構成からなる。
第1章は「序論」で、本研究の背景、目的、方法および本研究で用いる表記法につ いて述べた。第2章は「先行研究概観」で、“人家”の通時的観点からの先行研究、
現代中国語における人称代名詞“人家”に関する先行研究を概観した上で、従来の研 究の問題点を指摘し、本研究の課題を提示した。第3章では、現代中国語における人 称代名詞“人家”の観察を行った。まず、人称代名詞“人家”の諸用法を確認し、観 察のための方法、資料体について述べた。次に、東郷(1999)の直接指示と間接指示 の観点から、“人家”の各用法と典型的人称代名詞の類似点と相違点を観察した。ま た、これまで指摘されることがなかった“人家”の用法を指摘し、それを“人家”の
「関連対象喚起」用法と名付けた上でその特徴を明らかにした。第4章では、“人家”
を扱うには談話レベルの考察が必要なことを指摘した上で、本研究が用いた理論的枠 組み、東郷(2000)の「談話モデル理論」およびその基本的な用語・概念について説 明した。第5章では、この理論的枠組みに従い、人称代名詞“人家”の諸用法を統一 的に説明すると同時に、第3章での観察結果に基づき、“人家”の各用法の実態およ び諸用法に対応する典型的人称代名詞との類似点と相違点を分析した。第6章では、
人称代名詞“人家”とそれに対応する日本語の形式の対照を扱った。まず、本研究が 資料体として用いた『中日対訳コーパス』に出現した“人家”に対応した日本語の形 式を整理し、“人家”に対応する頻度がもっとも高かった日本語の「ひと」と人称代 名詞“人家”との機能的類似点と相違点を明らかにした。そして、終章の第7章では、
本研究の結論として第2章で提示した本研究の課題に対する回答を示し、最後に今後 の課題を述べた。
以上の結果、本研究は、現代中国語の人称代名詞の“人家”は間接指示表示専用の 形式であること、また、その指示にあたって東郷の「談話モデル」の「共有知識領域」
を必ず経由するという点において3人称代名詞“他”、1人称代名詞“我”と異なる こと、さらに、そのメトニミー機能に由来する「関連対象喚起」という特別な用法を 持つ点において旁称の“別人”とも異なることを明らかにした。これらはいずれも先 行研究では指摘されることのなかったものであり、今後当該分野の発展に貢献するこ とと思われる。
目 次
第1章 序論...1
1.1 研究の背景...1
1.2 研究目的...3
1.3 研究方法...3
1.4 論文構成...4
1.5 本論文における表記法...5
第2章 先行研究概観...6
2.1 中国語“人家”の通時的先行研究... 6
2.1.1 张・方(1996)...7
2.1.2 薛・马(2007)...8
2.1.3 朱・黄(2011)...9
2.1.4 王・彭(2012)...10
2.1.5 姜・郭(2013)...11
2.2 現代中国語における人称代名詞としての“人家”に関する先行研究...12
2.2.1 吕主編(1980)による人称代名詞としての“人家”の用法分類...12
2.2.2 旁称用法の“人家”と旁称代名詞“別人”... 13
2.2.3 3人称用法の“人家”と3人称代名詞“他”... 18
2.2.4 1人称用法の“人家”と1人称代名詞“我”... 23
2.2.5 2人称用法の“人家”と2人称代名詞“你”... 26
2.3 先行研究の問題点と本研究の課題... 28
第3章 “人家”に関する観察...31
3.1 観察対象...31
3.2 観察方法...35
3.3 資料体について...35
3.4 観察結果...37
3.4.1 “人家”の指示機能について-対応する人称代名詞との違い-...41
3.4.1.1 旁称用法の“人家”および旁称代名詞“別人”と直接指示...42
3.4.1.2 3人称用法の“人家”および3人称代名詞“他”と直接指示...44
3.4.1.3 1人称用法の“人家”および1人称代名詞“我”と直接指示...47
3.4.1.4 2人称用法の“人家”および2人称代名詞“你”と直接指示...50
3.4.1.5 間接指示における旁称用法の“人家”と旁称代名詞“別人”...53
3.4.1.6 間接指示における3人称用法の“人家”と3人称代名詞“他”...56
3.4.1.7 間接指示における1人称用法の“人家”と1人称代名詞“我”...60
3.4.1.8 間接指示における2人称用法の“人家”と2人称代名詞“你”...62
3.4.1.9 “人家”の「関連対象喚起」用法... 63
3.4.2 “人家”の感情表出機能について... 65
3.4.2.1 考察の対象...67
3.4.2.2 3人称用法の“人家”における感情表出機能... 68
3.4.2.3 1人称用法の“人家”における感情表出機能... 73
3.4.2.4 2人称用法の“人家”における感情表出機能... 76
3.4.2.5 感情表出機能から見た資料体における“人家”の実態...77
3.5 まとめ...80
第4章 理論的枠組み-東郷(2000)の「談話モデル理論」-...82
4.1 談話レベルから“人家”を研究する必要性... 82
4.2 メンタル・スペース理論...84
4.3 談話管理理論...87
4.4 談話モデル理論...87
第5章 人称代名詞“人家”の談話モデル理論による分析...92
5.1 「談話モデル理論」から見た旁称用法の“人家”と旁称代名詞“別人”...92
5.2 「談話モデル理論」から見た3人称用法の“人家”と3人称代名詞“他”...98
5.2.1 「談話モデル理論」から見た3人称用法の“人家”および“他”と直接指 示...98
5.2.2 「談話モデル理論」から見た3人称用法の“人家”および“他”と間接指 示...102
5.3 「談話モデル理論」から見た1人称用法の“人家”と1人称代名詞“我”...104
5.4 「談話モデル理論」から見た2人称用法の“人家”と2人称代名詞“你”...109
5.5 「談話モデル理論」から見た「関連対象喚起」用法の“人家”... 111
5.6 「談話モデル理論」から見た“人家”の機能の本質... 118
第6章 現代中国語の人称代名詞“人家”に対応する日本語の形式...121
6.1 資料体から見た人称代名詞“人家”に対応する日本語の形式...121
6.1.1 旁称用法の“人家”に対応する日本語の形式... 124
6.1.2 3人称用法の“人家”に対応する日本語の形式... 129
6.1.3 1人称用法の“人家”に対応する日本語の形式... 133
6.2 中国語“人家”と日本語「ひと」に関する先行研究... 136
6.2.1 「ひと」についての先行研究... 139
6.2.2 “人家”と「ひと」の対照の観点からの先行研究... 144
6.2.3 中国語“人家”と日本語「ひと」... 145
6.2.3.1 “人家”と「ひと」の総称用法... 145
6.2.3.2 “人家”の「関連対象喚起」用法と「ひと」... 146
6.2.3.3 “人家”と「ひと」の旁称用法... 148
6.2.3.4 “人家”と「ひと」の3人称用法... 150
6.2.3.5 “人家”と「ひと」の1人称用法および2人称用法...155
6.2.3.6 中国語“人家”と日本語「ひと」:まとめ... 158
6.3 まとめ...159
第7章 結論...162
7.1 本研究の課題に対する回答...162
7.2 今後の課題...167
参考文献...169
付録1:『中日対訳コーパス』による“人家”の検索結果... 175
付録2:1980年代以降の中国語現代小説による“人家”の検索結果...254
第
1
章 序論1.1 研究の背景
中国語の“人家”は、春秋戦国時代に「他人の家」という意味の名詞句として使用 されていた。それが、歴史的変遷を辿り、現在では普通名詞と人称代名詞として使用 されている。人称代名詞の場合、旁称代名詞1、3人称代名詞、1人称代名詞として用 いられ、さらに話し手の何等かの感情を表出することができる。このような特徴は中 国語の典型的人称代名詞と異なる性格が見られるため、吕主編(1980)をはじめとし て、“人家”の用法や感情表出に関する研究が盛んに行われている。しかし、そのよ うな研究では“人家”のカテゴリー的位置付けとして旁称代名詞、不定代名詞など様々 な見方があるが、統一した見解はいまだ得られていない。
先行研究によると、“人家”の各用法はそれぞれ旁称代名詞“別人”、3人称代名 詞“他/她/他们/她们”2、1人称代名詞“我”に相当し、これらとの置換が可能であ ると指摘されている。しかし、“人家”には、次に示すような興味深い例が見られる。
すなわち、前述した人称代名詞のいずれとも置換できないものである。
(1) 今天去 医院,人家 说 没事儿。
今日 行く 病院 [=医者] 言う 大丈夫
「今日病院に行って、たいしたことではないと言われた。3」 (筆者作例)
(1)の“人家”は、文脈から医者を指すことがわかる。つまり、話し手と聞き手以外 の第三者を指す。しかし、第三者を示す3人称代名詞“他”に置き換えると、以下に 示すように、不自然な文となる。
(1)’ 今天去 医院,♯他 说 没事儿。4
今日 行く 病院 彼 言う 大丈夫
「今日病院に行って、♯彼がたいしたことではないと言った。」 (筆者作例)
(1)の“人家”を“他”に置き換えると、指示対象が不明になる。なぜなら、“他”
1 中国語では、旁称代名詞は人称代名詞の下位概念であり、話し手と聞き手以外の人を広く一般的に指 すものである。日本語の「他人」、「ほかの人」に相当する。
2 便宜上、以降“他”と記す。
3 『中日対訳コーパス』には、“人家”の指示機能により、“人家”を3人称代名詞「彼」や1人称代 名詞「あたし」などに訳したものがあるが、実際には、“人家”は指示機能と感情表出機能という2 つの機能を持ち、この2つの“人家”の機能を忠実に反映する特定の日本語訳はない。
4 語句の文頭に付された「♯」は、文法的には問題ないが、語用論的に不自然であることを示す。
の前後文脈に、照応できる先行詞が欠けているからである。この点において、“人家”
と“他”の間には異なる性質が見られる。
また、“人家”の感情表出機能に関する先行研究は数多くあるが、それらは主とし て“人家”が表す感情や態度を記述するにとどまる。以下の例に示すように、“人家”
が出現した文では話し手の感情が感じられる。
(2) “你 看 老头子, 人家 玩 了 一辈子, 到 老 了 还 开上车厂子。”
貴方 見る おやじ [=おやじ] 遊ぶ 完了 一生 まで 老いる 完了 又 車宿を開く
《骆驼祥子》
「お父っつぁんを見てごらんよ。一度だってまっとうな暮らしをしたことがな いっていうのに、年をとればとったでちゃんと車宿をひらいたじゃないか。」
(2)’ “你看老头子,他玩了一辈子,到老了还开上车厂子。5”
「お父を見よ。彼は一生まともな暮らしをしたことがないが、年を取ったら車 宿を開いた。6」
(2)は3人称用法の“人家”であるが、話し手の指示対象に対する羨ましい気持ちが 感じられる7。この“人家”を3人称代名詞“他”に置き換えると、指示対象は変わ らないが、(2)’で表現されるような指示対象に対する強い感情は感じられない。
無論、指示対象に対する感情は“人家”という語と全く関係がないというわけでは ないが、“人家”によって表される感情が具体的にどのような感情なのかは“人家”
だけでは判断することはできないと考える。
上述したように、“人家”の指示対象および感情表出についての疑問が、本研究の 出発点となった。一方、先行研究によると、(3)に示すように、日本語「ひと」は中国 語“人家”に対応するとも言われている。
(3) 你 让 我 给 你 借 小说,人家 借来 了,你 又 不 看。
貴方 使役 私 に 貴方 借りる 小説 [=私] 借りてくる 完了 貴方 強調 否定 見る
(吕主編1980:407)
「君が小説を借りて来てくれって言うんで、人が借りて来てやったのに、君った ら読みもしないんだから。8」
5 この例は資料体にある《骆驼祥子》の例を一部改変したものである。
6 日本語訳は筆者。
7 この“人家”が示す話し手の指示対象に対する感情を日本語で表すことは難しい。それで例文の日本 語訳には“人家”が表す話し手の指示対象に対する感情表出に対応する日本語表現はない。
8 日本語訳は牛島徳次・菱沼透監訳(1992:328)『中国語文法例辞典』からの引用。
(3)は1人称用法として使用される“人家”が日本語「ひと」に対応した例である。
本研究で使用した資料体を整理した結果、“人家”に対応する日本語の形式の中では
「ひと」という普通名詞の出現頻度が高かった。日本語の「ひと」は普通名詞として 分類されるにもかかわらず、人称代名詞に類似する特徴も見られる。では、「ひと」
は“人家”の1人称用法以外の用法にも対応できるのであろうか。また、両者の類似 点と相違点は何であろうか。これらの疑問も、本研究の出発点の一部となっている。
1.2 研究目的
前述したように、中国語の人称代名詞の“人家”は話し手の感情を表出することが できるが、この特徴は他の人称代名詞と“人家”を区別するもっとも大きな相違点で あることから、1980年代以降、“人家”と他の人称代名詞との比較研究が盛んに行わ れるようになってきた。しかし、それらの多くは“人家”の諸用法の指示機能および 感情表出機能の記述に終始し、それらを何等かの統一的観点から分析し、“人家”の 本質的機能を検討するということはしていない。そこで本研究は、これまでの“人家”
に関する研究を整理し、“人家”の諸用法の指示機能、また、感情表出機能を統一的 観点から分析し、その結果を基に、“人家”の本質的機能の解明を目指す。
一方、“人家”は、特に、口語において出現する傾向があるため、語彙レベル・文 レベルを超えた談話レベルで研究する必要性がある。そこで本研究では、談話レベル の指示と照応を理論化した東郷(2000)による「談話モデル理論」を援用し、談話的 観点から“人家”の特徴を明らかにする。
さらに、先に触れた中国語“人家”と日本語「ひと」の関係については、まだその 対照研究は少ない。そこで本研究は、これまで中国語“人家”と日本語「ひと」に関 して展開されてきた研究を整理し、先行研究の問題点を指摘し課題を設定した上で、
それぞれが持つ機能および特徴を明らかにしたい。
1.3 研究方法
以上の本研究の目的を解明する上で採用した本研究の方法は、次の通りである。
まず、中国語の人称代名詞“人家”の各用法を定義した上で、研究対象となる用法 を示す。これらの用法とそれぞれ類似する人称代名詞、すなわち、旁称代名詞“別人”、 3人称代名詞“他”、1人称代名詞“我”、2人称代名詞“你”との類似点と相違点を 見ることによって、“人家”の各用法の特徴を分析する。“人家”の各用法とそれら に類似する人称代名詞との類似点と相違点を分析するにあたっては、東郷(1999)が 提示した「直接指示」、「間接指示」の概念を利用する。
次に、“人家”を談話レベルから研究するために援用した東郷(2000)の「談話モ デル理論」を説明した上で、その理論を利用しながら、“人家”の各用法およびその 用法に類似した人称代名詞との類似点と相違点を分析すると同時に“人家”の本質を 解明する。
さらに、“人家”の諸用法およびその本質的機能を分析した結果を踏まえながら、
“人家”とそれに対応する日本語形式の中でも、特に“人家”のいずれの用法にも対 応する日本語「ひと」を取り上げ、“人家”と「ひと」の類似点と相違点を分析する。
1.4 論文構成
以下、本論文は本章を含む全7章から構成される。
第2章では、中国語の人称代名詞“人家”についての先行研究を概観した上で、先 行研究の問題点を指摘し、本研究の課題を提示する。
第3章では、“人家”の諸用法と各用法に対応する中国語の典型的人称代名詞の類 似点と相違点を観察する。まず、“人家”の各用法を定義した上で、本研究の研究対 象である用法を明確にした後、考察のための研究方法、使用する資料体、および観察 の結果と分析について述べる。具体的には、次の通りである。まず、先行研究に基づ き、本研究の対象となる“人家”の5つの用法、すなわち、旁称用法、3人称用法、
関連対象喚起用法、1人称用法、2人称用法を定義、提示する。次に、“人家”の当 該用法を観察・分析する方法について述べる。続いて、“人家”を観察する際に使用 した資料体について詳述する。最後に、東郷(1999)が提唱した「直接指示」と「間 接指示」の観点から観察・分析する。
第4章では、本研究で使用する理論的枠組みについて詳述する。まず、“人家”を 語彙レベル、文レベルを超えた談話レベルから研究する必要性を説明した上で、談話 レベルで考察する際の代表的な理論を3つあげ、それらの理論について述べる。その 後、本研究で使用する東郷(2000)の談話モデル理論およびその基本的な用語・概念 について説明する。
第5章では、第4章で提示した東郷(2000)の談話モデル理論を用いて、中国語の 人称代名詞“人家”の各用法を分析する。第3章での“人家”の観察結果も利用しな がら、“人家”の各用法の実態および諸用法に対応する人称代名詞との類似点と相違 点を分析した上で、“人家”の本質的機能の解明を目指す。
第6章では、まず、『中日対訳コーパス』を利用し、第3章および第5章で明らか になったことを踏まえ、中国語“人家”の諸用法にそれぞれ対応する日本語の形式を 観察する。次に、観察した結果から、“人家”の諸用法のいずれにも対応できる日本 語「ひと」と中国語“人家”の類似点と相違点を分析する。
第7章では、本研究のまとめと今後の課題を述べる。
1.5 本論文における表記法
本研究における各種記号の扱い、表記方法は以下の通りである。
1. 例の番号は、本研究で収集した資料体の例、著書より引用した例および筆者作例 をすべて通し番号で示す。
2. 引例の出典は、例文の後ろに( )内に示す。なお、筆者が作成した例は、( ) 内に筆者作例と示す。
3. 例文に出現する研究対象となっている箇所は、太い直線で示す。その照応先は二 重直線で示す。
4. 例や考察する語句の文頭に付された「*」は、容認されない非文法的な文や語句 であることを示す。語句の文頭に付された「♯」は、文法的には正しいが、語用 論的には不自然であることを示す。語句の文頭に付された「?」は、その文が文 法的に不自然ではあるが、非文ではないことを示す。
5. 図表の番号は、各章ごとの通し番号で示す。例えば、第5章の2番目の図は図5-2、 第6章の1番目の表は表6-1で示す。
第2章 先行研究概観
本章では、本研究の研究対象である現代中国語の人称代名詞“人家”に関する先行 研究を概観する。そして、その結果を踏まえ、本研究が解決すべき具体的課題を設定 する。
以下、本章の構成は次の通りである。まず、2.1では“人家”の通時的観点からの 先行研究を見る。後述するように、現代中国語の人称代名詞“人家”の機能を理解す るには、その歴史的変遷を無視するわけにはいかないからである。次の2.2では、現 代中国語における人称代名詞“人家”の諸用法に関する先行研究、特に、各用法に対 応する人称代名詞との類似点あるいは相違点に触れた先行研究を中心に見ていく。最 後の2.3では、それまで見てきた先行研究の問題点を指摘しながら、本研究の目的で ある現代中国語の人称代名詞“人家”の本質的機能解明のために看過できない具体的 課題を整理・確認する。
2.1 中国語“人家”の通時的先行研究
“人家”の語源と歴史的変遷に最初に注目したのは吕(1985)である。吕(1985: 90)は、「人家等于人或别人(“人家”は“人”(ひと)あるいは“别人”(ほかの 人)に相当する)」と指摘した上で、「人作‘别人’讲,跟‘己’相对,这是自古以 来就有的(昔から“人”は“己”(自分)と対をなすもので、“别人”(ほかの人)
として扱われる)」としている。そして、吕(1985)は、上述のことを示すために、
以下の二例を提示した。
(4) 己所 不 欲, 勿 施 于 人。 《论语》(吕1985:90)
自分 否定 欲する するな 施す に ひと
「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ9」
(5) 己 欲 立 而 立人, 己 欲 达 而 达人。 (同上)
自分 欲する 立つ 逆接 ひとを立てる 自分 欲する 達する 逆接 ひとを達す
「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す10」
また、吕(1985:90)は、「己字已经不单独使用,常说自己,因而跟自己相对的,
9 日本語訳は吉田公平訳(2000:242)『論語』からの引用。以降、日本語訳の出典が明示されないも のは『中日対訳コーパス』(第一版)(2003、北京大学日本学研究センター)からの引用。
10 日本語訳は吉田公平訳(2000:132)『論語』からの引用。
也就常常不说单独的人而说人家(“己”(自分)は単独では用いられず、常に“自己”
(自分)の形をとって使用され、それに対をなす“人”(ひと)も同じく単独で用い られず“人家”の形をとって使用される)」と指摘した。
ただ、吕(1985)は、その語義の歴史的な変遷について、十分に明らかにするまで には至っていない。しかし、それに関する研究としては、薛・马(2007)、朱・黄(2011)、 王・彭(2012)、姜・郭(2013)などがある。また、张・方(1996)は、中国語の“人”
の考察に際し、“人家”の歴史的変遷についても言及している。以下では、これらの 研究について、その概要を述べる。
2.1.1 张・方(1996)
吕主編(1980:407)が編集した『现代汉语八百词』では、“人家”が話し言葉と して使用される際には、“人”に省略できるものの、それが文末に出現するときには、
“人”には省略できない、と述べている。このことについて、张・方(1996:171) は、図2-1にまとめられるような見方を提示している。
図2- 1 张・方(1996:169)による古代から現代における“人”の歴史的変遷11 张・方(1996:169-170)は、現代中国語の“人”を“人1”と“人2”に分け、“人
1”は「ほかの人」の意味しか持たず、文脈に出現する人を指すこともできないが、
この“人1”は省略されても文全体の意味は変わらないと述べている12。一方、“人2” は人称代名詞“人家”に相当すると述べている。その上で、20世紀30年代から80 年代までの北京語の小説から収集したデータを基に分析した結果、“人家”が“人2” に省略される現象は20世紀90年代に出現したことが示唆される、としている。また、
“人2”の機能は“人家”とほぼ同様である、とも指摘している。
11 図2-1で示す“双音化”は “the trend of double-syllables”の訳である。
12 以下は“人1”の例である。
A.你这个样子很容易让人怀疑你生理上不正常。(张・方1996:169)
「あなたの様子は、生理的に問題があると思われやすい。」(日本語訳は筆者)
B. 听人说他也来了。(张・方1996:170)
「彼も来たと聞いている。」(日本語訳は筆者)
人2 双音化
省略
人家 人家
人 人 人1
古代 近代 現代
2.1.2 薛・马(2007)
薛・马(2007)は、“人家”の歴史的変遷について、「“人家”最初是由两个词根 组合而成的偏正结构短语(“人家”は、最初は2つの語根からなる連体修飾構造の名 詞句である)」と主張し、最古の例は、戦国時代の歴史書である『国語』である、と 述べている。以下では、薛・马(2007)のあげた例と共にその内容について述べる。
(6) 里克曰:“弑 君 以为廉, 长 廉 以 骄心, 因 骄 以
人名 曰く 殺す 帝王 思う 廉直 増す 廉直 結果を表す 驕慢の心 依る 驕慢の心 目的を表す
制 人家,吾 不 敢。” 《国语》(薛・马2007:123)
制裁 私 否定 敢えて
「里:君を殺して廉直と為し、廉直を誇って驕慢の心を生じ、驕慢の心によって 人の家を自由に処理するようなことは、わたしにはできません。13」
さらに、薛・马(2007:123)によれば、『国語』が記された戦国時代においては、
“人家”は「他人の家」あるいは「他人の家に住んでいる人」と二通りに解釈され、
その後、魏晋南北朝時代に、名詞句から名詞に変遷しはじめたという。
(7) ……又人家 治国, 舟船 城郭, 何得 不 护?今 此间 治军,
加えて 国を治める 船を作る 城を修理する 疑問 否定 守る 今 ここ 軍備を整える
宁复 欲 以 御 蜀 邪? 《三国志》(同上)
でなかろうか たい ため 防御 蜀 疑問
「加えて、国を治めてゆくものは、舟を造り城郭を修理して、守りを固めずにお いてよいはずがない。いまこちらでも軍備を整えてはいるが、それは蜀への備え のためのものなどではないではないか。14」
上掲の文は、孫権が家臣団に対して話した内容である。この文で“人家”が示す対 象は“蜀”の国であり、「他人の国」とも「ほかのひと」とも解釈できる。そして、
薛・马(2007:123)は、このような二通りに解釈できる事例は唐代に入ると頻繁に 見られるようになったが、先のような二通りに解釈できないものもあると主張してい る。
(8) 失枕惊 先 起, 人家 半梦中。 《全唐诗》(同上)
失眠 驚く 先に 起きる [=ほかの人] 夢現つ
「朝早く起きて、ほかの人はまだ夢現つである。15」
13 大野峻(1978:391)『新釈漢文大系第67巻 国語(下)』からの引用。
14 小南一郎訳(2011:153)『正史三国志6』からの引用。
15 日本語訳は筆者。
(9) 声声 催 我 急 种谷, 人家 向 田 不 归宿。 (同上)
声 急かす 私 早く 穀物を植える [=ほかの人] 向かう 畑 否定 帰る
「穀物を植える人々の声がほかの人が既に畑に向かったことを悟らせ、わたしを あわてさせる。16」
薛・马(2007:123)は、上の例の“人家”は「ほかの人」しか表さないと述べ、
変遷のこの段階において、人を表す名詞の“人家”が生まれたとしている。さらに、
彼らは、こうした変遷は、同時に、人称代名詞の“人家”が生まれるまでの発達段階 である、とも述べている。
さらに、薛・马(2007:124)は、以下の例をあげながら、“人家”の名詞句から 人称代名詞(旁称代名詞)への文法的な変化は元代に完成した、としている。
(10) 哎!银子也, 你 饥 不能 与 人家 做饭食, 你 冷 不能
ああ お金 感嘆 貴方 餓える できない に[=ほかの人] 食べ物として食う 貴方 寒がる できず
与 人 便做衣服, 你 这般 沉点点 冷冰冰衠则 是 一块儿家福。
に 人 衣服として着る 貴方 こんなに 重い 冷たい 本当に だ 一つ 家の幸せ
《全元曲》(薛・马2007:124)
「ああ!お金よ!お前は飢えた人に食事として与えることもできないし、寒がっ ている人に衣服として着せることもできないし、こんなに重く、冷たいが、お 前が一つあれば、家族を幸せにできるのになあ。17」
ただ、薛・马(2007)は、吕(1985)の観点に立ったもので、また、旁称代名詞か ら3人称代名詞へ変遷している年代などについては詳しく述べていない。
2.1.3 朱・黄(2011)
朱・黄(2011:99)は、名詞句の“人家”は、魏晋南北朝以降に名詞へと変遷する と同時に、人称代名詞にも変遷しており、結果として、唐代には名詞への文法化18が、
元代には代名詞への文法化がそれぞれ完成したと主張している。
ここで着目すべき点として、人称代名詞である“人家”が生まれた時代があげられ
16 日本語訳は筆者。
17 日本語訳は筆者。
18 ここで言う「文法化」とは次に示す Hopper and Traugott(1993:xv)に拠るものである。“We define grammaticalization as the process whereby lexical items and constructions come in certain linguistic contexts to serve grammatical functions,and,once grammaticalized,continue to develop new grammatical functions.”
(Hopper and Traugott1993:xv)「文法化とは、語彙項目や語彙構造が、ある言語の文脈の中で文法 的な機能を果たすようになる過程で、いったん文法化が進むと、一層文法的な機能を果たす語に変 化しつづける過程である。」日野訳(2003:xv)
る。薛・马(2007)は、人称代名詞の“人家”は宋元代に生まれたと主張していたが、
朱・黄(2011)は唐代に既に生まれていたとしている。さらに、朱・黄(2011)のこ れらの主張は、姜・郭(2013)とも意見が異なっている。この問題については、後ほ ど取り上げることとする。
2.1.4 王・彭(2012)
まず、王・彭(2012)における“人家”の歴史的変遷を図式化したものを、以下の 図2- 2にあげる。
戦国時代 ⇒ 秦 漢 ⇒ 魏晋南北朝 ⇒ 元 代
名詞句 ⇒ 名詞句 ⇒ 名詞 ⇒ 人称代名詞 図2- 2 王・彭(2012)による“人家”の歴史的変遷の流れ19
上掲の図2- 2を見ると、王・彭(2012)の主張する“人家”の歴史的変遷の流れは、
薛・马(2007)とおおむね同様である。ただ、注意すべき点として“人家”が名詞に 変わったとする時代が異なっている。具体的には、先に述べた薛・马(2007)は、“人 家”が名詞に変わったのは唐代であると主張しているが、王・彭(2012:33)は、“人 家”は魏晋南北朝には既に名詞句から名詞への変化が完了し、さらに、それ以降の唐 代と宋代においても文法化、つまり名詞から人称代名詞への発達を続けたと主張して いる。
また、王・彭(2012)は、“人家”の文法化を促進する要因として、“人家”の中 にある“家”の文法化があるとし、“家”の文法化の流れを文法的変化のクライン(cline) に沿って説明している20。以上の王・彭(2012)の主張する過程は図2-3のように示 される。
19 王・彭(2012:32-33)に基づき筆者作成。
20 王・彭(2012)が提示した「クライン(cline)」は、「content item→grammatical word→clitic→inflectional
affix」という定説のことである。また、「クライン(cline)」について秋元(2002:18)は、「文法
化過程は徐々なものであり、AからBへの変化は連続的なものであると考える。と同時に、その変化 過程はランダムではなく、1つの方向に沿って進んでいくものであると考えられる(一方向性)。す なわち、クラインはある経路(pathway)を示している。」としている。
人 家
(名詞句)
人 家
(名詞)
人 家
(旁称代名詞) 人 家
内容語 機能語 接語 接辞
(意味がより薄い)
図2- 3 王・彭(2012:35)による“人家”における“家”の文法的変化21 2.1.5 姜・郭(2013)
姜・郭(2013)は、古代漢語コーパス22のデータを利用し、各時代における名詞句 の“人家”、普通名詞としての“人家”、人称代名詞としての“人家”の出現頻度を 調べた上で、“人家”の歴史的変遷について述べたものである。その結果、彼らの想 定する“人家”の歴史的変遷は、薛・马(2007)や王・彭(2012)のそれと基本的に 同じであった。ただ、姜・郭(2013:73)は、唐代にはまだ“人家”の人称代名詞へ の文法化は完了していないとし、その証拠として以下の例をあげている。
(11) 直到天头无尽处,不 曾 私 照 一人家。《全唐诗》(姜・郭2013:73)
まで 空の果て 否定 かつて 利己 照らす 一家
「空の果てまでの所でも、(月光は)一家のために照らすことはない23」
姜・郭(2013:73)によれば、一般的に人称代名詞は数詞で修飾することができな いが、(11)の“人家”には数詞を付加することができる。つまり、この例にはまだ“人 家”の名詞としての特徴が見られる。したがって、この“人家”は人称代名詞として は認められない、というのである。
以上の先行研究の概観から、“人家”は、まず、春秋戦国時代に「他人の家」とい う意味の名詞句として使用されていたものが、魏晋南北朝時代には「他人の家に住ん でいる人」という意味の名詞として使用されはじめ、その名詞化は唐代において完了 した。その後、元代に「他人の家に住んでいる人」という意味の名詞から「ほかの人」
という意味を持つ人称代名詞として機能するようになった。このような“人家”の歴 史的変遷は中国語学の世界ではいわば定説となっているものであるが、一方、元代以 降の“人家”の人称代名詞としての変遷、すなわち話し手を指す“人家”の1人称用 法、聞き手を指す“人家”の2人称用法、話し手および聞き手以外の特定の人物を指 す“人家”の3人称用法への変遷についての研究は十分に行われていないのが現状で
21 王・彭(2012:35)の図を訳したものである。「内容語」は実質的な意味を持つ語、「機能語」は文 法的な役割を持つ語、「接語」は発音上語に付くが、構造上自立できる語、「接辞」は文法的な役割 を持ち、自立できない語を指す。
22 http://www.aihanyu.org/cncorpus/ACindex.aspx(最終アクセス2019-11-07)
23 日本語訳は筆者。
ある。
2.2 現代中国語における人称代名詞としての“人家”に関する先行研究
本節では、現代中国語における人称代名詞としての“人家”の各用法を共時的観点 から検討した先行研究を見る。以下、見ていくとわかるように、それらでは、“人家”
の当該用法とそれに類似した用法を持つ他の人称代名詞との類似点と相違点が述べ られているものが多いが、本研究も現代中国語の人称代名詞としての“人家”自体の 機能を探るためには、それと類する形式との類似点と相違点の解明は不可欠と考える。
2.2.1 吕主編(1980)による人称代名詞としての“人家”の用法分類
人称代名詞としての“人家”の諸用法についての分類については、これまでにも様々 なものが提示されてきたが、その中でもっとも代表的なのは吕主編(1980)の分類だ と思われる。吕主編(1980:406-407)の人称代名詞としての“人家”の説明は、以 下の通りである。
[代]1.泛称说话人和听话人以外的人,和‘自己’相对,大致相当于‘别人’。
「話し手と聞き手以外の人を指し、“自己”と対をなす。ほぼ“別人”に相当 する24。」
2.称说话人和听话人以外的人,所说的人已见于上文。大致等于‘他’或‘他们’。 在名词性成分前加‘人家’,语气较生动。
「話し手と聞き手以外の人で、すでに前に現れた人を指す。ほぼ“他”あるい は“他们”に相当する。名詞的要素の前に“人家”を付けると、いきいきと した表現になる。」
3.称说话人自己,等于‘我’。稍有不满的情绪。
「話し手自身を指す。“我”に相当する。やや不満の気持ちが含まれる。」
吕主編(1980)によれば、人称代名詞としての“人家”には、1.話し手と聞き手以 外の人を指し、“自己”(自分)と対立し、ほぼ“別人”(ほかの人)に相当する用 法、2.話し手と聞き手以外の人で、ほぼ“他”(彼)あるいは“他们”(彼ら)に相 当する用法、3.話し手自身を指し、“我”(私)に相当する用法、がある。このうち 1の用法は一般に旁称用法と呼ばれるものであり、2の用法はその3人称用法、3の用 法はその1人称用法と呼ばれるものである。
24 1から3の日本語訳は牛島徳次・菱沼透監訳(2003: 328)『中国語文法例辞典』からの引用。
吕主編(1980)は、上述のように“人家”の用法分類は行ったものの、“人家”と
“別人”、“人家”と“他”あるいは“他们”、“人家”と“我”の類似点と相違点 については何も言及していない。このことから、吕主編(1980)以降、“人家”とそ の各用法と類似した用法を持つ人称代名詞との類似点および相違点について様々に 論じられてきた。そこで本節では、“人家”の各用法とそのそれぞれに対応するとさ れる人称代名詞との類似点と相違点に注目した研究に焦点をあてながら、“人家”の 特徴を確認していきたい。以下、上述の吕主編(1980)による“人家”の用法分類に 従い、その旁称用法、3人称用法、1人称用法と各用法に対応する人称代名詞の順に 見ていく25。
2.2.2 旁称用法の“人家”と旁称代名詞“別人”
本項では、吕主編(1980)の分類の1で紹介されていた“人家”の用法を見る。そ こでは、“人家”がほぼ“別人”に相当するとあったが、この“人家”の用法は一般 にその「旁称用法」と呼ばれるものである。以下、“人家”の「旁称用法」を論じる 前に、簡単に中国語の人称代名詞の中で“旁称”と呼ばれているものについて説明し ておきたい。
中国語において、“旁称”あるいは“旁称代名詞”26と呼ばれるものは、人称代名 詞の下位概念に相当するものである。杨(1963:38)は、「和己身称相对应的是旁称,
现代语用“人家”“别人”诸词,古文用“人”字。(自称と対をなすのが旁称であり、
現代中国語では“人家”、“別人”など、古代漢語では“人”が使用される。)」と 述べている。また、赵(1979:285)は、“人”、“人家”、“別人”はほかの人を 指す人称代名詞と記述してはいるが、“旁称代名詞”の定義は明示していない。一方、
翟(2005)は、“旁称代名詞”について以下のように定義している。
“用来泛称说话人和听话人以外的人的词。”
25 従来の研究では、下記の表に示すように、分類は様々である。3人称用法と旁称用法を合わせて他称 用法と呼ぶものもあるが、“他”に相当する用法と旁称用法の特徴は異なっているため、本研究では、
3人称用法と旁称用法を分けてそれぞれ考察する。
代表的な研究者 “人家”の用法
吕主编(1980) 旁称 3人称 1人称
翟(2004) 旁称 3人称 1人称 「人家+名詞」
杜(2002) 旁称 3人称 1人称 2人称
赵(2009) 旁称 3人称 1人称 2人称 「人家+名詞」
王(2013) 他称(旁称+3人称) 1人称
张・方(1996) 他称(旁称+3人称) 1人称 2人称 刘(2010) 他称(2人称+3人称) 1人称
旁称 3人称+1人称+「人家+名詞」
26 現代中国語では、“人”、“人家”、“別人”、“旁人”、“他人”の5つの旁称代名詞が認められ ている。
「話し手と聞き手以外の人を広く一般的に指すことばである。(下線は筆者)」
(翟2005:1)
さらに、翟(2005:1)は、「说话人和听话人以外的人(話し手と聞き手以外の人)」
は1人称代名詞、2人称代名詞、統称詞27と区別され、“泛称”(不特定の人)は3 人称代名詞、自称詞と区別される、と補足している。
さて、以上のことを踏まえ、旁称用法の“人家”と人称代名詞“別人”との類似点 と相違点を見てみよう。
従来の研究では、吕主編(1980)も指摘するように、“人家”が旁称用法として使 用されるとき、すなわち、それが話し手と聞き手以外の広く一般的な人を指す場合に は“別人”に相当すると理解されてきた。先行研究における“人家”と“別人”の類 似点に関する記述はこれしかない。以下の例を見られたい。
(12) 玉梅 这姑娘 最 热心, 人家 的 事 就 是 她 自己 的事。
人名 この娘 一番 熱心 [=ほかの人] の 事 即ち だ 彼女 自分 の 事
(吕主編1980:406)
「この玉梅という娘は誰よりも思いやりがあって、人のことでも自分のことと同 じように考えている。28」
(13) 话 是 说 给 人家 听的,文章 是 写 给 人家 看的。 (同上)
話 だ 言う に [=ほかの人] 聞くもの 文章 だ 書く に [=ほかの人] 読むもの
「話は人に聞かせるものであり、文章は人に読ませるために書くものだ。」
(12)、(13)の“人家”は“別人”に交替しても、意味的には全く同じである。下線 部分には“人家”、“別人”のどちらも使用可能であり、いずれも日本語訳にあるよ うに広く一般的な人を指す。これが先行研究の指摘する旁称用法の“人家”と“別人”
の類似点である。一方、両者の違いについては、以下に見られるような指摘がなされ てきた。
まず、王(1985:289-290)は(14)をあげながら、「“别人”和“人家”是有分别的:
“人家”只是泛指世上某一个人或某一些人,“别人”却是和某一个人或某一些人相对 而说的另一个人或另一些人。(“別人”と“人家”には違いがある。それは、“人家”
はある人、あるいは、ある人たちを広く一般的に指すのに対して、“別人”はある人、
27 曹・蒋(2013)は、中国語において、統称詞とは、一定の範囲内のすべての人を指す代名詞であると 述べている。例えば、“大家”(みんな)、“大伙儿”(みんな)などである。また、太田(1958: 113)は「自称と他称とを合わせたものは、結果的に統称に相当する」と指摘している。
28 (12)、(13)の日本語訳は牛島徳次・菱沼透監訳(2003:328)『中国語文法例辞典』からの引用。
あるいは、ある人たち以外の人、あるいは、人たちを指すということである。)」と 指摘している。
(14) 你 都 抢了去, 别人 都 闲着 也 没趣29。 《红楼梦》(王1985:289)
貴方 全部 奪った ほかの人 全部 手空き も つまらない
「あなたの一人舞台になってしまったんでは、ほかのみなさんが手持ちぶさたで つまりません。30」
つまり、王(1985)によれば、(14)の“別人”は“你”以外の広く一般の人を指す のではなく、“你”以外の関係者を指すということになる。しかしながら、王(1985) のこの解釈には問題があるように思われる。なぜならば、後述するように、“人家”
も“別人”と同様に当該の人物以外の人を指すことができ、少なくとも筆者には(14) の“別人”は“人家”に自由に交替可能であるからである。
一方、赵(2001)は、王(1985)とは異なり、話し手・聞き手以外の広く一般の人 を指す場合には“別人”しか使われないため、(15)の“別人”は“人家”に交替でき ないとしている31。
(15) 家里 没有 别人, 只 有 我和母亲。 (赵2001:18)
家 否定 ほかの人 だけ いる 私と母親
「家にはほかの人がいなく、私とお母さんしかいない。」
次に、翟(2004)は、旁称用法の“人家”と“別人”はほぼ同じものであり、(16) のように両者が同じ一文に出現するのは、単に同一語の重複を避けるためである、と 述べている。
(16) 但是 替 别人 忧虑 总不如 替 人家 喜欢,大家 于是 忘记了 祥子的车,
しかし 替る 他の人 心配 むしろ 替る [=ほかの人] 喜ぶ 皆 それで 忘れた 人名の車
而 去 想着 他的好运气32。 《骆驼祥子》
29 (14)は『紅楼夢』第五十回からの引用。
30 (14)の日本語訳は伊藤漱平訳(1963:177-178)『紅楼夢』中巻からの引用。
31 赵(2001)の主張とは別に、(15)で“人家”が使用できないのはその品詞と関係があると考えられる。
周知のように、“別人”と“人家”には普通名詞と人称代名詞という2つの品詞が付与されている。
しかし、“別人”は普通名詞であれ人称代名詞であれその意味に違いがなく、話し手と聞き手以外の 第三者を広く一般的に指すのに対して、“人家”は普通名詞の場合は、人称代名詞の場合とは異なり、
「人が住んでいる家」という意味を示すことになる。一方、(15)の“別人”の前には存在表現“没有”
が出現しているが、この存在表現の後には必ず名詞的な要素が要求される。したがって、(15)におい て“人家”が使用されるとそれは「人が住む家」と解釈され、意味的に齟齬が生じる。そのため、(15) の“別人”は“人家”に交替できないと考えられるのである。
32 (16)は『駱駝祥子』第五章からの引用。
接続詞 しよう 考えている 彼の好運
「しかし、だいたい他人のために心配するよりは人のために喜び合うほうがよ いもので、みなもすぐに彼の車のことは忘れて、彼の好運のことばかり考え ていた。」
また、吕(1985)は、(17)が示すように、“別人”は“人家”とは異なり、“家”
を後続させることができると指摘している。
(17) 难道 别人家 来得, 咱们 倒 来不得的?33 《红楼梦》(吕1985:75)
まさか ほかの人 来ていい 私たち 却って 来てよくない
「まさかほかの連中はきていい、わたしらはならぬなんて道理はあるまい。34」
以上のほか、とりわけ、旁称用法の“人家”に話し手の感情表出機能があるか否か については、次に示すような2つの対立する意見が提示されている。
まず、旁称用法の“人家”に話し手の感情や態度を示す機能があると主張するもの としては杨・杨(2006)および张・韩(2011)35をあげることができる。旁称用法の
“人家”が示すとされる話し手の感情表出機能とは次のようなものである。
(18) 要 相信 自己,人家 能做到的,我们 同样 可以做到。
しよう 信じる 自分 [=ほかの人] できること 私たち 同様 できる
(杨・杨2006:46)
「自分を信じて、人ができることは私たちもできる。36」
(18) には、話し手の何等かの感情が感じられるかもしれないが、それは“人家”と いう語が喚起したものというよりも、むしろ、“人家”が出現した文全体の意味に関 わるものと考えることができる。というのも、少なくとも(18)の“人家”は“別人”
に交替可能であり、その際、文全体の意味は変化せず、話し手の感情表出にも違いは
33 (17)は『紅楼夢』第九回からの引用。
34 (17)の日本語訳は伊藤漱平訳(1963: 107)『紅楼夢』上巻からの引用。
35 张・韩(2011:49)は、以下の表で旁称用法の“人家”が表す感情をまとめただけで、具体的な例 は提示されていない。(下記の表の日本語訳は筆者。)
“人家”の用法 empathy分類
羨ましさ 皮肉 同情 自己憐憫 合計
旁称用法 42 10 2 0 54
3人称用法 136 29 60 0 225
2人称用法 0 1 1 0 2
1人称用法 0 0 0 9 9
合 計 178 40 63 9 290
36 日本語訳は筆者。
見られないからである37。
一方、袁(2014)は旁称用法の“人家”に感情表出機能があることを認めつつも、
その機能は同じ“人家”の3人称用法のそれほど強くない、と述べている。
以上の説とは逆に、旁称用法の“人家”には話し手の感情表出機能はない、とする 先行研究もある。付(2016)と刘(2016)がそれである。
(19) [情景:姐问“我”为什么要把烟的包装纸贴在书里,“我”如是回答。]
[状況:姉は「私」に「どうしてタバコの包装紙を本の中に貼っているか」と聞いた。「私」は こう答えた。]
我 说,怕 人家 偷, 贴上去 人家 就 偷 不掉 了。
私 言う 心配 [=ほかの人] 盗む 貼っていく [=ほかの人] 即ち 盗む 否定 強調
(付2016:141)
「私は「人に盗まれるのが心配で、本の中に貼れば盗まれないからだ。」と答 えた。38」
(20) [情景:丈夫夸妻子做的汤比汤馆卖的汤还要好喝。]
[状況:夫は妻が作ったスープがレストランより美味しいと褒めた。]
人家 都 说 老王家汤馆 好,我 看 就是 那里都 喝 不到
[=ほかの人] 全部 言う 王さんのレストラン 良い 私 思う たとえ あそこでも 飲む 否定
这么 好的。 (同上)
こんな 良いもの
「みんな王さんのレストランのスープが美味しいと言っているけど、あそこに 行ってもこんなに美味しいスープがないと思う。39」
付(2016:141)で提示された (19)、(20)の“人家”の指示対象は話し手・聞き手 以外の不特定の人であるが、付(2016:141)によれば、話し手はその不特定の人に 対して何の感情も表出していないという。同じく、刘(2016)も旁称用法の“人家”
には話し手の感情表出の機能はないとしているが、具体的な例はあげていない。
以上、旁称用法の“人家”と“別人”の相違点に関する先行研究を見てきた。これ らの研究は、旁称用法の“人家”と“別人”がいずれも旁称代名詞として扱われてい る点において共通している。しかしながら、どの研究も両者の違いを十分に説明して いるとは言い難い。また、旁称用法の“人家”の感情表出機能の有無についての説明も
37 この“人家”が示す話し手の指示対象に対する感情を日本語で表すことは難しい。それで例文の日本 語訳には“人家”が表す話し手の指示対象に対する感情表出に対応する日本語表現はない。
38 日本語訳は筆者。
39 日本語訳は筆者。
十分とは言えない。
2.2.3 3人称用法の“人家”と3人称代名詞“他”
本節では、3人称用法の“人家”を見る。吕主編(1980)では、この“人家”はほ ぼ“他”(彼)あるいは“他们”(彼ら)に相当すると記述されている。3人称用法 の“人家”と3人称代名詞“他”に関する研究はこれまでにも少なくない。それらを 基に、以下、3人称用法の“人家”と3人称代名詞“他”との類似点と相違点を見て いく。
従来の研究では、吕主編(1980)で指摘されたように、3人称用法の“人家”、す なわち、それが話し手と聞き手以外の前出の人物を指す場合は、“他”に相当すると 理解されてきた。以下の例を見られたい。
(21) 小高 正在 写 工作报告 呢,人家(指小高)哪儿 有 时间 陪 你 出去。
人名 ている 書く 中間総括 強調 [=高さん] どこ ある 時間 お供 貴方 出かける
(吕主編1980:406)
「高さんはいま中間総括を書いているところだ。彼(高さん)に君のお伴をする ひまなんてあるものか40。」
(22) 我 问 过 好几个大夫,人家(指大夫)都 说 这个病 不要紧。 (同上)
私 聞く 完了 何人も 医者 [=複数の医者] 全部 言う この病気 大丈夫
「私は何人もの医者に聞いたが、みんな(医者)この病気は大したことはないと 言った。」
(21)、(22)の“人家”はそれぞれ前文に現れた“小高”(高さん)、“几个大夫”
(何人もの医者)を指し、3人称代名詞“他”、“他们”に交替できる。しかしなが ら、同じ指示対象を指すことはできても、その対象に対して話し手が感情を表出する かどうかは異なっていると思われる。この点については、様々に論じられてきた。以 下、3人称用法の“人家”と3人称代名詞“他”の相違点に関する研究を見ていく。
多くの研究者は、3人称用法の“人家”は話し手の何等かの感情や態度を表すと指 摘している(杜2002、翟2004、季2014など)。以下の例を見られたい。
(23) “你 看 老头子,人家 玩 了 一辈子,到 老 了 还 开上车厂子。”
貴方 見る 爺さん [=爺さん] 遊ぶ 完了 一生 まで 老いる 完了 又 車宿を開く
40 (21)、(22)の日本語訳は牛島徳次・菱沼透監訳(1992:328)『中国語文法例辞典』からの引用。
《骆驼祥子》
「ね、爺さんご覧よ。一生遊びとおしてそれでも晩年には車宿を作ったんだ。41」
翟(2004:33)は(23)をあげながら、3人称用法の“人家”は3人称代名詞“他”
より話し手の感情が強く感じられるが、“人家”を“他”に置き換え(23)’にすると、
文の意味は変わらないものの、話し手の感情は表現されなくなると指摘している。
(23)’ “你看老头子,他玩了一辈子,到老了还开上车厂子。”
また、3人称用法の“人家”に見られる感情や態度をすべて網羅的に記述している 研究も多い。以下、その中でも代表的なものを紹介する。
杜(2002)は、以下のように、3人称用法の“人家”が表す感情をまとめている。
表2-1 “人家”の3人称用法の場合に表す感情42 表示敬仰和羡慕的口气(敬服と羨ましい気持ち)
表示所指对象的做法或看(想)法超常
(指示対象のやり方あるいは考え方が尋常ではないこと)
表示对比(対比)
表示不满(不満)
表示批评(批判)
表示讽刺、嘲弄(皮肉やあざけり)
一方、袁(2014)は3人称用法の“人家”には様々な感情表出機能があると認めつ つも、その中でもっとも基本的な感情は「羨望感」であり、そのほかの感情は文脈に 拠るものだとしている。
3人称用法の“人家”については、その感情表出機能以外に、“他”との指示機能 の類似点と相違点を考察した研究もある。その代表的なものとしては、张・方(1996) および邵(2003)をあげることができる。
“人家”の指示機能を最初に研究対象としたのは、张・方(1996)である。张・方 は、吕(1990)の「指代词有三种作用:指示、区别、替代。(代名詞には指示、区別、
交替の3つの機能を有する。)」という主張にしたがい、“人家”の指示機能、区別 機能、交替機能が見られる例(以下の(24)(25)(26))をあげながら、考察を行っている。
41 日本語訳文は中山髙志訳『駱駝祥子』(1991:230)からの引用。
42 表2-1は杜(2002)に基づき筆者がまとめたもの。