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教育内容と教材との関連

第 四 章 音楽科の教育内容

第1節  教育内容と教材との関連

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 前章までは、主として音楽教育の目的、音楽科の目標について述べてきた。

それは、小学校音楽科の授業づくりにおいて、「何のために教えるのか」と.

いうことについて考えてきたつもりである。

 この章で考察したいことは、音楽科の授業で「何を教えるのか」という内 容に関わることである。

 授業を計画する場合、原則的には、目標や内容を決定してから、教材や授 業方法を決定するのが普通である。しかし、実際的には、教材の解釈から始 まって、そこから目標や内容を確定し、もう一度教材分析に取り組むことが 多い。そして、音楽科のような教科にはその傾向が強い。このような意味か ら、小学校音楽科の授業づくりのサイクルにおいては、教材づくりが重要な 位置を占めている。そこでまず、教材という概念について規定することから

始めたい。

 「教材」という概念は、教育に関する専門用語であり、教育にたずさわる 人たちにとっては、極めて一般化した言葉のように思われがちであるが、案

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外と明確なとらえ方をしていないように感ずる。

 「教材」とは、文字通りに考えれば「教育の材料」ということであるし、

やや詳しく考えれば、「教師及び児童・生徒の問を媒介して、教育活動を成 立させるもの」となる。しかし、その「もの」が、 「物」を表わすのか「事 柄」を表わすのかははっきりしない。様々な資料を読み合わせてみると、教 材の表わす概念には、教育学上のものと、その他の場合に用いられているも

のの、二つがあるようである。

 教育学上の教材の概念は、教育の素材、教育内容そのものを表わし、その 他の場合においては、教育内容を具象化した物品その他の有体物を教材とし ているようである。そして、後者は、教材というよりは教具と呼ぶべきであ ろう。つまり、教育学上の教材とは、教授内容と深く関連し、むしろ学習の 内容を意味している概念であって、機械、器具、備品、図書といった類は、

教具というべき概念といえる。

 こうした教材と教具の区別は妥当であろう。しかし、よい授業づくりをめ ざすためには、教具の規定:はよしとしながらも、教育学上の教材の概念に問 題を残している。

 つまり、教材とは、教授内容とは深く関連するものの、イコール教育内容 を表わすものではないのである。だから、教材という概念とは別に、教育内 容という概念を規定し、両者を区別することから、授業づくりは出発しなけ ればならないのである。

      117  このことを、音楽科にあてはめて考えてみよう。

 音楽科における教材とは、 「おぼろ月夜」とか「ふるさと」などの楽曲を 指す。これに対して、音楽科における教育内容とは、「三拍子のリズム」と か「ハーモニー」などの、楽曲を構成する音楽的な要素を指すように思われ る。これらは、明らかにイコールではない。

 教材とは、教育内容から規定され、教育内容を内部に備え、学習の直接の 素材であるのに対して、教育内容とは、社会の必要から導き出された、知識 や技能や態度である。このように、教材と教育内容とを区別することから、

よい授業づくりへのスタートがきられるのである。

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 このようにして考えてくると、教材づくりの第一歩は、教育内容と教材と を明確に区別することであり、そのことが、その教材の学習を通して、何を こそ教えるのかを明確にすること、つまり、音楽科の学力を導き出すことに つながるであろう。

 ところが、音楽科では、必ずしもこの区別が明確ではない。よく、 「音楽 を教える」のか、 「音楽で教える」のか、という議論がなされることがある が、このことから、「教材を教える」のか、「教材で教える」のか、という 問いかけをすることもできるのである。

 音楽教育の目的は、前章までにも述べたように、音楽教育すなわち情操教 育ということであり、音楽教育を情操教育の手段として考えるものではない。

この意味では、「音楽を教える」という解答は正しい。しかし、これだけで は、教材と教育内容の区別が明らかではない。音楽を通して、どんな内容を 身につけさせるのかという視点が働かない限り、よい授業には結びつかない のである。これらを明確にすることは、前章で述べた、「音楽科の学力」を 明確にすることにほかならない。

第 2 節  音楽科における教材の組織化について

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前節において・音楽科における教材と教育内容とρ関連について、一般論 を述べてきた。それでは、音楽科における実体的対象としての教育内容とは 何なのだろうか。この問題を考えるために、教育内容の現代化論と、従来よ り一般的に行われてきた音楽科の授業について検討することから始めたい。

これらの問題の考察は、授業のための教材の組織化について考察することに

通ずる。

 教育内容の現代化ということが話題になり始めたのは、1960年代に入って からであった。現代社会において、様々な領域の科学技術が急激に変化して くると、従来通りの教育のやり方では、教育の機能を維持することができな くなってきたのである。こうした状況の中で、教育の専門家よりは、むしろ 教育を取りまく関連諸科学の専門家たちが、社会的な背景の中で教育内容や 教育課程について考えるようになった。

 そして、教育内容の現代化は、非本質的なものを除き、精選され構造化さ れた知識や技術の本質をさぐるようになる。これらの、各教科の基本的概念 を学習すれば、多様な学習へと転移するということの検証を試みたのである。

 わが国において、これらの問題にいち早く関心を示し、しかも音楽科の教 科内容の構造化に大きな示唆を与えてくれたのは、広岡亮蔵であった。広岡 は、「教育内容の現代化」の中で、教育内容として教材の構造を考えるべき だとして、算i数科を例にとり、次のように教材構造を説明している。 (1)

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 題  材  中心観念  基本要素

 「二位数のかけ算」

巧みな計算、知性的な計算

1.計算しやすいように、項を交換する。

  (25×13×16=25×16×13)

2.一つの項をその構成部分に配分する。

  (25>〈16×13=5>く5×4×4×13)

3.構成部分を新しく結合する。

  5×5×4×4×13= (5×4) × (5×4) ×13=5200

 このように、教材構造は、「中心観念」と「基本要素」からなっている。

 前者の「中心観念」とは、教材が持つ核心であり、教材に対する視角であ る。教材を精選し構造化しようと思えば、この教材の核心は何であるか、こ の教材をみる視角は何であるかを明らかにすることが必要である。

 後者の「基本要素」とは、その教材が成り立つに欠くことができない主柱 である。しかも、いくつかの基本要素間の関係は、バラバラの羅列ではなく、

論理順序、または時間継起、または心理系列などにおいて、順序性を持って いるのが普通である。

 また、中心観念と基本要素問にも、密接な関係がある。両者の関係は、中 心観念は根にあたり、基本要素は根から生えた暦本かの主要な幹にあたる。

教材構造は、これをにつめれば中心観念となり、これを開けば基本諸要素に なるという、集約と分析との関係を持つものと言えよう。

 つまり、教材構造とは、教育内容の内にあって、教育内容を支えている立 体的な骨格である。立体骨格としての教材構造を見失えば、教育内容は単な る枝葉の知識や技能の寄せ集めとなる。教材構造に注目すれば、教育内容は

その本質的な立体構造において、子どもたちの前に明らかになろう。

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 さらに、広岡は、教材の構造化のしかたとして、粗から精への三段階で、

次のように述べている。 (2)

1.低い段階のやさしい構造化…  重要語句に傍線を引く。

2.中の段階の構造化…  基本要素を取り出す。

3.高い段階の構造化…  中心観念を取り出す。

 この場合、段階3については、教材の根、すなわち中核、本質、イメージ が対象で、これらは概念であるよりは、むしろ観念であるという。また、こ ういつた構造化の順序は、音楽科のような情操教科では逆となり、最初に、

より直観的に、より叙情的に中心観念を取り出すとしている。

 そして、実際に、音楽科の教材の構造化の例を、次のようにあけている。

      (3)

  題  材   「そりのすず」 (アメリカ民謡)小学校5年生   中心観念   軽快にすべっていくさわやかなリズム

  基本要素   1.はずむようなリズミカルな楽しさ

         2.繰り返しと変化のメロディーのおもしろさ          3.短音と歌声の響き合いの美しさ

 このような教材「そりのすず」に対する広岡の構造化に比べて、これまで 伝統的に行われてきた学習指導はどうであっただろうか。ここでは、文部省 唱歌「つき」に対する典型的な指導案の目標を示してみよう。 (4)

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(/)お月見の行事にちなんで学習させ、自然やわが国の伝統的な行事  に対する関心を高めるとともに、優美な心情を育て、音楽性を伸ば  す。

(2)歌詞の意味や気分を理解し、それにふさわしい曲想で歌えるよう  にする。

(3)歌に合わせてリズム楽器で楽しく合奏できるようにする。

 ここにあけた目標は、学習指導要領の内容の項に示されている「曲想を感 じ取り、また、歌詞の表わす情景を想像して表現すること」を受けているこ とがわかる。

 そして、これら三つの目標を詳しく見ていくと、奇妙な現象に気が付く。

つまり、音楽科は、音そのもの、音楽そのものを媒介としてこそ学習が成立 するはずなのに、これらの目標からは、音そのものに関する言葉は見つから ない。さらに、広岡の構造化理論に照らしてみても、三つの目標の間に、構 造的な相互関連は見られない。

 このような目標に基づいて、教師はいったい、授業の申で子どもたちにど んな音楽的な力をつけようというのであろうか。そこには、音楽そのものが 中心というよりも、歌詞の内容を音楽より優先してきた、明治時代以来の唱 歌教育の姿を見ることができる。

 これに対して、題材「そりのすず」における広岡の構造化の場合は、中心 観念や基本要素を、音楽そのものを媒介としてとらえている。そこには、ク リスマスの行事も、トナカイも、そりも関係がない。そして、中心観念に対 して、リズム、メロディー、ハーモニーという、音楽の三要素がきちんと基