太田 宗夫
日本集団災害医学会 理事長
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座長:川崎医科大学救急医学 教授 鈴木 幸一郎
救急医療防災セミナー
〈平成16年10月・岡山市〉
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スライド1
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(スライド4)世界を見渡しますと,ザイール,
コソボ,東チモールなどの紛争が多発し,ペルー の日本大使館のテロ,アメリカ大使館の連続爆破 テロも印象に残っています。
さらに我々がアッと思ったのはインドネシアの 森林火災でした。明らかにエルニーニョ現象によ る地球の環境変化に伴って発生したもので,モザ ンビーク洪水も同様です。新しい地球環境の変化 に戸惑わなければいけないなと思ったのです。ド イツの国鉄の脱線事故も,ドイツのような国でも 起きて日本の新幹線に起きないのは,ラッキーで 済ませてよいのかと思ったわけです。そして 2001年9月11日にアメリカの同時多発テロが起 こったのです。
(スライド5)さて,このようないろいろな種類 の災害をカテゴリーに分けることは昔から行われ ておりまして,自然災害と人為災害という一般的 な分け方をします。どちらが原因か分からないも
のを混合型災害,Mixed-type Disasterと呼んで います。ですからこれまではNatural Disaster,
Manmade Disaster,そしてMixed-typeという分 け方でしたが,下にあるComplex Disasterという 新しいカテゴリーが話題になっています。これは また後ほどお話ししますが,端的に申しますと,
インフラの悪い社会で起こりましたDisasterの場 合,これに対してリハビリテーションができませ ん。そしてそのためにDisasterの直接被害ではな くて,国民的なレベルで災害弱者がどんどん亡く なっていくという,悲惨な災害の後遺症を指すわ けです。これは現実に1970年代くらいから議論 しているわけで,私はこれを,新しいタイプとし て勝手に「複合災害」という言い方をしておりま す。Complex Disasterという新しい言葉がある ということをご記憶いただきたいと思います。
(スライド6)さて,いろいろな災害に対して何 を教訓として取り上げるのかという点について,
我々は議論いたしました。取り上げる要素はあま りにも多いではないか,立場によって考え方も視 点も違うではないか,フォーカスが違うではない か,と言っておりまして,大変難しく思いました。
しかし医療者としてどういうところにフォーカス を置くべきなのか。そして災害医学,Disaster medicineとしてはどこにフォーカスを置くべき かということも考えました。
スライドの真ん中に,「生命を最大の被害とす る思想が通用するか」とありますが,これは私の 体験から書いた言葉です。実は私も西宮に住んで
救 急 医 療 防 災 セ ミ ナ ー
災 害 時 医 療 展 開 の 図 式
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スライド5
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スライド4
おりましたので,阪神・淡路大震災では被災者で もあったわけです。実際に実家は全壊しまして,
私自身,資産も相当失いました。何千万かはっき りしておりませんが相当な金額で,女房に聞かな いと分かりませんが墓もひっくり返っていて欠け たり,仏壇の修繕に何百万円もかかったり,残酷 な話でした。大量の資産を失いましたが,いちば ん失って残念だったのは,親戚の者2人の生命で す。それを体験しますとやはりお金ではなくいち ばん大切なのは人命だと思ったのです。ですから 医療者としては,それを災害医療のフォーカスと するのが正しいのではないかと思いました。
阪神・淡路大震災での体験
そこで取り上げるサンプルとなりますと,私は 自分の体験もありますが,いろいろな要素が含ま れているという意味で,阪神・淡路大震災を参照 させていただきます。地震といいますと1つは活 断層ですが(スライド7),もう1つはプレートの 破壊です(スライド8)。心配されますのは南海 地震です。これはマグニチュード8を超えて9に 近いと想定されております。そしてもう1つ心配 なのが津波です。大阪では震度6くらいを想定し なければいけないと思っています。さて,岡山で はどのような想定があるのか心配ですが,震度 3,4以下というのはまずなく,5から6でない かと思います。津波は20m超の波が紀伊水道を上 がってまいりまして,おそらく明石海峡を越えて 岡山まで到達するだろうと思います。そのときの 津波の高さは10mくらいと想定されています。つ まりそういう想定が必要です。
ちょうど3週間ほど前ですか,震度4が大阪で ありました。これはプレートのすぐそばであった そうです。南海・東南海地震のシミュレーション になってよかったなと思ったわけです。私は西宮 ですが震度4くらいの強い地震でした。
東南海地震の起こる可能性という想定がありま す。地震学者の話ですが10年以内に発生する可能 性は30%,30年以内に発生する可能性は80%とい うことです。ここにいる私たちの半数以上はおそ
らく東南海地震を経験するでしょう。怖い話であ くまで想定ですが,相当な覚悟が必要でないかと 思います。
私たちは神戸の大震災は全く想定しておりませ んでした。スライド9は強い震度を記録した場所 で,右上方にも被災地がみられるのは,昔,大阪 湾がここで入り組んでいたという証拠です。千里 救命センターもその一部で,被災地にいちばん近 い救命センターだったわけです。
これから少し当時の写真をフラッシュバックさ せていただきます。
救 急 医 療 防 災 セ ミ ナ ー
災 害 時 医 療 展 開 の 図 式 スライド7
スライド8
救 急 医 療 防 災 セ ミ ナ ー
災 害 時 医 療 展 開 の 図 式
スライド11
スライド9
スライド10
スライド13 スライド12
(スライド10)2階がつぶれて1階を押しつぶ して,ここにいた老人がたくさん亡くなったわけ です。
(スライド11)ビルの中階が圧縮されています が,こういうところを見ますと,取り残された人 や足を挟まれた人がいる可能性を考えました。
(スライド12〜15)道路がふさがれ,救急活動は
全くできない状況で,火事で亡くなった人は阿鼻 叫喚という世界だったわけです。お寺も破壊され 神社も潰れました。神戸の有名なキリスト栄光教 会が復活しましたのは2004年9月です。
スライド16・17は高速道路です。こんなことが 起こるとは思っておりませんでしたが,この被害 は新幹線の滑落とともに救急活動に参加する人の
救 急 医 療 防 災 セ ミ ナ ー
災 害 時 医 療 展 開 の 図 式
スライド16 スライド15
スライド19 スライド18
スライド14 スライド17
足を奪ってしまったわけです。もし地震が15分後 に起こっていたら,始発の博多行きの新幹線がひ っくり返っていたということです。
(スライド18)小さな段差でも救急車が走れな いことを体験しました。スライド19はグラウンド の液状化現象で,ヘリコプターが降りられません でした。当日の余震が有感地震で64回です。私も おびえておりましたが,安全と生活を求めて大阪 へ移動し始めたわけです(スライド20)。 私は当時所長をしていましたが,自宅もぐちゃ ぐちゃになってしまったのですが,病院に連絡が 取れたとき,センターに「重症患者だ けを受けなさい」という指示をしまし た。結果的に29名が搬入されまして,
近くの豊中から,西宮,神戸というよ うに少しずつ遠くからやってきており まして,最終的に29名を収容し,8名 の挫滅外傷,クラッシュ・シンドロー ムを見ました(スライド21・22)。 一方,昔から想定していたわけです が,現地へディスパッチすべきだと考 えまして,ドクターカーを派遣すべく 大阪府を通じて兵庫県に打診しました が全く応答がありません。応答を待っ ていたことが私の間違いではあります が,府県間には微妙なめんつがあるこ とを再確認しました。
私は,エイヤッで出たわけでして,
行き先は芦屋市です。着いたときは修 羅場から少し遅れていたのですが,私 を含めた10名がドクターカーに乗り現 地へ入りました。そして,後ほど話し ます3つのTのお手伝いを翌日朝まで しました。そして翌日いったん病院へ 帰りましたが,この間ドクターカーで 患者を3回,千里へ搬送しております。
同夜,東京からチームが来ましたもの ですから,合同チームを編成して,約 2週間現地のシェルターを廻りました。
一方,入院死亡は4名です。そのほと
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災 害 時 医 療 展 開 の 図 式
スライド20
スライド21
スライド22