第二部 本論
5.7. 考察
5.7.3. 接辞-(i)m の呼びかける時の用法
接辞-(i)mには、言及表現において所有関係を明示するための用法の他に、呼びかける時に話し相 手に対する気配りや配慮と言った心遣いを示すための用法があると思われる。例えば、表
32
のM1
が父方の伯父の娘にsiŋgl-im
と呼びかける場合と、表34
のF1
とM1
が実の娘にqiz-im
と呼びか ける場合がそうである。siŋgl-im
は、「siŋgil+im」
(妹+所有一人称接尾辞)という構造であり、同________________
26 Rahmatullayev(2006)は、普称の単数所有人称接尾辞について待遇的に中立であるとしている。
103
じく
qiz-im
は「qiz+im」(娘+所有一人称接尾辞)という構造である。通常、年下の人に呼びかける時には実名・愛称で呼び捨てにするのが一般的である。しかし、年 下の親族との対話において、親族語に接辞-(i)m を付けて呼びかけることで親愛の情を表すことが できると思われる。接辞
-(i)m
のこのような用法については、Abidova(2000)にも指摘がある。Abidova
(2000:30)によると、年下の親族あるいは血縁関係のない他人に呼びかける時、 ɔta
(父)、ɔna(母)
、uka(弟)、ɔġa(兄)
、siŋgil(妹)などの親族語やbirɔdar(友)
、dost(友)などの親 しい関係を表す言葉に接辞-(i)mを付けて用いると、尊敬(hurmat)の意味を表すことができると いう。ここで全般的に言える原則は、呼びかけにおいて接辞-(i)mが付けられるのは年下の親族語の みであり、年上の親族に対しては使えない。つまり、親族成員間で年下の者に呼びかける時はoġl-im
(私の息子よ!)やqiz-im
(私の娘よ!)のように言うことはできるが、年上の者にはdada-m
(私 の父よ!)やamma-m(私のおばよ!)と言って呼びかけることはできない。
なお、Abidova(2000)にも指摘があるように、血縁関係のない他人との対話において、年上の 人に対しても接辞-(i)mを付けて呼びかけることがある。
Abidova(2000
)はこの用法を「尊敬」と 言っているが、管見では、「尊敬」と言うよりも「尊大」の意味が強いと思われる。なぜなら、接辞-(i)m
を年上の相手に対して用いる場合、それを用いる話し手が権力や権威を保持しているという意味が強く出るので、話し相手に尊大に構えたような印象を与えかねないからである。年上の親族 に対して用いられない理由もここにあると思われる。但し、愛称形成接辞-jɔnや-ginaなどと一緒に
用いる
dada-jɔn-im!
(愛しい父よ!)や ɔna-gina-m!
(愛しい母よ!)などは例外である。これらの表現は、呼びかけというよりも愛情深い愛称表現としての性質が強く、特に父・母など年上の親族に 甘える時やものをねだる時などに用いられる特殊な表現である。
5.7.4 親族成員間での言及表現にみられる視点の移動
ウズベク語では、親族成員間での言及表現の場合、年少者との会話において、親族の誰かを話題 にする時や年少者に話題の人物として言及する際には、年少者の立場に視点を移動する傾向がみら れた。以下で、それぞれの場合を詳しく見て行こう。
5.7.4.1 年少者との会話において親族の誰かを話題にする時
5.5.1(1)の「祖父・祖母」の項目で触れたように、親族成員間で年少者との会話では、親族の誰か
について話す時、自分と言及の対象者との親族関係を直接表現しないで、年少者(話し相手)の立 場に立って間接的に表現する。つまり、年少者の前で、伯父・伯母や兄弟姉妹など親族の誰かを話 題にする時、その人が年少者にとってどんな関係にあるのかを常に明示する。決して自分の立場か ら見た表現を用いることはない。例えば、自分の父について子に向かって述べる時はdada-m(私
の父)と言わず、ɔta-ŋ
(お前の祖父)と言う。さらに、自分の父について孫に向かって述べる時は、今度は
katata-ŋ(お前の曾祖父)と表現する。
このような言及表現における視点の移動については、鈴木(1998)で詳しく扱っている。鈴木
(1998:293f)では、あるものの帰属(所有関係)の原点を、社会的な文脈において示す時、自分 個人(ego)を原点とするか、それとも我々(家族成員全部)を原点に取るのか、または自分がその 構成員であるうち(家)という抽象的な枠を原点と考えるのかという違いについて指摘し、ある人
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を、その人の家族の誰かとの関係を示すことによっていつも呼ぶ習慣をアロニミー(
allonymy)と
呼んでいる。なお、(話し相手が)年少者(である場合)と言っても、必ずしも子供でなければいけないという 制限はない。話し相手が自分より下の世代の親族であれば、年齢に関係なく、その人に原点を置い て年長者に言及することができるのが特徴的である。例えば、表
24
のF7
(50代)のデータを見る と、自分の(亡き)祖母について息子(30
代)に話す時は、息子が立派な大人であるにもかかわら ず、彼の立場に立ってkatta ena-ŋ
(お前の曾祖母)と表現する。しかし、弟や妹を相手にする場合 は、年下であっても、その人の立場から祖父母に言及することができない。このような場合は、常 に自分を原点とする。例えば、兄が弟や妹に向かって祖父母のことを言う場合は、ɔta-ŋ
(お前の祖 父)、ena-ŋ(お前の祖母)ではなく、ɔta-m(私の祖父)、ena-m(私の祖母)27と言う。年下の いとこを相手に、おじ・おばについて話す場合も同様である。例えば、父方のいとこに向かってお じ・おばについて話す時はdada-ŋ(お前の父)、ɔpa-ŋ(お前の母)と言わず、amaki-m(私のお
じ)、
amma-m(私のおば)と言う。どうやら、相手の立場から物事を表現することの本質は、ウ
ズベク語の場合、年齢の上下というよりも世代の上下と関連が深いようである。
5.7.4.2 親族成員間で年少者に言及する時
親族成員間で年少者について話す時、名前を用いるのが一般的であるが、親族語を用いて言及す る場合は「あなたの○○」というふうに、話し相手の立場に立って年少者に言及することがある。
例えば、話し相手が年少者の祖父母である場合は
nabira-iz
(あなたの孫)と、おじ・おばである場合は
jiyan-iz
(あなたの甥・姪)と言及するわけである。今回の調査では回答がなかったが、日常的な会話ではよく用いられる表現である。以下にいくつかの具体例を示す。
93)
Nabira-iz
politsiya mahkamasiga tušib qɔpti28. 孫-POSS.2SG.H 警察 署に 連行されて しまったそうだ(うちの子は警察署に連行されたそうです。)
(Sa’diyev, R. 2005.
Kelgindi Kuyov
. O‘zbekkino Milliy Agentligi. 109 min.) これは、アメリカに移住してきて、そこで起業し成功して億万長者になったウズベク人の家族に ついてのドラマの一節である。警察署から「息子さんが痴漢容疑で連行された」という電話があっ て、青年の父親がその話を自分の父(子の祖父)に伝える場面である。この例で、青年の父親が自 分の息子についてoġl-im
(私の息子)ではなく、話し相手である父に原点を置いてnabira-iz
(あな たの孫)と間接的に表現しているのである。________________
27 兄弟姉妹に向かって上位世代の親族について話す時に、聞き手である兄弟姉妹を含めた「私たち」の立場でɔta-miz(私たちの
父)やena-miz(私たちの祖母)など、親族語に複数の所有一人称接尾辞-(i)mizを付けて言う例は調査では見当たらなかった。
筆者の内省でもそのような言い方はしないと思われる。
28 qɔptiは、標準語のqɔlibdiの口語の形である。
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94) Ɔpa,
jiyan-iz
olsam olaman, šundan bɔšqasi kerakmas deyaptiku.姉さん 甥-POSS.2SG.H 死んだら 死ぬ それより 違うのが いらない 言っているよ
(姉さん、うちの息子が死んでも彼女以外の女とは結婚しないと言っているよ。)
(Sharopov, B. 2013.
Mug‘ombir Kuyovlar
. NavoMedia Studiyasi. 80 min.) この例は、地方出身のある青年が首都タシケントの某大学での勉学中に、借りていたアパートの 大家さんの若い娘に恋してしまうというラブストーリーが描かれたドラマの一節である。青年はそ の子と結婚したい旨を両親に伝えるが、父親が自分の姉を家に呼んで、息子の恋愛事情について相 談している場面である。この例では、青年の父親が自分(父親)の息子についてoġl-im
(私の息子)ではなく、姉に原点を置いて
jiyan-iz(あなたの甥)と間接的に表現しているのである。
95)
Qiz-iz
erga tega ɔlmay otirgan ekanda, jim bop29 ketdi.娘-POSS.2SG.H 嫁に 行くことが できないで いた のだね 静か なって しまった
(うちの娘が嫁に行くことができずにいたみたいに連絡がつかないの。)
(Sa’diyev, R. 2012.
O‘gay Ona
. Davr Premyer. 105 min.)この例は、家庭の諸問題が描かれたドラマの夫婦の会話から取ったものであるが、結婚後全然連 絡が取れなくなった娘について、妻が夫に不満げに話している場面である。この例では、妻が娘を
qiz-im(私の娘)ではなく、夫に原点を置いて qiz-iz(あなたの娘)と表現している。
さらに、次の例のように、人称代名詞や指示代名詞を用いて「あなたの彼/彼女」というふうに 言及することも可能である。
96)
Uni-z
ozi bɔšqača edi-da.彼女-POSS.2SG.H 自身 特別 だったね
((自分の娘について)彼女は特別な子だったからね。)
(Sa’diyev, R. 2012.
O‘gay Ona
. Davr Premyer. 105 min.)この例は、上述の夫婦の会話の続きであるが、妻が娘について今度は
qiz-iz
(あなたの娘)ではな く、人称代名詞を使ってuni-z(あなたの彼女)と表現している。
97) Tɔmi ketganmi
buni-ŋ-ni
, kečadan beri meŋga sevgi izhɔr qiladi.彼の屋根 行ったか これ-POSS.2SG-ACC 昨日から ずっと 私に 愛 告白 する
(気が狂ったのか、こいつ。昨日から俺にしつこく愛を告白してくる。)
(Shodmonov, J. 2012.
Payshanbadan Payshanbagacha
. Art Creator Studio. 98 min.) この例は、魔法の本によって色々なことを体験することになる数人の男性同士についてのコメデ ィの一節である。一人が魔法によって可愛い女性に変身してしまい、元の体に戻るまでそのことに ついて親族にだまっておいてくれるよう妻を説得し、親族に自分のことを妻の妹として紹介するよ________________
29 bopは、標準語のbolibの口語の形である。