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第 3 章 知識の再構成プロセスについての先行研究レビュー

3.4. 実践と対話(実践的枠組みの再構築)

3.4.2. 行為の中の省察

3.4.2.4. 拡張的学習(Engeström)

本項では、Engeström(1987, 2001)が提案した拡張的学習(Expansive Learning)を取り上げ る。本理論は、人間の協働的・社会的な実践活動のシステムを分析対象とし、システムの新たなデ ザインを実践現場で生み出そうとする文化―歴史的活動理論(cultural-historical activity theory)

にもとづく集合的・協調的な学習理論である。集団(ないしは組織)的な学習理論という点で、本理 論は先に取り上げた経験学習理論、反省的実践家、変容学習理論と決定的に異なる一方、組織 におけるセンスメーキングとの類似性がある。

Engeström(1987)は、人間の「活動がしだいに社会的になっていく」(186)発達過程を説明す る目的で、心理学者の Vygotsky が唱えた概念である“最近接発達領域(zone of proximal development)”を個人的な領域から集団的なそれへと拡張しようとした。その結果、最近接発達領 域を、「個人の現在の日常的行為と、社会的活動の歴史的に新しい形態―それは日常的行為の なかに潜在的に埋め込まれているダブル・バインドの解決として集団的に生成されうる―とのあい だの距離である」(訳 212)と再定式化した。この概念は、集団的な発達過程を表現すると同時に、

行為の中に省察があり、かつ過去・未来眼のインターアクションが働いていることを端的に表してい

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る。

さらに、最近接発達領域における静的な活動構造モデルとして、Engeström(1987)は、

Vigotsky(1978)の主体(object)と対象(object)、それらを媒介する人工物(mediating artifact)

からなる3角形の個人活動構造モデル(訳2)を拡張した。具体的には、人間の社会的活動を、1) 生産(所与の欲求に対応する対象を作り出す)、2) 分配(社会的法則に従った対象の配分)、3) 交換(すでに配分されたものに対する再配分)の 3 つの側面に分けた。さらにそれらを結びつける ものとして、“集合体的主体”―個人単位ではなく、組織として共通した意識を形成しているという意 味―、“道具(媒介する人工物)”、“対象(ないし目標)と結果”、“分業”、“共同体”、“ルール”の6つ の要素を設定した(図3-11参照)。

図3-11. 集団的・拡張的活動構造(Engeström, 1987: 訳79の図をもとに筆者作成)

本活動構造は、6 眼インターアクションの観点でいえば、問題設定・問題解決の文脈において 設定される客体の類型を具体的に示唆している点で興味深いものとなっている。彼のいう集合体 的主体とは、林(1999)の定義した複合状況主体とほぼ同じ意味を持つものと考えてよいだろう。こ の主体問題設定ないし問題解決において対峙する人ドメインにおける客体がルール、コミュニティ

(ないし社会ネットワーク)および分業である。一方、人工物ドメインにおける客体が、対象・結果お よび道具になるであろう。しかしながら、本活動構造モデルにおいては、主体・客体眼のインターア

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クションの働きについては不透明である。これについては、他の活動構造体との協働(相互作用)

の概念である co-configuration(協働の形態)概念―後述する水平的・対話的学習における概念 の1つである―において説明されている(Engeström, 2001, 2004)。

加えて、Engeström(2001)は集合的活動システムの拡張的移行のサイクルとして、7 つの段 階から構成される動的・発達的なプロセス―この原型は Engeström(1987)でも提示されている―

を示した。1) 「問いかけ」により欲求状態を作り出す、2A) 歴史的分析と 2B) 現実的-経験的分 析、3) 歴史的に新しいソリューションのモデル化、4) 歴史的に新しい活動モデルの形成、5) 活 動モデルの検証、6) 実践過程の省察に基づく活動モデルの再編成、7) 活動モデルを強化し新 たな実践(図3-12参照)。最新の説明では、Engeström(2004)はこのような学習のことを、変容学 習(transformative learning)と呼んでいる。さらに 2 つの学習形態として、水平的・対話的学習

(horizontal and dialogical learning)―他の活動構造との相互作用によってもたらされる―、地下 での学習(subterranean leaning)―具現化や反復によって内面化されることによってもたらされる

―を設定し、これら3つの学習を合わせて拡張的学習としている(16-17)。

図3-12. 拡張的移行のサイクル(Engeström, 2001: 152)

この変容学習と呼ばれる拡張的サイクルは、Bateson(1972)の唱えた学習Ⅲ―ダブル・バイン ド(二重拘束)にもとづく主体の内的矛盾を克服するための、問題や課題そのものの創造行為―に 至る道程を知識の再構成プロセスと対応付けながら示したものであると考えられる。その結果、各

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段階への移行に伴って生じた矛盾や葛藤、衝突の役割を強調している点で、Yoshinaga &

Toyama(2005)の KRP モデルとの類似理論としても捉えることができる。また、SECI モデルとの対

応で言えば、内面化の後にさらに概念の再体系化―拡張された表出化から連結化のプロセスと表 現すべきであろうか―のプロセスが繰り返されている点でユニークなものとなっている。

一方、6 眼インターアクションの観点では、本サイクルはデジタル・アナログ眼インターアクショ ンが示唆されている。問題は、デジタル眼では矛盾として、アナログ眼では葛藤として認知される。

このことは、Bateson(1972)の示したダブル・バインドが、言語的なメッセージと同時に伝達される 非言語的なメッセージの相互作用―例えば、愛しているよと言いながら息子を抱きしめる母親の手 が緊張のため小刻みに震えている―から生じると仮定されていることからも容易に推測できる。

Engeström(1987)は、ダブル・バインドの例として、マーク・トウェインによるハックルベリー・フィン の冒険―トム・ソーヤーの友人であり本小説の主人公であるハックが粗暴な父親から逃げ出し、同 じく逃亡奴隷のジムと一緒に筏で旅をする物語―の一節を引用しているが、この例は同時にアナロ グ・デジタル眼インターアクションが働いた結果として準拠枠の変容が起こったことを示す好例にも なっている。以下は、ハックがジムを、当時の法律に従ってジムを密告するべきか否かで思いつめ、

結果的にチャンスを逸してしまい考え込む一連のシーンである(下線は筆者によるもの)。

「ジムは、もうすぐ自由になれると思うと、からだじゅうがガタガタ震えて熱病にかかったみてえだと言った。

じつを言うと、おらのほうでも、ジムがそう言うのを聞いて、からだじゅうがガタガタ震えて熱病にかかった みてえになった。だって、ジムがもう少しで自由になるってことが、はっきり分かってきはじめると―それは 誰のせいだ?おらにきまっているじゃねえか。おれはそれで気がとがめて、どうにもこうにもならなかった。

(中略:チャンスがあったにも関わらずとっさに嘘をついてしまい密告は失敗に終わる)おらは筏の上へ戻 ったが、いやな気分で元気がなかった。だって、自分でもまちがったことをしたのがよく分かっていたし、

正しいことをしようとしてもおらにはできねぇと思ったからだ。小さいころのやり始めが正しくなかった者は、

もう見込みがねえんだ―いざという時に支えになって、最後までやりとげさせてくれる後ろ立てがねえから、

負けちまうんだ。それからおらは、ちょっと考えて、待てよ、とひとりごとを言った。―かりに、正しいことをし て、ジムを引き渡したとしたら、今よりいい気分になっていただろうか?そうはならねえ。いやな気分だろう

(筆者注:アナログ眼)。―今と全然同じ気分だろうよ。それじゃ、せっかく正しいことをやろうとしたってな んの役に立つ?正しいことをするほうが骨が折れて、まちがったことをするほうが骨が折れねえで、しかも 報いは同じならば?(筆者注:デジタル眼)おれは、ぐっとつまって、それに答えられなかった。そこでおら はそんなことでくよくよするのはもうやめにしてこれから先はいつでもその時にいちばんやりやすいことを やろうと思った。(筆者注:アナログ・デジタル眼インターアクション)」(訳〈上巻〉164, 171-172)

以上の検討により、拡張的学習では主体・客体眼、過去・未来眼、アナログ・デジタル眼インタ ーアクションすべてが示唆されていると言えるだろう。しかしながら、拡張的学習においては各眼が 複合軸として捉えられているわけではない。例えば、過去意識は歴史そのものであり、そこに未来 眼が入り込む余地はない。同様に未来意識は“歴史的な新しさ”が協調され、過去眼が入り込む余

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地はないであろう。このことが、本理論の限界であると考えられる。