第2章 千人針の全国的展開とその終焉
第5節 宗教による千人針の受容と展開 第1項 戦時下の宗教活動について
昭和 12 年(1937)7 月 7 日の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発。それとともに 国内では国民精神総動員運動が始まる。戦時体制の強化として「神社・皇陵の参拝」が義 務化され、「出征兵士・英霊・傷痍軍人の送迎」が積極的に行われるようになった。こう した状況の下で、国家神道を中心に武運長久が祈願され、他の宗教でもその点に配慮しな がら同様の活動を行った。
西村明は、戦時下の宗教界の状況について宗教学の立場から千人針との関わりついてま とめている。西村は、昭和5年(1930)に創設された日本宗教学会の学会誌『宗教研究』
に登場する戦争研究について触れ、昭和 14 年(1939)に記された濱田本悠「日本宗教の 現代的問題」では、当時の戦時状況における戦争と宗教の関わりの深さを示す事例として 一方で「千人針」や「弾除け」祈願が取りあげられていることを指摘している(1)。
濱田は、「千人針」行事が運針などをめぐって戒律やタブーといった宗教儀礼の特徴 を兼ね備えていることを指摘し、しかし、それが誰かの創出によるものではなく、自 然発生的なものであって、戦時雰囲気のもつ原始性と通底する性格であると論じる。
さらに引用部に続けて、戦時に多用された「お守り」「お札」などのなかには神霊の 観念を伴わない場合もあり、それらは「魔術magic」、巫女的考案に基づく「魔除け」
の性格を残存させたものであるが、「不動や清正公の神観念」といった宗教観念に結 びついている部分を有すると指摘している。したがって、濱田がここでおこなってい る議論は、進化主義的な宗教学説を用いながら、「千人針」という戦時下の社会現象 を宗教性のひとつの現われとして読み解いていくものであったと言える。
このように戦時下に突如として当然のものとして流行していた千人針に対して、宗教界は 単なる俗信として排除できない状況であったことが分かる。それぞれの宗教界は何とか理 屈を付けて千人針を位置づけようと様々な解釈で千人針を捉えようとした。
第2項 神社祭祀に見られる千人針祓
ここでは、民間で生まれた千人針の習俗と神社との関係を見ていく。千人針を神道がど のように受け入れたかを見ていく為に、「祝詞」と「千人針祓の実態」の2つのポイント に絞ってみていきたい。
一つは、祝詞である。千人針祓を行い、それに魂を込める為には祝詞が必要となる。基 本的には、神社神主の判断で、オリジナルの祝詞を上げることが一般的であるが、虎の巻
(1)三崎民樹編『戦時祝詞集』水穂会、明治 37 年(1904)12 月発行。山内祀夫『続新撰祝詞集上下 二巻』西濃印刷会社出版部、大正5年(1916)3月。
として、祝詞の例文集のようなものが発売されている。日露戦争の頃のものからいくつか の祝詞を確認した(1)が、千人針習俗についての祝詞が出てくるのは日中戦争以降であっ た。昭和12年(1937)11月1日発行の『新釈戦時雑祭祝詞集』(明文社)の「凡例」に、
当時の状況が記されている。
事変下に於ける神社程、あらゆる意味に於て、国民の中心をなすものは、他に無いで あろう。大命を蒙むるや、先ず拝するは自家の神棚であり、村の氏神である。鎮守の 森に欲する見送りの万歳は、やがて北支に南支に強敵を殱滅し堅陣を屠って揚げる万 歳のそれである。
今度会うのは九段坂靖国神社でと、笑って死地に就く勇士達や、内に在って老いたる 父母や、あどけない子供が合す両の手に、日本民族は永久に栄え永遠に生きるのであ る。
此の重大な意義を持つ神社に、身を以て奉仕される神職諸賢へ、全国各地に於て極く 最近、而も厳かに執行われた数々の祭典に、誠心こめて天神地祗に献げられた、数々 の祝詞を編纂して贈る。蓋し無意味な事ではなかろうと確信する。
この祝詞集は、「天之巻 軍事篇」「第一章 国威宣揚・戦勝・武運長久祈願に関する祝 詞」に十三の祝詞が挙げられ、「第二章 応召・出動・凱旋に関する祝詞」の十六の武運 長久を中心とした祝詞のなかに、「千人針修祓詞」(小泉清治)と「出征奉告千人縫祈願 祭祝詞」(厚見正秀)の二つの祝詞が紹介されている。
事例55)「千人針修祓詞」(東京)村社大鳥神社社掌 小泉清治
掛巻モ畏キ□□神社ノ大前ニ、 恐ミ恐ミモ白サク。無 道仇ノ軍ヲ打攘ヒ討チヲ鞫ムト、
カケマク カシコ オホマヘ カシコ マヲ アヂキナキアタ イクサ ウチハラ ウ キクメ
大 命 戴 持チテ、戦 場ニ出立向フ御 軍 人ニ、禍事在ラセジト細 矛千人ノ人ガ、針先ニ心
オホミコトイナダキ モ イクサノニワ イデタチムカ ミ イクサビト マガコト ア クハシホコ チ タリ ヒト ハリサキ ココロ
ヲ籠メテ縫ヒニ縫ヒ結ビニ結ビテ取造レル、此ノ腹帯ヲシ身ニ著ケム 某 ニ霊幸坐シテ、身 健
コ ヌ ヌ ムス ムス トリツク コレ ハロ ビ ツ ナニガシ サ チ マ ミ スコヤカ
ニ病ヤマシキ事無コト ナクキズツ傷ク事無コト ナク、 服マツロハヌ仇アタヲ事向コト ムケ、目出度メ デ タク勤イノシクカヘリゴトマヲ報 命白サシメ給タマヘト、 恐カシコ
ミカシコ恐ミモ乞祈奉コヒノミマツラクト白マヲス。(昭和12年(1937)9月)
事例56)「出征奉告千人縫祈願祭祝詞」(石川)県社安江神社社司 厚見正秀
掛マクモ畏キ安江神社大前ニ、 恐ミ恐ミモ白サク。 畏キヤ吾ガ天皇 命ハ、常ニ刈菰ノ乱
カケ カシコ オホマヘ カシコ カシコ マヲ カシコ ア ス メ ラ ミコト ツネ カリゴモ ミダ
レニ乱レタル、支那国ヲ思ホシ憂ミ給ヒテ、安ク正シキ国ニ阿奈々比 導キテ、倶ニ共ニ安国
ミダ シ ナ ノ クニ オモ ウレタ タマ ヤス タダ クニ ア ナ ナ ヒ ミチビ トモ トモ ヤスクニ
ノ幸国サキクニト在アリ隆サカエム事コトヲ、深フカク遠トホク思オモホシ慮ハカリ給タマヒテ有アリシニ、如何イ カナレバカモ屡々 盟シバシバチカヒヲ戻モドキ、 彼方此方カ ナ タ コ ナ タニ我アガ国オホホミタカラ民ヲ傷害イ タメ、我アガ商業ヲ損ソコネ、今度又北支那コ タ ビ マタ キ タ シ ナニ皇軍ミイクサヲ軽カロシメ奉マツリシカバ、 今ハ黙止有ルベキニ有ラズト、醜メキ仇ノ軍 討罰メ給フ大皇 軍ヲ進 給ヒヌ。此ヲ以チテ御氏子
イマ モ ダ ア ア シコ アタ イクサウチキタ タマ オ オ ミ イクサ ススメタマ ココ モ ミ ウ ジ コ
ナル何某イ、大君ノ醜ノ御楯皇国 守ノ 兵 ト徴サエテ、此ノ 戦 ニ出征ムトスルニ依リテ、大神
オホキミ シコ ミ タ テ ミ ク ニ マモリ ツハモノ メ コ タタカヒ イデタタ イ オホカミ
ノ高キ広キ恩 頼ヲ蒙 奉ラムト、今シ大前ニ参上リ、禮代ノ物 捧 奉リ 拝 奉ル状ヲ、平ケ
タカ ヒロ ミタマノフユ カガフリマツ イマ オホマヘ マイノボ イヤジロ モノササゲマツ ヲロカミマツ サマ タヒラ
クヤスラ安ケク聞食キコシメシテ、大神オホカミノ高タカキカシコ畏キ大御稜威オ ホ ミ イ ツヲ幸 給サキハヒタマヒテ、大御 璽オ ホ ミ シルシヲ持斎モチイツキ斎 奉イツキマツリ、又又マタ
日本魂魂籠ル千人ノ女ノ五百針・千針ト、針ノ運ノ一ツ一ツニ仇ノ徒弾中ラジト、固キ強
ヤ マ ト ダマタマコモ チ タ リ ヲミナ イ ホ ハ リ チ ハ リ ハ リ ハコビ ヒト ヒト アタ アダタマアタ カタ ツヨ
キ信念ヲ籠メテ、縫ヒ結ビ結ビ止メタル此ノ白木綿ヲ、身ニ多斯ニ取付ケ取帯ビテ出征ツ随ニ、
オ モ ヒ コ ヌ ムス ムス ト コ シ ラ ユ フ ミ タ シ トリ トリ オ イ デ タ マニマ
身 健ミ スコヤカニココロツヨ心 剛ク、病ヤマシキ事無コト ナク傷付キ ズ ツク事無コト ナク、醜シコノ仇等アタドモニ伊向イ ム カヒテハ速(スミヤ) 速スミヤケク討罰ウチキタ
メ攘退ハラヒソケテ、武タケキ雄々ヲ ヲシキイサヲシ功 ヲ立タテ、高タカキカグハ芳シキ名ナヲ顕アラハサシメ給タマヒテ、 畏カシコキ天皇 命ス メ ラ ミコトノ大御オ ホ ミ 任 任ニ対ベ奉ラシメ給ヘト、 恐ミ恐ミモ白ス。(昭和12年(1937)9月)
ヨサシ コタ マツ タマ カシコ カシコ マヲ
※一部漢字表記をカタカナ表記に変更した。以下、同様である。
また、昭和 13 年(1938)7 月発行に河野鐵憲著『支那事変戦時祝詞選集』が刊行されて いる。この中には、数々の出征兵士祈願の祝詞が収録され、千人針習俗についての祝詞も 三つ掲載されている。
事例57)「千人針弾丸除祈願祭詞」
掛巻クモ畏キ。某神社ノ大前ニ白サク。 邪ク曲レル支那ノ仇共ノ。近 頃ヨリ弥志久志久ニ
マヲ キタナ アダドモ チカキコロ イヤ シ ク シ ク
禍禍業凶暴ク成行ケバ。皇 軍ヤ出征シテ打鎮メムトシテ。今度出征ト軍 人氏名イガ国 民
マガワザ タ ケ スメミイクサ イデタタ コ タ ビ イクサビト オホミタカラ
ノ清キ明キ至誠マゴコロノ心籠メシ千人縫チ ビ ト ヒノ弾丸除ノ御守帯ミマモリオビニ。皇神等等スメカミ タチノ伊豆神璽神依ミ タ マ カム リシズマリマシ鎮 座
テ。頑 狂 醜クナタフレシフノ禍弾丸剣太刀マガ タ マ ヲ攘ハラヒ退ソケテ打寄ル事无ナク。 諸 病 煩モロモロヤミワヅラヒニ罹ル事无ク。伊加志イ カ シ
ノ神魂ト身健ニ心剛ク守リ幸ヘ給ヘト白ス。
ミ タ マ サキハ
事例58)「千人針弾丸除御守帯遷霊詞」
此ノ千人縫ノ御守帯ニ。皇神等ノ神霊。神依リ鎮リ坐セシ白ス」(心中にて祈念する。
これを終って、「ヒ、フ、ミ、ヨ、イ、ム、ナ、ヤ、コノ、トヲ、モモ、チ、ヨロヅ」
とヒフミの神歌を三唱すべし。)
事例59)「弾丸除祈年祭式作法」
千人針弾丸除には、予め結目のある表の布に「□□神社武運長久弾丸除之神璽」とか
「□□神社武運長久祈願御守」などと書き、神璽の印を押し、氏名を傍に書くべし。
□行事作法
先著床。(千人針、神饌、祭員、参列員の順に払うべし。)
次千人針、並ニ神饌ヲ案上ニ奉ル。
次祝詞ヲ奏上ス。
次遷霊詞ヲ心中ニテ祈念し、ひふみノ神歌ヲ三唱ス。(斎主、祝詞奏上を終りて直 ちに行うべし。この間、警蹕)
次千人針、神饌ヲ撒ス。
次千人針ヲ授与ス。
次退下。
これらの祝詞を使い、千人針祓がどのように執行されていたかを、宮崎神宮所蔵の神社 日誌をもとに見ていきたい。