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千人針と多様なメディア

第2章 千人針の全国的展開とその終焉

第2節 千人針と多様なメディア

千人針が広く普及し、その由来についても古くからのものであるとされるなど、日中戦 争期における千人針の流行が定着していく。こうした状況に呼応するかのように舞台など では千人針をテーマに演じられるようになる。

1、演劇

昭和12年(1937)7月30日付の『京都日日新聞』『東京朝日新聞』に、「ラヂオドラマ

“銃後の人々”」が紹介されている。「涙ぐましい愛国千人針・事変風景、東京新派総動 員で綴る名篇」、田島淳作・演出とあり、あらすじが紹介されている。夜 8 時から全国で

(確認すること)放送されたようである。

また、昭和12年(1937)8月15日付の『大阪時事新報』『神戸新聞』『京都日出新聞』

『東京朝日新聞』に大阪の道頓堀中座で開催された「舞台劇 千人針」が紹介されている。

茂林寺文福作・尾崎倉三脚色の「松竹家庭劇」とある。

2、小説

日露戦争以来、行われてきた千人針風景を扱った小説にも登場してくる。例えば、小説 家・宮本百合子はいくつかの小説に千人針風景を描いているが、その一つ「築地河岸」(『新 女苑』昭和12年(1937)9月号)をここで紹介する。

視線の先は駅の入口で、そこには乳呑子を背負った二人の中年のおかみさんが、必 死の面持で通行人をつかまえては、鬱金木綿に赤糸で千人針をたのんでいるのであっう こん た。

「一人だっておんなじ人が縫ったら駄目になっちゃうっていうんですもの――」

その女学生たちは、ゆきに同じ処でそのおかみさんの千人針を縫ってやったものら しい。帰りに同じひとがまだいる。又たのまれたら二度一人が縫うことになるし、断 れば信じまいと、真面目にこまっているのであった。七月このかた、市中の人出の多 いところは到るところで千人針がされていた。(中略)

赤坊を背負ったおかみさんは、気のたかぶっている眼の端に道子の来かかる姿をと らえると、自分の手を持ちそえて一人の若い女に縫って貰っている最中だのに、「あ、

ちょっとすみませんが願います」と気ぜわしく呼びとめ、前のひとが赤糸の丸をしご く間ももどかしそうに、「おねがいします」と二足ばかり小走りによった。道子は、

ハンドバッグを腋の下へ押えこんだ不自由な手頸の動かしかたで縫いながら、「御主 人ですか?」と訊いた。「ええ、そうなんですよ、あなた。子供が三人いるんですよ」

真岡の袂でのぼせあがっている顔をふきながら、おかみさんは、「すみません」と礼 を云った。(中略)

道子の働いている医療機械雑誌関係の用で、或る外科の大家を訪問したとき、時節 柄千人針の話が出た。千人針を体につけていて弾丸に当ると、弾丸はぬくこ とが出 来ても、こまかい糸の結びの目と布とが傷の内部にくいこんで危険だということであ

った。人間の腕力だけでふるわれた昔の素朴な武器にふさわしいそう いうお守りを、

今日もやっぱり縫って、せめては身につけて行かせようとする家族の心持というもの が、道子に惻々と迫って来て、それがただ心持の上だけのも のとなっているだけ一 層切ない街上の風景なのであった。

全国の街頭・駅・百貨店・学校など人々の集まる場所で行われた千人針風景。小説家にと って、開戦当初の町の雰囲気を切り取るにはよい題材だったのであろう。宮本百合子はこ のほか「三月の第四日曜」(『日本評論』昭和 15(1940)年 4 月号)などに千人針のエピ ソードを盛り込んでいる。

3、浪花節・落語

また、世相を表す分野としては、講談や落語がある。先に日露戦争後の千人針という言 葉の管見の所の初出が教育講談『愛国心千人針』であることを紹介したが、その「愛国心 千人針」と関係すると思われるレコードがある。

○浪花節「愛国心千人針」(1~4)(二代目天中軒雲月、テイチクレコード)

『演芸レコード発売目録』(国立劇場芸能調査室編、平成 2年(1990))によると昭和 11 年(1936)1月となっており、発売はその前年頃と思われるが、昭和12年10月2日付『大 阪時事新報』にレコードの宣伝広告が掲載されている。内容は日露戦争に出征する息子に 弾丸除けの腹巻きを渡すが、息子は戦地で死ぬ覚悟で出征することを母に言い聞かせる内 容となっている。先の早川貞水作の教育講談をもとに上演したものと考えられる。日中戦 争を前にしてすでに千人針を世に知らしめる役割を果たしていたと考えられよう。

この他、浪曲余興として、時局都々逸というレコードも販売されている。

○浪曲余興「時局都々逸(千人針)」(歌・宮川左近、アサヒレコード)

講談や浪花節が戦争時期に流行するのに対して、落語は不謹慎であるとして、一部の演 目を噺塚に封印した。落語の内容も時局に合わせた新作落語が作られた。昭和12年(1937)、

秋風亭痩語楼が「千人針」と題して『家の光』に新作落語として掲載しているが、この秋 風亭痩語楼については素性が不明である。また、昭和14年(1939)の『週刊朝日』には、

古典落語・新作落語を両方扱う名人・三遊亭金馬も「千人針」を落語化している。ちなみ に三遊亭金馬による落語「千人針」はSPレコードとして販売もされた。

新作落語「千人針」秋風亭痩語楼(昭和 12 年(1937)11 月 1 日発行『家の光』)

(前略)

大 雑巾ぢゃないよ。千人針だよ。うちの倅も近い内に出征するから縫ったんだが、

なおここの真ん中のところへ、寅年の男の人から五銭玉を縫いつけて貰うと、余 計きき目があると聞いてね。

熊 どういうお 呪 いですかい。まじな 大 つまり、四銭(死線)を越える。

熊 なある程。

大 五銭玉がなかったら、十銭玉でもいいよ。

熊 と言うと。

大 九銭(苦戦)を越えて、実戦に勝つがな。

熊 うまいな、大家さんは。いっそ落語家になった方がいい。は な し か

大 人から聞いて来たんだよ。誰でも縁起は担ぐもんだ。そのつもりで一つ縫いつけ ておくれ。

熊 よし、引受けた。ほかならぬ大家さんの頼みだ。

大 いやに恩に着せるね。だが、家賃は棒引にしないよ。

熊 チェッ、がっちりしていやがるんですね。おや、清正公様(せいしょうこうさま)

のお名前が書いてありますね。

大 清正公様は軍神だ。わざわざ今朝芝の清正公様まで行って、いただいて来たんだ よ。

熊 なるほど。益々虎に縁があるね。そのつもりで、あっしも真心こめてーーぢゃ、

五銭玉でも十銭玉でも出して下さい。

大 ところが、その金は縫ってくれる本人が出してくれないと、きき目が無いんだ。

熊 いよいよがっちりしていやがらあ。あっしが出すんですかい五銭玉を。

大 済まないが、出してくれ。これも倅のためだ。いや、国家のためだ。

熊 やれやれ、仕方がない。たった一つよりない五銭玉だが、国家のためだ。献金し よう。お陰で晩のおかづの豆腐が買えなくなる。

大 そのかわり、お礼にこっちから、五十銭あげるよ。だったら、いいだろう。

熊 有難い。そう来なくっちゃ嘘だ。そんなら一杯飲める。こんなことなら、ちょく ちょく頼みに来て下さい。(後略、筆者)

三遊亭金馬「千人針」(昭和14年(1939)1月号『週刊朝日』)

(前略)

「それからお前さん、これも持ってっておくれ」

「何んだい、この長いゾオキン見たいな物は」

「馬鹿だねーそれが千人針の腹巻だよ」

「おれのか」

「当り前さ、丁度あたしが酉年だから縫って貰ったんだよ」

「アア有難い有難い、ふだんからお前は不精だから、俺れの腹巻なんか出来やーしね ーと思ってたんだ、持つべきものは女房とコウモリガサだよ」

「へんなものと一緒におしでないよ」

「それにしてもおかしいな、千人針は寅年とかぎったものだが何んだって酉年を選ん だんだ」

「だってお前さんが飛行隊だもの」

(1)『キネマ旬報』624号、キネマ旬報社、昭和12年(1937)101日、p.175。

(2)『キネマ旬報』628号、キネマ旬報社、昭和12年(1937)1111日、p.98。

文字化されたものだけでなく。当時はこうした千人針風景は落語家のネタとなっていたこ とであろう。

4、映画

さまざまなメディアに千人針は、題材として取りあげられているが、多額の予算のかか る、しかし影響力のあるメディアとして映画がある。一般的には知られていないが、最も 古いカラー映画として昭和12年10月に映画『千人針』が封切されている。

荷船の船頭佐伯正太郎と許嫁のお芳とは秋にはいよいよ結婚と結った折も折も、北 支事変突発、正太郎に召集令が下る。祖母は千人針を街道に、然し祥太郎には今は何 処にか姿をかくした母がある。出征には是非一目遇つて行きたいと思ふ時その母は今 は実業家高杉家に嫁し一女がある。母は正太郎を訪れたが義理堅き祖母の為めに帰へ される。母と呼ばれ子と呼びたい親子が世の義理故に泣いた。然し情ある人の為めに 幸福になれる時が来る、いよいよ出征の日高杉に許され祖母も許しお互に母と呼び子 と呼んでいさぎよく出征する。(1)

詳細については『キネマ旬報』628号を資料としてみていくこととする。(2)

製作・配給:大日本天然色映画社、脚色:佃血秋、監督:三枝源次郎、撮影:漆山祐茂、

主演:井松之助、封切10月21日・浅草電気館。

大日本天然色映画社の第三回作品で「一太郎やあい」式の時局物語を五巻にまとめた 小品ではあるが、先づ色彩的に第一回作品の「月形半平太」より著しく改善せられて 二色プロセス・システムに依るものとしては相当効果的の色彩を出せる様になった事 を挙げねばなるまい。殊に上写に於ける場合は非常な好い調子を出して居るが、ロン グになると依然鮮明をかく憾みがある。

然し色彩的には斯様に一段の進歩を見せては居るが此作品に於ける映画構成は依然 幼稚で全体に間延びのした作品にしか仕上って居ない事は、今後の発展に支障を来す 事でもあるから色彩の改善と併せて映画構成にも力を注がねば此社の色彩映画はその 存在すら到底望めまいと思う。

玄人の筈の三枝源次郎も色彩撮影に捉われて更に精細なく、素人の役者に大写の長 いアクションを与えたり必要以上の色彩表現に長々しい場面を多く挿入するなど総て 色彩撮影の機械に動かされる彼と見るより外はない。

俳優は澁澤靜子、若松文男の外は殆んど無名の俳優ばかりであるがその割には出来 がよく老婆役などおぼつかない途切途切の台詞が返って実感を出て得て居た。

この映画フィルムは、日本には現存せず、ロシアのフィルム保管施設で発見された。この 事実は、「戦争と平和を見つめるNHKスペシャル」において、平成15年(2003)8月14