• 検索結果がありません。

第 3 章  窰洞四合院の空間構成と各棟の特徴

3.1 四合院の概要

3.1.1 四合院文化の発展

 中国では、壁や建物で囲まれた空間が「院」或いは「院子」と言われ、人の活動が行わ れる場所とされている。「庭」と「院」を連続で書いて「庭院」は、住居棟や壁で囲まれた 生活活動に使う空地のこととされる。「南史 • 陶弘景伝」では「特爱松风,庭院皆植,每闻 其响,欣然为乐」は「庭院」について最初の記録である。現在発見した一番古い庭院は夏 時代に建設された「河南偃師二里頭一号宮遺跡復元図」であり、今まで 3800 ~ 3500 年の 歴史がある ( 図 3-1)。

西周時代に建設した陝西省岐山鳳雛村は最初の四合院として知られ、現在まで 3000 年前 後の歴史がある注 2)。それは、二つの中庭を持っている「二進四合院」であり、「前院」は 宴会や祭りなどが行う場所であり、対外的な意味が強く、「後院」は家族の居室である ( 図 3-2)。四川省で発見された絵画から東漢時代の四合院は主に「房」と「廊」で構成されて いたことがわかる。防衛上の配慮があるため、高く建てられた「望楼」の建設も見られる

米脂県では、中華人民共和国の建国以前に建設された木造・煉瓦壁の建物を「房 (Fang)」

あるいは「房子 (Fang zi)」と呼ぶ。

参考文献 12 の内容による。

注 1)

注 2)

( 図 3-3)。魏晋と唐時代になると、四合院型式の宮殿、廟、官僚と商人の住居が建設された。

敦煌の壁画では、四合院の型式が発展され、いくつかの類型があったことがわかった。

 宋、元時代から、「前堂後室」が四合院の基本的な平面構成となり、堂は接客、宴会など を行う場所であり、室は居室や厨房など家族が使う部屋とされる。元時代の北京では、胡 同制注 3)のもとに大家族が居住する四合院が多く建設された。明時代と清時代になると、四 合院型式がさらに発展し、地域によって特徴的な型式が形成され、現存している四合院の 多くはその頃に建設されたものである。

 米脂古城の四合院はある時期集中的に建設されたものではなく、建設技術と経済の発展 に伴って、徐々に形成されたと考えられる。宋時代には、米脂県は遊牧民族の支配地域と 隣接していたため、軍事防衛上重要な地域であった。明時代にはタタールとの戦争が多発 したため、米脂県北側の地域は軍隊の駐屯地であった。古城内にある「高家大院」や「高 将軍宅」は全て明時代の名将高氏の後裔が建設したものとされる注 4)

図 3-3 漢時代の四合院 ( 東漢画像磚の合院 ) 図 3-1 河南偃師二里頭一号宮遺跡復元図 図 3-2 鳳雛村四合院復元図

図 3-5 「千里江山図」の四合院 図 3-4 魏晋と唐時代の四合院

( 敦煌壁画の四合院 )

元大都は皇帝の宮殿を中心に配置され、道路は幹道と胡同に分かれ、幹道の幅は約 25m、胡 同は 6 ~ 7m。胡同は主に東西方向であり , 胡同の間をさらに分割して住宅地とした。

注 3)

3.1.2 他地域四合院の概要

 米脂県古城四合院はどんな特徴を持っているのを明らかにするため、他地域の四合院を比 較する。比較対象として、北京四合院、関中地区の党家村四合院、山西省の平遥四合院を 取り上げる。その 3 地域は米脂県と同じく中国科学院の分類により「温帯季節風気候」に 属し、降水は暑い夏に集中し、冬では寒く乾燥している。都市の規模としては、北京、平遥、

米脂、党家村の順に小さい。建設頃の人口数の記録が見られないが、現在の人口数もその 順に人口が少ない ( 図 3-1)。

 ①北京四合院

 北京城は 3000 年以上記録のある歴史を持ち、13 つ時代の都として知られている。現在で も、中国政治、文化、経済の中心である。

 北京四合院は元大都 ( 元の都 ) のグリッドの都市計画に従い、北京特有の「胡同」に合 わせる四合院が多く建設され、大きな邸宅に相当する四合院が多い。しかし、時代の更迭や、

戦争などにより、現存しているものは主に清時代に建てられたものであり、三進四合院は 基本形とされ、主に木造・煉瓦壁の部屋により構成されている。「座北朝南」注 5)のルール に従い、主な居住空間も北に配置する。北京では庭園を含めて大規模な邸宅が多いが、本 稿ではより小規模の四合院住居を比較事例として扱う。

 ②山西四合院

 米脂県の四合院は山西四合院型式を持ち込んだという説があるため、それを検証する意 味で山西四合院と比較する。山西四合院の代表的な事例として、平遥四合院を取り上げる。

 平遥古城の歴史は現在まで 2700 年前西周まで遡ることができる。周宣王は遊牧民族から 国境を守るため、将軍の尹吉甫が平遥で城壁を建設したと記録がある注 6)。しかし、周時代 の遺跡が現存されなく、現存している城壁は明時代の洪武年 (1368 年~ 1399) に建設され、

清時代に修繕されたものである。中国全土においても、最も保存状況がよく、規模が大き い城壁とされている。平遥古城は 1986 年に全国歴史文化名城に登録され、1997 年に世界文 化遺産に登録された。

 平遥四合院はは明から清時代までに富裕層により建設された住宅群であり、合理的な計

グリッド状の都市において、住宅主な居住空間は北側にあって、南向きに建てる。

参考文献 8 注 5)

注 6)

北京四合院 平遥四合院 米脂四合院 党家村四合院

図 3-6 他地域四合院の位置

図 3-7 他地域四合院写真

画と高い芸術性が研究者に高く評価されている。重要な居住空間は地上式窰洞であり、他 の棟は主に木造・煉瓦壁の房である。持ち主の経済力により、住居の規模も異なり、小規 模の一進院から大規模の六進院までが見られる。

 ③党家村四合院

 党家村は中国陝西省韓城市に位置し、地理的には米脂県と近い。韓城市において、元時 代に建設した古建築は 16 ヶ所あり、明、清時代に建設された住居が多数保存されている。

日中共同研究調査は 1987 年の秋と 1989 年の 5 月に 2 回行われ、党家村四合院住居を対象 として、空間構成から棟の型式や家具の様式などまで体系的に考察した。研究成果として、

日本語と中国語の著書が見られた。

 党家村は韓城市の中心地から北東約 10k m の場所に位置し、黄河から約 3k m である。現在 300 以上の家族で 1400 人以上の村民が暮らしている。村の歴史は元時代の至順 2 年 (1331 年 ) に遡ることができる。最初は党氏が現在の場所に移住してきて、掘削の方法で靠山式窰洞 を作っていた。明時代の末になると、四合院住居が 30 院前後となり、100 人から 200 人が 生活していた。清時代嘉慶年から、商業の発展による収入の増やしが見られ、四合院が多 く建設された。党家村では、小規模な四合院が多く、地上式窰洞が見られなく、全部木造 屋根・煉瓦壁の房により構成されている。