Kyushu University Institutional Repository
中国米脂県古城における窰洞四合院の建築的特徴と 雑院化の意味
王, 夢瑩
http://hdl.handle.net/2324/4474922
出版情報:Kyushu University, 2020, 博士(工学), 課程博士 バージョン:
権利関係:
A Study of the Architectural Features and Multifamily Living Conditions of Yaodong Quadrangle Dwellings in Mizhi Ancient City
令和 2 年度 博士論文 Doctoral Thesis
王 夢瑩
WANG Mengying
中国米脂県古城における窰洞四合院空間構成の特徴と雑院化の意味
王 夢瑩
論 文 要 旨
米脂県古城に関する歴史上の記録は宋時代からあり、一帯には明時代末期以降に建設さ れ、原始的な穴居から発展した靠山式窰洞とそれを地上に構築した地上式窰洞の住居群が 広がっている。地上式窰洞住居の多くは中庭の四周に住棟が配置される四合院形式を持ち、
母屋が地上式窰洞、別の棟が地上式窰洞あるいは木造・煉瓦壁の「房」で構成されており、
本稿ではこれを窰洞四合院とする。当初大家族が住んでいた窰洞四合院では、居住者数の 増加に伴って部屋の増改築が行われ、伝統的な居住様式が解体されてきた。本稿では、社 会の発展に伴って伝統的な住居の所有権が分割され、一家族の利用から数家族の共同利用 へと至る過程を雑院化とする。
中国ではこうした歴史的建築物を保護する制度は整備されているものの、米脂県古城に ついては、特に民家レベルでの基礎的な研究が十分になされていない。歴史的資産の今後 の保存活用を検討するに当たって、この地における窰洞四合院の建築的特徴と意味を理解 し、雑院化してきた現状を分析することが重要である。本研究では、米脂県古城の窰洞四 合院について、歴史的な成立経緯、空間構成、構造、構法、環境特性といった建築の持つ 特徴を明らかにするとともに、伝統的な居住形式から現在のような雑院化に至る過程とそ の現代的な意味を明らかにすることを目的とする。
本論文は 7 章からなり、各章における論述の概要は以下のとおりである。
第 1 章では、本論文の背景と先行研究の検討を踏まえた本研究の位置付けと目的を述べ、
さらに調査地域の概要、調査と研究の方法について述べた。
第 2 章では、米脂県古城の歴史、窰洞住居の発展過程と米脂県窰洞四合院の成立について 考察した。建築された時代や住居の平面構成と窰洞の構造から、住居型式を 4 つに区分した。
山の斜面を利用する靠山式窰洞住居は、明時代から石を主な構造材とする地上式窰洞とな り、明時代末から商業地としての街の発展に伴って小規模な窰洞四合院が建設された。そ こから清時代、中華民国時代にかけて裕福な商人の住居として多くの窰洞四合院が建設さ
れて街を形作ったが、中華人民共和国の建国以後、四合院は建設されなくなり、代わりに 単位が所有する一列の煉瓦造窰洞が建設された。こうした窰洞住居は、時代とともに孔の 形や大きさが規格化され、壁が薄くなって空間が効率的に確保できるようになってきた一 方で、孔の間口や大きさ自体には大きな変化がないことを指摘した。
米脂県のある陝西省に隣接する山西省平遥では、北京などの四合院形式を取り入れた窰 洞四合院建築が明時代から建設されていた。明時代末から米脂と山西省との交流が盛んに なり、山西の職人が四合院の技術を伝えていたことから、本事例は平遥を先例としていた と考えられる。四合院の平面構成は山西のものと大差はないものの、本事例ではより窰洞 棟が用いられる割合が高い。これは米脂の気候がより寒冷なこと、周辺に森林が少なく木 材の利用が困難だったことが関係している可能性を指摘した。
第 3 章では、他地域四合院との比較を通して、米脂県窰洞四合院の空間構成の特徴につ いて考察した。窰洞棟は蓄熱性と耐久性が高く持続的に利用できるという特徴があり、住 民はそのことを昔も今も強く意識していたことを指摘した。米脂の窰洞四合院では、最も 奥側に家族の長の住居である主窰、中庭の両側に庁窰、手前側に庁房 ( 窰 ) が置かれる。
家族の長幼の序を平面に反映する点は他の四合院と同様だが、一般には倒座棟と呼ばれる 手前の棟が主に使用人の居室や倉庫として使われていたのに対して、本事例では庁房 ( 窰 ) 棟と呼ばれ、行事などで人が集まる場所、先祖を祀る場所として使われていたことは特徴 である。また、米脂県の都市規模は北京と平遥より小さく、窰洞四合院も 2 進までの小規 模なものであり、現在はほとんど 1 院につき 1 つの中庭があることが認識されている。
第 4 章では、構造、構法と環境性能の視点から、四合院を構成している各棟の型式を分 類した。古城四合院の棟の型式には屋根まで石と土で作られた窰と主に煉瓦壁と木造屋根 で作られた房がある。窰は孔が平行に並ぶ独立孔型と孔が交差して大きな空間が取れる交 差孔型に分けられる。房は奥に小窰を設置する小窰+煉瓦造型と煉瓦造型に分けられる。
小窰+煉瓦造型は道光年以後に建設された他地域には見られない型式であり、棟の一部を 断熱性能の優れた窰洞にし、一部を広い空間が取れる木造・煉瓦壁にした両者の利点を生 かしたものだと考えられる。
第 5 章では、四合院の多世帯共同利用の実態について考察した。1948 年に行われた土地 改革を機に四合院の所有権が分割され、1 家族の住居は数家族共同で居住することとなっ た。1990 年代以降には、家族人数の減少に伴う住居の賃貸化が始まり、現在では居住者の 約 3/4 が賃貸世帯である。8 割以上の院においては所有権も分割されて多世帯が共同で所有
居住者属性で特に目立つのは、子供を街の学校に通わせるために一時的に居住している周 辺地域の住民である。結果として各室を個室空間として、便所、水道、中庭を共用するシェ アハウスのような使われ方をしていると言えることを指摘した。また、一部で中庭に壁や 入り口を設けて院子を分割した事例も見られたが、中庭を囲んだ共同体という伝統的な型 式自体が崩れつつある大きな課題として指摘した。
第 6 章では、米脂四合院の雑院化の増改築過程を考察した。1990 年以降は、便所や厨房 の設置などによる生活環境の改善や賃貸化を目的とする多くの増改築が行われたが、2008 年に歴史的地区として登録されて以降、増改築は禁止されている。窰洞を他の建築形式に 建て替えた事例は見られず、基本的に木造・煉瓦壁の房を R C 造の平房に建て替えている。
この結果は前章で述べた住民の窰洞に対する高い評価と愛着を裏付けている。雑院化の状 況を他地域と比較したとき、木造・煉瓦壁の北京四合院では、改修が容易なために 1 室の 増築や空間を細かく分けることが多いが、本事例の窰洞では空間をさらに細かく分けるこ とができず、1 孔の窰洞が生活空間の最小単位として使われてきたことが特徴的である。厚 い石と土でできた窰洞は独立性が高いため、ワンルームマンションのような現代的な使い 方に図らずも適合していることを指摘した。
第 7 章では、各章での成果をまとめて結論とし、特に窰洞の居住性と歴史的なイメージ が現在でも住民に評価されていること、また強固で安定した構造と明確な空間単位が偶然 にも核家族化と個別化が進んできた現代社会に適合していることから、今後の窰洞四合院 の保存活用にあたっても、現在形作られているコミュニティを維持しながら保存活用の計 画をすることが可能であると指摘した。
第 1 章 序論
1.1 研究の背景
1.1.1 黄土高原の概要 1.1.2 窰洞の分類と分布 1.1.3 窰洞住居の現状 1.1.4 四合院と雑院化の定義 1.2 既往研究の総括
1.2.1 中国の研究 1.2.2 日本の蓄積 1.3 研究の目的 1.4 研究地域概要 1.4.1 米脂県の立地 1.4.2 米脂県の気候
1.4.3 米脂県の自然資源と災害 1.4.4 米脂県の経済構成
1.4.5 米脂県古城を研究対象とする理由 1.5 研究方法
1.6 論の構成 1.7 参考文献
第 2 章 窰洞住居型式の発展過程と四合院の成立
2.1 米脂古城の歴史 2.1.1 古城の空間利用 2.1.2 町の発展過程 2.2 窰洞住居型式の発展 2.3.1 靠山式窰洞 2.3.2 地上式排窰 2.3.3 地上式窰洞四合院 2.3.4 単位家属院
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目次
2.2.5 各類型の窰洞空間の比較 2.2.6 小結
2.3 米脂県窰洞四合院の成立 2.3.1 経済と建築材料の発展 2.3.2 他地域からの職人 2.3.3 山西四合院の影響 2.3.4 小結
2.4 まとめ 2.5 参考文献
第 3 章 米脂窰洞四合院の空間構成
3.1 四合院の概要
3.1.1 四合院文化の歴史 3.1.2 他地域四合院の概要 3.2 米脂四合院の空間構成 3.2.1 四合院の配置 3.2.2 院の構成
3.2.3 各棟の名称と機能 3.2.4 小結
3.3 まとめ 3.4 参考文献
第 4 章 住棟型式の分類
4.1 棟の型式 4.1.1 窰洞棟 4.1.2 房 4.2 各型式の比較
4.2.1 各型式と位置と面積 4.2.2 各型式を建設した時期 4.3 個別事例の考察
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4.3.2 二進四合院 4.3.3 二跨四合院 4.4 まとめ
4.5 参考文献
第 5 章 多世帯共同利用の実態
5.1 雑院化の概要と居住者基本情報 5.1.1 雑院化について歴史的な時期
5.1.2 アンケート調査から見た古城住民の概要 5.1.3 北京市雑院居住者概要
5.1.4 小結
5.2 四合院の所有と利用関係 5.2.1 住居の管理と所有形態 5.2.2 所有と利用の関係 5.3 空間利用の実態
5.3.1 米脂四合院の利用実態 5.3.2 北京四合院との比較 5.3.3 都市部賃貸住宅との比較 5.4 まとめ
5.5 参考文献
第 6 章 雑院化の増改築過程
6.1 米脂四合院の増改築過程
6.1.1 院子の分割とアクセスの変化 6.1.2 棟の建て替え
6.1.3 住棟と物置の増築
6.1.4 厨房と水洗便所の増築及び増設 6.2 北京四合院増改築過程との比較 6.3 まとめ
6.4 参考文献
・・・・・・・・・83
・・・・・・・・・86
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第 7 章 結論
7.1 総括
7.1.1 米脂窰洞四合院建築的特徴
7.1.2 米脂窰洞四合院における雑院化の意味 7.1.3 米脂窰洞四合院増改築の特徴
7.2 考察 7.3 今後の課題
謝辞
資料編
参考論文 参考文献一覧 図表リスト 事例図面
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序論
第 章
1.1 研究の背景 1.2 既往研究の総括 1.3 研究の目的 1.4 研究地域概要 1.5 研究方法 1.6 論の構成 1.7 参考文献
1
第 1 章 序論
1.1 研究の背景
窰洞住居は黄土高原と呼ばれる内陸部乾燥地域における広い範囲に存在している。地域 の自然条件と共生している住居形態が文化財に指定されているものは少なくないが、現代 の生活スタイルに柔軟的に対応できないため、町並みは経年に伴い維持が困難の状態であ る。その状況下でも住居の形や住まい方を社会の需要により変化させ、持続的に利用して いる集落も見られる。本稿ではそのような集落の 1 つ、米脂県古城を対象とし、あそこに ある窰洞住居の考察により、窰洞住居の現代的なあり方を明らかにしたい。
1.1.1 黄土高原の概要
黄土高原の範囲はおおよそ北は万里の長城から南は秦嶺山脈まで、西は賀蘭山から東は 太行山までの地域であり、面積 64.87 万㎢、中国全土の 6.67%を占める注 1)( 図 1-1)。主に 黄土が覆われ、黄土の厚いとことは 200m、薄くても 40m 以上と見られ、土壌は浸食しやすく、
中国国家発展改革委により公表された「黄土高原地区総合整備計画(黄土高原地区综合治理规划大 纲)」 (2010 ~ 2030 年 ) の内容による。http://www.gov.cn/gzdt/att/att/site1/20110117/001e3 741a2cc0e9e318c01.pdf
2019 年 9 月に筆者より撮影した
寧夏自治区海原県関橋村写真。2017 年 6 月に筆者より撮影した 図 1-1 黄土高原の範囲
北京 米脂県古城写真
注2)
寧夏自治区写真注3)
黄土高原
窰洞が見られる地域
注 1)
注 2) 注 3)
水土の流失は極めて深刻している。西北高く、東南低く、標高は 500m から 3000m まで見ら れる。
黄土高原の地形は主に黄土塬、黄土梁と黄土峁に見られる。黄土塬(Yuan) はより広い平 坦な台地であり、「沖溝」という雨水によって浸食された平坦地台地が陥没した溝によって 囲まれている。黄土梁 ( L i a n g ) は帯状に分布する黄土の嶺で、細長い平坦地であり、塬が さらに浸食された地形であり、両側は急勾配の溝である。黄土峁( M a o ) も黄土塬の浸食、
風化がさらに進んできた円形や楕円形の丘陵である。本論の研究対象である米脂県は峁と 峁が挟んでいるところに位置している。
中 国 科 普 博 覧 http://www.kepu.net.cn/virtualex/practicecenter/201001_01_htgy/xingcheng/
図 1-2 黄土塬、黄土梁、黄土峁写真注 4)
1.1.2 窰洞の分類と分布
窰洞は主に中国の黄土高原に分布しており、蓄熱性能の優れた黄土が主な材料であるた め、窰洞住居は「冬暖夏涼」の特徴がある。黄土が柔らかく、掘削が容易であり、乾燥時 には荷重に強い。乾燥過程でセメント状になり表面を保護する役割を果たす。このような 黄土の性質を利用して土を主な構造材としてとする建築は「生土建築」と呼ばれる。掘削 の方法以外、日干し煉瓦や煉瓦と石で作る事例もある。考古学者の研究により、窰洞住居 は石器時代から作った穴居から発展したものであり、より洗練された穴居である。
居住空間と地盤面の関係から、窰洞住居は大きく「下沈式」、「靠山式」、「地上式 ( 独立式 )」
に分類することができる。下沈式と靠崖式が壁面或いは崖面から地中に横穴を穿ったもの であるのに対して、「地上式窰洞」は地上で石、煉瓦、土をヴォールト状に積み上げ、屋根 に土を填充するものであり、断熱、蓄熱性の優れた人工的な穴居である ( 図 1-3)。
注 4)
注 5) 穴を数える単位。1 つの窰洞を 1 孔と言い、1 列に 3 つの窰洞がある場合、「1 列 3 孔」という。
注 6) 地中に穴を掘ってものを蓄えておくところあるいは水を保存するところ。
図 1-3 窰洞の分類
①下沈式窰洞
下沈式窰洞住居は木材や石などの構造材が乏しく、地形が比較的平坦な地区に分布され ている。西安近郊の柏社村では、下沈式窰洞住居の多くは地面に広さ 9m X9m 前後、深さ 5m 前後の竪穴を掘り、階段または斜路のアプローチを設け、それを中庭として四方に横穴を 穿ったものである。1 つの壁面に 2、3 孔注 5)の窰洞を作るのは一般的である。事例の中庭で は、井戸または雨水を収集する水窖注 6)がある。
②靠山式窰洞
靠山式窰洞は山間部に多く見られ、住居が山の等高線に沿ってテラス状に分布される。
テラス部分は前庭でもあり、一段低い住居の屋根とする役割もある。窰洞は補強または仕 上げ材料として煉瓦や石材を使用事例が多く見られる。また、窰洞の前面に石あるいは煉 瓦などの耐久性の高い材料を奥行き 1 m前後のボールトを作り、その上に土を填充し、陸 屋根を作る事例も多い。それは「接口窰」と言い、主に入口が雨に浸食するのを防ぐため である。
③地上式窰洞
構造材により、地上式窰洞を土窰洞、煉瓦窰洞と石窰洞に分けられる。寧夏自治区周辺 の地域では、木材と石材も限られており、土を入手しやすい材料として主に日干し煉瓦で
Ground
Cliffside type 靠山式 Sunken type
Independent type 地上式
31 Yuan YaoDong Siheyuan 窰洞四合院
Single unit 一列 YaoDong
窰洞
Hillside
Ground
Yao dong 地上式窰洞(棟)
1Yuan
1院 Fang
房(棟)
靠山式窰洞 窰洞四合院
下沈式窰洞
下沈式
土窰洞を建設した。米脂県では石灰岩が豊富であるため、明時代から石窰洞を建設してきた。
また、米脂古城で煉瓦窰洞も見られるが、それは、中華人民共和国建国後に赤煉瓦が大量 生産できるようになってから建設したものである。
既往研究にある窰洞集落の位置を図 1-4 にプロットした。窰洞住居各種類の境界線は明 確ではないが、より平坦的な黄土高原南部では、下沈式が多く建設され、山が多い北部では、
靠山式と地上式が多いことが言える。
靠山式窰洞 地上式窰洞 靠山式/地上式窰洞 下沈式窰洞
図 1-4 窰洞の分布
1.1.3 窰洞住居の現状
採光と通風が悪く、水洗トイレ、都市ガスなどの近代設備に対応しにくいため、窰洞住 居は時代の遅れとされ、自然に朽ち果てるところが多く見られる。
旧市街地では、より土地を効率的に利用するため、地上式窰洞を統一開発のマンション に建て替えられた。農村部では、住環境を改善するため、靠山式窰洞と地上式窰洞住居を 対象に、壁面と屋根のメンテナンス、建具の交換の補助金がある。それにしても、近代的 な設備を利用するため、窰洞を廃棄して、R C 造・煉瓦壁の部屋に移住した事例が見られ、
その現象は「棄窰建房」と呼ばれる。また、郊外と農村部とも、「安居房」と呼ばれる政府 が建設したマンションに住民を移住させる事例が多い。
一方で、歴史価値のある窰洞住居を文化財に指定され、観光地としての開発も進んでいる。
米脂県では楊家村、姜氏庄园において、住民は新しい村に移住し、窰洞四合院が建設当初
の様子に復元され、当地の料理と農産物を楽しめる宿泊施設となった。米脂古城も文化財 に指定されたが、調査時点では大規模の開発がされていない。現在既存建物の改修や設備 の導入は可能だが、建て替えや新築はできない注 7)。
1.1.4 四合院と雑院化の定義
中庭を中心に周囲を 4 つの棟あるいは壁で囲まれた住居は四合院と言い、中国伝統的な 住居型式であり、全国に広がっていた。米脂県古城では、地上式窰洞住居の多くは中庭の 四周に住棟が配置される四合院形式を持ち、母屋が地上式窰洞、別の棟が地上式窰洞ある いは木造・煉瓦壁の「房」で構成されているものである。本稿では、その形式の住居を窰 洞四合院と定義し、研究対象とする。現在米脂古城では 260 院の窰洞四合院が見られる。
近年、中国各都市において伝統的居住地区の再開発が進められており、伝統住区の多く は高層のマンションや住宅団地となっていた。それ以外、開発が行われないところにおい て、本来 1 家族が居住していた四合院は、農村や周辺地域からの人口流入と伴い、複数家 族が雑居する「雑院」となってきた。北京では増築した簡易的な小屋は「棚戸房」と呼ばれ、
それが多く増築された四合院は「棚戸区」注 8)と呼ばれる。治安面と衛生面が問題視されて おり、地方政府とデベロッパーは伝統住区の街並み景観整備のための再開発事業が進めつ つあり、住民の立退きや増築物の取壊しを実施ている。
古城においても、1 院あたりの居住者数の増加に伴って、部屋の増改築が行われ、伝統的 な居住様式が解体されてきた。現在では、血縁関係のない数世帯が中庭や便所を共同で利
米脂県十三・五計画の内容により、古城に関する政策は:①水道、道路、電気に関する工事は県政府 から実施する。②古城内の新築と建て替えが禁止されている。③住棟の修繕、設備を導入するための 改修はできるが、元の外観を維持することが必要である。
中国では、不良住宅地区のことを「棚戸区 ( 棚戸はバラックの意 )」と呼ぶ。
注 7)
注 8)
図 1-5 雑院化した四合院
用しながら、一世帯につき一孔の窰 ( ヨウ ) あるいは一つの房 ( ボウ ) に住んでいる事例 が多く見られる。こうした伝統的な住宅地の型式が近代化に伴って変容してゆくことを一 般に「雑院化」と呼ぶが、既往研究での定義は様々である。本研究では社会の発展に伴い、
伝統的な住居の所有権が分割され、一家族の利用から数家族の共同利用と至る過程を雑院 化とする。
1.2 既往研究の総括
中国の窰洞住居については、ドイツ人の B.Rudofsky は「建築家なしの建築」では 4 枚の 写真により世界の建築界に紹介された。「穴居生活は必ずしも文化の低水準を意味するもの ではない」と書いた。窰洞についての研究は 1957 年から見られるが、写真と事例の紹介に とどまっており、1981 年に日本の研究者たちに注目されて以後本格的な研究が進められた。
本稿では、窰洞住居の空間構成、発展過程及び四合院の雑院化について、参考となった既 往研究と著書を以下のようにまとめた。
1.2.1 中国の研究
窰洞については、劉敦楨が 1957 年に出版した「中国住宅概説」1)では窰洞を中国伝統的 な住宅として扱い、その分類と分布を説明した。候続堯が 1989 年に出版した「窰洞民居」
2)では大量な窰洞集落の写真や事例の分析により、中国伝統窰洞建築の類型と分布を明らか にした。1997 年から西安建築科技大学の周若祁3)は近代設備により窰洞住居の住環境の改 善方法に関する研究があり、R C 構造・土屋根の新型窰洞の 182 孔を設計した。伝統型の窰 洞より新型窰洞は採光と通風の状況が改善され、ガスの利用や床暖房の設置も可能となっ た。西安美術学院の呉昊が執筆した「陝北窰洞民居」4)では多くの写真とスケッチを用い、
美学的な視点から、窰洞四合院住居の空間構成、装飾の模様や昔の家具などについて記録 した。また、米脂県政府文史委員会5)により作成した著書も見られ、米脂古城の歴史や地 域住民の生活習慣を記録した。それ以外、農村地域大規模の開発や地域住居の移り変わり により新しい集落を作る事例についての研究は多く見られる。
以上の研究と著書では、いずれも窰洞四合院というこの地域の一時代を象徴する建築の 型式について深く掘り下げてはいない。
四合院については北京四合院に関する著書と研究が多く見られ、本論文は主に「中国民 居建築従書――北京建築」6)の内容を参照する。それは北京工程大学の業祖潤が執筆した ものであり、多くの事例により北京四合院の歴史と空間構成の特徴を明らかにした。また、
米脂県古城と同じく窰洞四合院で構成する集落の平遥古城に関して、天津大学の宋昆7)は 建築計画の視点において、町の集落構成から、四合院の平面構成まで事例の分析を行った。
また、米脂県とは地理的に近く、関中四合院の典型歴な代表となる党家村については西安 建築科技大学の周若祁8)、九州大学の青木正夫らにより、実測と写真により集落構成と四合 院空間構成の特徴を明らかにしたほか、昔の家具や生活様式の分析も行った。
以上のように、四合院に関する研究は他地域において、町の構成から住居の空間構成ま で明らかにしたものが多い。しかし、窰洞が主な様式とする独自な建築文化を持つ米脂県 古城の状況はまた違う。
1.2.2 日本の蓄積
日本では 1981 年から窰洞考察団が地下住居として下沈式窰洞に関する研究が多く見られ る。本研究は主に青木志郎、八代克彦と栗原伸治の研究を参考した。
青木志郎ら9)は昭和 58 年から昭和 61 年まで一連の発表により靠山式窰洞と下沈式窰洞 を主な研究対象として、以下のことを明らかにした。①窰洞の利点は、建築材料をほとん ど必要とせず、特殊な施工技術も不要であるため、家族でも施工できる。地中であるため に夏涼しく冬暖かい。欠点としては、横穴であるために採光が前面出しか取れない。同じ 場所での再建ができず、破損が始まると補修に限界があり、最後には放棄せざるをえない。
下沈式の場合、排水、汚れ物の処理が不便である。②窰洞単体の形態については、靠山式 と下沈式に大きな差が見られず、地域による奥行きの差異が見られる。アーチの形は放物 線アーチ、尖頭アーチ、割円アーチ、半円アーチがあり、本論文の研究地域である米脂県 では半円アーチが多い。③下沈式窰洞住居について、アプローチと中庭の関係、空間の使 われ方を明らかにした。下院式窰洞は本研究の対象ではないため、ここでは展開しない。
八代克彦10)11)12)らは①各事例を通して窰洞住居の物的な構成要素を a 庭、b アプローチ、
c 窰洞単体・塀・建物に分けており、それぞれについて考えられる形態をモデル化にし、さ らに、これらのモデルを合成することにより窰洞住居の庭空間についてのモデル化を行っ た。分析の結果として、窰洞住居を靠崖式、準靠崖式、下沈式、準下沈式、地上式五つの 様式に分類した。②中庭空間の規模や横穴の掘削状況の経年変化について、黄土高原地域 を西部、東部と中間部に区分することができる。西部の中庭空間は、家族人数の増加に伴 い中庭の拡張と横穴の掘削を行う拡張型である。東部の中庭空間は、建設当初に規模及び 形状が固定る固定式であり、横穴のみを増設する。中間部の中庭空間は、敷地の条件から 拡張が不可能であり、中庭空間の形態を保つために日干し煉瓦が用いられている。③下沈 式集落における中庭の配置パターンと、中国の農村集落において見られる宗族ごとに一定 の居住区画に集居する「族居」と呼ばれる現象との関係について考察した。その結果は、
下沈式窰洞集落においても族居という現象が認められ、これを時代的に見ると、中華人民 共和国成立後、族居は徐々に解体し、行政指導により姓の異なる家族同士が隣接して住ま
うようになった。
栗原伸治13)14)15)の研究では以下のことを明らかにした。①窰洞から房屋への移り住みに 伴い、機能配置からみた平面構成、及び生活行為から見た断面構成について、空間構成の 変化はほとんど見られなかった。②窰洞とはより「洗練」された穴居といつ位置を付け、
窰洞は地形との関係、主な材料、平面構成、機能という指標によって再分類を行った。③ 現地の居住者の認識レベルでの窰洞らしさとして a . 掘ることによって得られた構造体とし てのヴォールト形状、b . 物的な要素、材料、機能、平面構成において「多配列的」により 洗練していること。
しかし、それらの研究では、窰洞=下沈式穴居と認識され、主に下沈式窰洞に関するも であり、地上式窰洞集落の研究は見当たらない。
中国四合院の空間構成及び変容過程に関するものは以下となる。四合院の変容に関して、
陣内秀信16)17)らは北京四合院のアイデンティティーとその近代的変容過程を明らかにした。
李東勲18)は、北京の南鑼鼓巷を対象として商業化・観光地化による四合院の変容が歴史環 境に与える影響を明らかにした。商業用途としての用途転換、住居空間の拡充による四合 院変容は、建物の一部分を増改築するため、街路空間を変化する要因であったと指摘した。
宗迅19)20)22)は 3 つの論文により、中国洛陽市郊外四合院住宅を研究対象として、①町の発
展過程と四合院空間構成の特徴、②主に結婚や分家時の増改築により四合院の変容、③住 民が四合院に移住する意識を考察した。上北恭史22)らは北京四合院の雑院化や共同居住の 状況を明らかにしたうえで、住環境の回復方法を指摘した。その結論として①伝統的四合 院住宅における共同居住環境では水回り空間の増設が多く見られ、居室の増築も含めて中 庭を中心に増築されている。②増築された前の環境に四合院住宅を戻すためには、現在の 居住者を 6 割程度にする必要がある。
以上の既往研究では北京や洛陽のような大都市における四合院の発展過程を明らかにし たものや下沈式窰洞住居の空間構成を明らかにしたものがある。本研究では窰洞四合院住 居という独自の建築文化を持つ米脂県古城を題材とし、地方都市部における居住者像の変 化と伝統住居の空間的変容について考察する。
1.3 研究の目的
米脂県古城の窰洞住居は現在でも社会に適合しており、社会的、文化的の価値があると 言える。これまでは米脂県窰洞四合院空間構成の特徴や現在の利用実態についてほとんど 詳細な研究がされてこなかった。歴史的建築物と町を今後の保存活用してゆくため、この 建築の特徴と意味を理解する必要があり、雑院化された現状を把握した上で適切な方策を 施すことも重要である。
本論文では以下 3 つの課題を明らかにすることを研究の目的とする。
①米脂県古城窰洞四合院建築的特徴と地域の窰洞文化。四合院は中国伝統住居型式とし
て、中国全土で広がっており、窰洞四合院は米脂の窰洞文化と他地域四合院文化と融合し た型式と考えられる。他地域四合院との比較を通して、米脂古城窰洞四合院空間構成の特 徴について明らかにしたい。また、各棟の型式に対する分類と分析により地域窰洞文化を 理解する。
②多世帯共用利用の実態。1 院の住居に数世帯が共同で利用されており、1 世帯が 1 部屋 に居住している。窰洞四合院の利用者像と利用実態を明らかにし、雑院化という視点から 窰洞住居の現代のあり方とその意味を考察する。
③雑院化の増改築過程。四合院において、居住人数の増加と伴い、住民の需要により増 改築が行われた。ここでは、増改築が行った時期、内容と原因を考察し、北京四合院との 比較により、窰洞四合院雑院化の特徴を明らかにする。
1.4 研究地域概要
米脂県は中国陝西省榆林市に所属し、黄土高原の北部に位置している。古称は銀州であり、
北宋時代では西夏国の領域であったが、元時代から元の領域となった。明時代から戦争が 多発した地域である。
1.4.1 米脂県の立地
米脂県は横山山脈の東、黄河の支流の西に位置し、東西両側は高く、中央は低く、断面は「凹」
字の形状が見られ、県内では黄土卯と黄土塬が見られる。総面積 1212 ㎢、陝西省の都であ る西安市から 580 ㎞、榆林市の中心部から 76 ㎞である。県の平均標高は 1049m、一番高い ところは 1252m、一番低いところは 843.2m であり、408.8m の差が見られる。黄河の支流の 無定河が県域内に走っており、年流量は 6492 万 m3である。
米脂県古城では、山と川が挟まれた一帯に、原始的な穴居から発展した靠山式窰洞とそ れを地上に構築した地上式窰洞の住居群が広がっている。2008 年に陝西省文物保護単位 ( 伝 統住居保存地区 ) に認定され、2012 年に中国歴史文化名街に登録された。2015 年から県政 府は観光地としての開発を検討しているが、資金不足と所有者の合意の難しさから開発は 進んでいない。
陝西省 Shanxi
北京 BeiJing
西安 榆林市 YuLin
YanAn
XiAn
AnKang ShangLuo XianYang
WeiNan BaoJi
HanZhong
米脂県 MiZhi FuGu ShenMu YuYang
DingBian JingBian
HengShan
QingJian ZiZhou
MiZhi Old Town 米脂県古城
図 1-6 米脂県古城の立地
1.4.2 米脂県の気候
米脂県は温帯ステップ気候に属し、春夏秋冬四つの季節がはっきりしており、冬と春が長 く、夏と秋が短い。
各月の平均気温、最高気温と最低気温を表 1 にまとめた。年平均気温は 8.5℃であり、最 も寒い時期の 1 月平均気温 -9.9℃、最も暑い時期の 7 月平均気温 23.5℃。記録にある最も 低い温度は -25.5℃であり、最も暑い温度は 38.2℃である。12 月、1 月と 2 月の平均気温 がマイナスであり、冬が寒くて長いとのことが分かった。
米 脂 県 は 半 乾 燥 地 域 で あ り、 年 平 均 降 水 量 は 451.6m m で あ り、 最 も 多 い 1964 年 は 704.8m m、最も少ない 1965 年は 186.1m m であった ( 表 1-2)。降水が主に夏の 7 月から 9 月 に集中している。
1.4.3 米脂県の自然資源と災害
米脂県の自然資源として主に①石炭、②都市ガス、③石灰岩の 3 つがある。米脂県誌の 記録によれば、県内では 2 つ大きな炭鉱は 200 年以上採掘の歴史がある。調査時点では県 の中心部において、石炭は冬の「集中供暖」重要な燃料として利用しており、料理も暖房 方式のカンも石炭を燃料として利用している。2000 から都市ガスが利用できるようになり、
それ以降に建設した住宅団地では、都市ガスが整備されており、料理やシャワーに利用し ている。今回調査対象地となる古城でも、2005 年から都市ガスが徐々に導入されたが、利 用料金は石炭より高いなど経済的な原因で、利用者はまた少ない。
米脂県誌の記録によれば、米脂県内にあった災害は主に干害、雹害、霜害などがある。
月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 年
最高気温 (℃ ) 1 5 14 22 27 31 31 30 24 18 10 3
最低気温 (℃ ) -13 -9 -1 6 12 17 20 18 12 5 -3 -11
平均気温 (℃ ) -9.9 -5.3 2.7 10.9 17.4 21.8 23.5 21.7 15.5 8.7 1.8 -7.5 8.5
月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 年
最大降水量 (mm) 12.5 30.2 27.1 40.8 43.6 69.4 214 252.7 102.3 71.8 30.1 10.3 692.6 最小降水量 (mm) 0 0 1.7 2.8 5.4 11.7 52.4 50.6 19.8 8.5 0.4 0 280 平均降水量 (mm) 2.9 6.8 10.6 16.6 22 34 98.2 123.9 56.4 29 10.9 3.8 415 表 1-1 米脂県気温データ
表 1-2 米脂県降水量データ
地震についての記録は中華民国 9 年 (1920 年 ) 寧夏省の海原地震以来見られない。降水量 が少ないため、1950 年から 1990 年までの 40 年うちに 25 年に乾燥により、農作物の被害が 見られた。
1.4.4 米脂県の経済構成
県政府により実施した調査によれば、2018 年の末まで米脂県内に居住している人口数は 14.54 万人、家族数は 82415 戸である注 9)。総人口 81.5%の 180894 人は農村部に居住し、主 に農業に関する仕事を従事しており、それ以外の 18.5%の県民が都心部に居住している。
現在農業用地が 458.87 ㎢であり、主な作物は、小麦、トウモロコシ、リンゴ、豆などがある。
2018 年の G D P から見れば、第一次産業が総額の 16.68% であり、第二次産業が 33.66% を占 第三次産業が最も多く総額の 49.66% を占めていた注 10)。
1.4.5 米脂県古城を研究対象とする理由
米脂県古城では、大規模な窰洞住宅群は中国の中でも良好に保存されている事例の一つ であり、こうした文化遺産は持続的に保存し、将来にも活用していくべきだと考える。本 論文は米脂県古城を研究地域として選定した理由は以下の 3 つにある。
①文化と歴史価値がある。現存している住居の多くは、清時代から中華民国時代にかけ て建設されたものであり、文化的歴史的な価値が高い。
②大規模な開発が行われていなく、保存状況が良い。県政府は観光地としての開発を検 討しているが、大規模の開発がまた実施されてない。歴史の発展と伴い、戦争や社会運動 が多く行われ、数回の修繕や建て替えが見られるが、ほどんとの住居は建設当初の構成で 保存してきた。
米脂県政府のホームページの内容による。http://m.mizhi.gov.cn/html/mlmz/mzgk/201906/8818.
html 2020 年 9 月閲覧 (农业人口 )
米脂県 2018 年度国民経済と社会発展統計報告 http://www.ahmhxc.com/tongjigongbao/16609.html (2020 年 9 月閲覧 )
注 9)
注10)
1.5 研究方法
本研究は米脂県誌と県文化局の資料を用い、現存する住居の実測とヒアリング調査を基 に論を進めた。調査は、米脂県文化局が 2007 年に作成した配置図をベースマップとして、
第 1 回目を 2018 年 10 月、第 2 回目を 2019 年 1 月、第 3 回目を 2019 年 9 月に実施した。
①資料と文献の収集
まず、窰洞住居と四合院に関する資料と論文を入手した。それらの研究を年代順と地域 ごとに整理した。次に、米脂県人民政府と県文化局ウェブサイトに公開された米脂古城の 開発や住環境整備の政策、意見、工作報告の収集を行い、特に第 13 次 5 年計画 (2016 年~ 2020 年 ) における県の中心部の開発などの内容について整理した。最後に、米脂文化局から 2007 年に調査した資料を入手した。
②古城配置図の修正
米脂県文化局から 2007 年に作成した地図をベースマップとして、2018 年 10 月の調査に より、米脂古城配置図の修正を行った。まず、地図で掲載されてない街路をプロットした。
次に、修正した地図に各住居境界線と入口を記入した。最後に、各住居の保存状態を把握し、
保存状況が良く、調査可能な 47 院の住居を研究対象として選定した。
③住戸内訪問調査と実測
まず、調査対象となる 47 院に居住している 272 世帯を対象とするヒアリング調査を行い、
調査内容として主に a. 世帯構成と年齢構成、b. 古城に居住するようになった経緯、それか ら定住への意識、c. 生活の概況、住宅改修の過程と将来意向。そして、各住居の実測を行った。
改修がある場合では改修以前の状況をヒアリングで聞き、できる範囲に建設当初の図面を 整理した。
本研究の調査、論文の作成のスケジュールを表 1-3 に整理した。
時期 調査 / 研究内容 2018.10 第 1 回目の調査
米脂県文化局により 2007 年に作成した配置図をベースマップとして、第 1 回目の調査を行っ た。最初は古城全体の状況を把握した上で、配置図の修正を行い、保存状況がよく、調査可能な 20 院の住居を選んだ。世帯構成、空間の使われ方、住居の評価などについての居住者アンケート 調査と実測を行った。
2018.11
~ 2018.12
データの整理
現場調査で収集したデータの整理を行い、調査時点の配置図を作成した。実測した住居の図面 を作り、アンケート調査のデータを整理した。
日本建築学会九州支部報告 1 本を提出した。
2019.1 第 2 回目の調査
修正した配置図のともに、載せてない街路を確認した。また、四合院配置の特徴を明らかにす るため、集中的に 1 住区を調査した。そのほか、合計 25 院の住居を対象としてヒアリング調査 と実測を行った。
2019.2
~ 2019.8
データの整理と論文の執筆
実測した住居の図面を作成し、アンケートとヒアリングの結果を整理した。
日本建築学会大会学術講演梗概集 1 本の報告を提出した。
2019.9 第 3 回目の調査
整理したデータをもとに、設備の更新など前回の調査で聞いてなかったことの補足調査を行っ た以外、新たに 5 院の住居を研究対象としてヒアリングと実測調査を行った。
2020.4 日本建築学会大会学術講演梗概集 1 本の報告を提出した。
日本建築学会論文集 1 本を提出した。
2020.5 九州大学大学院人間環境学研究院紀要 1 本を提出した。
2020.8 国際会議 AIUE に報告 1 本を提出した。
2020.10 九州大学大学院人間環境学研究院紀要 1 本を提出した。
2020.9 ~ 学位論文の執筆 表 1-3 研究のスケジュール
1.6 論の構成
本論文は、序論、本論と結論の 7 章により構成されている ( 図 1-7)。
第 1 章では、本論文の背景、先行研究の検討から本研究の位置付けと目的を明らかにし、
調査地域の概要、調査と研究方法についても述べた。
第 2 章では、米脂県古城の歴史、窰洞住居の発展過程を考察した。まず、米脂県古城の 歴史についての著書や県文化局の資料をもとに、住居の型式を 4 つに区分した。時代とと もに孔の形や大きさが規格化されてきた一方で、孔を単位として独立で利用していること は変わっていないとことがわかる。加えて、本事例は山西にある平遥四合院を先例として 建設したが、窰洞の割合が高いと指摘した。
第 3 章では、中庭を中心とする窰洞四合院の空間構成の特徴を考察した。中庭の周囲に 棟が配置され、各棟が特定の機能を持っていた。窰洞棟は蓄熱性と耐久性が高く持続的に 利用できるという特徴があり、住民はそのことを昔も今も意識していたと指摘した。
第 4 章では四合院各棟のは構造による分類をこころみた。窰洞は孔が平行に並ぶ「独立 孔型」と孔が交差して大きな空間が取れる「交差孔型」に分けられる。房は奥に小窰を設 置する「小窰+煉瓦造型」と「煉瓦造型」に分けられる。小窰+煉瓦造型は道光年以後に 建設された他地域には見られない窰洞と煉瓦造を融合した中間型式であり、その型式から 住民達が窰洞に対する愛着が見られる。
第 5 章では、多世帯共同利用の実態について考察した。各室を個室空間として、便所、水道、
中庭を共用するシェアハウスのような使われ方をしていると言えることを指摘した。
第 6 章では、住居の増改築過程とそれなりの住まい方の変化を考察する。北京四合院の 雑院化過程との比較により、窰洞では空間をさらに細かく分けることができず、1 孔の窰洞 が生活空間の最小単位として使われてきたことが特徴的であると指摘した。
第 7 章では、各章での成果をまとめて結論とし、特に窰洞の居住性と歴史的なイメージ が現在でも住民に評価されており、強固で安定した構造と明確な空間単位が偶然にも核家 族化と個別化が進んできた現代社会に適合していると指摘した。
第1章 序論
・ 研究の背景
・ 既往研究の総括
・ 研究の目的
・ 研究地域概要
・ 調査方法とスケジュール
・ 論の構成
・ 古城の歴史
・ 窰洞住居形式の発展過程
・ 各型式の特徴と建設方法
・ 窰洞四合院の成立
・ 窰洞四合院の空間構成
・ 各棟の機能
・ 各棟の構造型式
・ 窰洞と房の発展形
・ 雑院化による増改築過程
・ アンケート調査から見た古城住民の概要
・ 窰洞四合院の管理と所有関係
・ 空間共同利用の実態
第2章 窰洞住居の発展過程と四合院の成立
第3章 米脂窰洞四合院の空間構成
窰洞四合院の建築的な特徴
雑院化の実態と特徴
第4章 各棟型式の分類から見る窰洞文化
第6章 雑院化の増改築過程 第5章 多世帯共同利用の実態
第7章 結論
独立性が高い 断熱性高い
増改築しにくい
中庭中心 窰洞の愛着
図 1-7 研究のフロー
1.7 参考文献
劉敦楨 : 中国住宅概説,建築工程出版社 , ISBN- 9787530637609,1957.5
候続堯 , 任致遠 , 周培南 , 李伝沢 : 窰洞民居 , ISBN-9787112210183, 1989.10 周若祁:緑色建築体系と黄土高原基本集落構成,中国工業出版社,2007.9 呉昊 : 陝北窰洞民居 , 中国建築工業出版社 ,ISBN-9787112103485, 2008,11
米 脂 県 政 協 文 史 科 教 委 員 会: 米 脂 窰 洞 - 米 脂 文 史 そ の 7-, 西 安 博 華 印 刷 株 式 会 社,
2018.12
業祖潤:中国民居建築従書 - 北京民居 -,中国建築工業出版社,I S B N -9787112117222,
2019.12
宋昆:平遥古城と民居,天津大学出版社,ISBN-7561810261,2000.11
周若祁,張光,他:韓城村寨と党家村民居,陝西科学技術出版社,I S B N -7536929870,
1999.10
青木志郎,茶谷正洋,八木幸二,中沢敏彰:中国黄河流域窰洞住居の研究 - その 1 生 土建築・窰洞住居の形式と立地 -,昭和 58 年度日本建築学会大会学術講演梗概集 ( 北陸 ),
1983.9
八代克彦,茶谷正洋,八木幸二,中沢敏彰:中国窰洞住居の庭空間の類型に関する考察,
日本建築学会計画系論文集,第 434 号,pp.35-43,1992.4
八代克彦,茶谷正洋,八木幸二,中沢敏彰,柴田章宏:下沈式窰洞住居における中庭空 間の物的な平年変化,日本建築学会計画系論文集,第 448 号,pp.59-69,1993.6
八代克彦,茶谷正洋,八木幸二,中沢敏彰,栗原信治:下沈式窰洞集落における中庭の 配置パターンと族居に関する考察,日本建築学会計画系論文集,第 59 巻,第 455 号,
pp.67-76,1994.1
栗原信治,八代克彦,茶谷正洋,八木幸二,中沢敏彰:窰洞および房屋の空間構成と場 所秩序の比較,- 中国・黄土高原の窰洞集落における住居の空間構成と場所秩序 その 1-,日本建築学会計画系論文集,第 58 巻,第 454 号,pp.45-53,1993.12
栗原信治 : 黄土高原における窰洞の位置づけと再分類,日本建築学会計画系論文集,第 536 号,pp.117-123,2000.10
栗原信治 : 黄土高原の薄殻をめぐる動態とそれにもとづく窰洞らしさ,日本建築学会計 画系論文集,第 544 号,pp.93-100,2001.6
陣内秀信:中国北京における都市空間の構成原理と近代の変容過程に関する研究 (1),
1)
2)
3)
4 ) 5)
6)
7)
8)
9)
10)
11)
12)
13)
14)
15)
16)
住宅総合研究財団研究年報 No.21,pp.115-127,1994.12
陣内秀信:中国北京における都市空間の構成原理と近代の変容過程に関する研究 (1),
住宅総合研究財団研究年報 No.22,pp.89-100,1995.12
李東勲,古谷誠章:四合院の変容が歴史環境に与える影響に関する研究 - 中国、北京 市の南鑼鼓巷地区を事例として -,日本建築学会計画系論文集,第 77 巻,第 680 号,
pp.2293-2301,2012.10
宗迅,福川裕一:中国洛陽市郊外衛坡村老街四合院住宅の空間構成,日本建築学会計画 系論文集,第 76 巻,第 668 号,pp1893-1902,2011.10
宗迅,福川裕一:中国洛陽市周辺衛坡村伝統四合院住宅における居住の変容と現状,日 本建築学会計画系論文集,第 77 巻,第 675 号,pp1103-1112,2012.5
宗迅,福川裕一:中国洛陽市周辺衛坡村伝統四合院住宅における居住の変容と現状 - 伝 統的四合院の居住状況および住民意識と新住宅との比較から -,日本建築学会計画系論 文集,第 78 巻,第 685 号,pp635-642,2013.3
上北恭史,谷村秀彦,坂本淳二,吉田友彦,藤川昌樹,渡辺俊:北京市豊盛地区四合 院住区における共同居住の状況,日本建築学会計画系論文集,第 70 巻,第 591 号,
pp.25-31,2005.5
刘奕君,刘玉亭, 段德罡:関中地区窑洞型伝統村落民居変容過程 - 陝西省柏社村を例と して - 城郷規劃,pp58-66, 2020 年 2 月
17)
18)
19)
20)
21)
22)
23)
窰洞住居の発展過程と四合院の成立
第 章
2.1 米脂古城の歴史 2.2 窰洞住居型式の発展 2.3 米脂窰洞四合院の成立 2.4 まとめ
2.5 参考文献
2
第 2 章 米脂窰洞四合院の歴史と成立
本章では、古地図、県誌での記録や県文化局の調査資料のもとに、宋時代から中華民国時 代までに都市の発展過程を把握する。そして、構造と平面構成から窰洞住居を 4 つの種類 に区分し、各類型窰洞住居の建設年代、平面構成と社会背景を考察する。最後に、他地域 窰洞文化の影響の視点から米脂窰洞四合院の成立を考察する。
2.1 米脂古城の歴史
2.1.1 古城の空間利用
古城は現在の米脂県中心部から 2k m 東にあり、北を盤龍山、南を金堰河に囲まれた東西 約 0.93k m 南北約 0.8k m の区域である ( 図 2-1)。中国風水によれば、「背山面水」の立地は 理想的な町の場所とされる。古城は、地域の交易拠点として発展してきたために、豊かな 商人も多く、将軍李自成や教育者杜斌丞をはじめ、多くの人材を排出したことでも知られる。
現在、米脂古城は住宅以外、県文化局に所属する古城保護所、県立学校 ( 幼稚園、小学校、
中学校 ) があり、県道に面する百貨店やホテルなどの商業施設、公衆トイレ、浴場などの 施設も見られる。また、手作りお菓子や日常品を販売する小売店が道路に沿ってに分布し ており、四合院の「庁房」( 北京四合院の倒座と当該するもの ) を利用する事例が多い。現 在の政策は維持と保護を中心に、建物の改修や設備の導入が許可されているが、建物の建 て替えと新築ができない。
米脂県古城の街路は大きく「大街」、「巷」( 及び湾 ) と「路」の 3 つのレベルで構成され ている ( 図 2-1)。北京や西安のようなグリッド状の都市と異なり、傾斜地に形作られた古 城の街路は、等高線に沿って曲線を描く骨格を中心に徐々に広がったと考えられる。図 2-2 に清光緒年 (1875 年~ 1908 年 ) と現時点の街路を比較して見れば、「路」の相違が見られるが、
大街と巷の構成には清時代の街路体系を維持してきた。「東大街」、「西大街」、「北大街」三 つの比較的広い大通りは明時代からあった重要な幹道であり、店舗や四合院住宅が道路に 沿って、密集している。「巷 (xiang)」と呼ばれる道路の多くは南北方向に走る道路であり、
大街と山頂を繋いでいる。町の発展過程から見れば、巷はおそらく住居と農地を繋ぐ道路 として、宋時代から最初に作られたものであると推測できる。「路 (lu)」は街区内部を細分
図 2-2 清・光緒地図 図 2-3 清・康熙地図
化する細い道であり、名称がほとんどなく、袋小路が多く見られる。現在古城内街路の幅 が狭いため車は少なく、短時間のとまりばや週末市場として利用されている ( 図 2-4)。
2.1.2 町の発展過程
宋時代から、米脂県と遊牧民族の領域が隣接したため、軍事防衛の要地であった。米脂 図 2-1 古城の配置図
小学校 地蔵菩薩庵
幼稚園 小学校
中学校 華厳寺
党校 華厳寺巷
華厳寺巷
城隍廟巷 城隍廟巷
城隍廟湾城隍廟湾
石坂巷石坂巷
安巷子
安巷子 儒学巷儒学巷 新民巷新民巷
枣园巷 枣园巷 市口巷
市口巷 華厳寺湾華厳寺湾
西大街 西大街
東大街 東大街 北大街
北大街
東城路 東城路
馬号疙台路 馬号疙台路
城壁 (現存してない) N
学校建築 宗教建築 政府機関 商業施設 大街 巷 路 凡例
10 50 100(m)
Jinyan River
県道
図 2-4 古城道路写真
県古城に関する歴史的な古地図は「米脂県誌・清・光緒」と「米脂県誌・中華民国」に記 録されている。諸文献の記録とヒアリング調査のもとに、米脂県古城の形成過程を以下の 5 つの段階にまとめる ( 図 2-5)。
①村の建設。
宋時代 (960 ~ 1279) の初めから山の斜面を利用して、横穴型式の靠山式窰洞住宅が建設 され、川と隣接する土地が畑として利用され、農作物を作っていた。最初に「畢家寨」と 呼ばれていたが、宋・宝元 2 年 (1039 年 ) に「米脂寨」に変更した。崇寧四年 (1105 年 ) から、村の外側に防衛用の土塀が設置され、また元泰定 3 年 (1326 年 ) に土塀の増築と修 繕が見られ、版築の城壁となった。
②住宅地範囲の拡大。
明成化年 (1464 年 ) になると、人口の増加と伴い、住宅用地は足りなくなり、平坦地に 地上式窰洞住居が建設された。城壁に保護されてなかったため、遊牧民族に財産と家畜が 奪われる事件が多発した。
③商業の発展により町の繁栄。
明嘉靖年 (1521 ~ 1572) になると、居住地の範囲が金堰河まで拡大し、西大街と東大街 に沿って、地上式窰洞住居が建設されていた。嘉靖 23 年から 25 年 (1543 ~ 1545 年 ) にか けて、タタールから県民の財産を守るため、川に沿って城壁を建設した。最初の城壁は石 と土で建設され、高さは 2.5 丈 (7.8m)、奥行きは 1.6 丈 (5m) であり、城門が 4 つ設けられ た。万歴元年 (1573) になると、城壁の高さを 2.9 丈 (9m) まで増築し、全体の修繕も行った。
土塀
商業 土塀
土塀/城壁 店舗/商業
学校 城壁
城壁 遺跡
学校
農地
村 村
農地 川
農地
村 村
農地 川
農地
城 城
城 城
農地
城 住宅地
住宅地 住宅地
住宅地
城
川
川 川
①村の建設 ②住宅地範囲の拡大 ③経済の発展により町の繁栄
④学校と店舗の建設 ⑤土地改革と古城の近代化
城壁の完成により、古城は現在の形と近くなり、歴史上「米脂城」と呼ばれるようになった。
県庁の設置により、古城は米脂県の政治と経済の中心となってきた。県誌では、万歴年古 城の様子を「列市肆、恵賈通商」( 露店が多く , 貿易が流通し、商売が盛んでいる ) と書い てある。この時期から、住民は農業を主とする生活から商業を主とするようになってきた。
明時代の末から、経済的に余裕である家族により、地上式窰洞を母屋とする窰洞四合院が 建設された。
④学校と店舗の建設。
清時代 (1644 ~ 1911) から、他地域からの移住者が増えつつあり、川の南側の土地で住
中国の多くの地域において、1950 年から土地改革が行われた。「米脂県誌」によると、米脂県は 1946 年から「解放区」となり、1947 年から土地改革についての政策を会議で議論し、1948 年から県政府が 実施した。
注 1)
当時の中国における基層組織である。都市部においては、「単位」とは工場、政府、研究所、文化団 体などの総称である。
注 2)
居が建設され、店舗や飲食店も多くなった。
私塾は大家族の子供が教育を受ける場所とされていたが、1904 年に東大街に公塾が設置 され、普通な家族から出身しても通うことができるようになった。その後、中華民国 8 年 (1919) に女子塾が設置され、現在でも一部の建物が保存されており、北街小学校として利 用している。
⑤土地改革と近代化。
また、ヒアリングと統計データから以下のことが分かった。1948 年米脂県で土地改革注 1) が行われた。古城においても資産家である「地主」の土地と住居が土地を持たない県民に 配分され、それ以降、数家族が共同で居住する事例が増加した。その時期から伝統的な住 居が分割され、1 院の住居は 1 家族の利用から数家族の共同利用となった。また、防衛上の 機能を失った城壁が撤去され、県道を建設した。1965 年から 1980 年にかけて、古城におけ る単位注 2)所有の庁舎と職員の住居として地上式煉瓦窰洞が建設された。
1980 年から、県道に面して、百貨店と飲食店とホテルなどの商業施設が建設された。
2000 年以降、米脂県新城 ( 新市街地 ) の開発を契機に、多くの住民が新城に転出し、古城 は農村部から流入した家族の受け皿となってきた。それによって、さらに賃貸化が進み、
住居が細かく分割された。2008 年に古城の保存を目的として、住居の増改築を禁止する政 策が実施された。