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3. 主観的幸福の規定要因に関する実証研究

4.3 OECD ( 2011 )が提示した福祉・幸福指標の概要と問題点

4.3.4 各個別指標の特徴と考察

各個別指標毎の主な特徴を表2に示す.環境の観点から選定された項目に基づいてこの

well-being指標が間接的に示すところの望ましい社会像を考察していこうとすると,今回

の指標は,その策定過程でグリーン成長指標(OECDの別部局が担当)に環境の枢要な部分 を委ねているため,これから多くの示唆を得ることは困難である.むしろ環境の観点から 取り入れられたのは,大気の項目で,それもただ一つのSPMという指標に代表させており,

あまりにも不十分である.したがって,今回の指標からは,むしろ社会的な観点を重視し,

社会,経済の側面から持続可能な社会像を考察していくことがより意味のあることになる と考えられる.

まず,物質的な生活条件(Material Living Conditions)と分類された指標群について見 ると,我が国は,「可処分所得」についてはOECD諸国のほぼ平均値,「資産」については第 5位であり,一見,それほど大きな課題は浮かび上がってこないように見える.しかし,

「可処分所得」のグラフは,大多数の国でそれが1995年から2009年にかけて伸張してい るのに対し,我が国には,それが見られないことを示している.つまり,いわゆる失われ た10年が視覚的にも現れる結果となっている.したがってこの個別指標からは,この背景

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要因分析と,今後の経済政策全般の戦略的推進の必要性をメッセージとして受け取るべき,

ということになろうかと思われる.

次に雇用面では,ここで採用された二つの指標共に,OECD諸国の平均値に比べると良好 であり,国際的な相対比較の観点からは大きな課題であるような印象は受けない.ただし,

トレンドとしてみると,特に「長期的な失業率」については,日本と米国が,「OECD 諸国 の一般的な改善傾向の例外」として例示されているように数値が悪化している.なお,こ のデータ集計以降の出来事ではあるが,東日本大震災により,我が国の社会各面に及ぶ影 響・被害はもとより,被害地域を中心に雇用問題が生じていることは周知の通りである.

住居の関係では,「一人当たりの部屋数」が指標に挙げられており,OECD 諸国ほぼ全般 に,一人一部屋以上が確保されているとともに,我が国はOECDの平均値以上の数値となっ ている.ここでは,各個人の快適さをプライバシー保護の観点も含め,部屋数に代表させ ようとしたものと推測するが,住居全体の広さや一部屋の広さなども幸福や満足の程度を 図る上で重要な指標になるものと考えられる.また「水洗トイレや風呂・シャワーの普及 率」も指標に挙げられた.前者について,我が国は,下から7番目となっている.いわゆ るポットン便所と言われるくみ取り式トイレについては,ここで言う水洗トイレの定義か ら外れることとなる.しかし例えば,環境省においても,中小都市や山岳地,限界集落な ど下水道が効率的で無いところには,浄化槽の普及を促進しているところであり,この点 は改善しつつある.

以上が,いわゆるマテリアルの観点からの指標群である.

次に,生活の質の観点(Quality of Life)からの指標群について考察してみると,まず

「平均余命」が挙げられている.この指標は,日本が世界一を誇る指標であり,すべての 指標群の中でも,経済や社会,環境の諸状況を総合的な結果として端的に表した重要な指 標であると考えられるので,単純な例えが許されるなら,総合優勝と考えられる.なお,

OECD in Figures 2009 では,健康の項目として,乳児死亡率,喫煙率,肥満度(BMI が 30を越える人の割合)について比較を行っているが,この中では,日本の肥満度が3.4%

と韓国(3.5%)とともに群を抜いて低い値を示している.ちなみに米国のこの数値は,

OECD諸国平均の倍以上,我が国の約10倍,34.3%であった.

他方で,同じ健康の観点からの指標,「自己申告による健康状態」に関しては,我が国は,

スロヴァキアに次いで下から2番目と振るわない.「平均余命」で日本に次ぐスイスでは,

85%の人が,良好又は大変良好(good or very good)と回答しているのと好対照である.

この点については,今後,詳細な分析とそれを踏まえた対応が必要になると考えられ,今 回の指標群の中で,最も重視し,改善に向けた努力が必要になるものの一つと考えられる.

次に,市民の関わりと統治の観点から,「投票率」,「制度創設に際しての市民参加」を見 ている.「投票率」は,選挙権を有する者に対する投票者の割合と登録人口に対する割合で 比較している.両者とも日本は,OECD加盟国の平均値とほぼ同じである.また「市民参加」

についても,ほぼOECD加盟国の平均的な位置となっている.「市民参加」については,フ ランスのグルネル会議11のような例も存在する.我が国も市民レベルの声がより適切に政

11 なお、グルネルの意義や評価についてはここで詳細に触れることはしないが、フランスのある行政官の例え

を借りるなら、「ボトムアップで議論して必ず結論をだせ、というトップダウンのアプローチであった」という ことである。

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策に反映されるようにさらなる努力が必要であると考えられる.そのためには,市民の側 も一部の欧米のNGOに見られるような感情論的な運動の展開よりは,総体として環境リ テラシーの向上を,また行政の側も,経済社会の仕組みや制度を今の内に少しでも持続可 能なものに改善していくという切迫した課題認識をもって,こうした声に真摯に耳を傾け る必要があるものと考える.

資源・エネルギー制約が逼迫の度を高めると,講ずべき対策もより効果の高いものが求 められる.それが環境と経済を統合したwin-winの対策でない場合には,実現に向け たハードルもより高くなっていくとものと思量されるため,市民参加をどれだけ政策立案 に取り込めるかが重要になってくる.

個人の安心の観点からは,「殺人の割合」と「被害届」により,これを見ている.我が国 は,全体にOECD諸国の中で中程度の数値を示す項目が多い中で,この2項目は,とても良 好な結果を示している.「殺人の割合」は下から3番目であり,「被害届(の多さ)」は下か ら2番目である.日本の治安の良さは,日本社会が持つ極めて優れた資質として,後々の 世まで継承されることを期待したい.ただし,ここで「被害届」を指標として採用するこ との是非について問題提起を行いたい12.この指標を採用したことによって,わが国の次 に安全とされる国が,米国となっている.感覚的な受け入れにくさだけでなく,本指標全 体に対する信頼性が大きく揺らぐことになりかねない.「届け出」ではなく,客観的なデー タ13として10万人当たりの受刑者数を見ると,わが国の63名に対して,米国は760名で ある.米国は人口当たりの受刑者の割合が世界で一番高く,ロシアが624名,南アフリカ が329名と続く.「被害届」の指標で全体を見ようとすると誤ったメッセージを送る懸念も あり,この点については,然るべき改善を期待したい.

最後に,主観的幸福度を見ている.これはゼロから10までの11段階で,幸せの程度を 聞くものである.先述したように,日本は,下から12番目(OECD諸国内では下から7番 目である.)という結果となった.OECD 事務局は,日本(及び韓国)は,良好な経済状態 にも関わらず,主観的満足度がOECD平均より0.5ポイント少ないことを特記している.

我が国で幸福度がOECD平均より低く現れたことの解釈には,大きく以下の二通りが有ろ うと思われる.すなわち,実際のところ満足していない,か,実はもっと満足しているが 回答は控えめに行った,である.前者であれば,近年,金銭や物質面での豊かさよりも,

心のうるおいややすらぎなど精神面での満足をより希求する世論調査の結果とも合致する.

他方で,謙虚さや自分だけ幸福となることが憚られるといった国民性も要因として考慮す べきと考えられる.このことの背景を詳らかにしていくことで,政策の進むべき方向や取 るべき道への示唆が得られるであろうし,その実現のために課題は山積しているのが,我 が国の社会を取り巻く実態かも知れない.いずれにしても,社会制度や慣習による国毎の 国民性の差異を正確に把握した上でないと,この単一の指標により,ある国の国民がどの 程度幸せと感じているかを相対的に評価するのは不十分ではないか,と思量する.以下,

私見であるが,腹八分目であるとか,福受け尽くすべからず,という禅の心が生き,自分 だけが幸せになるのを多少とも憚るような国民性を有する国では,本当はとても幸せと感

12 ある国際会議でOECD担当課長にこの問題提起を行ったところ、国際比較可能な良いデータがない、という回

答であった。

13 OECD Factbook2010による。単位当たりの受刑者数は2009年のデータ。