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3. 主観的幸福の規定要因に関する実証研究

3.1 主観的幸福研究に関するサーベイ

従来の経済学は、効用(Utility)あるいは厚生(Welfare)を測定することにより、人々 の満足や福祉水準を評価しようとしてきた。すなわち、客観的に把握しうる情報に基づい た厚生評価を行うアプローチがとられている。適切な仮定の下で、効用は、消費あるいは 所得の増加関数として考えることができる。したがって、人々の効用を増加させるために は、所得水準と財・サービスの消費量を増加させれば良いことになる。しかしながら、所 得水準の増加と、人々の満足度とが相伴わないことを示すいくつかの証拠が示されてきた。

たとえば、Brickman and Campbell (1971)は、所得や資産などの客観的条件の改善は、人々 の幸福度に影響を与えないとしている。また、Easterlin(1974)は、先進国間の国際比較に おいて、所得水準と幸福度との間に相関がないことを指摘している(イースタリン・パラ ドクス)。日本国内においては、年率で約9%程度の経済成長を実現した高度経済成長期に 顕在化した公害等をきっかけに、『くたばれGNP』(朝日新聞社(1971))にみられるよう なGNP批判が起こるようになった。これらの指摘に対して、心理学や社会学の分野では

幸福(Happiness)研究が盛んに行われており、人々の福祉(Well-being)水準に関する

主観的な評価に注目するアプローチがとられている。日本における経済学の分野において、

この主観的幸福についての研究がなされるようになったのはごく最近のことであるとされ ている5。本節では、個票データを用いた主観的幸福度に関する既存の実証研究を基礎に、

人々の主観的幸福度の影響要因を要約的に概観する。ここでのサーベイは、Diener and Seligman (2004)、Dolan et al. (2008)、Bok (2010)、白石・白石(2010)を参照している。

3.1.1 所得

先に出たEasterlin(1974)の研究は、国単位に集計された幸福度指標と所得の関係に関す

るものである。しかし、一国内における個人間比較に関していうと、一般的に所得が上が れば幸福度も上がり、その上昇幅は逓減的である。たとえば、Diener et al. (2002)、Graham

et al. (2004)は、所得と幸福度との正の相関を指摘している。しかしながら、Diener and

Biswas-Diener (2002)は、両者が相関しないことを示している。また、Ferrer-i-Carbonell

(2005)、浦河・松浦(2007)らの研究は、相対所得仮説を支持している。すなわち、これ

らの研究によれば、自らの所得の絶対水準が幸福度に影響を与えるというよりは、自分の

5 大竹ほか(2010)。

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準拠集団(Reference Group)における相対所得が幸福度に影響を与える。昨年度研究で は、幸福度と所得水準は有意に正の相関を示している。

3.1.2 性別

男性よりも女性の方が幸福度は高いということを示す研究は多数存在する6。一方で、

Inglehart (1990)、White (1992)などは性差が幸福度に与える影響はないとしている。また、

筒井(2010)は、喫煙習慣をコントロールすると、性差の効果は消えるとしている。昨年 度研究においては、性別×年齢のダミー変数を分析した。30代男性を参照した場合、女性 はすべての年代について有意に正の相関を示したが、男性については40代・50代で負の 相関がみられている。すなわち、男性よりも女性の方が幸福度は高いことが示されている。

3.1.3 年齢

Graham et al. (2004) などにみられるように、多くの研究で、幸福度と年齢との間には

U字型の関係があるという結果が示されている。すなわち、一定の水準にまで年齢が増加 するうちは、幸福度が下がる一方で、その閾値を超えると、加齢とともに幸福度は上がる。

この点について、Blanchflower and Oswald (2007)は,OECD諸国で40代に変曲点が存 在するとしている。一方で、筒井(2010)は、加齢に伴い幸福度は低下するとしている。

昨年度研究においては、性別×年齢のダミー変数を分析した。30代男性を参照した場合、

女性はすべての年代について有意に正の相関を示し、かつ年代が進むにつれ、係数値が増 加する。一方、男性については40代・50代で負の相関がみられ、60代で正の相関がみら れる。すなわち、幸福度と年齢との間にU字型の関係がみられている。

3.1.4 健康

たとえば、Lyubomirsky and Lepper (2003)、 Marmot (2003)は、健康状態の自己評価 と幸福度との間に正の相関があることを示している。昨年度研究の結果もこれらと整合的 であった。一方で、Diener and Seligman (2004)のまとめでは、従来の研究は、五体満足 などの身体的(物理的)健康に関するものが中心であり,うつ状態などの精神的健康をも 含めるべきと指摘している。

3.1.5 婚姻

Tsang et al. (2003)、 Frey (2008)などは、婚姻関係と幸福度との間に正の相関があるこ とを示している。また、Stutzer and Frey (2006)は、幸せだから結婚するという因果関係 を指摘している。しかしながら、結婚が幸福度に与える正の影響は限定的であることを指 摘するものもある。たとえば、色川(1999)、Lucas and Clark (2006)などの研究は、結 婚が幸福度に与える影響は持続的なものではなく、数年から3-4年といった限りがあるこ とを示している。昨年度研究においては、婚姻関係と幸福度との間に正の相関があるとい う結果が示されている。

6 白石・白石(2010)、p23, 24。

55 3.1.6 子供

子供の有無が幸福度に与える影響についてはさまざまな結果が存在している。たとえば、

Tsang et al. (2003)は、中国のデータで、子持ちのSWBが下がるという結果を得ている。

また、Kohler et al. (2005)は、デンマークのデータで、第一子誕生以降は子供が増えても

SWBは上がらないという結果を得ている。さらに、Somers (1993)は、意図的に子供を作 らない夫婦が、逆の選択をする夫婦と同様に幸せと報告しており、Simon (2008)は、子持 ち夫婦のほうが、そうでない場合よりも不安や憂鬱、感情的落ち込みを感じるとしている。

昨年度研究では、子持ちと幸福度との間には有意な相関が得られなかったが、子持ちと生 活満足度との間には有意に負の相関があることが示された。

3.1.7 人とのつながり・関係

この分野は、ソーシャル・キャピタルの研究と関連している。Putnum (2001), Helliwell (2003)は、仕事以外の組織への参加が、Cham and Lee (2006)は、社会的なサポートが幸 福度を引き上げえると指摘している。Thoits and Hewitt (2001)、Helliwell and Putnum (2007)は、ボランティアへ活動への参加、Schilling and Wahl (2002)は、大家族と幅広い ネットワークを持つ田舎の高齢者で幸福度が上がるという結果を得ている。また、Tkack and Lyubomirsky (2006)、Diener and Biswas-Diener (2008)は、人とのポジティブな関 係が幸福度に影響することを示している。特に、Demir and Weitekamp (2007)は、友人 関係について、友人の数よりも関係の質がより重要としている。昨年度研究では、隣近所、

趣味・サークル・ボランティア仲間、親戚との接触頻度と幸福度との正の相関、困った時 の相談相手がいる、一般的に人を信頼しているということと幸福度との正の相関が得られ ている。

3.1.8 その他

幸福度への影響因は、これらにもさまざまあると考えられるが、たとえば、Frey and

Stuzer (2000)は、民主主義による政治プロセスの参加が幸福度に正の影響を与えることを

示している。また、利他性(Phelps, 2001)、競争心、倹約、信仰といった価値観や、喫煙、

ギャンブルなどの行動(筒井、2010)について分析がなされている。利他性や物質志向、

リスク選好、礼儀作法といった価値観や、投票、寄付・募金などの行動と幸福度との関係 については前年度研究で分析を行っている。

3.1.9 まとめ

昨年度研究では、主観的幸福度の説明要因として、「行動」、「ネットワーク」、「信頼」、

「価値観」、「帰属意識」、「政策満足」を取り上げた。また、コントロール変数として「既 婚」、「子持ち」、「年収」、「教育年数」、「健康状態」、「性別×年代」を取り上げた。実証結 果は、既存研究と整合的なものもあれば、そうでないものもある。このことの1つの原因 は、それぞれの分析が行われている国の文化や慣習、価値観などの違いに起因していると 考えられる。たとえば、健康状態というような変数が主観的幸福に与える影響は、文化的 相違を抜きにして、国際的に比較しても普遍的な関係が見られるものかもしれないが、実 証結果の国際比較に際しては、各国間の文化的差異に注目すべきであろう。

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