株式会社エンパブリック 代表取締役 広石拓司氏
司会:
今日は、エンパブリックの広石さんにお話をいただきます。根津という日本の 下町で地域づくり場づくりのツールの開発を行っています。今日はまずお話を伺っ てから、実際にアイディアを体現されている谷根千と呼ばれる場所を歩いて、肌で 感じてもらえたらと思います。
広石:
おはようございます。ご紹介いただきました広石と申します。お迎えできて大 変うれしく思っております。
私自身ずっと社会起業家の仕事をしてきました。昨年のアラブ諸国の動きをみて 何もできないと思っていましたが、1年後にこうしてお会いできて嬉しく思います。
最初に自己紹介をしたいと思います。
大学院まで薬学部でがんの研究をしていました。卒業後はシンクタンクで医療 経済の活動をしてきました。日本の医療システムはとても充実していますが、経営 の立場から見ると、商品の価格をすべて国が決めているということになります。患 者様のためにしたいことがあっても、国のラインアップと価格が決まっていると、
それが経営的にできないということ になってきます。そうすると病院の 経営者は患者ではなく、国をみて経 営することになります。それに非常 に疑問を感じていました。そんな時、
欧米を旅する中で、福祉や環境問題 といった課題に対し、若い人たちが 事業を行っている姿に出会いました。
当時、NPOという言葉は知りませんでしたが、特に若い世代がこういうことを やっているのはよいと思いました。住民が自らの手で地域のためにどのように活動 すればいいのか、事業としてどう発展できるのかということに関して取り組みたい と思うようになりました。2001年、NPO法人ETIC.の宮城治男さんに出会って「社 会起業家」という言葉を知り、取り組むようになりました。熱い思いはあるが、ど のように事業にしてよいか分からない、という思いを形にする、つまり事業にする ということを考え、取り組んできました。僕自身3000人くらいの起業家を見てき ましたが、若い人たちの間でこういった動きが出てきました。成功でしたが、同時 に大きな壁にもぶつかりました。思いを事業としてスタートしても、大きな規模に 成長させるのが難しく、欧米と比べてスピードが遅いのが悩みでした。よい志とよ いビジネスプランがあるのに、どうしてうまくいかないのだろうというのが悩みで した。いろいろ考えた結果、行き着いた結論が日本にはホームパーティやBBQが 少ないということでした。それは、核家族化になっており、世帯が分断していると いうことです。ですから、子供の時や普段から、世代を超えたつながりがほとんど なくなっているのだと思います。社会起業というのはユニークなアイディアからス タートするものなのですが、急にビジネスミーティングで話すと理解してもらえな いです。
普段からいろいろな話をし、アイディアを出し合いながら事業をスタートする とスムーズにいくわけです。地域の人たちは、力を集めることが苦手で、経験が足 りないと痛感しました。大学で教えていますが、大学に入るまで先生や両親以外と 真剣に話したことがないという人が結構いるのです。日常の中で社会のことを話し 合うのがいかに大切かと思いました。また、日本はモノづくりで経済が成立してき た国です。逆にビジネスは物を流通させることだと思いがちで、社会づくり、サー ビス分野について事業の経験がないのです。人とのつながりづくりを体系化し、そ ういうことを経験し勉強するということを仕事にしたいと思いました。市民社会 のバリューチェーンに貢献するビジネスと呼んでいます。バリューチェーンという のはビジネス用語で、1つ1つの仕事の価値がいかによりよく結びつくかというこ とを意味しています。日本の社会には、思いを持っている人や、小さな活動をして いる人がたくさんます。しかしそれぞれがセパレートしていると効果が出ないので す。人々が世代や活動内容を超えてつながっていくことが重要だと思います。地域 コミュニティというのを戦略的に再構築する方法を提供したいと思います。
日本の歩んできた道を紹介したいと思います。
江戸時代の日本は、ある意味で地域自治区から成る連邦国家の形態でした。し かし明治に入り、西洋諸国に対応するために中央集権国家を作りました。中央政府 が国と産業をデザインし経済を高めることにまい進してきたわけです。戦後に経済 成長しますが、その時も官僚中心に、産業界と大学と社会が一体となってモノづく りの経済成長をしてきました。日本の企業というとテレビやカメラが挙げられると 思いますが、それを作る大企業と流通が産業の中心になり、地域活動は低いものだ という社会的コンセンサスが広がっていました。ある意味日本は国全体でデザイン してきましが、それがうまくいきすぎたのです。生産者は生産をするだけになりま した。農家は農作物を作れば後は協同組合が買ってくれるというわけで、自らマー ケティングをしなくなりました。日本には非常に高い技術を持った工場がたくさん ありますが、大手の仕様書を基に作業をするので、こちらもマーケティングをしな くなりました。消費者は消費をすればいいという社会になったのだと思います。あ る意味で流通が発展し、24時間営業の店も増えたので、「買えばいいのに」という 社会になりました。今、一人暮らしの若い人の中には、冷蔵庫すら持たず、欲しい ときにコンビニに買いに行けばいいという人たちがたくさんいます。また一方で日 本の流通業はお客様を大切にします。そうすると医療や行政サービスもお客様感覚 になってしまうのです。社会には人がいてその役割があるが、生産と消費が乖離し てしまった部分があると思います。
地域の弱体化という課題も出てきました。かつては村というのは地縁社会でし た。日本は水田がメインなので、地域全体で農業をするという文化が強くありまし た。しかし明治政府は短期間に工業化するために、農業から工業にシフトさせまし た。農業はある意味「ダサく」地縁文化はネガティブだと捉えられました。一方で どこにつながりを求めたのかというと、企業中心の社会にそれを求めました。ある いは明治政府の成功した部分ですが、農村で働く人を工場に移動させ、工場の中に 農村を再現したのです。日本型経営ということがありますが、終身雇用、年功序列 だとか飲み会、社員寮など、村の中で行っていたことを会社で再現したのです。あ る意味で地方から出てきた人たちが安心して働ける環境を整えたので日本人はとて も頑張ることができ、経済成長の大きな力になりました。単に経済的な意味でなく 社会のセーフティーネットになっていました。そういったシステムは1980年代ま ではうまく機能していました。しかし、1991年にバブルが崩壊しました。グロー
バル競争は中国や韓国の台頭と共に激化しました。ある意味日本の経済成長にとっ て、この20年が足かせになっている部分があります。モノづくりに対するこだわ りが強く、新しいソフト的な産業への移行が難しくなっています。日本のビジネス としてソニー、キャノン、パナソニックは挙がりますが、情報、医療サービス、金 融などの世界で日本の名をあまり聞かないと思います。
もう1つの課題に、農村の疲弊があります。工業労働にシフトした結果、農業 人口の平均年齢が65.8歳だと言われています。また、農地として整備されている のに使われていない耕作放棄地が10%です。また、日本型の経営では倒産や合理 化が進み、外資が入ってきたため、日本型の習慣がどんどん失われてきています。
そういう意味で社会課題として抱えているのは、商品文化が強くて自分で作る文 化が弱く、地域が分断されていることだと思います。全世帯のうち、一人暮らしが 25%で核家族が60%になっています。高齢化が進み、人口の23%が高齢者〈65 歳以上〉となっています。都市化の中で企業を中心とするコミュニティも弱くなっ て、人をつなぐ拠点がなくなってきています。日本が大切にしてきた縁というつな がりが失われてきています。自由の結果孤立が残り、年間の自殺者が3万人、生活 保護の受給者が206万人という結果になっています。とても豊かな国なのに、こう いうことがあるのは悲しい出来事だと思います。日本の経験から、進歩とは何かと いうことを考えざるを得ないと思います。経済を中心に合理的に社会をデザインす ることには善し悪しがあると思います。また、前の社会や文化を否定するという課 題もあると思います。日本の経済成長の在り方を否定し、急にアメリカ型にしたこ とにより、セーフティネットが失われてしまったということもあります。経済が成 長するということは消費が広がるということでもあるが、それをコントロールする のも課題だと思っています。
こういう課題には、皆さんとシェアできる部分もあると思っています。いろい ろな意味でグローバル化する中、地域社会とのコンフリクションというのは大きな テーマだと思っています。コミュニティの再構築というのが私たちのテーマです。
おそらくかつては地域といった基盤の上にコミュニティができていました。Given なモノの上にコミュニティを構築しました。これから現代の社会では、人々が思い を基に関係性を作り直すということが重要になっています。単に地域が一緒だとい うつながりではなく、この街をよくしたいという意志を共有しないと、人々がつな がるということが難しくなっているのだと思います。コミュニティを構築する上で