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一緒にアクションを起こす仲間を得るために

ドキュメント内 JF_JP.indb (ページ 62-66)

NPO法人ファイブブリッジ 理事長 畠山茂陽氏

司会:

今日、明日、明後日の宮城での予定を全て組んでくださったのが実は畠山さん です。畠山さんは、河北新報社という東北を中心にした地方紙の新聞社員をしてい ます。なぜ、一介の新聞社員が今回のような大きな招へいの3日分のプログラムを 組み、そこまでのコネクションを持っていて、こういったNPOでの活動をしてい るのかについて今日はお話をいただけるものと思っております。ではよろしくおね がいします。

畠山:

みなさんこんにちは。私の自己紹介、「たまり場」と呼んでいるここ、コミュニティ スペースの紹介、それからみなさんから質問をいただきたいと思います。

まず、この場所ですが、ここに写っているみんなでつくった場所です。先程会っ た、ざおうハーブの平間さん、宮城県庁の役人さん、気仙沼で津波の被害を受けた コーヒー屋さん、仙台市の職員、国際的な語学交流を行なっている宮城の素敵な女 性、この上のオフィスにいる仲間がここに写っています。それから学生さんや宮城 県の産業をつくっている企業家の

方々がいます。最後に、実は私の母 もいます。そんな仲間たちとつくっ ている組織だということをご理解く ださい。一個人のお金を出し合って できている場所です。

それでは簡単に私の自己紹介を させていただきます。今、42歳です。

先程お話にあった河北新報という会 (畠山氏プレゼンテーション資料より)

社で働いています。実は、新聞記者ではありません。新聞経営を司る新聞広告とイ ベント事業を中心に営業活動をしてきました。

地方紙でも総合情報産業としてあらゆるツールでみなさんに情報を伝達しよう としています。この状況は、皆様のお国のマスメディアでも同じかもしれません。

気軽に新聞社の中に入ってきてくれる人はなかなかいません。新聞社は情報、人 脈が1番大事な要素です。だとすれば、会社にいるだけでは情報が入って来ません ので、私が外に出ることによって多くの人、多くの情報に出会おうとしたわけです。

そこがこのファイブブリッジというスペースです。

ここは、いつでも誰かとつながれるコミュニティスペースです。皆様のお国で そのようなコミュニティスペースってありますでしょうか?

Ahmad:

会社に属するものでそのようなものはあります。

畠山:

ここは、所属肩書き関係なく、一個人で対等に話しのできる自由なスペースです。

私は小学校、中学校、大学とサークルに入っていました。しかし、大人になるとサー クルがなくなります。ここが大人の部室、大人の部活動の場所なのです。

この建物は、空きテナントでした。産官学連携といいますが、みんなでこうい うスペースをつくろうということで大家さんを説得して家賃を半額にしてもらって います。隣のスペースにはインキュベーションルームというシェアオフィスがあり ます。ここがどうやって成り立っているという質問があると思いますので、お金の 問題について少しご説明をします。

年会費収入というのがあります。1年間の会費を仲間と出し合って活動していま す。それから、隣にあるシェアオフィスの家賃収入がNPO法人として入ってきます。

また、毎週のようにやっているビジネスセミナーの参加費で賄っています。これは 北海道札幌のビズカフェ(Biz Cafe)と連携してやっているものです。日本全国に これに近いビジネスカフェがありますが、土曜日にみなさんが行かれる石巻のもの も新しいビズカフェです。

社会のために何かいいことをしていきたい、みんなに喜んでもらってありがとう と言われたい、そういう行政、大学、企業、団体が、一個人として集まるスペースです。

いろいろな方々がここに集まってきています。人が集まると、たくさんの意見が生 まれてきます。ひとつの専門領域ではなく、多様な価値観やいろいろな意見が頭に

入ってくると何をすればいいのかと いう情報が整理されてきます。

通常の大学とはちょっと変わっ たところでしょうか。誰かがいる と、どうなるかというと、どこかに つながれます。新しい産業、ビジネ スを産み出そうという人が集まる場 所です。

昔、明治時代の方が私達と似たようなことをしていました。

中江兆民という人で、幕末の時代から明治の時代を生きた人でした。自由民権 運動の理論的主導者と言われ、東洋のルソーと称されている人です。中江兆民は面 白いたまり場に行っていました。フランスのテロー広場という場所です。

ここではかつて、広いスペースがあり、周りは市庁舎でした。中江兆民はここで、

いろいろな人が敷物を敷いて自由に語らっている光景を見ました。自由な意見を言 い合える、ここファイブブリッジみたいな場所がたくさんあったわけです。ファイ ブブリッジよりすごい場所である理由がひとつあります。自由な意見を言っている ということです。この建物の中で誰が聞いていると思いますか。ここには市長がい まして、「市長、市長、税金を安くしてくれ」と言った時に、市長が何回か出てき て「考えます」と言ったことがあった場所だったようです。それはデモとは違うよ うで、コミュニティでの語り合いがそこでは大切だったということです。

中江兆民がフランスのテロー広場で見たものを、出身地である高知県でやった ものがあります。それが、自由懇親会という名のお酒を飲む会です。お酒を飲む会、

ここファイブブリッジでも毎週月曜日に必ずやっています。中江兆民の行った自由 懇親会では、テーブルごとにお酒を飲みながら語らっておりました。ここがすごい のは、お酒を飲み合いながらも、記録を残していたことです。今でいう情報発信で す。中江兆民の行った自由懇親会では記録を残してくれたからこそ、自由な意見の 伝達が生まれた場所なのではないかと私は考えています。

最後に締めを。

私は新聞社員です。とはいえ、今はNPOの理事長として、一個人として皆様と お話をしようと思っています。なぜなら、私の生まれた場所、この宮城県仙台を、

誰よりも愛しているからです。大好きな土地が、先日の東日本大震災で大きな被害

を受け、大きな集落がなくなっています。ここに津波被災後も身近な仲間にここに 集まってきてもらっています。家族、親戚ないし仕事のパートナーが亡くなった方々 がこの中にも多くいます。

私の父親は去年亡くなりましたが、生まれ故郷の土地も、父親の住んだ家も津 波で流失してしまいました。そんな事実を受け止めつつ、私自身も自主的にいろい ろな意見を交換しながら新しい産業、雇用、新しい地域を作っていこうと、ここで お酒を飲みながら日々自由な議論をしています。

そういう自由な発想で会を作っている場所ですが、そこに人が集まると新しい プロジェクトができてきています。ここで集まった人から生まれたプロジェクトを さらに応援している人がいますので、その方にバトンタッチして私の話はこれで終 わりとしたいと思います。新しい命、新しいものを作るために私達も頑張っており、

皆さんと長いお付き合いをしていきたいなと思っています。

司会:

どうもありがとうございました。ではこれから中山聖子さんのお話をいただい て、その後でまとめて質疑応答をしたいと思います。

2月23日

子供たちの未来の可能性を開く

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