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会社制度の導入期における証券市場

ドキュメント内 chugoku ni okeru kabushiki gaisha hosei no gendaika (ページ 122-126)

第四章 株式市場におけるルールの形成とその発展状況

3 会社制度の導入期における証券市場

会社制度の導入期に、中国では当初より証券市場に対する政府の干渉が最も強く、行政 介入型市場の特徴を見せている。ここで、深圳証券取引所に対する深圳市政府の救済例を 取上げて検討することにする。1990 年に深圳には証券取引所が設立され、深圳の株式市場 は全国の注目を浴び、多くの投資者を集めてきた。しかし、1990 年 12 月 8 日に深圳株式市 場は止めることもできなく下落した。株価が下がる一方の状況の中で、深圳市政府は急い で対策を考えて、株価の上下幅を調整した。上下幅を最初は 10%以内とし、その後 5%に し、さらにまた上昇幅は 1%、下がり幅は 5%を超えてはならないと規定し、最後には上昇 幅を 0.5%まで制限した。一語でいうと、株価が下がる分は構わないが、上がることを制限 する方策をとった。上下限度額制限策を実施するとともに、株式を売出したものは、時価 の6%に相当する印税を納めなければならないと規定した。また年間配当において配当率 が銀行の一年間の貯金利率を超えた場合、10%に相当する個人所得税を払うものとした。

さらに、買う方と売る方、両方が 6%の印税を納めることにした。明らかに、政府の計画に より株価は上昇・下落していた。

当時深圳市政府は株価が継続して下がることを恐れていたが、上昇することも望んでい なかった。1991 年 8 月から 9 月まで連続下落したので、8 月 19 日より深圳市政府は企業家 会議を召集し、金がある企業は金を出し、力がある企業は力を出す等、株式市場が崩壊し ないよう措置をとっていた。企業界の会議は続いていたが、政府の措置に応ずる企業はな く、同年 9 月 2 日深圳市市長は自ら企業らを説得した。そこで 9 月 7 日に、市政府は 2 億 元の資金を調達し、極密に市場を救済し始めた。そして、同日から 9 月末まで、深圳市の 平均指数は下落せず、むしろ 0.88%上昇した。2 億元の資金は主に深圳証券取引所での大 銘柄である深圳発展銀行株式会社の救済に使われたという。10 月 1 日以降国慶節の休日明 け市場での深圳発展銀行株式会社の株価は 14.65 元から始まり、数日後は 26 元に達した。

そのときに、一般投資者もさりげなく誰かが市場を救済していることにきづいた。しかし、

市場を救済するのに極密にする理由は投資者を上海に行かせないだめであったそうだ。

なぜかというと、ここで若干 1992 年 5 月の上海証券取引所での株価自由制度をみること にする。最初上海証券取引所には8銘柄(延中実業、真空電子、飛楽音、愛使株式、申華 実業、予園デパート、飛楽株式、浙江鳳等)の株式しかなかった。これらの株式の流通金 額は 8,000 万元未満であった。1992 年に、上海市場は新株発行を始めた。2 月 5 日より株 価を制限せず、ただ上下幅を 5%に制限した。5 月 21 日に上海の市場は価格自由制度を実 施した。買付け者が一気に増え、5 月 20 日に平均指数が 616 点であったが、21 日の平均指 数は 1,265 点にいたった。さらに 5 月 25 日には 1,420 点までに上がった。新株発行は勢い よく、最初は 7 社、その後 34 社、次々に増えていった。しかし、大量の放出により 8 月 10

日になって上海証券取引所の指数は 1,000 点まで下がり、さらに 11 月 17 日には 393 点ま で下がった。そこで、1993 年に政府は金融市場を規制し、1994 年 3 月 12 日に、中国証券 監督委員会は市場救済の四大政策を公布した。第一、年内に国有株・法人株を上場しない ものとする。第二、株式譲渡による所得税を年内に徴収しないものとする。第三、55 億の 新株発行クォータについてはほぼ次年度に発行することにする。第四、積極的に投資基金 および機関投資者組織を発展させる。しかし、当時深圳市場がまた重大な危機に陥った。

政府は風説の流風が市場を撹乱したといい、監督管理・情報開示制度を実施する一方、極 密に市場を救済した。

4 1997 年以前の証券市場

1997 年以前、中国の証券市場の発展の初期段階は、模索・試行段階であり、証券法(1998 年 12 月に採択、1999 年 7 月より施行)もまだ公布されておらず、取引行為を規制するのは 上海・深圳の地方の法律・法規であった。1992 年の春、鄧小平の南巡講話で「見るのを許 し、徹底的に試みる」と示したので、政府が証券市場に対する認識は基本的に試みるレベ ルに止まっていた。融資等についての高度な認識がまだなかった。当時は、証券市場の規 模が比較的小さく、深圳・上海の証券取引所の開業時には十数社の銘柄があり、その内 8 銘柄が主に上海にあった。深圳証券取引所には 5 社の銘柄があり、集中取引を行っていた。

この時期に上場したのは、ほぼ小さい銘柄であった。その後 1996 年末の時点で深圳・上海 の流通株式は 260 億株であり、現在の流通株 2007.28 億株の 12.9%を占める。

また制度建設、監督管理機構も基本的に模索する段階で、中国証券監督管理委員会の職 責に関する位置づけもまだ明確ではなかった。行政管轄が多く、地方保護現象が非常に強 かった。新興市場であるため、投資者の常識および経験も不足しており、成熟した投資理 念もなく、基金等も試行の段階におり、規模が相当限られており、投資者も基本的には個 人株主であった。なお、監督管理制度が整備されておらず、市場に投機性も横行し、株式 市場に好奇心・差額を稼ぐ心理で入ったものが多く、株価変動が明らかなルールがなく、

基本的に政策によって変化し、政策が出ると、情報・株価にすぐ反響があり、政府は主に

「指数を調整・コントロール」し、株価が大幅に下落すると、利益衡量の政策が公布され た。この時期に、有名な 1994 年 7 月末に公布した「三大市場救済政策」があり、この政策 により株価が大幅に上昇したこともあった。1994 年には 7 ヶ月間上海証券取引所の指数が 下がり、最高 907 点だった平均指数が 325 点までに下がったことがあった。この時期に平 均指数が下がった原因は 1992 年、1993 年の不動産バブル・株式市場のバブルが原因となる。

ここでいう「三大救市措置」というのは、年内に新株発行と上場を停止し、上場会社の配 当規模を厳格にコントロールし、市場に入る資金の範囲を拡大することであった。公布し てからわずか一ヶ月半過ぎて上海証券取引所の総合指数は 223%上昇した。

◎1991 年~1996 年の主要な不正事件

1991 年から 1996 年の期間中、中国では株式会社、証券市場が基本的に形成されており、

証券市場は巨大な発展を遂げていた。しかし、その発展における問題も十分露呈された。

―1991 年 8 月 26 日に、浙江省で、低価で鳳鳳化工株式会社の株式を大量に買い集め、市場 において販売する裏取引が発覚した。そこで、会員会社の委託手続きおよび証券従業員の 規則を公布し、厳格な取調べ制度を制定し、闇取引を禁止する措置を講じた。

―1992 年 8 月 10 日に、深圳で新株引受抽選申込書を販売したが、争って買い集める現象が 生じ、最後にはデモを行い、火をつけるなどの暴力事件まで起こった。この事件において 軍隊を出動させて、不正を起した公務員を取り調べて、厳格に処罰した。

―1993 年の 12 月に、「株式発行および取引管理暫定条例」および「株式有限会社規範意見」

などに基づいて、株主総会における不正公告および議決権不正行使について証券監督管理 委員会は、調査を行った。ほとんどの会社において個人株主の 99%が議決権を行使してい ないが、会社は「同意」したことと見なして統計をとっていた。これは株主の利益に損害 を与えた行為であるとみて、不正が重大である五社について処分を行った。その中には、

初の株式会社である天橋百貨株式有限会社も含まれていた。

―1994 年の 2 月 4 日、銀行の資金を流用して株式を購入した事件を処理した。

―1995 年 1 月 11 日に、証券市場において相場操縦を行った山東渤海集団株式有限会社およ び君安証券深圳発展センター工業・農業部事件について処理した。

―1995 年 5 月 12 日に、国家国有資産管理局は、同日より国有株の権益に損害を与える配当 案に対して調査を行った。猿王株式有限会社などが含まれていた。

―1995 年 5 月に、上海証券取引所は、国債先物取引において空売りを行った山東国投下医 者などを調べた。

―1995 年 5 月 15 日に、中国証券監督委員会は、深圳証券取引所において国有株、法人株の 一部上場流通を停止する通知を出した。

―1995 年 6 月 1 日に、国家国資局は、山西省太原小売商品卸市場が株式制度の導入の名義 で、215 万元の国有資産を流失した案件を処理した。

―1995 年 10 月 5 日に、中国人民銀行は、違法経営、経営管理が混乱し、資産の質が悪い中 銀信託投資会社に対して接収管理を行った。これは、中央銀行が重大な問題を抱えている 金融機関に対し、強制的に介入した事例として、中国の金融史上初の事例となっている。

5 1997 年以降現在までの証券市場

(1)国有企業の融資のための市場造成

上記の初期段階における模索を経て、1997 年から 2001 年の期間、中国の証券市場は大き く発展した。この期間中、一つの特徴としては、国有企業の上場である。中国石化、上海 自動車、武鋼株式、唐鉄株式、安陽鉄鋼、太鋼ステンレス、邯鄲鉄鋼、華能国際等の大手 国有企業が続々と A 株市場に上場し、70%以上の大銘柄がこの段階で発行を行った。そこ で、証券市場の規模が急スピードに発展し、2001 年末まで深圳・上海の上場銘柄は 1,000

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