第 4 章 「思考・心理」名詞
4.3 主名詞の意味
主名詞の意味に着目すると,「言語活動」と同様に,日本語とドイツ語における「思考・
心理活動」の主名詞の中には,「論理」,「説」,Theorie(説)などのような意味的に飽和し,
意味的に濃厚な名詞の他に,「気持ち」,「心」,Gefühl(気持ち)などのような,意味が稀 薄だと考えられるものがあることが分かる。3.3 でも述べたように,意味の稀薄な名詞を Halliday & Hasan(1976)のいうGeneral noun(一般名詞)に倣い,「一般名詞」と呼 び,意味的に濃厚な名詞による「特徴付け」は十分可能だと考えられるのに対して,意味 の稀薄な一般名詞は必要な意味内容が欠け,「特徴付け」という機能が果たせると考えに くいと考えられる。意味的に濃厚な名詞は,一つの範疇を形成している場合があり,この ような名詞による「特徴付け」は十分可能だと考えられるのに対して,意味の稀薄な名詞 は必要な意味内容が欠け,「特徴付け」という機能が果たせるとは考えにくい。
(49) … ,人間は,めしを食うために生きているのだ,という説は聞いた事があるような気
がするけれども,…「人間失格」
(50) Ich glaube nicht, dass Rousseau Recht hat mit seiner Theorie, dass der Mensch bei der Geburt rein und unschuldig ist und erst durch uns Erwachsene und unseren Einfluss verdorben wird. Die Mütter-Mafia
(私は,人間が純粋で無邪気で生まれるが,大人の私達の影響ではじめて,墜落すると いうルソーの説が正しいと思っていない。)
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(49)と(50)の主名詞「説」,Theorie(説)は,ある物事に対する考え及び主張とい う意味を持っており,その意味が補充部に対して付加されていると考えられる。このよう に,「説」,Theorie(説)は,補充部によって表される内容に対して,その内容がどのよう な考えなのかという意味を付加しており,考えに属すると考えられる一つの範疇を表して いる。
「言語活動」名詞では,言われる,話される,述べられる内容のことをそのもの表す「言 葉」,「話」,「旨」のように数少ない名詞を「一般名詞」として認めることができたが,
「思考・心理活動」名詞の場合,「一般名詞」と考えられる名詞は実に数が多い。それらの 名詞は,「思い」,「考え」,「気持ち」そのものを表す名詞であるという点で共通する。
(51) Er dachte hierbei an nichts Bestimmtes, sondern handelte nur in dem Gefühl, daß er sich so verhalten müßte, wenn er einmal die große Eingabe fertiggestellt hätte, die ihn gänzlich entlasten sollte. Der Prozess
別に取りたてて何かを考えてというのではなく,いつかあの大請願書をしあげて,肩 の荷をすっかりおろしたときには,こんなふうにふるまわなければなるまいという感 情でやったまでのことだった。「審判/辻訳」
その際,Kはとくに何も考えていなかった。いずれ気にかかっている請願書を仕上げ たなら,きっとこうやって差し出せるにちがいない気がしてそうしたまでだった。
「審判/池内訳」
(52) Er fühlte sich wieder einbezogen in den menschlichen Kreis und erhoffte von beiden, vom Arzt und vom Schlosser, ohne sie eigentlich genau zu scheiden, großartige und überraschende Leistungen. Die Verwandlung
これでまたふたたび人間世界に結びつけられたという気持ちになり,両者つまり医者と 錠前屋とから,ぼんやりこのふたつのものをひとつに考えながら,大がかりで篤異的な 成果を期待した。「変身/高橋訳」
もう一度,彼は自分が人間世界へ仲間入りをさせられた思いがして,…「変身/中井訳」
(51)と(52)は,ドイツ語の小説から収集した文とそれに対する,複数の訳者による 訳文である。(51)では,主名詞 Gefühl の内容補充表現に対しては,辻訳の訳文では,主 名詞「感情」が用いられているが,池内訳の訳文では,主名詞「気」が用いられている。(52) では,内容補充表現ではなく,動詞fühlenが用いられているが,その訳として,内容補充 表現が用いられており,高橋訳の訳文では,主名詞「気持ち」,中井訳の訳文では,主名詞
「思い」が採用されている。
このように,名詞 Gefühl の対応表現として用いられる「感情」や「気」と動詞 fühlen の対応表現として用いられる「気持ち(になる)」や「思い(がする)」からも窺えるよう に,「思考・心理活動」名詞,とりわけ「思い」,「考え」,「気持ち」そのものを表す名詞は
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数が少なからず存在する。このような名詞は,日本語の方で多く見られる。次に,ドイツ
語のdas Gefühl habenが用いられた訳文を例に日本語に見られる名詞の多様性を示す。
(53)津上としては一肌も半肌も脱いで貰いたくない相手であったが,いつの間にかすでに あの不敵な小男が闘牛の事業の中にするすると這入ってきているのを津上は感じた。
「闘牛」
Tsugami empfand auch nur die geringste Unterstützung durch Okabe als höchst unangenehm, aber er hatte das Gefühl, daß dieser dreiste, kleine Mann schon in das Stierkampf-Unternehmen hineingeschlüpft war. Der Stierkampf
(54)まるで皮膚にはりついた砂が,血管にしみとおり,内側から彼の情感をそぎ落してい くようだった。「砂の女」
Er hatte das Gefühl, daß der an seiner Haut klebende Sand bis in die Adern drang und seinen Widerstand von innen aushöhlte. Die Frau in den Dünen
(55)社会生活にかなりなじんできているつもりであったのに,ビールを少量口にしただけ で泥酔に近い状態になっている。「仮釈放」
Eigentlich hatte er das Gefühl, sich wieder in das soziale Leben eingegliedert zu haben, doch ein kleines Schlückchen Bier warf ihn sofort um. Unauslöschlich (56)…,それに,もとはと言えばこうした災いが起ったのもこの男のためではないかとい
う気持が誰にもあったからではないでしょうか。「沈黙」
… und zweitens hatten alle das Gefühl, daß im Grunde dieser Mann die Schuld am Unglück trug. Schweigen
(57)しかし私はやはり書かずにはいられない気持ですし,書き残しておく義務を認めるか ら書いておくのです。「沈黙」
Dennoch habe ich das Gefühl, daß es meine Pflicht ist, einen Brief zu hinterlassen.
Schweigen (58)…,このふしぎな乗物がそのままクレーンに吊り上げられて,曇った冬空へ揚ってゆ
くような気がした。「午後の曳航」
Sie hatten das Gefühl, dieses wunderliche Fahrzeug werde gleich von einem Kran in die Höhe gehoben werden und in den wolkigen Winterhimmel aufsteigen.
Der Seemann (59)居ながらにして,俺は戦っているような気になれたのだ。「金閣寺」
Ich habe das Gefühl, im Stillsitzen zu kämpfen.
(60)「モキチやイチゾウのためにも告悔をする気はないかね」「沈黙」
»Hast du nicht das Gefühl, daß du zumindest wegen Mokichi und Ichizo beichten solltest? «Schweigen
(61)…,手を振り膝頭をあげるのが習慣になっていて,それをしなければ足が前に出ない
124 ような感じであった。「仮釈放」
…, doch sein Körper war auf den Stechschritt mit schwingenden Armen so gedrillt, daß er das Gefühl hatte, sich gar nicht anders fortbewegen zu können.
Unauslöschlich (62)金縛りになっているような感じがし,むしろ刑務所での生活の方が自由であったよう
な気さえする。「仮釈放」
Er hatte das Gefühl, an Ketten gelegt zu sein, wohingegen ihm die Haft vergleichsweise freier erschien. Unauslöschlich
(63)…,清顕は彼らの魂が身を離れて,大洋の只中ヘ漂ってゆくような感じを不断に持っ た。「春の雪」
…, aber er hatte doch beständig das Gefühl, ihre Seelen trieben losgelöst hinaus aufs hohe Meer. Schnee im Frühling
(64)其処には待つとは云へない程,かすかに何かを待つ心もちがあつた。「秋」
…und hatte das vage Gefühl, sie warte auf etwas, aber vielleicht konnte man es nicht einmal warten nennen. Herbst
(65)少年たちは,この焔が見えるかぎり,事務所の番人の目ものがれられぬ心地がして,
… 。「午後の曳航」
Die Jungen hatten das Gefühl, sie wären, solange sie diese Blüten sahen, vor den Augen der Wächter nicht sicher. Der Seemann
(66)ドイツ語のdas Gefühl habenとその日本語における相当表現一覧表
das Gefühl haben ⇒ 「感じる」 例(53)
「ようだ」 例(54)
「つもりだ」 例(55)
「気持ちがある」 例(56)
「気持ちだ」 例(57)
「気がする」 例(58)
「気になる」 例(59)
「気がある」 例(60)
「感じだ」 例(61)
「感じがする」 例(62)
「感じを持つ」 例(63)
「心持がある」 例(64)
「心地がする」 例(65)
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(66)の一覧表に示されるように,ドイツ語におけるdas Gefühl habenは,日本語におけ る(53)の動詞「感じる」を含む動詞的な表現を入れて12通りの表現形式に対する相当表 現として用いられていることが分かる。
ドイツ語のdas Gefühl habenは,上の(53)~(65)に挙げられている日本語における 表現形式の間のニュアンスの違いに対応できているかどうかはここで問題にしないが,上 の(66)の一覧表からも窺えるように,ドイツ語に比べ,日本語は「思い」や「気持ち」
を表すのに,自由に使える表現に富み,心に浮かぶ考えや気持ちなどを内容補充表現で表 そうと思えば,用いることのできる表現はドイツ語に比べ実に多いことが分かる。
このように,主名詞は,意味的に濃厚なのか稀薄なのかというという点だけに着目する と,本論文で考えられる意味の稀薄な「一般名詞」として認められる名詞は,ドイツ語に も日本語にも見受けられるが,(66)に示されるように,日本語の方が数が多い。これらの 名詞のうち,3.3で見た「言語活動」名詞の「言葉」,「話」,「旨」と同様の表現効果がある と考えられる名詞がある。それは,本章の(8)~(15)で見た用いられ方の「気持ち」や
「心」である。(8)~(15)では,主名詞「気持ち」や「心」と補充部「惜しむ」,「悔い る」などの間には,上位概念‐下位概念の関係が認められる,いわゆる高橋(1979)のい う「特殊化のかかわり」である。その内容に対してより具体的な意味を付加すると考えに くい場合がある。手元のデータを見ると,このような用いられ方の傾向が強く,更に,高 橋(1979)のいう「特殊化のかかわり」の場合に限られるわけではなく,「特殊化のかかわ り」以外にも見られることが分かる。次に用例を挙げる。
(67) …, aber in der Antwort war nicht Glaube, sondern nur Angst. Der Prozess
a.その答えには,信じているという気持ちではなく,不安の気持ちしかなかった。
「訴訟/丘沢訳」
b. 口では打ち消したが,本心からではなく不安のせいであることがありありと見てと れた。「審判/池内訳」
c. …,その答のうちには信念ではなく,不安だけがあった。「審判/辻訳」
(68) Die Verlockung, sich wenigstens dieses eine Mal zu weigern, war sehr groß, … Der Prozess a. すくなくとも今回は拒否したい,という誘惑が非常に大きかった。「審判/丘沢訳」
b. せめてこのたびはごめんこうむりたいとKは思った。「審判/池内訳」
c. 少なくとも今回だけは断わりたいという気持ちが,しきりに動いた。
「審判/辻訳」
(67)では,ドイツ語の原文の表現は,内容補充表現ではなく,単なる名詞のGlaube(信 念)であり,それに対して,bの池内訳文やcの辻訳文では,「本心」や「信念」という名 詞が用いられている。一方,a の丘沢訳文では,「信じているという気持ち」という内容補 充表現で訳出されている。補充部「信じている」は,意味的に,ドイツ語の名詞Glaube(信