第 6 章 まとめと今後の課題
6.2 主名詞による「コト化」
I understand you と「あなたの言っていることが分かる」という対応表現に見られるよ
うに,日本語は「言っていること」のような「コト的」表現を好むのに対して,英語は,
you のような「モノ的」表現を好むとしばしば指摘されている。本論文の 2.3 では,池上
(1981:260)による「モノ的」表現とされる「泣いている子供に出会ったよ」と「コト的」
表現とされる「子供が泣いているのに出会ったよ」という二つの例を元に,形式だけに着 目すれば,日本語とドイツ語における名詞の内容補充表現は,名詞修飾表現の前者と同様 に,「モノ的」表現になるではないかと述べた。「モノ的」か「コト的」かという観点から 名詞の内容補充表現の表現機能を考えると,主名詞が補充部と一体化し,文及び談話レベ ルにおいて一つの名詞〈モノ〉として機能すると考えられることから,名詞の内容補充表 現は「モノ」的表現だと言える。しかし,対訳用例に着目すると,日本語では「一般名詞」
が主名詞として用いられる内容補充表現,いわゆる装定表現が用いられるところで,ドイ ツ語では名詞の内容補充表現ではなく,主部-述部という形式の述定表現が用いられる傾 向があることが明らかになった。
日本語では,一部の主名詞に限り,「全体的状況への注目」という「コト的」表現の効果 が認められる。これらの主名詞は意味が稀薄な,本論文でいう「一般名詞」である。「一般 名詞」は,第3章から第5章で見たように,それぞれの名詞類では,仕手もしくは個体の 輪郭が目立たないように,補充部を包み,それを「全体的状況」として捉える機能を果た していると考えられる。この機能を「コト化」と呼び,以下により詳しく考察する。
ここでは問題にしているのは,ある名詞が他の語(句)などに付加されることによって 表現全体が「コト的」表現に変わる場合のことである。このような機能を持つ名詞及び表 現形式として池上(1981)で挙げられているのは,形式名詞「こと」である。次に,池上
(1981:257f.)より例を引用する。
172 (18)アナタ 太郎サンノコト好キナノネ44 (19) You love John, don’t you?
池上(1981:257f.)は,上の(18)の「こと」は,「〈太郎さん〉という〈モノ〉を包んで,
言わば当たりを柔らかくしているという印象を受ける」としている。池上(2006:10)は,
同様に「こと」を真綿に喩え,感情をくるんでやんわりと表現する役割をしていると述べ ている。
本論文では,「一般名詞」にも上の(18)の「こと」と同様の用法が認められ,「こと」
の延長線に位置づけられると考えられる。それは,補充部を〈全体的状況〉として捉える ということである。言い換えると,「一般名詞」は,「モノ」的表現を「コト」的表現に転 換する装置のようなものである。ここでは,この「一般名詞」による「コト」的表現への 転換操作を「コト化」と呼ぶ。次に例を挙げ,一般名詞」による「コト」的表現への転換 操作について説明する。
(20) 笑いすぎて流産したという話は,お前,きいたことはないかね?「愛の渇き」
Du, daß eine vor lauter Lachen eine Fehlgeburt hat, hast du das schon einmal gehört? Liebesdurst
(21)砂におぼれたなどという話は,まだ聞いたこともない。「砂の女」
… und er hatte noch nie von jemandem gehört, der im Sand ertrunken war.
Die Frau in den Dünen
((20),(21)は,3.3の(90),(91)の再掲)
(20)と(21)で見られるように,「~という話を聞く」に対して,ドイツ語で「聞く/聞 き知る」という意味の動詞hörenが用いられている。(20)と(21)「話」を見ると,日本 語では,仕手,「○○が」が表されていないのに対して,ドイツ語では,(20)の eine(だ れかある人),(21)の jemandem(だれかある人)のように仕手が表されている。このよ うに,ドイツ語では,仕手「だれかある人が」という「モノ」を中心に置いて,その「だ れかある人が」どういうことをしたかという形で出来事を捉えられるが,下記の書き換え との比較で分かるように日本語では,名詞「話」を用いることによって,仕手を示さず,
出来事を一つの状況として捉えられる。
(20’) だれかある人が笑いすぎて流産したとは,お前,きいたことはないかね?
(21’) だれかある人が砂におぼれたなどとは,まだ聞いたこともない。
次に例を更に二つ挙げる。
44 カタカナ表記は原文通り。
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(22)…,その食事の部屋は薄暗く,昼ごはんの時など,十幾人の家族が,ただ黙々として めしを食っている有様には,自分はいつも肌寒い思いをしました。「人間失格」
… das Eßzimmer war düster, und wenn wir zehn oder zwölf beim Mittagessen beispielsweise dahockten und jeder stumm für sich sein Essen aß, überlief mich jedesmal eine Gänsehaut. (5.3の(89)を再掲)
(23)その向うで津上は外套の襟を立てて机の上の受話機を耳に当てて電話を大声でかけて いたがさき子の入って来た姿を見掛けた彼の眼は,冷たくさき子の心に突き刺さって きた。「闘牛」
Jenseits davon stand Tsugami, den Mantelkragen hochgeschlagen und den Hörer seines Schreibtischtelefons ans Ohr gepreßt, und telefonierte mit lauter Stimme.
Als er Sakiko eintreten sah, stach sein Blick kalt in ihr Herz. Stierkampf
(5.3の(105)を再掲)
上の(22)は,日本語の内容補充表現に対してドイツ語の訳では,wenn(~するとき,
~すると)という導入詞に導かれる従属節が用いられ,出来事の中に含まれているwir zehn oder zwölf(十幾人の私達)という〈モノ〉を中心に置いてそのwir zehn oder zwölf(十幾 人の私達)がどういうことをしたのかという形で捉えられている。一方,補充部全体をま とめ,一つの状況として捉えられている日本語では,「十幾人の家族」を特に取り立てず背 景に置いて,その「十幾人の家族」がどういうことをしたのかは中心的な問題にならない。
こうして日本語では,仕手もしくは個体の輪郭が目立たないように,補充部を包み,それ を「全体的状況」として捉えられるのに対して,ドイツ語では,wir zehn oder zwölf(十 幾人の私達)という〈モノ〉を中心とした表現が用いられるという傾向の違いがある。
(23)のドイツ語は,Als er Sakiko eintreten sah(彼がさき子が入って来るのを見たら)
と言うように,見る主体(彼)と見られる客体(さき子)がはっきりと表されている〈モ ノ〉を中心とした表現になっている。それに対して,日本語では,見られる対象として「姿」
が介在させられ,見る主体(彼)と見られる客体(さき子)が対立しているように感じ取 れず,むしろ切り離されているという印象を受けると言える。このように,上の(21)は,
「姿」を用いることによって個体の輪郭が目立たず,あからさまに出され過ぎることもな く補充部の出来事全体を一つの状況として捉える〈コト〉を中心とした表現になっている。
こうして「姿」の内容補充表現は,日本語の「~のを見る」に対応すると考えられるド
イツ語の sehen と不定詞句と対照し,「コト」的表現としての表現機能が認められた。し
たがって,(23)の「姿」は,池上(1981:260)による「モノ」的表現とされる「泣いて いる子供に出会ったよ」に対して「コト」的表現とされる「子供が泣いているのに出会っ たよ」に比べ,より「コト」的表現だということになるのではないか。このように,「姿」
などのような「一般名詞」は,池上(1981)のいう「の」や「こと」の「コト」的表現よ り強い「コト」的表現を表出できるものとして位置づけられるのではないかと考えられる。
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このように言語間の特徴に関する「モノ的」と「コト的」という区別は,様々な表現形式 への適用を試み,その妥当性を更に検証する必要があると考えられる。
さて,「コト化」すると考えられる「一般名詞」の用いられ方に着目すると,上の(23)
のような用いられ方が多いことが分かる。(22)のように,一定の述語と共起するというよ うな束縛などがなく随意の述語と共起する場合の他に,(23)の「姿」が「見掛ける」と共 起すると同様に,一定の述語と共起する場合もある。そして,「旨を伝える」,「話を聞く」,
「姿を見る」などのように決まった述語と共起する場合の方が多く見られる。これらの表 現では,〈伝えられることがら〉,〈聞かれることがら〉,〈見られること〉を対象として必要 とする「伝える」,「聞く」,「見る」のような動詞に見られると言える。これらの動詞に対 して,「一般名詞」の「旨」,「話」,「姿」が対象となる〈伝えられることがら〉,〈聞かれる ことがら〉,〈見られること〉を包み,「コト化」すると考えられる。
以上のように,本論文では,主名詞による作用という従来見られなかった視点から,実
例15,358例を分析することによって,主名詞による作用として「特徴付け」を,先行研究
より精密に捉えることができた。更に,「話」,「気持ち」,「形」などの意味の稀薄な「一般 名詞」という名詞類の存在を指摘し,この「一般名詞」には名詞の内容補充表現を「コト 的」表現にする働き,つまり仕手の輪郭を目立たせず,あからさまに出し過ぎることもな く,物事をやんわりと表現するという働き,つまり「コト化」という表現機能を認めるに 至った。本論文では,主名詞による作用に着目し,表現機能という観点から名詞の内容補 充表現を調べる必要性を示し今後研究を拡張してゆくための筋道をつけることができたと 思う。