第 5 章 「ことがら」名詞
5.3 主名詞の意味
主名詞の意味に着目すると,「言語活動」及び「思考・心理活動」と同様に,日本語の「こ とがら」名詞の中には,「珍事」,「不祥事」などのような意味的に飽和し,意味的に濃厚な 名詞の他に,「形」,「有様」などのような,意味が稀薄だと考えられるものがあることが分 かる。3.3でも述べたように,意味の稀薄な名詞をHalliday & Hasan(1976)のいうGeneral noun(一般名詞)に倣い,「一般名詞」と呼ぶ。意味的に濃厚な名詞による「特徴付け」
は十分可能だと考えられるのに対して,意味の稀薄な一般名詞は必要な意味内容が欠け,
「特徴付け」という機能が果たせると考えにくいと考えられる。意味的に濃厚な名詞は,
一つの範疇を形成している場合があり,このような名詞による「特徴付け」は十分可能だ と考えられるのに対して,意味の稀薄な名詞は必要な意味内容が欠け,「特徴付け」という 機能が果たせると考えにくい。
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(89)その深芳野が,わが子の義竜に無言の告白をし,そのために義竜の心に思わぬ火がつ く,というような珍事は,道三は空想にもおもったことがない。
「国盗り物語・織田信長」
(90)さらに昭和十二年四月二十七日には,死者一名負傷者数名を出すという不祥事が起っ た。「戦艦武蔵」
(89)と(90)では,主名詞「珍事」及び「不祥事」が補充部によって表されることが らに対して「珍しいことがら」及び「不都合なことがら」という意味を付加し,どのよう なことがらなのかを表していると言える。
(91)…,その食事の部屋は薄暗く,昼ごはんの時など,十幾人の家族が,ただ黙々として めしを食っている有様には,自分はいつも肌寒い思いをしました。「人間失格」
… das Eßzimmer war düster, und wenn wir zehn oder zwölf beim Mittagessen beispielsweise dahockten und jeder stumm für sich sein Essen aß, überlief mich jedesmal eine Gänsehaut.
(91)の主名詞「有様」は,補充部「十幾人の家族が,ただ黙々としてめしを食ってい る」に対して文の送り手「自分」が「見たことダ」という意味を付加していると考えられ るが,その意味が一つの範疇を形成するのに十分な意味と考えられず,この意味の稀薄な
「有様」による「特徴付け」の可能性はほとんどないと考えられる。「ことがら」名詞の「一 般名詞」に見られるこの用法は,ドイツ語では確認できなかった。(91)の日本語の内容補 充表現に対するドイツ語の訳を見てみると,wenn(~するとき,~すると)という導入詞 に導かれる従属節が用いられ,補充部のことがらと主節のことがらを結んでいるように,
装定の表現である内容補充表現ではなく述定の表現が採用されることが分かる。
以下では,日本語の「ことがら」名詞に見られる主な「一般名詞」を取り上げ,その用 法及び表現機能について考察する。ここで取り上げる名詞は,「点」,「有様」類である。
まず,名詞「点」について述べる。「点」は,上の(35)~(38)に見られるように「除 く」,「一致する」,「異なる」,「同じだ」のように,一定の述語と共起することが多い。更 に,次の(92)と(93)に見られるように,文を締めくくるような形でも現われることが 少なくない。
(92) 他の人間たちと七瀬の異るところは,七瀬がそれを「業」とも「運命」とも「偶然」
とも思わず,それが「宿命の糸」ではなく「彼女」の操る糸であるとはっきり悟って いる点にあった。「エディプスの恋人」
cf. 他の人間たちと七瀬の異るところは…「彼女」の操る糸であるとはっきり悟って いることだ。
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(93)…,そのときヴルタフィル台地がペロフ教授の興味を引いたのは,その台地から発掘 された各種の動物の骨がその一帯の動物の分布状況とはかなり大幅にちがっていたと いう点にあるの。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
cf. …ペロフ教授の興味を引いたのは,…その一帯の動物の分布状況とはかなり大幅 にちがっていたことだ。
上の(92)と(93)に見られるように,内容補充表現は,文の主題「他の人間たちと七 瀬の異るところは」,「~ペロフ教授の興味を引いたのは」を「~(という)点にある」や
「~(という)点だ」という形で締めくくっている。上の「~(という)ことだ」への書 き換えが可能なことから窺えるように,上の(92)と(93)に見られるような「点」は,
形式名詞の「こと」と似通った用法を持っていると言える。次に対訳用例を挙げる。
(94) そんな説のいったいどれが正しくてどれが間違っているのか僕には判断できないが,
それらの説は「とにかくここはうさん臭いんだ」という点で共通していた。
「ノルウェイの森」
Ich wußte nicht, wie viel an diesen Gerüchten stimmte, aber immerhin spürte man deutlich, daß hier irgend etwas faul war. Naokos Lächeln
(95)司祭が知りたいのは,ガルペが何処で捕縛され,捕縛されてから彼が何を考えてきた かという点だった。「沈黙」
Der Priester hätte nur gerne gewußt, wo man Garpe gefaßt hatte und zu welcher Einstellung er während der Gefangenschaft gefunden hatte. Schweigen
(96)……最後に,もう一つだけ,忘れてほしくないことは,おれの疑問に,おまえ自身も,
ついにはっきりとは答えられなかったという点だ。「砂の女」
Es gab da noch etwas, was er nicht vergessen wollte – sie war jeder klaren Antwort auf seine Frage ausgewichen. Die Frau in den Dünen
上の(94)~(96)に見られるように,日本語の「点」の内容補充表現に対して,ドイ ツ語では,補語節として働く下線部 dass 節,wo 節など主部‐述部形式の述定の表現のみ が対応しており,「点」に相当する名詞が用いられていない。主部‐述部形式の述定の表現 のドイツ語に対する日本語の訳文にも用いられている。次に用例を挙げる。
(97) Darin aber sind viele einig, daß er das Tor nicht wird schließen können.
Der Prozess けれどもそうした彼らの見解も,門番は門をしめることができないだろう,という 点では完全に一致しているのです。「審判/辻訳」
意見が多く一致しているのは,門番は門を閉められまいということ。「審判/池内訳」
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しかし多くの意見で一致しているのは,門番が門を閉めることができないだろうとい う点だ。「訴訟/丘沢訳」
(98) Das auffallendste an den Kleidern ist, daß sie meistens eng anliegen, …
Das Schloss 彼らの服装のいちばん目だった特徴といえば,たいていからだにぴったりとくっつい ているという点です。「城」
(99) …, denn Interesse beider Schutzmächte war es immer gewesen, bis zum Schluß übers Krisentelefon miteinander sprechen zu können. Die Rättin
つまり二つの超大国の関心事はつねに,最後まで直通電話で話し合いができるという 点にあった。「女ねずみ」
「点」の内容補充表現は,(97)のeinig sein(一致する),(98)の Das auffallendste
(一番目立った特徴),(99)のInteresse(関心事)の内容を表しているdass節及びzu不 定詞句に対応している。
以上,「点」の用例を見た。次に,「有様」類について述べる。ここで「有様」類に数 えられる名詞は,「姿」,「様子」,「体勢」,「形」などである。上の(39)~(43)で見たよ うに,これらの名詞は,「見る」や「見える」とその類の動詞と共起することが多い。以下 に,対訳用例を挙げる。
(100) 悦子は中年の夫婦が全く子供たちに無関心に,微笑しながら,何か話し合って歩
いている姿を莫迦らしいと思った。「愛の渇き」
Den Anblick dieses Ehepaares in mittleren Jahren, wie es so dahinschlenderte, lachend, plaudernd, ohne sich im mindesten um die Kinder zu kümmern, fand Etsuko richtig albern. Liebesdrust
(101) そしてかれらがそこに住んでいる姿は,微細に,明晰に,外側からありありと見
てとれるのだ。「春の雪」
Und ihre Gestalten, wie sie da drinnen lebten, wären von draußen winzig, jedoch in allen Einzelheiten deutlich wahrzunehmen. Schnee im Frühling
(102) 僕が少ししか手をつけていない彼女のポテト・シチューを食べパンをかじってい
る姿をレイコさんは物珍しそうに眺めていた。「ノルウェイの森」
Sie beobachtete interessiert, wie ich die Kartoffelsuppe aß, die sie kaum angerührt hatte, und auch noch das Brot verputzte. Naokos Lächeln
(103) 井上と奉行所の役人たちが取調べの場所としてわざとここを選んだ理由もはっき
りとわかる。自分が追いつめられ説得されていく姿をあの百姓たちに見せつけるため なのである。「沈黙」
Er durchschaute die Absicht, in der Inoue und die Beamten diesen Ort als Stätte
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des Verhörs ausgewählt hatten: um vor jenen Bauern zur Schau zu stellen, wie er sich in die Enge treiben und schließlich überreden ließ. Schweigen
(104) 空気が澄んで来ると,城の実体から城の精神のようなものが抜け出して,背のび
をして,その高みから四方を見まわしている姿が,遠くからも見えるのではないかと 思われる。「愛の渇き」
Bei klarer Luft und aus der Ferne vermeinte man, so etwas wie die Seele der Burg zu sehen, die ihren Gebäudeleib verlassen hatte, sich hoch und höher reckte und nun von oben weite Umschau hielt. Liebesdrust
(100)と(101)に見られるように,日本語の「姿」に対してドイツ語では,名詞Anblick
(光景),Gestalt(形/姿)の内容補充表現が用いられているが,対訳データには,「姿」
に対して名詞の内容補充表現が用いられている用例は,実は,この二つの例しかない。そ の他の対訳用例では,(102)~(104)に見られるように,日本語では,「眺める」,「見せ つける」,「見える」と共起している「姿」の内容補充表現に対しては,ドイツ語の訳文で は,それらの動詞に対応するbeobachten(観察する),zur Schau stellen(見せつける),
sehen(見る)とそれに後続する補充節のwie節や不定詞句で訳出されている。このように,
動詞「見る」などと共起する「姿」は,第 3 章で見た「話」と同様に,共起する動詞,こ こでは,「見る」の意味を表すような動詞を用いた表現で訳出されることから窺えるように,
翻訳者は,主名詞「姿」を何等かの特別な意味を付加していないと解釈し,動詞の延長と して捉えているのではないかと考えられる。「姿」の内容補充表現は,日本語訳文において もドイツ語の動詞sehenに対応する例も見られる。次に例を二つ挙げる。
(105) …und Oskar sah, daß die Herren mit den unauffällig auffälligen Gesichtern zivile Regenschirme bei sich trugen - … Blechtrommel
…,しかし,オスカルの眼に,目立たぬようでどこか目立つ顔の紳士たちが普通の雨 傘を持って立っている姿がうつった――… 「ブリキの太鼓」
(106) Wenn ich mir Mühe gebe, sehe ich heute noch den untersetzten Kapitänleutnant in den meßdienerroten Turnhosen unseres Gymnasiums am schwingenden Trapez leicht und flüssig turnen, … Katz und Maus
骨惜しみをしなければ,今日でもぼくの目には,ミサの侍者の服のように赤いわが高 校のトレーニング・パンツをはいたずんぐりした海軍大尉が,揺れるブランコでやす やすと流れるように体操する姿が浮かんでくる,…「猫と鼠」
「姿」とその類の名詞は,「見る」や「見える」とその類の動詞と共起するほか,上の(67)
と(68)で見たように,「だ」と共起し,また,(74),(75)と(77)~(81)で見たよう に,「で」を伴い主文の述語動詞にかかり修飾する用例もある。そして,対訳用例に見られ