家にはいって急いでもどった その短いあいだに いつものように
花はあざやかにひらいてぼくを待っていた」136)
大村は、この詩を読むときには、「ちょっと心をひかれるところ、そ こで止まって考えます。どんなことを? そこの言い方のほかに、ふつ う、どんな言い方があるだろう、自分なんかであると、どんなふうに言 いそうかな、と考えます」137>としている。子どもは、「この詩を味わ おうというときに」138)、 「なんども読み」139>、 「声に出しても読ん でみ」140)、「そういうふうにし」S4Dて、「自分の心に浮かんでくる 感じを、とらえようとする」142)というのである。
しかし、子どもは「なかなか、自分の心に感じていることが、とらえ にくいことがあ」143>り、「全体的に、なんとなく、どういう感じがす る、というようなことで、あと、どんなふうに、作品の中にはいっていっ たらいいか,わからないことがある」144)としている。大村は、子ども に詩を教材として与えたとき、子どもは詩を味わいたい、詩を理解した いという意欲をもち、何回も読んだり、音読したり、一生懸命に詩をわ かろうとするというのである。そこで、教師が詩を読むことを教えなけ れば、子どもは、詩を理解したり、詩を味わったりすることができない
ことがあるというのである。
大村は、詩の中で心をひかれるところを問題にして、次のように子ど もに詩を読むことを教えている。
大村は、詩の中の「朝あさ」145)という言葉に注目させ、「この朝あ さのところも、ふつうですと、一多分、あなたも、 毎あさ咲いて と言うところでしょう」146)と述べている。大村は、子どもが詩を読ん 一86一
でいて、言葉について不思議に思うところ、疑問に感じるところを理解 して、そのことを取り上げて、問題としているのである。そして、「井 戸の近く 朝あさ咲いて」147)と「井戸の近く 毎あさ咲いて」148)を、
「なんども読み比べ」149)させ、「低い声で、口づさ」150)みさせるの である。
大村が、「朝あさ」を問題として子どもに与えたので、子どもにとっ てはそれが発問となり、読んで、答えようとするのである。大村は、子
どもに問題を与えておいて、そして、「朝あさ、は、あさがおの、朝ご とにひらく、新鮮な花の感じを出しているようです。アサという美しい 音のくり返しも、なんと、さわやかさを感じさせることでしょう」且51)
と説明している。大村は、子どもが読んだことに対して、説明を加える ことによって、子どもが感じていることは、どういう言葉で表現できる のかということを教えているのである。このように、大村は、詩や文章 を読もうとしても読めない、味わおうとしても味わえない子どもに、ど こをどういうように読めばいいのか、どこをどんなふうに味わえばいい のかということを教えるのが、『教えること』152)だというのである。
作文を書かせているとき、「子どもはr文章は自分で書くものだ』と 心得て」!53)いるとしている。だから、大村は、「他の子どもが書けた けれども自分は書けない。そんな苦しみをしている子どもを助けな」15
4) ッればならないというのである。そんなときには、「書き出しを少し 書いてやったら」155)いいというのである。教師が、「『なになに……』
と書いてやって、『その先を書いてごらん』とそう書いてやれば」156)、
子どもは、「隣の子どもに劣等感を持たないで、自分もどんどん先を書 いていく」157)というのである。子どもは書きたがっているが、書けな 一87一
いでいて、「先生の教えを心から待っている」158)というのである。
例えば、修学旅行のことを作文に書かせようとするとき、教師が、
「修学旅行の思い出をよく思い出して書いてみなさい。」と言ったので は、子どもはうまく書けないのである。子どもは、バスや新幹線、船に 乗って、いろんな都市や海の風景を見たり、レクリエーションをしてい たのである。広島の平和祈念公園で、千羽鶴をささげたり、黙祷したり
したのである。子どもは、資料館で空襲の時の遺品によって、戦争の恐 ろしさや原爆投下時の惨状を見たのである。また、被爆体験者の話を聞 いたのである。子どもは、浜でヨットをこいだり、ウインドサーフィン をしたり、宿舎でお土産を買ったり、夜遅くまで友達と話をしていたの である。このように、子どもは、修学旅行で具体的にいろいろな経験を しているのである。教師は、子どもに、そのことを発問し、子どもの経 験を、具体的に思い出させて書かせなければならないということである。
大村は、子どもというのは「あっちでもこっちでも、つつかえてい」
159> ト、そういうとき、「つつかえているところへいって」160>、「例 えば『その木はなんの木でしたか。』とその横に書いて」16Dやればい いとしている。そうしたときに、子どもは、rその木はなんの木だった かな。』と思い出して、また、自分の経験を書くことができるというの である。また、『そこでなにを見たのですか。』と書いてやれば」162>、
子ξもは、「見たものを思い出して書いたり」163)するとしている。そ うすると、子どもは「どんどん文章が先に書けていく」164)というので ある。それが、子どもの意欲を大切にして、『書くことを教える』165)
ことだというのである。
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5 個別化 するということ
大村は、 「教育は結局個人である」]66)と述べている。大村は、「学 級もグループも、個人を育てるためのもの、個人の成長には、そうした、
大小さまざまの集団にあってこそ成されるものがあるからである」167>
というのである。学級を組織したり、小集団学習をしたりするのは、個 人の社会的、知的成長を図るためにあり、それが教育の意味であるとい
うのである。
大村は、「ほんとうに、一人一人を、その人なりに伸ばしている教室、
他との比較でなく、ひたすらに、個人の、人ひとりの、成長を助けてい る教室にし」t68なければならないとしている。教室での学習というの は、生徒を人と比べてどれだけできているかというものさしを持って見 るのではなく、個人としての生徒の知識理解の習得を助け、社会的行動 を養うことを助ける時間であり、場としなければならないというのであ る。したがって、大村は、「教室には、優劣さまざまの子どもがいる、
そのまま、優劣のかなたの世界につれてい」169)かなければならないと いうのである。大村は、子どもの優劣の差を現実にあるものとして認め て、しかしながら、「優劣はなくならないが、そのままで、その外か、
その上かの世界に脱出させようとし」170)ているのである。大村は、
「優劣を気にする心、それを問穎にする心から抜け出して、安んじて自 分を伸ばす仕事に夢中になっている世界」171)、「自分がいわゆるでき
る子なのか、できない子なのか、考えるすきがない、・一そういう世界」
172)に「脱出させ」173>なければならないというのである。
そこで、大村は、『私たちの生まれた一一一一年間』i74)の「学習と指導の 展開」t75)によって、「このような世界に、若いいのちを目ざめさせ」
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176)ようとしたのである。
大村は、「国語の力は二年までにつけてしまうという計画でいつも進 あていた」ユ77)とし、 「ことに読むことの力、なかでもいわゆる読解力、
読んで要旨をつかむことや要点をとらえることには、じゅうぶん慣れさ せてしまわなければならないと思って、二年二学期をその最大のやまに
していた」178)と述べている。
大村は、「そうでなければ、他教科の学習にも差し支え」179>があり、
「入試問題の花形であるこの力は、十二分にねっておかなければならな い、それには、三年になってからではおそ」180)〈、「まだ妙な焦りの ない、差し迫った感じのない、二年生のとき、おちついて、一生涯、役 に立つような読解力をねっておこうとしていた」181)というのである。
大村は、r私たちの生まれた一年間』t82)の教材について、次のよう に述べている。
資料は、「昭和三十四年四月から三十五年三月まで」183>のr朝日』
184> V聞の「朝刊」185)で、「社会面」186>、rr声』の出ている面、
『天声人語』の出ている面の三面」187)を曜日の「偏りのないように」
188> A「百日を選んだ」189)としている。大村は、この資料によって、
「1、どのようなことがあったか」lgo)、「2、『声』『天声人語』に は、どのようなことが取り上げているか、どのような考えが出ているか」
19D 「調べ」192)させ、「その結果を考察」tg3)させるのである。
大村は、「この資料ならきっととびつくにちがいない」194>、「いわ ゆる導入も不要になるにちがいない、ひとりで、しぜんに主体的な姿勢 になるにちがいないと思った」195)としている。資料について、大村が、
「魅力的であ」ユ96>ると思い、「おもしろくてたまらなかった」197>か らであるというのである。
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