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大村はま著 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書
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r大村はま国語教室第十一巻』筑摩書房
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1989年 p.105
第2節 大村はまの児童、生徒についての考え方
1 伸びようとする力をもつ子ども
大村は、「子どもというのは、r身の程知らずに伸びたい人』のこと だ」1)述べている。子どもは、「いくつであっても、伸びたくて伸びた
くて……、学力もなくて、頭も悪くてという人も伸びたいという精神に おいてはみな同じ」2)で、「一歩でも前進したくてたまらない」3>とい
うのである。そして、大村は、「力をつけたくて、希望に燃えている、
その塊が子ども」4>であるというのである。しかし、大村は、「子ども はどんな時でも、自分が打ち込んで一生懸命になっていることでなけれ ば、ものを考える力もつかないし、ことばの力もつかないし、なんにも 覚えない」5>としている。子どもは、いつも成長したいと願っており、
勉強がわかりたい、勉強ができるようになりたいと思っているが、自分 の外側から目標や課題が与えられたり、指導されることについては無関 心であり、興味がない、したがって子どもの生きる力とはならないとい
うのである。
そこで、大村は、「ぜひともこの文を読まなければならない、読まな ければあの目標も達せられない、この仕事も進められない、そういう切 実な場をとらえて組織し、しらずしらず真剣な学習活動が行われるよう にし」6>なければならないとしている。生徒自身が目標や課題を自分自 身の問題として意識し、学習において具体的に解決していきたいという 欲求をもつことが重要であり、教師は、そのような学習指導の「切実な 場」7>を授業として構築しなければならないというのである。そこで、
大村は、「聞くことも話すことも、書くことも、どれもそのことが自然 一60一
に必要な場を設けるということ」8>が重要であるとしている。教師が設 定した目標に合わせて、生徒に聞かせたり、話させたり、読ませたり、
書かせたりするのではなく、目標は、生徒自身が聞き、話し、読み、書 かなければならない活動の中にあるというのである。
したがって、「まず教科書がすらすら読めるようにな」9>ることや
「一通りの意昧がと」10)れることを第一の目標として、「どんな学習 も」1Dそこから「始め」12)なければならない、というのばかりが「学 習指導の出発」】3)ではないというのである。大村は、「『聞き、話し、
読み、書く』力は、『聞き、話し、読み、書く』経験をすることによっ て伸び」14>、「これらの経験の場を、いかに、むりのない必然のすが たで、いかにゆたかに設けることができるかがたいせつな点である」t5
)というのである。生徒自身が目標をもって、聞き、話し、読み、書い ているときに聞き、話し、読み、書くことの力がつくというのである。
例えば、大村は、「丁役に立つ読書記録』をくふうしているあるとき、
みんなでめいめいの考えを発表しあうことになった」ie>として、次の ように述べている。
大村は、「Aという生徒が、非常にくわしくいろいろの項目を立てた 案を発表し、これは教科書にある○○先生の御意見によったとつけ加え
た」17)として、生徒Aの発表の工夫について述べている。そして、大 村は、「これについて、生徒Bは、そんなにくわしく書く必要はない、
教科書の○○先生の御意見でも、そんなにまでくわしく書けということ はいわれていないと反対した」18)として、生徒Bが生徒Aに対して、
「○○先生の御意見」19>に関しての読み方について反論を示したとい うのである。次に大村は、「Bに賛成の意見がたくさん出た」2。)とし て、生徒Aと生徒Bの発表を聞いていたまわりの生徒の反応について述 一6t一
べている。そして、大村は「その方へ全体が傾いていったとき、生徒C が、教科書の文は、たしかにことばの上では、それほどくわしく書けと はいってないが、よく読んでみると、やはり、ことばの裏に、くわしく 書くことを、より主張していることが感じられる、といいだした」21)
として、生徒Cが、生徒Aと生徒Bの発表を聞いていて、二人の発表を 比べながらもう一度読んで、自分の読みを深めているというのである。
そこで、大村は、「今まで、○○先生は、そんなにくわしく書けとはど こにも言っていない、と一生懸命に話していた大勢の生徒は、『ことば の上では……ことばの裏に……』というCのことばで、はっとしたらし い、しんとなって読み返しはじめた」22)として、まわりの生徒が、生 徒Aの発表、生徒Bの反論、生徒Cの一段と深い読みによって、自ら問 題を見つけ、読みを深めていこうとしているというのである。生徒は、
「何度か前にもどって読み直したりしている」23)が、「わからなくな」
24) 閨A 「混乱を経験している」25)というのである。
そこで、大村は、「別の資料」26)として、一つは、rr本の読み方 は実にいろいろある』ということ」27>を、「朗読(教師の)によって 与え」2B)て、もう一つは、「r書物の読み方は、その書物を読む目的 によってきまってくるものだ』ということを書いたもの」29)を、「プ リントで与えた」30>というのである。大村は、生徒自身が混乱を起こ して、わからなくなっていて、その解決を課題としていることを見てと り、生徒自身が解決に向けて考えることができるような具体的な資料を 与えたのである。
大村は、「この一時間に、文の主旨を読みとることの真剣な場がまず 目立」3Dつたと述べている。大村は、「生徒ABC,それぞれに文の 主旨を読みとっているわけでこうした場面で、しらずしらず、文の細か 一62一
いところ、一字一句にも目を光らせ、徹底して読むことを学習している」
32) ニいうのである。大村は、rCの発言のあと、しばらく、しんとなっ た」33)のを見て、「このようなとき、最も真剣な精読が行われている」
34) ニいうのである。
大村は、「ただ、rこの文の主旨は』と教師に聞かれて答えている場 合に味わえないつきつめた気持ちで、文と対決している」35>としてい
る。教師が、直接的に目標を生徒に与えていたのでは、このような生徒 自身の真剣さ、読みの深まりはないというのである。そこで、大村は、
「優れた生徒は、rこの文の主旨は』という問に対してでも、真剣に考 えもし、答えもする」36)が、「大勢の、普通の、あるいは普通以下の 生徒にも、真剣な徹底した読みを体験させることは、できない」37)と
している。大村は、「この場面での真剣な読みの力は、なお進んで、教 師から与えられたプリントを読破するところまでつづく」38)というの である。大村は、そのとき、生徒には「丁宿題』という感じもなく、
『読んで来なさい』という教師の命令もいらず、子どもの中の、伸びよ うとする自然の力」39)が、「子どもに、ひとりでにプリントを読ませ る」40)というのである。
2 子どもは、ひとりひとりが違うということ
大村は、「個人指導の機会という問題は、生徒がひとりひとり、みん なが違うために、それをどう指導したらいいかということと結びついて いる」41)としている。生徒はひとりひとり違った活動をしていて、個 人指導というときには、そのひとりひとりについて教材の提示の仕方、
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発問や説明、指示の与え方が違わなければならないというのである。
しかし、大村は、「ひとりひとりをだいじにするという」42)とき、
「ひとりひとりのrひとり』という中には、だいたい劣っている子ども が入るような感じ」43>がすると述べている。勉強のできる子どもも、
できない子どもも、すべて含めてひとりひとりというのではなくて、ほ うっておけば勉強についていけないような、教師が手をかけなければ勉 強をしないような、そういう子どもを大事にするというように受け取ら れているというのである。
このことについて、大村は、「よくできる人というのは、だいたいだ いじにされると考えて、ひとりひとりを大切にと言う時には、できない 生徒をじょうずに導くとか、生きがいある学校生活を送らせるとかいう
ことを考えている方が多い」44)としている。大村は、教師が、子ども をできる子とできない子に分けており、できる子はすでに大事にされて いるという意識をもっているというのである。そこで、教師が、それで はいけないのであって、できない子に対する配慮をしなければならない と考えて、できない子を中心にすえて学習指導を展開しようとし、それ がひとりひとりを大切にすることだと思っているというのである。
つづいて、大村は、「それから少し進んで」45)いる場合には、「優 劣共に力に応じて伸ばしていくというふうに考え」46)られているとし ている。できない子どもばかりを大切にするというのではなく、できる 生徒も大切にして、それぞれの生徒を力に応じて伸ばしていくことがひ とりひとりを大切にするということだと考えるのは、できない子どもを 中心にすればよいという考え方からすれば、ひとりひとりを大切にする ということに対しての理解が深まっているというのである。
しかし、大村は、「それはもちろんそれでいい」47)としながら、
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