1982年 p.339
第3節 教えるということ 一一教師の指導性一
1 生活として教えるということ
大村は、「まず第一に、rそうさせたい』と思っていること、たとえ ば要点をはっきりとらえさせたいとか、はきはきと話させたい」Dとい
う目標をもったとき、「その目標が自然にできるように運ばないと困る」
2) ニ述べている。単に、「要点をはっきりつかみなさい」3)、「もっと 生き生きと話しなさい」4)「もうちょっといろんなことを考えないの」
5) ニ言ったのでは教えることにならないというのである。
大村は、「要点をつかまえさせたいときに要点をつかまえるのですよ と言うのは当たり前すぎて、そういうのは教師らしくない素人的なこと という気がします」6>としている。教師が授業をするときに設定してい る目標を、そのままの言葉で生徒に与え、生徒に考えさせ、向かわせた
りするのは、教師の指導ではないというのである。
大村は、「教師はもう少し知恵を出して、『こうさせたい』と思うこ とを、気がつくと自然にやっている、自然に目標に達している、という ふうにし向けなければならない」7)と主張している。子ども自身が目標 をもって学習に取り組むことが重要であり、そのような手立て、教材や 説明、発問や疑問などを用意する必要があるというのである。大村は、
そのための手立て、説明や発問や疑問について、次のように述べている。
大村は、子どもに、r何となくもの足りない。考え方が浅い、も少し 書いた人の気持ちを深く考えなければならない。』8)というとき、「子
どもはほんとに悲しいと思う」9)と述べている。
そのようなとき、子どもから『どうしてもわからない。その時のこと 一71 一
を覚えてもいないし、どうして書いていいのか、わからない』1。)とい う返事が来たというのである。子どもは、具体的な事物や出来事につい て書くのであり、考えるのである。それゆえ、教師は子どもに、何につ いて書こうとし、また考えているかを具体的な事物として、また具体的 な出来事として思い出させる必要があるのである。
子どもが、お祭りにいったときのことを「くわしく書」ll>こうとし ているとき、大村は、『行ったのはお祭りだったんでしょう。その時、
どういうお店があったの。』12)と尋ねた。大村は、子どもがお祭りに いったとき、子どもがどんな店を見ていたのかを具体的に思い出させる 発問をしたのである。すると、子どもは、『こういうお店があってね。
こうだった。』13)と言うのである。子どもは、自分が見た店とその店 の様子、そして、それらを見て、どう感じ、考えたかを思い出すことが できたのである。そこで、大村は、『ああ、あのお祭りならわたしも行っ たけれど、こういう亀を売っているおじさんがいたでしょう。こんな歌、
歌っていなかった。』14)と尋ねることによって、子どもが、お祭りの 店で見た人、興味をもって見たことや聞いたことを思い出させる発問を
したのである。子どもは、その発問に対して、『いた、いた』15)と答 え、お祭りで見た「亀を売っているおじさん」16)とその人が歌ってい た歌を思い出すことができたのである。
そこで、大村は、rそれ書けばよかったじゃないの。』i7)と言って、
子どもに、お祭りで見た「亀を売っているおじさん」18>のことを書か せたのである。大村は、子どもがお祭りに行くということの経験を理解
し、具体的な事物や出来事を思い出させるように、具体的な言葉で発問 し、子どもにお祭りで見た店や店の様子、店の人や歌っていた歌のこと などを思い出させて、それらのことをそのまま書くように指示したので 一72一
ある。
次に、大村は、rお祭りから帰る時に、なになに先生に会ったでしょ う。わたしはね、あなたが会ったその後で、その先生にお会いしたの。
初子さんが袖の長い和服を着てね、こうこうだったと私に教えてくださっ たけれど、そうだったの。』19>と尋ねた。大村は、大村自身がお祭り
に行って、そこで会った「なになに先生」20>から「初子さん」2Dの様 子を聞いていた内容を使って、そのことを、子どもに疑問として発問す ることによって、子どもに「なになに先生」22)と出会ったときのこと を思い出させているのである。子どもは、その発問によって、「なにな に先生」23>に出会ったことを思い出し、rそうです。』24)と答えたの
である。
そこで、大村は、『先生は何とおっしゃったの』25)というように、
子どもが「なになに先生」26)から話された内容を尋ねることによって、
子どもが「なになに先生」27)と出会って、何を話されたかということ を思い出させる発問をしたのである。子どもは、その発問によって、
『きょうはきれいにして来たなとおっしゃった。』28>と、「なになに 先生」29)から話された内容を思い出して答えたのである。大村は、そ
の答えを使って、『あなた、なんと言ったの』30)と尋ねることによっ て、子どもに、先生に話されて何と答えたのかということを思い出させ
る発問をしたのである。すると、子どもは、『わたしはいつもこんなき れいな着物を着たいんだけれど、きょうのお祭りに着られて嬉しいと言 いました。』31)と先生に答えたことを思い出すことができたのである。
子どもは、大村の発問や疑問によって、お祭りで経験した具体的な出 来事や事物を思い出すことができているのである。それは、大村が、子
どもがお祭りにいくという経験を理解し、子どもがお祭りで見たり聞い
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たり、話したりした具体的な出来事や事物を思い出すように、具体的な 言葉を使って発問し、疑問を与えているからなのである。
そして、大村は、rそれいいじゃない、そういうふうに書いてごらん。
なになに先生にお会いしました。先生は、きょうはきれいにして来たな とおっしゃいましたというように。』32>と説明したというのである。
大村は、子どもが思い出したお祭りでの経験を認め、子どもが思い出し たことを説明し、子どもが思い出した言葉で書くように指示しているの
である。
大村は、このように子どもに発問や疑問、説明を与えることによって、
「その文章がだいたい二倍半くらいに長くなった」33)と述べている。
大村は、「そのもとの、お祭りに行きました、どこどこを歩きました、
こうでした、こうでした、おしまい、という作文が急に生き生きとして き」34>たというのである。
作文を書かせるときに、教師が、rもう少し深く』35)、 rもう少し 細かく』36>というように、子どもに言っているならば、子どもは、経 験したいろいろな見たことや聞いたこと、話したことや考えたことなど
を思い出して書くことはできないというのである。子どもが、具体的に 経験したことを、具体的に思い出すように、具体的な言葉で発問しなけ ればならないというのである。
大村は、子どもがお祭りに行ったときのことを書こうとしているとき、
子どもがお祭りに行くと、どんな店を見たり、どんな人や様子に興味を 持ったり、出会った人とどんな話をしたりするのかということを理解し ている。そして、大村は、その子どもの経験に合うように、具体的な言 葉で発問や疑問、説明を用意して、そのことを子どもに問題として与え ているのである。そうすることによって、大村は、子どもに経験したい 一74一
ろいうな見たこと、聞いたこと、話したこと、考えたことを思い出させ ているのである。このように大村は、子どもに作文を書かせるときには、
作文を書かせる手立てを、具体的な言葉で子どもが経験したことを思い 出させる説明、発問や疑問として用意し、子どもの経験を使って、具体 的な子どもの経験を思い出させて書かせているのである。
大村は、「文章を組み立てるということを学ばせるにしても、よく、
文章を一つ示しまして、この組み立てをどう思うかとか、前・中・後と して考えるとどうなるかというふうに、文章を使ってされることが多い」
37) ニ述べている。教師が授業の目標として、文章の組み立てを考えさ せたいときに、その文章を教材として提示して、それをそのまま使って、
例えば、「この文章の起承転結は、どの部分ですか。」と聞いたり、
「この文章のこの段落では、どういうことが書かれていますか。」と聞 いたりすることがよく行われているというのである。このことについて は、大村は、「これはこれで一つの方法」38)だが、「いつもそうした 方法によるの」39)は「残念」40>で、「マンネリ」41)だというのであ
る。
例えば、「フシダカバチの秘密」42>の学習において、書き出しの
「フシダカバチには、全く不思議な力がある。一つは、幼虫の食物にす るゾウムシを、実に見事な方法でいつまでも保存しておくことである。
もう一つは、似たような形や大きさの昆虫がいくらでもいるのに、それ らには目もくれず、ゾウムシだけをつかまえてくることである。そこに は、どのような秘密がかくされているだろうか。」43)という段落は、
筆者が、フシダカバチの獲物(ゾウムシ)の保存方法とフシダカバチが ゾウムシだけを獲物とする理由を問題として提起している部分であるこ とを理解させることが必要である。
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