中学校における教師の指導性についての研究 : デューイの児童中心の教育観を基礎にして
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(2) 目次 はじめに. 一一一一一一ee−ee一一一e“ee−e一一e一一一一一一一一1. 第1章教師の指導性についての考え方 一デュ・一一イの児童中心の教育観を中心にして一. 第1節 指導性についての歴史的な解釈 1 伝統的教育における指導性. ・・・… 3. ・・・・・・・・・・・・… 3. … 。・・・・・・・・… 3. 2 進歩主義的教育における指導性 ・・・・… 。・・・… 。6. 第2節 デューイの児童中心の教育観における指導性 1 子どもの相互作用としての環境の設定. ・…. r・…. 11. 。・・・・・… 11. 2 よりよい反応を呼び起こす刺激を選択し、設定すること ・… 14. 3 問題解決過程としての作業. …. 。。・・・・…. 。・18. 第3節 新しい学力観における教師の指導性. 一羽曳野市、藤井寺市、富田林市の場合について一 1 学校教育目標にみられる指導性. ・・。・26. ・。・。・・・・・…. 。・26. 2 国語科指導目標にみられる指導性 ・・・・・・・・・・・…. 第2章大村はまの授業にみられる教師の指導性 第1節 大村はまの指導についての考え方. ・・・・・・・・・…. 37. ・・・・・・・・・・・… 38. 3 指導のための予備調査のあり方. 4 指導のあり方. ・・・・・・・・・… 37. ・・・・・・・・・… 37. 1 指導の前提条件としての資料の収集. 2 指導に対する環境のあり方. 31. ・・・・・・・・・・・… 39. ・.e・・・・・・・・・・・・・… 45. 5 大村はまの指導の特徴 ・・・・・・…. 。・・・・・…. 53. 第2節 大村はまの児童、生徒についての考え方 ・。・・・・・・・… 1 伸びようとする力をもつ子ども. ・・・・・・・・・…. 2 子どもは、ひとりひとりが違うということ. 第3節 “教えるということ” 一教師の指導性一 1 生活として教えるということ 2 子どもの経験を生かす ・・…. ・…. 。・60. 。・・63. ・・・・・…. ・・・・・・・・・・・… 。・・・・・・・・・…. 71 71. 78. 60.
(3) 3. 文脈の中の漢字 一子どもの経験の中から一. 4. 子どもの気持ち(意欲)を大切に. ・・・…. 81. ・・。・・・・・・… 83. 5. “個別化”するということ. 6. “力の弱い生徒の指導”について. 7. “ひとりひとりを育てる”ということについて ・・・・… 98. ・・・・・… 。… 89 ・。・・。・・・・… 95. 第3章国語科の授業における教師の指導性 一教材詩「足どり」、説明文「r開いた社会』に向けて」を中心に一 .・・・… 111. 第1節 教材詩「足どり」の授業における教師の指導性 1 詩の授業についての考え方. …. 。…. ・・・・・・・・・・・…. 2 指導案 一「足どり」一. ・・・・・・・・・…. 111. 111. 。・119. 第2節 教材説明文「r開いた社会』に向けて」の授業における教師の指導性. .・・.…. 136. 1 説明文の授業についての考え方 ・・・・・・・・・・・…. 2 指導案 一「r開いた社会』に向けて」一. ・・・・…. 136. 152. 3 指導の過程と結果 ・・・・・・・・・・・・・・・・…. 164. 4 テスト結果とアンケート調査の結果. 194. ・・・・・・・・…. 5 ひとつの望ましい授業のあり方 ・・・・・・・・・・・… 219. おわりに. e. e. 資料. 引用・参考文献. 謝辞. e. e. 一. 一. 一. e. e. e. e. −. e. e. −. e. 一. 一. e. ・・.…. @ .…. 233.
(4) はじめに. 現在、中学校においては、いじめや登校拒否、不登校や学力不振、授 業についていけない生徒の問題など、多くの問題がある。これらの問題 は、生徒ひとりひとりの能力や性格、また、家庭環境や地域性などと深 くかかわっていることも事実である。. しかし、生徒を指導している教師の問題、すなわち、教師の指導に対 する考え方や、技術の問題の方がより重要ではないだろうか。それゆえ に、私は、さまざまな中学校教育に関する問題を解明する手がかりとし て、教師の指導性とは何かについて明らかにすることを本研究のテーマ として設定したのである。それは、現在問題となっている、自ら学ぶ意 欲の育成や、思考力や判断力の育成、生徒の興味や関心を重視し、問題 解決能力を育てる新しい学力観の達成や生きる力の育成などは、すべて 教師の指導性にかかわっていると考えられるからである。. 中学校における教師の指導性についての研究を、デューイの指導性に ついての考え方と実践(主に、シカゴにおける実験学校での)、優れた 実践家である大村はまの指導めあり方を分析し、それらをもとにして国 語の授業を行い、教師の指導のあり方、特に国語の授業における教師の 指導性について考察した。デューイの児童中心の教育観、すなわち、問 題解決学習や経験学習の理論と実践、特に、子どもと環:境の相互作用に おける教師の指導性について研究したのである。. 問題解決学習や経験学習について理解するうえでは、デューイの論文. r教育信條一私の教育学的信條一』、 r学校と社会』、 r民主主義 と教育』などが重要であり、その中にある学校教育および指導の概念に、. 特に注目して研究した。デューイによると、学校は、家庭や運動場での. 一1一.
(5) 活動や生活と同じような、現実的で生き生きとした活動や生活の場であ る。この考えに基づくと、問題解決学習や経験学習は、子どもの現実の. 具体的な生活と関係すべきなのである。学習活動を子どもの経験と結び つけることが、子どもの学習意欲を高め、思考力や判断力を養い、社会 性を育てることになるのである。子どもの経験を重視し、学校教育活動 の基礎とすることが、教師に要求されているのであり、そこに教師の指 導性の中心があるように思われる。. デューイの考えをもとにして、中学校の問題を振り返ってみると、学 校が、生徒にとって生き生きとした活動の場になっているかという疑問 が生じる。実際、受験競争の過熱は、生徒の自主的活動よりも、単なる. 知識の詰め込みを重視する傾向を生んでいる。その結果、生徒の活動や 考え方にさまざまなひずみが生じ、その弊害が数々の問題を引き起こし ている。教師は、この現実を他人事のように見ていないだろうか。生徒 が授業をきらいになり、勉強に身が入らない原因は、単に受験競争のせ いだろうか。私には、日々の教師の指導のあり方に大きな原因があるよ うに思われるのである。. デューイは、子どもが真に興味がある活動を行うとき、その根底には 数多くの努力が存在するとしている。このことは、生徒がサッカーやテ ニスに打ち込んでいる姿の中に見られるのではないだろうか。同じこと が、なぜ、日々の教科の授業に見られないのだろうか。そこには、教師 の指導性の欠如があるのではないだろうか。それゆえに、デューイの教 師の指導性に対する考え方と実践、および、大村はまの授業について研 究し、生徒の経験を重視し、生徒が問題意識をもち、問題を解決してい く学習を構築したいのである。その際、生徒が問題を解決していく過程 において発揮される教師の指導性を明らかにしたいのである。 一2一.
(6) 第1章 教師の指導性についての考え方. 一デューイの児童中心の教育観を中心にして一. 第1節 指導性についての歴史的な解釈. 1 伝統的教育における指導性. デューイは、「伝統的教育」Dの考え方について、「教育」2>は、 「外部からの形成であるという思想」3)により、「自然的な性向にうち. かってそのかわりに外部からの圧力によって獲得される習慣を代置する 過程であるという考え方」4)であるとしている。すなわち、子どもを教 育するということは、子ども自身の力によって、子どもを自然に「発展」 5>. ウせるのではなく七、学校において、教材を用いて、それを教師が教. えるという過程を通して教育することなのである。したがって、教材や 方法は、子どもの自然な興味や関心、経験とは無関係であり、そのため に指導が子どもにとって圧力となっていることも顧みられないというの である。. デューイは、伝統的教育の「基礎観念」6)について、「三つの特色」 7). 8). ー、それによって、次のように、「教授および訓練の目的と方法」 ェ「決定する」9)としている。. まず第一一に、伝統的教育における「教育の題材は過去に造り出された. 知識や熟練の集積から成立する、だから学校のおもな仕事は、それを新 しい時代に伝達するにある」lo)としている。. 学校において「教授」11)すべき「教材」12)は、「知識の組織的な蓄 積と熟練の調整的な形態」13)であるというのである。教材は、過去か 一一 3一.
(7) ら蓄積されている知識や熟練を易しいものから難しいものへと系統的に. 並べ、各学年に割り振って組織化したものなのである。そこで、学校に おける指導の意味は、「それを取得させるという方法で、年少者をば将 来の責任に対しまた生活における成功に対して覚悟させるにある」14) というのである。つまり、教材が過去の知識や熟練の蓄積であるという ことによって、子どもに知識を覚えさせたり、熟練を教えてできるよう にすることが将来の生活に役立つと考え、学校で指導するというときに は、それら知識や熟練を伝達し取得させることが指導の中心となるとい うのである。. 第二に、 「過去においてはそこにまた行為についての標準や規則が発. 達したのであって、道徳的訓練は、それらの規則や標準に適合するよう に行動の習慣を構成することによって成り立つ」15)としている。. 過去の知識や熟練の伝達をもって指導を成り立たせるということは、 その知識や熟練の中に、遵守されるべき規則や到達すべき基準が設けら. れるということである。そこで、指導するということは、生徒がその規 則や基準に達するように、生徒の活動に制限を加えるということなので ある。つまり、「生徒の態度」16>には、「概して、温順、受容、服従 の」17)態度が要求されるというのである。. 第三に、「学校という組織体、これによってわたしは生徒相互の間お よび生徒と教師との連関を意味するのであるが、その学校という組織体 の一般的な型が、学校というものをば、他の社会的な設営と鋭く区別さ れるところの一一mpの設営たらしめるのである」18)としている。. デューイは、 「普通の学校の教室、学校の時間割、意想の計画、秩序 に関する規則の計画」19)における「実況」20)を見ると、いかに「家族. の間に見られるところのもの」2Dとかけ離れたものであり、「社会組 一4一.
(8) 織の他の如何なる形態のものとも鋭く区別され」22)ているというので. ある。つまり、学校という社会は、家族社会や地域社会とは違った、独 自の組織体であり、教室にある机や椅子、時間割にある教科、各県年ご との指導の計画、学校秩序を維持するための規則のあり方や内容は、他 の社会で見られるものと違っているというのである。 これらの伝統的教育の「教授および訓練の目的と方法」23)によって、. デューイは、「書物、わけても教科書が、過去の教訓や知識のおもな代 表物であ」24)るとしている。学校において伝達すべき知識や熟練は、. 書物の中にあり、特に教科書が代表的な教材であるというのである。こ の事実によって、「教師は、その材料に生徒を有効に結びつかせるに使 用される機関であ」25)り、「それによって知識と熟練とが伝達され、. またそれによって行為の規則が励行されるところの事務担当者である」 26)というのである。過去の知識や熟練の蓄積は、教科書によって示さ れており、教師はその教科書を使って、子どもに、その内容を伝達する というのである。つまり、教師が子どもを指導するというのは、過去の 知識や熟練が蓄積された教科書を教えるということなのである。. しかし、デューイは、「伝統的な組織は、要するに、上方からのまた 外部からの賦課を本質とするやり方である」27)としている。すなわち、. 単なる過去の知識や熟練の伝達は、子どもに対する押し付けや負担を与 えているということであり、「徐々に成熟にむかって生長しつつあるに 過ぎないものに対して、成人の標準と目的物と方法とを賦課するもので ある」28)というのである。子どもは少しずつ生長し、成人の持つ知識. や熟練を身につけようとしているのだが、「年少者の現有の能力にとっ て無関係であるというほど」29>に成人がもつ知識や熟練を与え、子ど. もに負担をかけているというのである。子どもにとって、「その要求せ 一5一.
(9) らるる目的物と学習や行動の方法」30>は、子どものもっている「経験 では到達し得ない範囲外のものである」31)というのである。. 2 進歩主義的教育における指導性. デューイは、伝統的教育の基礎観念に対して、進歩主義教育の「原理」 32>は、次のように「対立」33)するとしている。. すなわち、まず第一に、伝統的教育における「賦課」34>に対して、 「個性の表現と島育とが対立する」35)としている。「学ぶ」36>という. ことが、「既に書物のなかにまた年長者の頭脳のなかに結合されている ところのものの取得を意味」37)し、「本質的に静的なものと考えられ」 38)た「社会の文化所産」39>を「教えられる」40)こととしていること. に対して、個人の特性を考慮して、子どもの興味や関心を重要視し、そ れらの傾向に基づくことが対立しているというのである。 第二に、「外部からの訓練」41)に対しては、「自由活動が対立する」 42). ニしている。伝統的教育では、「訓練」43>によって、「行為につい. ての標準や規則」44>に、「適合するように行動の習慣を構成」45)し、 「生徒の態度」46)には、「温順、受容、服従」47)を求めていたことに. 対して、子どもの「個性」48>に合わせて、自由に行動させるというこ とが対立するというのである。. 第三に、「文書や教師からの学習」49>に対して、「経験をとおして の学習が対立する」50)としている。伝統的教育での教材は、「過去に. 造り出された知識」5Dであり、「過去の教訓や知識の代表物」52)であ るところの「教科書」53>であって、それらの「取得」54)を学習とする. 一6一.
(10) ことに対して、子どもの経験が重要視され、子どもの経験を使って、子 どもが経験することをもって、学習が成立するとみなすことが対立する というのである。. 第四に、「孤立した熟練や技術の鍛練によっての取得」55>に対して、 「端的に心を打つ目的への到達のための手段として」56)の「熟練や技 術」57)の「取得が対立する」58)としている。伝統的教育における「熟 練や技術」59)は、「静的なもの」60)であり、「完成された所産として. 教えられて、最初発生してからそれの構成されるに至った筋斗とか、あ るいはまた将来そこに必ずおこるに違いない変化とかについては、少し も考慮されることがない」6Dゆえに、現在の学習者においては、「隔 たり」62>があるというのである。これに対して、進歩主義的教育では、. 現在の学習者が生活において必要とする「熟練や技術」63)を「取得」6 4>. キることが行われるために、学習者の要求は実際的であり、切実であ. ると考えるのである。それゆえに、学習者の興味や関心に応じて、生活 の目的のために、手段としての熟練や技術の指導が設定されるというの である。. 第五に、「多少とも遠い将来のための準備に対して、主として現在の 生活における機会を飽くまで利用するということが対立する」65)とし. ている。伝統的教育において、学習は将来の生活における準備とされて いることに対して、現在の学習者の生活の中に教材があり、目的がある というのである。. 第六に、「静的な目的や材料に対して、変化しつつある世界への親灸 ということが対立する」66>としている。伝統的教育においては、教え るべき教材、すなわち、「社会的の文化所産」67)は、「大体において 過去のままであるとの仮定のもとにおかれている」68>ことに対して、 .一7−A・.
(11) 進歩主義教育では、実際において変化している世界に応じて、学習内容 も変化すると考えることが対立するというのである。. 一8一.
(12) 【註】. 1). 2). 3). 4) 5) 6) 7) 8) 9) 10) 11) 12) 13) 14) 15) 16) 17) 18) 19) 2e). 21) 22) 23) 24). 25) 26) 27) 28) 29) 30). 31) 32) 33) 34) 35) 36> 37) 38) 39). 40) 41) 42) 43) 44). デューイ著 原田実訳 『経験と教育』 同上書 p・ 3 同上書 p・ 3 同上書 p・ 3 同上書 p・ 3 同上書 p. 3 同上書 p・ 4 同上書 p. 4 同上書 p・ 4 同上書 p・ 4 同上書 p・ 4 同上書 p・ 4 同上書 p・ 4 同上書 p− 5 同上書 p・ 4 同上書 p・ 5 同上書 p. 5 同上書 p・ 4 同上書 p. 4 同上書 p・ 4 同上書 p・ 4 同上書 p・ 4 同上書 p. 4 同上書 p・ 5 同上書 p・ 5 同上書 p・ 5 同上書 p・ 5 同上書 p・ 5 同上書 p・ 5 同上書 p. 5 同上書 p・ 5 同上書 p・ 7 同上書 p・ 7 同上書 p. 7 同上書 p・ 7 同上書 p. 6 同上書 p・ 6 同上書 p・ 6 同上書 p・ 6 同上書 p・ 6 同上書 p・ 7 同上書 p・ 7 同上書 p. 7 同上書 p・ 4. 45). 伺上書. 46). 同上書 同上書 同上書 同上書. 47) 48) 49). p・. 4. p.. 5. p・. p・ p.. 5 7 7 −9一. 春秋社 1956年 p.3.
(13) 50) 51) 52) 53) 54) 55) 56) 57) 58) 59) 60) 61) 62) 63) 64). 65) 66) 67) 68). 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書. p. 7 p. 4 p. 5 p. 5 p. 5 p. 7. p. 7 p. 7 p. 7. p. 7 p. 6 p. 6 p. 6. p. 7 p. 7 p. 7 p. 7 p. 6 p. 6. 一10一.
(14) 第2節 デューイの児童中心の教育観における教師の指導性. 1 子どもの相互作用としての環境の設定. デューイは、「教育という事業の中でめ教育者の役割は、反応を喚起 して学習者の進路を方向づける環境を提供することである」Dとしてい る。教師の指導は、指導しようとする事柄について、子どもが分散的で、 散漫な、目的を見いだせないでいる状態にいるとき、目標を持たせて、. 思考を集中させ、目的に向かって反応するような環境を与えることであ るというのである。デューイは、「教育者がなしうることは、せいぜい、. できるだけ確実に反応が望ましい知的および情緒的性向の形成をもたら すように刺激を加減することにすぎない」2>としている。教師の指導は、. 子どもに反応させ、指導の目的に合うように、子どもに知識が身につき、 情緒的に豊かに感動するような環境を整えることにあるというのである。. デューイは、「学習対象すなわち教育課程の教材は、この環境を与える という仕事に直接的に関係している」3)としている。教材が、子どもに. とって環境となり、子どもの反応は、教師が与える環境、すなわち教材 によって呼び起こされるというのである。. 子どもに環境を与えることについて、デューイは、「形成された諸習 慣に意味を与える社会的環境の必要」4)があるとしている。教材は、 「人が一緒に共同生活をしている人々が行ったり、言ったりする」5)と. ころの「社会的交わりという母体の中に直接的に含まれている」6)とい うのである。デューイは、この「非制度的教育」7)の中に、「制度的つ まり計画的な教育の教材を理解するための手がかり」8>があるとしてい. る。人が何げなく生活していること、すなわち、生きるために活動して 一11一.
(15) いることの中に、教育を計画的にする必要性を見出すことができるとい うのである。. デューイは、例えば、 「未開社会集団の行事や儀式」9)は、彼らの生. 命活動とともに形成されてきたものであり、彼らの文化的遺産であると している。彼らの、「物語や伝説、歌や祈祷文」ゆは彼らの生活や活 動そのものなのである。未開社会集団の中で、それらの活動は、「末代 まで残して行くために」11)、「意識的に」12)、「強烈な情動的熱情を もって」13>「若者に印象づけられる」14)のである。そして、未開社会. 集団の「食事や狩猟、戦争や講和、敷物や陶器や籠の製作、等々という 日常的な仕事の中に示される技能」15>、すなわち、「その集団の直接. 的に有用な慣習を伝達するのよりも、なお一そう多くの努力が意識的に なされ」16)るのである。未開社会集団の「食事や狩猟、戦争や講和、. 敷物や陶器や籠の製作、等々という日常的な仕事」17)は、「共同生活 の日常的過程の中で身につけることができる」18)が、「集団の神話や 祭文」19)は、「それができない」20)からなのである。. このように、社会生活の中から、社会を維持し、進歩させるものを取 り出し、子どもに教材として与えることから、デューイは、教育を「社. 会的過程」2Dとしている。教育は、子どもを社会生活を営み、進歩さ せる成員に育てることを目的とした活動の形式なのである。社会に蓄え られてきた文化的な遺産、知識や技能は、学校の機能や教育活動、指導 によって、子どもたちに伝達されるのである。このとき、教材は、子ど もを社会化し、社会を形成する成員とするための環境となるのである。 デュ 一一イは、「学校での学習活動の材料は、伝達することが望ましい. 一般的な社会生活の意味内容を具体的かつ詳細に表現する」22)として. いる。教材は、社会生活を維持し、進歩させるのに必要な「末代まで残 一12一.
(16) すべき文化の本質的な要素」23>なのである。デューイは、「活動の結. 果として、過去に達成された諸観念について知ることは、教育者を、若 者たちの外見上衝動的で無目的な反応の意味を認識することができるよ うにし、しかも、それらの反応が何らかの結果に達するようにそれらを 導くのに必要な刺激を与えることができるようにするのである」24>と している。指導は、子どもの、衝動的で、無目的で、まとまりのない活 動に対して認識し、「標準化」25>された過去の文化的遺産であるとこ. ろの知識や技能、情緒の目的に合わせて、子どもを導くために環境を整 え、教材を与え、相互作用を起こさせることにあるのである。 デューイによれば、教育は、「生活の過程」26>である。教育は、現 実の子どもの社会生活の過程そのものであり、子どもの問題、すなわち、. 学力をつけることや社会的に活動することは、その生活の中にあるので ある。したがって、子どもに与えるべき教材は、子どもが生活する過程 における文化的な遺産としての知識や技能、情緒なのである。指導は、. 子どもに社会生活の過程を経験させることであり、そのために環境、す なわち、系統性をもち組織化された教材を、意図的、計画的に準備し、 与えることなのである。. デューイは、「組織化された教材は、それらのものと似た経験、つま り同じ世界を含み、それらのものと類似の能力と必要とを含む経験の熟 した果実を体現しているのである」27)としている。教材を子どもの経. 験に合わせて組織化し、与えることは、「完成、つまり全く誤りのない 知恵を体現しているのではない」28>が、「現存する知識や芸術作品に. 体現されている業績を、少なくとも何らかの点で、越えるかもしれない 新たな経験を推し進めること」29)が重要であるというのである。. デューイは、 「いろいろな学科は、実際に役に立つ資産、有効な資本 一一 13一.
(17) を意味する」30>としている。しかし、デューイは、学科が「子どもた. ちの経験から遠く離れていることは、外見上のことではなくて、現実で ある」3Dとしている。学校で指導すべき教材は、子どもの経験そのも のではないのである。デューイは、「学習者の教材は、系統立てて述べ られ、結晶化され、体系化された成人の教材とは同一でないし、同一で はありえない」32)というのである。教材となる「書物や芸術作品等々 の中に見出される材料」33)は、 「専門家や教育者の活動の中に直接に. 入る込むのであって、初学者、学習者の経験の中へではない」34)とし. ている。デュVは、「教授活動に直接従事しているとき、教授者は教 材を熟知していなければならない」35)が、「彼の注意は生徒の態度と 反応とに向けられていなければならない」36)というのである。デュー. イは、「生徒の態度や反応を教材との相互作用において理解することが 教師の務めである」37)というのである。デューイは、 「教師は教材そ. のものにではなくて、生徒の現在の必要および能力と教材との相互作用 に専心すべきなのである」38)としている。指導は、社会的な役割を果 たす活動ができるように、教材を与え、教材と子ども、教師と子ども、 子ξもと子どもに相互作用が起きるように環境を与えることなのである。. 2 よりよい反応を呼び起こす刺激を選択し、設定すること. デュ’一イは、「教育という一般的な機能」39)として、「指導とか統. 制とか補導という形」40)を示している。補導は、「人間の生まれつき の能力を共同作業を通して助けるという観念を最もよく表わす」41)と. し、子どものもつ、よりょく生きるための潜在的な素質や性格、特性や 一14一.
(18) 傾向といったものを、作業によって、自然と向上し、複雑化し、深化さ せる働きであるとしている。また、統制は、「外部から加えられ、統制 されるものからのいくらかの抵抗に会う力という概念を表わす」42>と し、子どもの興味や関心といった好みの傾向について、外部から規制を. 加えたり、示唆したり、誘導するときに生じる子どもの抵抗に対する作 用であるとしている。. デューイは、これらの二つの概念に対し、指導は、「より中間的な用 語であって、指導されるものの活動傾向が、当てどなく分散することな く、一定の連続的進路に導き込」43)む作用であるとしている。指導は、. 子どもの興味や関心へ迎合して、思うがままに自由に行動させることで はなく、また、外部からの価値を押し付け、行動を制限し、一定の規準 を遵守させることでもない、中間的な働きなのである。. デューイは、このような指導についての規定のもとで、「あらゆる刺 激は活動を指導する」44)としている。すべての「刺激は、単に活動を. 引き起こしたり、掻き立てたりするだけでなく、それを目的の方へ指導 する」45)というのである。光という刺激があるとき、「光は何かを見 ようとする眼に対する刺激」46)であり、「眼の働き」47>は、「見る」. 48)という目的に向かって活動し、「眼が開かれていて、そこに光があ るならば、見るという働きが起こる」49>というのである。子どもが見 たり、聞いたり、触れたりすることなど、すなわち、経験することは、. 単なる独立した刺激ではなくて、次の活動を呼び起こさせ、目的に向かっ て活動を引き起こす経験なのである。. しかし、デューイは、「少数の本能の場合のほかは、未成熟な人間が 受ける刺激は、最初のうちは特定の反応を呼び起こすに足るほど明確で はない」50)としている。子どもの経験には、「いつも大量の余計なカ. 一15一.
(19) が呼び起こされ」51>、「この余計な力は、的をはずれて、浪費された り、さらに、ある行為を首尾よく遂行することに逆らうこともあ」52>. るのである。子どもが刺激に対して反応するとき、いつも教師が期待す るような、思惑どおりの反応であるとは限らない。子どもは、刺激に対 して、むだな行為や無意味な行為を含めて、さまざまに反応するのであ る。. デューイは、「焦点に集中することと、順序づけること」53)が、 「指導の二つの面」54>であるとしている。デューイは、「自転車乗り の初心者の行動」55)と「熟練者の行動」56)とをくらべて、初心者の行. 動は、「発揮される力には軸となる方向がほとんどなくて、力はひどく 分散的、遠心的である」57>としている。自転車に乗るという刺激は、. 初心者も熟練者も全く同じである。しかし、初心者は、バランスがとれ なく、体の傾きや足にかかる作用のさまざまな場合について、適切な反 応を選び出せないでいるのである。このとき、初心者は、自転車に乗る ことを問題としている。初心者は、自転車に乗ることを矛盾した経験と し、どうしたらこけないか迷い、なぜフラフラするのかよくわからず、. どうして乗ればいいのか困っている状態なのである。そこで、初心者は、 この状態から抜け出そうとする。すなわち、今、自分に起こっている問 題を解決し、自転車にうまく乗ろうとするのである。そこに、どのよう にすれば自転車にうまく乗れるかという問題があり、その問題を解決し. なければ、自転車に乗れないのである。指導は、このような子どもに矛 盾や疑問を与え、迷わせ、よくわからなくさせ、困らせる状態にさせる ことにある。子どもが矛盾した状態、すなわち、問題に対決しているこ. とが重要であり、その状況を作り出しているのが教材であり、その状態 を解決しようとするための働きが学習となるのである。. 一16一.
(20) デューイは、「指導は、行動が確かに反応となるようにするためにそ れを集中したり、固定したりすることを必要とするのであり、しかも、 このことは、不必要で、混乱をもたらす運動を消去することをも必要と する」58)としている。指導は、自転車に乗るとき、体の傾きや重心の 移動に対して適切に反応させ、こけないようにさまざまな状態に反応さ せることなのである。自転車が右に傾いたときに、さらに右に重心をもっ ていくような行動をとらせないようにすることなのである。指導は、 「ある一定の時点においては、それは、局部的に呼び起こされたすべて の傾向の中から、必要な点に力を集中させるような傾向を選びとること を必要とする」59>のである。指導は、子どもが分散的で散漫な活動を しているときに、目的に合う必要な傾向を選び、力を一点に集中させる ことなのである。. また、デューイは、「人は、活動するときは、いつも幾分かは歯応的 動作をするのであって、それが少しもなされないような活動を起こすこ とはできないのであるが、それでも、ある反応は、行動の順次性や連続 性と相容れないようなものとなることがある」60>としている。人は刺 激に対して、本能的に身を守るような行動、そのときどきに、よりょく. 生きるための行動を瞬間的にとる。しかし、その反応は、次に起こる刺 激に対する準備ではないこともあるのである。デューイは、「拳闘をし ている人が、ある特定の一撃からうまく身をかわしたとしても、そのか わし方は、次の瞬間にはもっと強烈な一撃に身をさらすものであるかも しれない」6Dとしている。相手からの一撃という刺激、それをかわす という反応は、かわした後の相手からの一一agについて想定した反応とは. 連続していないことがあるのである。そこで、デューイは、「適切な統 制とは、引き続いて起こる諸動作が連続的な順序に並べられること、各 一17一.
(21) 動作がその直接の刺激に対処するだけでなく、後続の諸動作を助けるこ とを意味する」62>としている。刺激一反応一刺激一反応という作用を. 連続的に起こさせるには、一つの刺激に対する反応が、続いて起こる刺 激に対する反応を助けるように動作を統制しなければならないのである。. 指導は、子どものさまざまな動作に連続性をもたせ、各動作が次の動作 を助ける作用なのである。したがって、指導は、問題を子どもに与え、 それを解決するために、自己のなす活動(反応)をコントロールするこ とである。指導は、「各動作を先行する動作や後続する動作と釣り合わ せて、活動の順序を打ち立てることを必要とする」63)のである。子ど もの活動の瞬間をとらえて、力を集中させることと、子どもの動作を見 て、どのような動作からその動作が生じたのかを理解し、その動作を使っ て、次の動作を生じさせることとが指導にとって重要になるのである。. 3 問題解決過程としての作業. デューイは、「自然に直接にぶつかること」64)、実際の事物や材料 をとりあつかうこと」65)、「それらのものを操作する実地の過程に触 れること」66)などに「じっくりした習熟」67>があり、「社会的な必要. さや用途についてのわきまえ」68)があるとして、「教育目的からみた 重要な意義をも」69)つとしている。現実の生活の中の活動によって、. 「観察・創意工夫・構成的想像・論理的思考、そしてまた実地実物にじ かに接触することによって得られる現実感などが不断に訓練され」70) るというのである。. デューイは、 「木工・金工・編物・裁縫・料理などを、個別的な学科 一 18 一一.
(22) と考えるのではなく、生活および学習の方法と考えねばならぬ」7Dと している。作業は、「社会がそれによって自らの存続を維持する諸過程. の典型として、社会生活の第一義的な必要条件のいくつかを子どもに納 得させる媒介」72)なのである。作業は、「人間のしだいに成長する洞 察と工夫とによって充たされてきた道程〔の典型〕」73)なのである。. 作業は、「学校そのものを、そこで課業を学ぶための隔離された場所で. はなく、生きた社会生活の純粋な一形態たらしめるところの手段」74). なのである。作業には、役に立つようなものを作る、役に立つように行 動するという意義があり、作業の社会的意義は、社会を存続させること. である。作業の目的は、子どもが社会生活を営むために、子どもを社会 的な成員とすることなのである。. デューイは、「料理をしたいと思う幼い子どもは、それがどのような ことを意味するか、どれほど費用がかかるか、または、どのようなもの が必要であるかについては、ほとんどなにも考えていない」75)として いる。子どもにあるのは、「たんに『おままごとをする』欲望」76)、 「おとなのすることを真似てみたいという欲望にすぎない」77)という. のである。デューイは、「その衝動が行使され、利用されるならば、そ れはさまざまの困難な事情に充ちているこの現実の世界にむかってつき すす」78)ませ、「この世界に自らを適応」79)させなければならないと いうのである。デューイは、そこに「訓練および知識の要素が入」80). るというのである6. デューイは、「子どもたちの一人が実験という時間のかかる方法によっ て仕事を解決せねばならぬことに辛抱できなくなって」8D、 rどうし て私たちはこんなめんどうくさいことをする』82)のか、『お料理の本 に出ている料理法のとおりにや』83)ればいいではないかという疑問を. 一19一.
(23) もったとき、「教師は料理の本にある料理法はどうしてそのようにまと められたものであるかを子どもたちに尋ねた」84)としている。子ども. の作業に対する正直な疑問を受け止めて、疑問を子どもの問題として問 い返したのである。そして、「いろいろと話し合った結果、もし自分た ちがたんに料理の本の料理法にしたがって作るだけなら」85)、「自分. たちのやっていることについて、なぜこうしなければならないのかとい う理由を理解しない」8・ 6>ということが、「子どもたちにわかった」87). というのである。子どもは、教師から問題を与えられて、自分たちの作 業の意味を理解することが重要であることに気がついたのである。デュ ーイは、「それからかれらはまったく自らすすんで実験的な作業をつづ けて行った」88>としている。問題が子どもの中に生じ、解決しようと. する衝動によって、子どもは、目的をもって活動しはじめたというので ある。デューイは、 「この作業のすじみちをたどってゆくと」89>、. 「問題の」go)「中心点が解明される」9Dとしている。. デューイは、「子どもたちの仕事」92>は、「鶏卵の料理であり、そ れは野菜の料理から肉類の料理へ移る橋渡しとなるものであった」93>.. としている。子どもに料理をさせるというとき、料理という作業に知識 の伝達や技能の習得に段階をもたせてあるのである。子どもたちは、 「比較の基礎を得るために」94>、「最初野菜類にふくまれる栄養素の. 組成分を概括して、肉類にふくまれるそれとの予備的な比較をこころみ た」95)としている。作業の意味は、単に料理を作ることを目的とする. のではなく、料理には人体にとって必要な栄養としてどのようなものが 含まれているのか、何を人体にとって必要な栄養素として摂取するため に料理するのかという理科的な知識を、その活動の過程で得ることがで きるのである。デューイは、「こうしてかれらは、野菜類の中にふくま 一20一.
(24) れる木質の繊維ないし繊維素は肉類における結締組織に相当するもので あって、形状および構造の要素となるものであることをみいだした」96 )としている。野菜類の栄養素の組成分を調べる実験によって、肉類と. の相違を得ることに成功し、野菜料理と肉料理をすることの意味を理解 したのである。. デューイは、「また、かれらは滅粉および澱粉質の生成物が野菜類の 特質であること、塩分が両者に一様にふくまれていること、および両者 に脂肪が一一野菜類には少量に、獣肉類には多量にふくまれていること をみいだした」97)としている。子どもの衝動により、実験をさせたと ころ、次々と、野菜類と肉類の特質を調べたというのである。デューイ. は、「それから、かれらは野菜類における澱粉に相当するところの獣肉 の特質たる蛋白の研究にとりかかる準備をすることになり、、まず蛋白 の適当なとりあつかいに必要な諸条件を考察することになった」98)と. している。子どもの衝動に問題を与えることによって、子どもは、問題 を解決するために実験という活動の目的を得る。そこで、一つの問題に 取り組んでいるときに、また新たな問題が子どもの中に生じたというの である。そこで、子どもは、「鶏卵を実験材料として用いた」99>とい. うのである。鶏卵の料理をさせるという作業たは、鶏卵を使って料理を 作るという技能的な学習が設定されている。すなわち、鶏卵で料理を作 るという作業は技能、熟練の伝達と習熟を目的としているが、同時に、. 鶏卵料理に含まれている文化的な知識、鶏卵が人体に必要な栄養素を兼 ね備え、料理の材料として用いられるに至った過程、意味という知識体 系の伝達も行われるのである。. デューイは、「子どもが種々の事実、材料、およびそれらのものにふ くまれる諸条件を認識することによって自分の衝動を実現し、そしてそ 一一 21 一一.
(25) の認識をつうじて自分の衝動を規制するようになることは、教育的であ る」100)としている。鶏卵を料理するという目的があるとき、子どもが、. なぜ鶏卵が料理の材料として用いられるのか、鶏卵に含まれる栄養素や 成分は何であり、人体にとってどのような必要性があるのかということ を知りたいという衝動をもち、その衝動によって、実験、考察、理解す ることに教育的な意味があるというのである。デューイは、「これが興 味をたんに刺激する、或はほしいままにさせることと、興味を指導する ことによってそれを実現させることとのあいだに存する差異であ」10D るというのである。そこに、問題解決過程としての作業の重要な意味と 役割があると考えられるのである。. 一22一.
(26) 【註】. 1). デューイ著. 2). 同上書 p.. 3). 20). 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書. 21). デューイ著. 児玉三夫訳. 1956年. p. 146. 22). デュ 一一イ著. 23). 25). 同上書 p. 同上書 p. 同上書 p.. 287 287 287. 26). デューイ著. 児玉三夫訳. 1956年. p. 147. p. 285. 4> 5). 6) 7) 8) 9) 10) 11). 12) 13) 14) 15). 16) 17) 18). 19). p. p. p. P. p. p. P. P. P. p. p. p. p. p。 p. p. p. p.. p. 287 24). 27). 28)’. 29) 30). 31) 32) 33) 34) 35). 36) 37) 38). 39) 40) 41) 42) 43) 44). デュー一一イ著. p. 288 同上書 同上書 画上書 同上書 画上書 同上書 同上書 同上書 画上書 同上書 同上書 同上書 画上書 同上書 同上書 画上書 同上書. p. p. p. p. p. p. p. p.. p. p. p. p. p. p. p. p. p.. 松野安男訳. 『民主主義と教育(上)』 岩波書店 1994年. 285 285 285 285 285 285 286 286 286 286 286 286 286 286 286 286 286 286 286 松野安男訳. 松野安男訳. 『教育信條』一私の教育学的信條一 春秋社 『民主主義と教育(上)』 岩波書店 1994年. 『教育信條』一私の教育学的信條一 春秋社 『民主主義と教育(上)』 岩波書店 1994年. 288 288 288 288 288 288 288 289 289 289 289. 46 46 46 46 46 47. 一23一.
(27) 45) デューイ著 松野安男訳 『民主主義と教育(上)』 岩波書店 1994年 p. 47 46) 同上書 p. 47 47) 目上書 p. 47 48) 同上書 p. 47 49) 同上書 p. 47 50) 同上書 p. 48 51) 目上書 p. 48 52) 同上書 p. 48 53) 同上書 p. 49 54) 同上書 p. 49 55> 同上書 p. 48 56) 同上書 p. 48 57) 画上書 p. 48 58) 同上書 p. 48 59) 画上書 p. 49 60) 同上書 p. 48 61) 同上書 p. 48 62) 同上書 p. 48 63) 同上書 p. 49 デュ 一一・イ著 64) 宮原誠一訳 『学校と社会』 岩波書店 1993年 p.21 65> 同上書 p. 21 66) 同上書 p. 21 67) 画上書 p. 21 68) 同上書 p. 21 69) 同上書 p. 21 70) 同上書 p. 22 71) 画上書 pp. 24−25 72) 同上書 p. 25 73) 画上書 p. 25 74) 同上書 p. 25 75) 画上書 p. 49 76) 同上書 p. 49 77) 同上書 p. 49 78) 同上書 p. 49 79) 画上書 p. 49 80) 同上書 p. 49 81) 同上書 pp. 49一一50 82) 画上書 p. 50 83) 同上書 p. 50 84) 画上書 p. 50 85) 同上書 p. 50 86) 画上書 p. 50 87) 同上書 p. 50 88) 同上書 p. 50 89) 同上書 p. 50 90) 同上書 p. 50 91) 同上書 p. 50 92) 同上書 p. 50 93) 同上書 p. 50 一24一.
(28) 宮原誠一訳. 94). デュ・一’イ著. 95). 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書 同上書. 96). 97) 98) 99). 100). 101). r学校と社会』 岩波書店 1993年 p.50. p. 50 p. 50 p. 50. pp. 50−51 p. 51 p. 51 p. 51. 一25一.
(29) 第3節 新しい学力観における教師の指導性. 一羽曳野市、藤井寺市、富田林市の場合について一. 本節は、三市における各中学校の平成8年度の「学校教育目標及び教 育方針、国語科指導目標」1)について調査し、その結果をもとに、教師 の指導性がどのように取り扱われているかについて考察したものである。. 1 学校教育目標にみられる指導性. 三市を通じて、全体として、総合的に学校教育目標として掲げられて いることは、人権尊重の精神の育成と、自主的に行動できる人間の育成 ということである。. まず、人権尊重の精神の育成について、羽曳野市では、河原城中学校 が、教育目標として、「すべての差別に反対し、行動できる人間を育成 する」2)と掲げている。そして、「ひとりはみんなのために みんなは ひとりのために」3>とされ、人は社会の中で生きていること、それゆえ、. 社会の中における自分が果たすべき役割の重要性に気づくことが課題と して設定されているのである。また、生きていくうえで、他人に目を向 け、相互によりょく生きていこうとするための、思いやりや協調の精神 も望まれているのである。. 人権尊重の精神の育成について、峰塚中学校では、 「一人ひとりの人 権を大切にする仲間づくり」4)が目指され、目標に合った生徒集団の育. 成が図られている。また、羽曳野中学校では、「平和と人権を守り、す べての差別に反対」5)するという目標を掲げている。両校とも、人間尊. 重の態度として、祉会性の育成、すなわち、民主的社会の成員となるこ 一26一.
(30) とが課題とされているのである。. また、高鷲中学校においては、「個人の尊厳を重んじ、いっさいの差 別を許さず、真理と平和を希求し、民主国家社会の建設にすすんで参加 する人間」6>を育成するという目標が掲げられている。ひとりひとりの. 人間を大切にし、真理を求め、理想を追求し、同時に真の平和を目指す 民主的社会の成員となることの重要性が指摘されているのである。特に、. 実践課題として、「差別に対する科学的認識を高め、差別を許さぬ生徒 を育てる」7)こと、「集団づくりの中で正しい権利の主張ができる生徒 を育てる」8>ことが掲げられている。現実の社会にみられるいろいろな. 差別について考え、差別のない、すべての人々の人権が尊重される民主 的社会の実現に向け、努力することが求められているのである。. 高鷲南中学校では、「ひとりひとりの個性を尊重し、互いに認め合う 生徒を育成する」9)こととして、望ましい人間関係の育成、すなわち、. 社会性と、「社会に貢献できるよう自分で考え、判断できるr自己教育 力』が豊かな生徒を育成する」le>こととして、よりよい社会を作るた. めに自ら考え、判断して実行する能力、すなわち、自ら学ぶ意欲ひいて は生きる力の育成が図られ、「あらゆる人権問題に積極的、自発的に取 り組み、自分と社会との関わりを考えられる生徒を育成する」lDこと として、差別をなくすという人権尊重の精神及び、奉仕活動、ボランティ ア活動の重要性が指摘されている。. また、高鷲南中学校における人権尊重の精神と社会的な人間の育成の 課題は、いじめの問題や不登校生徒の問題とも関わりをもたせてある。. いじめの問題については、「いじめについては、『絶対に許されないこ と』という意識を教職員、生徒が認識し、地域の協力をえて、その解消 に全力をあげて取り組む」12)としている。また、不登校生徒の問題に 一27一.
(31) ついては、「不登校生徒の心に共感し、理解して、その解決に取り組む」 13)としている。教師と生徒とが、共に人間尊重の精神を再確認し合い、. どのように努力すれば他人の気持ちを理解し、共に生き、生活すること ができるか、みんなで協同してひとつのことを行うとは何か、他人のた めに考え、働くとは何かを絶えず注意し、存動ずることが求められてい るのである。さまざまな問題をもつ生徒に対する指導は、教職員自らが 人権尊重の精神を第一に考え、教師自らが社会的に成熟した成員として の指導者になることの重要性が示されているのである。. 藤井寺市においても、人権尊重の精神は第一に掲げられている。藤井 寺中学校では、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育 成」盒4)をB標とし、第三中学校では、「人権を重んじ、人間性豊かな 生徒を育てる」15)ことを実践課題として設定している。これらは、人. 権を第一に尊重することが人間らしく生きるということであり、人間ら しく生きることが、すなわち、真理を求め、平和な社会の建設に努力す ることであることを示している。人間性を豊かに育てるというのは、自 分の生き方を大切にするように他人の生き方も大切にし、社会の中でと もによりょく生活する人間を育むということなのである。. また、道明寺中学校では、目標を「人間相互の関係について、正しい 理解と協同」16)の「精神を養う」17)とし、その実践課題として、「み んなとともに生きる明るい生徒を育てる」18)としている。社会の中で. 生きる人間として、自分と他人の生き方を相互に理解し、協調して、と もに生きるうえで、よりよい生活を求めていく態度を養うことを示して いるのである。. 富田林市においても、第一中学校では、 「人権を大事にする仲間」19 )を教育方針の「キーワード」20)とし、「共に学び、共に歩む力のある 一28 一一.
(32) 子どもを育てる」2Pことを実践課題としている。また、第二中学校で は、「自他ともに認め合い、命を大事にする人」22)、「仲間とともに 協力し、みんなの幸福を願う人」23>を「目指す生徒像」24)として掲げ. ている。両校とも、人間尊重の精神を養い、生徒を社会的に生きる人間、. すなわち、自他共に互いによりょく生きること、命を大切にすることの 心情の育成が図られているのである。. このような人間尊重と社会的に生きる人間の育成について、第三中学 校でも、「生徒自らが人間尊重の精神に徹し、自らを生かしながら、同 時に集団の成長に積極的に参加する意欲的な生徒集団の育成に努める」 25>としている。自分も他人もよりょく生きるために、社会を形成し、. 民主的な社会を推し進める役割を遂行できる生徒の育成を目指すことが 図られているのである。また、個人については、個性を自由に表現する. 態度と同時に、社会の中で生きる個人という態度を育成することを課題 としているのである。. また、葛城中学校では、「心をひらき、仲間と共に伸びる生徒」26). を目標として、自分と他人の生き方や人間同士の心のつながりを大切に し、社会の中で生きる生徒の育成が図られ、金剛中学校では、「差別を 許さずなかまとともに伸びる実践力のある生徒」27>を目標として、人. 間尊重と、差別のない社会を実現するために、具体的に他人の生き方を 大切にして行動できる人間の育成が図られているのである。. 次に、自主的に行動できる人間の育成について、峰塚中学校では、 「進んで学習し、自主的、創造的に取り組める生徒」28》として、自主. 的な学習態度の養成と創造的な生き方の育成が図られている。学習が自 分でものを考え、ものを作り出す力を育てることが示されているのであ 一29一.
(33) る。誉田中学校では、「自主性、自律性をもった生徒を育成する」29). として、自主的に行動することの育成が図られている。自分の行動の社 会的意味、すなわち、自主的に規律を守る態度、秩序を重んじる態度の 育成が図られているのである。 また、高鷲中学校では、 「基礎学力の充実につとめ、能力・特性を生. かして、自主的に学習する生徒を育てる」30)ことを目標として、基礎・. 基本的な学力の育成、自主的な学習態度の養成が図られている。自分の 能力を知ること、特性を知ること、そのことを通して、よりょく自分が 生きていくために、どのことをどのように伸ばし、力をつけるのかにつ いて考えさせることの必要性が示されているのである。高鷲南中学校で は、 「基礎、基本を大切に意欲的に勉強に取り組む生徒を育てる」3D. という教育方針のもとで、自主的な学習態度の育成のために、基礎、基 本の学習を身につけることが重要であると考えられ、基礎、基本の学習 をやり遂げることによって意欲をもたせ、勉強に取り組む姿勢を育てる ことが示されているのである。. このような自主的な学習態度の育成について、藤井寺中学校では、 「自主的に学習する真面目な生徒を育てる」32)ことを目標とし、道明. 寺中学校では、「自分からすすんで学習する生徒を育てる」33)ことを. 目標とし、第三中学校では、「自ら求めて学び、考えを深める生徒を育 てる」34>ことを目標として、自主的、自発的な学習の促進が図られて いるのである。. 富田林市においても、第一中学校では、「自らの力で、たくましく生 きる子どもを育てる」35)ことを目標として、自主的に、自ら学び成長. する子どもの育成が図られている。また、第二中学校では、「自ら進ん で研究し、正しいことを追求する人」36)を「生徒像」37)として目指し、. 一30一.
(34) 自主的な学習や活動、自律的に判断し行動できる生徒の育成が図られて いる。. その他、第三中学校では、「たくましい体力や豊かな個性と創造力・ 実践力を身につけた生徒の育成を図る」38)こととして、体力と、知力 と行動力を身につけることが課題とされ、葛城中学校では、「進んで学 び、主体的に生きる力をつける生徒」39)を育成するとして、自主的、. 自立的な学習態度の育成が図られ、金剛中学校では、「心身ともに健康 で思考力と創造性に富む自主性豊かな生徒の育成」40>を課題に、体力. や知力の向上と自主的に行動できる人間の育成が指導目標として掲げら れているのである。. また、藤陽中学校では、「自主的に学習に取り組む、意欲的な学習態 度を育てる」4Pこと、明治池中学校では、 「個性を重視し、主体的な 学習態度を育成する」42》として、生徒自身に応じた目標と達成とを重 要視し、自主的、自発的な学習の促進が図られているのである。. 2 国語科指導目標にみられる指導性. 三市の各中学校における国語科指導目標については、読むこと、書く こと、聞くこと、話すことの学習について、各学年の発達段階に応じた 形でそれぞれに目標が設定されている。. 三市について総合的にみると、「読む力を育てる」43)、「文章の内 容を正しく読みとる力をつける」44)、「内容を考えながら読みとらせ る」45)など、読むことの重要性が、「漢字の基礎学力をつける」46)、 「語彙を豊かに」47)する、「漢字や表記を正しく書かせる」48)など、. 一31一.
(35) 漢字の基礎学力をつけることの大切さが、「正確な表記ができるように する」49)一、「表現力を高める」50)、「的確なことばで表現する力を養. う」51)など、正しく表記することの必要性が、「自分の意見を正確に 書いたり発表したりする力をつける」52)、「自分の考えをまとめ自主 的に発表するようにさせる」53>など、正しく、しかも進んで発表する 能力や態度の育成が設定されている。. 羽曳野市の河原城中学校では、「大きな声を出して本を読み、基本的 な漢字の読み書きができる」54)ことを課題としている。読むことの目. 標として、音読の重要性が示されている。また、「基本的な漢字の読み 書きの力」55)をつけることが、表現力や理解力の育成の基礎となるこ とが示されているのである。. また、羽曳野中学校の1年では、「文章に読み慣れる」56)ことと、 「漢字5問テスト」57)を実施することが設定されている。読むことに. ついて、文章に読み慣れさせることを指導の中心とし、漢字の基礎学力 の育成のために、小テストの重要性が示されている。基礎学力の育成の ため、日常の授業の中に、小テストが位置づけられることは、これから の国語科の指導にとって、一つの方向性を示していると言えるかもしれ ない。. 次に、富田林市の第二中学校では、「音読、微音読の練習を多くし、 正しく読み、正しく聞く習慣と力をつける」58)こと、「漢字や表記を 正しく書く力をつける」59>ことが設定されている。読むことの目標に. ついて、音読と微音読とが文章を読み取る基本となること、また、基礎. 漢字力をつけるために、漢字や表記を正しくさせることが、1年の目標 として設定されている。これは、国語科の基礎学力のひとつが何である かを示しているものとして注目されよう。その他、喜志中学校、葛城中 一一 32 一一.
(36) 学校、金剛中学校においても、音読、微音読の回数を多くすること、漢 字や表記を正しく書くことが重要視され、指導目標として設定されてい るのである。また、風塵中学校においては、読むことと聞くことについ て、総合した形で、「正しく読み、正しく聞く習慣をつける」60>こと ノ が課題として設定され、明治池中学校では、「大きな声で発表するよう にさせる」61)こと、「漢字を正しく書かせる」62>という課題によって. 声に出して発表させること、基礎漢字力については正しく書かせること を重点的な指導目標としているのである。. さらに、この目標は2年で発展させられている。羽曳野市の河原城中 学校では、「漢字力をつけ、いろいろな表現を読みとる力をつける」63 >という目標で、文章に読み慣れることから、表現されていることがら. について意味をふまえ、正確に理解させることまで達成目標を高めてい る。富田林市の第二中学校においても、「内容を考えながら読みとる力、 正しく聞きとる力をつける」64>として、文章の内容の正確な理解まで. 課題の達成が高められているのである。喜志中学校では、「内容を考え ながら読みとる力をつける」65)こと、葛城中学校、金剛中学校では、 「内容を考えながら読む、正しく聞きとる力をつける」66)こと、黙劇. 中学校においては、「文章の内容を正しく読みとる力をつける」67)こ と、明治池中学校では、「内容を考えながら読みとらせる」68)という. ように1年の課題達成をふまえて、2年での目標が高められているので ある。. これら2年での目標をふまえ、各中学校において3年の目標が設定さ れている。羽曳野市の河原城中学校では、「基礎漢字力や文章創作力を つけ、正確な表記ができるようにする」69)というように正確な表記に. 加えて、文章を作る力をつけることを課題として掲げている。また、羽 一33 ・一.
(37) 曳野中学校においては、 「積極的な発言、発表につながる思考の習慣化」. 70>が課題とされ、正しく発表すると同時に、どんな内容を発表するか を考えることの重要性が指摘されている。. 富田林市の第二中学校、喜志中学校、葛城中学校、金剛中学校、藤陽 中学校においても、文章の内容を正しく読みとること、読みとったこと. を的確なことばで表現する力を養うことを目標として、内容の正しい読 み取りとともに、話すこと、書くことの表現においての的確さを課題と して掲げることに目標が発展しているのである。. また、3年間を通じて、峰塚中学校においては、「人の話を集中して 聞く力をつける」71)ことを課題として設定し、聞くことを重点的な指. 導目標としている。また、高鷲中学校では、「表現力を高めるための読 解指導を推進する」72)という目標によって、読むことと書くことを相 互に関連させた目標が設定され、「作文指導と漢字指導に重点をおき、 低学力の克服をめざしていく」73)というように、低学力の生徒に対し. て、書くことの能力を高めること、すなわち、全体としての学力の向上 を重点的な課題として掲げているのである。また、藤井寺中学校におい ては、「語彙を豊かにし、表現能力を高める」74)として、書くこと、. 話すことの目標に対して、語彙能力を高めることの重要性が示されてい るのである。. 一34一.
(38) 【註】. 1). 2) 3). 4) 5) 6) 7) 8) 9) 10) 11> 12> 13) 14) 15> 16) 17) 18) 19). 2e) 21) 22) 23) 24) 25) 26) 27) 28) 29) 30). 【資料1】. 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同. 31). ,同. 32). 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同. 33) 34> 35) 36) 37) 38) 39). 40) 41) 42) 43) 44) 45) 46) 47) 48) 49). p.1参照 p.1参照 p.1参照 p.1参照 p.1参照 P.1参照 p.1参照 p.1参照 p.2参照 p.2参照 p.2参照 p.2参照 p.2参照 p.2参照 p.3参照 p.2参照 p.2参照 p.3参照 p.4参照 p.4参照 p.4参照 p.4参照 p.4参照 p.4参照 p.4参照 p.5参照 p.5参照 p.1参照 P.1参照 p.1参照 p.2参照 p.2参照 p.3参照 p.3参照 p.4参照 p.4参照 p.4参照 p.4参照 p.5参照 p.5参照 p.5参照 p.6参照 p.7参照 p.8参照 p.8参照 p.7参照 p.7参照 p.8参照 p.6参照 一35一.
(39) 50) 51) 52) 53) 54) 55) 56) 57) 58) 59> 60) 61) 62) 63) 64). 65> 66) 67) 68) 69). 70) 71) 72). 73) 74). 【資料1】. 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同. p.7参照 p.7参照 p.6参照 P.9参照 p.6参照 p.6参照 p.6参照 p.6参照 p.7参照 p.7参照 p.8参照 p.8参照 p.8参照 p.6参照 p.7参照 p.7参照 p.8参照 p.8参照 p.8参照 p.6参照 p.6参照 p.6参照 p.7参照 p.7参照 p.7参照. 一36一.
(40) 第2章 大村はまの授業にみられる教師の指導性. 第1節 大村はまの指導についての考え方. 1 指導の前提条件としての資料の収集. 大村は、「詩の味わい方」1>というとき、r準備』2)について、次の ように述べている。. 大村は、『準備』3)について、まず、「資料を集めること」4)が必要. であるとしている。その資料として、第一に、「生徒の近づきやすい詩 集、ことに、少年の作品集」5)を挙げている。年齢が似通った少年の作 品は、学習する生徒の発;達段階に合っていて、言葉の使い方や題材が、. 生徒に親しみやすいというのである。. 第二に、「新聞、雑誌に掲載のものの中の、生徒が近づきやすい詩、 少年の作品」6)を挙げている。社会の中で、客観的な評価を受け、しか. も、生徒が親しみをもてる詩や作品は、準備における資料として適切で あるというのである。. 第三に、「いろいろの教科書にのせられている詩」7)を挙げている。. 教科書で取り上げられている詩は、教科の指導目標に合わせてあり、詩 についての表現技法の理解や知識の修得に適しており、理解の難易度に おいて妥当な資料となるというのである。. 第四に、「詩集の広告」8)を挙げている。社会において、どのような. 詩集が、どういう目的をもって編纂され、読まれているかということを 生活の中から集めるというのである。. 第五に、「卒業生上級生の作品」9)を挙げている。同じ地域で生活し 一37一.
(41) ている人々や、同じ学校で生活している人々が、どんな題材を選び、ど んなことを考え、どのような言葉で詩を書いたのかを知ることができる というのである。. 第六に、「詩の鑑賞について少年のために書かれたもの」Io)を挙げ. ている。学習者の理解に合わせて、詩における情景描写や作者の心情に ついての説明などが書かれているものは、準備における資料として適し ているというのである。. 第七に、「詩作の心境について書かれたもの」1Dを挙げている。作 者が詩を作るときにあたって、場所や時間、対象、想像したことについ て書かれたものを集めておくというのである。. 第八に、「詩人の写真・筆蹟の写真」12)を挙げている。詩人は、ど. んな顔や表情をしていたのかということ、どのような紙に、どのような 文字で詩を書いて残したのかということを資料として集めておくという のである。. 大村は、学習者の生活、経験に合わせて、以上のような八つの条件を、 「つねつね心がけて」t3)、それらの条件に合うものを「集めて」14)お. かなければならないというのである。. 2 指導に対する環境のあり方. 次に、大村は、「学校新聞や掲示板などに、詩をいれる」15)必要が あるとして1次のように述べている。. 日頃、発行されている学校新聞に詩を載せることについては、詩の学 習に「はいる二週間くらい前から始め」16)て、「へいぜいよりも、量 一38一.
(42) を増し、掲示する位置や掲示のしかたがめだつようにする」17)として. いる。学校新聞には、行事や生徒会に関すること、文芸に関することな ど、学校独自のさまざまな話題が載せられている。そこで、詩の学習の 準備において、意図的にできるだけたくさんの詩を生徒に読ませ、生徒 にできるだけ鮮明に詩を印象づけるために、学校新聞の中の詩の量を増 やし、目につく機会を多くするというのである。. また、大村は、「詩は季節や、そのころの生徒の生活との関係を考え て選」18)ばなければならないとしている。. 生徒は、学校生活の過程において、それぞれの思いや考えをいろいろ. に変化させる。例えば、各学年の1学期の始まりであれば、新しい教室 で、新しい教科書で、新しい友達と勉強をがんばろうと思ったりする。. また、3年生では、学期が進むにつれ、心の中はテストのことや進路の ことで不安や希望と入り交じって、落ち着かない状態になったりする。. 大村は、授業を構築するときには、このような生徒の生活を見て、生徒 の経験に合わせて詩を選ばなければならないというのである。詩を授業 として取り扱う季節はいっかということ、また、その季節は季節の始ま りなのか、真っ只中なのか、終わり頃なのかということも理解していな くてはならないというのである。そして、その季節には、生徒はどうい う心境にあるのかということを理解していなくてはならないというので ある。. 3 指導のための予備調査のあり方. 次に、大村は、「予備調査をする」19)必要があるとして、次のよう 一39一.
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