10. 方法と理由を考える 1. 対話
10.3. レポートから
方法や理由を意識しない
数学の計算は、その過程の動作も重要であることが多い、そ れ自体が目的にとなるようなケースが多いのに対し、言語は
活用後の形を使うことがより重要なのではないかと思います。
だから、その過程における「なぜ」よりも、使いこなせるか の方が関心の対象なのだと思います。
スペイン語を学ぶ以前に「接続法」のある言語を学んだこと がなかったので、接続法はそういうものだ、と思って疑問に は感じませんでした。
数字で考えると混乱する。図形や絵でイメージして考える方 がよっぽどわかる。方法論も理由もなく、形として覚えられ るのが心地よい。
今まで算数、数学において「なぜ」を考えたことはなかった。
文法において、なぜひっくり返すのか?あまり疑問に思った ことはありません。もう、そういうルールだと思ってやりま した。それは、たとえば、なぜ「鳥」のことを「とり」と読 むのか?という疑問と同じだと思います。しいて言うなら、
否定とか、理想、感情など現実ではないから、ひっくり返す のかなと思います。
言語の場合、数学と異なり、例外があったり決まった答えが ない、と思うので、「理由」は説明できないと思う。私は、
数学は常に決まりにのっとるが、言語は生き物だと思ってい ます。
言語学習においては、理論を考えるよりも何度も声を出して すぐ口から出てくる状態にする方が大切なのではないかと私 は思った。
なぜひっくり返すのか、という疑問は思い浮かんだことはな かった。文法のルールにいちいち理由を問うていては大変だ し、それは研究者などがすることだと思うからだ。
方法や理由を意識する
学ぶのに理由は私は必要だと思う。理由づけた方が絶対に覚 えやすいし、自分でそのルールを見つけたりするのが楽しい からである。
ふつう、こういう規則・手順として受け入れてきたことが、
どうやってこうなるのか、という理由、背景を見つめること が、理解を深める要素になり、絶対的な習得になると感じる が、やはり難しい。
意識するときと意識しないとき
分数のこの考え方はとてもわかりやすいが、いちいち手間が かかって面倒である。しかし、この方法は一回やって説明す れば生徒たちもわかり、疑問もなくなると思う。つまり、最 初は理論的に説明し理解させる。そして次からは機械的に最 初のやり方にすれば効率がよいと思う。
接続法過去について、自分では意識していないが、単語によ ってワンクッションおくかおかないか分けていると思う。よ く使うものは、もうワンクッションおく時間がもったいない と考え、一気に接続法過去にする。ワンクッション置く場合 は見慣れない動詞においてのみおいている。
点過去のELLOS の語尾をraに変えれば接続法過去の形にな
る、ということはとくに意識はしていませんが、言われて初 めてそうだということに気づきました。
接続法は何度も繰り返しているうちに覚えました。自然に活 用が思い出せるときは使わないが、思い出せなくなったとき にわかる分母のようにひっくり返して思い出しています。
このような議論は、はじめ勉強するさいにはあまり必要ない と思うが、一通り勉強し終えた今、することは私にとって非 常に興味深い。
初めは接続法過去を3段階で覚えた。今もまだそのやり方で 考えている。しかし、真ん中をとばして直接接続法過去形が 出てくるようにしたいと思っている。
レポートを読んで
たしかに言語の規則は数学の規則のように完璧に働くことは ないが、それでも歴史や社会の動きなどと比べると規則性が強い。
原則としてかなり厳密な法則が成り立っている。
しかし、そうした原則的な法則や個々の規則、そしてその理由 などを意識することを直接的に言語教育・学習に適用することは できない。学習者の学習スタイルがそれぞれ異なるからだ。きっ と小学生・中学生の算数・数学の学習スタイルもそれぞれ異なっ ているのだろう。あまり、理論的な理由などを意識するよりも実 践的な解決法を求めるタイプと、理由や根拠を意識するタイプが あるようだ。印象的に言えば前者のほうが多いのではないだろう か。
最後に、規則や理由を学習段階に分けて考える意見があったこ とに注目したい。