本論は,方法論に関しても従来の教育社会学とは大きく異なる.再三指摘し てきたように数理モデルを使った教育機会不平等生成条件の定式化と,シミュ レーションによる理論と現実の橋渡しは本論の大きな特徴である.いま一度,
数理モデルとシミュレーションの有用性について強調しておく.
社会学に限らず社会科学の目的は,人間社会に観察される事象を記述し,そ れらに対して理解することにある.社会を理解するための体系的な説明枠組み として「理論」がある.数理モデルは,この理論的アプローチの道具として数 学を用いている.数学的言語による理論構築は,数学が持つ明証性や非イデオ ロギー性によって,現象をより精密に,かつ冷静に見る視点となりうる.注目 する事象に対して,その必要な要素を定義し,それらに関する仮定と公理を設
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定してしまえば,数学的に定められた操作によって命題が導出できるのである.
本論においては,多分岐型の教育システムと合理的選択という
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つの公理と 2, 各種パラメータの値という仮定のもとで教育機会不平等が生じる条件を特定し た.Breen and Goldthorpe (1997)
以降,教育達成不平等の生成を個人の合理的選択 の集積としてとらえる試みは注目を浴びたが,彼らが仮定として唱えた相対リ スク回避説の下での機会不平等条件を正面から議論したものは限られていた.浜田 (2009) などによって相対リスク回避メカニズムの下でもパラメータの値 によって進学率の階級間格差を再現できないことがあることは知られていた.
本論では,複雑な教育達成過程をとらえるためにモデルを展開し,複数の学校 タイプが存在する複数段階の選抜を表現するような拡張を行った.複数の学校 タイプの拡張によって,オリジナルのモデルにあった主観的成功確率
𝜋𝜋
𝑖𝑖 はそれ ぞれのタイプの学校に対応する到達確率𝜋𝜋
𝑖𝑖𝑖𝑖となる.また,学校段階を複数に拡 張すると,後期の学校段階への主観的到達確率𝜆𝜆
𝑖𝑖は,前期の教育段階の条件付 き確率となり前期の教育段階と後期の教育段階の結びつきの強さを示す指標�𝜆𝜆
𝑖𝑖𝑖𝑖𝑖𝑖�
となる.その結果得られた条件式が式(2.11)である.� 𝑓𝑓
𝑆𝑆(𝑢𝑢)𝑑𝑑𝑢𝑢
𝐷𝐷𝑆𝑆
< � 𝑓𝑓
𝑊𝑊(𝑢𝑢)𝑑𝑑𝑢𝑢
𝐷𝐷𝑊𝑊
(2.11)
𝑠𝑠.𝑡𝑡. 𝐷𝐷𝑆𝑆= {𝑥𝑥| 𝝅𝝅𝑖𝑖𝑡𝑡𝛬𝛬𝑖𝑖𝜶𝜶1<𝛾𝛾1 ∧ 𝝅𝝅𝑖𝑖𝑡𝑡𝜷𝜷1<𝛾𝛾1},𝐷𝐷𝑊𝑊= {𝑥𝑥| 𝝅𝝅𝑖𝑖𝑡𝑡𝛬𝛬𝑖𝑖(𝜶𝜶1+𝜶𝜶2) <𝛾𝛾1+𝛾𝛾2 ∧ 𝝅𝝅𝑖𝑖𝑡𝑡(𝜷𝜷1+𝜷𝜷2) <𝛾𝛾1+𝛾𝛾2}
この条件式は用いる変数とパラメータに対して条件式が少ない(自由度が高 い)ため,シンプルに1つの関数形で示すことはできなくなり,基本的には数 値計算に頼ることになるが,必要な条件が観測,測定されれば,教育機会不平 等が発生しうるのか,そしてそれはどの程度の格差となりうるのかを演繹的に 明示することが可能になる.
事象に対して体系的な説明を与える数理モデルとともに,本論のもう一つの 柱としてシミュレーションを用いた.シミュレーションが果たす役割は主に
2
つである.第1
に,理論として立てられた数理モデルの妥当性を検証し,より 妥当性を高めるための示唆を得ること,第2
に多数のパラメータを持つ複雑な モデルが導く帰結を予測することである.本論においては第1
点が5
章に,第2
点が6
章に対応する.理論的な数式が必要とするパラメータは主に実験によって測定されるが,社 会科学領域では,実験を行うことが困難な領域が多く存在する.本論のテーマ も実験的手法が未だ確立していない領域の一つであり,代替的手法としてシミ
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ュレーションが有効である.社会現象を定式化する数理モデルは,ときに現実 の社会から目を背けて空虚な論理展開に終始することがある(もっともこれは 数理モデルに限らず社会学理論全般に生じる可能性のあることではあるが).モ デルの妥当性を検証する手段として社会調査データを用いた計量分析を行うこ とが多いが,モデルが複雑になれば,それを検証しうる統計モデルの構築も困 難になり,測定の困難な概念を用いるモデルは検証できなくなる.その一つが 本論で用いた相対リスク回避である.相対リスク回避を測定によってとらえる ことは非常に困難であり,それが測定できたとしてもその心理作用がどのよう に個人の合理的選択に作用しているのかまではわからない.シミュレーション の手法は,土台となるモデルに矛盾がなければ,複雑なモデルでもそれを完全 に再現することが可能になる.
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章で用いたシミュレーションは,特に政策科学研究に関してその有用性を 強く主張できる.教育政策に対する議論は,その多くが不確実な未来への予測 を伴う.当然そこには「意図せざる結果」が付きまとう.個人にとって教育と いうプロセスは1
回しか経験しない.政策的な介入によって階層間格差を助長 したことが後から判明したとしても,その政策の下で教育を受けた世代にとっ ては取り返しのつかない事態となってしまう可能性もある.中学校段階での上位校進学は,国私立中学校だけではなく,公立中高一貫校 も含まれる.特に公立中高一貫校などは,政策的な介入によってそのシェアを 変化させることができる.中高一貫教育の制度化には様々な目的があるが,少 なくとも私立中学校進学への経済的な格差是正がそこに含まれている.もし政 策的な介入によって公立中高一貫校のシェアを増やしていけば,中学校段階の 不平等の拡大と,階層間格差の迂回路という,意図せざる結果を導くことにな る.藤田(1996)は公立中高一貫校の是非を論じる際に,ありうる公立中高一貫校 の規模について
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つの可能性を示している.すなわち,1)
限られた数の公立学 校を中高一貫校にする,2) 公立中高一貫校をかなり広い範囲(例えば公立の 3
分の1
以上)で実施する,3)
全ての公立学校を中高一貫校にし,地元の学校に入 学させる,4) 全ての公立高校を一貫校にし,かつ学校選択の自由を認める,と いう4
つである.現在の私立中学校・公立中高一貫校は同世代の一部のみがそ の選抜に参加している1)の状態である.今後,人口の変動や政策的な介入によ
って,どのような規模になるかは分からないが,本論の結果が示唆するのは,2)や 4)のような状態になり選抜にさらされる子どもが増加していくと,その分
化に現れる階層間格差は増大し,さらにはトラッキングの仮定を経て高校段階 までに大きな階層的分化を生み出してしまうということである.中学校段階の
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分化の程度は高等教育段階に関する階層差を直接的にほとんど変化させないた め,高等教育段階までに累積していく階層による分化の程度はこれまで以上に 大きくなる.
Boudon(1973=1983)が「機会を拡大すれば不平等は減少する」という命題を
覆したように,本論からも「一部の裕福な家庭が私立学校に進学する機会を独 占しているから,公立中高一貫校の設置によってその格差を是正する」という 政策理念の誤りを指摘できる.政策的な介入の効果を事前に予測する手段とし てマルチエージェントシミュレーションは有効である.本論では教育機会の階 層間格差に対して機会規模の拡大がどのように影響するのかを主眼に置いてい たが,その応用の可能性は広いといえる.例えば6・3・3・4
制などの現在の教 育制度の根幹をなす部分の変革に関する議論をする際,それらがどのような社 会的影響を及ぼすかを考察することは不可欠である.その議論の妥当性を担保 する手段として,シミュレーションを用いることは非常に有用になり,意図せ ざる結果を未然に防ぐ手段ともなる.シミュレーションによる事前予測は,陰に陽に様々設定される政策目標に対 しても重要な示唆を与える.その中で,何を重視し,何を犠牲にするのかの選 択に問いかけることもできる.中学校の文脈でいえば,早期受験の拡大によっ て階層間格差を広げてでも地域の優秀な子どもを公立学校に獲得するのか,そ れとも格差の是正を優先させてありうべき早期受験の代替案を考えるのか,そ の選択肢を与えることができる.また,近年では高等教育改革議論の中で,大 学(国立大学のみの議論であるが)の役割をいくつかに分割するという改革案 が提示されている(『読売新聞』東京版
2015/09/04
朝刊)3.これらの政策が,教育と地位達成の結びつきをどのように変化させ,さらに出身階層と教育機会 の関係をどのように変化させるのか.理念や目標が先行しがちな教育政策論議 において,シミュレーションの果たす役割が,今後期待されると言えよう.