第七章 自律性マネジメントの展開過程⑵ ケース・スタディ:米国自動車産業と GM
⒉ サターン工場に対する制約と困難
サターン工場における労使対立の克服と作業者およびサターン・ローカル・ユニオンの 生産問題そのものへの参画の一貫性と徹底度は米国自動車産業において類例を見ないもの であった。労使合議による主体的選択と実践の結果としてサターンが伝統的経営管理思想 とは異なる組織形態を形成し,かつ高い経営成果を上げたことの意義は大きい。この点を 捉えて,諸論者はサターン型経営に対し,伝統的大量生産システムを代替する新しい経営 組織システムのマイルストーンであると評した344。確かにここまで見れば,サターンは伝 統的労使対立が取り巻く産業内にありながら自律型チーム制を成功させた稀有な事例であ る。だが,以下に見るように分析範囲をさらに拡大・深耕すると,サターン型経営は,実 際には伝統的システムの環境制約の中で多くの運営上の困難に直面していた事実が見えて くる。
制約の一つは,GM本社であった。本社は,サターンの労使共同経営を尊重して自律型
341 Ibid.
342 Shaiken et al, op. cit., 1997, pp. 17-45.
343 Ibid; 山崎,前掲書,2010年,91-96頁; 安井恒則「GMサターン社の労使パートナーシップ経 営」『阪南論集社会科学編』Vol.45, No.3, 2010年, 183−201頁.
344 Appelbaum & Batt, op. cit., 1994; Bluestone & Bluestone, op. cit., 1992.
組織の可能性を追求する姿勢に乏しく,共同決定事項は投資と新製品......
の決定を除く......
という 条件を利用してトップ・ダウン型経営による介入を繰り返した。GM本社は,新型車投入 の決定権を盾に部品製造のアウトソーシング化や GM 小型車部門への統合を要求するな ど,サターンの経営に繰り返し介入した。またサターンの製品モデルが市場で陳腐化し需 要の落ち込みが深刻になった後も新型モデルの投入を延期し続け,さらに 1996年には本 来サターンに投入されるべき新型車の生産を閉鎖予定であったデラウェア州ウィルミント ン工場に移す決定を下した。GM側の対応は,需要低下を放置することで工場存続を脅か し,レイオフへの不安を煽ることで,工場内のモラールというサターンの強みの源泉をス ポイルさせるものであった。サターン労使は自ら状況を打開するために GM の投資決定 権限を無視して社外から資金調達先を探すという異例の対応を行うことを求めたが,この 動きも結局GM本社によって否決された345。
サターンに対する GM 側の消極的対応は一見矛盾しているようだが,そうではない。
サターン計画はあくまで競争力のある小型車を新規に製造する,というコンセプトのみで 白紙から出発したプロジェクトである。そこからサターンが行き着いた労使共同経営と自 律型チーム制作業組織は,50 億ドルという予算を与えられて全権を委任された労使共同 プロジェクト・チームが,NUMMI での経験や GM の他工場での失敗からの学習を活か して,GM本社による強制・制約のない状態で自主選択的に作り上げたものである。その 展開にGM本社の意思は介在しておらず,むしろGM本社にとってはサターンがGMの 経営慣行と大きく異なる経営システムを形成したことは予期せぬ結果であった。事実,サ ターン計画構想時の GM 会長ロジャー・スミスは攻勢的技術戦略を主義とする人物で,
プロジェクトに直接的な介入は行わなかったものの,サターンもハイテク工場(諸問題を 組織改革で解決するのではなくハイテク技術で解決する工場)になることを企図していた
346。加えてGMは,サターン操業開始後の1996年から作業組織改革を行ったウィルミン トン工場や 2001 年から操業を開始したランシング・グランドリバー工場などの運営にお いて,サターンの革新的経営システムから学習した内容を移転することはなかった347。生 産に関する広範な諸決定を現場チームに委ねるサターン方式は,GMの伝統的な官僚制型 階層組織を本質的に否定する存在であり,その経営が優れているにしても,その独立性と 自治権を許容し他工場に展開するような経営意思は,GMには存在しなかったのである。
UAW ナショナルおよび他工場のローカル・ユニオン指導部も,サターンに対する立場 はGM本社と同様であった。当時のUAW会長はサターンの陳腐化した製品に替えて新世 代車を投入することに一貫して反対し,サターンが独自協約を放棄し全国労働協約に統合 するよう求めるなど,事実上サターン経営そのものを否定する立場をとった。また他のロ
345 安井,前掲書,2010年,183-201頁; 山崎,前掲書,2010年,91-96頁.
346 Lee, A., Call Me Roger, Contemporary Books, 1988.(風間禎三郎訳『GMの決断』 ダイヤモン ド社,1989年)
347 Adler et al., op. cit., 1997, pp. 79-82; 山崎,2010年.
ーカル・ユニオン指導部もサターンの独自協約が全国的な協約パターンに従わないことに 反発し,サターン型の労使関係システムを他工場に移転することには強く反対していた348。
UAW ナショナルと他のローカル・ユニオン指導部がこのような反発的立場をとったの は,独自協約に基づく労使共同経営というサターン型の労使関係システムが,UAW が依 然として固執する伝統的パターンを根底から覆しかねない仕組みだったからである。
UAW ナショナルが労使協調路線をとったのはあくまでも企業の存続・成長によるカネ中 心の交渉(ビジネス・ユニオニズム)を維持するためであり,また他のローカル・ユニオ ンもチーム制の導入と引き換えにジョブ・コントロール・ユニオニズムを補強する路線を 選択した。UAW ナショナルと他のローカル・ユニオンの基本的立場は伝統的パターンの 維持にあった。
これに対し,サターン・ローカル・ユニオンは伝統的パターンにおいて組合が獲得して きた保障と規制を放棄してこれとまったく異なる新たな独自協約を結び,労使共同経営と いう新地平を拓いた。これは事実上,ローカル・ユニオンがUAWナショナルおよび伝統 的パターンに依存することを辞め,自治独立的な方向に進むということである。サター ン・ローカル・ユニオンがUAWナショナル指示のストライキに賛同せず,またスト権に おける独立性を主張したことなどはその現れであった。だが,サターンのような自治独立 的なローカル・ユニオンが展開することは,産業・企業内のすべてのローカル・ユニオン に対する統治を前提にカネ中心の交渉力を獲得しているUAWナショナル,およびその交 渉力に依存している他のローカル・ユニオン指導部にとっては,その指導的地位そのもの を失うことになる。UAW が伝統的パターンに固執し,サターンに否定的立場をとった背 景には,労働組合の階層型組織に付着する諸利害の強力な抵抗があったのである。
このようなサターンの挑戦に対するGM本社からの冷遇とUAWからの組織的批判が作 業者側に与えた否定的影響は深刻であった。UAW からの後ろ盾が得られない状態で GM からアウトソーシングや新型車の投入延期などの介入を受けたことでサターン組合員の中 に雇用不安が強まり,協約修正による独自協約の部分的放棄,サターン・ローカル・ユニ オン内で全国協約への復帰を求める対立勢力の高まりなどが起こった。もともとサターン ではその生産開始時から作業者の間で部分的な不満や対立は起こってはいた。とはいえ伝 統的パターンに戻ることはサターンの強みをスポイルするとの作業者の意見が優勢であり,
作業者の発言権が認められていることもあって不満・対立が深刻化することはなかった。
だが,雇用不安という状況はそれまでの部分的不満や対立を大きくし,そして対立の原因 はサターンの独自協約による労使共同経営そのものにあった。サターンと一蓮托生の立場 にある組合員が雇用とそれに類する保障を確保するために残る道は全国協約への復帰しか なかった。環境諸条件は,それ以外の選択肢を許さなかった。
1998年にはGMによる部品製造のアウトソーシング化の動きに抗するためのスト権が
348 Rubinstein & Kochan, op. cit., 2001; 安井,前掲書,2010年,183-201頁.
確立され,また全国協約への復帰を求める選挙の実施が行われた。また,1998 年までは 独自協約が 66%に支持され作業者のサターン経営に対するコミットの強さを実証したが,
1999 年にはついに労使共同経営をそれまで維持・推進してきた指導部が全国協約復帰派 である対立候補に役員投票選挙で敗北し,報酬制度の変更や先任権の拡大など,全国協約 への接近が決定された。そして 2003 年には新型車割り当てと増資を約束することを条件 に独自協約の放棄と全国協約への移行が締結され,組合員選挙の結果2,953対317の圧倒 的多数の支持で承認された。この時をもってサターンの労使共同経営は終わりを迎え,
2009年のGMの経営破綻後,サターン工場は閉鎖された349。