第四章 自律性マネジメントの仕組みと機能⑵ ケース・スタディ:ABB Group…64
⒊ グローバル・マトリクス組織
以上の議論からは,ABB の現場事業ユニットが高度な自律性を持ち,かつ現場レベル の活性化を志向した組織になっていることを示している。しかし,ABB の現場事業ユニ ット=現地事業会社が自律化されているという事実は,ABB のマトリクス命令報告系統 を構成する他の組織単位はそれぞれどのような役割を果たし,また結節点である現地事業 会社との間でどのような関係を形成しているのか,という新たな疑問を引き起こす。この 疑問に答えるために,以下では前掲の図Ⅳ-1 および下の図Ⅳ-2 を参照しながら,ビジネ ス・リージョンとビジネス・セグメント,および現地事業会社と直結する国別法人とビジ ネス・エリアを見ていこう。
206 Bartlett, C. A., and Ghoshal, S., op. cit., 1993, pp. 23-46.
207 沼上幹『組織戦略の考え方——企業経営の健全性のために』ちくま新書,2003年,34-35頁.
図4-2 ABBのマトリクス命令報告系統
出所:Bartlett, C. A., and Ghoshal, S., op. cit., 1993, pp. 23-46; Bartlett, C. A., and Ghoshal, S., op. cit., 1997b, pp. 92-116.を参考に筆者作成。
ビジネス・リージョン(地域事業のグループ)のマネジャーとビジネス・セグメント
(グローバルな製品事業のグループ)のマネジャーは,各事業グループの戦略計画と業績 に責任を負う。また同時に,ビジネス・リージョン・マネジャーとビジネス・セグメン ト・マネジャーは,執行委員会を通じて ABB の全社戦略計画と業績を管理する役割を担 う,もっとも俯瞰的な視点からマネジメントを行う立場にいる。ビジネス・リージョンは ABB の重要拠点である北中南米,欧州,アジア太平洋の三地域を中心に展開し,地域内 の国別法人を取りまとめ,地域レベルでの戦略計画と業績に責任を負っている208。他方,
ビジネス・セグメントは ABB がグローバルに展開する 50 の製品事業=ビジネス・エリ アをグループとして統轄する立場にある。事業再編によって時期による変動はあるが,ビ
208 1994年からは三つのビジネス・リージョンにそれぞれ地域本部を設置し,ビジネス・リージョ
ンにおける意思決定の迅速化を図ったが,1998年の組織改編に伴い地域本部は廃止,ライン構造 からもビジネス・リージョンは取り除かれている。以下を参照。Govinder, N., op. cit., 2004b, p. 2;
日本在外企業協会編,前掲書,1999年,86-95頁; 日経ビジネス,1994年1月24日号,20-21 頁.
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ジネス・セグメントは発電事業,送変電・配電事業,産業およびビルディング・システム 事業,輸送事業,金融サービス事業など6〜8が設置され,それぞれが平均して6〜8ずつ 製品事業を取りまとめている。すでに説明したように,ABB の全社トップ=執行委員会 は各事業グループのトップ・マネジャーで構成されており,各事業グループ・トップは ABB 全社の業績と戦略に責任を負いながら,世界各地の市場への進出と撤退,新たな事 業への進出と撤退,成長の見込まれる市場への先行的な着眼と迅速な投資など,将来を見 据えた戦略的資源配分を行う209。つまり,ABB は現地事業会社の自律化を徹底した組織 である一方で,ライン・トップは全社的視野に立った経営判断という,ライン・ミドルや 前線マネジャーには担えない役割を果たしている210。
次に,ABBが世界で約 100 カ国に展開する国別法人は,立地国内に所属する多様な製 品事業ユニット=現地事業会社を取りまとめ,現地市場に密着しながら国内事業の戦略計 画と業績に責任を負っている211。この国別法人は社長以下の通常組織を持ち,貸借対照 表,損益計算書,昇進制度を備え,親会社の他に立地国で独自の株主を擁して取締役会に 監督される普通の会社組織であり(ただし主要株主はABB本社),持ち株会社として国内 の全ての現地事業会社を統轄する立場にある。国別法人は社長を務めるカントリー・マネ ジャー1 名をトップに,国別法人独自の執行委員会によって運営されるが,このメンバー にはカントリー・マネジャー,国別法人の上級執行副社長,執行副社長などの役員に加え,
立地国内の各現地事業会社の前線マネジャーも加わる。つまり本社の執行委員会と似たよ うな,水平的な意思決定体制を取っている。例えば 1997 年時点でのフィンランドを見る と,フィンランド国別法人(The Finnish ABB Companies)は,カントリー・マネジャ ーと国別法人社長・CEO を兼任するマッティ・イルマリ(Matti Ilmari)のもと,前線 マネジャーを含む10名の執行委員会によって運営され,持ち株会社として13の現地事業 会社を統轄している212。
209 戦略的資源配分についての記述は,以下の資料を参考にした。鈴木良始「成長するアジアとグ ローバル化における日本企業の経営課題」『同志社商学』第64巻第5号,2013年,234-235頁.
210 Taylor, W. C., op. cit., pp. 91-105; Barham, K., and Heimer, C., op. cit., pp. 58-94; Bartlett, C.
A., and Ghoshal, S., op. cit., 1993, pp. 23-46; Bartlett, C. A., and Ghoshal, S., op. cit., 1997a, pp.
183-209; Simons, R. L., and Bartlett, C. A., op. cit., 1992; 日本在外企業協会編,前掲書,1999 年,86-95頁; ABB Asea Brown Boveri Group Annual Report 1992, op. cit., pp. 60-63; ABB Asea Brown Boveri Group Annual Report 1993, op. cit., p. 1, pp. 57-59; ABB Asea Brown Boveri Group Annual Report 1994, op. cit., pp. 10-11, pp. 55-59.
211 ABBは140カ国に事業を展開しているが,アフリカや旧東欧など,市場規模が比較的小さい
新興国・発展途上国の場合は国別法人を置く体制は取らず,現地事業会社が国別法人の機能を包含 する。以下を参照。Bartlett, C. A., Relays Business: Building and Managing a Global Matrix, Harvard Business School Case, No. 9-394-016, 1993, p. 13.
212 ABB Asea Brown Boveri Annual Report 1988, op. cit., p. 5; ABB Asea Brown Boveri Annual Report 1989, op. cit., p. 3; The Finnish ABB Companies Review 1997, The Finnish ABB Companies, 1998, p. 28;
Simons, R. L., and Bartlett, C. A., op. cit., 1992; Barham, K., and Heimer, C., op. cit., pp. 58-94;
Taylor, W. C., op. cit., pp. 91-105; Simons, R. L., Asea Brown Boveri: The ABACUS System, Harvard Business School Case, No. 9-192-140, 1992; 日本在外企業協会編,前掲書,1999年,86-95頁;
ビジネス・リージョンおよびビジネス・セグメントが国・地域に対する業績と戦略計画 という独自の役割を担っていたように,国別法人もまた,現地に密着した国内事業の取り まとめ役という立場でなければ担えない役割を持っている。特に重要な役割は,国内に展 開する種々の製品事業ユニット=現地事業会社を取りまとめ,異なる製品事業間の連携を 図ることにある。例えば,送変電・配電事業のように,政府・自治体や公益企業が主な顧 客の事業では地元密着・地域密着の要請が強く,なおかつ複数の異なる製品事業が関与す るため,国別法人は製品事業をまたがる調整役としての意味を持つのである。また,各国 の大学の有能な人材のリクルート,各現地事業会社の空きポストの調整,国内のマネジャ ー人材の育成など,現地事業会社間を跨いだ人事管理も大切な役割になる。さらに,国別 法人は立地国内で ABB の代表者としての役割も持っており,各国政府,地域社会,マス コミ,労働組合,銀行などの立地国内のステークホルダーに対する対外的な働きも期待さ れる。これらは国内に分散した現地事業会社や後述するビジネス・エリアでは担えない,
現地に密着した国別法人に独自の役割である213。
最後に,国別法人と対称的な形で現地事業会社と結びついているビジネス・エリアを見 ていこう。ABBはビジネス・セグメントに統轄される形でおよそ50の異なる製品事業を 持っている。例えば,送変電・配電事業のビジネス・セグメントでは,ケーブル,高電圧 スイッチギヤ,電力システム,電力変圧器など,計8の製品事業が統括されている。それ ぞれの製品事業はABBが展開する世界各国の製品市場に,ABB製品の開発,生産,販売 を担う現地事業会社=製品事業ユニットを通じて進出している。つまり,ABB の各製品 事業の規模は基本的にグローバルであり,図4-1にあるように,世界各国の現地市場に立 地する現地事業会社に横串を通すようにして展開している。このグローバル製品事業に対 するマネジメント責任を担い,現地事業会社を通じて世界戦略の立案・遂行,製品事業の 業績と収益性の達成,グローバル・スケールでの効率性の追求といった役割を果たす組織 単位がビジネス・エリアである。各ビジネス・エリアは複数カ国でのマネジメント経験を 持つグローバル人材を同組織単位の責任者=ビジネス・エリア・マネジャーとし,さらに 研究開発や購買,事業開発など各機能分野のベテラン人材5名をアシスタントにしたチー ムによって運営される。彼らは日常的に現地事業会社と接触するために年間100日以上を 海外主張に費やすグローバル・プレイヤーである214。
Peters, T. J., op. cit., 1992(邦訳68-83頁).
213 ABB Asea Brown Boveri Annual Report 1988, op. cit., p. 5; ABB Asea Brown Boveri Annual Report 1989, op. cit., p. 3; The Finnish ABB Companies Review 1997, op. cit., 1998, p. 28; Simons, R. L., and
Bartlett, C. A., op. cit., 1992; Barham, K., and Heimer, C., op. cit., pp. 58-94; Taylor, W. C., op. cit., pp. 91-105; Simons, R. L., op. cit., 1992; 日本在外企業協会編,前掲書,1999年,86-95頁;
Peters, T. J., op. cit., 1992(邦訳68-83頁).
214 ABB Asea Brown Boveri Group Annual Report 1988, op. cit., p. 5, pp. 62-65; ABB Asea Brown Boveri Group Annual Report 1989, op. cit., pp. 2-3, pp. 41-43; ABB Asea Brown Boveri Group Annual Report 1990, op. cit., pp. 33-35; ABB Asea Brown Boveri Group Annual Report 1991, op. cit., pp. 60-63; ABB Asea Brown Boveri Group Annual Report 1992, op. cit., pp. 60-63; ABB Asea Brown Boveri Group Annual Report
国別法人が ABB の追求する現地市場への適応・密着の要であったように,ビジネス・
エリアは同社の組織課題であるグローバルな調整・連携の要としての役割を担う組織単位 である。調整面では,例えば各現地事業会社に対する輸出市場や製品市場の割り当て,各 国間の価格調整,事業の買収,供給能力が過剰になった場合の事業売却の提案,国境を超 えた一括購買体制の構築,生産・研究開発体制の分散化・集中化などを行う。連携面では,
各現地事業会社で蓄積される設計,生産,品質などに関連するノウハウの現地事業会社間 での移転,専門人材をグローバルに異動することによる人材活用とそれによるグローバル 人材の育成,さらには現地事業会社が国境を超えて情報交換や相互学習を行うための協力 関係の構築などを行う215。
以上を見るに,ABB は各国現地に展開する事業ユニット=現地事業会社を自律化する 一方で,それのみでなく,全社的な戦略と業績に責任を負う執行委員会,各国現地に対す る適応・密着を担う国別法人,そしてグローバルな調整・連携を担うビジネス・エリアと,
グローバル企業を運営するための明確な役割分担を持った組織構造を構築している。