第 6 章 高精度増幅器前置き型波形整形 (TADPOLE 参照補正 ) 150
7.4 エタノール光解離制御実験への応用
本節ではエタノール光解離制御実験を行なう.
従来,分子の化学結合を光によって操作する場合,分子の振動モード や ,電子励起準位に共鳴す る光を用いてきた .しかし近年,高強度な光電場を用いると分子の光による操作性が向上すること が ,指摘されている34).それは ,非常に高強度な電場中では分子の電子状態と光電場が結合した ドレスト状態を形成するからである.ドレスト状態の本質は交流電場でのStark効果(AC-Stark) 効果である.AC-Stark効果は ,S. AutlerとC. Townesによって示されるように35)半古典論で 説明される.ただし ,より詳しい解析を行なうためには ,密度行列による取り扱いが必要な場合
がある.Stark 効果によるエネルギー準位のシフトを記述するためには ,系を表わすハミルトニ
アン中の相互作用ハミルトニアンによる非対角成分を ,ユニタリー変換を用いて物質系のハミル トニアンのように対角化する作業を行なう.この変換は定性的には ,系の量子状態を表わす波動 関数を異なる直交基底で捉えることによって ,物質が電場とカップ リングした状態での物質系の 見かけのエネルギー固有値を求めていることに対応する.ここで ,光電界は交流電場であるので ,
このStark 効果を光電場に適用して実際に系の状態を記述するためには ,時間依存のハミルトニ
アンを含む波動関数を解かなくてはならない .そこで J. Shirleyは ,交流電場を時間平均するた めにフロケの定理を36)用いて時間に依存するハミルトニアンをフーリエ級数展開して時間に依存
しないFloquetハミルトニアンを導出した.さらに ,光子数Nが大きい条件下で場の量子化も行
ない,物質の電子系と交流電場が結合した状態を記述した36).これがドレスト状態37, 38)であり , 分子の場合にこのドレ スト状態での描像を行なうと分子のPESが高強度な光電場によって変形 する光ドレ ストポテンシャル曲面(Light-Dressed potential energy surface: LDPES)の状態を 取ると解釈される.Fig. 7.17にその状態を示したが ,光電場を適切に制御することによっては ,
LDPESを光によって直接操作することができるので ,分子の核波束を大きな自由度で操作可能
なることが期待されている.こうした高強度電場中での分子の制御は始まったばかりであり40), 今後の展開に注目される.高強度光電場を作り出すためには ,フェムト秒パルスレーザが良く用 いられているが ,こうしたパルスレーザを用いる場合には ,光パルスの振幅が時間的に変化する ので ,Floquetハミルトニアンの準定常状態を考える必要がある41–43).
また ,高強度場中の原子分子ではクーロンポテンシャルが外部電場によって歪められて電子の トンネル イオン化が起きたり,その電子が電場からエネルギーを供給されて再び核と衝突するこ
第7章 波形整形システムの光プロセス及び超高速コヒーレント制御への応用 191
(a) (b)
Fig.7.17 (a) Schematic of a molecule potential energy surface when the intensity of the external electrical field is weak. (b) Light dressed picture of a molecule potential energy surface coupled with intense laser field.39)
とによる閾値イオン化 (above threshold ionization: ATI)44, 45)が起きることや ,又は分子の構 造変形に伴うイオン化促進(Enhanced Ionization)46, 47)等,従来では起きえなかった様々な物理 現象が観測され ,それらをよりよく理解し 制御することが可能になれば ,理学的・工学的利益は 大きいと考えられる.
このような研究を進めるために高強度整形電場が求められており,増幅器前置き型波形整形シ ステムを用いれば 整形波形を TW/cm2 を超える光強度で得ることが可能である .波形整形器を 増幅器後に設置したのでは ,たとえ波形整形器のオプティクスを工夫したとしても ,得られる光 パルスの強度の限界はかなり低く(p. 107),GW/cm2から多くてもTW/cm2 を得るのがやっと である.さらには ,時間空間結合の波面の歪みによってスポットにおける光密度が波形毎に変化 する.
本節では ,増幅器前置き型波形整形システムを用いることによって ,こうした問題に直面する ことなしに ,高強度な整形された光電界を作りだし ,それを用いて化学反応制御に用いた実験例 を示す.
本研究で構築した高精度波形整形システムを用いると ,光パルスのある一つのパラメータのみ を独立に変化させることが可能である.超高速コヒーレント制御においてこうして ,光パルスの 特定のパラメータ反応分岐に与える影響を系統的に調査することは ,内部物理を理解するために 重要である.そこで ,本実験ではエタノールC2H5OHの光解離反応のチャンネル分岐比が光パル スの線形チャープを変化させると変化することを利用して20),本波形整形システムがこうした系 統的な実験に用いることのできるパフォーマンスを持っていることを示す.
また ,光解離反応を指標とした閉ループ 制御実験を同時に行なえば ,系統的な実験によって得 られた知見を更に深めることが可能である.そこで本実験系においても,閉ループ 制御による光 解離反応の最適化制御が行えることを示す.
第7章 波形整形システムの光プロセス及び超高速コヒーレント制御への応用 192
7.4.2 線形チャープ変化による系統的光解離制御実験
実験セット アップ
実験セットアップ を ,Fig. 7.18に示す .再生増幅器前波形整形システムによって整形された
Fig.7.18 Experimental setup of ethanol molecular photo dissociation experiment. Lin-ear chirp is systematically applied to the LC-SLM.
フェムト秒レーザパルスをWiley-McLaren型飛行時間測定質量分析装置(Time of Flight Mass Spectrometer: TOF-MS)に入射させる48).
TOF-MSではターボ分子ポンプを用いて 10−8 Torr程度まで真空に引いたチャンバー内にマ
イクロシリンジからサンプル分子のガ スを流し 込むことで ,2枚の電極間に分子ビームを作りだ しそこでレーザと相互作用させる.本実験ではレーザの偏光方向はTOF軸に平行とした .2枚の 電極板間にはそれぞれ ∼4100 Vと∼ 3800 Vの電圧がかかっているので ,そこで イオン化され た分子は2枚の電極板の電圧の低い方向へ運動力を付加され ,チューブ 内を飛行する.その後イ オン化分子はMCP(Micro Channel Plate)で検出される.同じ価数のフラグ メント イオンの分子 の場合には ,電極板の電界によって与えられるエネルギーは等しいので ,質量の差によって受け る運動量が異なるので ,MCPに到着する時間が異なる .本実験では ,チャンバー内に残留する H2Oおよび ,最も質量の大きいエタノールの親イオン C2H5OHの2つのスペクトル信号を指標 として ,時間-生成比として得られるTOFスペクトルを ,質量スペクトルに変換する .ある時間