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イスラーム法源としてイジュマーの正当性

イスラーム法源としてイジュマーの正当性

森   伸 生

はじめに

シャリーアつまり、イスラーム法はムスリムにとって神意を体現した法であ る。その所以は法源にある。シャリーアの法源はクルアーンと預言者のスンナ である。クルアーンはアッラーの言葉であり、スンナは預言者ムハンマドの言 行である。ムスリムの行動規範のすべてがこの二つの法源から導き出されるこ とになる。つまり、ムスリムの行動に関する規範はまずクルアーンに求め、そ こに回答を見つけたならば、それを実行する。しかし、クルアーンに見出せな い場合には、スンナの中に規範を求める。だが、そこでも、回答を見出せない 場合には、ウラマーの合意(イジュマー)した規範に回答を見出すことになる。

さらに、ウラマーの合意した規範にも、見いだせない場合には、ウラマーの類 推(キヤース)による規範に求めることになる。イジュマー及びキヤースによ る規範は二次的法源と呼ばれている。それはイジュティハード(法規範発見の 営為)が可能なウラマー(法学者)によって、クルアーンとスンナから新たな に導き出される規範である。このウラマーのことを特にムジュタヒドと呼ぶ。

ムジュタヒドには厳しい条件が求められるが、ムジュタヒドの責務は基本的に クルアーンとスンナから神意を汲み取り、新たな事象に対して規範を出すこと にある。一次的法源において疑義をはさむことは起こり得ないが、二次的法源 についてイスラーム法学派の間でも多々見解の相違が出ている。二次的法源は 上記の二種類に続き全部で 10 種類ほどがあげられる。本稿では二次的法源の 最初にあげられるイジュマーを取り上げ、シャリーアの法源の一つとして、神 意をいかに体現していくかを明らかにしていく。

1 イジュマーの定義

(1)イジュマーの語義

イスラーム法源としてイジュマーの正当性

イジュマーの語義は二つある。

第一語義:「物事に対する決心」。この用法の例として、クルアーンの一節「そ れであなたがたは、自分で立てた神々と(相談して)あなたがたの事を決定し なさい(アジュミウ)」(10 章 71 節)、ハディース「ファジュルの前に断食を 決意(ヤジュマウ)しなかった者には断食はない。」(正しい断食ではない。)

などがある。

第二語義:「物事に一致すること」。この用法の例として、クルアーンの一節「か れらはかれ(ユースフ)を連れていき、かれを井戸の底に投げ込むことに決め た(アジュマウー)。」(12 章 15 節)がある。

第一語義、第二語義の違いは、第一語義の場合には一人にても複数でも使用 可能であるが、第二語義は双数以上でないと使用できない。また、第一語義が 基本にあって、第二語義が成立することも理解される。

(2)イジュマーの法学的定義

イブン・クダーマ(1223 年没、著名なハンバル学派法学者)による定義は、「宗 教的事柄について、ムハンマドの共同体の一時代のウラマー(ムジュタヒド)

の合意」である1

ハッラーフ(1956 年没、現代アラブ世界を代表するモダニスト系イスラー ム法学者)による定義は、「使徒の死後のどの時代であれ、その時代のムスリ ムの中の全ムジュタヒドが、ある事件についての法判断に於いて一致するこ と」である2

イブン・クダーマの定義では〔預言者ムハンマドの死後〕が省かれ、現代学 者のハッラーフでは〔宗教的事がら〕が省略されている。またイブン・クダー マの定義にはウラマーを複数で表すだけで全ウラマーと明記していない。しか し、アラビア語表現にて定冠詞を付けていることによって全体を示していると 考えられる。どちらの定義にしても、明記しなくても理解される常識の範囲と していることが理解されるが、ここではより正確を期すためにハッラーフの定 義に〔宗教的事がら〕を追記してイジュマーの定義とする。

イスラーム法源としてイジュマーの正当性

2 イジュマー成立の条件

イジュマーの成立条件に次の五条件が定義から考えられる。

第一条件:ムジュタヒドの一致。ムジュタヒドとは、イスラーム法源から法 的規範を導き出す能力を有する者。

ゆえに、ムジュタヒドが存在しない時代ではイジュマーは成立しない。同様 に、一時代にムジュタヒドが一人しか存在しない場合には、彼が自分の見解を 出しても、それはイジュマーにはならない。ムジュタヒドが三人以上の複数名 存在したならば、彼らの一致によってイジュマーは成立する。ムジュタヒドが 二人存在し、二人がある見解に一致した場合、二通りに分かれ、イジュマーに ならないとの主張と、イジュマーになるとの主張であるが、後者が多数派見解 である。

第二条件:全ムジュタヒドによる一致。もし、大多数のムジュタヒドがある 法判断に一致し、一部の者がそれに反対した場合には、多数派見解ではイジュ マーにならない。たとえ、反対者の意見が少数であったとしてもである。なぜ なら、真実は多数派に反対した方に存在する可能性もある。それがたとえ一人 であっても。

全ムジュタヒドの一致の条件により、マディーナの人々(ムジュタヒド)の 一致、二聖都の人々の一致、クーファとバスラの人々の一致、聖家(預言者の 家系)の人々の一致、アブーバクルとウマルの一致などはイジュマーとして成 立しない。なぜなら、彼らは全ムジュタヒドではなく、彼らの一致は人々が遵 守すべきイジュマーとはならない。この見解についてさらに異論が存在するの で別項で解説する。

第三条件:ムジュタヒドはムハンマドの共同体からである。クルアーンとス ンナを基盤とする共同体であるゆえに、ムハンマドの共同体の無謬性が保証さ れており、他の共同体とは峻別されているのである。そのことは記すまでもな いことであるが、ムスリムを条件とすることをも意味する。

第四条件:イジュマーは預言者ムハンマドの死後の時代に成立する。これゆ えに、預言者時代にイジュマーは存在しない。なぜなら、サハーバが一致した

イスラーム法源としてイジュマーの正当性

法判断に預言者が同意したならば、その法判断はスンナとして定着するので あって、イジュマーではない。もし、預言者が彼らに反対したならば、彼の一 致に意義はなく、彼らが一致したことはイスラーム法的規範にはならない。

第五条件:ムジュタヒドたちが一致した法判断はイスラーム法的規範とな り、ムスリムの行動を裁定することになる。これによって、一致は言語的問題 や科学的問題では法的イジュマーとはならない。

3 イジュマーの種類

イジュマーには明言のイジュマーと沈黙のイジュマーがある。

(1)明言のイジュマー

明言のイジュマーは各ムジュタヒドがある一つの問題について見解を明らか にし、これらのムジュタヒドの見解が一つの採決に一致することである。

または、一時代に一つ事件が起き、一人のムジュタヒドが一つの見解を出す。

次に、他のムジュタヒドがその事件について同様の見解を出す。次に、三番目 のムジュタヒドが同様の見解を出す。このようにして、最終的にその事件につ いてその時代における全ムジュタヒドが一つの見解に一致することである。明 言のイジュマーが真実のイジュマーであり、多数派の立場からすればそれが法 的権威である3

(2)沈黙のイジュマー

沈黙のイジュマーは一部のムジュタヒドが一つの事件について見解を明らか にして、同時代の他のムジュタヒドはそのことを知っているが沈黙していた採 決である。彼らからは先の一部のムジュタヒドの見解に対して承認とも、否定 とも全く明言することはない。沈黙のイジュマーは想像上のイジュマーであ り、その正当性に見解が分かれている。その見解の相違については後述する。

4 イジュマーの正当性

(1)正当性の根拠

イブン・クダーマは、イジュマーの存在は事実であり、法源の一つになると

イスラーム法源としてイジュマーの正当性

述べている。つまり、イジュマーによる規範は実施することは義務となり、違 反に対して罰則が科されることになる。イブン・クダーマはイジュマーの正当 性の根拠としてクルアーンとハディースをあげている。ここでは明言のイジュ マーを基本としている。

クルアーンの一節「導きが明らかにされたにも拘らず、使徒に背き、信者の 道ではない道に従う者には、かれが転向したいままに任せ、結局かれは地獄に 入るであろう。何と悪い帰り所であることよ。」(4 章 115 節)。この節は信徒 の道に従うことが義務であるとし、彼らが背くことを禁じている。アッラーは 信徒の道でない道に従う者には地獄に永遠に住まわせることを懲罰として約束 した。つまり、信徒以外の道は不正であり、ならば、反対に信徒の道は正義と なる。ムジュタヒドたちが一致した道が信徒の道であり、つまり、それに従う ことが正義であり、それに反することは許されない。

この証明の根拠に対して反論が出ている。この節における信徒の道の意図は、

預言者に従うことであり、ムジュタヒドたちが一致した法判断に従うことを意 図していない。ゆえに、この節の意味は、アッラーの使徒に敵対し、闘い、使 徒に従う中で信徒の道に反した者に対して、アッラーは助けず、来世にて地獄 にて懲罰を与えるのである4

そこで、他のイスラーム学者はイジュマーの根拠として次のクルアーンの一 節をあげている。「あなたがた信仰する者よ、アッラーに従いなさい。また使 徒とあなた方の中の権能をもつ者に従え」(4 章 59 節)ここに出ている「権能 をもつ者」について、すでにイブン・アッバース(クルアーン解釈の父と呼ば れる。教友の一人。686 年没)を初めとする何人かのクルアーン注釈者たちは、

ウラマーのことであるとしている。つまりウラマー(ムジュタヒド)がある判 断に於いて一致したとき、それに従い、彼らの判断に従うことが義務となると 理解されている。

次いで、イブン・クダーマはイジュマーの正当性の根拠として、イスラーム 共同体の無謬性を示す多くのハディースをあげている。「わがイスラーム共同 体は迷妄に合意することはない。」、「アッラーはこのイスラーム共同体が迷妄

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