• 検索結果がありません。

イスラーム法学者の見解の相違とその原因

イスラーム法学者の見解の相違とその原因

柏 原 良 英

はじめに

イスラーム法学者たちの基本合意は、シャリーア(イスラーム法)の規則の 源は、常にクルアーンであり、それを補うスンナ(預言者の言行)であること は疑いの余地はなく、それは永遠に変わらないものである。しかし、同じクル アーンとスンナを使いながらも、現在、イスラーム世界の多数派を占めるスン ナ派のシャリーアは大きく分けて 4 つの法学派が認められている。多くのムス リムは、自分の所属する法学派の判断に従って様々な行動における基準を定め て、日常生活を送っている。この 4 つの学派が成立した背景には、同じクルアー ンとスンナという法源を持ちながらその解釈の相違がある。そしてそれはシャ リーアの成立過程の要因と密接に関連している。ここではその原因を歴史的に たどりながら探っていきたい。

1.シャリーア成立の 4 段階

シャリーアが整備されていく過程は、大きく分けて次の 4 つの段階に分けら れる。

(1) 預言者の時代

(2) サハーバ(教友)の時代(ヒジュラ 1 世紀末まで)

(3) 記録とイジュティハードの時代(ヒジュラ暦 4 世紀半ば)

(4) 模倣の時代(ヒジュラ暦 4 世紀半ば以降)

預言者時代は全ての問題は預言者を通したアッラーからの啓示によるか、預 言者の承認によって正しい回答を見出すことが出来た。従って、そこに人々の 見解の相違は見られない。

しかし、預言者の死後、様々な出来事に対する法的判断が求められた時、残 されたサハーバにはアッラーからの啓示であるクルアーンと預言者から聞いた

イスラーム法学者の見解の相違とその原因

判断や行った行為であるスンナしか残されていなかった。アッラーと預言者の 判断を絶対のものと見做し、自分達の判断を極力避けてきたサハーバは、残さ れたものによって問題の解決を図ることになった。更に、当時は非常な勢いで イスラーム世界が拡張している時代で、預言者の時代には遭遇したことの無い 出来事にも対処せざるを得ない状況に彼らは、徐々に置かれていった。そこで は、クルアーンやスンナに回答が見出されない時に、それぞれの判断を行い対 処せざるを得なくなった。そこからサハーバの間でも見解の相違が見られるよ うになる。しかし、初期段階でそれはいくつかの問題に対するものでシャリー アそのものではない。たとえば預言者の死後の後継者問題や、初代カリフ(後 継者)・アブーバクルのリッダ(背教者)の戦いにおける判断がある。この戦 いは預言者の死後、一部の信者が義務のザカート(喜捨)を拒否したことが原 因で起きたものだ。ザカートを拒否した者達の根拠は、クルアーン「かれらの 財産から施しを受け取らせるのは、あなたが、かれらをそれで清めて罪滅しを させ、またかれらのために祈るためである。本当にあなたの祈りは、かれらへ の安らぎである。」(9 章 103 節)による主張で、預言者からの祈りが得られな くなった以上、それを出す必要はないというものであった。またウマルもシャ ハーダ(信仰告白)をした者はその財産と生命は守られるというハディース を根拠に彼らを殺すことは出来ないと反対したが、アブーバクルはその同じハ ディースの最後に「ただし、その義務を果すことで」と言う部分を根拠にウマ ルを説得して、共に戦いに乗り出した。

この時代の特徴は自分が知らないハディースがあっても周りの仲間に聞くこ とができたことで、後の時代の見解の相違とは異なる。この時代の相違は、ハ ディースを伝えた本人がそれを忘れたり、そのハディースが伝わっていなかっ たりしたためなどによる。従って見解の相違が現れるのは、クルアーンにもス ンナにも回答が見い出せない時に行う個人的な見解から相違が出てくることに なる。

サハーバの次の時代はタービウーン(預言者をサハーバから知った第二世代)

で、この時代はイスラームが拡大し、サハーバが各地に散らばってそれぞれの

イスラーム法学者の見解の相違とその原因

場所で自分達の知識に従ってイスラームを伝えた。タービウーンはそれぞれの サハーバからそれを受け継いだ。それぞれの土地に主なサハーバが出て来て、

それを弟子のタービウーンが伝えていく。マッカではイブヌ・アッバースが、

マディーナではイブヌ・ウマル、クーファではイブヌ・マスウードが有名であ る。またそれを引き継いだタービウーンの中から有名な学者が出てきた。ター ビウーンは次の時代の法学派の基礎になっていく。タービウーンの次にそれぞ れの都市に後の 4 法学派の開祖となる法学者が現れる。クーファにはアブーハ ニーファ。マディーナにはマーリクなどが出る。その後に来たのがシャーフィ イーであり、アフマド・ブン・ハンバルである。またこの時代にハディース の記録が始まり、正しい信憑性のあるハディースとそれ以外のハディースを分 けたハディース集が編纂されるようになり、シャリーアの基礎が出来あがって 行った。その結果、それぞれの法学派が成立し人々の間に浸透して行った。

その後、それぞれの法学派は、大学者の業績を伝えることが主になって、自 ら法的判断を行う努力をするイジュティハードが見られなくなっていった。

2.見解の相違は善か悪か

シャリーアにおける法的見解の相違について、それを良いものとする立場と 悪いものとする立場の二つが存在する。それぞれの根拠は、以下の通りである。

(1) 善と見る根拠

 ① シャリーアは容易さを求めるものであるから、一つの見解だけで他を 認めないことは困難を伴う場合がある。

 ② クルアーンやハディースには人々の見解が異なるものがふくまれてい る。

 ③ ハディースに「私のウンマに相違があるのは慈悲である」とある。

 ④ 状況や問題が異なればその法規も変わらざるを得ない。

 ⑤ 一人のムジュタヒドの見解だけが正しいのか。両方が正しい場合はど れかを選ばざるを得ない。

(2) 悪と見る根拠

イスラーム法学者の見解の相違とその原因

 ① クルアーンやスンナは相違を悪としている。「明証がかれらに来た後 分裂し、また論争する者のようであってはならない。」(3章 105 節)「あ なたがたは何事に就いても異論があれば、アッラーと終末の日を信じ るのなら、これをアッラーと使徒に委ねなさい。」(4 章 105 節)

 ② ナースィフ(新たな規則)とマンスーフ(新しい規則により無効となっ たもの)がクルアーンに存在すること。もし相違が認められるならナー スィフとマンスーフが存在している意味がない。

 ③ 相異の存在は反対の根拠も存在することになり、すべきかしてはいけ ないかが確定しているのにそれがあることになり想像できない。

 ④ 相異の存在はそれぞれの根拠を吟味する門を閉ざしてしまう。

3.法源における相異の原因

(1) クルアーン:

 クルアーンでもタワートル(集団によって伝承されるもの)でない読み 方(キラーアトルシャーザ)でもそれを実行するかどうかで見解が分か れる。ハナフィー派はそれがクルアーンである以上実行される。それを 実行しない人々はそれはタワートルではないからとする。例えば、誓約 を果たせないときの償いの規則でクルアーンには、「だがあなたがたが 誓って約束したことに対してはその責任を問う。その贖罪には、あなた がたの家族を養う通常の食事で、10 名の貧者を養え、またはこれに衣類 を支給し、あるいは奴隷1名を解放しなさい。(これらのことが)出来 ない者は、3日間の斎戒をしなさい。それがあなたがたが誓いをした時 の賠償である。」(5章 89 節)と書かれているが、ハナフィー派とハンバ リー派は、この 3 日間に「連続したと」いう条件を付けている。その根 拠として教友のウバイ・ブン・カアブとイブヌ・アッバースが、この節 を「連続した3日間」と読んでいたことを上げる。これに対し、マーリキー 派とシャーフィイー派は、この二人のクルアーンは、タワートルではな い読み方であるから「連続した」は条件には入らないとしている。注1

イスラーム法学者の見解の相違とその原因

(2) スンナ(預言者ムハンマドの言行録ハディース):

 クルアーンに次ぐ法源。「また使徒があなたがたに与える物はこれを 受け、あなたがたに禁じる物は、避けなさい。」(59 章 7 節)

 サハーバのハディースの暗記による相違。アブーバクルは祖母の相続 についてのハディースを知らなかったが、他のサハーバがそれを知って いてアブーバクルはそれを取り入れた。

 ハディースが記録され、それぞれのハディースの信ぴょう性について 定められた時に、相違が起きる。タワートルの次のマシュフール(教友 の伝承段階でタワートルの段階にまで達していないハディース)につい てそれを規則の根拠として取るのが大勢である。. 例として、ウマルの 伝える「すべての行為はその意図による・・・」これを取らないのはハ ワーリジュ派と一部のムウタズィラ派で、これはアーハード(伝承者が 一人であるハディース)であるからとする。

 アーハード:ハナフィー派はそれはクルアーンに書かれていることの 追加となる。追加は廃止されたものとなる。しかし大勢はそれは廃止に はならない。それはクルアーンに書かれたことに反しなければそれを行 う。「あなたがたの仲間から、2名の証人をたてなさい。2名の男がい ない場合は、証人としてあなたがたが認めた、1名の男と2名の女をた てる。」(2 章 282 節)ハディース「アッラーの使徒は一人の商人と誓約 によって裁いた」ハナフィー派はこのハディースについては言及しない。

大勢はこれを取る。何故ならクルアーンは二人の証人か一人の証人と女 性二人とだけ言っていてそれ以外を否定していない。

(3) イジュマーウ(合意):

 サハーバは預言者の言動を実際に見て聞いて伝えた人たちであり、問 題があれば集まって相談して結論を出した。それはイジュマーウとして 受け入れられるものである。しかしサハーバの後のイジュマーウについ てそれを根拠と出来るかどうかで相違がある。イジュマーウの種類には、

黙認のイジュマーウ、これは一部のムジュタヒドが語ったことを他の者

Outline

関連したドキュメント