うしたらよいだろう。」これは会員一人一人 に向けられた質問です。また,会員の中 で伝道活動を導くよう任された,監督と支 部長のだれもが抱く疑問なのです。そし てその答えは,これから訪れようとしてい る刈り入れの核心となるものです。
わたしは,救い主とその教会について すばらしい証
あかし
をする人々に,注意深く,祈 りの気持ちで注目してきました。実に忠実 な人々です。その模範は霊を鼓舞してく れます。ある謙虚な男性が,小さな支部 の支部長に召されました。しかし会員は ほとんどいなかったため,どのように支部 を運営していけばよいか分かりませんで した。そこで,祈るために森に入り,どう すべきか神に尋ねたのです。答えを受け,
この支部長は会員とともに,友人を教会 に招待し始めました。1年のうちに,何百 人という人々がバプテスマの水に入り,
主の教会にあって聖徒たちと同じ国籍の 者となったのです。
知人の中にほぼ毎週仕事で出張をする 男性がいます。この男性が出張中に会っ た人を,今日
き ょ う
も世界のどこかで宣教師が 教えています。別の男性は,宣教師から 福音を学びたいと願う人に会えるまで,
どれほど多くの人に話しかける必要があ ってもくじけません。断られた回数では なく,生活が変わった人々の幸福だけを 心に留めているからです。
こうした人々の行動に単一のパターン はありません。共通の手法もありません。
だれかに手渡そうと常にモルモン書を持 ち歩いている人もいれば,宣教師に紹介 できる人を見つける日の目標を設定して いる人もいます。人生で最も大切なことに ついて人々に考えさせるために質問を幾 つも用意している人もいます。それぞれ
が,何をすべきか分かるように祈っていま す。そして一人一人が,自分自身と出会 う人々に適した,別々の答えを受けてい るようです。
しかし,似ている点もあります。共通 の方法で,自分が何者であるかを理解し ているのです。この知識によって,霊感で 促されたことを実行できるのです。促さ れたことを行うには,少なくとも二つの点 でこの人々のようになる必要があります。
第1に,このような人々は,自分が愛にあ ふれた天の御父の子供であり,愛されて いると感じています。そのため,祈りを通 して容易にそして頻繁に,御父に心を向 けられるのです。また,御父から直接導 きを受けられると信じています。完全な 親である御方の子供として,柔和で謙虚 な心で従っています。御父がそばにおら れるのです。
第2に,復活されたイエス・キリストの 弟子であることを喜んでいます。贖
あがな
いが 現実のものであり,すべての人に必要で あることを知っているのです。また,権能 を持つ者からバプテスマを施され,聖霊 を受けたことにより清められたと感じて います。平安を味わい,モーサヤの息子 たちのようになっているのです。「モーサ ヤの息子たちは,救いがすべての造られ たものに告げ知らされることを願った。
彼らは,だれであろうと人が滅びるのに 耐えられなかったからである。まことに,
無窮の苦痛を受ける人がいると考えただ けで,彼らは震えおののいた。」2
回復された福音を,しばしば容易に語 る人々は,福音が持つ意義を重んじてい ます。その偉大な祝福についてよく思い 巡らしています。授かった祝福をいつも 心に覚えているからこそ,人にも祝福を 受けてほしいと熱心に願うのです。救い 主の愛を感じたことがあります。彼らに とって福音は日常に密着したものであり,
現実のものなのです。
「愛には恐れがない。完全な愛は恐れ をとり除く。恐れには懲らしめが伴い,か つ恐れる者には,愛が全
まっと
うされていない からである。わたしたちが愛し合うのは,
神がまずわたしたちを愛して下さったか
らである。」3
真の弟子としてそのような愛を感じてい ても,時折,不安になることがあります。使 徒ヨハネはそれをはっきりと理解していま した。愛が全うされるとき,恐れは消え去 るのです。わたしたちは完全な愛という 賜物
たまもの
を求めて祈ることができます。わたし たちや出会う人々を救い主が愛しておら れ,その愛を感じられるという確信をもっ て祈ることができるのです。救い主は,わ たしたち自身や出会うすべての人を愛し ておられます。主はすべての罪の代価を 支払われるほど,人々を愛されました。そ れを信じるのは大切なことです。しかし,
それにも増して重要なことは,御子の犠牲 をひとときも忘れないよう心を改めること なのです。救い主の愛を感じられるよう祈 りなさいという戒めは,約束でもあります。
次の言葉に耳を傾けてください。
「したがって,わたしの愛する同胞
はらから
よ,
もしあなたがたに慈愛がなければ,あな たがたは何の価値もない。慈愛はいつま でも絶えることがないからである。した がって,最も大いなるものである慈愛を 固く守りなさい。すべてのものは必ず絶 えてしまうからである。
しかし,この慈愛はキリストの純粋な愛 であって,とこしえに続く。そして,終わ りの日にこの慈愛を持っていると認められ る人は,幸いである。
したがって,わたしの愛する同胞よ,あ なたがたは,御父が御子イエス・キリスト に真に従う者すべてに授けられたこの愛 で満たされるように,また神の子となれる ように,熱意を込めて御父に祈りなさい。
また,御子が御自身を現されるときに,わ たしたちはありのままの御姿の御子にま みえるので,御子に似た者となれるよう に,またわたしたちがこの希望を持てる ように,さらにわたしたちが清められて清 い御子と同じようになれるよう,熱意を込 めて御父に祈りなさい。」4
主は,真の弟子に信頼を置かれます。
そして,備えのできた人々を,備えられた 僕のもとに送られます。だれかに会った とき,この出会いは偶然ではないと感じ た経験が皆さんにもあることでしょう。わ
たしにもあります。
友人の一人は,福音を受け入れる備え のできた人に会えるよう毎日祈っています。
そしていつもモルモン書を持ち歩いてい るのです。最近のことですが,ある短い旅 行に出る前の晩,その友人はモルモン書 の代わりに「パス・アロング・カード」を持っ て行くことにしました。しかし翌朝,「モル モン書を持って行きなさい」という霊的な 導きを受けたのです。そこでかばんに1冊 入れておきました。飛行機に乗ると,顔見 知りの女性が隣に座りました。友人は,
「この人だろうか」と思い巡らしました。そ して帰りの飛行機でもその女性と一緒に なり,「どうやって福音の話を持ち出した らよいだろうか」と考えました。
ところがその女性の方から話しかけて きたのです。「あなたは教会に什分
じゅうぶん
の一を 納めているそうですね。」友人はそのとお りだと答えました。彼女は,自分の集って いる教会に什分の一を納める必要があっ たが,そうしなかったと言いました。そし て,こう尋ねてきたのです。「ところで,モ ルモン書はどういう本ですか。」友人はそ れが聖典で,イエス・キリストについての もう一つの証であり,預言者ジョセフ・ス ミスが翻訳したことを説明しました。この 女性は興味を持ったようでした。そこで 友人はかばんに手を伸ばすと,こう言い ました。「わたしは,この本を持って来る よう導きを受けました。たぶんあなたに 渡すためだったのでしょう。」
女性はモルモン書を読み始め,別れ際 にこう言いました。「二人でこのことにつ いてもっと話す必要がありそうですね。」
友人は知る由もなかったのですが,この 女性は教会を探していたのです。もちろ ん神は御存じでした。彼女がこの友人を 注意深く見ていて,教会のどんなところが 彼をあれほど幸福にしているのだろうか と不思議に思っていたことを,神は御存じ だったのです。神は,彼女がモルモン書 について尋ね,宣教師から喜んで福音を 学ぶことも御存じでした。この女性には 備えができていました。友人もそうです。
皆さんもわたしも備えられるのです。
皆さんのふさわしさと望みは,輝きとな
って面影に表れます。主の教会とその業 に奮い立ち,それが表情を輝かせるので す。こうして,四六時中,あらゆる状況で 主の弟子となるのです。これを最後に一 度だけだれかに福音を伝えようと勇気を 振り絞る必要はなくなります。大半の人 が回復された福音に興味を示さないとい う事実も,言動にほとんど影響を及ぼさ なくなります。自分の信条を話すことが,
生活の一部となるのです。
わたしの父もそのような人でした。父 は科学者で,世界各地で聴衆を前に講義 をしました。かつて,父が大きな科学の 学会で行った講演の記録を読んだことが あります。その中で父は,自分の科学理 論を話すに当たって,創造と創造主につ いて触れたのです。聴衆の中には,自分 の信仰について話した学者などほとんど いませんでした。わたしは驚きと称賛の 気持ちを込めて父に言いました。「お父さ ん,学会で証をしたんだね。」父は驚いた 表情でわたしを見ると,こう言いました。
「ほんとうかい?」
父は,自分が勇敢であるとさえ感じて いませんでした。ただ,真実だと知って いることについて率直に話しただけなの です。父の証を拒んだ人たちにも,父が 巧みに仕組んで証をしたわけではなく,
信条の一端が口をついて出ただけなのだ ということが分かりました。父はどこにい ても同じように振る舞いました。
それは雄々しく効果的に福音を伝えて いるすべての人の特質です。愛に満ちた,
生ける天の御父の子供として自分をとら え,イエス・キリストの弟子であることを 理解しています。祈るために特別な努力 は要しません。自然にそうしているので す。また,救い主を覚えるのに特別な努 力は要らないのです。主からの愛,そし て主への愛が,常にともにあります。彼ら はこのような人々であり,自分自身や周り の人をこのようにとらえているのです。
大きな変化を求められているように思 うかもしれません。しかし,そのような変 化が訪れると確信することができます。
会員一人一人のそのような変化は,全世 界の教会で起こりつつあります。今は,創