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−特に我国の初期の公害反対運動における女子教育者の関与を中心に−

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村上哲生

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人による支配的な自然の開発、一般に男性原理と理解さ れているもの、の対極に立つものであった。また、持続 可能な発展のために、ストックを最大化し、フローを最 小化する考えは、従来の市場原理とは合い入れないもの である。ブルントラントの自然観には、ジェームス・ラ ブロックのガイア仮説が影響しているものと考えられて いる7)

 プラムウッドも、「排他的人間中心主義」、つまり、従 来の収奪型の開発に見られるような自然観の根底には、

西洋中心主義、男性中心主義があることを主張した。人 間は、対峙的に自然の外部に立つものではなく、また、

自然と人間は、潜在的に交感が可能であり、かつそれぞ れの価値を担う独立した存在であることを重視した8)。  スーザン・グリフィンは、男性原理が自然を疎外する 文化を創り出す原因を、心地よさと食物を与え、また同 時にそれを取り上げる力を持つ母親、即ち自然からの独 立であると考える。これは西洋の心の病であり、自然の 破壊や搾取は、性差別のある社会に必然的に生じるもの である2)

 ヴァンダナ・シヴァは、インドの緑の革命の裏面を明 らかにした。森林を犠牲にした食料の増産は、長期的に は地域の自然とそれに頼る生活を破壊した。開発至上主 義は、男性支配体制に根ざすものであった9)

 パルマーが、現代の4人の女性環境思想家に共通に認 めているものは、人間(男性)中心主義が、現代の危機 的な環境破壊につながるとの観点である。パルマーが女 性の思想家とともに、ブラック・エルク、シコ・メンデ スなどのネイティブ・アメリカンや第三世界の思想家に 重きを置いているのも、男性中心主義が、西欧中心主義 と共通していることを示している。これは、パルマーだ けの指摘ではなく、現代の環境倫理学においても、自然 の権利の重視や、人間中心主義の否定は繰り返される主 張である0,1)

3.足尾銅山鉱毒事件における女性の関与

 我国における公害反対運動の魁としては、19世紀末に 引き起こされた足尾銅山鉱毒事件が挙げられる。被災地 の地主であり、後に議会活動や天皇への請願事件で良く 知られている田中正造がその中心にあったことは確かで あるが、矢島楫子や潮田千勢子、松本英子などの女性の 関与も忘れられてはならない。彼女たちはいずれも、日 本キリスト教婦人矯風会の有力な会員であった2)。  矯風会と田中正造との縁は、矢島の甥であった徳富蘇 峰の仲介によるものであろう。田中・蘇峰、蘇峰・楫子、

蘇峰・千勢子との往復書簡は、それぞれ、3通、15通、

2通が残されており3)、彼らの交流を知ることができる。

しかし、蘇峰の足尾銅山事件に対する支援は継続的なも のではなく、彼の任官後の冷淡さから推測すれば4)、足 尾銅山事件への関与は、矯風会の女性たちの自発的な意 思によるものであったと判断される。

 彼女たちの活動は、鉱毒被害者の生活支援や、窮状の 報道が主であり、環境保全を意識した自然科学的、社会 科学的な側面からの取り組みに特化したものではない。

しかし、矯風会が、他の課題にも増して足尾銅山事件に 力を注いだ背景には、事件の被害者への抑圧と、彼女た ちへの、つまり女性への、社会からの圧力が同一の基盤 に根ざしているとの意識があったに違いない。

 3人の女性たちは、いずれも幸福な家庭生活を過ごし てきたわけではない。矢島楫子は、特に性差別が厳格で あった熊本県で、望まれない女の子(六女)として生ま れ、酒乱の夫との離婚を経て、矯風会を興し初代の会頭 を務め、女子学院の院長にも就任した。晩年は年下の男 性との恋愛事件を起こした5)

 矢島楫子の後任として矯風会の会頭職に就いた潮田千 勢子は、鉱毒被災地の谷中村に授産場を作るなどの活動 を通じ、単なる慈善事業ではなく、被害者の経済的自立 を図った。千勢子は、息子を亡くしており、その不幸を 信仰と社会活動により克服していったと考えられてい る6)

 毎日新聞の記者であった松本英子は、「鉱毒地の惨状」

の記事により、足尾銅山事件を広く国内に知らしめた。

鉱毒事件以前の記事とは一転した高揚した感情が込めら れているものであった6)。松本英子の記者活動は、家の ために跡取りの長男を残しての離婚後のことであった。

また、足尾銅山事件の連載記事の後、突然、退社、渡米 する。その原因としては、活動の限界を知っての絶望、

津田梅子に倣い、対抗するため、恋愛の破局等が挙げら れている7)

 3人の女性、特に矢島楫子、松本英子に顕著に見られ る家庭内での抑圧、即ち、家父長制に対する批判が、政 府からの圧力を強く受けている鉱毒被災者への同情と救 済へと転換したと考えるのは不自然ではないであろう。

しばしば悪意を持って誤解されるような、有閑階級の慈 善事業ではなかった。

 潮田千勢子が亡くなり、松本英子が渡米した後、矯風 会の足尾銅山事件への支援は、急速に衰退する。これは、

争点が、鉱毒問題から治水問題へとすり替えられたこと も理由の一つであるが6)、個人の生き方を社会に投影し た運動の限界でもあったかもしれない。日本の自然保護 運動活動の、非妥協性と純粋さは、その評価はおくとし ても、運動の現場でしばしば話題となる特徴である。個 人の生き方に立脚した運動であれば、そこには妥協はあ

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りえない。

4.女性の反公害・環境保護運動に対する社会の反応  女性の環境思想家、活動家に対する社会の反応も、女 性を非科学的、感情的と類型化する二元論的な見方に忠 実であった。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」5)に 対する反論は、その好例であろう。カーソンは、科学者 として批判の対象となったわけではなく、「有機園芸家、

愛鳥家であって、感情的で、激情を爆発させる」女とし て男性社会から理不尽な批判を受けた。独身女性である ことを理由に、農薬の遺伝的な作用については発言の資 格がないとの暴論さえもあった8)

 女性が、非科学的で、その判断を感情に左右されると 決め付ける姿勢は、カーソンの著書が発表された1960 年代のみの特徴ではない。アメリカの環境保全運動の最 も初期のもので、また後世に大きな影響を及ぼした20世 紀初頭のヘッチ・ヘッチーダム反対運動では、その活動 の中心となり、後に世界最大の自然保護団体へと成長し たシェラ・クラブを主宰したジョン・ミュアは、箒で川 の流れを止めようとする馬鹿げた女性の姿をとらされて からかわれている(図1)9)

 この傾向は、近年も変化はない。6価クロムによる環 境汚染を告発したエリン・ブロコビッチの活動は、日本 でも良く知られた話題であったが、それが映画化された 際、主人公は、必要以上に粗野で下品な言葉で喋る無教 養な女性として表現されていた0)

 我国における運動についての攻撃は、議論されている 問題の本質に言及すること無く、運動が科学的、制度的 な根拠を欠く扇動的なものであるとの視点に立つものが 多い。これは、女性が感情的なものであり、情に訴える 運動が功を奏したとの見解に裏打ちされており、活動の 主体である女性も、訴えの対象である市民をも愚弄する ものである。先に述べた足尾鉱山鉱毒事件においては、

矯風会の支援活動について、「世間が騒ぐのも扇動的な 行動があるからで、足尾鉱毒問題というのは、鉱毒の害 三分、洪水の害二分、鉱毒運動の害五分」との放言が記 録されている6)。現代においても、長良川河口堰問題に おいては、「センチメンタルな主張」1)、情緒に訴える情 報操作2)が強調され、長良川河口堰反対運動が指摘して きた河川環境観と河川政策の転換の先駆性と重要性は、

運動の初期から河口堰完成以降まで意図的に無視され続 けてきた。

 自然支配と開発の思想が、男性中心主義に根を持つの と同様に、自然保全の活動への攻撃も、女性または女性 原理に反する活動を、理性的ではない情緒的なものであ ると決め付けるものである。

 矢島楫子に対しては、甥の徳富蘆花からも、「男女は怨 敵ではなく、夫婦は相互の力でありたい。男を殺す女、

家庭を破壊する社会事業に私は感心することができな い。」(初出 婦人公論T14.8)との批判が浴びせられて いる3)。良妻賢母型の女子教育のくびきが当時の社会を 扼していた事情が知れる。

5.家族の在り方の変化と環境破壊の激化

 家庭内における家父長支配と人間による自然の支配と 搾取が同根であるとの観点に立てば、その最も重要な点 は、自然も家族も、市場の外部にあるとの指摘であろう。

市場は、閉じた系ではなく、自然と家庭からそれぞれ、

資源・エネルギーと労働力を取り入れ、廃棄物と老人・

病人・障害者を自然と家庭に押し付ける4)。市場が発展 していくためには、市場外の自然と家庭が機能していな ければならない。フローとストックの面から、環境問題 は従来の市場原理に馴染まないとの指摘は、ブルントラ ントにも見られる7)

 日本における明治期以降の環境破壊の激化は、もちろ ん人の環境への干渉の規模を飛躍的に大きくした技術力 のためでもあろうが、自然との接し方や家族の在り方な

図1.女性の姿にさせられたジョン・ミュア

 ヘッチ・ヘッチーダム問題では、ダム計画に賛成す る新聞 The San ancsco Cal 紙は、しばしば反 対派のミュアや自然愛好家を非現実で、女性的で、愚 かな人間たちであるとからかった。Rghr,R.W.

(25) The Bae over Heh Hehy より引用。

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