︿論
説﹀
法 文 化 論 序 説
︵ 五
︶
池 田 政 章
第一 章 法文 化論 への 途 第二 章 改め て︑ 法文 化論 とは 第三 章 法文 化の 生理 と病 理 第四 章 法文 化の 普遍 性と 個性
︵以 上 号︶ 77 第五 章
〝法 と文 化〟 の自 画像
︵以 上 号︶ 78 第六 章 自画 像の 形相 序 節 一 自然 と風 土 二 文字 と言 葉 三 心理 と論 理㈠
︵以 上 号︶ 81 四 心理 と論 理㈡
︵以 上 号︶ 84 五 感性 と美 意識
㈠︵ 以上 本号
︶ 六 感性 と美 意識
㈡ ま と め
第七 章 表層 の法 文化 第八 章 法文 化の 深層 おわ りに
︱︱ 憲法 文化 につ いて
第六 章 自画 像の 形相 五
感性 と美 意識
㈠
ઃ 前節 は﹁ 心理
﹂と 題し
︑本 節で は﹁ 感性
﹂と 題す る︒ 定義 的に いえ ば︑ 前者 は外 界の 刺激 に対 する 精神 の持 続状 態を 意味 する のに 対し
︑後 者は 刺激 に対 し直 観的 に反 応す る感 覚能 力と 区別 でき る︒ その ため
︑著 作の 表題 に 従っ て︑ 文献 の引 用を 一応 区分 けし て説 明す るこ とに した が︑ 内容 が双 方に また がる 場合 が多 いこ とに つい て読 者 の了 解を まず えた いと 思う
︒し かも
︑和 語に は﹁ 心﹂ とい う︑ 知識
・感 情・ 意志 など の精 神的 働き のも とに なる 言 葉が あり
︑ 心の 文化 を 論じ た著 作が ある が︑
﹁心 理﹂ の節 では ほと んど 触れ えな かっ た︵﹁ 心﹂ は﹁ 心理
﹂を 含む と思 うが
︑﹁ 心﹂ は和 語︑
﹁心 理﹂ は訳 語と いう 違い から だけ では なく
﹁心 理﹂ の項 が満 杯と いう 事情 もあ った
︶︒ そこ で︑ 本節 では
︑宿 題の
﹁間 の文 化﹂ のほ か︑ 心 の文 化 およ び周 知の わ び さ び 幽 玄 雅みやび な ど︑ わが 国特 有 の個 性研 究も
︑感 性に 関す る問 題と して 解説 した いと 思っ てい る︒
⑴ まず
︑心 理で もあ り感 性で もあ る 間 につ いて
︑剣 持武 彦﹃
﹁間
﹂の 日本 文化
﹄︵ 一九 九二 年︶ から 始め る︒ 間 の 語義
︵﹃ 大辞 典﹄
︶に は︑
①空 間的
︑② 時間 的の 二義 あり とい う︒
﹁ま があ る﹂
﹁ま がい い﹂
﹁ま が欠 ける
﹂
﹁ま が抜 ける
﹂﹁ まが 延び る﹂
﹁ま が持 てな い﹂
﹁ま が悪 い﹂
﹁ま に合 う﹂
﹁ま もな い﹂
﹁ま を合 わす
﹂﹁ まを 置く
﹂﹁ ま を欠 く﹂
﹁ま を配 る﹂
﹁ま を拾 う﹂
﹁ま を持 たす
﹂﹁ まを 渡す
﹂な どが 例示 され てい るが
︑お おか たは 時間 的か
︒﹁ 間 を詰 める
﹂﹁ 間を はか る﹂
﹁間 をう かが う﹂ とい えば
︑双 方の 意に とれ る︒ また
﹁間 抜け
﹂と いえ ば人 間的 な意 とも なる
︒空 間的 な間 の代 表は
︑い わず と知 れた 部屋 の一 区切 り︵ 床の 間︑ 寝間 が︶ ある
︒こ れは 凡帳
︑障 子︑ 襖な ど で区 切ら れた 一区 画で
︑そ れが 独立 すれ ば 部屋 に なる
︒ 間 とは 不可 思議 な単 語で ある
︒ 剣持 は︑ 冒頭 に曰 く︑
﹁日 本語 は﹃ 間﹄ を介 して イメ ジと イメ ジを 並べ
︑ひ とつ で言 語空 間を つく る﹂︵ 西欧 語は 概念 やイ メジ を前 置詞
・関 係代 名詞 によ って 組み 立て る︶
︒そ のさ い︑
﹁情 緒空 間を 介し て︑ 前と 後の こと ばが しっ く りと 調和
﹂し 合っ てい る︒ つま り﹁
﹃こ とば
﹄に あら わさ ない こと ばを 持つ 言語 であ る﹂
︑そ の﹁ こと ばに あら わし えな い空 なる 部分 を構 造の 一部 に含 んで いる 言語 だと いう 意味 で︑ 私は これ を﹃ 間﹄ の構 造と 名付 けて いる
﹂︒
﹁﹃ 間ま
﹄の 感覚 は︑ 調和 の感 覚﹂ であ る︒
﹁異 った もの が間 を介 して あわ せら れ︑ ひと つの 調和 の世 界を 形成 す る﹂
︒そ の調 和し てと けあ うと ころ に間 があ る︒ 歌合
︑連 歌︑ 俳諧
︑そ して 落語 では 話し 手と 聞き 手の いヽ きヽ があ う とい って 感情 を共 有す る﹁ 間﹂ の空 間を だい じに する
︒ま た︑ 和風 住宅 では
︑床 の間 とい う空 間が あり
︑間
︵部 屋︶ と間 はつ なが りな がら 広い 間に なり
︑し きり をあ ける と庭 に続 く︑ 融通 無礙 の空 間を もつ
︵﹁ まえ がき
﹂よ り︶ と︒
①日 本語 は︿ 息﹀ の出 し方 で﹁ 間﹂ をと ると いう 感覚 が発 達し てい る︒
﹁そ の呼い 吸き
︑そ の呼 吸﹂
︑﹁ もう ひと い き﹂
︑﹁ 呼吸 があ う﹂ など
︑いヽ きヽ の出 し入 れを 表現 する 言葉 が多 い︒ 呼気 と吸 気の あい だの
﹁間
﹂が
︑日 本人 の言 語 感覚 の基 本で ある
︒そ れが 意識 構造 とな った とき に﹁ 風かざ 間ま
﹂︑
﹁波なみ
間ま
﹂の 言葉 が生 まれ でる
︒
②﹁ 日本 音楽 独自 の﹃ 間ま
﹄の 感覚 は⁝
⁝緊 張を はり つめ た無 音の 時と して 具現 した 一形 式で ある
﹂︑
﹁奏 者み ずか らいヽ きヽ を止 める その 緊張 によ って
︑き きて のいヽ きヽ を殺 させ る﹂
︵小 倉朗
﹃日 本の 耳﹄
⦅一 九七 七年
⦆よ り引 用︶
︑つ まり
︑
﹁主 客を 一体 化す る日 本の 伝統 芸能 の気 合い が感 じら れる
﹂︑
﹁﹃ 間﹄ に充 満し てい るも のが
﹃気
﹄な ので ある
﹂︵ 三 九頁 と︶
︒
③﹁ 行間 を読 む﹂
︑﹁ 眼光 紙背 に徹 す﹂ など
︑書 いて ない こと を書 いて ある 文字 から 理解 した り連 想し たり する 読 書能 力を たた える 言葉 があ る︒ これ を例 に︑ 日本 語は 感覚 的と いわ れる こと があ るが
︑言 語で ある 以上
︑論 理の し くみ をも って いる はず で︑ 日本 語の もつ 論理
・感 覚並 存の イメ ージ 構造 が面 的思 考︵ 西欧 人の 線的 思考 に対 し︶ をも ち︑ そこ に﹁ 間﹂ がつ くり ださ れて
︑感 覚空 間を もち 連想 をつ くり 出す ので ある
︵四 五頁 以下
︒︶
④西 欧人 の観 念す る﹁ 時間
﹂と
﹁空 間﹂ の双 方を
︑日 本語 では
﹁間
﹂の 一語 で表 すこ とが でき る︵
﹁間 がい い﹂
﹁間 をと る﹂ など の例
︶︒ しか も︑ 空間 意識 につ いて
︑西 欧人 は﹁ 天﹂ が中 心で ある のに 対し
︑日 本人 は﹁ 地﹂ が土 台で あっ た︒ 例え ば︑ キリ スト 教徒 は天 を仰 いで 神に 祈る のに 対し
︑日 本人 は地 にう つむ いて 手を 合わ せる とい う︑ これ が東 西の 空間 意識 の違 いと なっ た︵ 六五 頁︶
︒ 玄関
・縁 側・ 床の 間を 大事 にす るの は︑
﹁間
﹂を 重要 視す る空 間意 識に よる もの であ り︑ 他方
︑障 子・ 襖の 間と 間の しき りは 融通 無礙 とい う︑ この 空間 意識 は先 述し た言 語構 造と 関係 が深 い︒ つま り︑ 言語 構造 は自 然と いっ し ょに 呼吸 して いる 一方 で︑
﹁間
﹂は 自然 と人 間の 連続 の姿 を象 徴す る媒 体と なっ てい る︵ 七二 頁以 下︶ から であ る
︵﹁ 部屋
﹂と
﹁庭
﹂を つな ぐ縁 側の 例を 考え よ︶
︒
⑤﹁
﹃風
﹄を 自然 の呼 吸と 見︑ その 一呼 吸の
﹃間ま
﹄を
﹃風かざ 間ま
﹄と いう
﹂︒ モン スー ン圏 の日 本で は空 間を 吹き 抜け る風 に敏 感と なり
︑﹁ 間﹂ の感 覚に 合致 する と︒ また
︑地 震や 台風 の多 い日 本で
︑人 は順 応の 姿勢 が強 くな り︑
﹁そ のと きは その とき
﹂﹁ その 場そ の場 で﹂
﹁と きと ばあ いに より
﹂の 言葉 にみ るよ うに
︑臨 機応 変︑ 融通 無礙 の生 き方 をし
︑意 識の 世界 でも
﹁間
﹂を 大切 にし た︵ 九五
︱九 六頁 と︶ いえ ば︑ 前例 が思 い当 たろ う︒
⑵ 芸術 にお ける
﹁間
﹂を 考え てみ る︒
①ま ず︑ 落語 の﹁ 間﹂ につ いて
︒﹁ 落語 が﹃ 間﹄ の話 芸と いわ れる
﹂の は︑ 読者 も承 知の こと だろ う︒ 例に あげ られ てい るの は﹁ たら ちね
﹂﹁ 湯屋 番﹂ の広 く知 られ てい る演 目で ある
︒声 色の 使い 分け
︑し ぐさ
︑観 客の 笑い に
﹁間
﹂を とる 呼吸 は︑ 落語 の醍 醐味 を味 わわ せて くれ る︒ 落語 とい う日 本独 自の 話芸 が生 まれ たの は︑ 自然 と人 間 を結 ぶ風 土が 生ん だ﹁ 間の 文化
﹂に よっ て育 てら れた から であ る︒
②短 歌こ そ︑
﹁間
﹂の 文芸 であ る︒ また
︑西 欧に おけ る印 象主 義︑ 象徴 主義 が日 本の 短詩 型文 学と 関係 が深 いこ とは 知る 人ぞ 知る であ る︒ それ は﹁
﹃間
﹄の 芸術 とし ての 伝統 をも った 短詩 型文 学と
︑ヨ ーロ ッパ 伝来 の近 代象 徴 詩の 合流 点が
︑こ の時 代で あっ たか らだ
﹂︵ 一二 三頁
︶と いう
︵こ こで は︑ ヴェ ルレ ェヌ の﹁ 間﹂ の感 覚が 要領 よく 説 明さ れて いる
︶︒ さら に︑ 小説 にお ける
﹁内 面を 描か ない 心理 描写
﹂︵ 西欧 では リア リズ ム︶
︑劇 の構 成に みら れる
﹁能
﹂の 組み 立 てと の類 似︑ そこ には
﹁間
﹂が 多く とり 入れ られ
︑無 言の
﹁間
﹂が セリ フ以 上に 読者
・観 客に 予感 を与 えて いる
︒ つま り︑ 西欧 の描 きつ くそ うと する 精神 と日 本の 描き つく すま いと する 精神 の違 いが みて とれ るの であ る︵ 一三 七 頁︶
③ ︒ 西欧 では
︑ド ーム にス テン ドグ ラス をは めこ んで 五色 の光 線を とり 入れ
︑ホ ール には シャ ンデ リア を下 げて
︑ 空間 に光 の効 果を 充満 させ るの に対 し︑ 日本 では 茶室 の例 にみ るよ うに
︑装 飾は 単純
︑一 個の 傑作 品で 空間 を生 か す叙 情空 間で ある
︒
⑶ 日本 のよ うな 多様 な価 値観 や複 数の 宗教 が併 存す る国 家で は法 治主 義が 必須 であ るが
︑日 本人 の生 活行 動で は法 律よ りも 社会 常識
︵道 理か
?︶ がゆ きわ たっ てい る︒ その わけ は︑ 楽天 主義 と性 善説 にあ る︑ と著 者は いう
︒ しか も︑ 法律 は接 続詞 や前 置詞 の使 い分 けが 明快 でな けれ ばな らな いが
︵西 欧語 然り
︑︶ 日本 語で は﹁ 間﹂ を設 定す ると 論理 的整 合に 空白 を生 ずる ので
︑そ れを 避け よう とす ると 法文 は悪 文に なら ざる をえ ない
︵一 五五 頁︶
︒
西欧 の権 利義 務の 観念 は︑ 権利 とい う批 判精 神と 義務 とい う公 共精 神は 等価 の裏 表で
︑こ の関 係は 明確 であ り︑ そこ に﹁ 間﹂ は存 在し ない
︒日 本の 場合 は義 理と 人情 とい う不 明確 な関 係で
︑情 と理 が兼 ねそ なわ れば しこ りが な くな ると いう
︒そ の情 と理 の交 錯の あい だに 絶妙 な﹁ 間﹂ の感 覚が ある はず で︑ それ を使 いこ なす こと によ り交 錯 の処 理が 可能 とな る︵ 一九 三︱ 一九 六頁
︒︶ これ ぞ︑ まさ しく 法文 化論
︵‼
︒︶ 最後 に︑
﹁間
﹂は 空白
・欠 陥の 状態 をい うの でな く︑ あく まで 創造 的観 念で ある
︒そ れは
︑生 活空 間や 芸術 の本 質に 生き てお り︑ 日本 語に おけ る強 靭で 柔軟 な個 性で ある から
︑﹁
﹃間
﹄は
︑異 質の 文化 をも 包ほう 合ごう し調 和す る︑ 日本 人の 文化 的エ ネル ギー の源 泉と なっ てき たの であ る﹂
︵二 二三 頁︶ と結 ぶ︒
本節 冒頭 に述 べた 順序 に従 って
︑﹁ 心﹂ と題 する 諸著 の紹 介に 入る
︒一 応︑ 出版 順に
︒
⑴ まず
︑世 良正 利﹃ 日本 人の 心﹄︵ 一九 六五 年︶ があ る︒ この 本の こと は前 にも 触れ たの で︑ ここ では 一言 に止 める
︒﹁ 自 覚性 と 社 会性 が 人間 性を 保証 する 本質 であ る﹂
︵一 四三 頁︶ が︑ 日本 人の 宿痾 的性 格と して 没 我性 と 熟 知性 が 指摘 でき る︵ 一四 五頁 と︶
︒ 日本 人と して の自 覚は 自発 的・ 能動 的で なく
︑受 動的 な没 我性 にあ り︑ また
︑そ の生 活原 理は 熟知 性に 力点 がお かれ てい る︑ とい うの であ る︒ あ きら め切 れな い心 理 が 神に 依拠 しよ うと する 心理 ︵ いわ ゆる 神 だの み か︶ に展 開し
︑ 依拠 する もの の指 図に 従属 しよ うと する 心理 に 隣接 して しま う︵ 第七 章︶
︒そ して
︑人 びと の結 合形 式は
﹁だ れ﹂ につ いて 非選 択的 であ り︑
﹁ど う﹂ につ いて 閉鎖 的で ある
︵例
・親 子関 係が 主で 夫婦 関係 は従 であ ると いう タテ 型家 族主 義的 結合
・第 八章
︒︶
・﹁ 古い
‼﹂ と思 う読 者は 多い だろ う︒
⑵ 次に
︑唐 木順 三﹃ 日本 人の 心の 歷史 上 下
﹄︵ 一九 七六 年︶ をと りあ げる
︒上 巻﹁ はし がき
﹂に いう
︒﹁ 心﹂ と は感 情・ 気持
・情 緒に 深く かか わる 言葉 で︑ 実践 や生 活で とら えら れた 精神 に近 い︵ 日本 語は やは り曖 昧か
?︶ と︒
日本 人は 季節 感に 鋭敏 な感 受性 をも って いる が︑ それ は﹁ 日本 の風 土が
︑四 季折 々の 變化 を︑ 花鳥 風月
︑山 川草 木に おい て鮮 かに 示し てゐ ると いふ 自然 條 件﹂ と﹁ 農 の民 族で あつ たと いふ 社會 條 件﹂ およ び﹁ 自然 の氣 象 から 恩惠 と同 時に 損 をつ ねに うけ て來 たと いふ 地理 歷 史 條件
﹂の もと で︑ 古代 の八 代歌 集か ら影 響を うけ た 雅みや
とび
いう 文化 的条 件を 育て
︑季 節へ の鋭 敏な 感受 性を つち かっ てき たか らで ある
︑と
︒そ こで
︑﹁ 時代 によ つて 異 なる 季節 感覺
⁝⁝ 嗜好 の背 後に ある 時代 の性 格を 描き だし
⁝⁝ 日本 人の 心の 歷史 を誌 した い﹂ とい う︒
①そ して
︑冒 頭﹁ 序論
﹂は
﹁日 本人 の感 受性 の特 色︱
︱感ヽ 性ヽ の論 理﹂︵ 傍点
・筆 者︶ と題 す︒ 本稿 では
︑ま ず序 論 の要 点を 挿話 風に 記す こと にす る︒ 広く 知ら れて いる
︑利 休の 一 輪の 朝顔 は
︑﹁ 一が 多を
︑部 分が
!體 を象 徴 して 剩す とこ ろが ない とい ふ︑ 東洋 風の 象徴 主義 がこ こに ある
﹂︒ 名 月や 疊の うへ に松 の影 ﹁ この 其角 の句 を⁝
⁝ブ ルノ
・タ ウト
⁝⁝ は日 本の 日本 らし さ︑ 日本 人の 風流 心を 十
!に 示す もの とし て特 に推 賞し てゐ る﹂
︵﹃ 日本 文化 私觀
﹄︶
︒ 九層 の天 守閣 に対 する 二畳 の茶 室︵ 筆者
・秀 吉と 利休
︑︶ さら に草 庵を 否定 すれ ば﹁ 日々 旅に して 旅を 栖すみか とす
﹂
︵芭 蕉︶ とな り︑ 究極 の結 果は 達磨 の面 壁九 年と なる
︒草 庵も 十七 文字 も究 極を 志向 して おり
︑で なけ れば
︑た だ の 數奇 わび ずき さび 氣取 り さ ばし たる に すぎ ない
︒
﹁一
$に 固定 して ゐる 草庵
︑家 屋も
︑實 は無 限の 時間 の流 れの 上に
%い てゐ る︒ 言葉 の奥 には
︑緊 張し た沈 默が ある
︒⁝
⁝個 別存 在の 背景 には 普&
があ り︑ 色の 背後 に空 があ ると いふ やう に理 屈づ ける 以' のと ころ で︑ 日本 人 はそ れを 感覺 直 觀 に感 受し てゐ る﹂︵ 二二 頁︑ 芭蕉 のこ とか
?︶
︒
﹁自 己と は何 かと 問ふ その 自己 を徹 底 に( 究し て︑ その 果に 自己 その もの が) 體と なつ て蒸 發し て︑ 自身 が本 來* の圓 月相 とな ると き︑ 山川 草木
︑有 +無 +と の眞 の, 交感 應が 成就 せら れる だら う﹂︵ 二四 頁︑ 道元 のこ と︶
︒
﹁畫 にお ける 餘白 は詩 歌に おい ては 餘よ +せい
︑餘 韻で あら う︒ 言表 の文 字︑ 言葉 の周 邊に ただ よふ +趣
︑ひ びき であ
る︒ 餘+ をも つこ とに よつ て文 字は 肥え る︒ 庭園 の枯 山水 や石 庭は
︑水 墨畫 のい はゆ る﹃ 殘山 剩水
﹄︑ 花鳥 畫の
﹃折 于﹄ とい ふ構 圖方 式の 自然 を相 手に して の0 用で あら う︒ 自然 の一 片を とつ て自 然! 體を 暗示 し︑ 一于 の花 に おい て自 然の 生命 を感 じさ せる 方法
︑構 圖と いつ てよ い﹂
︵二 七頁
︶︒ 否定 のゆ きつ くと ころ に全 体を とり こむ とい う︑ 日本 文化 の真 髄を 表現 した 美文 であ る︒
②以 上の 引用 につ いて
︑西 洋を 理 性の 論理 と いう なら ば︑ これ らは
︑い わば 感 性の 論理 ︑ つま りは 個別 のう ちに 普遍 を感 受す る智 慧の 論理 とい うこ とに なる
︵三 二頁 と︶
︒
﹁西 歐の 哲學 が︑ 我と は何 かを (1 しま た( 1し て︑
﹃コ ギト
﹄に 2し たり
︑根 源存 在は 何か
︑第 一存 在は 何か を 究め て︑ 或ひ はイ デア
︑或 ひは 物質
︑或 ひは 一︑ 或ひ は多
︑ま た時 間や 空間
︑力 や生 起と いふ
︑無 色無 記) 明な も のに 2し たり して ゐる こと と比 較し て﹂
︑日 本の 心情 の特 性は
︑﹁ 根源 に參 じて 我執 を離 れた )脱 境は
︑柳 綠花 紅︑ 山高 水長 の︑ あた りま への 眼' 觸目 の境 だと いふ こと であ る﹂
︵三 四頁
︶︒ また
︑﹁
﹃理
﹄よ りも
﹃事
﹄を
︑目 にふ れ︑ 耳に ひび く眼 '卽 今の 事物 を大 切に し︑ それ をつ くづ くと 見と め︑ わ きま へる こと が︑ いま にい たる まで 日本 人の 特色 をな して ゐる
︒自 然の 中に 働い てゐ る普
&
な 法則 を5 き出 さう とす る合 理主 義と は趣 を異 にし て︑ 個別 の個 物に 限り ない 注意 と關 心を むけ
︑そ して その 事や 物を 卽ち 法と して
︑ 法の 具象 とし て感 じ取 つて ゐる
﹂︵ 三九
︱四
〇頁
︶︒ その 感じ 方は 論理 的︑ 哲学 的で はな く︑ 審美 的︑ 藝術 的で ある
︑ と︒
③次 いで
︑﹁ 一一
︵章 否︶ 定の 美學
﹂か ら︒ 中世 はそ れ以 前の 時代 とは 質的 相違 があ り︑
﹁* や無 や死 が︑ 卽ち 存在
︵有
︶や 生の 否定 が︑ 積極 な 意味 をも つて 出て 來た こと
︑否 定は 單に 肯定 の反 對︑ 對立 であ るば かり でな く︑ 反つ て肯 定の 根據 であ るこ とが 經驗 を6 し て自 覺さ れて 來た ので ある
﹂︒
﹁死 は旣 定の 事實 であ る︒ 無常 は日 常で ある
︒生 は絕 對の 意味 をも ちえ ない
︒⁝
⁝だ から とい つて
︑生 を憎 むの は愚 かな こと であ る︒ 死に とり かこ まれ なが ら生 きて ゐる のだ から
︑生 はむ しろ 僥倖 だが
︑そ の﹃ 存命
﹄の 束の 間 をい とほ しみ
︑生 をた のし むこ そ︑ よき 人︑ 賢き 人だ
﹂︵ 兼好
︑二 一六 頁︶
︒
④﹁ 一三
︵章 季︶ :の 實相
﹂﹁ 一四
︵章 芭︶ 蕉の 發明
﹂か ら︒
﹁; 代の 西洋 が自 然の 最奧 にメ カニ ズム を發 見し たこ とと の對 比で いヘ ば︑ 自然
︑人 間を 含め ての 究極 處は リズ ミカ ルで あつ た︒ 言葉 の高 い意 味で の風 流︑ 風興
︑風 雅で あつ た︒ 禪家 の風 流の 源底 は大 地有 +そ のも のの 風流 性 であ る﹂
︵二 五九 頁︶
︒風 雅と は﹁
<化 の四 季折 々を 友と する こと が卽 ち風 雅の 姿で ある
﹂︵ 二六 三頁
︶と
︒そ の先 駆 者は
︑西 行︑ 宗祇
︑雪 舟︑ 利休 であ り︑ さら に芭 蕉に おい て﹁ 物我 不二
﹂の 境地 に達 する
︵二 七六 頁︶
︒
・文 化の 個性 に関 する 日本 と西 洋の 違い
︑こ こで 論ぜ られ た文 芸的 考察 によ れば
︑感 性の 世界 に対 する 理性 の世 界︑ 非合 理︵ 物我 不二
︶と 合理 など
︑嘗 てに おけ る相 違は 際立 って おり
︑そ れが 現代 にも 尾を 引い てい るこ とは 想像 に難 くな い︒ これ では 西 欧法 の妥 当性 な どは 夢の また 夢︒ 法文 化か らみ た固 有文 化の 対応 や如 何に
︵?
︶︒ 融 通す る自 我 でな けれ ば︑ 後に おけ る西 欧法 の受 容な ど不 可能 に近 いは ず︒ その 後に おけ る感 性の 展開 に注 目し たい
︒
⑶ 唐木 順三 下 に移 る︒
①西 鶴の 遊 廓讃 美 によ って
︑古 来の 風雅 はパ ロデ ィ化 し︑ 新し い偶 像を つく りあ げた
︒即 ち︑ 色欲 を藝 術化 した
﹁い き﹂
﹁は り﹂
﹁6
﹂と いう は 色, の 理念 であ る︵ 一三 頁︶ と︒
②原 勝郎 によ れば
︑足 利時 代こ そ日 本の ルネ ッサ ンス だと いう
︒第 一に
︑﹁ 古典 への 傾倒 また 古典 文學 の地 方へ の傳 播で ある
﹂︒ 第二 に︑
﹁堺 商人 が代 表す る町 人の
=出 であ る︒ 堺は 政治 勢力 の介 入を 許さ ぬ自 由都 市︑ 自治 都市 とし て︑ 足利 時代 に繁 榮し た﹂
︒﹁ 堺の 豪商 たち
︑い はゆ る﹃ 納な 屋や 衆しゅう
﹄は
⁝⁝ 海外 貿易 によ つて 得た 巨利 によ つて 自衛 の實 力を 整へ た﹂ から であ る︒
﹁茶 ,の 武野 紹鷗
︑津 田宗 及︑ 今井 宗久
︑千 利休 等は いず れも ここ の豪 商の 出
であ ると いふ 一事 をも つて して も︑ 此地 の文 化意 識が どれ ほど
=ん でゐ たか がわ かる
﹂︒ 第三 に﹁ 個人 主義 的な 思 想と 行動 の出 現で ある
﹂︒ 即ち
︑﹁ 足利 期に おい て充 分に 個性 の妙 處を 發揮 して ゐる
@像 畫が 初め て描 かれ た﹂ こと が︑ その 証拠 だと
︒そ して 第四 に﹁ いは ゆる 下剋 上に よつ て︑ 下層 階級 が浮 び上 つて 來た こと であ る﹂ とい う︒ この 原説 に対 し︑ 唐木 は﹁
;世 へ︑ 世俗 化へ と︑ 強く 推し
=む 要素 と︑ 中世 を文 化 に仕 上げ てゆ くや うな 要素 が折 り重 なつ て出 てき てゐ るよ うに 見え る︒ だか らこ そ︑ 安土 桃山 時代 と美 術史 の上 でい はれ る豪 華絢 爛た る方 向 へ行 く解 放 要素 とと もに
︑そ れに つづ くA 國と いふ 閉A の時 代︑ 窮屈 極ま る身 分制 度と 封建 制へ 歸る 要素 が潜 在 して ゐた
﹂と 評す る︵ 三一
︱三 三頁
︶︒ 情痴 の世 界を 味わ う一 休の 自由
︑そ こに は﹁ 中世 超 越 な一 面と
︑近 世 現世 な 一面 が混 在し てゐ る﹂
︵三 八頁
︒︶ そし て﹁ わび 茶﹂ の出 現︵ 珠光 と︶ 大成
︵利 休︶ であ る︒
﹁過 剩と 貧寒
︑豐 富と 微少
︑多 Bと 淡B
︑そ の小 にし て寒 を撰 んで
︑大 にし て剩 を捨 てる とこ ろに
﹃わ び﹄
﹃侘
﹄は 成立 する
﹂と
︒対 立概 念の 統一 であ る︵ 法観 念 と矛 盾撞 着‼
︒︶
﹁憂うき 世よ
﹂が
﹁浮うき
世よ
﹂と なり
︑憂 きま まの 現世 が続 くと 考え られ たの は﹃ 閑吟 集﹄
︵一 五一 八年
︶あ たり であ る︒ 西 山宗 因は 無 用坊 に なっ て始 めて 自由 を味 わう とい った のが 七〇 歳︵ 一六 七五 年︶ ごろ
︵﹃ 釋教 百韵
﹄︶
︑わ びる 自 由さ えな かっ た︒ 西鶴 が唯 一の 自由 を許 され た遊 里に 向か い︑ 芭蕉 はこ もを かぶ る自 由を えよ うと した
︵四 六頁
︶︒ 談林 派か らで た二 人が
︑好 色物 から 町人 物へ
︑他 方で 西行
︑宗 祇︑ 利休 へと 回帰 した こと に︑ この 時代 の時 代色 が うか がえ る︒ が︑ 西鶴 の画 くあ くな き人 間・ 人情 は︑ 人間 社会 への 旺盛 な好 奇心 であ る︵ 五〇 頁︶
︒
③徳 川政 権が 儒学
︵と くに 朱子 学︶ を文 教政 策の 旨と した こと はよ く知 られ てい よう
︒中 世の 禅か らの 転向 は︑ 禅僧 藤原 惺窩 のそ れに よっ て容 易に 行わ れた と︑ 唐木 はい う︵ 五四 頁︶
︒惺 窩が 住し た相 国寺 は︑ 公案 の思 量工 夫 より 朱子 学を 学習 する とい う風 潮す らあ った
︵宋 代の 儒学 その もの が釋
・老
・孔 の合 成で あっ た︶ と︒ 一三 世紀 から
一四 世紀 前半 にか けて
︑大 應ヽ
・大 燈ヽ
︵大 德寺 開祖
・︶ 関ヽ 山︵ 妙心 寺開 山︶ によ り禅 宗は ピー クを 迎え るが
︑そ の後
︑ 五山 の僧 は文 学僧 とな って 詩文 に興 じ︑ 禅の 偈頌
︑孔 老の 書︑ 唐宋 の詩 文が 学識 の源 とな った から であ る︒ しか し︑ 儒学 は合 理主 義に 立脚 する 哲学 体系 であ り︑ 我が 国に 合理 的哲 学体 系が 論ぜ られ たと いう 画期 的時 期で もあ っ た︵ 六九 頁︶ とい える
︒
﹁日 本民 族は 元來
︑體 系よ りも 個々 物に 關心 し︑ 普&
より も特 殊に 意を 注ぎ
︑個 物︑ 特殊 にお いて 反つ て全 體ま た普
&
を感 受す ると いふ 傾向 があ る︒ 卽ち 感受 性に おい て纖 細鋭 敏で ある が︑ 壯大 な思 想體 系を 構築 する とい ふ能 力ま た意 欲に 乏し い︒
⁝⁝ 風雅 また みや び︑ 風流 また 洒々 落々 は體 系の 窮屈 をj ふ︒ はか なく あは れな るも のを
︑ まさ には かな くあ はれ なる もの とし てい とほ しむ 心︑ 無常 なる もの を無 常な るが 故に 愛惜 する 心は
︑體 系の 形而 上 學を jふ
︒山 河草 木ま た山 水を 以つ て自 然を 代表 させ
︑月 雪花 を以 つて 季: を代 表さ せる
$で は︑ 自然 とい ふ文 字︑ 言葉 さへ 無く
︑公 平無 記に 持續 する 抽象 の時 間も また 無い
﹂︵ 八三 頁︶ と︒ 他方
︑﹁ 徳川 時代 は︑ 日本 にお いて 最も 體制 の整 つた 時代
﹂で あっ た︒
﹁家 康が 藤原 惺窩 を招 いて
﹃貞 観政 D﹄ の 講義 を聽 いた とい う一 事が 示す やう に⁝
⁝仁 義禮 智信
︑君 臣父 子夫 婦長 幼朋 友の 秩序 を説 く儒 學︑ 宋學 がE へら れ たの であ る︒ 然も その 五常 五倫 が︑ 單に 人倫 の, では なく
︑天 地乾 坤の ,に 6じ
︑太 極ま た天 理に 6じ
︑日 月星 辰 のF 行に 6じ てゐ ると すれ ば︑ 單に 政權 維持 の政 治目 的に かな ふば かり でな く︑ 天下 の公 ,に もと ずく とい ふ擬 制 を保 つこ とが でき る﹂
︵八 三︱ 八四 頁︶ と︑ 唐木 は解 する
︒ 後は
︑林 羅山 など によ る幕 府の 基本 諸法 の制 定に よっ て完 成さ れる 警察 国家 体制
︵日 本法 制史 参照 の︶ 説明 があ る︒
④第 三章 は︑ 閉塞 した 封建 体制 にお ける 特殊 地帯
︑ くる わ の 義理 と人 情 から 話が 始ま る︒ そし て︑ 荻生 徂徠 によ る朱 子学 批判
︑石 田梅 巖の
﹁心 学﹂ によ る町 人道 徳の 説諭 があ り︑ 第四 章に 入り
︑近 松の 心中 物︑ 浄瑠 璃
の歴 史⁝
⁝と 続く
︒ 江戸 文化 の特 色に つい て︑
﹁中 世の 枯淡 に對 する 江戸 期の 裝飾 過剩
︑⁝
⁝水 墨畫 と金 泥畫
︑能 と淨 瑠璃 また 歌舞 伎︑ 桂と 日光
︑す べて 極端 な對 立で ある
︒そ れは 憂世 に對 する 浮世
︑現 世否 定に 對す る現 實讃 美︑ 無︑ 無常 を基 底 とす る人 生観 世界 観に 對す る有 また は享 樂を 肯定 する 人生 観世 界観 とい う對 立に 照應 して ゐる
﹂︒
﹁自 然の 風物
︑四 季折 々の 景物 は︑ 人間 生活 を裝 飾す るア クセ サリ イと なつ てき た︒ 山野 に出 て行 つて おの ずか らの 自然 を見
︑た の しむ とい ふこ とに 代つ て︑ 花鳥 風月 を障 子や 屏風 に描 き︑ それ をめ ぐら した 部屋 の中 で生 活を 樂し むと いふ こと に なつ た﹂
︒そ の要 因は
︑幕 藩体 制の もと
︑士 農工 商の 身分 制度 の確 立︑ 世襲 制の 強制
︑五 人組 制度 の出 来な どに よ って
︑移 動の 自由 が制 限さ れた こと によ る︵ 一二 二︱ 一二 三頁
︶と
︒ こう して 文人 墨客 の風 雅は
︑幕 末の 廣瀨 淡窓
︑江 村北 海︵ 一八 世紀 中葉 の︶ 指摘 によ れば
︑書 斎・ 詩屋 のな かで の こし らへ た風 流
︵﹁ 温おん 藉しや
﹂︶ とな り︑ 享保 以後 は︑ 身分 制度 が弛 緩し
︑法 度・ 禁令 が拘 束力 を失 うと
︑蘭 学の 影響 は︑ 実証 的精 神を 培い
︑伊 藤仁 斎の 古義 学︑ 荻生 徂徠 の古 文辞 学が
︑徳 川イ デオ ロギ ーか らの 自由 とい う形 で 示さ れた
︒司 馬江 漢﹃ 西洋 畫談
﹄︵ 一七 九九 年︶ の﹁ 畫は 寫眞 に非 ざれ ば妙 と爲 るに たら ず⁝
⁝﹂ は︑ その 適例 であ ろう
︒こ うし た実 証主 義・ 合理 主義 への 関心 は︑ 実利 実用 の学 とい う傾 向を 促し
︑ 文明 開化 へ の途 に拍 車を 掛 ける こと にな った
︵西 欧法 継受 の下 地と みて よい か?
︶︒ また
︑前 野良 澤や 杉田 玄白 の解 剖実 験は
︑観 念か ら事 実へ の転 換の 契機 とな り︑ その 実証 主義 は次 のよ うな 考え 方を 生ん だ︒
﹁主 観に 對す る客 観は すべ て物 對 象で ある
︒天 地山 川も 草木 鳥獸 もす べて 一定 の法 則︑ 科學 法則 に よつ て存 在し 運動 して ゐる 物體 また 物件 であ る⁝
⁝こ れは 主と 客と の︑ 主體 と對 象と の二 元の 世界 であ る︒
⁝⁝ 人 間と 自然 との 間は 斷絕 して
︑そ の間 には 直接 な交 渉は ない
︒物 心一 如︑ 物我 一體 など とは 凡そ 反對 の世 界で ある
︒ 自然 の聲 に耳 を傾 けた り︑ 庭前 の柏 樹が 卽ち 佛法 その もの だつ たり する こと とは 無緣 な世 界で ある
︒そ して 實證 主
義︑ 合理 主義
︑科 學主 義は
︑こ の主 と客 とを 二元 とす る世 界に おい て成 立し
︑發 展し て來 たの であ る﹂︵ 二一 四頁
︶ と︒
・主 客の 二元 対立
︑合 理主 義の 成立 が︑ 西欧 法継 受の 素地 とな った こと は読 者も 了解 され るこ とと 思う
︒し かし
︑平 安朝 以後 の︑ 雅︑ 主客 合一
︑わ び︑ さび
︑い きな どは
︑依 然と して
︑日 本人 の 心 のな かに 生き 続け てい る︒ 融通 する 自 我に よる 現実 主義 は︑ この 錯綜 する 多元 的文 化を どの よう に融 合さ せよ うと する のか
︒誰 でも が知 って いる 例の
︑衣
・ 食・ 住に 関し ては
︑併 存も しく は混 合で ある
︒
⑤第 八章 は﹁ 東洋 的な もの と西 洋的 なも のと の葛 藤と 融和
﹂と 題す る︒ やは り出 てく るの は夏 目漱 石で ある
︒曰 く﹁ 漢學 に所 謂文 學と
︑英 語に 所謂 文學 とは 到底 同定 義下 に一 括し 得べ から ざる 異種 類の もの たら ざる 可か らず
﹂
︵二 四一 頁︶ と︒ 唐木 は﹁ 東洋 風の 倫理
⁝⁝ 卽ち 人と 人と の間 柄の 倫理 と︑ 西歐 風の 自己 本位 の倫 理と を︑ どの や うに して 一身 にお いて 統一 調和 しう るか とい う大 問題 が漱 石に 懸つ てゐ た︒ 個別 と普
&
を︑ 自己 本位 と, を︑ どの やう にし て結 びつ ける か︑
﹃私
﹄と
﹃天
﹄と をど のや うに して 調和 しう るか とい ふ大 問題 であ る﹂ と紹 介す る︒ ま た﹁ 東洋 學者 に從 へば 保守 にな りK ぎる
︒西 洋學 者に 從へ ば急 激に なる
︒現 にあ る許 多の 學問 上の 葛藤 や衝 突は 此 二要 素が 爭つ てゐ るの であ る︒ そこ で時 代は 別に 二本 足の 學者 を要 求す る︒ 眞に 穏健 な議 論は
︑さ うい ふ人 を待 つ て始 めて 立て られ る︒ さう いふ 人は 現代 に必 要な 調和 的要 素で ある
︒然 るに さう いふ 人は 最も 得難 い﹂ とい う森 鷗 外の 二 本足 の學 者 の説
︵明 治四 四年
︑田 口鼎 軒七 回忌 での 講演
︶を 引用 し︑ 鷗外 こそ 稀な 二本 足の 学者 であ ると 評す る︒ さら に﹁ 上州 武士 の魂 と科 學 合理 主義 と福 音信 仰と を矛 盾な く一 身に おい て體 現す ると いふ
︑理 論の 上 では 不可 能と 思は れる こと に︑ 彼は 一身 の情 熱を 傾け た﹂ 内村 鑑三
︑﹁ 禪の 大, と西 洋哲 學の 眞智 を自 分自 身の 内 部に おい て︑ 本體 と四 肢と の關 係の やう に關 係さ せる こと
︑そ れが さま ざま に形 を變 へな がら
⁝⁝ 生涯 の課 題と な つた
﹂西 田幾 多郎 の﹃ 善の 研究
﹄︵ 明治 四四 年︶ と︑ それ に続 く﹃ 自覺 に於 ける 直觀 と反 省﹄
︵大 正六 年︶ にお ける
己 事究 明 とい う生 涯続 く悪 戦苦 闘が 語ら れる
︵二 三八
︱二 四七 頁︶
︒ そし て大 正期 は︑ 阿部 次郎 が﹃ 三太 郎の 日記
﹄︵ 三︱ 七年 に︶ よっ て︑
﹁多 知多 解の 能力 を賴 つて
︑あ れも これ も︑ ニイ チェ もト ルス トイ も︑ 釋迦 も基 督も 孔子 も理 解し
︑そ れに よつ て自 己を 豊富 にし よう と計 る﹂ こと にな っ た︑ と︒ 和辻 哲郎 によ れば
︑こ れぞ 文 化の 重層 性 であ る︒
﹁日 本人 ほど 忠實 に古 いも のを 保存 する 民族 も他 には ない であ らう
﹂︵
﹃續 日本 精神 史研 究﹄ 昭和 九年
︑唐 木二 五二 頁︶ と︒ 唐木 曰く
﹁教 養あ る文 化人 には
﹃狂
﹄も
﹃士 魂﹄ も また
﹃,
﹄も 緣の 遠い もの とな つた
︒釋 尊も 孔子 もソ クラ テス もキ リス トも
︑等 しく
﹃人 類の 教師
﹄と して 學ぶ べ きで ある とい ふ立 場に は信 仰の 葛藤 はあ りえ ない
︒こ れら 四人 は各 々一 つの 文化 現象 であ る︒ それ を文 献を 6じ て 正し く解 釋す ると いふ こと が任 務で ある
﹂︵ 二五 五頁
︑正 しく その 通り
︑筆 者も その 一人 か? と︶
︒
⑥第 九章
﹃寫 生﹄ は︑
﹁日 本人 は明 治の 二十 年代 の後 半か ら三 十年 代に かけ て︑ やう やく 再び 生き た現 實の 自然 を恢 復し た﹂ との 文か ら始 まる
︒徳 川時 代は
﹁直 接に 自然 に︑ また 自然 の景 物に 接し
︑そ れを 文字 にま た畫 面に 表 現す ると いふ こと はほ とん ど無 かつ た﹂
︵二 六二 頁︶ から
︒ 生か さず
︑殺 さず の 庶民 生活 では 知足 安分
︑ま た文 人墨 客と て置 酒風 流︑ 遊里 風流
︑狂 歌風 流に 身を 投じ た︒ 良寛
︑大 雅︑ 浦上 玉堂 など 個性 の強 い人 は別 とし て⁝
⁝
︵二 六三 頁︶
︒ そし て明 治︒ 二〇 年ま では 脱 亜入 歐 の意 気盛 ん︑ 政治
・経 済の 実学 の時 代で ある
︒が
︑反 動も 確か であ り︑ 雑誌
﹃日 本人
﹄の 発行
︵明 治二 一年 を︶ みる
︒こ うし たな か︑ 森鷗 外に よる 近代 批評 の発 足︵ 明治 二二 年﹃ 栅しがらみ 草 紙﹄
︶︑ 北村 透谷 の﹁ 想世 界﹂
︵﹁ 實世 界﹂ の対
︑﹃ 三日 幻境
﹄︶
︑田 山花 袋の 自 然主 義文 学 への 移行
︵﹃ 近代 の小 説﹄
︶ など が現 れる
︒ その 頂点 に︑ 三〇 年代 の徳 冨蘆 花﹃ 自然 と人 生﹄
︑国 木田 独歩
﹃武 蔵野
﹄が あり
︑あ りの まま の自 然に 対す る高