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法 文 化 論 序 説 ︵ 五 ︶

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(1)

︿論

説﹀

法 文 化 論 序 説

︵ 五

池 田 政 章

77

78

81

84

(2)

第六 章 自画 像の 形相 五

感性 と美 意識

前節 は﹁ 心理

﹂と 題し

︑本 節で は﹁ 感性

﹂と 題す る︒ 定義 的に いえ ば︑ 前者 は外 界の 刺激 に対 する 精神 の持 続状 態を 意味 する のに 対し

︑後 者は 刺激 に対 し直 観的 に反 応す る感 覚能 力と 区別 でき る︒ その ため

︑著 作の 表題 に 従っ て︑ 文献 の引 用を 一応 区分 けし て説 明す るこ とに した が︑ 内容 が双 方に また がる 場合 が多 いこ とに つい て読 者 の了 解を まず えた いと 思う

︒し かも

︑和 語に は﹁ 心﹂ とい う︑ 知識

・感 情・ 意志 など の精 神的 働き のも とに なる 言 葉が あり

︑ 心の 文化 を 論じ た著 作が ある が︑

﹁心 理﹂ の節 では ほと んど 触れ えな かっ た

︒ そこ で︑ 本節 では

︑宿 題の

﹁間 の文 化﹂ のほ か︑ 心 の文 化 およ び周 知の わ び さ び 幽 玄 雅 な ど︑ わが 国特 有 の個 性研 究も

︑感 性に 関す る問 題と して 解説 した いと 思っ てい る︒

⑴ まず

︑心 理で もあ り感 性で もあ る 間 につ いて

︑剣 持武 彦﹃

﹁間

﹂の 日本 文化

から 始め る︒ 間 の 語義

に は︑

①空 間的

︑② 時間 的の 二義 あり とい う︒

﹁ま があ る﹂

﹁ま がい い﹂

﹁ま が欠 ける

(3)

﹁ま が抜 ける

﹂﹁ まが 延び る﹂

﹁ま が持 てな い﹂

﹁ま が悪 い﹂

﹁ま に合 う﹂

﹁ま もな い﹂

﹁ま を合 わす

﹂﹁ まを 置く

﹂﹁ ま を欠 く﹂

﹁ま を配 る﹂

﹁ま を拾 う﹂

﹁ま を持 たす

﹂﹁ まを 渡す

﹂な どが 例示 され てい るが

︑お おか たは 時間 的か

︒﹁ 間 を詰 める

﹂﹁ 間を はか る﹂

﹁間 をう かが う﹂ とい えば

︑双 方の 意に とれ る︒ また

﹁間 抜け

﹂と いえ ば人 間的 な意 とも なる

︒空 間的 な間 の代 表は

︑い わず と知 れた 部屋 の一 区切 り ある

︒こ れは 凡帳

︑障 子︑ 襖な ど で区 切ら れた 一区 画で

︑そ れが 独立 すれ ば 部屋 に なる

︒ 間 とは 不可 思議 な単 語で ある

︒ 剣持 は︑ 冒頭 に曰 く︑

﹁日 本語 は﹃ 間﹄ を介 して イメ ジと イメ ジを 並べ

︑ひ とつ で言 語空 間を つく る﹂ 西

︒そ のさ い︑

﹁情 緒空 間を 介し て︑ 前と 後の こと ばが しっ く りと 調和

﹂し 合っ てい る︒ つま り﹁

﹃こ とば

﹄に あら わさ ない こと ばを 持つ 言語 であ る﹂

︑そ の﹁ こと ばに あら わし えな い空 なる 部分 を構 造の 一部 に含 んで いる 言語 だと いう 意味 で︑ 私は これ を﹃ 間﹄ の構 造と 名付 けて いる

﹂︒

﹁﹃ 間

﹄の 感覚 は︑ 調和 の感 覚﹂ であ る︒

﹁異 った もの が間 を介 して あわ せら れ︑ ひと つの 調和 の世 界を 形成 す る﹂

︒そ の調 和し てと けあ うと ころ に間 があ る︒ 歌合

︑連 歌︑ 俳諧

︑そ して 落語 では 話し 手と 聞き 手の い があ う とい って 感情 を共 有す る﹁ 間﹂ の空 間を だい じに する

︒ま た︑ 和風 住宅 では

︑床 の間 とい う空 間が あり

︑間

と間 はつ なが りな がら 広い 間に なり

︑し きり をあ ける と庭 に続 く︑ 融通 無礙 の空 間を もつ

と︒

①日 本語 は︿ 息﹀ の出 し方 で﹁ 間﹂ をと ると いう 感覚 が発 達し てい る︒

﹁そ の呼

︑そ の呼 吸﹂

︑﹁ もう ひと い き﹂

︑﹁ 呼吸 があ う﹂ など

︑い の出 し入 れを 表現 する 言葉 が多 い︒ 呼気 と吸 気の あい だの

﹁間

﹂が

︑日 本人 の言 語 感覚 の基 本で ある

︒そ れが 意識 構造 とな った とき に﹁ 風

﹂︑

﹁波

﹂の 言葉 が生 まれ でる

②﹁ 日本 音楽 独自 の﹃ 間

﹄の 感覚 は⁝

⁝緊 張を はり つめ た無 音の 時と して 具現 した 一形 式で ある

﹂︑

﹁奏 者み ずか らい を止 める その 緊張 によ って

︑き きて のい を殺 させ る﹂

︑つ まり

(4)

﹁主 客を 一体 化す る日 本の 伝統 芸能 の気 合い が感 じら れる

﹂︑

﹁﹃ 間﹄ に充 満し てい るも のが

﹃気

﹄な ので ある

③﹁ 行間 を読 む﹂

︑﹁ 眼光 紙背 に徹 す﹂ など

︑書 いて ない こと を書 いて ある 文字 から 理解 した り連 想し たり する 読 書能 力を たた える 言葉 があ る︒ これ を例 に︑ 日本 語は 感覚 的と いわ れる こと があ るが

︑言 語で ある 以上

︑論 理の し くみ をも って いる はず で︑ 日本 語の もつ 論理

・感 覚並 存の イメ ージ 構造 が面 的思 考 西 をも ち︑ そこ に﹁ 間﹂ がつ くり ださ れて

︑感 覚空 間を もち 連想 をつ くり 出す ので ある

④西 欧人 の観 念す る﹁ 時間

﹂と

﹁空 間﹂ の双 方を

︑日 本語 では

﹁間

﹂の 一語 で表 すこ とが でき る

︒ しか も︑ 空間 意識 につ いて

︑西 欧人 は﹁ 天﹂ が中 心で ある のに 対し

︑日 本人 は﹁ 地﹂ が土 台で あっ た︒ 例え ば︑ キリ スト 教徒 は天 を仰 いで 神に 祈る のに 対し

︑日 本人 は地 にう つむ いて 手を 合わ せる とい う︑ これ が東 西の 空間 意識 の違 いと なっ た

︒ 玄関

・縁 側・ 床の 間を 大事 にす るの は︑

﹁間

﹂を 重要 視す る空 間意 識に よる もの であ り︑ 他方

︑障 子・ 襖の 間と 間の しき りは 融通 無礙 とい う︑ この 空間 意識 は先 述し た言 語構 造と 関係 が深 い︒ つま り︑ 言語 構造 は自 然と いっ し ょに 呼吸 して いる 一方 で︑

﹁間

﹂は 自然 と人 間の 連続 の姿 を象 徴す る媒 体と なっ てい る から であ る

⑤﹁

﹃風

﹄を 自然 の呼 吸と 見︑ その 一呼 吸の

﹃間

﹄を

﹃風

﹄と いう

﹂︒ モン スー ン圏 の日 本で は空 間を 吹き 抜け る風 に敏 感と なり

︑﹁ 間﹂ の感 覚に 合致 する と︒ また

︑地 震や 台風 の多 い日 本で

︑人 は順 応の 姿勢 が強 くな り︑

﹁そ のと きは その とき

﹂﹁ その 場そ の場 で﹂

﹁と きと ばあ いに より

﹂の 言葉 にみ るよ うに

︑臨 機応 変︑ 融通 無礙 の生 き方 をし

︑意 識の 世界 でも

﹁間

﹂を 大切 にし た

いえ ば︑ 前例 が思 い当 たろ う︒

⑵ 芸術 にお ける

﹁間

﹂を 考え てみ る︒

(5)

①ま ず︑ 落語 の﹁ 間﹂ につ いて

︒﹁ 落語 が﹃ 間﹄ の話 芸と いわ れる

﹂の は︑ 読者 も承 知の こと だろ う︒ 例に あげ られ てい るの は﹁ たら ちね

﹂﹁ 湯屋 番﹂ の広 く知 られ てい る演 目で ある

︒声 色の 使い 分け

︑し ぐさ

︑観 客の 笑い に

﹁間

﹂を とる 呼吸 は︑ 落語 の醍 醐味 を味 わわ せて くれ る︒ 落語 とい う日 本独 自の 話芸 が生 まれ たの は︑ 自然 と人 間 を結 ぶ風 土が 生ん だ﹁ 間の 文化

﹂に よっ て育 てら れた から であ る︒

②短 歌こ そ︑

﹁間

﹂の 文芸 であ る︒ また

︑西 欧に おけ る印 象主 義︑ 象徴 主義 が日 本の 短詩 型文 学と 関係 が深 いこ とは 知る 人ぞ 知る であ る︒ それ は﹁

﹃間

﹄の 芸術 とし ての 伝統 をも った 短詩 型文 学と

︑ヨ ーロ ッパ 伝来 の近 代象 徴 詩の 合流 点が

︑こ の時 代で あっ たか らだ

と いう

︒ さら に︑ 小説 にお ける

﹁内 面を 描か ない 心理 描写

西

︑劇 の構 成に みら れる

﹁能

﹂の 組み 立 てと の類 似︑ そこ には

﹁間

﹂が 多く とり 入れ られ

︑無 言の

﹁間

﹂が セリ フ以 上に 読者

・観 客に 予感 を与 えて いる

︒ つま り︑ 西欧 の描 きつ くそ うと する 精神 と日 本の 描き つく すま いと する 精神 の違 いが みて とれ るの であ る

③ ︒ 西欧 では

︑ド ーム にス テン ドグ ラス をは めこ んで 五色 の光 線を とり 入れ

︑ホ ール には シャ ンデ リア を下 げて

︑ 空間 に光 の効 果を 充満 させ るの に対 し︑ 日本 では 茶室 の例 にみ るよ うに

︑装 飾は 単純

︑一 個の 傑作 品で 空間 を生 か す叙 情空 間で ある

⑶ 日本 のよ うな 多様 な価 値観 や複 数の 宗教 が併 存す る国 家で は法 治主 義が 必須 であ るが

︑日 本人 の生 活行 動で は法 律よ りも 社会 常識

がゆ きわ たっ てい る︒ その わけ は︑ 楽天 主義 と性 善説 にあ る︑ と著 者は いう

︒ しか も︑ 法律 は接 続詞 や前 置詞 の使 い分 けが 明快 でな けれ ばな らな いが

西

日本 語で は﹁ 間﹂ を設 定す ると 論理 的整 合に 空白 を生 ずる ので

︑そ れを 避け よう とす ると 法文 は悪 文に なら ざる をえ ない

(6)

西欧 の権 利義 務の 観念 は︑ 権利 とい う批 判精 神と 義務 とい う公 共精 神は 等価 の裏 表で

︑こ の関 係は 明確 であ り︑ そこ に﹁ 間﹂ は存 在し ない

︒日 本の 場合 は義 理と 人情 とい う不 明確 な関 係で

︑情 と理 が兼 ねそ なわ れば しこ りが な くな ると いう

︒そ の情 と理 の交 錯の あい だに 絶妙 な﹁ 間﹂ の感 覚が ある はず で︑ それ を使 いこ なす こと によ り交 錯 の処 理が 可能 とな る

これ ぞ︑ まさ しく 法文 化論

最後 に︑

﹁間

﹂は 空白

・欠 陥の 状態 をい うの でな く︑ あく まで 創造 的観 念で ある

︒そ れは

︑生 活空 間や 芸術 の本 質に 生き てお り︑ 日本 語に おけ る強 靭で 柔軟 な個 性で ある から

︑﹁

﹃間

﹄は

︑異 質の 文化 をも 包 し調 和す る︑ 日本 人の 文化 的エ ネル ギー の源 泉と なっ てき たの であ る﹂

と結 ぶ︒

本節 冒頭 に述 べた 順序 に従 って

︑﹁ 心﹂ と題 する 諸著 の紹 介に 入る

︒一 応︑ 出版 順に

⑴ まず

︑世 良正 利﹃ 日本 人の 心﹄ があ る︒ この 本の こと は前 にも 触れ たの で︑ ここ では 一言 に止 める

︒﹁ 自 覚性 と 社 会性 が 人間 性を 保証 する 本質 であ る﹂

が︑ 日本 人の 宿痾 的性 格と して 没 我性 と 熟 知性 が 指摘 でき る

︒ 日本 人と して の自 覚は 自発 的・ 能動 的で なく

︑受 動的 な没 我性 にあ り︑ また

︑そ の生 活原 理は 熟知 性に 力点 がお かれ てい る︑ とい うの であ る︒ あ きら め切 れな い心 理 が 神に 依拠 しよ うと する 心理 に展 開し

︑ 依拠 する もの の指 図に 従属 しよ うと する 心理 に 隣接 して しま う

︒そ して

︑人 びと の結 合形 式は

﹁だ れ﹂ につ いて 非選 択的 であ り︑

﹁ど う﹂ につ いて 閉鎖 的で ある

⑵ 次に

︑唐 木順 三﹃ 日本 人の 心の 歷史

をと りあ げる

︒上 巻﹁ はし がき

﹂に いう

︒﹁ 心﹂ と は感 情・ 気持

・情 緒に 深く かか わる 言葉 で︑ 実践 や生 活で とら えら れた 精神 に近 い

と︒

(7)

日本 人は 季節 感に 鋭敏 な感 受性 をも って いる が︑ それ は﹁ 日本 の風 土が

︑四 季折 々の 變化 を︑ 花鳥 風月

︑山 川草 木に おい て鮮 かに 示し てゐ ると いふ 自然 條 件﹂ と﹁ 農 の民 族で あつ たと いふ 社會 條 件﹂ およ び﹁ 自然 の氣 象 から 恩惠 と同 時に 損 をつ ねに うけ て來 たと いふ 地理 歷 史 條件

﹂の もと で︑ 古代 の八 代歌 集か ら影 響を うけ た 雅

いう 文化 的条 件を 育て

︑季 節へ の鋭 敏な 感受 性を つち かっ てき たか らで ある

︑と

︒そ こで

︑﹁ 時代 によ つて 異 なる 季節 感覺

⁝⁝ 嗜好 の背 後に ある 時代 の性 格を 描き だし

⁝⁝ 日本 人の 心の 歷史 を誌 した い﹂ とい う︒

①そ して

︑冒 頭﹁ 序論

﹂は

﹁日 本人 の感 受性 の特 色︱

︱感 の論 理﹂

と題 す︒ 本稿 では

︑ま ず序 論 の要 点を 挿話 風に 記す こと にす る︒ 広く 知ら れて いる

︑利 休の 一 輪の 朝顔 は

︑﹁ 一が 多を

︑部 分が

!體 を象 徴 して 剩す とこ ろが ない とい ふ︑ 東洋 風の 象徴 主義 がこ こに ある

﹂︒ 名 月や 疊の うへ に松 の影 ﹁ この 其角 の句 を⁝

⁝ブ ルノ

・タ ウト

⁝⁝ は日 本の 日本 らし さ︑ 日本 人の 風流 心を 十

!に 示す もの とし て特 に推 賞し てゐ る﹂

︒ 九層 の天 守閣 に対 する 二畳 の茶 室

さら に草 庵を 否定 すれ ば﹁ 日々 旅に して 旅を 栖 とす

とな り︑ 究極 の結 果は 達磨 の面 壁九 年と なる

︒草 庵も 十七 文字 も究 極を 志向 して おり

︑で なけ れば

︑た だ の 數奇 わび ずき さび 氣取 り さ ばし たる に すぎ ない

﹁一

$に 固定 して ゐる 草庵

︑家 屋も

︑實 は無 限の 時間 の流 れの 上に

%い てゐ る︒ 言葉 の奥 には

︑緊 張し た沈 默が ある

︒⁝

⁝個 別存 在の 背景 には 普&

があ り︑ 色の 背後 に空 があ ると いふ やう に理 屈づ ける 以' のと ころ で︑ 日本 人 はそ れを 感覺 直 觀 に感 受し てゐ る﹂

﹁自 己と は何 かと 問ふ その 自己 を徹 底 に( 究し て︑ その 果に 自己 その もの が) 體と なつ て蒸 發し て︑ 自身 が本 來* の圓 月相 とな ると き︑ 山川 草木

︑有 +無 +と の眞 の, 交感 應が 成就 せら れる だら う﹂

﹁畫 にお ける 餘白 は詩 歌に おい ては 餘 +

︑餘 韻で あら う︒ 言表 の文 字︑ 言葉 の周 邊に ただ よふ +趣

︑ひ びき であ

(8)

る︒ 餘+ をも つこ とに よつ て文 字は 肥え る︒ 庭園 の枯 山水 や石 庭は

︑水 墨畫 のい はゆ る﹃ 殘山 剩水

﹄︑ 花鳥 畫の

﹃折 于﹄ とい ふ構 圖方 式の 自然 を相 手に して の0 用で あら う︒ 自然 の一 片を とつ て自 然! 體を 暗示 し︑ 一于 の花 に おい て自 然の 生命 を感 じさ せる 方法

︑構 圖と いつ てよ い﹂

︒ 否定 のゆ きつ くと ころ に全 体を とり こむ とい う︑ 日本 文化 の真 髄を 表現 した 美文 であ る︒

②以 上の 引用 につ いて

︑西 洋を 理 性の 論理 と いう なら ば︑ これ らは

︑い わば 感 性の 論理 ︑ つま りは 個別 のう ちに 普遍 を感 受す る智 慧の 論理 とい うこ とに なる

﹁西 歐の 哲學 が︑ 我と は何 かを (1 しま た( 1し て︑

﹃コ ギト

﹄に 2し たり

︑根 源存 在は 何か

︑第 一存 在は 何か を 究め て︑ 或ひ はイ デア

︑或 ひは 物質

︑或 ひは 一︑ 或ひ は多

︑ま た時 間や 空間

︑力 や生 起と いふ

︑無 色無 記) 明な も のに 2し たり して ゐる こと と比 較し て﹂

︑日 本の 心情 の特 性は

︑﹁ 根源 に參 じて 我執 を離 れた )脱 境は

︑柳 綠花 紅︑ 山高 水長 の︑ あた りま への 眼' 觸目 の境 だと いふ こと であ る﹂

︒ また

︑﹁

﹃理

﹄よ りも

﹃事

﹄を

︑目 にふ れ︑ 耳に ひび く眼 '卽 今の 事物 を大 切に し︑ それ をつ くづ くと 見と め︑ わ きま へる こと が︑ いま にい たる まで 日本 人の 特色 をな して ゐる

︒自 然の 中に 働い てゐ る普

&

な 法則 を5 き出 さう とす る合 理主 義と は趣 を異 にし て︑ 個別 の個 物に 限り ない 注意 と關 心を むけ

︑そ して その 事や 物を 卽ち 法と して

︑ 法の 具象 とし て感 じ取 つて ゐる

︒ その 感じ 方は 論理 的︑ 哲学 的で はな く︑ 審美 的︑ 藝術 的で ある

︑ と︒

③次 いで

︑﹁ 一一

定の 美學

﹂か ら︒ 中世 はそ れ以 前の 時代 とは 質的 相違 があ り︑

﹁* や無 や死 が︑ 卽ち 存在

や 生の 否定 が︑ 積極 な 意味 をも つて 出て 來た こと

︑否 定は 單に 肯定 の反 對︑ 對立 であ るば かり でな く︑ 反つ て肯 定の 根據 であ るこ とが 經驗 を6 し て自 覺さ れて 來た ので ある

﹂︒

(9)

﹁死 は旣 定の 事實 であ る︒ 無常 は日 常で ある

︒生 は絕 對の 意味 をも ちえ ない

︒⁝

⁝だ から とい つて

︑生 を憎 むの は愚 かな こと であ る︒ 死に とり かこ まれ なが ら生 きて ゐる のだ から

︑生 はむ しろ 僥倖 だが

︑そ の﹃ 存命

﹄の 束の 間 をい とほ しみ

︑生 をた のし むこ そ︑ よき 人︑ 賢き 人だ

④﹁ 一三

:の 實相

﹂﹁ 一四

蕉の 發明

﹂か ら︒

﹁; 代の 西洋 が自 然の 最奧 にメ カニ ズム を發 見し たこ とと の對 比で いヘ ば︑ 自然

︑人 間を 含め ての 究極 處は リズ ミカ ルで あつ た︒ 言葉 の高 い意 味で の風 流︑ 風興

︑風 雅で あつ た︒ 禪家 の風 流の 源底 は大 地有 +そ のも のの 風流 性 であ る﹂

︒風 雅と は﹁

<化 の四 季折 々を 友と する こと が卽 ち風 雅の 姿で ある

︒そ の先 駆 者は

︑西 行︑ 宗祇

︑雪 舟︑ 利休 であ り︑ さら に芭 蕉に おい て﹁ 物我 不二

﹂の 境地 に達 する

西

西

西

⑶ 唐木 順三 に移 る︒

①西 鶴の 遊 廓讃 美 によ って

︑古 来の 風雅 はパ ロデ ィ化 し︑ 新し い偶 像を つく りあ げた

︒即 ち︑ 色欲 を藝 術化 した

﹁い き﹂

﹁は り﹂

﹁6

﹂と いう は 色, の 理念 であ る と︒

②原 勝郎 によ れば

︑足 利時 代こ そ日 本の ルネ ッサ ンス だと いう

︒第 一に

︑﹁ 古典 への 傾倒 また 古典 文學 の地 方へ の傳 播で ある

﹂︒ 第二 に︑

﹁堺 商人 が代 表す る町 人の

=出 であ る︒ 堺は 政治 勢力 の介 入を 許さ ぬ自 由都 市︑ 自治 都市 とし て︑ 足利 時代 に繁 榮し た﹂

︒﹁ 堺の 豪商 たち

︑い はゆ る﹃ 納

﹄は

⁝⁝ 海外 貿易 によ つて 得た 巨利 によ つて 自衛 の實 力を 整へ た﹂ から であ る︒

﹁茶 ,の 武野 紹鷗

︑津 田宗 及︑ 今井 宗久

︑千 利休 等は いず れも ここ の豪 商の 出

(10)

であ ると いふ 一事 をも つて して も︑ 此地 の文 化意 識が どれ ほど

=ん でゐ たか がわ かる

﹂︒ 第三 に﹁ 個人 主義 的な 思 想と 行動 の出 現で ある

﹂︒ 即ち

︑﹁ 足利 期に おい て充 分に 個性 の妙 處を 發揮 して ゐる

@像 畫が 初め て描 かれ た﹂ こと が︑ その 証拠 だと

︒そ して 第四 に﹁ いは ゆる 下剋 上に よつ て︑ 下層 階級 が浮 び上 つて 來た こと であ る﹂ とい う︒ この 原説 に対 し︑ 唐木 は﹁

;世 へ︑ 世俗 化へ と︑ 強く 推し

=む 要素 と︑ 中世 を文 化 に仕 上げ てゆ くや うな 要素 が折 り重 なつ て出 てき てゐ るよ うに 見え る︒ だか らこ そ︑ 安土 桃山 時代 と美 術史 の上 でい はれ る豪 華絢 爛た る方 向 へ行 く解 放 要素 とと もに

︑そ れに つづ くA 國と いふ 閉A の時 代︑ 窮屈 極ま る身 分制 度と 封建 制へ 歸る 要素 が潜 在 して ゐた

﹂と 評す る

︒ 情痴 の世 界を 味わ う一 休の 自由

︑そ こに は﹁ 中世 超 越 な一 面と

︑近 世 現世 な 一面 が混 在し てゐ る﹂

そし て﹁ わび 茶﹂ の出 現 大成

であ る︒

﹁過 剩と 貧寒

︑豐 富と 微少

︑多 Bと 淡B

︑そ の小 にし て寒 を撰 んで

︑大 にし て剩 を捨 てる とこ ろに

﹃わ び﹄

﹃侘

﹄は 成立 する

﹂と

︒対 立概 念の 統一 であ る

﹁憂

﹂が

﹁浮

﹂と なり

︑憂 きま まの 現世 が続 くと 考え られ たの は﹃ 閑吟 集﹄

あ たり であ る︒ 西 山宗 因は 無 用坊 に なっ て始 めて 自由 を味 わう とい った のが 七〇 歳 ごろ

︑わ びる 自 由さ えな かっ た︒ 西鶴 が唯 一の 自由 を許 され た遊 里に 向か い︑ 芭蕉 はこ もを かぶ る自 由を えよ うと した

︒ 談林 派か らで た二 人が

︑好 色物 から 町人 物へ

︑他 方で 西行

︑宗 祇︑ 利休 へと 回帰 した こと に︑ この 時代 の時 代色 が うか がえ る︒ が︑ 西鶴 の画 くあ くな き人 間・ 人情 は︑ 人間 社会 への 旺盛 な好 奇心 であ る

③徳 川政 権が 儒学

を文 教政 策の 旨と した こと はよ く知 られ てい よう

︒中 世の 禅か らの 転向 は︑ 禅僧 藤原 惺窩 のそ れに よっ て容 易に 行わ れた と︑ 唐木 はい う

︒惺 窩が 住し た相 国寺 は︑ 公案 の思 量工 夫 より 朱子 学を 学習 する とい う風 潮す らあ った

と︒ 一三 世紀 から

(11)

一四 世紀 前半 にか けて

︑大 應

・大 燈

によ り禅 宗は ピー クを 迎え るが

︑そ の後

︑ 五山 の僧 は文 学僧 とな って 詩文 に興 じ︑ 禅の 偈頌

︑孔 老の 書︑ 唐宋 の詩 文が 学識 の源 とな った から であ る︒ しか し︑ 儒学 は合 理主 義に 立脚 する 哲学 体系 であ り︑ 我が 国に 合理 的哲 学体 系が 論ぜ られ たと いう 画期 的時 期で もあ っ た とい える

﹁日 本民 族は 元來

︑體 系よ りも 個々 物に 關心 し︑ 普&

より も特 殊に 意を 注ぎ

︑個 物︑ 特殊 にお いて 反つ て全 體ま た普

&

を感 受す ると いふ 傾向 があ る︒ 卽ち 感受 性に おい て纖 細鋭 敏で ある が︑ 壯大 な思 想體 系を 構築 する とい ふ能 力ま た意 欲に 乏し い︒

⁝⁝ 風雅 また みや び︑ 風流 また 洒々 落々 は體 系の 窮屈 をj ふ︒ はか なく あは れな るも のを

︑ まさ には かな くあ はれ なる もの とし てい とほ しむ 心︑ 無常 なる もの を無 常な るが 故に 愛惜 する 心は

︑體 系の 形而 上 學を jふ

︒山 河草 木ま た山 水を 以つ て自 然を 代表 させ

︑月 雪花 を以 つて 季: を代 表さ せる

$で は︑ 自然 とい ふ文 字︑ 言葉 さへ 無く

︑公 平無 記に 持續 する 抽象 の時 間も また 無い

と︒ 他方

︑﹁ 徳川 時代 は︑ 日本 にお いて 最も 體制 の整 つた 時代

﹂で あっ た︒

﹁家 康が 藤原 惺窩 を招 いて

﹃貞 観政 D﹄ の 講義 を聽 いた とい う一 事が 示す やう に⁝

⁝仁 義禮 智信

︑君 臣父 子夫 婦長 幼朋 友の 秩序 を説 く儒 學︑ 宋學 がE へら れ たの であ る︒ 然も その 五常 五倫 が︑ 單に 人倫 の, では なく

︑天 地乾 坤の ,に 6じ

︑太 極ま た天 理に 6じ

︑日 月星 辰 のF 行に 6じ てゐ ると すれ ば︑ 單に 政權 維持 の政 治目 的に かな ふば かり でな く︑ 天下 の公 ,に もと ずく とい ふ擬 制 を保 つこ とが でき る﹂

と︑ 唐木 は解 する

︒ 後は

︑林 羅山 など によ る幕 府の 基本 諸法 の制 定に よっ て完 成さ れる 警察 国家 体制

説明 があ る︒

④第 三章 は︑ 閉塞 した 封建 体制 にお ける 特殊 地帯

︑ くる わ の 義理 と人 情 から 話が 始ま る︒ そし て︑ 荻生 徂徠 によ る朱 子学 批判

︑石 田梅 巖の

﹁心 学﹂ によ る町 人道 徳の 説諭 があ り︑ 第四 章に 入り

︑近 松の 心中 物︑ 浄瑠 璃

(12)

の歴 史⁝

⁝と 続く

︒ 江戸 文化 の特 色に つい て︑

﹁中 世の 枯淡 に對 する 江戸 期の 裝飾 過剩

︑⁝

⁝水 墨畫 と金 泥畫

︑能 と淨 瑠璃 また 歌舞 伎︑ 桂と 日光

︑す べて 極端 な對 立で ある

︒そ れは 憂世 に對 する 浮世

︑現 世否 定に 對す る現 實讃 美︑ 無︑ 無常 を基 底 とす る人 生観 世界 観に 對す る有 また は享 樂を 肯定 する 人生 観世 界観 とい う對 立に 照應 して ゐる

﹂︒

﹁自 然の 風物

︑四 季折 々の 景物 は︑ 人間 生活 を裝 飾す るア クセ サリ イと なつ てき た︒ 山野 に出 て行 つて おの ずか らの 自然 を見

︑た の しむ とい ふこ とに 代つ て︑ 花鳥 風月 を障 子や 屏風 に描 き︑ それ をめ ぐら した 部屋 の中 で生 活を 樂し むと いふ こと に なつ た﹂

︒そ の要 因は

︑幕 藩体 制の もと

︑士 農工 商の 身分 制度 の確 立︑ 世襲 制の 強制

︑五 人組 制度 の出 来な どに よ って

︑移 動の 自由 が制 限さ れた こと によ る

︒ こう して 文人 墨客 の風 雅は

︑幕 末の 廣瀨 淡窓

︑江 村北 海 指摘 によ れば

︑書 斎・ 詩屋 のな かで の こし らへ た風 流

とな り︑ 享保 以後 は︑ 身分 制度 が弛 緩し

︑法 度・ 禁令 が拘 束力 を失 うと

︑蘭 学の 影響 は︑ 実証 的精 神を 培い

︑伊 藤仁 斎の 古義 学︑ 荻生 徂徠 の古 文辞 学が

︑徳 川イ デオ ロギ ーか らの 自由 とい う形 で 示さ れた

︒司 馬江 漢﹃ 西洋 畫談

の﹁ 畫は 寫眞 に非 ざれ ば妙 と爲 るに たら ず⁝

⁝﹂ は︑ その 適例 であ ろう

︒こ うし た実 証主 義・ 合理 主義 への 関心 は︑ 実利 実用 の学 とい う傾 向を 促し

︑ 文明 開化 へ の途 に拍 車を 掛 ける こと にな った

西

︒ また

︑前 野良 澤や 杉田 玄白 の解 剖実 験は

︑観 念か ら事 実へ の転 換の 契機 とな り︑ その 実証 主義 は次 のよ うな 考え 方を 生ん だ︒

﹁主 観に 對す る客 観は すべ て物 對 象で ある

︒天 地山 川も 草木 鳥獸 もす べて 一定 の法 則︑ 科學 法則 に よつ て存 在し 運動 して ゐる 物體 また 物件 であ る⁝

⁝こ れは 主と 客と の︑ 主體 と對 象と の二 元の 世界 であ る︒

⁝⁝ 人 間と 自然 との 間は 斷絕 して

︑そ の間 には 直接 な交 渉は ない

︒物 心一 如︑ 物我 一體 など とは 凡そ 反對 の世 界で ある

︒ 自然 の聲 に耳 を傾 けた り︑ 庭前 の柏 樹が 卽ち 佛法 その もの だつ たり する こと とは 無緣 な世 界で ある

︒そ して 實證 主

(13)

義︑ 合理 主義

︑科 學主 義は

︑こ の主 と客 とを 二元 とす る世 界に おい て成 立し

︑發 展し て來 たの であ る﹂

と︒

西

⑤第 八章 は﹁ 東洋 的な もの と西 洋的 なも のと の葛 藤と 融和

﹂と 題す る︒ やは り出 てく るの は夏 目漱 石で ある

︒曰 く﹁ 漢學 に所 謂文 學と

︑英 語に 所謂 文學 とは 到底 同定 義下 に一 括し 得べ から ざる 異種 類の もの たら ざる 可か らず

と︒ 唐木 は﹁ 東洋 風の 倫理

⁝⁝ 卽ち 人と 人と の間 柄の 倫理 と︑ 西歐 風の 自己 本位 の倫 理と を︑ どの や うに して 一身 にお いて 統一 調和 しう るか とい う大 問題 が漱 石に 懸つ てゐ た︒ 個別 と普

&

を︑ 自己 本位 と, を︑ どの やう にし て結 びつ ける か︑

﹃私

﹄と

﹃天

﹄と をど のや うに して 調和 しう るか とい ふ大 問題 であ る﹂ と紹 介す る︒ ま た﹁ 東洋 學者 に從 へば 保守 にな りK ぎる

︒西 洋學 者に 從へ ば急 激に なる

︒現 にあ る許 多の 學問 上の 葛藤 や衝 突は 此 二要 素が 爭つ てゐ るの であ る︒ そこ で時 代は 別に 二本 足の 學者 を要 求す る︒ 眞に 穏健 な議 論は

︑さ うい ふ人 を待 つ て始 めて 立て られ る︒ さう いふ 人は 現代 に必 要な 調和 的要 素で ある

︒然 るに さう いふ 人は 最も 得難 い﹂ とい う森 鷗 外の 二 本足 の學 者 の説

を 引用 し︑ 鷗外 こそ 稀な 二本 足の 学者 であ ると 評す る︒ さら に﹁ 上州 武士 の魂 と科 學 合理 主義 と福 音信 仰と を矛 盾な く一 身に おい て體 現す ると いふ

︑理 論の 上 では 不可 能と 思は れる こと に︑ 彼は 一身 の情 熱を 傾け た﹂ 内村 鑑三

︑﹁ 禪の 大, と西 洋哲 學の 眞智 を自 分自 身の 内 部に おい て︑ 本體 と四 肢と の關 係の やう に關 係さ せる こと

︑そ れが さま ざま に形 を變 へな がら

⁝⁝ 生涯 の課 題と な つた

﹂西 田幾 多郎 の﹃ 善の 研究

と︑ それ に続 く﹃ 自覺 に於 ける 直觀 と反 省﹄

にお ける

(14)

己 事究 明 とい う生 涯続 く悪 戦苦 闘が 語ら れる

︒ そし て大 正期 は︑ 阿部 次郎 が﹃ 三太 郎の 日記

よっ て︑

﹁多 知多 解の 能力 を賴 つて

︑あ れも これ も︑ ニイ チェ もト ルス トイ も︑ 釋迦 も基 督も 孔子 も理 解し

︑そ れに よつ て自 己を 豊富 にし よう と計 る﹂ こと にな っ た︑ と︒ 和辻 哲郎 によ れば

︑こ れぞ 文 化の 重層 性 であ る︒

﹁日 本人 ほど 忠實 に古 いも のを 保存 する 民族 も他 には ない であ らう

と︒ 唐木 曰く

﹁教 養あ る文 化人 には

﹃狂

﹄も

﹃士 魂﹄ も また

﹃,

﹄も 緣の 遠い もの とな つた

︒釋 尊も 孔子 もソ クラ テス もキ リス トも

︑等 しく

﹃人 類の 教師

﹄と して 學ぶ べ きで ある とい ふ立 場に は信 仰の 葛藤 はあ りえ ない

︒こ れら 四人 は各 々一 つの 文化 現象 であ る︒ それ を文 献を 6じ て 正し く解 釋す ると いふ こと が任 務で ある

⑥第 九章

﹃寫 生﹄ は︑

﹁日 本人 は明 治の 二十 年代 の後 半か ら三 十年 代に かけ て︑ やう やく 再び 生き た現 實の 自然 を恢 復し た﹂ との 文か ら始 まる

︒徳 川時 代は

﹁直 接に 自然 に︑ また 自然 の景 物に 接し

︑そ れを 文字 にま た畫 面に 表 現す ると いふ こと はほ とん ど無 かつ た﹂

から

︒ 生か さず

︑殺 さず の 庶民 生活 では 知足 安分

︑ま た文 人墨 客と て置 酒風 流︑ 遊里 風流

︑狂 歌風 流に 身を 投じ た︒ 良寛

︑大 雅︑ 浦上 玉堂 など 個性 の強 い人 は別 とし て⁝

︒ そし て明 治︒ 二〇 年ま では 脱 亜入 歐 の意 気盛 ん︑ 政治

・経 済の 実学 の時 代で ある

︒が

︑反 動も 確か であ り︑ 雑誌

﹃日 本人

﹄の 発行

みる

︒こ うし たな か︑ 森鷗 外に よる 近代 批評 の発 足

︑ 北村 透谷 の﹁ 想世 界﹂

︑田 山花 袋の 自 然主 義文 学 への 移行

など が現 れる

︒ その 頂点 に︑ 三〇 年代 の徳 冨蘆 花﹃ 自然 と人 生﹄

︑国 木田 独歩

﹃武 蔵野

﹄が あり

︑あ りの まま の自 然に 対す る高

表 現 し た ︵ な る ほ ど ‼ ︒︶ 水 墨 画 は 唐 の 時 代 に 完 成 期 に 達 し ︑ 宋 の 時 代 に 大 成 し ︑ わ が 国 に も 伝 わ っ て い た か ら ︑ 墨の濃淡だけで表現する水墨画は時代に乗ずること大であったといえる︒周文︑雪舟の影響により︑室町時代の水墨画壇は黄金時代を迎える︒しかし︑画僧の大部分はしょせん余技にほかならず︑自然離れした形象表現に見とれることも多かったに違いないと予想される︒つまり︑師僧の揮毫ということに価値があり︑写実の如何は無視されて︑

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