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⑶ 第 三

ドキュメント内 法 文 化 論 序 説 ︵ 五 ︶ (ページ 102-107)

わね ばな らな い︒ また

︑社 会現 象を 中心 にし た国 際関 係の 全範 囲を いい

︑自 然界 とは 無関 係で ある

︵第 四節

︒︶

﹁造

﹂と は︑ 万物 を創 造し 化育 する こと で︑ 造り ださ れた 森羅 万象 の意 とも なる が︑ それ を為 す力 もし くは 者 のこ とを いう

︒初 出は

﹃荘 子﹄

︵﹁ 偉ナ ル哉

︑造 化﹂

︶で

︑造 物者 のこ と︒ 日本 では

︑記 紀︑

﹃本 朝文 粋﹄

︑﹃ 神皇 正統 記﹄

︑﹃ 笈の 小文

﹄︑

﹃お くの ほそ 道﹄ など

︑﹁ 天地 自然

﹂の 意に 多用 され てい るが

︑天 地そ のも ので はな く︑ それ を 創造 する 者の 力の 意味 に傾 いて いる

︵第 五節

︶︒

﹁風 土﹂ とは 特定 の地 域圏 の気 候・ 地味

・地 勢・ 産物 など のこ とで

︑自 然そ れ自 体で はな く︑ 社会

・文 化の 自然 環境 を意 味す る︒ 似た 言葉 に﹁ 風水

﹂と いう 語が ある

︒﹁ 天の 風気

︑地 の水 気﹂ のこ とで

︑風

・水 が生 活に 与え る 影響

︑つ まり

﹁自 然﹂ を意 味し

︑中 国で 地相 術と して 広く 使わ れた

︵第 六節

︶︒ 地上 の自 然に つい て﹁ 山河

︵山 川︶

﹂と いい

︑﹁ 山水

﹂と いう こと があ る︵ 第七 節︶

﹁万 物﹂ は︑ 自然 界に ある すべ ての 事物

・現 象を 意味 する が︑

﹁天 地﹂ は含 まれ ない

︵第 八節

︶︒ 以上 のよ うに

︑自 然界 につ いて は︑ さま ざま な呼 び名 でい われ てき たが

︑天 地系

・万 物系 に分 けて 考え れば

︑両 者は 洋の 東西 をと わず

︑古 くか ら別 物と 考え られ てき た︒ しか し︑ 双方 を同 じ自 然物 と考 える よう にな らな けれ ば︑

﹁自 然﹂ の観 念は 成立 しな い︒ この 人間 の自 然認 識に つい ての 問題 が︑ 本書 の後 半と なる

中世 で注 目す べき は︑ 親鸞 の﹁ 自然 法爾

﹂で ある

︒中 国の 善導 の言 葉﹁ 自然 ハ即 チ是 レ弥 陀国 ナリ

﹂が

﹃教 行信 証﹄ に引 用さ れ︑

﹃浄 土高 僧和 讃﹄ には

﹁自 然の 浄土 にい たる なれ

﹂﹁ 念仏 成仏 自然 なり

︑自 然は すな わち 報土 な り﹂

︑と ある

︒こ の﹁ 自然

﹂は 幻想 観念 上で はあ るが

︑﹁ 浄土

﹂と いう 一種 の対 象的 世界 を指 して いる

︵﹃ 教行 信証

﹄ の﹁ 自然

﹂は

﹁お のず から

﹂の 意で ある

︒︶ 道元

﹃正 法眼 蔵﹄ に自 然界 を﹁ 尽十 方界

︑山 河大 地︑ 草木 自他

﹂と いう が︑ それ は実 体的 な外 界で はな く︑

﹁心

﹂ だと いう

︒ 吉田 神道

︑観 阿弥

︑世 阿弥 では

︑﹁ 自然

﹂は

﹁お のず から

﹂の 意︑

﹃作 庭記

﹄で すら

﹁自 然﹂ は﹁ 生得 の山 水﹂ と 述べ てい る︒ 華道 では

︑自 然界 を﹁ 陰陽 のこ と﹂

﹃八 帖花 伝書

﹄天 正年 間︶

︑茶 道で も﹁ 自然

﹂﹁ 天然

﹂が 使わ れて いる

︵﹃ 南方 録﹄

︶が

︑自 然は

﹁う っか りと

﹂︑ 天然 は﹁ 力ヲ 加エ ズニ 真ナ ル所 ノア ル道 理﹂ の意 であ る︒ その ほか

︑暦 学・ 医学 を含 めて も︑ 中世 では

︑﹁ ネー チャ ー﹂ の自 然概 念は 成立 して いな い︵ 第一 節︶

︒ 近世 に入 って も︑ 朱子 学・ 陽明 学に おけ る﹁ 自然

﹂は すべ て﹁ おの ずか ら﹂ の意 で︑ 自然 界の こと は﹁ 天地

﹁万 物﹂ と呼 ばれ てい る︒ ただ 古学 系に おい て︑ 山鹿 素行 は﹁ 天地 自然

﹂と いい

︑﹁ 天地

﹂は

﹁自 然﹂ と接 近し てい る︵﹃ 山鹿 語類

﹄︶

︒ 天文 暦算 家︑ 西川 如見 の場 合︑

﹃町 人囊

﹄で は﹁ おの ずか ら﹂ の意 だが

︑﹃ 日本 水土 考﹄

・﹃ 水土 解弁

﹄の

﹁水 土﹂ は環 境規 模の

﹁自 然﹂ 概念 であ る︵ 例え ば﹁ 水土 自然

﹂と 四字 熟語 にな って いる

︒︶ 農学 の分 野で は︑ 宮崎 安貞 は︑ 自 然界 を﹁ 天地

・陰 陽﹂

﹁天 地ノ 生理

﹂と いい

︑大 蔵永 常は

﹁天 地ノ 造化

﹂と いう

︒ま た︑ 天文 学の 志筑 忠雄

﹃暦 象 新書

﹄で は﹁ 天地

﹂と 訳し

︑万 物を 含め た外 界・ 自然 界の こと を指 して いる

︒ 日本 思想 史上

︑自 然界 の意 の﹁ 自然

﹂を 駆使 した 哲学 が出 現す るの は︑ 安藤 昌益

︵一 七〇 二︱ 一七 六二

︶に よっ

てで ある

︒彼 のい う﹁ 自然 真営 道﹂

﹁自 然が 真に 営む 道す なわ ち自 然の 真の 運動 法則 の意

﹂︶ であ り︑ この

﹁自 然﹂ は

﹁天 地﹂ と﹁ 万物

﹂を 合し た全 自然 界で ある

︒﹁ 自然

﹂は 造物 主に よる 被造 物で はな く︑ それ 自身 の﹁ 無始 無終

﹂の 自己 運動 の力 によ って 生ま れた 自己 形成 的な

﹁自 然﹂ であ る︒

﹁自

リ然 ルナ

( )

リ︒ 故ニ 是ヲ 自 ト謂 フ﹂ と︒

﹁自 然﹂ の語 を﹁ おの ずか らし かる

﹂で はな くて

︑﹁ ヒト リス ル﹂ と訓 んだ ので ある

︒昌 益は

︑勤 労者 の一 員と して

︑自 然 を内 側か ら見 て︑ そこ に愛 情を もち 賛嘆 の声 をは なっ たの が﹁ 自然 真営 道﹂ であ る︒ そこ には ネー チャ ーと の接 触 はな く︑ 彼独 自の 創出 であ った が︑ 西欧 語の 観念 と一 致し てい た︒ が︑ その 観念 は︑ やが て忘 れら れ︑ 普及 する こ とは なか った

︵二 二六 頁︶

︒ 三浦 梅園

︑司 馬江 漢︑ 山東 京伝

︑二 宮尊 徳︑ 横井 小楠

︑佐 久間 象山 と考 察し て︑ 自然 界の 意味 の﹁ 自然

﹂は ない とい う︒ ただ し︑ 山片 蟠桃

﹃夢 の代

﹄︵ 一八 二〇 年︶ に︑ 万物 は﹁ 天地 自然 ノモ ノ也

﹂︑ 万物 の生 は﹁ 天地 自然 ノ理 ナル ノ ミ﹂ とい う記 述が あっ て︑ 自然 界の 意と とれ る︒ また

︑与 謝蕪 村﹃ 新花 摘﹄ に﹁ 仮山 の致 景︑ 自然 のな がめ をつ く せり

﹂と ある

︒ さて

︑蘭 学・ 洋学 にお ける ネー チャ ーの 語は

︑ど う訳 され てい たか

︒ 日本 最初 の理 科学 の教 科書

︑青 地林 宗﹃ 気海 観瀾

一八 二五 年︶ の﹁ 凡例

﹂に

︑自 然界 を﹁ 自然

﹂と 呼ん でい る

︵た だし 本文 では

﹁気 海﹂ とい う︶

︒川 本幸 長﹃ 気海 観瀾 広義

﹄︵ 一八 五〇 年︶

︑広 瀬元 恭﹃ 理学 提要

﹄︵ 一八 五二 年︶ に ナチ ュー ルの 邦訳 和語 とし ての

﹁自 然﹂ はで てこ ない

︒ ヨー ロッ パ語 の和 訳辞 典は どう か︒ オラ ンダ 人フ ラン ソア

・ハ ルマ の蘭 仏辞 書を もと にし た︑ 稲村 三伯

﹃波

一七 九六 年︶ にナ チュ ール の訳 語と して

﹁自 然﹂ が登 場す るが

︑そ の後 は﹁ 自然

﹂は なく なる

︒そ れは 英語 につ いて も同 様で

︑堀 達之 助﹃ 英和 対訳

・袖 珍辞 書﹄

︵一 八六 二年

︶︑ ヘボ ン﹃ 和英 語林 集成

﹄︵ 一八 六七 年︶

︑柴 田

昌吉

・子 安峻 共編

﹃英 和字 彙﹄ 一八 七三 年︶

︑高 橋五 郎﹃ 漢英 対照

・い ろは 辞典

一八 八七 年︶

︑島 田豊

﹃雙 解英 和大 辞典

一八 九二 年︶ にも

﹁自 然﹂ の訳 語は でて こな い︒ フラ ンス 語で は︑ 村上 英俊

﹃仏 語明 要﹄

︵一 八六 四年

︶に

﹁自 然・ 性質

﹂の 訳語 がみ える が︑ 定着 しな い︒ 日本 最初 の哲 学辞 典﹃ 哲学 字彙

一八 八一 年︶ にお ける ネー チャ ーの 訳語 は﹁ 本性

・性 質・ 天理

・造 化・ 宇宙

・ 洪鈞

・万 有﹂ であ り︑ ヘー ゲル

﹃自 然哲 学﹄ は西 周訳

﹁物 理上 哲学

﹂で ある

︒自 然科 学の

︑ジ ェー

・ジ ーウ ード

﹃ネ ーチ ャー

・ア ンド

・ア ート

﹄の 訳書

︑石 川千 代松

﹃百 工開 源﹄ では ネー チャ ーは

﹁天 造・ 天造 物﹂ とな って お り︑ 法律 用語 では

︑ナ チュ ラル

・ロ ーの 西周 訳は

︑﹁ 天律

﹂︵ 幕末

︶︑

﹁性 法﹂

︵一 八七 一年

︶︑

﹁理 法﹂

︵一 八八 二年

︶︑ 井上 操は

﹁性 法﹂

︵一 八八 一年

︶と 訳し てい る︒ 中江 兆民 のネ ーチ ャー 訳は

︑明 治初 期は

﹁万 物﹂

﹁庶 物﹂

﹁天 地万 物﹂

﹁世 界庶 物﹂ であ るが

︑﹃ 理学 鉤玄

一八 八六 年︶ に﹁ 自然 ノ意 象

有リ

⁝⁝ 凡ソ 世界 自然 ニ生 ジテ 人巧 ヲ加 ヘザ ル者

︑皆 自然 ノ章 象ナ リ︒ 草木 禽獣 即チ 是レ ナリ

﹂と

︒﹃ 民約 訳論

一八 八二 年︶ では

﹁此 レ天 理ノ 自然 ニ本 ヅク ニ非 ズ﹂ と訳 して いる が︑ ネー チャ ーは

﹁天 理﹂ で︑

﹁自 然﹂ は修 辞に すぎ ない

︒兆 民の

﹁自 然﹂ は出 たり 消え たり であ る︵ 以上 第二 節︶

︒ ネー チャ ーに

﹁自 然﹂ の語 が成 立す るの は一 八八 九年 ごろ から であ る︒ 即ち

︑﹃ 国民 の友

﹄と

﹃女 学雑 誌﹄ のあ いだ で交 わさ れた

︑森 鷗外

・岩 本善 治の 論争 のな かで

︑岩 本は エマ ーソ ンの

﹃自 然論

﹄を 引き 合い に︑

﹁文 学は 自 然の 侭に 自然 を寫 す﹂ と主 張し

︑森 は﹁ 自然 とは ナツ ール のこ と﹂ と述 べて いる

︒こ のこ ろか らネ ーチ ャー の意 に

﹁自 然﹂ の語 が使 われ 広ま り始 めた

︵二 三六 頁︶ と︒ 芸術 上の

﹁自 然主 義﹂ 概念 も鷗 外に 発す る︒ こう して

︑﹁ おの ずと 在る

﹂自 然界 を︑ 誰も が﹁ 自然

﹂と 呼ぶ よう にな った

︒例 えば

︑内 田魯 庵の

﹁自 然の 法則 に逆 はん とし て猶 ほ且 つ自 然の 法則 に余 儀な くも 服従 し⁝

⁝﹂ 一八 九一 年﹃ 文学 一班

﹄︶

︑国 木田 独歩

﹃武 蔵野

一 八九 八年

﹁こ こに 自然 あり

﹂︶ に生 活と 自然 の密 着を 描い てい る︒ 志賀 重昂

﹃日 本風 景論

﹄︵ 一八 九四 年︶

︑徳 富蘆 花

﹃自 然と 人生

一九

〇〇 年︶ と続 く︒ 美術 界で は︑ 明治 初期 から 写実 的な

﹁風 景画

﹂へ の移 行が 顕著 であ り︵ それ まで は﹁ 山水 画﹂

︑︶

﹁自 然画

﹂と 呼ば ず﹁ 風景 画﹂ と呼 びつ づけ てい る︵ 第三 節︶

︒ 要す るに

︑﹁ 自然

﹂の 語は

︑一 八世 紀中 葉ま で﹁ 自

リ﹂ の意 であ り︑ 自然 界の 意味 で使 われ るよ うに なっ た のは

︑森 鷗外 など によ って ネー チャ ーの 訳語 とし て広 まっ たと いう こと であ る︵ 第四 節︶

③第 三章

﹁ヨ ーロ ッパ にお ける

﹃自 然﹄ 概念

﹂ ヨー ロッ パに おけ る﹁ 自然

﹂の 語の 起源 は︑ ギリ シャ 語の フュ シス

︑ラ テン 語の ナト ゥー ラで ある

︒フ ュシ スは

﹁誕 生﹂

﹁起 源﹂

﹁生 まれ つき の性 質﹂ の意 で︑ ノモ スと 対応 する

︒フ ュシ スを ネー チャ ーと 訳し た近 代ヨ ーロ ッパ が︑ 自然 概念 は古 代ギ リシ ャか ら存 在し たと 錯覚 した ので あっ て︑

﹁ギ リシ ャに は﹃ 自然

﹄概 念は ない

﹂と

︑出

は述 べて いる

︵第 一節

︶︒ ラテ ン語 のナ トゥ ーラ はフ ュシ スの ラテ ン語 訳︵ キケ ロ︶ であ り︑ もの の﹁ 本性

﹂を 主要 内容 とす る︒ ガレ ノス

﹃自 然の 力能

﹄︵ 自然 は生 命力 のこ と︶

︑プ リニ ウス

﹃自 然誌

﹄︵ 自然 は万

のも の︶ の例 があ るが

︑ネ ーチ ャー の意 味は ない 中 ︒ 世に おい ては

︑キ リス ト教 神学 のも とで

︑自 然は 神の 被造 物と され て︑ おの ずか らな る自 然は 存在 せず

︑ネ ー チャ ーは

﹁本 性﹂ の意 味で 用い られ た︒ アウ グス ティ ヌス

﹃自 然と 恩寵

﹄で は人 間本 性の 意で あり

︑ア クィ ナス

﹃神 学大 全﹄ でい う﹁ 自然

﹂は

︑人 間の 心的 な本 性の こと であ る︒ 一〇 世紀 をす ぎる と︑ ヒル デガ ルド

﹃自 然学

﹄︑ カン タン ブレ

・ト ーマ

﹃自 然の 事物

﹄︑ アル ベル トゥ ス・ マケ ヌ ス﹃ 自然 の鏡

﹄が 書か れる が︑

﹁人 間・ 動植 物に 限ら れ︑ 大地 山水 は含 まれ ない

︒つ まり

﹃創 造に おけ る神 の英 知﹄

﹂︵ 一六 九一 年ジ ョン

・レ ー︶ のこ とで ある

︒自 然界 を﹁ 神の 御

﹂と 読み とる のは

︑フ ラン シス

・ベ ーコ ン

ドキュメント内 法 文 化 論 序 説 ︵ 五 ︶ (ページ 102-107)

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