博 士 ( 農 学 ) 奈 良 岡 哲 志
学 位 論 文 題 名
Illex argenti7zus 墨 汁 チ ロ シ ナ ー ゼ の酵 素 学 的 性 質 及 び 構 造 に 関 す る 研 究
学 位 論 文 内 容 の 要 旨
イカ 墨汁は古 くから 民間伝承 薬や漢 方薬として用いられている。イカ(Illex argentinus)墨汁の 有効 活用を目 的とし たこれま での研究 の結果 、新規の 糖鎖構 造を有す る複合 糖質イレ キシンベプ チ ド グリ カ ン(IPGと略 す)が発 見され た。さら に、IPGを主成 分とす る画分に 抗腫瘍活 性が見 出 され 、その効 果は免 疫賦活作 用を介し て発現 すると推 定され た。しか しなが ら、活性 の本体は明 らか ではなく 、他の 蛋白成分 の関与が 示唆さ れた。本 研究は 、抗腫瘍 活性の 本体およ びその性状 を明 らかにす ること を目標に 行われた ものである。始めに、蛋白質成分の関与としゝう推論から、
墨汁に報告されているチロシナーゼ(monophenol,L‑dopa:oxygen oxidoreductase; EC1.14.18.1)の挙 動に 注目して 同抗腫 瘍活性画 分の分画 を行い 、分画物 の抗腫 瘍活性を 調べた 。その結 果、抗腫瘍 活性 へのチロ シナー ゼの関与 を示唆す る結果 が得られ た。続 いて、こ れまで 性状が解 明されてい なか った墨汁 チロシ ナーゼの 単離に成 功し、 諸性質を 解析し 、その全 一次構 造を含む 構造情報を 初 め て 明 ら か に し た 。 軟 体 動 物 チ ロ シ ナ ー ゼ の 詳 細 な 解 析 研 究 は 他 に 例 が な い 。
(1)工argentinus墨汁の抗腫瘍活性とチロシナーゼ
既報の墨汁抗腫瘍活性画分の調製方法に従い、´. argentinus墨汁のアセトン粉末を調製し、抽出 後 、陰イオ ン交換 およびゲ ルクロ マトグラ フイーに より分 画した。 その結 果、従来 の抗腫瘍活性 画 分には、 墨汁中 の大部分 のチ口シナーゼ活性成分が含まれることがわかった。さらに、Phenyl― Sepharose CL−4B疎水ク ロマト グラフイーによって、抗腫瘍活性画分は、チロシナーゼ活性が除か れ たIPG画 分 、チ ロ シ ナー ゼ 活 性の み が 含ま れる画分 、およ びチロジ ナーゼ活 性とIPGの一部 が 共 存 す る画 分 の3つに分 離され た。マウ スによ る抗腫瘍 活性テ ストでは 、チロシ ナーゼ 活性のみ を 含 む 画分 で も、 従来の 抗腫瘍活 性画分よ りも高 い活性が 見られ 、チロシ ナーゼ とIPGの 共存画 分 に 最 も高 い 活性 が認め られた。 一方、チ ロシナ ーゼが除 かれたIPG画分 の抗腫 瘍活性は 逆に低 下 し た 。 こ れ ら の 結 果 か ら 、 抗 腫 瘍 活 性 に 対 す る チ ロ シ ナ ー ゼ の 関与 が 強 く示 唆 さ れた 。
(2)′ . argentinus墨 汁 チロ シ ナ ー ゼの 酵 素 学的 性 質
チ ロ シナ ー ゼ は、 自 然 界に 広範に 分布す るtype3銅 含有酵 素である 。本酵 素は、チ ロシン など
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のモノフェノールからD‐ジフェノールヘの1原子酸素添加(モノフェノラーゼ活性)、さらに〇−
ジフェノールから対応するD‐キノンヘの酸化(o‑ジフェノラーゼ活性)を触媒する。チロシナー ゼの役割として、メラニン合成による紫外線防御が知られているが、節足動物においては、外骨 格形成の他、宿主防御系の最終的な活性分子として重要な役割を果たしている。また、頭足類で の墨汁合成、海洋生物の接着反応など、様々な生物学上の現象に関わっている。しかしながら軟 体 動 物 の チ 口 シナ ー ゼ の性 質 は明 確 に され て お らず 、 構造 は 明 らか に され て い ない 。 上述の研究において、工argentinus墨汁のチロシナーゼ活性成分は、未変性電気泳動で、多様な 分子形態を示すスミアな活性染色像を与えたが、その中に、分子量約94 kDaの位置に明瞭な活性 パンドを示す蛋白質(ST94とする)が見出された。本研究では、このチロシナーゼ分子ST94を 単離し、性質を調ぺた。
ST94は、墨汁アセトン粉末から、硫安沈殿分画、疎水および陰イオン交換クロマトグラフイー によ り、粉末100g当たりO.B mgの収率で得られた。さらに、ST94は、トリプシン限定分解に よって分子量が低下した蛋白質(ST94tとする)を与え、大幅に活性が上昇することがわかった。
このことから、軟体動物チロシナーゼについても、節足動物の酵素と同様な活性化機構が推測さ れた。ST94、ST94tおよび墨汁チロシナーゼ活性の大部分を含む粗酵素画分について性質を調べ た結果、互いに非常に類似していることがわかった。このことから、他の墨汁チロシナーゼ成分 もST94と同様の性質を有すると考えられた。得られたJ.argeruinus墨汁チロシナーゼの性質は次 のとおりであった。モノフェノラーゼ活性およびD−ジフェノラーゼ活性を有する。中性からアル カリ領域で安定であり、D‐ジフェノラーゼ活性で求めた最適pHは8付近である。30℃以下で安定 である。D−ジフェノラーゼ活性は、反応温度が低下しても活性の低下が少ない低温活性酵素の性 質を示す。D‐ジフェノラーゼ活性は、チロシナーゼ阻害剤(フェこルチオウレア、トロポロン、
コウジ酸、アルプチン)によって阻害される。ST94からST94tへの変化によルモノフェノラーゼ 活性が約40倍以上に上昇する。
(3)´. argentinus墨汁チ口シナーゼの構造
SDS電気泳動および質量分析の結果、ST94は、ジスルフィド架橋された分子量70.1 kDaポリベ プチド2分子からなる140.2 kDaの蛋白質であること、ST94tは、同じく架橋された63.8 kDaのポ リベプチド2分子からなるホモ2量体(127.6 kDa)であることがわかった。N‑末端配列解析で、
両者は異なるアミノ酸配列を与え、トリプシンによりST94のN‑末端領域が消化されていること がわかった。これらのN―末端配列を基に、墨汁嚢poly(A)゛RNAを用しゝてRT‑PCRおよびRACE により酵素遺伝子の単離を行い、625アミノ酸残基の蛋白質をコードする2種類のcDNA (cDNA‑
1およびcDNA―2)が得られた。cDNA‑1にコードされた蛋白質のアミノ酸配列は、ST94および ST94tのN―末端配列(各々19残基および14残基)を含んでいたが、cDNA−2では、コードされた 蛋白質の4個所にアミノ酸置換が見られ、内1個所で決定されたN‑末端配列と異なっていた。両 cDNA配列の高い相同性(99.3ワ。)から、ST94のアイソザイム遺伝子と考えられた。cDNA‑lにコ ードされたアミノ酸配列から、ST94のサプュニットは、625アミノ酸残基(70975 Da)の前駆体
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として発現した後、18アミノ酸残基のシグナル領域が切断されて607アミノ酸残基(68993 Da) のST94になると推測された。アミノ酸配列にはtype3銅蛋白質に共通する2個所の銅イオン結合 部位が存在した。
チロシナーゼを含むType3銅蛋白質は、一方で、分子進化学的な興味の対象となっている。本 研究で明らかにされた軟体動物チロシナーゼST94の銅イオン結合部位には、微生物、線虫、脊椎 動物のチロシナーゼおよび軟体動物ヘモシアニンとの相同性が認められた。また、軟体動物のチ ロ シ ナ ー ゼ と へ モ シ ア ニン は 、 お そ ら く 後 生動 物発 生以 前に 分岐 した と推 測さ れた 。
学位論文審査の要旨
主 査 教 授 木 村 淳 夫 副 査 助 教 授 森 春 英
副 査 教 授 芦 田 正 明 ( 北 海 道 大 学 低 温 科 学 研 究 所 )
学 位 論 文 題 名
Illex argentinus 墨汁チロ.シナーゼの酵素学的性質 及び構造に関する研究
本 論 文 は 、 和 文115頁 、 図29、 表7、6章 か ら な り 、 参 考 論 文12編 が 添 え ら れ て い る 。 イカ(Illex argentinus)墨汁の有効活用を目的とした一連の研究で、新規の構造を有する複合糖 鎖イレ キシンペ プチド グリガン(IPCrと 略す)が 発見され 、IPGを主成分 とする画分に抗腫瘍活性 が見出 された。 しかし 、活性の 本体は明 確では なく、墨 汁中に ある他の 蛋白因子の関与が示唆さ れた。 本研究は 、抗腫 瘍活性の 本体と性 状の解 明を行い、チロシナーゼ(EC l.14.18.1)が関与す ること を示した 。次に 墨汁チロ シナーゼ に関し 、酵素単 離を行 い、諸性 質および構造情報を明ら か に し た 。 軟 体 動 物 チ ロ シ ナ ー ゼ に 関 す る 詳 細 な 解 析 研 究 は 他 に 例 が な ぃ 。
(1)′. argentinus墨 汁の抗 腫瘍活性 とチロシ ナーゼ
従来 の手法で イカ墨 汁から抗 腫瘍活 性画分を 得た。 本活性画 分には、 墨汁中にあるチロシナー ゼ活 性の大部 分が含 まれてい た。疎 水クロマ トグラフ イーに より抗腫 瘍活性 は、チロシナーゼが 除 か れたIPG画 分 、 チロ シ ナ ーゼ の みの画 分および チロシ ナーゼとIPGの一 部が共 存する画 分の 3っに分離 された 。分画前 の抗腫瘍 活性よ りも高い 活性値が、チロシナーゼのみの画分に認められ た 。 チロ シ ナ ーゼ とIPG共 存 画分 の 活性が 最も高く 、IPGのみの画 分の活性 は逆に 低下した 。こ れ ら の 結 果 は 、 抗 腫 瘍 活 性 に お け る チ ロ シ ナ ー ゼ の 関 与 を 強 く 示 唆 し た 。
(2)´ , argentinus墨 汁 チ ロシ ナ ー ゼの 酵 素 学的 性 質
前 述 の精 製 過 程 にお ける未 変性電気 泳動で 、イカ墨 汁チロ シナーゼ は多様 な分子形 態を示す ス ミ ア な活 性 染 色 像を 与えた 。その中 で分子 量約94 kDaの 位置に明 瞭な活 性バンド を示す蛋 白質 (ST94と 仮 称) が 見 出さ れ た ので 、ST94の 単離 を試 み、ア セトン粉 末から 硫安分画 ・疎水 およ ―144―
び陰 イオ ン交 換ク ロマ トグ ラ フイ ーに より 精製 した 。ト リプ シン限定分解したST94 (ST94tと仮 称) の活 性は 、大 幅に 上昇 し た。ST94、ST94tおよ び墨 汁 チロシナーゼ活性の大部分を 含む粗酵 素の 性質 は非 常に 類似 して お り、 他の墨汁チロシナーゼ成分もST94と同様の性質を有す ると考え られ た。 以下に緒性質を示す。モノフェノラーゼ活性およびD−ジフェノラーゼ活性を有 した。pH 安定 域。 中性 から アル カリ 領 域) と温度安定域(30℃以下) を調べ、D−ジフェノラーゼ 活性で求 めた 最適pHは8付近 であ った 。D− ジフェノラーゼ活性は、反応温度が低下しても活性低 下が少な い低 温活 性酵素の性質を示した。Dージフェノラーゼ活性は、チロシナーゼ阻害剤(フェ ニルチオ ウレ ア、 トロ ポロ ン、 コウ ジ 酸、 アル ブチ ン) によ って 阻害 された。ST94からST94tへ の変化に よル モノ フェ ノラ ーゼ 活性 が 約40倍以 上に 上昇 した 。
(3) ′. argentinus墨汁 チロ シ ナー ゼの 構造
ST94は 、分 子量70.1 kDaポり ペ プチ ド2分子 から なる140.2 kDaの蛋 白質 であ り、両サブュニ ット はジ スル フィ ド架 橋で 結合 し てい た。ST94tは 、同じくジスルフィ ド架橋を介した63.8 kDa の ポ り ペ プ チド2分子 から なる ホモ2量 体(127.6 kDa)であ った 。ト リプ シン によ りST94のN− 末端 領域 が消 化さ れ、ST94tが生 成し た。 両者 のN‑末端配列情報をもと に、墨汁嚢poly(A)+ RNA を 用 い てRT ‑PCRお よ ぴRACEに よ り 酵 素遺 伝 子の 単離 を行 った 。625ア ミ ノ酸 残基 の蛋 白質 を コ ー ド す る2つ のcDNA (cDNA‑lお よ ぴcDNA‑2)が 得 ら れ 、 塩 基 配 列 に 高 い 同 一 性 (993% ) が 認 め ら れ た 。cDNA‑1か ら の ア ミ ノ 酸 配 列 に はST94とST94tのN‑末端 配 列が 含ま れて いた 。 cDNA‑2のN一 末 端 領 域 に 相 当 す る 配 列 はST94の も の と 異 な っ て お り、cDNA‑2はST94の アイ ソ ザイ ム遺 伝子 と考 えら れた 。ST94のサ ブユ ニッ トは 、625アミノ酸残基 の前駆体として発現し18 残基のシグナル領域が切断された後、607アミノ酸残基の成熟蛋白質にな ると推測された。アミノ 酸 配 列 に はtype3銅蛋 白質 に共 通す る2個所 の 銅イ オン 結合 部位 が存 在し 、ST94の1サブ ユニ ツ ト当 たり2分子 の銅 が存 在し てい た。
以上のように本 研究は、これまで解明例がなぃイカ墨汁チロシナーゼの機能究明、単離、性質 および構造の解析 を行ったものである。本酵素が墨汁の抗腫瘍活性に関与することを示し、多様 な分子形態を示す 活性画分から酵素精製に成功したこと、限定消化による活性化を含む一般的な 諸性質ならびに全 一次構造やサブユニット形成を含む構造情報を初めて明らかにしたことなど、
軟 体 動 物 チ ロ シ ナ ー ゼ に 関 す る 用 途 開 発 や 学 術 的 に 重 要 な 基 礎 的 知 見を 提供 して いる 。 よって審査員一 同は、奈良岡哲志が博士(農学)の学位を受けるに十分な資格を有するものと 認めた。
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