博士(獣 医学)松浦友紀子 学位 論文題名
エゾシカの発情・出産時期に関わる繁殖生態学的研究 学位論文内容の要旨
シカ類の生活史戦略の進化を考える上で重要事項である出産時期に注目し、自然に 近い状態で飼育されているエゾシカ個体群を用い、受胎時期および出産時期の変異が 生じる繁殖生理学的・生態学的要因を解析した。加えて、出生時期の変異によりO 歳 獣 が 受 け る 影 響 に 関 し て明 ら か に し 、 そ の 行 動 生 態学 的 意 義 を 考 察 し た 。
1 . 繁殖季節の中で受胎時期が遅れる要因を明らかにするために、繁殖期に12 頭の メスの糞中プロジェステロン濃度を測定した。すべてのメスは繁殖期の一定の時期 (10 月 14 日)までに少なくとも 1 回は排卵することが示唆された。繁殖期の初期に は発情を伴わない排卵 (silent estrus) を平均9 .8 土4 .6 日間隔で数回繰り返した。
ほとんどのメスは最初の交尾で受胎し、 silent estrus の繰り返しによって受胎時期 に 3 〜4 週間の変異が生じた。交尾しても受胎しなかった少数の個体では、何らかの 子宮疾患が推測された。また、行動観察と内分泌学的知見からニホンジカの妊娠期間 は 224.5 土3 ,7 日であることが初めて明らかになった。
2 .10 月4 日〜10 月 27 日に捕殺された9 頭の野生エゾシカの卵巣を観察した結果、
10 月 26 日と27 日に捕殺された個体から黄体が観察された。黄体が観察された2 個体
とも2 個の黄体をもっていた。それら 2 個の黄体は形成時期が異なり、新しい黄体は
排卵後間もないと考えられた。ステロイド合成酵素の免疫染色により、両方の黄体で
P450scc と3 ロHSD 陽性細胞が認められ、プログネノロンとプロジェステロンを合成し
ていることが示唆された。P450c17 と P450arom の局在はどちらの黄体でも認められな
かったことから、妊娠中と異なり、発情周期中(または妊娠初期)にはアンドロジェ
ン と エ ス ト ロ ジ ェ ン の 合 成 が 抑 制 き れ て い る こ と が 考 え ら れ た 。
3 .出産時期の変異をもたらす生態学的要因を検討するために、メスの年齢、体重お よび授乳状況が受胎時期と妊娠期間に及ばす影響を明らかにし、さらに受胎時期およ び妊娠期間の変異が出産時期の変異に及ばす影響を検討した。その結果、受胎時期は 非授乳メスに比べて授乳メスで遅くなり、また壮齢および老齢メスに比べ若齢メスで 遅れることが明らかになった。冬期間の環境が厳しい年には、妊娠期間と体重の問に 負の相関がみられた。すなわち、体重の軽いメスは体重の重いメスに比ベ多雪の影響 を受け、胎子成長率が低下し、そのため、体重の軽いメスは妊娠期間を延長させるこ とで、一定の大きさまで胎子を成長させていることが推測された。また、多雪の年に は体重の軽いメスの妊娠期間が延長することにより妊娠期間の変異が大きくなるた め、少雪の年に比ベ、妊娠期間の変異が出産時期の変異に及ばす影響が高まることが 示唆された。
4 . O 歳獣の生存率や成長は、個体群動態やメスジカの繁殖成功のほか、0 歳獣自身
の将来の繁殖にも影響を及ぼす。そこで、1998 年から2001 年に生まれたシカの体重
変化を追跡し、出生時期が成長に及ぼす影響にっいて明らかにした。冬期の体重減少
率には大きな個体差があったが、出生時期が体重に及ぼす影響は晩冬期まで残されて
いた。したがって、出生時期の遅い個体は冬期間の死亡率が高くなる可能性が示唆さ
れた。しかし、1 歳の秋の体重には出生時期の影響は消失した。生後 1 年間以上生存
した個体は 7 月23 日までに生まれた個体であった。すなわち、最初の冬さえ乗り切
れば、50 日程度の出生時期の変異がO 歳獣の成長、また将来の繁殖成功ヘ及ばす影響
は小さいことが予想された。
学位論文審査の要旨 主査
副査 副査 副査
教授 教授 教授 助教授
大泰司 高橋 葉原 鈴木
学 位 論 文 題 名
紀之 芳幸 芳昭 正嗣
エゾ シカ の発 情・出産時期 に関わる繁殖生態学的研究
シカ 類の個 体数変動 や生活 史戦略を 考える 上で重要 事項であ る出産 時期の変 異に注目し、自 然に 近い状 態で飼育 されて いるエゾ シカ個 体群を用 い、受胎 時期お よぴ妊娠 期間の変異が生 じ る 繁殖 生 理 学 的・ 生態学的 要因を 解析した 。加えて 、出生 時期の変 異によ りO歳 獣が受け る影 響に関 して明ら かにし 、その行 動生態 学的意義 を考察し た。
1)繁 殖季節 の中で受 胎時期 が遅れる 要因を明 らかに するために、繁殖期に12頭のメスの糞中 プ ロ ジェ ス テ ロン 濃度を 測定した 。すべ ての個体 は繁殖 期の一定 の時期(10月14日 )まで に 少 なく と も1回 は排 卵するこ とが示 唆された 。繁殖期 の初期 には発情 を伴わ ない排卵 を 平均9.8土4.6日間 隔で数 回繰り返した。.ほとんどの個体は最初の交尾で受胎し、発情を 伴わな い排卵の 繰り返し によっ て受胎時 期に3〜4週間の変 異が生 じた。交 尾しても受胎し なかっ た少数の 個体では 、何ら かの子宮 疾患が 推測され た。ま た、行動 観察と内 分泌学的 知 見 から ニ ホ ンジ カ の 妊 娠期 間 は224.5土3.7日 で あ るこ と が 初め て 明ら かになっ た。
2)10月4日 〜lO月27日 に 捕 殺 さ れ た9頭 の 野 生 エ ゾ シ カ の 卵 巣 を 観 察 し た 結果 、10月26 日 と27日 に 捕殺 さ れ た 個体 か ら 黄体 が 観 察され た。黄 体が観察 された2個体 とも2個の黄 体 を もっ て い た。 それら2個の 黄体は 形成時期 が異なり 、新し い黄体は 排卵後 聞もなぃ と 考 え られ た 。 ステ ロ イ ド 合成 酵 素 の免 疫 染色 により、 両方の 黄体でP450sccと3BHSD陽性 細胞が 認められ 、プログ ネノロ ンとプロ ジェス テロンを 合成し ているこ とが示唆 された。
P450c17とP450aromの局在は どちら の黄体で も認め られなか ったこと から、 妊娠中と 異を り、発 情周期中 (または 妊娠初 期)には アンド ロジェン とエス トロジェ ンの合成 が抑制さ れてい ることが 考えられ た。
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3)出 産時期の変異をもたらす生態学的要因を検討するために、個体の年齢、体重およぴ授乳状 況 が受 胎 時期 と妊 娠期 間に及ばす影響を明ら かにし、さらに受胎時期およぴ妊娠期間の変 異が出産時期の変 異に及ぼす影響を検討した。その結果、受胎時期iま非授乳個体に比べて 授 乳個 体 で遅 くな り、 また壮齢および老齢個 体に比べ若齢個体で遅れることが示された。
冬 期間 の 環境 が厳 しい 年には、妊娠期間と体 重の間に負の相関がみられた。すなわち、体 重 の軽 い 個体 は体 重の 重い個体に比べ多雪の 影響を強く受け、胎子成長率が低下すること
.が 考え ら れた 。そ のた め、体重の軽い個体は 妊娠期間を延長させることで、一定の大きさ ま で胎 子 を成 長さ せて いる可能性が推測され た。また、多雪の年には体重の軽い個体の妊 娠 期間 が 延長 する こと により妊娠期間の変異 が大きくなるため、妊娠期間の変異が出産時 期の変異に及ばす影響が高まる ことが示唆された。
4)0歳獣の生存率や成長は、個体 群動態やメスジカの繁殖成功のほか、0歳獣自身の将来の繁 殖成功にも影響を及ぼす。そこで、1998年か ら2001年に生まれたシカの体重変化を追跡し、
出 生時 期が 成長 に及 ばす 影響について明らかにした。冬期 の体重減少率には大きな個体差 が あっ たが 、出 生時 期が 体重に及ばす影響は晩冬期まで残 されていた。したがって、出生 時期の遅い個体は冬期間の死亡 率が高いと考えられた。しかし、1歳秋の体重には出生時期 の 影響 は認 めら れな かっ た。 また 、 生後1年 間以 上生 存し た個 体 は7月23日ま でに生まれ た 個体 であ った 。す なわ ち、 最初 の 冬さ え乗 り切 れば、50日程度の出生時期の変異がO歳 獣 の 成 長 、 ま た 将 来 の 繁 殖 成 功 ヘ 及 ば す 影 響 は 小 さ い こ と が 予 想 さ れ た 。
本研 究に お いて 、繁殖期初期の発情を伴わ ない排卵の存在や、繁殖期の最初の発情で受胎 す る個 体が 多 いこ とが示された。また、正確 な妊娠期間が明らかにされたこと、厳冬年に妊 娠 期間 が延 長 する 個体の存在が示唆されたこ とは、今後出産時期の変異に関わる議論の基盤 と な り 、 ニ ホ ン ジ カ の 生 活 史 戦 略 の 解 明 に 大 き く 貢 献 す る も の で あ る 。 よっ て審 査 員一 同は、上記博士論文提出者 松浦友紀子の博士論文は、北海道大学大学院獣 医 学 研 究 科 規 程 第6条 の 規 定 に よ る 本 研 究 科 の 行 う 博 士 論 文 の 審 査 等に 合格 と 認め た。