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博 士 ( 文 学 ) 田 村 一 郎 学 位 論 文 題 名

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博 士 ( 文 学 ) 田 村 一 郎

学 位 論 文 題 名

十 八 世 紀 ド イ ツ 思 想 と 秘 儀 結 社 ― カ ン ト と フ ィヒ テ の 場 合

学 位 論 文 内 容 の要 旨

〔形式〕本論文は、 「はじめに」、「序論」、「第一編」、「第二篇」、「おわりに」、「関連年 表」、「索引 (人名、「秘儀結社等」、書 名)」により構成され、A5版、縦書き、全349ぺージ で あ る 。 一 ペ ― ジ は936字 で あ り 、400字 詰 原 稿 用 紙 に 換 算 し て 約800枚 に 相 当 す る 。

〔 内 容 〕 本 論 文 に お け る 著 者 の 意 図 は 、 十 八世 紀後 半に お ける ドイ ツ思 想の 形 成に 対す る

「秘 儀結 社 」の 意義 を、 そ れに 対し て対 照的 な 立場 を取 った 二人 の 哲学 者、 すな わち代表的 な秘 儀結 社 のー つで ある 「 フリ ーメ ース ンリ ィ 」に 対し て一 定の 理 解を 示し なが らも、決し て結 社に 加 わろ うと はし な かっ たカ ント と、 死 に至 るま で真 のフ リ ーメ ース ンた ろうとした フィ ヒテ に 即し て明 らか に する こと であ る。 一 般に 、十 八世 紀後 半 のド イツ は、 「啓蒙の時 代」 「批 判 の時 代」 とみ な され るこ とが 多い が 、し かし 、啓 蒙や 自 律が 強調 され るというこ とは 、同 時 に、 その 時代 が それ ほど 自律 的で も 批判 的で もな かっ た とい うこ とを 意味する。

著者 は、 こ うし た「 感傷 の 時代 」に おい て、 当 時の ドイ ツ思 想に 対 して 無視 でき ない影響カ を持 って い たの がさ まざ ま な「 秘儀 結社 」で あ る、 と指 摘す る。 し かし 、従 来の 哲学研究に おい ては 、 この 点が 省み ら れる こと はほ とん ど なか った 。こ の間 隙 を埋 める こと によって、

ドイ ツ啓 蒙 思想 およ びド イ ツ観 念論 をよ り深 い 背景 から 理解 する こ と、 これ が本 論文におけ る著者の意図である 。

  本 論文 は 、大 きく 「序 論 」、 「第ー編」、「第 二篤」の三部に分かれる。ま ず序論において は、 十八 世 紀後 半の ドイ ツ の時 代状 況に おけ る 思想 の特 質と 、「 秘 儀結 社」 の歴 史ならびに 現状 が検 討 され 、文 化的 ・ 政治 的な 後進 地域 で あっ たド イツ にお い て自 律が 強調 されざるを えな かっ た ゆえ んが 明ら か にさ れる 。ま た著 者 は、 多く の先 行研 究 を参 照し なが ら、50ぺー ジほ どを 費 やし て、 欧米 の 「秘 儀結 社」 の歴 史 と形 態を 整理 し、 本 論文 の主 題に 係わる十八 世紀 ドイ ツ にお ける その 実 情を 詳細 に論 じて い る。 序論 のこ の部 分 は、 とり わけ まとまった

「秘 儀結 社 」研 究の 少な い 我が 国に おい ては 、 それ に対 する 貴重 な 概観 を与 えて いるものと 評価することができ る。

  第 一編 で は、 カン トと 「 秘儀 結社」、とりわけ 「フリーメースンリィ」との 思想的連関が問 われる。カントの生 地ケーニ,ヒスベルクの「ど くろと不死鳥」とい・う口 ッジには、1933年ま で百 年以 上 にわ たっ てカ ン トの 肖像 画が 掲げ ら れて いた とい う。 こ のこ とは 、カ ントが生涯 結社 には 加 わら なか った に もか かわ らず 、フ リ ーメ ース ンリ ィの 側 から はき わめ て高い評価 を受 けて い たこ とを 意味 す る。 しか し、 当時 多 くの 思想 家が フリ ー メー スン とな っていった なか で、 カ ント が結 社に 加 わら なか った には 、 それ なり の思 想的 理 由が あっ たは ずであり、

それ は「 自 律」 とい う啓 蒙 罵想 の中 心を なす 概 念に 関す る根 本的 な 理解 の相 違で あった、と 考え られ る べき であ ろう 。 こう した観点に基づい て著者は、カンl‑の著們=か ら、決して多く はない「秘儀結社」 観を取り出し、分析する。

  論 証の 詳 細は 省く が、 結 諭は こう であ る。 す なわ ち、 確か にカ ン トは 、当 時合 理的フリー メ ー ス ン の 理 論 的 拠 点 で あ っ た 『 ベ ル リ ン 月報 』に15編 も の論 文を 寄稿 し、 彼 らの 活動 に 一定 の協 カ を行 って いる 。 それ は、 「世 界公 民 性」 や「 兄弟 愛」 な どの フリ ーメ ースンリィ 思想 に対 す る共 感か らで あ った 、と 著者 は推 測 する 。し かし 、カ ン トに とっ て、 人間に対す

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る信頼の支えとなったのはあくまでも「自律性」であり、それへの導き手としての「理性」

であった。こうしたカントの哲学から見るならば、「秘儀結社」への傾斜は、「自由」と「自 律」を基にした「個」の尊厳を損ない、「直観」や「感情」にすがることで「理性」の権威 を傷っける悪しき「信仰」に他ならない。それゆえにこそ、カントは彼らに対して一定の協 カは惜しまなかったにしても、決して「結社」の一員たろうとはしなかったのである。カン トに「秘儀結社」を忌避させたもの、それは徹底した「理I阯」と「自律」の尊重であり、カ ン ト は ま さ に 「 理 性 と 自 律 の 殉 教 者 」 で あ っ た 、 と 著 者 は 結 諭 し て い る 。   もちろん、この結諭自体は目新しいものではない。レかし、その「秘儀結社」観を詳細に 分析することによって、著者は、カントの自律思想の深い背景を理解させることに成功して いる、と評価することができる。

  第二篇では、カント哲学の継承・発展を目指しながらも、カントとは異なり、生涯「真の フリーメースン」たろうとしたフィヒテと「秘儀結社」との思想的関連が問われる。フィヒ テは、早くから、人間性の完成を目指すフリーメースンリィの理想に共鳴し、無神論論争に よって大学の職を追われた一時期には、実際にべルリンの「ロイヤル・ヨーク」ロッジに加 入してもいる。人間の道徳的完成や倫理的純化は、フィヒテ哲学を貫く基本モチーフである が、彼はそれをまさにロッジに託したのである。著者はここで、従来の哲学研究においてあ まり省みられることのなかった文献を駆使して、フィヒテ哲学の発展をフリーメースンリィ 思 想 と の 連 関 に お い て 見 る と い う 視 点 を 提 示 し 、 そ れ を 論 証 し よ う と し て い る。

  もっとも、こうしたフィヒテの理想は直ちに破綻をきたすのであるが、しかし、現実の ロッジのあり方に絶望を繰り返しながらも、彼はフリーメースンリィに夢を託すことをや めなかった。著者の指摘によれば、こうしたフリーメースンリィの「理想化」には、すでに レッシングという先駆者がいた。すなわち、レッシングによれば、フリーメースンリィの思 想や理念はあくまでも「理想」にすぎない。だが、理想はたんなる夢や幻ではなく、いっか は実現されなければならない。フリーメースンリィが「人類教化のための機関」なり「人間 性育成のための学校」たる可能性を有しているならば、まして遅れたドイツにはそれ以外に その望みを託しうるものがないとするならば、この結社は理想を実現するための中核となら なければならないのである。フィヒテは、その『ドイツ国民に告ぐ』という演説から、とも すれば国粋主義的に理解されがちである。しかし、著者も指摘するように、彼が生涯真のフ リーメースンたろうとしていたとすれば、彼が目指していたものは、決して独りよがりなド イツ精神の高揚ではなく、むしろ、すぐれたドイツ文化への自負を思い起こさせることで、

人々をより豊かな「世界市民」たらしめることであった、と言うべきであろう。著者によれ ば、知識学を中心としたフィヒテ哲学にこのような広がりと深みを与えたものこそが、フマ ニテートを軸としたフリーメースンリィの精神であった。十八世紀後半の自覚的なドイツ人 にとって、フリーメースンリィ1ま「理想主義(Idealismus)」のーつの表現であり、その哲学 的な表現がフィヒテの「観念論(Idealismus)」である、というのが著者の結諭である。

  以上、ドイツ啓蒙思想とドイツ観念論を秘儀結社思想の背景のもとで理解することの重要 性を指摘し、カントとフィヒテに即してそれを具体化したことは、本論文の大きな功績と認 めることができる。

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学位論文審査の要旨

学 位 論 文 題 名

十 八世紀ド イツ思 想と秘儀 結社一カントとフィヒテの場合

  本 委 員 会 は 上 記 の 申請 論文 を審 査す るに あた り、 思想 史的 研究 とし ての 本 論文 の 性 格 に 鑑 み て く 思 想 史的 資料 の取 り扱 いと その 分析 、お よび 哲学 研究 に対 す る貢 献 と い う 点 に 焦 点 を 当 てて 検討 する こと にし た。 すな わち 、思 想史 的資 料の 取 り扱 い と 分 析 に 関 し て は 、 各章 ごと に使 用さ れて いる 資料 が適 切で ある か否 か、 新 たな 研 究 資 料 を ど れ ほ ど 発 掘し 、そ れを どの よう に分 析し てい るか が検 討課 題と な り、 そ の 哲 学 研 究 に 対 す る 貢献 に関 して は、 本論 文が 従来 のド イツ 啓蒙 思想 やド イ ツ観 念 論 研 究 に ど の よ う な 寄与 をな しう るか が問 題と なる 。以 下、 それ らの 検討 結 果と 委 員会の評価を、 .要点を絞って説明する。

  まず 、思 想史 的資 料の 取り 扱 いと その 分析 であるが、十八世紀ド イソの思想状況一 般 と 秘 儀 結 社 と の 連 関を 論じ た序 論で は、 従来 哲学 研究 者の 問で はほ とん ど 知ら れ ていなかった資 料が数多く使用されている。一例を挙げれば、 Freeina.sonry. Early Sources on Microfiche. 1717〜1879. From the Grancl Lodge Library in The Hague は 、著 者が 長年 かけ て入 手し た もの であ り、 あるいは「ドイソ゜フ リーメースンリィ 博物館」の文献 目録 Deutsche Freimaurer Bibliothek などは、著者 自ら発掘したも の と 言 っ て よ い で あ ろう 。ま た著 者は 、序 論に おい て、 哲学 研究 書の みな ら ず、 歴 史 学 や 文 化 人 類 学 な どの 研究 成果 を活 用す るこ とに よっ て、 十八 世紀 に至 る まで の 秘 儀 結 社 の 歴 史 と 形 態を 概観 し、 当時 のド イツ 思想 との 連関 を追 跡し てい る 。こ れ は 、 と り わ け ま と ま った 秘儀 結社 研究 の少 ない 我が 国に おい ては 、貴 重な 研 究成 果 で あ る と 評 価 す る こ とが でき る。 さら に、 第一 編と 第二 篇で は、 カン 卜と フ ィヒ テ と い う 二 人 の 哲 学 者 と秘 儀結 社の 思想 的連 関が 論じ られ るが 、こ こで も著 者 は、 従 来 の 哲 学 研 究 に お い ては ほと んど 注目 され るこ との なか った 諸論 考を 取り 上 げ、 そ れ を 丹 念 に 読 解 す る こと によ って 、彼 らの 秘儀 結社 観を 明ら かに する こと に 成功 し て い る 。 し か も そ こ では 、現 代の 哲学 研究 では もは や独 立し て諭 じら れる こ との な い 群 小 の 哲 学 者 た ち につ いて も手 際よ くま とめ られ てお り、 これ は著 者の 思 想史 研 究家としての堅 実な手腕を示すものである。

  次に 、本 論文 が哲 学研 究に 対 して どの よう な貢献をなしうるかと いう点であるが、

英 彦

三 郎

亨 孝

貞 次

授 授

授 授

   

   

教 教

教 助

査 査

査 査

主 副

副 副

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著 者 は ま ず 、 十 八 世紀 ドイ ツの 思想 状況 にお い て秘 儀結 社が 持っ てい た意 義に 注目 す べ き で あ る と 主 張す る。 当時 の有 カな 思想 家 たち の多 くは フリ ーメ ース ンリ ィに 属 し て い た か ら で あり 、ま た時 代が 非自 律的 で あっ たか らこ そ、 自律 や啓 蒙が 強調 さ れ ざ る を え な か った のだ から であ る。 それ で は、 なぜ カン トは 当時 の思 想界 にお い て ほ と ん ど 唯 一 フリ ーメ ース ンリ ィに 加入 し なか った のか 。た んに 啓蒙 や自 律を 重 視 し た か ら と い うだ けで は答 えに はな らな い 。な ぜな ら、 フリ ーメ ース ンリ ィは 当 時 の ド イ ツ に お いて 啓蒙 運動 の中 心的 な担 い 手だ った から であ り、 しか もフ リー メースンリィの側では、カントを自陣営の一員とさえみ なしていたのである。「自律」

と ぃ う 啓 蒙 思 想 の 中心 をな す概 念に 関し て、 両 者の 間に はど のよ うな 理解 の相 違が あっ たの か。 著者 はこ の問 いに 対し て、 理性 と感 性、個人と集団というニつの対 概念 を 軸 に し て 、 カ ン トと フリ ーメ ース ンリ ィの 位 置を 確定 する こと によ って 、答 えよ う と す る 。 こ れ は 、カ ント の自 律思 想を 、当 時 の思 想状 況の 中で 浮き 彫り にす る試 みで ある 。ま たフ ィヒ テに 関し て言 えば 、彼 はカ ント哲学の継承・発展を目指し なが らも 、フ リー メー スン リィ に対 して は対 照的 な立 場をとった。では、なぜフィヒ テは 生 涯 真 の フ リ ー メ ース ンた ろう とし たの か。 こ の問 いに 対し ても 著者 は、 フィ ヒテ 哲 学 の 研 究 に お い てほ とん ど省 みら れる こと の ない 著作 を手 がか りに して 、フ リー メ ー ス ン リ ィ ヘ の 傾斜 をフ ィヒ テ哲 学内 部の 発 展と いう 視点 から 分析 して いる 。著 者は 、レ ッシ ング を先 駆者 とす るド イツ 理想 主義 の展開過程にフィヒテを位置づ け、

そ の 解 明 を 図 っ て いる が、 当時 のド イツ 人に と って フリ ーメ ース ンリ ィは 理想 主義 (Idealismus)のーつの表現であり、その哲学的表現がフィヒテの観念論(I(lealislnus) で あ る と い う 著 者 の指 摘は 、ド イツ 観念 論研 究 に新 たな 祝点 を導 入し たも のと 評価 することができる。

  以 上 、 本 論 文 は 、十 八世 紀ド イツ 思想 を秘 儀 結社 との 連関 にお いて 論じ たも のと し て 、 我 が 国 に お いて 唯一 のま とま った 研究 で あり 、ド イツ 啓蒙 思想 やド イツ 観念 論 を 、 そ れ 自 体 合 理性 と非 合理 性の 間で 揺れ 動 いて いた 秘儀 結社 思想 の背 景の もと で理 解す るこ との 重要 性を 指摘 した ことfま、 思想 史研 究に 新た な考 察の 視点を 導入 したものとして、高く評価することができる。

参照

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