広帯域音源を用いた海中での高速ディジタルデータ伝送 に関する研究
越智 寛
電気通信大学
2009 年 3 月
広帯域音源を用いた海中での高速ディジタル データ伝送に関する研究
越智 寛
電気通信大学大学院電気通信学研究科 博士(工学)の学位申請論文
2009 年 3 月
広帯域音源を用いた海中での高速ディジタル データ伝送に関する研究
博士論文審査委員会
主査 鎌倉 友男 教授
委員 早川 正士 教授
委員 橋本 猛 教授
委員 田中 久陽 准教授
委員 三橋 渉 教授
著作権所有者 越智 寛
2009
Research on Underwater High-Speed Acoustic Transmission of Digital Data Using Wideband Transducers
Hiroshi Ochi Abstract
To advance basic and applied research in the deep sea where human access is
difficult, studies were made on reliable techniques for underwater transmission of
digital data by means of wideband ultrasound transducers. Several transducers with
multiple resonance frequencies in the wideband were developed to transmit acoustic
data at high speeds. In particular, a tilted toroidal-beam wideband transducer was
designed on the basis of the free-flooded ring method. This transducer has a 40 kHz
bandwidth that corresponds to 50% of its central frequency. Linear and nonlinear
adaptive equalizers were designed to reduce multipath effects, and these were used to
process acoustic waves propagated through the sea. The transducer and adaptive
equalizers were successfully incorporated in a transmitter-and-receiver system. Finally,
experiments carried out at 20 kHz with a 16-quadrature amplitude modulation scheme
showed that it is possible to transmit data from a vehicle and from moored sensors in the
deep sea to a surface ship at a rate of 32 kbps. Almost identical transmission
experiments were performed over a range of about 500 m using a quadrature phase-shift
keying modulation scheme with a transmission rate of 80 kbps and a transducer of
central frequency 80 kHz to control a remotely operated unmanned vehicle. These
short-range transmission experiments showed that error-free communication is possible
over a range of 570 m in seas approximately 1,000 m deep. Furthermore, a practical
acoustic data transmission system was developed and fitted to the autonomous
underwater vehicle Urashima; this system permits color images to be transmitted to a
mother vessel at a rate of 32 kbps over a range of more than 4,000 m.
越智 寛
概 要
地球表面の 7 割を占める海洋の存在は,地球環境に大きな影響を与えている。
しかしながら,海洋内部の研究は高圧力と電磁波が通らないことから,人類が 簡単にアクセスすることが許されず,未だ未知の部分も大きい。そのため,様々 な観測機器を設置することや,有人,無人の潜水調査船による観察等が精力的 に行われているが,効率的な調査研究を進めることが難しい。そこで,リアル タイムでデータを取得するための無線通信手段として音波を用いたデータ通信 の研究が進められている。
我々は,特にアクセスが困難な深海域において調査研究を効率的に進めるため の手段として,音響による高速ディジタルデータ伝送の実現に向けた,実験的 研究を行った。
水中の音波の伝搬特性の1つとして,伝搬する距離に応じて拡散していく拡散 減衰の他に,水の粘性と熱伝導による古典的効果と媒質中の分子の振る舞いに 伴う非古典的効果からなる吸収減衰がある。すなわち,水中を伝搬することで 音波が広がっていくこと以外にも減衰を受けるということである。吸収減衰量 は,周波数により異なり,高い周波数ほど,減衰量も大きくなる。従って,高 い周波数ほど,伝搬距離が短くなると言える。この吸収減衰量は,様々な研究 により,実験式或いは経験式が提案されているが,未だ統一されていない。本 研究の後半で述べる研究に用いた 80 kHz 帯の周波数では,各式により求められ た吸収減衰係数の差が大きいので,この計測を試みた。深度約 1,000 m の海中 において, 50 ~ 110 kHz の周波数の吸収減衰係数を計測した。その結果,
Francois-Garrison の式として知られるものに最も近い結果が得られた。また,こ
の帯域内において 10 dB/km 程度の吸収減衰係数の偏差が生じることも計測で きたので,広帯域システムを構築する際は,帯域内偏差も考慮する必要がある ことが分かった。本研究において,広帯域とは,中心周波数の 40 %以上の帯域 幅を有するものとする。
高速音響通信システムを構築するためには,広帯域の送波器が必要となるが,
一般に振動の Q 値が大きく,帯域を広く取ることが難しい。我々は,中心周波
数 20 kHz に対して,帯域幅 8 kHz の送受波器を開発した。また,中心周波数 80
kHz に対して帯域幅 40 kHz の送波器を開発した。 整合層を設ける, フリーフラッ ドリング方式を用いるなどの方式により,複数の共振周波数を持たせて帯域を 広くすることを実現した。中心周波数に対して,それぞれ, 40% 及び 50% の帯域 を有する。
深海域における高速音響通信の実現に向けて,マルチパスの影響を低減するた め,シングルチャンネル適応等化器,及び多チャンネル判定帰還型適応等化器
( DFE : Adaptive decision feedback equalizer )を構成し,実際の通信路を伝搬した 信号に適用した。シングルチャンネル適応等化器と 20 kHz 帯コニカルビーム送 受波器を用いて,鉛直方向の伝搬実験を実施し,距離 900 m において, 16QAM 変調方式を用いて, 32 kbps の速度で通信が可能であることを検証した。また,
マルチチャンネル DFE を用いて海底付近,水平方向の伝搬実験を実施し,距離
1,500 m において, 16QAM 変調方式を用いて, 32 kbps の速度で通信が可能であ
ることを検証した。つまり,海底付近で音波を伝搬させることにより,直接波 に比して比較的大きなレベルの遅延波が混入する状況を作り,マルチチャンネ ル DFE により,遅延波の影響を除去することができることを示した。
さらに,無人探査機の遠隔制御等に適用することを目的に,高速通信を行うた めの研究を行った。伝搬距離が長くなり,伝搬遅延が大きくなると,制御が困 難になるため,往復の遅延時間を 1 秒以内にすることとし,通信距離を 500 m 程度と設定した。この程度の距離であれば,吸収減衰の影響を考慮しても,中 心周波数を 80 kHz 程度まで高くすることが可能である。そのため,中心周波数
80 kHz において,広帯域の送波器を開発(帯域 40 kHz)し,これを用いて深度
約 1,000 m 付近で通信実験を実施した。受信機は, 4 個の無指向性ハイドロフォ
た。さらに, 8PSK 変調方式では,距離 300 m までエラーフリーの通信が可能で あることも併せて示した。
上述のような実験的研究の結果をもとに,シングルチャンネル適応等化器を
用いた中心周波数 20 kHz ,帯域 8 kHz の構成は,実用機として開発を行い,そ
の装置は,巡航型自律無人探査機「うらしま」に搭載された。現在,運用中で
あり,最大深度 3,500 m から水上の母船に対して, 32 kbps の速度でカラー静止
画像を伝送可能である。
- i -
目 次
第1章 緒論
1.1.
研究の背景 --- 11.2.
深海域における音響通信 --- 61.3.
研究の目的 --- 71.4.
研究の概要および構成 --- 7第2章 通信路特性 2.1.
はじめに --- 92.2.
海中の音響システムの概念 --- 92.2.1.
波動方程式 --- 92.2.2.
音響システム設計の基本式 (ソーナー方程式) --- 122.3.
海中の音速 --- 132.3.1.
音速の算出 --- 142.3.2.
音速プロファイルの音波の進行方向への影響 --- 152.4.
海中の音波の減衰 --- 182.4.1.
拡散損失 --- 182.4.2.
吸収損失 --- 182.4.3.
吸収損失の計測 --- 222.5.
マルチパス --- 252.6.
ドップラシフト --- 252.7.
まとめ --- 26第3章 ディジタル通信方式 3.1.
はじめに --- 273.2. FSK変調方式 --- 27
3.3. PSK及びQAM変調方式 --- 28
3.4.
適応等化による最適化 --- 303.4.1.
線形適応等化 --- 303.4.2.
非線形適応等化 --- 313.4.3.
位相補償 --- 343.5.
まとめ --- 34第4章 広帯域送受波器 4.1.
はじめに --- 354.2. 20kHz帯用送受波器--- 35
4.2.1.
水平方向通信用送受波器 --- 36- ii -
4.5.
まとめ --- 60第 5 章 20kHz 帯を用いた通信実験 5.1.
はじめに --- 615.2. FSKによる通信実験 --- 61
5.2.1.
パケット通信プロトコル--- 635.2.2.
通信システム--- 635.2.3.
実海域実験 --- 665.3. PSK,QAMによる通信実験 --- 69
5.3.1.
鉛直方向通信実験 --- 695.3.2.
海底付近水平方向通信実験 --- 745.4.
まとめ --- 83第 6 章 80kHz 帯を用いた通信実験 6.1.
はじめに --- 846.2. 80kHz帯鉛直方向通信実験 --- 85
6.2.1.
装置と実験の概要 --- 856.2.2.
実験結果 --- 876.3. 80kHz帯斜め方向通信実験 --- 93
6.4.
まとめ --- 109第7章 実用化システムの概要 7.1.
はじめに --- 1117.2. AUV「うらしま」 --- 111
7.3. AUV用音響データ伝送システム --- 116
7.3.1.
送受波器 --- 1177.3.2.
アップリンクのデータフォーマット --- 1197.3.3.
画像データ --- 1197.3.4.
システム構成--- 1207.3.5.
試験結果 --- 1227.4.
まとめ --- 123第8章 結論 8.1.
まとめ --- 1268.2.
今後の課題 --- 128- iii -
謝辞 --- 130
参考文献 --- 131
1.1. 研究の背景
海水中では電磁波は減衰が激しいため,海中でのセンシングや通信等にはほとんどの場合,音 波が用いられている。海水中の電磁波と音波の吸収減衰の波長に対する特性をFig.1-1に示す。
海水中における音波の使用周波数帯域は,数Hzから数MHz程度である。その範囲において,図 より明らかなように電磁波の減衰量が大きいことが分かる。例外的に可視光の領域で電磁波の減 衰は非常に小さくなっているが,この領域は,海水中の懸濁物による散乱が大きいため,安定した 伝搬が確保できないという問題がある。一般的に,可視光が透過する距離は数十mと言われている。
マリンスノーが多い海域や泥などが撒き上がっている海底付近等では視界が悪くなるということから も理解できると思われる。
音波といえども,周波数が高くなるにつれて吸収減衰は大きくなる。したがって,特にセンサとし て用いる場合には,周波数が高い,すなわち波長の短いほうが,分解能が上がるので好ましい。し かし,伝搬距離が必要なアプリケーションに対しては,信号の受信レベルを確保するために,低い 周波数を用いる必要がある。Fig.1-2に,音波を用いた主なアプリケーションごとに,その一般的な 利用周波数帯域を示した。流速計(Current meter) やプランクトンの計測(Plankton measurement)
など,小さな物体をターゲットとするアプリケーションにおいては,波長が短い必要があるため,百 kHz程度から数MHzという高い周波数を用いる。この場合は,受信信号の所要レベルにより観測距 離が制限される。また,海洋音響トモグラフィー(Ocean acoustic tomography)のような,数百kmから 数千kmの距離を伝搬した音波を用いて非常に広範囲を一度に調査するようなアプリケーションで
Underwater acoustic wave
Visible light
X-rays
Ultraviolet Infrared rays
rays Microwave Electromagnetic wave
Frequency [Hz]
1 m wavelength of electromagnetic wave 1 m wavelength of
underwater acoustic wave
Absorption coefficient [dB/m]
Fig.1-1 Absorption loss in wave length characteristics.[1]
- 2 -
は,その長大な距離を伝搬した音波を検出するため,吸収減衰量の少ない数百Hzという低い周波 数を用いて受信信号レベルを確保するのである。
海洋中を探査する方法として,水上の船舶から音波を発して,測深,魚群探知,位置計測,海水 の流向流速計測等が行われている。その他に,有人の潜水船で潜航して肉眼による海中,海底観 察や,無人の探査機による探査,海底或いは中層に長期間係留する観測機器を設置しての定点 観測等も行われている。有人の潜水船は,パイロットが乗船して操船することから,安全のために,
ケーブルは繋がず独立に航行ができるようになっている。このとき,潜水船と水上の船舶とは,何ら かの通信手段を確保するために音波が用いられている。最も強力な通信手段は,水中通話機[2]と 呼ばれる音声通信機で,救難を考慮して軍事用の潜水艦も含めたすべての潜水船で共通の周波 数及び変調方式が用いられている。水中通話機での通話は,残響が大きいことから,一語一語区 切って明瞭に話さなければ非常に聞き取りにくいものである。したがって,通話によるデータ量は 極めて限られたものとなる。また,調査用の深海潜水船は,耐水圧を確保するために人間が乗る空 間が小さく,現在世界で運用されているほぼすべての調査用深海潜水船で乗員は3名に制限され る。特に日本の潜水船は,運航上の規定から,3名のうち,パイロット,コパイロット各1名の乗船が
0.01Hz 0.1Hz 1Hz 10Hz 100Hz 1kHz 10kHz 100kHz 1MHz 10MHz 100MHz
Frequency
100km 10km 1km 100m 10m 1m 10cm 1cm 1mm 100mm
Wavelength
Side scan SONAR Acoustic imaging, plankton measurement SV-meter, current meter, tide meter
Echo sounder
Sub bottom profiler Fish finder
Acoustic communication Acoustic navigation, acoustic positioning
Active SONAR for military Ocean acoustic tomography
Passive SONAR for military Refraction profiling
Seismic measurement
Fig.1-2 Ordinary frequency-bands in applications. [1]
ら,音波で潜水船から船上の母船に画像を伝送し,母船上の多数の研究者が,ほぼリアルタイム で海底の状況を共有し,調査の効率を上げたいという要求が出てきた。これらを踏まえて,独立行 政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC: Japan Agency for Marine-Earth Technology,当時は,海洋 科学技術センター)では,約 8 秒に 1 枚の割合でカラー静止画像を伝送するシステムを1992年 に開発した[3-5]。当時,カラー画像の伝送ができる唯一のディジタル音響通信装置であった。本装 置は,中心周波数: 20 kHz,変調方式:4値位相遷移変調(QPSK: Quadrature phase shift keying),
伝送速度: 16 kbps (Bit per second),伝送距離:最大 7,000 mという仕様で,海中に潜航した「し んかい6500」から海上の母船「よこすか」に向けてカラー静止画像を伝送するものである。その後,
様々な局面で観測データや画像を音波で伝送したいというニーズが次々に発生し,高速ディジタ ルデータ伝送の研究が広がっていった。
音響通信の定義は様々で,音波を送受信するものはすべて通信であるという場合もある。本研 究においては,ディジタル信号を用いて,観測データや画像データを伝送することを対象とする。
本研究で扱わない音響信号伝送の例として,水中通話機,音響切離し装置等が挙げられる[2]。水 中通話機は,ダイバー間,あるいはダイバーと水上船舶との間の音声通信を行うものである。また,
潜水艦同士,あるいは潜水艦と水上艦との音声通信を行うものも水中通話機と呼ばれる。音響切 離し装置は,海中に設置する係留系を回収するための装置で,音響コマンドによりシンカーを切り 離し,係留系の持つ浮力を用いて,浮上させ回収するものである。
また利用する周波数帯も通信を行う距離により様々である。これは2章で述べるように,海水は音 波の振動を,その粘性により熱に変えることによって減衰させる性質がある。これを吸収損失という が,この損失量が周波数により異なるからである。周波数が高いほど損失量が大きいので,一般的 には,通信経路が長距離であるほど低い周波数を選定することになる。例えば,数百kmを対象とし たものでは数百Hzという周波数が用いられるし,数mを対象としたものでは数MHzという周波数が 用いられる。本研究においては,数千mの距離の通信を対象として 20 kHzを用い,数百mの距離 の通信を対象として 80 kHzを用いた。
海洋音響ディジタル通信の歴史的背景について述べる。水中通話機や音響切離し装置を除くと,
世界的にも最も初期の音響ディジタル通信の研究として,1989年に発表された沖電気のKaya et al.[6]が行ったものがあげられる。これは,岸壁において鋭い指向性を持った送受信機を対向させて 固定し,高速にデータを伝送するものである。機械的に送受波器を対向させなければならず,伝
送距離も 60 mと短いが,伝送速度 500 kbpsという速度は,いまだに最高速のものである。その後,
JAMSTEC,フランスの国立海洋開発研究所(IFREMER: Institut français de recherche pour l’explolation de la mer)で有人潜水調査船から水上の母船に向け,画像を伝送する装置が開発さ
- 4 -
れた[3-5,7]。JAMSTECの画像伝送装置は,離散コサイン変換(DCT: Discrete cosine transform)によ
る画像圧縮を行ってデータ量を小さくすることと,適応等化器を用いることによって,カラーの静止 画像を 8 秒に 1 枚の割合で伝送することができる画期的なものであった。これを契機に,様々な システムの研究・開発が活発になっていった[8-10]。音響通信の研究開発は,係留系に取り付けたセ ンサのデータをリアルタイムに伝送することや潜水調査船との通信など,大洋における通信が主眼 であったが,近年は浅海域での横方向の音響通信についての研究開発も盛んに行われている。
1990年代は,10 kbps~ 20 kbps程度を高速と称していた。これは,前述したように大洋における通 信や浅海域での横方向の通信をターゲットとしており,通信距離数千m以上を目標とし,キャリヤ周 波数として数kHz~数十kHzを用いていたためである。このため,送波器を工夫することによりキャリ ヤ周波数の 40 %の帯域を確保しても,本研究の成果の一つである,16値直交位相振幅変調
(16QAM: 16 quadrature amplitude modulation)を用いて 32 kbpsの伝送速度を持つ,自律型巡航 探査機「うらしま」に搭載された音響画像伝送装置が実用化された最速のものであった。近年は,
無人探査機の制御などを目的としてより近距離(500 m程度をターゲットとしている)において,より 高速の通信を行う研究も,本研究の他に,米国のウッズホール海洋研究所(WHOI: Woods Hole Oceanographic Institution)などで行われている[11,12]。また,もう一つの方向として,浅海域をター
Fig.1-3. Performances of underwater acoustic communication systems.
0 20 40 60 80 100 120 140
0 2 4 6 8 10
Data Rate (kbps)
Range (km)
15 kbps, 3 km [19] 16kbps, 6.5km [4]
150 kbps, 10 m [11]
Range x Rate = 40km・kbps 500 kbps, 60 m [6]
128 kbps, 30 m [12]
同して行ったACME(Acoustic communication network for monitoring of underwater environments coastal area)プロジェクト(2001~2003年)がある。これは,欧州の運河など,交通の要衝において,
常に水深をモニタし,音響リンクで陸上に伝送することにより,大型船舶の運航の安全に寄与しよう というものである。浅海域の非常に複雑な通信路において通信を確保しようというものである。多 チャンネルアレイとQPSK変調,Reed Solomon符号を用いたシステムでフィールドテストを行ってい る[13]。これまでに報告があった主な音響通信装置の性能をFig.1-1に示した。黒の実線は,km単位 のレンジとkbps単位の通信速度を掛け合わせたものが40になるラインである。これまでのものを並 べてみると,このラインの下側に来るものがほとんどである。また,Table1-1に,世界の主な水中音 響通信システムについてまとめた。
Table 1-1 Underwater acoustic communication systems.
Developed by Application Operation range Modulation ISI
compensation Band Data rate Oki Elec. Ind. Corp.
(1989)[6]
Robot comm./contr.
Very short
(60m), shallow 16-QAM LE (LMS) 1MHz 500kbps
JAMSTEC
(1990)[3-5] Image tx. Vertical
(6,500m) 4-DPSK LE (LMS) 20kHz 16kbps
IFREMER/ORCA (France)(1991)[7]
Image and data tx.
Vertical
(2,000m) 2-DPSK Non 53kHz 19.2kbps
ENST-Br/IFREMER (France)(1994)[8]
Digital
speech tx. Test pool 4-DPSK DFE (LMS) Not reported 6kbps Micrilor
(USA)(1992)[14] Telemetry Medium(1km)
shallow 2-DPSK DS-SS 30kHz/100kHz 625bps
WHOI/Datasonics
(USA)(1993)[15-17] Telemetry Vertical and
horizontal MFSK Non 15kHz 100-
2,400bps WHOI
(USA)(1994)[18] Telemetry Under ice, shallow QPSK DFE (RLS) 15kHz 5kbps WHOI(USA)
(2000)[19] Telemetry Vertical(3,000m) BPSK, 4-PSK, 8-PSK
DFE (LMS,
RLS) 15kHz 15kbps
LinkQquest
(USA)[20] Telemetry
Vertical or horizontal (1,000m)
Spread
Spectrum Non 71.4kHz 19.2kbps
EvoLogics
(Germany) (2007)[21] Telemetry Horizontal(1,000m) PSK-modulated Sweep-spread
carrier
Unkown 63kHz 28kbps
JAMSTEC
(1999)[22] Data tx. Vertical(4,000m) Horizontal(1,500m)
Acoustic relay
FSK Non 20kHz 2,500bps
JAMSTEC (2001)[23]
Image and data tx.
Data tx. Vertical(4000m)
16QAM MSK
LE (LMS) Non
20kHz 9.5kHz
32kbps 2,400bps JAMSTEC
(2003)[24]
Image and data tx.
Horizontal, near
bottom (1,500m) QPSK, 16QAM DFE (LMS) 20kHz 16kbps 32kbps JAMSTEC
(2004)[25]
Image and
data tx. Vertical(200m) 32QAM DFE (LMS) 80kHz 100kbps JAMSTEC
(2007)[26] Image and data tx.
Horizontal, near bottom (570m)
(300m)
QPSK 8PSK
DFE (LMS) 80kHz 80kbps
120kbps
- 6 -
1.2. 深海域における音響通信
千mを超える深海域は,人類にとって未だ未知の領域であり,現在でも新種の生物や,有用微 生物の発見が相次いでいる。また,地球温暖化の問題にとって,比熱の大きな海洋の関与は大き いと言われている。しかしながら,高い水圧と光の届かないことから,広大な海洋に対して,現在で も点での観測が中心になっている。そこで,我々は,深海域での音響通信技術について研究し,
音響によるデータリンクが,このような点の観測を少しでも効率化することを目的としている。
深海域から,水上の研究者或いはオペレータに情報を伝送するために,二つの考え方がある。
一つには,大深度から直接水上船舶にデータを伝送するという考え方である。 3,000 ~ 7,000 m程度の深度から水上船舶に向けて音波を送波し,水上船舶で受波する。数千mの距離を伝搬す る場合,海水から受ける吸収減衰の影響を十分に考慮しなければならない。吸収減衰は周波数が 高くなるほど大きくなるため,ある程度低い周波数(30 kHz程度以下)を使用する必要がある。この ため,利用できる周波数帯域は数kHz程度に制限されるので,その中で効率的にデータを送るた めの工夫が必要となる。これに加えて,マルチパス,ドップラ,周囲雑音などに対処するための工 夫も必要となる。
二つ目には,対象とする水中機器の近傍(数百mの距離)まで水上船舶から基地局を吊り降ろし,
この基地局と水中機器との間で音波によりデータを伝送し,基地局と水上船舶間は有線でデータ を伝送するという考え 方である。例え ば,水中機器が無人探査機(ROV: Remotely operated
vehicle) であった場合,現状ではROVは有線で水上船舶と直接繋がっているため,そのケーブル
による拘束を大きく受ける。これはROVの機動性を大きく損なうものであり,フレキシブルでROVに できるだけ力をかけないようなケーブルの開発は現在も進められている。しかしながら,数百mで あっても,直接にROVと繋がらなくて良いことになれば,この問題は解決することになる。近距離に なれば,吸収減衰が与える影響が小さくなることから,キャリヤ周波数を高くすることができることに なり,利用可能な帯域幅を広くする可能性がある。更に,音響でROVを制御しようとする場合,音 速が遅いことから伝搬遅延の問題が生ずるが,伝搬距離を数百mに制限すれば,この伝搬遅延は 数百msに抑えることが可能となるので制御用途にも十分に利用可能となる。また,例えば,海底に 設置した地震計等大容量のデータを記録する観測機器との通信を考えた場合,通常は 1 年~
数年海底に設置してデータを記録し,回収後にそのデータを解析するということを行っているが,
音響通信と海面ブイ・衛星通信とを組み合わせることにより,イベントが発生した場合に直ちにデー タを陸上へ伝送・解析することが可能となる。係留する海面ブイの基部に地震計を取り付ければ有 線で確実に伝送ができるということも言えるが,この場合には,地震計にブイの振動が伝わり,微小 振動を計測する地震計にとっては問題となるので,ブイと離して地震計を設置し,その間を無線で データ伝送することが必要となる。ROVから伝送する画像や,地震データ等は,データ量が非常に
これらの条件に合わせて,高速水中音響データ通信を実現することを研究の目的とした。本研究 においては,海底付近で活動する無人探査機から水上船舶へのデータ伝送や,海中でのネット ワークの構築など,数千mの伝送距離をとする通信に 20 kHzを中心周波数とする帯域を使用し,
500 m程度をターゲットとする通信に 80 kHzないし 100 kHzを中心周波数とする帯域を使用した。
また,通信範囲としては,鉛直方向に 10 km以下,水平方向の場合でも数km以下の範囲とした。
1.4. 研究の概要および構成
以上述べたような目的に対し,本研究では,音響によるディジタル通信を実現するための手法に ついて,海域実験を中心に研究を行った。以下にその構成について述べる。
第2章では,音波伝搬の媒体である海洋についてその伝搬特性をまとめ,通信を行うにあたって の問題点を抽出する。特に,海水による音波の吸収減衰については,実海域において計測を実施 した結果について併せて述べる。
第3章では,ディジタル変復調方式について整理し,特に本研究で用いたマルチチャンネル判 定帰還型等化器(DFE: Decision feedback equalizer)についてまとめる。
第4章では,海中へ音波を放射し,また海中を伝搬してきた音波を検出するための,送波器およ び受波器について述べる。海水とのインターフェースである送波器および受波器の性能が通信シ ステム全体の性能に大きく影響する。本研究で開発した,20 kHzを中心周波数とするコニカルビー ムパターンの広帯域送波器,80 kHzを中心周波数とするビーム軸を傾けたトロイダルビームパター ンの広帯域送波器について述べる。
第5章では,20 kHz帯の周波数を用いて,伝搬距離 1 km~数kmの通信について海域実験を 通して検証した結果について述べる。一つ目は,FSKを用いた半二重通信方式のデータ通信装 置について述べる。これは通信プロトコルに,ハイレベルデータリンク制御手順(HDLC: High-level data link control procedure)を用いたもので,中継伝送が可能であり,海中のネットワーク構築の1 方式を示した。二つ目は,第7章で述べる巡航型自立無人探査機「うらしま」に搭載された画像伝 送装置の開発のための通信実験について述べる。最後に,マルチパス対策を検討するために,海 底付近の水平方向伝搬実験について述べる。大きな海底反射波を取り込むことにより,マルチパ スに対するマルチチャンネルDFEの効果を検証した。
第6章では,更に高速の通信を行うため,数百mという距離の通信について 80 kHz帯を用いた 海域実験を行い,500 mの距離で 80 kbps,300 mの距離で 120 kbpsの速度で通信が可能である ことを示した。特に,第4章で述べた,ビーム軸を傾けたトロイダルビームパターンを持つ送波器を
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用いることによって達成した,広帯域通信の結果について述べる。
第7章では,実用機として開発した装置として,巡航型自律無人探査機「うらしま」に搭載され,現 在運用中の 20 kHzを中心周波数とした画像伝送装置について述べる。
最後に,第8章において,本研究で得られた成果と残された課題,および今後の研究の展望に ついての総括を行う。
2.1. はじめに
海水中の音速は,一般に 1,500 m/sが代表的な値であるとして,簡易的な伝搬時間の計算など が行われる。これは,空気中の代表的な音速 340 m/sに対して,約4.5倍の速度である。しかしな がら電磁波の速度 300,000 km/sと比較すると,水中の音速は約20万分の1であり,通信に使用 する媒体として非常に遅いものである。
海洋中では,場所,季節,深さ等によって,海水の温度,圧力,塩分濃度が異なることにより,音 波の伝搬速度は異なったものとなる。簡易的な伝搬時間の計算などには, 1,500 m/s を海水中の 音速の代表値として用いられるが,例えば測深を行う場合には,投棄式水深水温計(XBT:
Expendable bathythermograph)などを用いて,測深を行う海域の水温プロファイルを計測し,ここか
ら当該海域の平均音速を算出し,1,500 m/s の代わりにこれを用いることによって精度を上げること が行われる。さらに,遠距離水平方向の伝搬になると,音速が深度及び場所により異なることに起 因する音線の曲がりも考慮しなければならなくなる。
海洋中における音響通信において,背景雑音,機器が発する雑音以外に,通信に影響を及ぼ す外乱として,マルチパス及びドップラシフトがあげられる。また,送受波器の設計あるいは選定に 必要な数値として,海洋中を音波が伝搬することにより生じる音響エネルギの減衰がある。これに は,距離に伴ってエネルギが拡散していく拡散減衰と,海水の粘性や熱伝導により音響エネルギ が熱エネルギ等の別のエネルギに変換されることに伴う吸収減衰がある。
本章では,これら海中通信路の特性について,音波伝搬の基本式である波動方程式について 述べ,音響システム設計の基本式であるソーナー(SONAR: Sound navigation and ranging)方程式 を紹介し,音速プロファイル,音波の減衰,マルチパス,ドップラシフトの順で述べる。また,節2.4.3 では,80 kHz 周辺の吸収損失について実海域で計測を行ったので,この結果についても併せて 述べる。
2.2. 海中の音響システムの概念
海中で,音波を用いた通信システムを構築するにあたり,その前提となる要素について記述 する。まず,音波の伝搬を支配する波動方程式について整理し,次に音響システムを設計す るにあたって,最も基本となる式であるSONAR方程式について整理する。
2.2.1. 波動方程式
音速
c
0で伝搬する音圧の時間・空間的変化を制御する式,すなわち波動現象の秩序を支- 10 -
配する方程式を波動方程式[1]と呼ぶ。これは,連続方程式,運動方程式,状態方程式から求 められる。
圧力変化に伴う単位体積中での密度の時間変化率は,その単位体積に流入流出する質量 の流れ,すなわち流量密度と平衡しなければならない。これが質量保存の法則であり,そ れを表す方程式を連続方程式という。u, v, wをそれぞれx, y, z方向の流入流出の粒子速度と すると,連続方程式は,
( ) ( ) ( )
z w y
v x
u
t ¶
- ¶
¶ - ¶
¶ - ¶
¶ =
¶ r r r r
(2-1)
と表わされる。ここでr は密度である。左辺が密度の時間変化率で,右辺が各方向成分の流 量である。粒子速度を速度ベクトル
v ( u , v , w )
で表すと,式(2-1)は,
( )
v tr
r
=-div¶
¶ (2-2)
と表わされる。すなわち,流量密度は流量ベクトル
r v
のダイバージェンスで与えられ,密 度の時間変化率と平衡している。流体は連続媒体であるが,微小部分の運動はニュートンの法則に従う。ニュートンの運 動方程式は
a
m
F =
(2-3)と表わされ,質量mは,力
F
が加わった時に加速度
a
で加速される。ここで,単位体積当 たりの力Fは,圧力pの勾配により与えられ,z i p y i p x i p
F
x y z¶ - ¶
¶ - ¶
¶ - ¶
=
(2-4)となる。ここで,ix
,iy
,
i
zはそれぞれx,y,z方向の単位ベクトルである。粒子速度を用 いると,加速度aは,
t v t w t v t u
¶
= ¶
¶ +¶
¶ +¶
¶
=¶
a
(2-5)とおくことができる。また,単位体積当たりの質量は密度rであるので,3次元で考えると,
( ) p z
i p y i p x i p t v
z y
x
= - grad
¶ - ¶
¶ - ¶
¶ - ¶
¶ =
¶
r
(2-6)と表わされる。この式をオイラーの運動方程式という。
最後に状態方程式であるが,圧力と密度の変化を式で表すと,次のようになる。
0
ここで,P,は圧力であり,添字0は音波が存在しない時の値を,添字なしは音波が進行 している時の値を意味している。また,pは音圧,sは密度の変化する割合すなわち圧縮度 である。音波の作用によって密度が小さくなると圧縮度も小さくなり,微小体積内の圧力 が低下するのでこの関係を次式のようにあらわすことができる。
0 0
r r k r
k -
=
= s
p
(2-8)ここで,k は断熱体積弾性率である。音響的に引き起こされる変動は速い変動なので,熱伝 導が間に合わず,熱力学的なサイクルとしては断熱変化と考えることができる。
密度,圧力及び粒子速度を静的部分と変動部分の和として考えると,定義により静的な 部分は微係数ゼロなので,変動部分すなわち音響成分について式(2-2),(2-6),(2-8)を書き 直すと,以下のようになる。
( )
v tdiv
r
0r
=-¶
¶ (2-9)
( )
p tv grad
0 =-
¶
¶
r
(2-10)r
0k r
=
p
(2-11)式(2-9)を時間微分すると,
÷÷ø çç ö
è æ
¶
¶ + ¶
¶
¶ + ¶
¶
¶ - ¶
¶ =
¶
z t
w y t
v x t
u t
2 2 2
2 0
2
r r
(2-12)
となる。また,ラプラシアンは,
2 2 2 2 2
2
div grad
2z y
x ¶
+ ¶
¶ + ¶
¶ º ¶
· º
Ñ
(2-13)であるので,式(2-10)のダイバージェンスを取ると,
z p t
w y t
v x t
u 2 2 2
2
0 ÷÷=-Ñ
ø çç ö
è æ
¶
¶ + ¶
¶
¶ + ¶
¶
¶
r
¶ (2-14)となる。ここで,式(2-12)及び式(2-14)より,
- 12 -
t p
2 2
2
= Ñ
¶
¶ r
(2-15) となるので,式(2-11)を用いてrを消去すると,
t p
p
22 2
0
= Ñ
¶
¶ k
r
(2-16)が得られる。ここで,音速
c = k r
0 で置き換え,整理すると,音圧pについての波動方 程式が得られる。1 0
2 2 2
2
=
¶ - ¶
Ñ t
p
p c
(2-17)式(2-17)として得られた波動方程式を境界条件に基づいて解くことが,音波の振舞に関す る問題を解く基本となる。
2.2.2. 音響システム設計の基本式(ソーナー方程式)
音響システムを設計する場合の最も基本となる式として,ソーナー方程式がある。もともとは各種 ソーナーの設計を行うための方程式であるが,音響通信システムの基本設計にも適用可能である。
音響通信は,ある点からある点に向かって情報を伝送するものであるから,パッシブソーナーの場 合のソーナー方程式と類似性がある。パッシブソーナーの場合のソーナー方程式をFig.2-1及び式 (2-20)に示す。Fig.2-1において,目標の発する放射音レベル(SL)に対して海中を伝搬することに より生じる減衰(伝搬減衰:TL)分だけ小さくなった音波と周囲雑音が加わったものが受波器により 受波される。複数の素子で受波を行った場合には,それらを用いてビームフォーミング処理をする ことによる利得(アレイゲイン:AG)を得て,これが検出閾値以上であれば,ターゲットを検出可能で あるということを説明するものが,パッシブソーナーの場合のソーナー方程式である。
各パラメータを以下のように定義し,すべてdB単位で表示されるものとする。
Operator
SL TL
NL
Beam
Forming Receiving
Processing Display
Transmitter Hydrophones Receiver
AG DT
Fig.2-1 SONAR system image and SONAR parameters.
NL : 雑音レベル [dB]
AG : 受波アレイゲイン [dB]
DT : 検出閾値 [dB]
この時,受信される検出信号レベルDLは
DL = SL – TL (2-18)
と表すことができる。一方,検出可能な信号レベル,つまり最小検出信号レベルMDLは,
MDL = NL – AG + DT (2-19)
となるので,検出信号レベルDLと最小検出信号レベルMDLを等号で結んで,パッシブソーナーの ソーナー方程式が求められる。
SL - TL = NL - AG + DT (2-20)
実際は,FOM (Figure of merit) という指標を導入して,FOM = SL – MDL とし,これを用いて ソーナーの能力評価を行うことも多い。式(2-20)と比較すると,FOM = TL となるので,FOMが大き いということは,信号検出を行う上で許容される伝搬損失が大きいということになり,より長距離の目 標信号を検出できるということを意味する。
音響通信のシステムとして考える場合には,目標の放射音レベルを送波側送波器の送波音圧レ ベルとすることにより,パッシブソーナーと同様の式を用いて基本性能の検討が可能となる。FOM 解析の見方をすると,システムを構成したあと,通信距離がどのくらいとれるかということを解析でき ることになる。また,復調方式,想定する通信距離が決まっている場合には,SL = TL + MDL を計 算することにより,どれくらいの送波音圧を放射できる送波器及び送信機が必要かを見積もること が可能となる。
2.3. 海中の音速
海中の音速は,水温,深度(圧力),塩分濃度の影響を受けるため,季節,場所(深度を含む)によ りそれぞれ異なる。音速は,水温が高くなると速くなり,また圧力が高くなると速くなる。従って,水温 の高い浅いところでは音速が速くなる。深度が深くなると,水温は徐々に下がり,1,000 m 付近より 深いところではほぼ一定の水温になる(深海等音層)。このほぼ一定になる深度までは,音速も 徐々に遅くなる。この深度を超えると,圧力の影響で,深度が増すに連れて音速も速くなる。その 結果,水温が一定になる付近の深度に音速がもっとも遅くなる層が現れる。これを音速極小層
- 14 -
(SOFAR:Sound fixing and ranging)と呼ぶ。
音速の異なる媒質中を進むため,特に水平方向の長距離伝搬においては音波の進行方向は直 線ではなくなる。逆にこのため,水平方向には SOFAR 軸を中心にして上下に蛇行しながら伝搬し ていくことになり,長距離の伝搬が可能となる。例として,ほぼ同一地点(駿河湾北部,水深約
1,100 m)における夏季と冬季の水温プロファイル及びその時の音速プロファイルをFig.2-2に示す。
Fig.2-2の左側の水温プロファイルから,夏季に対して冬季は表面水温が低下し,海面から深度50
m 程度までほぼ水温が一定の層ができていることが分かる。また,50m 以深においても,1,000 m 程度まで水温が異なっていることが分かる。この時の水温,塩分,深度から音速を計算したものが,
右側のグラフであるが,最大で5 m/s程度異なっていることが分かる。このように,同じ地点でも時期 により海中の音速分布は異なる。
2.3.1. 音速の算出
現在,音速を求める式は,すべて実験式であり,いろいろな音速の式が提案されている。単純形 としては,Medwinの式[27]やMackenzieの式[28]がある。現在一般に広く用いられている音速の式は,
Chen-Millero の式[29]をもとにした国際的な標準アルゴリズムで,ユネスコの式[30]と呼ばれ,次式で
表される。
0
200
400
600
800
1000
0 5 10 15 20 25
T [deg]
Depth [m]
2007/8/13 2007/11/1
0
200
400
600
800
1000
1470 1480 1490 1500 1510 1520 1530 1540 1550
SV [m/s] (Chen & Millero)
Depth [m]
2007/8/13 2007/11/1
Fig.2-2. Examples of measured temperature profiles (left), and calculated sound speed profiles (right). Measured position: North of Suruga Bay.
Blue: summer (August). Pink: winter (November).
( ) ( )
( )
( )
(
30 31 32 2)
32 4 24 3 23 2 22 21
20
4 14 3 13 2 12 11
10
5 05 4 04 3 03 2 02 01
00
w
,
P T C T C C
P T C T C T C T C C
P T C T C T C T C C
T C T C T C T C T C C P T C
+ +
+
+ +
+ +
+
+ +
+ +
+
+ +
+ +
+
=
( ) ( )
( )
( )
(
30 31 32 2)
32 3 23 2 22 21
20
4 14 3 13 2 12 11 10
4 04 3 03 2 02 01
,
00P T A T A A
P T A T A T A A
P T A T A T A T A A
T A T A T A T A A P T A
+ +
+
+ +
+ +
+ +
+ +
+
+ +
+ +
=
( T P ) B B T ( B B T ) P
B , =
00+
01+
10+
11( T P ) D D P
D , =
00+
01である。なお,A00,A01,・・・,D01は,定係数である。現在,T を 1990 年国際温度目盛り(ITS-90:
International temperature scale of 1990)に置き換えられたもの[30]が用いられている。
本研究においては,数千メートルまでの伝搬距離が対象となるため,あまり音速がプロファイルを 持つことによる大きな影響は受けないが,深海の水平方向の通信においては,多少考慮が必要と なる。
2.3.2. 音速プロファイルの音波の進行方向への影響
音速の異なる媒質中を伝搬するとき,Fig.2-3 に示すように,音波はスネルの法則に基づいてそ の進行方向が曲げられていく。音波が音速の異なる媒質IからIIへ向かって進んでいくとき,媒質 I の音速を c1,媒質 II の音速を c2,境界面への入射角をqi,透過波の射出角をqt とすると,
2 1
sin sin
c c
t
i
q
q
= の関係がある。したがって,媒質IとIIの音速が同じ,すなわちc1=c2であれば,qi = qt となるので,音波は曲がらない。また,媒質IIの音速のほうが速い場合,すなわちc1
< c2であれば,qi < qt となるので,音速の速いほうへ曲がっていくことになる。中緯度海域の典型 的な音速プロファイル(SSP: Sound speed profile)をモデル化したものとして,最も広く用いられてい るものに,Munkの音速プロファイル[31]がある。これは,深度zにおける音速cを式(2-22)のように表 すものである。
- 16 -
( )
( )
(
z z)
B e cc
0 0
2
1 1
-
=
+ - +
= -
h
h
e
h(2-22)
c0は SOFAR軸上の音速,e は定数,z0はサウンドチャンネル軸の深度,Bはスケール深度
であり,c0 = 1,500 m/s,e = 0.00737,z0 = 1,300 m,B = 1,300 mとしたときのSSPをFig.2-4 に示す。
この SSP を用いて,水平 方向に 200 km の範囲 における音場の様子を伝搬 損失(TL:
0 500 1000 1500 2000 2500 3000 3500 4000 4500
50001500 1510 1520 1530 1540 1550 1560
Depth [m]
Sound Speed [m/s]
Fig.2-4. Munk’s SSP (sound speed profile).
q i
q r q t
media I sound speed: c1
medium II sound speed: c2 incident
wave
reflected
wave penetrated wave
(refracted wave)
Fig.2-3. Refraction and reflection of sound wave.
波が減衰し,届かない領域が存在する。この領域をシャドーゾーンという。これは,SOFAR 軸から 上方へ放射される音波は,深度が浅くなるに従って音速が速くなる媒質中を伝搬していくので下方 向へ曲げられることと,SOFAR軸から下方へ放射される音波は,深度が深くなるに従って音速が速 くなる媒質中を伝搬していくので上方向へ曲げられることを繰り返しながら伝搬していくことに起因 する。
周波数が高くなると,海水による吸収減衰が大きくなり,長距離を伝搬することは困難になるが,
30 kHz程度以下の音波をSOFAR軸より深い深度で,横或いは斜め方向に伝搬させようとする場
合には,音波が上方へ曲がるので,到達距離及び受波音圧レベルについて,十分に検討する必 要がある。
Fig.2-5 Two-dimensional distribution of the transmission loss with Munk’s SSP. A sound source is located at the depth of 1,300 m, water depth is 5,000 m.
Fig.2-6 Two-dimensional distribution of the transmission loss with the same SSP as Fig.2-5. A sound source is located at the depth of 4,900 m, water depth is 5,000 m.
TL [dB]
TL [dB]
- 18 -
2.4. 海中の音波の減衰
海中を伝搬する音波は,音源からの距離に従って音圧レベルが低下していく伝搬損失 TL を受 ける。音源からの波面が広がっていくことに伴ってエネルギが減少する拡散損失TLMの他に,伝搬 経路に存在する海水による吸収損失TLAを受ける。伝搬損失は,この2つの損失の和である。
TL = TLM + TLA (2-23)
2.4.1. 拡散損失
自由音場では,音波は各方向に均一に球面状として拡散していく。この球面拡散時の音圧は,
距離に反比例して小さくなっていく。海面及び海底を境界として音波が反射して伝搬する場合,海 洋は大きな 2 次元導波路を形成するため,ある距離から円筒状に拡散していく。この円筒拡散時 の音圧は,距離の 1/2 乗に反比例して小さくなっていく。音源からの距離を r [m]としたときの,球 面拡散における拡散損失,円筒拡散における拡散損失 TLMを式(2-24)及び式(2-25)にそれぞれ 示す。
] dB [ log 20 r
TL
M=
(2-24)] dB [ log 10 r
TL
M=
(2-25)2.4.2. 吸収損失
前述した拡散損失の他に,海水中を音波が伝搬していくときに音響エネルギが他のエネル ギに変換されることによる減衰があり,これを吸収損失と呼んでいる。吸収効果のメカニ ズムは,水の粘性と熱伝導による古典的効果と,媒質中の分子の振る舞いに伴う非古典的 な緩和効果とに分類される。音波による緩和過程には次の3つのタイプがある。すなわち,
(1)熱的な緩和,(2)構造的な緩和,(3)化学的な緩和である。しかしながら,海水中では,(1)
の熱的な緩和は無視できるレベルである。また,古典的効果として知られている,ずり粘 性による吸収の他に,構造的緩和の影響が,体積粘性係数という形で表現される。さらに,
海水中に微量に溶解した特定の塩分による化学的な緩和作用による吸収が存在する。海水 の化学的な緩和としては,硫酸マグネシウムの緩和,ホウ酸の緩和,及び炭酸マグネシウ ムの緩和がある。音波はその分減衰する。r [m]の距離を伝搬する時の吸収損失TLAは,1 km 当りの減衰量をa [dB/km]とすると,次式で表わすことができる。
TLA = a r / 1,000 [dB] (2-26)
1 km 当りの減衰量a は,吸収減衰係数と呼ばれる。吸収減衰係数aを求める式は,様々な
研究者により提案されている。以下に,これらのうち代表的な式を4つ示す。
÷÷ø çç ö
è æ
+ + + +
´
= 2 -4 2 2
1 109 . 0 4100
7 . 10 43
01 .
3 f f
a
f [dB/km] (2-27)(2) Shulkin-Marshの式
Schulkin-Marshの式[35]は,周波数,塩分,温度,圧力,pH及び音速の関数として,次式
で表わされる。
( ) 10 ( 1 6 . 54 10 ) 8688
2
2 42 2 2 3
2 2
2
´
ïþ ï ý ü ïî
ï í
ì ÷ ÷ - ´
ø ö ç ç
è
æ +
+ + + ´
úû ù êë é
=
-P
f Bf f f
f SAf f
f f f
c
T TT r
r
al
ra
[dB/km](2-28)
( ) al
r =3.1´10(0.69pH-6)´10-5 [Np/wavelength]( )
[3 1051q ]
5 . 0
35 10 1 .
6 ÷ -
ø ç ö è
´æ
= S
fr [kHz]
(6 1520q)
10 9 .
21 ´
-T
=
f
[kHz]ここで,(al )r は 1 波長あたりの最大吸収,fr はホウ酸の緩和周波数,fT は大気圧下にお ける温度依存緩和周波数,f は音響周波数,S [ppt]は塩分濃度,A は海水のイオン緩和作用 による定数項(
= 2 . 34 ´ 10
-6),B は純水の粘性による定数(» 3 . 38 ´ 10
-6),P [atm]は圧力,q [K]は絶対温度である。
(3) François-Garrisonの式
François-Garrisonの式[36]は,周波数,塩分,温度,pH及び深度の関数として,次式で表
わされる。
2 3 2 3
2 2
2 2 2 2 2 1 2
2 1 1
1 AP f
f f
f f P A f f
f f P
A +
+ +
= +
a
[dB/km] (2-29)式(2-29)の第1 項は,ホウ酸の寄与を示す項であり,A1,P1,f1はそれぞれ次のように表さ
れる。
(0.78 5)
1 8.86 10 -
´
= pH
A c [dB / (km・kHz)]
1