資
イギリス東インド会社の仕訳帳・元帳
料│
│ イ ン デ ィ ア
・ オ フ ィ ス
・ ラ イ ブ ラ リ ー
・ ア ン ド
・ レ コ
i
ズ 所 蔵 帳 簿 の 紹 介
│
│
はじ
めに
‑インディア・オフィス・ライブラリー・アンド・レコ1ズ
二仕訳根と元帳
一ニ
マイ
クロ
フィ
ルム
によ
る所
有帳
簿の
紹介
囚むすびにかえて
││東インド会社会計支の問題点│l
はじめに
﹁イギリス東インド会社の会計帳簿﹂と題してインディア・
オフィス・ライブラリー・アンド・レコ
l
ズ(
宮門
出回
O
白山
円四
円
‑
σ
門田門司田口仏同四
no
H且♂同申叶∞‑田口骨片岡・山田門的河口国内
rFO
口広Oロ
ω
何回∞ Z
の)にあるイギリス東インド会社の会計帳簿のうち元帳についての紹介を﹃立教経済学研究﹄第二十八巻三・四号(昭和
イギリス東インド会社の仕訳帳・元帳
茂
虎
雄 木
四十九年十二月﹀になした︒昭和四十七年度の立教大学在外研究
において調査したところを記したものである︒ここに存在する
一冗帳は東インド会社が株式会社の本格的形態をとる十七世紀の
六
0
年代からはじまって三十九巻あったが︑この留学では一七五七年のプラッシ
I
の戦い頃までの帳簿を分析した@貿易会社としての東インド会社のもので︑会社の前半期のものであっ
た@これを
L
とに︑いままでに発表したイギリス東インド会社の会計史関係の論攻をあげてみよう︒
川﹁イギリス東インド会社の会計帳簿﹂﹃立教経済学研究﹄
第二
八巻
第三
・四
号(
昭和
四九
年一
一一
月﹀
川﹁一七世紀後期イギリス東インド会社の会計問題﹂﹃立
教経済学研究﹄第三三巻第三号(昭和五四年一二月﹀
川﹁ロンドン東インド会社の
C元帳ハ一六六九一六七一年﹀
九
立教経済学研究第四
Q
巻一号(一九八六年)の分
析﹂
﹃立
教経
済学
研究
﹄ハ
昭和
五五
年三
月﹀
ω
﹁ロンドン東インド会社のK
元帳﹂叫産業経理﹄第四O
巻第七号三九八O
年七
月﹀
川﹁ロンドン東インド会社の最終帳簿ハK
元帳
﹀﹂
﹃立
教経
済
学研究﹄第三四巻第三号(昭和五五年二一月)
川﹁イギリス新東インド会社の会計問題﹂﹃立教経済学研
究﹄
第三
五巻
第三
号ハ
一九
八一
年一
一一
月)
川﹁イギリス東インド会社前半期の元帳における資本金
(ストアク﹀勘定の展開﹂﹃日本会計史学会年報﹄一九八二年度
(一
九八
三年
二月
)
川
z b
一時
宮崎
Nb
b
遣
さ
Hq
L﹁
志向
め宮
内砕
久山
門町
ロ
SH
H
弘司NHF
司ド
タ崎
町︑
臼ロ
¥ 急白 足立 時同 白戸
︑.
bh
志向同SHH
昌弘 凡向
︒口 三﹂ 守白 ミ刊 誌同 誌 h N
S弘 ︑
J
入 山町 内
S 3
H宮崎同仇
MH
ロミ
h h h R
宮 泣 き 弘 司 言
NM
WN
b巴
│白 匂・ 川﹁イギリス東インド会社前半期の元帳における資本金
ハス
ト
yク﹀勘定の展開﹂﹃立教経済学研究﹄第三六巻第三号
ハ一
九八
三年
一月
﹀
附﹁茶の会計史││イギリス東インド会社の元帳の分析を
通じて﹂﹃立教経済学研究﹄第三七巻第一号ハ一九八三年六月﹀
同
﹁ 会 計 史 研 究 の 方 法 に つ い て イ ギ リ ス 東 イ ン ド 会 社
会計史の研究によせて
l l l
﹂明産業経理﹄第四十四巻第四号
(昭
和六
O
年一月
)
以上の論稿は多くその題名からも知られるように元帳のみを
史料としたものである@複式簿記の本質を問うとき︑計算簿で
一九
四
ある元憾と記録簿である仕訳帳との二つの帳簿体系が﹁複式﹂
を構成するという主張があるほどであるが︑昭和四十七年度の
留学においては元帳の所在のみしか知ることができなかった︒
ここでは仕訳帳にふれていないという限界があった︒もち論︑
元帳の分析によって︑複式簿記の存在形態のあり方を知ること
ができるが︑そこにその数値がなぜ記入されたか︑その款値の
持つ意味などについては必ずしも充分には知りえなかった@仕
訳版︑文字通りジャーナル
Q 2 3 3
の分析︑調査が必妥で︑
昭和六
0
年度の短期留学の白的となったω仕訳帳は元帳記入の準備のための帳簿であると同時に︑常業日誌でもあって︑これ
によって数値の記入された意味を知ることができるω
一六
OO
年に成立した東インド会社は︑個別企業制︑合本企
業制という企業形態をへて一六五七年のクロムウェルの改組︑
一六六二年のチャールズ二世の勅許によって本来的な株式会社
となってくる@これに対応するかのように︑二ハ六四年から︑整
備された一元帳が存在し︑これがインディア・オフィス・ライブ
ラリーに保存されている@これは一八七
O
年にまで及ぶもので三九巻ある@前記の諸論文は一七五七年以前を問題としたが︑
後半期の会計帳簿の分析が必要であるQ一七六︑七
0
年代に東インド会社は全盛期を迎えるが︑イギリス本国の産業革命の展
開のうちにその歴史的役割をおえて解散することとなるQ十九
世紀初期の解散過程は会計史のうえからも重要な問題を含む@
後半期においては会計問題としては記帳技術と同時に︑それ以
上に記帳内容の問題が大きくクローズ・アップされる@
イ ン デ ィ ア
・ オ フ ィ ス
・ ウ イ ブ ラ リ
i
‑アンド・レコ
l
ズイギリス東インド会社は一六口
O
年に﹁インディズ﹂に対する貿易の独占権を勅許されて成立したQその後二世紀半にわた
る東インド会社の活動においていく度かの基本的な怯格と機能
の変化があった@企業形態としても個別企業制︑合本企業制を
へて︑一六五七年のクロムウエルの改組︑一六六二年のチャー
ルズ二世の勅許によって﹁株式会社﹂としての形態をととのえ
てくる@これは﹁ロンドン東インド会社﹂として出発するが︑
一六九八年から一七
O
九年にかけて﹁イギリス新東インド会
社﹂と競争をなす@競争の不利を克服しようとして一七
O
二年から九年にかけてカルテル契約を結び︑契約期間満了後に商会
社は合併する︒ここに﹁合同東インド会社﹂が成立して解散に
いたるまで続く@またイギリス東インド会社は貿易会社として
出発するが︑一七五七年のプラッシ!の戦いを機として植民地
経営会社に性格をかえてゆく︒一七七
0
年代
から
一八
一ニ
0
年代はイギリス本国における産業輩命進行期であるが︑木棉ヱ業に
おける原料輸入問題︑製品販売問題においてインド支配を強め
る︒これはまた三角貿易問題︑すなわち茶︑キャリコ︑阿片の
生産と輸出︑その代金決済問題を内包するが︑この貿易の中心
的担い手が合同東インド会社であった@
イギリス東インド会社の仕訳帳・元帳 カルカッタに本拠をおく東南アジア貿易の拡大のうちに︑東
インド会社のもつ前期的資本的体質︑そして一個の私企業によ
る業務運営には限界が生じてくる︒東インド会社のインド政策
をこえた問題の解決において︑ロンドンで一七八四年には対外
管理局というものの設置がイギリス政府によって推進されてき
たQこれは産業革命の成功と展開におけるイギリスの外国貿
易︑植民地支配の遂行方式の変化であるQ
興隆する産業資本︑その産業資本によって生産された製品
││これは綿製品ハキャリコ)であるがーーーは貿易の自由化を要
求して一八一三年にはインド貿易の自由化をなしとげる@茶取
引の中国貿易は東インド会社の独占として残ったQ一八三三年
には中国貿易も自由化されてしまう︒ここに商業︑活動を停止す
ることとなるが︑一八五八年に東インド会社は解散し︑インド
統治法が改まってイギリスの直楼統治となったQ
このような歴史をもっ東インド会社であるが︑一八
O
一年
に︑増大してゆくアジア関係の害籍や文書類の安全な保管のた
めに図書館をつくった@初代の館長はすくれたサンスクッリド
学者でもある
c
・ウィルキンス卿が任命されたQ東インド会社の古文書類の主要な部分を保管するレコード・オフィス(文書
館)はすでに一七七一年につくられていた︒ここに図書館と文
書館とが設けられた︒
インド大反乱︹セポイの反乱︺の一八五七年をへて︑イギリ
スのインド統治は東インド会社統治から直接続治に変ったが︑
一九
五
立教経済学研究第四
Q
巻一号(一九八六年)東インド会社の解散にともなって︑図書館︑文書館はイギリス
政府 のイ ンド 総督 府︹ イン ド省
︺(
同
E
E C 5 2
﹀の所管となった︒
このようにインディア・オフィス・ライブラリー‑アンド・
レコ
i
ズハ
S F 3
はイギリス東インド会社の図書館︑文書館か
ら出発しているが︑いく多の変遷はへたがロンドンのリ
i
デン
ホ
l
ル・ストリート92
含ロ冨己注目立)にある東インド会祉の組
織の主要な機構は殆んど変らずにきた@一八五八年になって︑
解散という事態になって︑東インド会社もまた重役会
22
丘 )
もインド総督府︿同出品目白色止のろという政府機関によっで︑とっ
て代られる@インディア・オフィスはめ
S D
D
己門 戸口門 出回 と呼 ば
れる補助機関によって助けられた国務大臣
9 2 H o g q
丸山至︒
を主長にいただいている@インド総督府といわれるこの役所も
大いに東インド会社の組織や管理方式に範を求めているもので
その権力も東インド会社の持ったものをインド大臣
9 2 5 g
ミ
︒ 片 山
ggF
円阿国品目白﹀がうけつぐが︑この頃になると陸路︑海底にしかれた電信線︑一八六九年に開通したスエズ運︑河によって︑
東インド会社時代よりもよりインドへの接近が密になった@
時代はうつる︒インド統治におけるインド総督府とい︑つ統治
主体の機能の後退があって︑インド自体の法的主体化の前進︑
地方政府における権威が増大してゆくが︑一九一九年︑一九三
五年のインド法の施行によって︑これが証明される@この頃に
なると︑インドからのピルマの分離︑インド省から分離したビ
ルマ省がロンドンで創立された︒しかし︑両者の大臣は同一人
一九 六
物がなっており︑同じ建物にオフィスが同居していたが︑一九
三七年に改善された@一九四七年にはインド︑パキスタンの独
立︑一九四八年にはどルマ独立の最終的認可によってインド
省︑ピルマ省は解散した︒このようななかで図書館︑文書盲舘は
英連邦省令︒
B S 8 3
即 日 門
F H U
富 山︒ 目︒ ﹃
円 山口
O﹀の管理に移行し︑そ
の後は
C o s s o D d
司
g ‑ H F O
ほ山 口叩 とか また 町︐
R m H
四ロ回忌の
O B E g S J 4 3 Z F O
同片 付由 の管 理と なっ た
Q一九七一年には図書館と
文書館が一人の館長のもとに統一し︑一九八二年には所有権こ
そは
ω 2 H o g ‑ J
可え
ω g g
沙吋
明白
叶白
山間
ロ出
口与
の
O
尽
5 8 4 4 S H S
﹀同町お門的がもつものであったが︑図書︑古文書の管理責任は
切ユ
江田
UE
げ吋
同弓
一切
O由邑がもつようになったQここに大英博物
館のなかの図書館に本部事務局をもっ∞円目立ちピ耳目与の一
員となったのである︒
以上にのべてきたような歴史をもっインディア・オフィス・
ライブラリー・アンド・レコ
i
ズであるが︑ここにイギリス東インド会社の帳簿が保管されていることはまことに当然という
ほかなく︑これを使用して研究を進めることとするQ
仕訳帳
Q S 旦 E ) と 元 帳
PE
向 ︒ ︒
イギリス東インド会社においては︑その設立時からすでに高
度に発展した簿記法が︑複式簿記体系によって記録されてい
る@一六
OO
年の設立に対して︑今日︑われわれが知りうる媛
簿は一六六四年八月からのものである@これはロンドン東イン
ド会社の
B
元帳といわれるものであるが︑元帳は全体で三十九巻ある@この三十九巻のうち︑終りの五巻はイギリス東インド
会社の元帳といってよいかどうかはこれから問題とするが︑一
連の分類番号がつけられて保存されている︒
イギリス東インド会社は一六
OO
年にロンドン東インド会社(HFO
︒ ︒ ︿
O﹃ 口
︒ ♂和 ロ
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︒︒呂
志ロ
可え
玄
2
n r g z
三円
︒ロ
品︒
ロ可
白血
山口
問
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号︒
何回
目ニ
ロ品
﹀として創立され︑個別企業制︑合本企業制
g
目という企業形態をへて二六五七年のクロムウェルの改組︑二ハ
六二年のチ
i
ルズ二世の勅許によって︑﹁株式会社﹂となってくる@この本格的な株式会社形態の成立に対応するように会計帳
簿も整備されてくるのであった@これが
B
一元
帳(
ニ巻
﹀で
ある
Q
記帳期間は二ハ六四年四月より一六六九年三月までである@
アルファベット順に一言うならば
A
一元帳があってもよさそうであるが︑これは無い@なお
B
元帳は上巻が一丁より二七五了
で︑下巻が二七六了より六五三丁までとなっている︒これのイ
ンディア・オフィス・ライブラリーの分類番号は
F¥
﹀¥
の
¥H¥
同
¥
Nと
F¥
﹀¥
の
¥H¥同
¥ ω
である︒なお分類の
l
に当るものは同
O B 0
5 2
口と呼ばれて二ハ二二年より一六四二年にいたる雑記録で
あって︑会計帳簿ハ元帳﹀ではない@このように元帳は
2
番より始まる@元帳は二巻あるが︑これに対応する仕訳帳は
Q E V
﹄
0
2 5 C
一巻であって︑分類番号ど﹀¥の
3 3 D
である@
複式簿記法の完成形態を典型的に示すものはつぎの
C
元帳である@記帳期間は一六六九年四月より二ハ七一年四月までの︑
イギリス東インド会社の仕訳帳・元帳 二年一力月にわたり︑この記帳のための仕訳帳は同じ年度をカバーするが︑分類番号は戸¥﹀¥の口論ゐである︒この
C
元帳については︑﹁ロンドン東インド会社の
C
元帳2
六六
九│
一六
七
一年﹀の分析﹂と題して紹介をなしたが︑その元帳の第一丁に
資本金勘定が設定され︑期間中の営業活動の純損益がこれに帰
属するようになっている@これを︑完成体系というのである
が︑さらに期末(帳簿期間末)の締切り方式は古典的といえる大
陸法的な決算法がなされている@元帳の最終勘定が決算残高勘
定(
回色
82
ぇ Z
品開︒吋の貯という見出し)となって最終的均衡を示しており︑複式簿記の構造的均衡性がみられる@高度な完
成体系の成立︒元帳の第一了には資本金勘定が闘始残高勘定の
住総で示されている︒これに当期純損益が帰属するわけで︑こ
れも最後の集計で決算残高勘定に転記される︒十七世紀後期の
資本金勘定の示し方の一個のタイプがみられる︒
D
元帳@これは二ハ七一年五月から一六七三年七月のもので︑
分類
番号
はど
﹀¥
の¥
H
之h
であり︑それに対応する仕訳版
は
F¥ ﹀
¥の
¥ H B ¥
ω
であ
る︒
E
元帳は一六七三年八月より一六七五年一二月にまで渡るもので︑分類番号はど﹀¥の
¥ H
D
訟であり︑これに対応する仕訳帳の分類番号は同じ期間にわたるもので︑ど﹀¥の¥H¥問主であ
る
@ 一
F
元帳は一六七六年一月より一六七八年五月におよぶものであるが︑分類番号はど﹀¥のニロミであり︑それの仕訳帳の分
七九
立教経済学研究第四
Q
巻一号︿一九八六年)類番
号は
戸¥
﹀¥
の¥
同¥
明訟
であ
る@
G
元帳は一ムハ七八年六月より一六八二年六月にわたるが︑分類番号は
H K ¥
﹀¥
¥ H
のD ¥
∞であり︑それの仕訳帳の分類番号は円 ︑ ¥
﹀ ¥
CD
訴訟である︒
H
一元恨@二ハ八二年七月より一六九四年六月までの長期間にわたるもので︑この分類番号はど﹀
¥ c h D
¥
坦である︒この記帳期間において一六八八年の名誉革命が行われたもので︑経済
的じも封建的地主階級に対してやがて近代的市民階級が産業資
本を育成する方向を打ち出してくる@これに対応する仕訳帳が
あるが︑この分類番号は
F¥
﹀¥
の¥
同¥
問︑
であ
った
@
J
元帳︒一六九四年七月より一七O
三年八月にいたる元阪
で︑分類番号はど﹀¥のニロロ︒であるが︑﹁この元帳における
多くの勘定は新会社︹イギリス新東インド会社]との事実上の
調整を示すものとして︑最終的な締切りはなさていなれい@こ
の元帳はまた海外の事業所について用いられた補助元騒があっ
たことを示している﹂(ガイド・ブック可この元帳に対応する仕
訳版
があ
るが
︑こ
の分
類替
号は
円︑
¥﹀
¥の
¥同
¥印
¥∞
であ
る@
この時点︑一七
Q
二年になるとロンドン旧東インド会社とイギリス新東インド会社との間におけるはげしい競争と対立は和
解と抱合の方向に進む︒これが合同東インド会社口巳件白色︒0
・ 5
司山口吋丘三叩円各恒三白色閉口問]山口仏可白門出口問
E S H F
叩何回目円
宮丘町田となるのであるが︑この過渡期にロンドン東イシド会社
の最終元帳︹
K
元帳︺がある@九
)¥.
K
元帳はロンドン束インド会社最後の元帳として︑一七O
三年九月より一七一三年六月におよぶものであるが︑J
一元
帳と
同
ようにここでも多くの勘定が締切られていなかった@その分類
番号は
F¥
﹀ ﹄
B D D D H
である@
K
一冗較に対応する仕訳機はどうなっているか@一七O
三年九月から一七
O
九年三月までの仕訳帳令官﹃} 2
ろがあり︑この
5
分類番号は
F¥
﹀¥
の¥
日¥
叩¥
也と
なっ
てい
る@
この
時期
は合
同指
向
期であコて︑旧会社の元帳のための仕訳帳か︑新会社のB
帳の
ための仕訳暖か問題であるが︑インディア・オフィス・ライブ
ラリーの分類では旧会社の仕訳帳となっている︒
つぎの仕訳授は一七
O
九年五月から一七一四年六月にいたるものである@﹁この
F¥
﹀¥
の
¥H¥
回途
巻の
終り
とど
﹀¥
の¥
同¥
山口
︒
巻の始めの聞には︹一ヵ月間という︺短い期間があったことが
わかるし︑後者は合同束インド会社の最初の現存仕訳帳である﹂
というインデイア・オフィス・ライブラリーの解説があるが︑
これらは連続性があったかどうか︒︹この間の関係はこの度の
留学でも︑充分に調べることしなかったことを残念におもうJ
再び
一元
帳に
戻ろ
う
ωロンドン東インド会社の
K
元帳につなげるような分類番号をもってイギリス新東インド会社の元帳B
PE
問︒
?3
がはじまる@この記帳期間は一七O
五年六月から
一七
O
九年四月にわたるもので︑分類番号は円︑¥﹀¥ Q b h h N
で
ある
ガイド・ブックには﹁B元帳は合同東インド会社の最初の現 ︒
J
や.y.1'(>1只響P今~I'(>J-\)~\-ノニI'(>:ç,'~J~竺様~\t#G1
只'単P
長Per Contra. Cash Journal Re f. No. L/A/G/l/5/13
的。m~I1#-\)様相#:ç,~ロミミ~\J~ロ~1咲ャ入;:"'~11#奇~P判ul'(>
G P Ledger G
(Ju
l.1735‑1742 Jun.)Ref. No. L/ A/G /1/1/17 …
喝の:c,')JG堂担~P:::!\l[~11記:会制'?2~~ヰ付与4LJ!思議Jνニ;!1G
Per Contra. Cash Journal Ref. No. L/A/G/l/5/14
FJ:242ニ令。様~11#G~紘:みやl\N目14LJ議時毛布v足ド王子vGP今~
Ledger H
(Ju
l.1742‑1750Jun.) Re f. No. L/A/G/l/l
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Pre Contra. Cash Journal Re f. No. L/A/G/l/5/15
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(Ju
l.1750
ー1756 Jun) Re f. No. L/A/G/l/1/19...
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伊Pre Contra. Cash Journal Re f. No. L/A/G/l!5!16
0111砕-K~令,s:-1-\-10同社同~G~霊~21~ミ;!11'(>.,;>G千.I~I'(>込'ニ吋ニ叫者半去~;t;草tG:臣草~-\)おの:ç,'~与~~1ifu.'.2*ニド:::!空i1:~9年,~!!司ト回収」ミ4ヰドニI'(>J-\)'~ャ;:,..・eれれれ!!ニ小。)J~!!1
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(Cash Ledger K
(Ju
l.1756‑1763 Jun.) Ref No. L/A/G/l/1/20
・・jourral‑Re
f.No. L/A/G/1/5/9)
.'.2叫('¥J.,;>[,起IJ:FP
判的。Per Cantra. Cash Joarnal Re f. No. LjA/G/l/5/17.
ニ吋ニムも4日匡i民干入;:"'~I1#:会ヨヨ釈。~11#G$副昨付早朝)1する('\JvりふJ.'.2.l!半必~体Q賢料ωドt1'(>'
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凶,u会必殺例燃や冊余JÓ}--;~="干術='I'\Gて入、込書号~tÞ(量nGf挙制。帳、「入三ゾロ入;:,..入帳、「入;:"'411#GI~単-\)例w
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-\)起~.,.てJ"Í己ペ\Jvl'(>。。1~単,1やO千司社同~-'1íZ'、1・.l,J
1
I3l.l!Hく~1刊PG
.,;>G P' Ledger L
(Ju
l.1763
ー1769 Jun.) Re f. No. L/A/G!I/1/21'"
Ref. No. L/A!G/l/l/13
t.l誌の。リ~'1殺迫.y.1'(>担指導G<1=¥Per Contra. Cash Journal Ref. No. L/A/G/l/5/18.
事票締ゆ:::!L/A/G/l/5/10P~l'(>o
Ledger
M (Ju
l.1769‑1773 Jun.) Re f. No. L/A/G/l/1/22'" Ledger D
(Ju
l.1714‑1720Jun.) Re f. No. L/A/G/
1/1/14 … Per Contra. Cash Journal Re f. No. L/A/G/l/5/19. Per Contra. Cash Journal Ref. No. L/A/G/l/5/
1l.Ledger N
(Ju
l.1773‑1779 Jun.) Ref. No. L/A/Gjl/l/23'
・Ledger E
(Jal.1720
ー1728 Jun.) Re f. No. L/A/G
/l/l
/l5 … Per Contra. Cash Journal Ref. No. L/A/G/l/5/20.
Per Cantra. Cash Journal Ref. No. L/A/G/l/5
/12. Ledger
0 (Ju
l.1779‑1785 Jun.) Ref. No.
L/A/G/l/1/24… Ledger F <J u
l.1728‑1735 Jun.) Ref. No. L/A/G/l/1/16 … Per Contra. Cash Journal Re f. No. L/A/G/l/5/2
1.ャ社='1'\帳、r入;:,..411#.Gギ恒星単・I~~挙
1
兵長4
オヰ延期時E
朴目玉釈担R
E:10殺J1 nt ( 1判<K社)1100Ledger P. CJul. 1785ー1789Jun.) Re
f.
No. L/A/G /1/1/25…
L/A/G/1/1/32 ~~的。I\'GK<1 )--,!1~ Wear and Tear Per Contra. Cash Journal Ref.
No. L/A/l/5/22. of Indian Commercial Building account :応部会心£ドニ的。Ledger Q CJul. 1789ー1793Jun) Ref. No. L/A/G/1/1/26日・箆思想宥G~盟為腿仏j召Jドニ的。堰寂霊感岡持〔慢事*蝋特]!1
Per Contra .Cash Journal Ref. No. L/A/G/l/5/23. おうごの強固骨組肱恩G~盟十必的。Ledger
R.
CJul. 1793‑1796 Jun.) Ref.
No. L/A/G/1/1/27…
<r: <r: 1~~単11~やG-K!公G::l;:!:出器~1く蜘~I'('O1く
1iヨ母同町会Per Contra. Cash Journal Ref.. No. L/A/G/1/5/24. 心1<1.l,J~E:1m::例~G111~~G-HlG~己'雌尽G-HlG~'Re
f.
Ledger S. CJul. 1796‑1801 Jun.) Ref. No. L/A/G/1/1/28・・No. L/A/G/1/5/29~必の。総1.( ‑';¥GIllI1II!寝込GeneralOa‑Per Contra. Cash Journal Ref. No. L/A/G/1/5/25 sh Journal (::l;:!,~盤)-\)~Þ' Çìニ~Belongingto the United Ledger T. CJul 1801ー1811Jun) Re
f.
No. L/A/G/1/1/29. Company of Merchants of England trading to the EastけG1~~皇制~-\Jm::lm吋忠則叶G1(m::11H一回制~G1.母~-\)ニIndies Commencing 1st May 1814‑and Ending 30th April
,>'付信寂臣ぬ)‑¥)¥'ドニ1'('0 1817-\)制miS~ド,1¥' G
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司令♂お府首:会主主」怖心。柊,~ヤ令b~) G E-<1~~単斗殺{会ト1'('士:1,%~挙~11E主~~時。Jul.1801‑1806 11' 1\',...)ドDrugs為111+<民謡陸屯千ノ必のけ心必j底的。~)G::'̲ Jun.ベJニ小寂~G Cash J ournal ~令販納Eわ竺L/A/G/1/5/I¥'.;‑‑'j~\ tくさ容餐ω
荘。
‑¥),...)‑K!柑宴会,I\'~-\)-Hlê:::l.c~~時会。26‑¥)Jul. 1806‑1811JunG 11虐皿~L/A/G/1/5/27~必的。ゃニ~l'く1.l,J~同m::会♂l'く110母国m::1 )ニ今日時総11G担Ledger U CJul. 1811ー1814Apr,) Ref. No. L/A/G/1/1/30・・,~~挙(Ref.No. L/A/G/1/5/30)。娘111G::l;:!転車竺1<110社同町Per Contra. Cash Journal Ref. No. L/A/G/1/5/28. 吋巴1<11E:1~困m::ìt五千ノ(Ref.No. L/ A/G/l/5/31)0 ~国G-HlG
~-'-1司会、,'~ヤ='K帳、r入::'_~];1:#G傾斜Q組事眠蜜~G-HlG~~\'~ 1 <11E:1~1-Rm::吋,01<11.l,J壮図m::怖やG‑Hl G (Ref. No. L/
今日~'1幽鰍剣持G4[[臨G~示会~帳、「入::'_~];1柑Q題刊日竺?,.0':W'A/G/1/5/32)。総同G‑HlG竺1<11.l,J母同m::吋,01<1110計十
時),...)ド寝静いの。ヤ'社='1くや:引制縦紳〈E:長剣]と,...)~ニ的。11m::怖や(Re
f.
No. L/ A/G/1/5/33)0総1(G巨匠~G::l;:!区単~1<海軍軍皇室G1~~単:長<r:<l!1~鮮や崎将。~)~~1 < 11ヨ叶同m::会心1111.叶1m::吋,01 <111E:1~E:1m::例~G-HlG~必1'('(Ref.No.L/ 1 <11] E:1叶E:1m::!1ニ.,!Jの110~~!1~-K!I'('-Hl G ~ 11度会心的¥'A/G/1/5/34)Oト)G::l;:!:信監'照準為、,.社='K帳、「入::'_~];1:#G題
ドニ1'('0l\'G総11肴~Folios 1 ‑427 ~ノ,Ref. No. L/A/G/ .1{[強型車噌製品川島Jγニ的。1く111自社1)働制〈斗'線終~睦-e:\t-
1/1/31 ~~"",総11活~Folios 428‑850 ~ ¥'ド,Re
f.
No. 1'('0 11宮G1尺単-\)1く虐G::l;:!話器。帳ャ入::'_~];1:#G主主羽毛削除去手トる重要史料である︒
インディア・オフィス・ライブラリーの会計帳簿の分類にお
いては︑元帳も仕訳帳もさらに続くこととなる@一六六四年か
らのロンドン束インド会社の
B
元帳をはじめ︑それに先行する雑 元 帳 三 六
O
三l
一六
四二
年ま
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雑記
録﹀
同耐
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2 0
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同国
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の
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問R
J1 c‑
‑H
を含めて︑三十九巻
あるとするのであって︑さらに以下七巻の元帳があった︒
一八三四年五月から一八五四年四月にいたる元帳がある@以
下はノンタイトルの元帳であるが︑分類番号はど﹀¥の
¥ H b b u
であ
る(
以下
これ
を﹁
=一
三号
元帳
﹂を
呼ぶ
i
茂木)
︒二
0
年間にわたる元帳であるが︑これに対応する仕訳帳は一
O
冊ある@第一
冊目
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目印
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の0 5 5 2
巳邑田
口仏
寸由
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ぎ立
回目
﹄
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吉田
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品川
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¥印
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︑一
八三
四年
五
月より一八三七年四月までのものである︒見出しぺ
l
ジ に は
の白
白白
吋国
‑﹄
0 5 1
口丘と書かれ︑ついでのDBMUユ札口四として︑
9 2 H 2 3 0
日 間福 岡
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M
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o s s a g M g
自己宮
問︒
2
M M 問③臼品・さらに寸ユ 円 ︒ 円
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吉田
︼吉
岡町
ωM
mωEと記③
されている@一二つの仕訳帳が設けられているが︑日常的仕訳は
g
凹FHCZBーとが行っているQつぎは一八三五年五月より一八一ニ七年四月までのもので︑
同 耐 え
‑ Z 0
・ど﹀
¥の
¥ H h ¥ ω
∞である︒第三は一八三七年五月より
一八三九年四月までのもので何色
‑ Z
・
0
F¥
﹀¥の三¥ミミ第四
番目は一八三九年五月より一八四一年四月までのもので︑日耐え・
イギリス東インド会社の仕訳帳・元帳
Z 0
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¥﹀
¥の
戸¥
町
¥ ω∞第五は一八四一年五月より一八四三年四
月までのもので︑
F
件Z 0
・F
¥﹀¥の¥ピミ包第六のものは一
八四三年五月より一八四六年四月にわたるもので︑同耐え
‑ Z
・
0
HL¥
﹀¥
の¥
同¥
切に
︒で
ある
︒
つぎの一八四六年五月より一八四八年四月にわたる仕訳帳は
の目
的﹃
目白
血寸
四円
B
三g
ユ弘吉ロ回日間とタイトルがついている︒ 岡 田 内‑ Z
・ど﹀¥の¥同¥問¥台である︒つぎには一八四八年五月よ
0
り一八五
O
年四
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¥KF¥の¥H¥mkNでであ
る@さらに一八五
O
年五月より一八五二年四月にわたる仕訳帳があ
るが
同町
出・
Z 0
・F¥kr¥
の¥
同¥
問主
ωで
︑三
三号
元帳
の最
後の
仕訳
帳が一八五二年五月より一八五四年四月におよぶもので同耐え‑
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¥﹀
¥の
戸¥
印¥
怠で
あっ
て︑
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冊あった@
一八五四年五月より一八六
O
年四月までにわたる元帳があ
る@
同耐
え
‑
Z 0
・F
¥﹀
¥の
b b
¥ ω
品で三四号元帳と呼ぶ︒この一元帳
期間にインド大反乱︹セポイの反乱︺が一八五七年から五八年
にかけて起って東インド会社によるインド支配は終る@インド
統治法の改正であって︑ピクトリア女王はインド皇帝となりイ
ンドの直接統治となって東インド会社は解散する︒
三四号元帳に対応する仕訳帳
R E
島守
口
5
3
が六冊ある︒一
年ごとに帳簿が設けられる@
︒ 回 目
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田‑
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田可
同∞
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∞明日
﹀
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h注 目
二
O
立教経済学研究第四
O
巻一号(一九八六年)( ω )
呂田
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∞ 明 白
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﹀円
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・・
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︒戸
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﹀¥
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之町
¥問
︒
インディアFオフィス︑ライブラリーの分類では東インド会
社の元帳はまだ続く︒一八六
O
年より一八六四年にわたる元帳があ る@ 出耐 え
‑ z
q
・ 円 ︑¥k
r¥
CD
¥ 同¥
ω
日・これを三五号元帳と呼ぶ@
これに対応する仕訳帳は二冊ある@
( 乙
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‑ Z 0
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呂田
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百円
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吋町
円
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お号元帳ハ冨ミH∞ 自 由 l
呂田
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円︒
︒ロ
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回目
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H H 白 日
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鈎号
元帳
︒∞
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由1
15
3ミD
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3
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田町
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Z 0
・F
¥ ﹀¥ の
¥ 同¥ 日
¥ 目白 ・
以上のように元帳は三九巻あるが︑仕訳帳が五六巻あって対
応している@これが東インド会社の主要簿体系をなしているQ
以上︑元帳と仕訳憾の存在状況をみてきたが︑それぞれ一冊
の仕訳帳と一冊の元帳の対応的存在が一般的であったQしかし
いくつかの例外もあった︒まずロンドン東インド会社の
B
一 元帳
。
は上︑下二巻の元帳であったが︑仕訳帳は一六六四年八月より
一六六九年三月までに渡るもので一冊だけであった@さらに一
九世紀に入ってからの業務停止と解散の時期になると複雑にな
ってくる@合同東インド会社の
T
元帳(一八O一年 七月 より 一八
一一年一一月にわたるもの)においては二冊の仕訳帳であって︑
一八
O
一年七月より一八O
六年六月までのもの︑一八O
六年七月より一八一一年一一月までのもの二冊となっている@
A
A
元帳︿一八一四年五月より一八三四年四月にわたるが﹀においては︑元帳は二冊であったが︑仕訳帳はほぼ三年ごとに更新さ
れて六冊となっている@この元帳は東インド会社の全史におけ
る注目の元帳であった︒
三三号元帳とここでなずけるところの一八三四年五月より一
八五四年四月までにわたる元帳がある(ど﹀
¥ C
¥同 ¥ 同
¥ ω C
が︑こ
れにはアルファベットによる元帳の名前がついていないQ
これ
に対応する仕訳帳は一
O
冊ある@二年ごとに一冊が記帳されている
三四号一元帳は一八五四年五月より一八六
O
年四月までの六年 ︒間のものであるが︑六冊あった@三五号元帳も二時となってい
る@
このように解散期においては複数の仕訳帳が設けられるよう
になっているのはなぜであろうかQ
‑OLR
の分類によれば仕訳帳︑元帳も一六六四年から継続
的に年代的に配列番号がつけられているが︑業務停止期以降︑
一兄帳名のない元帳も年代的に配列されて︑大きく東インド会社
の元帳となっているが︑これは果して東インド会社のものか︒
これはIOLRの歴史に対応しているのである︒
マ イ ク ロ フ ィ ル ム に よ る 所 蔵 帳 簿 の 紹 介 筆者が東インド会社帳簿に接したのは昭和四十七年三九七
二年﹀十一月二十四日であった@昭和四十七年度立教大学在外
研究員として英国留学をなした@春さきよりロンドンで勉強し
てい たが
︑
B・
s ‑
ヤ
i
メイ教授の会計史研究で東インド会社にふれたところがあることを秋になって知った@‑元帳(一七
五
Ol
五六)の決算における資産評価の問題をとり扱っている( 回 ・ ∞
・ 吋 白
5
3・ 印
05
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︒1
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口 問 E 三
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問]
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巧 ・
↓・
出血
同 H op ‑
・印︒︒ここを手がかりとしてインディア・オフィι
ス・ライブラリー・アンド・レコ
i
ズを訪ねた@大量にある東インド会社の会計帳簿を知った︒帰国まであと四カ月という ときであった@日本還のライブラリアン︑ファ
l
リントン氏(百
円・
﹀三
宮ミ
EE
ロ四件︒るには世話になった@その折︑タイプ印刷の私本の三島町
S F m
何
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目︒ 同吾 叩﹀
3 0 5 H
の
S
O B
‑
印
︒呂田三百四三を借用︑一元帳の存在状態を知った@ファ!リン
トン氏は元帳は三十九巻あると語った︒この時には仕訳帳の紹
介はまだガイド・ブックになされていなかった︒
元帳は
B
元帳の上︑下から始まるが上巻二七五了︑下巻三七イギリス東インド会社の仕訳帳・元帳 七丁という大部のものであったQ留学時においてまず︑ロンド
ン(旧)東インド会社のB元帳と十九世紀の三四号元帳のマイク
ロコピーを依頼した@まず最初の元帳をみたかったためで︑世
界史に冠たる体系といわれる帳簿でもあるからであり︑三四号
元帳はセポイの反乱によって東インド会社の解散時のもので重
要時点の元帳と考えたからである@昭和四十八年三月に帰国
し︑その後︑科学研究費の助成をえて︑旧会社のC元帳と
K
元帳︑新東インド会社のB元帳を複写した@C元帳は︑すでにの
べたようにまことに完全な複式簿記の完成形態を示し︑決算の
締切りの方法も﹁大陸法﹂を示すまことに貴重なものであるQ
K
元帳と新会社のB元帳はカルテル締結期のもので旧会社と新会社の合同指向のもとでの記帳として注目する@
合同東インド会社の元帳として十八世紀初期のC元帳︑D元
帳︑中期のものとして
I
元帳とK
元帳をマイクロ・フィルムによって入手した︒
K
元帳の記帳期間中の一七五七年にプラッシl
の戦いが起って︑東インド会社は︑単なる貿易会社より植民地支配会社へと性格をかえてくる︒
以上に示したものが前回の留学と︑そのときの知識によって
その後に入手したものであるが︑イギリス東インド会社前期の
元帳の主なものをインディア・オフィス・ライブラリーの好意
によって複写したQ
前回の留学から十数年たっ︒その問に前に記したような論文
を書いたが︑前半期の東インド会社の会計問題を中心としてい
。
立教経済学研究第四
O
巻一号ハ一九八六年﹀たQここでは一巻ハB一五帳﹀の仕訳帳のコピーはあろものの主
たるものは元帳であった︒元帳だけを史料とすることには限界
があることを知る@たとえば吋
o m m g g
ロ2 8 5 Z
という元
帳の摘要では︑﹁諸口﹂といわれるだけで内容はわからない︒
これは仕訳帳によらねばならなかった@
二ハ六四年の元帳から一七六三年の
K
元帳へという前半期の一
00
年を問極としてきたが︑後半期が一00
年ある︒この後半期はまさにイギリス資本主義の興隆期にあたるが︑これが東
インド会社にどのように現われるかという社会経済史的問題
と︑そのうえに展開する会計史の固有の問題があるQ
これ
を一
冗
帳を中心とするものではあるが︑仕訳帳を加味して分析を進め
たいということで第二次の英国留学となった@
)九
八五
年(
昭和
六
O
年)六月二十三日より九月二日までロンドンを中心として短期留学の旅に出た︒ただちにインディア
・オフィス・ライブラリーに行った@ガイド・ブックは前回よ
り整備されていた︒しかしタイプ印刷によるもので︑手書き部
分も相当にあり︑公刊されているとはいいがたい︒しかし︑こ
れによって仕訳憾の所在もわかった︒
今回の複写は独占解体期の研究を中心として︑十九世紀の前
半期に集中︒渡英前に考えていたことは︑ぞの所在はすでに知
って
いた
A
元帳三八一四年五月
A l
一八
三四
年四
月)
をま
ずみ
る
ことであったQ一八一一二年の特許状の更新にあたり二
O
年という期間が限定され︑まず対インド貿易が自由化されるというか 二
O
四たちでこの元帳は出発した︒そして二
O
年後︑のこされた茶独占門中国貿易の独占︺も崩壊し︑商業活動が停止されるという
背最をもっているQ独占解体期の研究となるとその前史がある
が ︑
U
一冗帳
ハ一
八一
一年
七月
l
一八一四年四月﹀もみる必要がある︒これとの比較のなかで会計問題もうかび出してくる︒
一八三三年に商業活動は停止するが︑東インド会社の解散は
セポイの反乱︹インド犬反乱︺をへた一八五八年である︒ここ
にイギリスによるインドの直接統治がはじまる︒この間の事情
は︑アルファベットによる名称をもっ元帳はなくなって︑一八
三四年五月から一八五四年四月までの元帳があるハこれはどと
の¥H¥H¥uu
とい
う分
数番
号が
つけ
られ
てい
るの
で三
一一
一号
元帳
と呼
ぶ﹀
0
2一
四号元帳の途中でセポイの反乱となるが︑三回号元帳の複写は
すでに入手している@これによって︑一八一一年七月より一八
六
O
年四月までは迷続的にみることができるQこのたびの留学で ︑
U
元帳︑
A
A
元帳上下二巻︑一二三号元帳を新らしくマイクロフィルムに収めることを依頼し︑入手している︒さらに最後
の元帳といわれる三九号元帳もマイクロ・フィルムによって手
許に
ある
︒
このようにして三十九巻のうち︑十五巻が手許にあワて︑ほ
ぼ二
00
年間の元帳をインディア・オフィス・ライブラリーの
好意によって日本にいて研究することができるようになった@
今回の留学では十八陛紀末かち十九世紀にかけてのイガリス
東インド会社による英国︑インド︑支那との三角貿易の構造を
会計帳簿からも明らかにしえればと考え︑とくに阿片の記帳を
みたいと思ワた@阿片取引の最盛期︑その貿易独占を示す記帳
が
N
元帳
ハ一
七七
一二
年七
月
l
一七
七九
年六
月﹀
︑
O
元帳(一七七九年七月
l
一七
八五
年六
月)
であ
る︒
N
元帳について調べはじめたが︑頁をめくると帳簿がばらばらになってしまうような状態であっ
て︑帳面をこわしてしまうことをおそれて残念ながら調査を中
断してしまった@
仕訳帳については旧会社の
C
元帳の仕訳帳︑A
A
一元帳
の初
期
に対応する仕訳帳︑三三号一元帳の初期に対応する仕訳帳をみ
た︒これらについては元帳の補充といういみでみているが︑い
ずれ入手することを考えている︒
以上︑手持史料の紹介をしてさたが︑今回の調査で後半期の
帳簿をかり出したとき︑ライブラリアンが︑﹁この帳簿をみる
のは私が知るかぎり初めてである﹂というようなことをいっ
た@チャ
i
ドリ惇士も︑バラードニi
教授も前半期を主に問題としているようである︒この後半期に切り込むことは世界でも
初めてかなと勝手な思い込みをして研究のきびしさを感じつつ
も︑斗士山をもやしている@
四 む す び に か え て
i!
東 イ ン ド 会 社 会 計 史 の 問 題
点
│i
( 1 )
イギリス束インド会社の帳簿史料は二ハ六四年の
B
元帳と︑それに対応する仕訳帳から構成されているが︑一六
O Q
年の創設から一六六四年にいたる時期にはどのような会計帳簿
イギリス東インド会社の仕訳帳・一元帳 が制度的に展開されていたか︒本来的な株式会社の設立は二ハ豆七年のクロムウエルの改紘と二ハ六二年のチャールズ二世の勅許を期とするが︑それ以前の時期の問題である@十七世紀という経滅的・歴史的状況のなかで複式簿記法は相当に普及・発展していたが東インド会社ではどうであったか@この段階では帳簿史料が存在していないが︑当時出版された簿記書によっておおよそのところがわかる︒一六三二年のカ
l
ペン
タ
i Q
・
G
の ロS S 3
の簿記書では︑東インド会社総督モ
l
リス・アボット
卿献辞が記されていて︑同社の業務につくことを感謝し
ι
ているものがある︒すぐれた簿記書の著者が会計係として就職
している︒こういうもの宏史料とすることによって当時を分析
してゆくことができる@企業形態が︑個別企業制として出発
し︑二ハ一一ニ年に合本企業制をとるが︑こういう企業形態に対
応する会計組織︑会計制度︑これを支える会計技術の発展は必
ずしも充分ではないことが帳簿をのこしていないことになるで
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創立期についてはスコットの研究巧・戸
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にくわしい︒わが国では
大塚久雄著﹃株式会社発生史論﹄ハ昭和十三年)の後篇︑第四章
となる@これは﹁イギリスにおける株式会社形態の展開﹂であ
るが︑副題として﹁特に東イシド会社における会社形態の発達
を中心として﹂となっている@ロンドンハ旧﹀東インド会社の設
二
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五立教経済学研究第四つ巻一号(一九八六年)
立過程をくわしく論じている@
これらの著作の勉強から筆者のイギリス東インド会社会計史
の研究ば出発したのであるが︑後年になって西村孝夫﹃イギリ
ス東インド会社史論﹄ハ啓文社・昭和三十五年﹀を知ったQ大塚教
授の研究は一七二
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年代までであったが︑これは全生涯をみわたしたものである︒
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年ほどの間に会計史家もイギリス東インド会社に注目しはじめるが︑これは一六六四年の帳簿存在期以降を問題と
している︒パラド
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るが︑東インド会社の老大な会計関係記録は四つの時期に区分
することができるという@その第一がここの時期であるが(一
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一六六三字文会計帳簿が保存されていないのが特徴であるという︒
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教授はさらに本格的論文を出す︒寸ロphh 日 目 白 弘
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なくなってしまっているQしかし︑ほぼ完全に残っている議事
録やその他の書類から会計問題の研究は可能であるとして︑会 二
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六計業務の一般状況︑会計活動の機能的組織について︑また会計
の体系と方法について論じている︒この論文は会計史研究を単
に帳簿分析のみでなく︑関係書類のなかから推進しようとする
もので︑これからの研究の一つの指針となるものである@会計
帳簿を支える基礎の史料の発掘も必要となることを示す︒
( 2 )
ロンドン東イシド会社としてイギリス京インド会J位
は
設立されたが︑本格的な﹁株式会社﹂となるに及んで新らしく
一万帳・仕訳版制度をつくった@この簿記は完全な︑あるいは完
成した複式簿記法であったQその典型が一六六九年四月より一
六七一年四月までのC一冗帳である@資本金︿辺
2 3
勘定と決算
残高勘定が︑一沌恨の最初と最後に脊在している︒ここに大陸法
的決算締切り方式が行われていることを知ろ@C元帳において
はこのような勘定組織が体系化しているが︑その後の元帳では
後退しているとみられる状況もある︒歴史の発展は必ずしも一
直線ではない︒
この時期の研究として注目すべきものは
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である@現存帳簿による研究として一六六四年元懐からはじめ
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