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秘 密 婚 と イ ギ リ ス 近 代

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(1)

秘 密 婚 と イ ギ リ ス 近 代

課題ー教会乍式婚と秘密婚ー

¥ Y

i l

l i

a m

Gauge﹁家族の諸義務についてof

D o

m e

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a l

l   D

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婚姻のヤー巾者について

中ー巾者達はどのような仕方で昭固な巾一体に正しく結ばれるのか 婚姻の

1 1

的について 秘密婚について 婚姻契約と教会裁判所

H .

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e 

1婚姻約束もしくは婚姻兜約論

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a l   Contracts~

婚姻約束占訟

ん・

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→ 

ー 欠

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fゞ~ー.  L 

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9 . 

.•

r91. 

J

I i

香川法学第│.巻第.号︶

( 三 )

12  (香法'92)

(2)

初期近代イングランドにおける婚姻慣習 求婚について 妍姻兜約と秘密婚

1花嫁の奸娠﹂と婚姻間習 婚前淫行罪と教会裁判所

(以じ、第ト一巻ーこ•四合併号)

C i v i

l M

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r i

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についてe

] 法改乍と婚姻法 シヴィル・マリッジの

人とその結果

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e M

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r i

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と教会e

" T ̀  

第四章

(3)

秘密婚とイギリス近代 (:̲)  (架原)

( 3 )

新法律学辞典︵我友栄編

打妻閣

( 1 )  

C .  

H .   F i r t h   a n d   R .  

S . 

R a i t   ( e d . ) ,  

A c t s   a n d   O r d i n a n c e s   o f   t h e   I n t e r r e g n u m

1642 

 

, 9   16 60 . 

R e p . r o   P f f e s s i o n a l   B o o k s ,  

1 98 2,

V o

 

l .   I I ,   p p .  

715

71 8.

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^ じ ︶ . i ) 4 ' I' i ,r

△ 

( 2 )  

G .

 

R .

  N o u r s e , L   a w   R e f o r m   u n d e r   t h e   C o m m o n w e a l t h   a n d   P r o t e c t o r a t e ,   L a w   Q u a r t e r l y   R e v i e w ,   V o

l .  

7

5,

 1959; 

: V I

.  

C o

t t e r e l l ,   I n t e r r e g n u m   L a w   R e f o r m   :  t h e   H a l e   C o m m i s s i o n   o

f  

1

65 2,  

E n g l i s h i s   H t o r i c a l   R e v i e w , V o  

l .  

8

3, 1  96 8.  

c i v i l m a r r i a g e

﹂の項

1 1

では︑次のように説明されている︒﹁婚姻 の意味として適していると思われる︒このことは本稿のなかで明らかにされるはずである︒

C i v i l J

の意味を

﹁世

俗の

もしくは

1 ,

﹁仕

家︒

と理解する方が

^.‘•L

. .  

.

q. ) 

一プ1-—-れ_0

﹁シ ヴィ ル・ マリ ッジ

シヴ

ィル

﹁民

事﹂

言葉がこの法律によって導人された婚姻の歴史的実体を理解するために適さないと考えるからである︒

むし

ろ︑

周知のとおりであるが︑筆者が本稿でこの訳語を採用せず︑シヴィル・マリッジのまま使用するのは︑う 4とし

我が国では︑

C i v i l   M

a r r i a g

e

に対してないしの訳語があてられていることは

め に

治安判事のもとでの世俗化された婚姻を唯一合法的な婚姻として採用したた

イギリスの婚姻法史上初めてシヴィル・マリッジ

C i v i l M a r r i a g

を導人したものとして評価されている︒

e

の課題はこのシヴィル・

とこ

ろで

マリッジが祁入されるに至った原因とその歴史的特質を考察することにある︒

﹁民

事婚

﹁民

事婚

主義

本章 が成吃 一六五三年八月二四日︑指名議会

N o m i n a t e d P a r l i a m e n t

おい

て︑

﹁婚姻及びその登録︑同時に出生︑埋葬に関す

る法律

A n A c t   t o u c h i n g   : V I a r r i a g e   a n d   t h e   R e g i s t e r i n g   t h e r e o f

;   a n d   a l s o   t o u c h i n g   B i r t h s   a n d   B u r i a l s j  

した

この法律は教会挙式婚を廃止し︑

第 五 章 イ ギ リ ス 革 命 期 の シ ヴ ィ ル マ リ ッ ジ C i v i l M a r r i a g e

について

1 2  

i 去

'92)

(4)

とはいえ︑長期議会初期の教会改"中間題は︑

一六四一年末から一六四ー一年にかけて ピューリタニズムの影秤卜︑ ら

で あ る

︒ 教 会 改 革 間 坦 は 六

0

1

1

こよ

‑ ︳

]L It IV  

一六

0

年に始まるイギリス吊命は︑

I L の規往が

l l t

俗的な川家によってなされるというじ義︒教会婚︑

E "

︐氏に対する︒.八間紀木上てキリスト教の教会の儀式に上らな

くては打効なる婚姻をすることがてきなかったが︑婚姻遠俗州動となり︑一じ几.年のフブンス

T邸法によるー仏律は婚姻を民巾閃約

にはかならないことを認める︐とい胄

. .  

F f

八に代わった︒これは但俗的

r

家権力の確立・集中に桔づく

LL

L

ji ︑)︒

教会改革問題と婚姻法

二 ハ

0

四年の教会法にもとづく教会洋式婚への婚姻の統一化政策のこれまで の成果を完全に囮すものであったとげうことができる︒国教会そのものがこの吊命で変革されるべき対象とされたか

一月に召集された長期議会の屯要問題のひとつとされており︑

﹁根こそぎ請願

Th

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R o

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d   B

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h   P

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﹂が

l L O O

人の署名をそえてロンド

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ン市から議会に提出され︑﹁大主教︑じ教︑唄常参巾会長︑大執事などの統治機構は︑彼らの裁判所や彼らの職務

m i

n i

, s

t r a t

i o n

とともに教会と国家の双方に

9いを与え︑非常に危険なものであることが明らかになったので︑﹂﹁かかる統治機

構はその全ての付属物とともに根こそぎ廃止され︑彼らのためにある全ての法律は無効とされ︑神の言朗に従う統治 機構が我々の間に正しく樹立される﹂ように謂願し︑主教制そのものの廃止が要求されている︒

﹁反

絶対

E 義統一戦線﹂のもとで国教会の廃止よりもむしろロード

W 7 .

La

ud

体制ドの同教会の是正をめざしたものであったと言うべきであろう︒しかし︑教会改吊問題がロード体制下の国 教会の是正をはるかに越えて国教会そのものの廃止に向けて動き出したのは︑

(5)

秘 密 婚 と イ ギ リ ス 近 代

長期議会が分裂し︑議会派が議会じ権の確立をめざし︑国王を首長とする教会組織にかえて議会じ権に適合的な新た

一六四三年一月に国教会廃な教会組織の樹立を求めたからであった︒国教会支持者の多くが国王派に属したために︑

止法案が議会に提出されたときにはこれに反対する意見はほとんどなく︑国王の同意がえられないまま国教会の廃止

が決定されている︒

工 ハ

0

四年の教会法にもとづく教会学式婚への婚姻の統一化政策の成果を水泡に帰してしまう結

果をもたらしている︒国教会にかわる新たな教会制度の樹立のために︑

' ¥ V e s t m i n s t e r A

s s e m b l y   o f   D i v i n e s

が設骰される︒そして︑一六四五年一月には︑国教会の共通祈縞内を廃止し︑

長老派の公的礼拝規則内

t h e D i r e c t o r y o r   f   t h e   p u b l i q u e   w o r s h i p f     o Go

dの使用を命じる議会条令

O r d i n a n c e が制定 された︒国教会の共通祈繍内を使用する一六

0

四年の教会法にもとづく教会挙式婚は禁止されることになった︒さら に︑内戦の長期化のために︑議会条令によって︑大主教︑主教︑大執事などの国教会統治機構卜の官職や称号

t i t l e が 廃止され︑教会領の没収も行われている︒このように︑国教会の機構そのものの解体が一六四

0

年代に進展する過程

一 六

0

四年の教会法にもとづく教会学式妍はそれを推進してきた基盤を失うことに なった︒その一方で︑先の公的礼拝規則内の制定をうけて︑﹇教会にかえて長老制教会を全国に樹立する試みが議会 制の残仔のために︑長老制教会を全国に樹立する試みは六州で実現されたにすぎず︑全国的にみると革命期には様々

なタイプの教会が雑屈する状態が続いたと言うべきであろう︒

国教会の解体と新たな教会機構の樹立をめぐる宋教じの分裂状態のために︑

式婚にかわる新たな教会学式婚を唯一合法的な婚姻方式として樹立することは不可能であったわけである︒ 条令

/ し ︑

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/︸︸

1

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によってなされている︒しかし︑

このこと

一 六

0

四年の教会法にもとづく教会学

これをめぐる長老派と独立派の対立や国教会の教区

い)(柴原)

で教会裁判所も廃止されており︑

什 ナ し ー

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L.‑‑l 

国教会の廃

l

は ︑

ウエストミンスタ神学者会

12  LJ  (香法 '92)

(6)

そして︑国教会の解体と

9ぷ教じの分裂状態のなかでシヴィル・マリッジが統一的な婚姻方式として導人されるに予

る歴史的要因として︑ピューリタニズムの婚姻観の影郷百も無視することはできない︒洗礼と聖餐のみをサクラメント

s a

c r

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e n

t とみなし︑婚姻をサクラメントとみなさないことはプロテスタンティズム一般に共通する特徴とされてい

る︒しかし︑婚姻の非サクラメント化を但俗的な私的招約として発展させたのは︑分離派ピューリタンの代表者であ

の婚姻観であった︒

女の結合であること︑婚姻は他の日的のための

f

段ではなくて︑妍姻刈事者の福祉のための愛の結合であり︑従って

中且事者の適合性︵相性︶が

要であること︑婚姻は←ー巾者の自発的合怠に韮づいて成立することなど︑近代的婚姻観

I n

の中核をなす衿え方がはっきりぶされている

L

ことを指摘し︑

さらに︑婚姻を私的契約としてとらえるブラウンの婚 姻観をイングランドにおける氏

l i

的妍姻観の起源として位樅づけている︒

そして︑ブラウンの私的契約的妍姻観は︑革命期にはブラウニスト

︵分

離派

D .   R

o g

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s やミルトンJ.

M i

l t

o n

などの独立派の婚姻観にうけつがれたことから︑ブラウニストと独立派の婚姻観は︑

二ハ五三年のシヴィル・マリッジの森人の原動力としてポウエル

C . L .  

P o

w e

l l

によって評価されている︒ブラウンに よってぷされた私的拠約的婚姻観は︑ブラウニストや独立派の婚姻観を介して晶命期イングランド社会に受容された

とされている︒しかしながら︑

にするだけの準備はなく︑

ブラウニストと独立派の婚姻観にシヴィル・マリッジ導人の原動力を求めるポウェル の見解は再検討の余地があると思われる︒筆者にはブラウニストと独立派の婚姻観を品命の進展と結びつけて明らか

ポウエルの見解を本稿で思想史的に検討することはできないので︑次の一一点をあげるにと

のみならず︑ダニエル・ロジャース

いては上野雅和教授の研究があり︑ーブラウンの婚姻観のなかに婚姻がサクラメントではなくて︑非宋教的世俗的な男 るロバート・ブラウン

R o

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︵一

五五

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六 :

. 三

ロバート・ブラウンの婚姻観につ

< i : 1

︶ グ レ

! こ一ーrヵ一~ノJI0

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マリッジの叶人の歴史的前提条件となったことは明らかであろう︒イ.

(7)

秘 密 婚 と イ ギ リ ス 近 代

('

され

ある

︒ ﹁婚姻はサクラメントでも︑神の教会に特打なものでもなく︑人類に共通なものであり︑全ての国家の公的関心事で

しかるに︑婚姻する人達は神のもとで婚姻し︑この新しい境遇に人るときに神の言虻からの教え︑指示︑訓戒 と︑そしてそこでの彼らへの神の祝福とが特別に必要であるがゆえに︑我々は︑婚姻は合法的な咽職者によって挙式 かの唄職者は彼らに助

! ]! !

[ lを仔え︑彼らへの祝福を祈ることが好ましいと判断する︒﹂

このようにサクラメントとしての婚姻は否定されながらも︑婚姻は教会と国家の双方によって管理されるべきこと が示され︑長老派叩職者による教会学式婚が求められている︒従って︑教会と国家の双方によって管理される教会挙 式婚が長老派の婚姻観であり︑ブラウニストの婚姻観が私人間の私的契約的婚姻観であるとすれば︑独立派政権下で

A 長老派の婚姻観に関しては︑

1

心は独立派の婚姻観に関してである︒ポウエルは独立派とブラウニストの婚姻観を同じものとして位渭づけてい るが︑両者の間には対立があり︑同一視することはできない︒ウエストミンスタ神学者会議で示された﹁長老派とブ ラウニストの中逍﹂という独立派の特徴の意味を婚姻観と結びつけて検討する必要があると思われる︒

一ぃハ四五年一月四日に議会の条令によって制定された﹁公的礼拝規則淋﹂に示されて

ろう

婚姻観との相違があり︑一ぃハ五:こ年のシヴィル・マリッジとブラウニストとの関連についてさらなる検討が必要であ

この点で婚姻を私的契約とみなすブラウン

一六五三年に尊人されるシヴィル・マリッジは婚姻を世俗化するものであったが︑婚姻を純然たる私 的兜約としてみなすのではなく︑咸婚姻を国家の定めた制度におきかえ︑婚姻の合息も国家の定めた制度を受け入れる

発意としての地位しかもたない﹂ものだからである︒

その第一は︑

どめ

る︒

︵ブ

ラウ

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1 2  ‑ ‑1  ‑ 7 

(香法

' 9 2 )

(8)

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(‑)  S.  R.  Gardiner  (ed.),  The  Constitutional  Documents  of  the  Puritan  Revolution  1625‑1660,  Oxford,  1968,  pp.  137‑138. 

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(‑tj<) 

An  Ordinance  for  taking  a¥,・ay  the  Book  of  Common  Prayer.  and  for  establishing  and  putting  in  execution  of  the  Directory 

for  the  publique  worship  of  God  (4  January  1645)  in  C.H.  Firth  and  R.  S.  Rait  (ed.),  Acts  and  Ordinances  of  the  Interregnum 

1642  1660,  Vol.  I.  pp.  58'.2‑607. 

(L‑:) 

C.H.  Firth  and  R.  S.  Rait  (ed.).  op.  cit.  (9  October  1646),  Vol.  I.  pp.  879‑883;  Ibid.  (30  April  1649).  Vol.  II.  pp.  81  104. 

(,.c:)

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C.  L.  Powell.  English  Domestic  Relations 

1~87

1653

Russell and  Russell,  1972

pp. 44  49. 

(O"l)...:....:~ 要正「志立捏‑>(̲」

(三)涵芝'=~「写咤午こ」 ..'./・‑マ/0'、...̲̲̲ .‑'' 

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(9)

秘 密 婚 と イ ギ リ ス 近 代

法改革と婚姻法

き社会改吊のうちのひとつとして位附づけられる︒

存の法体系

︵コ

モン

ローとエクイティ︶ タイプの法改革案が提案され︑

革命期は上出の三党派からの法改吊案に限られることなく様々な るべき社会をめぐる対立を意味していることは改めて言うまでもない︒

法改吊間題もこの革命によって実現されるべ

独立

派︑

平等派などの党派の対立が︑

革命によって構築され

い)(榮原)

( 1 1 )

C

 

.H .  F i r t h   an d  R .   S

・R ai t  ( e d . ) .   0 p

・ c i t . ,   V o l .   I ,   p .  

59 9.  

( 1 2 )

﹁公的礼拝規則れ

[ L

の砥叩姻の学式

Th eS ol em ni za ti on   of   Ma rr ia ge

﹂の項目は︑国教会の

1共通祈砧土いの﹁婚姻の学式﹂の項

H

と比べると︑教会儀式がかなり簡略化されたものとなっている︒しかし︑婚姻方式の点では両者に大きな相違はみられない︒婚姻

予告

ba nn

1豆来は使われていないが︑l].人の婚姻の芋式の前に︑彼らの婚姻の紅思が︑彼らが通常の住所とする地においてそ

れぞれ︑会衆に対して︑安息

1 1

I n l

︑僧侶によって公ぷされるべき﹂ことが規定されている︒また︑ベム的礼拝規則内﹂では

婚姻の学式を教会で行うべきことを明出せず︑ー僧侶は︑充分な数のい用できる訛人達の前で︑公的謙遜の

1 1

a d

ay f   o   p u b l i c

u   H mi li   ,  a t i o n 以外のいかなる年のいかなる日においても︑公的礼拝のために権威によって指定された場

1

でその妍姻を洋式するべし

1と規

定されているが︑ 1

公的礼拝のために権威によって指定された場所

L

が国出教会としての樹

L I L をめざす長老派教会を認味していると 罪解すべきであろう︒また︑木成年者の婚姻に対する親もしくは保詭者の同紅も︑僧侶の面前での中ー事者逹の

1

1口も詞じである

( I b i

d ••

V o l .   I .   p p .  

599 

60 1.

)

C

L

の独立派し

了パ五三年にシヴィル・マリッジが導入されるに至った直接の契機として︑

らない︒長期化する内戦の過程で生み出された長老派︑

大州の法改吊パンフレットが犯濫した時代であったと汀うことができる︒

そこには既

や法律家の廃止さえも求める急進的な法改吊案も展開されている︒

第一.三巻第.号

吊命期の法改革間題が検討されねばな

•Lし、ド)-)/I~i/r

. .  

‑ . ↓ : ー

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•-1

. . .  

~9-

••

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1 2   ︐ 

(香法'92)

(10)

9̲1 こ ︑

 

委員会はニ一名の非議員によって編成されている︒

治安 判事

︑ この法改革案は︑平等派やデイガーズ

D i

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e r

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ヒュー・ピーター

Hu

gh

P e

t e

r をはじめ Jヘイルをはじめ四名の法律家がおり︑このニ︱名のうちには︑ えたものにすぎない︒

そこ

で︑

この改庫草案の特徴を知るために︑ヘイル委員会について少しふれてみたい︒

ヘイ ル

にわずかな修正を加

シヴィル・マリッジは︑そのなかの﹁妍姻及びその登録︑ 改吊圧早案は吊命期に﹂砂揚した戚存の法体系への批判を受けて作成されたことから︑

月 ︱ 日 ︶ : o

と指名議会のバロ集

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プ議会

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a   P

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においてであった︒

人の議員によって構成される法改吊委員会を設附した︒

ランプ議会はクロムウェル

0 . C

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l を含む二五

M.

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を座長とする一二名の委員によって構成される委員会︵通称︑

ヘイル委員会

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n )

を設附 クーデターによるランプ議会の解散︵一六任三年

という政治的変動とは無閃係に進められたわけである︒

この草案に含まれる改革項日は広 い範問の法領域に及んでいる︒この法改吊草案は既存の法体系のトータルな改吊をめざしたものとけうことができる︒

同時に出生と埋葬に関する法律の草案

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やバリスタ

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r の

経験

者︑

法曹学院に入学記録のあるものなどが一三名お 委員会の多数は法律の知識と経験のある人達によって編成されている︒

とする五名の急進改革派を委員会に含むとはいえ︑前者が草案作成のイニシアチブを捏っていたことがコォトラル

M .

C o t t

e r e l

l による委員会の議巾録の分析から指摘されている︒従って︑

そし

て︑

この法

全体としてし.日にも及ぶ委員会の審議を経て︑

の日甲案を議会の委員会に提出している︒法改革草案の作成作業は︑ 立法化のために法改げ中の草案を作成し︑丁パ五三年七月日にそ し︑このヘイル委員会に法改吊サ早案の作成を求めている︒ヘイル委員会は週

f ^ ‑ l

n l

︑六カ月以に渡って委員会を開き︑

t

︸ この委員会は︑ヘイレ」、—こマッシ1.L‘1L1F11.l.-

}

 

―-/1~-IJ-if-l一ノー、’UM~)

一﹂

ハ四

九年

しかしながら︑一六五:一年のシヴィル・マリッジの吋人に結実する法改吊が着

f

されたのは︑

独吃派政権ドのラン

1 0

 

(11)

机炉序険杵とイギリス近代

(:)  (';fi

二ハ

0

年の姦通繁止法︵正確には︑近親相姦︑姦通︑未婚者淫行などの心路副された罪を禁圧するための法律An

Ac t 

行きと言える︒ 挙式婚も独立派やセクトの反対によって特定の地域で限定的に行われていたにすぎない︒多様な婚姻がそれを規制するべき機構がないまよに行われ︑秘密婚も吊命袖のように規制されることなく︑婚姻は﹁野放し状態﹂たと言ってよい︒その意味では︑教会裁判所が廃止されたために﹁野放し状態﹂あった︒従って︑権力を掌握した独立派の吊命政権が婚姻や性道徳への新たな規制の導人を求めることは当然の成り

f o r   s u p p r e s s i n g h   t e   d e t e s t a b l e   s i n s   o f   I n c e s t ,   A d u l t e r y n   a d  F o r n i c a t i o n

  (

10  M ay  

16 50 ))  

‑ーし`←j この法律は厳罰を定めたことで付名である︒

はこの脈絡のなかで位置

に憤かれてい

に憤かれたのは性道徳規制も同様で

それにかわる長老派の教会

そのなかで﹁婚姻及びその登録︑同時に出

この法改革案を具体的に検討

関する法律の位案﹂

f o r   t a k i n g   a v , r a F y   i n e s   u p

on i l   B l s ,   D e c l a r a t i o n s ,   a n d   o r i g i n a l  

¥ V r i

t s ﹂

左ぷ 師い て﹂ 立止 が化 され るこ とな く苑 サり 去ら れて

こり

法改

"中

位案

1パつの位案を除いて立法化されなかった原因については︑現に機能している法律を変えるこ

との困難さと既存の法律に既得権をもつ法律家附からの反対ということ以外の原因は︑

することが本稿の課題ではないのでふれる必要はないであろう︒しかし︑

生と埋葬に関する法律のぃ案﹂が立法化されるに哨った原因についてはふれねばならない︒

婚姻法が新たに制定された原因の第一は︑婚姻法が

一 六

0

四年の教会法にもとづく教会挙式婚は国教会の廃止によって否定されており︑

にもかかわらず︑

の流れを受けつぐ急進的な法改革案というよりも︑法律家屑による穏健な法改革案と位置づけられるべきである︒

と ヘイル委員会によって作成された法改革草案は︑先の

贔m

状︑原告最初の訴答︑訴訟開始令状への手数料を廃止する法律の革案

A

D r a f t   o

f   An 

A c t  

﹁無

法状

態﹂

に置かれていたことであろう︒すでに述べたよう

﹁婚姻及びその登録︑同時に出生と埋葬に

1 2  

11  (香法'92)

(12)

法の制定を容易にしたと言えるであろう︒ ヘイル委員会 ﹁近親相姦を犯し︑それを告白したもの︑もしくは︑巡

I I

裁判所の裁判官または四季裁判所の治安判市の前で︑正式

起訴または告発にもとづき近親相姦によって付罪評決を受けたものは︑聖職者特権なしの

w i t h o u t b e n e f i t   o f   C l

e r g y  

重罪として死刑に処するものとする︒﹂

そして︑姦通に対しても同様に︑聖職者特権のない屯罪として死刑に処することが規定されている︒

未婚者淫行に対しては︑釈放もしくは条件付釈放なしの三年間の監獄への拘繁を定めている︒

このように︑姦通禁止法は違反者に厳罰を課すことによって性道徳の規制をめざしたものと言うことができる︒

この法律は独立派政権下の特異な法律としてみなされるべきではない︒

て生じた﹁法律の空白﹂を埋めるために︑

 

討の成果と三口うべきであろう︒さらに︑

回裁判所などの但俗の裁判所に移すことによって裁判機構の再編成に着

f

したことは注日される︒

もかかわらず︑

︷ `ッ 二

いる︒治安判事がこの法律を無視したことも︑

その 一方 で︑ この法律がこれまでは教会裁判所の管轄とされてきた犯罪を四季裁判所や巡

その意味では︑

六五三年に制定される婚姻法の特徴はこの法律においてすでにぷされている︒しかしながら︑姦通禁止法の厳格さに

この法律はわずかしか執行されておらず︑ほとんど﹁死文

a d

e a d   l e t t e

r

﹂であったことが指摘されて

﹁死文﹂とされた原因と考えられる︒

そして︑婚姻法が制定された第二の原因は︑婚姻法が教会法の管轄であったために︑婚姻法の制定それ自体がコモ ン・ローの既得権を侵苫するものでなかったことであろう︒法律家達はこの草案の作成には協力的で︑

も委員会外の法律家達との協議を経て婚姻法の草案作成にあたったことが指摘されている︒さらに︑婚姻法の制定に

ともなって教会裁判所にかわる新たな裁判所を創設することもなく︑既存の裁判所にその管轄権を委ねたことも婚姻 か

し ︑

この法律が 一﹂ハ四四年以来新しい法律の制定に向けて議会によって市ねられてきた検

この法律は︑教会裁判所の廃止によっ

(13)

(一)孟逗「'<:-~::,

メ忍戸さぎモー一竺建迄地索 」(玉ピ祖竺 :o‑.:::: 

ご~..,ょ~.;J<~)

区)

M.  Cotterell,  Interregnum  Law  Reform:  the  Hale  Commission  of  1652,  English  Historical  Re,・iew  Vol.  83,  1968,  p.  659. 

("")'尺ミさ封ギ之→巡はさ,~さこ毎声ぎ,'."

□ ¥.  :: 

―芸三宅,.;:: 令,\•~"妥弄宅’宝二姦声土孟,...;....: 妾忘’苓迄さ'苓;;;;手さ<~3封

全忍シサミ心ピふ二やl;!‑v‑,忘姦'翌":'閉寄妄迄臣旦~,;,.;; 心.L!i':‑"旦,~~ め.;;~添ぐ~ii志戸宅ミ苺戸::翫送ミ吾迄ミ至ミ姿三宅<s

者芸旦弓心苺互写型ミ竺這ぎ~J_lJ..,:i):;_:,:-".;µS.;µ茫....,.;; I;‑‑! こ心8

CL  Several  Draughts  of  Acts  heretofore  prepared  by  Persons 

appointed  to  consider  of  the  Inconvenience.  Delay.  Charge,  and  Irregularity  in  the  Proceedings  of  the  Law.  Printed  by  an 

Order  of  Parliament  of  the  12th  of  July,  1653,  for  the  l¥Iembers  of  the  House,  in  Somers  Tracts  (1809‑15  ed.)  Vol.  6,  pp.177 

-2~5.

("7')'.VI.  Cotterell.  op.  cit..  pp.  691‑695. 

(L::) 

Ibid.,  p.  696. 

(<e) 

D.  Veal!,  The  Popular  :¥fovement  for  Law  Reform  1640‑1660,  Oxford.  1970.  pp.  98‑99. 

(t‑)← ~ ぐご遥這さ呈くも迄ぎヤ心心ミ旦で入己;>,\'I'(考ぐ`心'知::::くぐ喜呈琴め二女~,f只謬慈ぐ'仁訊心哀迄‑<'註圭釘

'J.;;'

ぷさこ}合心

1‑¥.J 8湿安’さ乏~芸至:;;:‑

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や迄深如孝ぐい志ぐ+.!.

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旦溢記 ⇒

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(三) ⇒

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J (Ibid  ..  Vol.  II

p. 388)0 

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(至咲)(〗)

('く":‑‑‑"K一そテIT1~至八←,\'~1~,\ユ迅詣ざ華落」

(x) C. 

H.  Firth  and  R.  S.  Rait  (ed.),  op.  cit..  Vol.  II,  pp.  387‑389. 

(o‑i) 

Ibid.,  Vol.  II.  pp.  387‑388. 

(乏以之-i::::.;.J~::;:r) :̲i:; 11 Iロ‑',.;::::‑,o,1'; b.J.1...、)

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2}

牛︸心妄茫涵

Y(‑

(N  6/1:Ut) 

(:::)  K.  Thomas.  The  Puritans  and  Adultery  :  the  Act  of  1650  Reconsidered,  in  D.  Pennington  and  K.  Thomas  (ed.).  Puritans  and 

1  111 

(14)

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19 78 , 

p .  

27 5.  

( 1 2 )

ほとんどのカウンティがほんのわずかしか未婚者汗行の訴追をしておらず︑姦通者の有罪の評決も極端に少ない︒法律はほとんど死 文であった

( K .

Th

om

as

. 

p .  

c i t . .  

p .  

25 8. )︒近親相姦についても︑死者の近親者との再婚の場合には死刑判決が卜されても執行され

ていない

( C .

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s i l   B l a c b v e l l ,  

19 89 , 

p p .  

73

7 5. )︒にもかかわらず︑姦通禁止法 は一六六

0

年まで存続している︒

︵ い ︶

G.

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. 

19 79 , 

p .  

41

姦通梵止法がほとんど死文であったことから︑

吊命期には性道徳に対する規制がなされなかったと理解するべきではない︒性道徳に対する教会の行轄権が沿安判*に日代わりさ れるプロセスは︑姦通梵止法の制定を待つまでもなく︑事実

L

すでに進行していたからである︒

( 1 4 )

l ' v l .

 

  C o

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c i t .  

. ,  

p .  

69 6.  

を開始したのは︑

﹁婚 姻及 びそ の登 録︑

一六五三年七月︱二日に議会の法改革委員会に提出されたが︑

八月八日であった︒法案化のための常設委員会

t h e

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も設附され︑議会審議が連日

行われたことは

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に記録されている︒法案化のための若干の修正が加えられ︑

及びその登録︑

同時に出生と埋葬に関する法律﹂が議会で可決され成立した︒

この法律は婚姻に対する教会の管轄権を否定し︑婚姻を治安判事や登録吏

R e

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e r

などの世俗の官吏の手に委ねる ことによって︑

﹁婚姻の成立の規律が世俗的同家によってなされる﹂ことを宣言したものであるが︑

0

四年の教会法の婚姻に関する規定を世俗化したものにすぎない︒

会がこの法改革草案のうちの

同時に出生と埋葬に関する法律の草案﹂

内容 的に は︑

̲L. /¥ 

八月二四日に﹁婚姻

の法案化をめざして審議

ヘイル委員会によって起草された法改晶草案は︑

シヴィル・マリッジの導入とその結果

一 四

1 :1 1

  " 

(15)

秘密婚とイギリス近代 い)(栗原)

上記の条文から明らかなように︑ くは自治都市Town

Co

rp

or

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eの

治安

判事

の前

に行

き︑

この法律では男性は一六歳︑女 二一歳以 上記の背事者のいずれかがニ一歳以下であれば︑彼らの親も 書を作成するものとする︒権限を授けられたものは︑ のとする︒これが行われたならば︑登録吏は ︱一時から二時の間に公告するも これらのこと全てを︑次の祝日ごとに

のは 誰で あれ

﹁一六五三年九月二九日以後︑イングランド共和国the

C o

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  o f   E

ng la nd 内で 婚姻 する こと に同 意す るも

︵少

なく

とも

この婚姻をしようとするニ︱日前に︑︶婚姻当事者達︑親︑保護者もしくは

あれば︑︶上記の教会もしくは礼拝堂に隣接する市場において次の市日ごとに三回︑

︵貧

民︶

監 督官 Ov er se er sの 名前

︑姓

︑付 加部 分a dd it io n︑ 住所 等を

︑各 々の 婚姻 当事 者が 生活 する 教区 の︵ この 法律 によ って

任命された︶登録吏に対して北日面で報告するものとする︒卜品の登録吏は︑

回︑教会もしくは礼拝堂と一般に称される公の集会場において朝の礼拝の終りに︑あるいは︑︵婚姻当事者が望むので

︵関係当事者の依頼にもとづき︶これが正しく行われたことを示す証明

この証明書なしに婚姻の手続を進めてはならない︒もしも上記 の婚姻に対して何らかの異議が申し立てられるならば︑登録吏はその異議を異議を申し立てた人の名前と住所ととも

K

記の公告証明書に付け加えるものとする︒婚姻しようとするものは︑上記の公告がなされたカウンティ︑市もし

しくは保護者の同意を充分に証明するものとする︒

婚姻の手続を開始するものとする︒﹂ ︵合理的な反対理由がないと思われるならば︑︶このような仕方で

一 六

0

四年の教会法のもとで僧侶によって行われていた婚姻予告bannなどの婚

姻の予備的手続が登録吏と治安判事のもとでの世俗的な手続に変わったにすぎない︒内容的な変化はなく︑

ドのものの婚姻に対する親もしくは保詭者の婚姻同意権さえも一六

0

四年の教会法

( 1

0 0

条 ︶

一方で︑婚姻の法定年齢はこれまでは男性は1四歳︑女性は一二歳とされていたが︑

と同じである︒

その

婚姻

の公

告P

ub

li

ca

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on

につ

いて

12 

1 5  

(香法

' 9 2 )

(16)

﹁婚姻しようとする男性は︑婚姻しようとする女性の

f

をとり︑これらのそ・ロ葉をありのままに明瞭に胄.ばするものと

する。9我A•Bは人の心を極めし神のこの伯で汝C•Dを我が杖にめとる。我は神とこれら証人達の前で愛情ある忠実

な夫たることを汝に約束する︒﹂そして次に︑女性は男性の

F

をと

り︑

この法律が治安判巾のもとで行われる世俗的婚姻に妍姻を統一化することによって︑

﹁野放し状態L

にある秘密婚の規制をめざしたことは改めて立口うまでもないであろう︒この法律は︑一六四六年の第一次内戦の終結 以来︑議会によって法案化が試みられてきた秘密婚の規制のための成果を示している︒とりわけ︑誘拐婚に対しては

﹁いかなる人であれ︑暴力と詐欺によって︱︱︱歳以下の人を︑この共和国もしくは他の土地で

L

記の人と婚姻する

日的で誘拐し︑連れ去り︑または誘拐せしめ︑連れ去らしめるならば︑ 厳罰で臨むべきことが法文中にボされている︒

その人は全ての物的︑人的財産を没収される

るとされている︒

この よう に︑

妍姻の成立に教会は不必要とされ︑

沿安判事のもとで行われる世俗的儀式によってのみ婚姻は成立す

イングランド共和国内の他のいかなる婚姻も︑ か

くの

如く

官^

1

︱‑口がなされたのちに︑︵婚姻の︶この同怠と宣口は法律上

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効なものとする︒

二ハ

五ー

一年

九月

一.

九日

以後

ィングランドの法律に従う婚姻とみなされないものとする︒L

0

ちし

上記の治安判巾は︑

ト出の男女がこれ以後夫婦であると宜はするものとする︒

かくの如く同意が表明され︑

それ以卜の伯川しうる訛人達の立会いのもとに治安判

の前にてじ記の力式とげ虻で妍姻への一一人の同怠を表明した

1 1

順な疑たることを汝に約束する︒0l

該の男女が卜記の彼らの親もしくは保設者の同認を充分に証明し︑

一一

人も

しく

は のとする。〗我C•Dは人の心を極めし神のこの前で汝A0Bにとつぐ。我は神とこれら証人逹の前で愛佑ある忠実で従

これらのけ虻をありのままに明瞭に宣汀するも

婚 姻 方 式

性は一四歳と変吏されている︒

← ̲ , ̲ ̲  

(17)

秘密婚とイギリス近代 (~) (I

区の住民及び間帯︑E

は ︑

このように︑誘拐婚に対する規定がこの法律に人れられた直接の契機は︑一六四九年に婚姻日的で海外に誘拐され︑

議会で大間類になったジェーン・パッカーリング

Ja ne P u c k e r i n

の巾件にあると思われる︒しかしながら︑財産めあg

ての誘拐婚はこの時代に特釘な間題ではなく︑

8

てきた間題であった︒

婚姻の登録

一 七

︵沼まれれば︑︶婚姻当事者に対して︑

これら全ての人々の名前と︑公告︑婚姻︑出生︑ このような暴力と詐欺によって行われた偽りの婚姻は無効と宣せられる︒﹂

にもかかわら

r

誘拐婚が秘密婚の二棚として持続したのは︑

﹁婚姻約束の法﹂が完全に否定されることなく持続しているからであ

t

質の下皮紙もしくはパーチメントの帳簿が︑各教区内の全ての婚姻︑子供の全ての出生︑全ての人々の埋葬を登 録するために各教区によって備えられるものとする︒その帳簿の安全な管理のために︑貧民の救済に責任を負う各教

一六五:・‑年几月.^・‑日までに打能で正直な人を選出するものとする︒選出されたそのものは︑

かくの如き婚姻の公告︑婚姻︑子供の出生︑全ての人々の埋葬と︑

埋葬等々の年月日とさらに親︑保護者もしくは貧民監督官の名前を書面に記入するものとする︒教区の登録吏は︑全 ての婚姻の登録に冴名する上記の治安判事に仕えるものとする︒⁝⁝婚姻の公告とその証明内に一︱:ペンスが受領さ れる︒全ての婚姻の登録に

1ーペンスが受領される︒

在形の合怠﹂があればその婚姻を打効とみなす ものとする︒今後いつなりとも︑

さらに︑治安判事は︑

の婚姻︑その挙式の日付︑それに一

会った二人もしくはそれ以I L

t

の証人達を記したパーチメントの証明内を自ら究名

して交付するものとする︒この証明内に対して︑治安判事の内記は一︱︱ペンスを受領するであろう︒﹂ 1.人以上の訛人をともなう 7

ー五但紀以来長期にわたって議会制定法によってその根絶が試みられ

1 2  

17  (香法'92)

(18)

(5) 

る ︒ 委ねられることになった︒

このように︑教区ごとに新設される登録吏に︑婚姻の公告とその証明書の発行のみならず︑婚姻の登録とその管理 が委ねられることになった︒この婚姻法によって婚姻するために最低限必要な費川は︑婚姻の公告とその証明内に一

ニペンス︑婚姻そのものの登録に一︱︱ペンスであるが︑婚姻証明害の交付をも含めれば︑さらに一︱︱ペンスが必要と

この婚姻費用は全ての人に適用されるのではなく︑﹁施し

A l m s

で生活する貧民﹂からは徴収されな

いことが規定されている︒救貧税で扶養される貧困者はこの婚姻費用が免除されることを意味している︒

﹁兜約と婚姻︑それらの合法性と不法性︑契約と妍姻に対する令ての異議申し立て︑そしてこの法律から牛じる没収

財産の配分に関する全ての間題と争訟の審理と決定は︑各カウンティ︑市もしくは自治都市の四季裁判所における治

安判事の権限に属し︑その決定に委ねられるものとする︒﹂

これらの事項は国教会の廃止前には教会裁判所の管轄とされていたが︑この法律によって治安判事の四季裁判所に

ヘイル委員会の法改革草案にポされた裁判制度の再編成はこれだけが実現されたわけであ シヴィル・マリッジの施行とその実態

この婚姻法は一六五三年八月二四日に制定され︑同年九月二九日がその施行日と定められている︒登録吏を選任し

たりするために︑約一ヶ月の施行準備期間が設けられている︒

婚 姻 訴 訟

され

る︒

しか

し︑

そこ

で︑

一六五三年九月のイングランド全体の婚姻の

数を前後の月のそれと比べることによって︑人々がこの婚姻法をどのように受けとめていたのかを推測できるであろ

(19)

秘 密 婚 と イ ギ リ ス 近 代 (:)(栄原)

サー・ジェームズは

一 九

﹁イエス﹂と答えた︒次に︑私が彼と結 一六五三年八月の婚姻数は一四

0

一件であるが︑九月には九八八四件にまで増大し︑法律施行後の一

0

月には七

一四件となっている︒

婚姻が行われていたロンドンでは︑九月のある週には五

00

人以卜のロンドン市民が結婚したために︑市内の裁縫婦 は婚礼用のガウンの需要に応じることができず︑金細上職人も全ての儀式に指輪を提供するために金に亜麻をかぶせ

ることで品質をドげたりする市態が生じている︒

あろ

う︒

この数字は九月に﹁駆け込み挙式﹂が集中したことを示している︒特に︑秘密婚による迅速な

ウールウィッチに住んでいるとは限らないが︑

の兄とニール氏は別の道を歩いて行き︑

このように︑治安判巾のもとでの枇俗的な婚姻が人々には歓迎され に属するものという観念が人々の間ではいまだに根強いと言うべきで

人々が歓迎されざる婚姻法にどのように対応したのかは︑アン・マリ

An

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という女性の婚姻がその時代の

イル氏

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が私達についてきた︒ゲイル氏はデヴォンシャ伯爵夫人

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付きの牧師であった︒

彼は次の日に教会で説教をした︒そして︑夕食後に︑ゲイル氏は私の兄︑ニュートン

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n の私室で私達を結婚さ

せた。私の兄と妹、そしてニール氏Mr•

N e

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e 以外には家族では誰もこの結婚を知らないし︑立ち会っていない︒⁝⁝

夕方の説教の後で︑私の妹は治安判事エルコンヒード

E l

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e e

d に会いに行くことを主張した︒治安判事が都合よく

サー・ジェームズと私は私の妹と一緒に馬車ででかけた︒そして︑私

治安判事はその刈時︑彼にとって通常のことを実行した︒治安判事は指令集

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D i

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y だけを手にもち︑彼はサ

ー・ジェームズに私と結婚するかどうかを呼ねたので︑ ﹁一六五六年三月一日︑土曜日に︑

ウールウィッチで待ち合わせた︒ サー・ジェームス

S i r

J a

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s と私︵アン・マリ︶

典型的な対応を示している︒ ていなかったことが窺える︒婚姻は﹁神の法﹂

はチャールトンに出かけた︒ゲ

1 2   1 9  

(香法

' 9 2 )

参照

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