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博士(文学)韓 圭憲 学位論文題名

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Academic year: 2021

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     博士(文学)韓   圭憲 学位論文題名

人麻呂歌集略体歌研究 学位論文内容の要旨

   韓氏の論文は、万葉集におさめられている、所謂人麻呂歌集についての研究であ る。

   万葉集最大の歌人柿本人麻呂の名前を冠されるこの人麻呂歌集では、はっきり異 なる二種類の表記スタイル―通常略体・非略体と呼ぱれる―が区別される。また、

その収録歌の制作年代については、人麻呂の関与の有無に関連して、様々に議論さ れてきたところである。本論文も、こうした問題関心に、真正面から取り組んだも の で あり 、 しか も 、従 来 の 研究 の 枠組みに果 敢に挑戦を 試みたもの である。

   長らくこの人麻呂歌集に関する研究の主流をしめてきたのは、稲岡耕二氏を中心 とする表記史の面からの研究である。これは、歌集表記を漢字による日本語表記の 初期の段階に位置付けようとするものである。が、近年、木簡などの文字・表記資 料の新たな発見により、この研究の方向は限界を露呈し始めており、新しい観点か らの研究の刷新が模索されているのが現状である。その中で、表記史の面からのア プローチの持つ限界を乗り越える方向として、かって行われていた歌の素材・発想 の特徴など、内容面からの検討の可能性が再評価されようとしている。韓氏の研究 は期せずしてまさにそうした動向を機敏にとらえたものとなっており、まことに時 宜 に か な っ た 、 新 し い 研 究 の 方 向 を 指 し 示 し た 業 績 で あ る と い え る 。    韓氏は、まず序章的な位置付けの第一章で、上述のような従来の研究動向を通観 した後、第二章では、両様の表記スタイルのうち、いわゆる非略体歌について、そ の制作年代を検討することから始める。そして、稲岡氏らによって天武朝後半から 持統朝初期に位置付けられていたその制作年代に疑問を呈する。すなわち、巻一○

秋雑歌部七夕歌2033 歌の左注の「庚辰年」なる記述や、巻二146 歌題詞の「大宝元 年」という作歌年時など、わずかに付された左注や題詞の慎重な検討から、その制 作年代は通説よりも遅く、むしろそれは持統・文武両朝のあわいあたりに定位され るべきものであるとする。このうちとくに前者一「庚辰年」の記述ーについては、

従来無反省に人麻呂歌集の年代観の決定に用いられてきただけに、韓氏の批判的考 察は今後論議を呼ぶことになろう。

   一方、本論の主対象である略体歌については、原則として題詞・左注を欠き、そ うした作歌年代等の記載をいっさい欠いているので、制作年代の推定にはいっそう の困難が伴う。そこで、韓氏はその略体歌の大部分を占める相聞歌について、素 材・発想などの面から詳細な分析を試みることによって、この問題にメスを入れて いる。すなわち、第三章では、「枕」「袖を濡らす」「恋死に」「命」「片思ひ」

をはじめとする多数の歌語や、あるいは発想類型が、また第四章では夢や、「手向

‑ 198

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け 」 「 う け ひ 」 「 み そ ぎ 」 、 あ る い は 「 紐 解 く ( 解 け る ) 」 「 占 ふ 」 と い っ た 俗 信 を 素 材 と す る 歌 々 が 検 討 に 上 せ ら れ る 。 韓 氏 は 、 そ れ ら の 発 想 ・ 表 現 の 特 徴 を 万 葉 集 の 歌 風 等 の 変 遷 に 照 ら し た 場 合 、 略 体 相 開 歌 は 、 従 来 通 説 と な っ て い る 人 麻 呂 を 含 む 前 期 万 葉 ー ほ ぽ 奈 良 遷 都 以 前 一 よ り は 、 む し ろ 奈 良 朝 の 、 す な わ ち 後 期 万 葉 の 相 関 歌 に 近 い 性 格 を 有 し て い る こ と を 検 証 す る 。 そ し て 、 こ れ ら の 考 察 を 通 じ て 、 稲 岡 が 主 張 し 、 ま た 近 年 の 学 界 の 大 勢 に な っ て い た 人 麻 呂 関 係 歌 の 制 作 年 代 の 相 互 関 係 、 す な わ ち 略 体 歌 ― 非 略 体 歌 ー 人 麻 呂 作 歌 と い う 展 開 の 見 取 図 に は 従 い 難 い と 指 摘 す る 。 こ れ は 人 麻 呂 歌 集 を め ぐ る 学 界 の 現 状 に 対 す る 大 き な 異 議 申 し 立 て と 評 価 で き る も の で あ る 。 以 上 の ニ 章 が 名 実 と も に 本 論 文 の 中 核 を な す も の と い えよ う 。   ま た 、 略 体 歌 集 の 歌 集 と し て の 本 質 に つ い て は 、 第 五 章 で 検 討 す る 。 す な わ ち そ れ が 、 他 の 「 虫 麻 呂 集 」 「 金 村 集 」 「 福 麻 呂 集 」 な ど 、 い わ ゆ る 「 万 葉 の 私 家 集 」 と は 、 性 格 を 異 に す る 相 闘 歌 の 撰 集 で あ る と 考 え ら れ る こ と 、 歌 風 の 上 か ら 明 ら か に 後 期 万 葉 の 特 徴 を 有 し て い る が 、 そ の 一 方 で 、 歌 集 所 出 歌 を 多 く 含 む 巻 十 一 ・ 十 二 の 構 造 な ど か ら 見 て 、 第 四 期 に は 既 に 歌 集 と し て 成 立 し て 、 同 時 代 の 歌 人 た ち に と っ て 規 範 的 な ― す な わ ち 作 歌 の 手 本 と し て の ― 性 格 を 獲 得 し て い た と 見 ら れ る こ と 、 を 明 ら か に す る 。 さ ら に 同 章 で は 、 こ う し た 全 て の 考 察 を 総 括 し て 、 略 体 人 麻 呂 歌 集 の 成 立 を 論 じ て も い る 。 す な わ ち 略 体 人 麻 呂 歌 集 は 、 そ の 形 成 期 を 万 葉 集 第 三 期 、 す な わ ち 奈 良 遷 都 か ら 天 平 初 年 ま で と す る 、 独 自 な 性 格 の 相 開 歌 集 で あ っ た と 推 定 す る も の で あ る 。 こ れ ら は 、 従 来 の 人 麻 呂 歌 集 研 究 に は 見 ら れ な か っ た 視 点 と 結 論 で あ り 、 高 く 評 価 で き る も の で あ る 。

  な お 、 第 六 章 は 付 録 と し て 歌 語 「 鮎 」 を め ぐ る 考 察 を 収 め て い る 。 主 と し て 第 三 期 以 降 の 作 品 に つ い て 論 じ た も の で 、 直 接 に 人 麻 呂 や 人 麻 呂 歌 集 に つ い て 論 じ た も の で は な い が 、 歌 語 の 分 析 に お け る 韓 氏 の カ 量 を 示 す も の と し て 評 価 で き る 。 こ の 論 は す で に 単 発 の 論 文 と し て 公 表 さ れ 、 学 界 で 一 定 の 評 価 を 得 て い る も の で あ る 。

  こ の よ う に 、 韓 氏 の 論 文 の 主 張 は 、 近 年 通 説 化 し て い た 人 麻 呂 歌 集 観 に 鋭 く 反 省 を 迫 っ て お り 、 独 自 性 を 十 分 に 発 揮 し て い る 。 そ し て 、 そ の 研 究 の 方 向 は 今 後 の 人 麻 呂 歌 集 研 究 に 大 い に 寄 与 す る も の で 、 学 界 を 刺 激 し 、 ま た 裨 益 す る と こ ろ が 極 め て 大 き い と 思 わ れ る 。

な お 本 論 文 の 構成 の 概 略は 以 下 のと お り で ある ( 各 節の 題 名 は省 略 ) 。 第 ー 章 序 論 ― 研 究 史 と 問 題 点 ―

第 二 章 人 麻 呂 歌 集 年 代 推 定 の 資 料 ― 非 略 体 歌 ―

第 三 章 人 麻 呂 歌 集 略 体 相 聞 歌 の 表 現 ( 一 ) 一 素 材 と 発 想 一 第 四 章 人 麻 呂 歌 集 略 体 相 聞 歌 の 表 現 ( 二 ) 一 素 材 と 発 想ー 第 五 章 略 体 人 麻 呂 歌 集 の 成 立

第 六 章 付 録

199

(400字 詰 原 稿 用 紙 換 算 約668枚 )

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学位論文審査の要旨

学 位 論 文 題 名

人麻呂歌集略体歌研究

  審 査 委 員 会 は 、 本 論 文 が 提 出 され て 以後 、た びた び委 員会 を開 催し 、申 請論 文を 慎重 に精 読 ・審 査し 、ま た長 時間 にわ たる 口述 試験 を実 施し て、 十 分に審議を重ね て適正な評 価に 努 めた 。そ の結 果、 以下 に述 べる よう な本 論文 の評 価に 鑑 み、全員一致し て、韓圭憲 氏に 博 士( 文学 )の 学位 を授 与す るこ とが 妥当 であ る、 との 結 論に達して、文 学研究科教 授会 に 報告 した 。教 授会 はこ の報 告に 基づ き審 議を 重ね て、 こ れを承認したも のである。

  韓 氏 の 論 文 は 、 万 葉 集 に お さ め ら れ て い る 、 所 謂 人 麻呂 歌集 につ いて の研 究で ある 。   万 葉集 最大 の歌 人柿 本人 麻呂 の名 前を 冠さ れる この 人麻 呂 歌集 では 、は らき り異 なる二 種 類 の表 記ス タイ ル― 通常 略体 ・非 略体 と呼 ぱれ る― が区 別 され る。 その 性格 の如 何、人 麻 呂 との 関わ り等 が研 究上 の主 要な 問題 関心 とな って きて い る。 本論 文も また 、こ の問題 に 真 正 面 か ら 取 り 組 み 、 な お か つ 、 従 来 の 研 究 の 枠 組 み に 挑 戦 す る も の で あ る 。   こ の歌 集に 関す る研 究の 主流 をし めて いた 稲岡 耕二 氏を 中 心と する 表記 史の 面か らの研 究 は 、近 年、 木簡 など の文 字・ 表記 資料 の飛 躍的 な増 加に よ り、 限界 を露 呈し てお り、そ の 限 界を 乗り 越え る方 向と して 、歌 の素 材・ 発想 など 、内 容 面か らの 追及 が改 めて 求めら れ て いる 。韓 氏の 研究 はま さに そう した 動向 を機 敏に とら え たも ので あり 、そ の点 を審査 委 員 会は 高く 評価 する もの であ る。

  韓 氏は 本論 文で まず 、人 麻呂 歌集 を構 成す る二 種類 のう ち の、 非略 体歌 につ いて 、その 制 作 年代 を検 討す るこ とか ら始 める 。韓 氏は 、従 来、 表記 史 的な 観点 から 天武 朝後 半から 持 統 朝初 期に 位置 づけ られ てい たその制作年代について、よ り実証的なアプローチを試み、

わ ず かに 付さ れた 左注 や題 詞の 慎重 な検 討か ら、 むし ろそ れ より は一 世代 後の 、持 統・文 武 両 朝に 定位 すべ きも ので ある とす る。 これ は、 先入 観を 排 して 実証 的な 方法 によ り問題 を 解 決し よう とす る試 みと 評価 でき る。

  一 方 、 本 論 文 の 主 対 象 た る 略 体 歌 に つ い て は 、 方 法 を改 めて 、そ の大 部分 を占 める 相 開 歌 につ いて 、む しろ 素材 ・発 想な どの 面か ら詳 細な 分析 を 試み てい る。 その 結果 、それ ら の 特徴 を万 葉集 の歌 風等 の変 遷に 照ら した 場合 、従 来通 説 とな って いる 人麻 呂を 含む前

200

壽一 之       洋康 崎藤 田 身 須 冨 授授 授 教教 教 査査 査 主副 副

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期万葉一ほば奈良遷都以前ーよりは、むしろ奈良朝の、すなわち後期万葉に近い性格を有 していることを検証する。そして、これらの考察を通じて、稲岡らが主張し、また近年の 学界の大勢になっていた人麻呂関係歌の制作年代の相互関係、すなわち略体歌―非略体歌 一人麻呂作歌というような、縦並べの展開の見取図には従い難いと指摘する。これは学界 の 研 究 の 現 状 に 対 す る 大 き な 異 議 申 し 立 て と 高 く 評 価 で き る も の で あ る 。   さらに進んで、韓氏は略体歌集の本質についても考察する。その結諭として、略体歌集 は非略体歌集とは異なり、他のいわゆる万葉の私家集(金村集、虫麻呂集、福麻呂集)な どとは性格を異にする、相聞歌の撰集であると考えられること、また、その所収歌は、素 材、発想などの歌風の上から、明らかに後期万葉の特徴を有しているが、その一方で、歌 集所出歌を多く含む巻十一・十二の構造などから見て、第四期には既に歌集として成立し ており、同時代の歌人たちにとって規範的な、すなわち作歌の手本としての性格を獲得し ていたと見られること、等の理由から、その形成期を万葉集第三期、すなわち奈良遷都か ら天平初年までとする、独自な性格の相闘歌集であったと推定する。これは、従来の人麻 呂 歌集 研 究に は 見 られ な かっ た 視 点と 結 論で あ り 、高 く 評 価で き るも の であ る。

  このように、韓氏の論文の主張は近年通説化していた人麻呂歌集観に鋭く反省を迫って おり、その研究の方向は今後の人麻呂歌集研究に大いに寄与するもので、学界を刺激し、

また裨益するところが極めて大きいと思われる。

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