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信) 秘密婚とイギリス近代

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(1)

秘 密 婚 と イ ギ リ ス 近 代

第一章 第二章

課題ー教会羊式婚と秘密婚ー

W i

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m G au ge

﹁家族の諸義務について

Of

D o

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l   D

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s ﹂と婚姻方式 婚姻の当事者について 中〜事者達はどのような仕方で黙固な単.体に

1

しく結ばれるのか

婚姻の

H

的について 秘密婚について

ケ勺

第四章

婚姻招約と教会裁判所

H .

S w

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婚姻約束もしくは婚姻契約扁

A

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こ︶︑ご

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し‑

.一婚姻約束訴訟

︵ 以 ︑香川法学第卜.巻第.号︶

t

初期近代ィングランドにおける婚姻慣料

信 )

1 0

五 真

12 ‑ 3   ・..439 (香法'92)

(2)

求妍について 婚姻兜約と秘密婚

﹁花嫁の妊娠﹂と婚姻慣腎

婚前淫行罪と教会裁判所 私生児と教区社会

(以上、第十一務.二•四合併号)

C i v i l l V I a r r i a についてg e

‑︳法改吊と婚姻法

1^ーシヴィル・マリッジの祁人とその結果 第六立早秘密婚

C l a n d e s t i n e Ma rr ia ge

と教会

︵以卜第十二巻第 1

号 ︶ 簿 bi ga my

1 0

12 ‑‑3 ‑‑440 (香法'92)

(3)

秘密婚とイギリス近代 (四完)(茉原)

る ︒ 登録簿︵フリートの僧侶によって作られた私的な登録簿︶

1 0

一六

0

年代中頃にフリートが秘密婚の独占的

フリ

フリート婚が婚姻

特別教区

P e c u l i a r や特権教会

l a w l e s s c h u r c

h の存在︑さらには教会統治機構の腐敗によって︑教会挙式の方式をと

かかえるロンドンが秘密婚の中心地となっている︒

そし

て︑

位を占めたのがフリート婚

F l e e t m a r r i a g e  

(フリート監獄とその特許自由区域

r u l e

で行われた秘密婚︶である︒本章

はフリート婚の実態とそれが禁止されるに至る原因を探ることがテーマとなっている︒

とこ

ろで

のなかで最初に確認されるのは一六七四年にすぎず︑

ートが秘密婚のセンターとして独占的地位を確立するのは一六九

0

年代中頃以後のことである︒それ以前の十七世紀 後半のロンドンではフリート以外の多くの特権教会においても秘密婚が行われていたわけである︒そこで︑十七世紀 後半のロンドンではフリート以外のどのような特権教会で秘密婚が行われていたのかを最初にふれておくことにす 婚姻予告なしに︑あるいは婚姻許可証なしに婚姻させる教会や礼拝堂がロンドン全体で約九〇ケ所もあったと言わ

れている︒フリート監獄と同じく債務者を収容した多くの監獄で秘密婚が行われていたと言ってよい︒

Th e  T ow er   of   Lo nd on

P a u l ' s W   h a r f ,   L a m b ' s  

ロンドン塔

ニューゲイト監獄N

e w g a t e r   P i s o n

︑王座裁判所監獄

K i n g ' s Be nc h  P r i s o

n 及びその特許自

由区域で秘密婚が行われていたことが指摘されている︒さらに︑

S t . B e n e t   T r i n i t y   l v l i n o r i e s ,   S t .   J a m e ' s   D u k e ' s   P l a c e

等々の教会や礼拝堂は︑

C h a p e l ,   Ho ly  

この時代のロンドンで行われた秘密婚のなかで中心的地

る秘密婚が

i六六

0

年以後イングランド全域で行われていた︒

︶ ナ

とりオし

主教の管轄権に属さない多くの特権教会を

第七章

秘密婚とロンドン

12‑‑3‑441 (香法'92)

(4)

10< 

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St. Benet Paul's Wharf芸工念8~凶や忘姦翠忌怜こ幻ミいい亨

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(一)

(N) (合)

J. 

Ashton, The Fleet its riwr, prison and marriage, Fishernwin,1888, Rep. Singing Tree Press, 1968, p. 332. 

Ibid., p. 332. 

Ibid., p. 332 ; R. L. Brmrn, The Rise and Fall of the Fleet l¥Iarriages, in R. B. Outhwaite (ed.). Marriage and Society 

Studies in the Social History of Marriage, Europa Pub., 1981, p. 119; 

J. 

R. Gillis. For Better. For Worse: British Marriage 

1600 to the Present. Oxford, p. 92. 

('tj<) 

(Le)) 

('‑£)) 

(lー)

J. 

R. Gillis, op. cit., p. 90. 

L. Stone, Road to Divorce: England 1530‑1987, Oxford. 1990, pp. 107‑108. 

J. 

Ashton, op. cit., p. 332; R. L. Brown. op. cit., p. 119. 

•J 8O'OOOtG苓姿妄芯勾3至三旦:こ~,;;S会旦?二応ヌ涯旦弓でい芸二~~心゜ゞ土一,\芸:iぐく亘ー・文ミ:~G

(5)

秘密婚とイギリス近代 (四完)(柴原)

しここ

t ‑

つけていた容疑で審理された︒

それ

では

それによって︑

間に四0000

件の秘密婚が行われたとしているが

( L .

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150 0

18 00 .

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19 77 , 

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33

.)

︑ロンドン白科辞典では

4しハ四四ニハ九一年の期間に四

0 000

件の秘密婚が行われたとされている

( B .  

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1 0 7 .  

( 9

)  

婚姻と監獄

﹁書記であるジョン・モットラム

J o

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Mo

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m は ︑

恐れてこの私的な登録を得た﹂

こ ︑

 

さら

1 0

九 ﹁ウィークリー・ジャーナル

¥ V

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y

登録簿のひとつだけで昨年中になさ

これら偽の婚姻は︑

その部屋には︑椅子︑ 彼らが市 フリート監獄で秘密の不法な婚姻を挙式させ︑不正な登録簿を

モットラムは数件の婚姻の日付を彼が聖職につく数年前の日付にした

ことや︑彼が別々の家で九冊もの登録簿をつけ︑そこには憤慨にたえない多くの詐欺が含まれていることが判明した︒

婚姻が妊娠のために前の日付とされたことや︑無知なものをだますために︑﹃二人は結婚していないが︑彼らの親達を

という息味のラテン語が喜かれていることも判明した︒

長の礼拝堂

Th

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  M a

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s   C

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p e

l と呼ぶフリート監獄の一室で挙式され︑

備品が備えられている︒石炭かつぎが人口をいつも歩き回っており︑結婚を決心した全てのカップルに対して︑他の

誰よりも安上がりに挙式させるので囚人にゆだねるように勧めている︒

00

以じの妍姻の登録が含まれていることも判明した︒﹂

クッ

ショ

ン︑

これはフリート監獄で行われた秘密婚について一七一七年二月一三日付の

J o

u r

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l ﹂

に 掲 載 さ れ た 記 事 で あ る

︒ フ リ ー ト 監 獄 の よ う な 債 務 者 監 獄 が な ぜ 秘 密 婚 の セ ン タ ー に な っ た の

12‑ 3・  ・443 (香法'92)

(6)

生む営利事業を経営するようなものなのである︒酒場︑

コーヒーハウス︑食堂等々の監獄内諸施設の営業権を業者に

いて

いる

であろうか︒債務者監獄にある礼拝堂が︑秘密婚のセンターとなった特権教会と同様に︑主教の管轄権から免除され

ていたことにその原因のひとつが求められるであろう︒しかし︑

収容しており︑ それにもまして︑

フリート監獄のような債務者監獄 が秘密婚の中心地となった原因はこの時代の債務者監獄の在り方に求められる︒秘密婚を求める人達の要求を満足さ

一六四一年に星室裁判所

t h e c o u r t f   o   S t a r   Ch am be

r が廃止されるまでは星室裁判所の受刑者を

フリート監獄が債務者を収容するようになったのは星室裁判所の廃止後にすぎない︒

以外にも︑大法官裁判所

t h e c o u r t   o f   C h a n c e r y

︑財務裁判所

t h e c o u r t   o f   E

x c h e q u e r

︑民訴裁判所

t h e c o u r t   o f   Co mm on   Pl e a

等々で裁判所侮辱

c o n t e m p t o f   c o u r t

を犯した受刑者もフリート監獄に収容されている︒

収容されている債務者の数においてもじ座裁判所監獄に次ぐ第二の伯務者監獄であるフリート監獄が公権力によっ て運営される施設ではなく私人によって経営される営利施設にすぎないことは注目されてよいであろう︒

一九七年にナサニエル・ド・レバラント

N a t h a n i e l d e   L e v e l a n d

とそ

の息

子︑

さらに︑債務者

フリート監

ロバート

R o b e r t

にその管理

9

一五五八年までレバラントの家系によって代々相続された私的財産であった︒ 9

から離れた一五五八年以後︑

フリート監獄は何度も売買され︑多くの人達が監獄の所有者として所長職

a r d e n に つ フリート監獄の所長になることは︑副所長にその経営を請け負わせることもあるとはいえ︑漠大な利益を

賃貸したり請け負わせることから生じる収入︑人獄及び出獄のときに囚人から所長に支払われる手数料︑

監房を使用 するために囚人によって支払われる家賃︑監獄外の特許自由区域

r u l e に住む囚人によって支払われる保証金等々が所

長の主たる収入源となっている︒十七世紀末には︑フリート監獄の所長は年額四︑

000

ポンドの利益を得ていたこ

が委ねられて以来︑レバラントの家系

獄は

︑ フリート監獄は︑ せる条件が債務者監獄に備わっていたからである︒このことをフリート監獄からみてみよう︒

1 0  

12 ‑3~444 (香法'92)

(7)

秘密婚とイギリス近代

︵人口から︶階段を八段登ると一階があり︑ とつあるだけなので薄暗い︒ ﹁監獄は地階共五階建で︑

(四完) (%f

知ることができる︒ とが指摘されている︒しかし︑酒場︑と

は ︑

﹁監獄の状態

Th

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  o f

  P r

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s ﹂

一階

には

礼拝

堂︑ カ ︑>~

コーヒーハウス︑酒場︑ラケッ 一般市民による監獄内の施 コーヒーハウス︑食堂等々の監獄内諸施設が囚人達専用のものであったならば︑

これら諸施設の営業権の経済的価値は低いものであったであろう︒

自由に立ち人り︑監獄内の諸施設を利用することが認められている︒監獄が一般市民に広く開放されているというこ

王座裁判所監獄においてもみられ︑債務者監獄の特徴をボしている︒

を利用することができるのも︑

設の利用について︑

﹁時

には

︑三

000

人の人達が一日に監獄を訪れる︒彼らの多くは︑債務のためにそこに投獄された人達に会うた

めばかりでなく︑ 監獄内の諸施設が一般市民に開放されているからである︒

一七四二年に所長によって次のように報告されている︒

監獄の諸施設を利用するために監獄にやってくる︒その施設には︑

ト・コート︑台所に沿った地階にある﹁バーソロミュ・フェア

B a

r t

h o

l o

m e

w

F a

i r ﹂という名の大衆食堂が含まれて

い る

︒ ﹂

それでは︑秘密婚が行われていた頃のフリート監獄はどのような監獄であったのだろうか︒少しあとの時代になる が︑十八枇紀後半のフリート監獄をハワード

H J .

ow

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︵一

七七

七年

囚人達は地上階を﹁ギャラリー

G a l l

e r i e

s ﹂と呼び︑地階を﹁バーソロミュ・フェア﹂と呼

んでいる︒各ギャラリーの中央に全長六六ヤードの廊下があり︑その両側に縦一四フィート半︑横︱ニフィート半︑

高さ九フィート半の監房が並んでいる︒各監房には煙突と窓がある︒廊下は狭く幅七フィートもなく︑両端に窓がひ

ホール・ギャラリー

H a

l l

G

a l

l e

r y

と呼ばれている︒ 一般市民が秘密婚のために監獄の礼拝堂 フリート監獄では囚人以外の一般市民が監獄内に

12  3 ‑445 (香法'92)

(8)

監房がある︒ に当たる一室には汚いビリヤード・テーブルがある︒その部尻で寝る囚人がこれを竹理している︒最

L

階に

は一

.七

︵ホール・ギャラリーの真卜の二階︶には.一五の監厨がある︒第一ーギャラリー

︵ 三

階 ︶

る ︒

コーヒールーム︵最近︑債務者川の二つの監房がW

ーて

られ

た︶

︑看

守室

︑夜

砥ば

室︑

コーヒールームと酒場のほかに︑

第一ギャラリー

とき

酒場

ト記の一八の監

m

のうちの二つと︑

守室を除いた地階全部とが酒場経営者であるジョン・カートライト

Jo hn C a r t

¥ v r i g h

t によって占められている︒彼は

一七七五年の競売によって残りの賃借権を購人した︒地階はホール・ギャラリーからニハ段下にある︒地階には

t

の二室のほかに︑酒場の台所︑ビールとワインの貯蔵室が四部屋︑囚人用の監尻が一五ある︒この一五の監房と上記

のホール・ギャラリーの一厨皿伍を酒場経営者は週四シリングないし八シリングで囚人達に賃貸している︒

監房がある︒階段の正面にある一室は委員会室である︒

に従って各囚人達に監房を選択させた︒

そして一八の囚人用監房があ 反抗者を閉じこめる懲戒房ともう︱つのれ この一方の端の一室は病室である︒他の端にある礼拝常のト

これらのうちのいくつかの監房は礼拝常や酒場の上にあるので他の監房よりも広い︒これまで述べた監 房は全て特待債務者用

f o r M a s t e r

‑ s i d e   D e b t e r s である︒酒場経営者によって占められていない監房の週あたりの家 賃は寝台及び襄具なしで一シリング三ペンスである︒囚人達は順次これを使川する︒すなわち︑

られた監房を順次使用する権利は囚人達にはない︒彼らは高い家賃を支払わねばならない︒

監房誓工房となった 入獄手数料支払者名対にもとづき最初の囚人がこれを占有する︒監獄が落成したとき︑所長は在監年数の長さ

しかし︑全ての監房が囚人によって占有されたときには︑新参の囚人は在監 者から監房の一部分を家賃を支払って借りるか︑自分でやりくりせねばならない︒しかし︑酒場経営者によって占め 普通債務者用

f o r Co mm on

‑s id e  D e b t e r s の監房は監獄の右翼の一部にあるにすぎない︒地階以外の四つの階にあ る︒五ポンドももっていないので施しなしに生活できないことを裁判所もしくは監獄委員の前で宣誓する囚人は︑監

には

一じ

七の

12・3  446 (香法'92)

(9)

秘密婚とイギリス近代 (四完)(栗原)

待債務囚として監獄生活をすごす限り︑それは快適なものと 獄の乞食箱や格子に投げ入れられた寄付を受けることができる︒こうした囚人は私が前に訪れたときに一六人いた︒﹂

長い引用となったが︑フリート監獄内における債務者達の生活の一端がこの引用から窺える︒債務者監獄では特待 監房で生活する特待債務囚と普通監房で生活する普通債務囚とでは監獄社会における待遇が大きく異なっている︒特

っても言いすぎではない︒特待債務囚に示されるよう に︑金銭債務を支払うことができない債務者が多額の金銭を所持して債務者監獄に人るという矛盾した現実は︑債権 者による訴訟の提起から債務者監獄への債務者の収監に至るまでの間に債務者が自分の財産を債権者によって差し押 さえられることなく金銭にかえることが認められているという法の現実から生じている︒特待債務囚として快適な待 遇を得るためには多額な金銭がなければならないのである︒債務者がフリート監獄に入るためには最初に債務者拘留

t h

e s

p u

n g

i n

g   h ou se に連れて来られる︒フリート監獄の特待債務囚としての特権を買うためにはそこで手数料を支

払わねばならない︒この手数料には所長に対して支払われるものばかりでなく︑監獄の書記や執達吏

t i p s t a f f

に対して

支払われるものも含まれており︑その総額が四五ポンドにも達することが指摘されている︒そして︑さらに︑看守に 対する手数料や囚人仲間への土産料

g a

r n

i s

も必要であろう︒そのうえに特待監房を借りるための家賃を支払わねばh

ならないわけである︒当然のことながら︑監獄内の諸施設で飲食せねばならず︑その費用も必要である︒さらに経済

的に余裕があれば︑同室の囚人に家買を支払うことによってぜいたくな家具を備えた個室として特待監房を使用し︑

家族とそこに同居することさえ可能である︒実際に︑非常に多くの特待債務囚が家族と同居していたことが記録され ている︒監房を貸す囚人側からも︑家賃収人は自らの生活費を捻出する最も手ごろな手段のひとつであり︑特待債務 囚としての身分を維持するために必要な収人源とみなされている︒監獄内で監房の賃貸市場が存在したと言うことが

でき

る︒

~

12‑3‑447 (香法'92)

(10)

そし

て︑

より重要なことは︑生活費を捻出するために監獄を仕事場として働くことが認められていたことである︒

獄の囚人のなかにはフランスヘ行き︑ 監獄内の諸施設で働くこともあるし︑監房で︑あるいは特許自由区域で店を開くことさえ行われている︒フリート監

ワインの輸入を手がけたものさえ実際に存在している︒ジェントルマン身分の 債務囚を除けば︑多くの特待債務因が︑特待債務囚としての身分を維持するために︑

自分の生活費を獲得せねばならないわけである︒

フリート監獄で秘密婚が行われたこともこの脈絡で理解されねばな らない︒秘密婚は僧侶である特待債務囚が生活費を獲得するために行う営業活動にすぎない︒

監獄は自活する特待債務囚達のコミュニティと言うべきものである︒彼らは監獄をカレッジ

c o l l e g e

と呼び︑自らを

命し

︑ カレッジアン

c o l l e g i a

n と称している︒カレッジアン達は︑自治組織を作り︑監獄内の自治規則を定め︑下級官吏を任

さらに︑待遇改善を求めて所長と交渉したりしている︒カレッジの構成員である特待債務囚の快適な監獄生活 に対する脅威は︑債権者による自力救済ではなく︑所長による法定手数料を越えた金銭の徴収なのである︒

ところで︑情務者監獄の周辺には特許自由区域が設けられている︒特許自由区域とは︑経済的に余裕のある債務囚 が特許自由区域で生活するための手数料と︑逃亡したとしても債務を清算しうるだけの見返り担保

c o l l a t e r a l r i t y とを提供することによって︑居住することが認められ通常の職業に従事している区域を意味している︒債務囚達の

s e c u

  , 

このような居住区域は︑監獄外にあるとはいえ︑監獄の管轄区域に属しており︑彼らが囚人であることはかわりはな い︒しかし︑特許自由区域で生活する特権を与えられた債務囚は︑この区域に制限されることなく自由に行動するこ とができたと言うべきであろう︒監獄内で生活する特待債務囚でさえも日帰りの旅行が認められていたことは︑特許 自 由 区 域 で 生 活 す る 特 権 を 与 え ら れ た 債 務 囚 に 大 幅 な 行 動 の 自 由 が 認 め ら れ て い た こ と を 推 測 さ せ る に 充 分 で あ

ろう

一般市民と同様に労働によって

︱︱

12‑‑‑3 448 (香法'92)

(11)

秘密婚とイギリス近代

因は明らかであろう︒第一に︑他の特権教会と同じく︑

(四充)(栗原)

これまでの説明から︑

フリート監獄が秘密婚のセンターとなった原

マリッジ・ハウスも多くみられる︒

フリート監獄の特許自由区域は監獄を囲む次の区域をさしている︒

ラドゲイト・ヒルから北ヘオールド・ベイリー

O l d B a i l e y

を卜

り︑

︵一七三三年に埋め

L I L

てられてフリート・マーケットとなる︶︑それから南に

ドってラドゲイト・ヒルまでの区域であった︒囚人達はこの区域内もしくはこの区域の道に面したところに住むこと

のロンドン

Lo nd on i n   t h e   E i g h t e e n t h   C e n t u r

y ﹂に所収の卜'八世紀前半のロンドンの地図を参考にして図示すれば︑

フリート監獄の特許自由区域は次のようになろう︵図

l )

︒この特許自由区域が秘密婚の中心地として注目されるのは︑

一七︱二年の制定法によって監獄内で秘密婚を行うことが禁止されて からである︒秘密婚のための多くのマリッジ・ハウスが特許自由区域

に作

られ

ラドゲイト・ヒル

L u d g a t

H i

e

l l

とフリート・レーン

F l e e t L an

e の間にある︒その特許自由

﹁ロンドン概観

Th eS u r v e y   o f   L on do n ﹂ なかには監獄とは関係のない一般市民によって経営される

がロンドン主教の管轄権から免除されていたことを理由にして︑婚姻 予告や婚姻許可証なしにその礼拝常で婚姻が学式できたことである︒

第一一に︑監獄自体が一般市民に開放されていたことである︒

に︑秘密婚を求める一般市民は監獄の礼拝常を挙式のために利用でき が認められた︒

ビサント

S i r

¥ V .  

B e s a n t

ンを西に進んでフリート・ディッチまで 区

域は

︵フ

リー

ト川

の東

側︑

フリート監獄

そのため

1. 

フリート監獄周辺図

フリート・レーン

一 五

のうちの

7リート・ストリート ラドゲイト・ヒル

フリート・ブリ/ゾ

︵ 全 一

0

冊 ︶

﹁ 十 八 世 紀

オールド・ベイリーからフリート・レー

フリート監獄はフリート・ディッチ

F l e e D t i t c h   12‑‑3 ‑‑449 (香法'92)

(12)

( 7 )  

( 6 )  

一九七ー一九八頁︶

( 5

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( 4

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( 3

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( 2 )  

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とにしよう あ

る︒

市民を引きつけた最大の原因は︑

その費用がかからないことで

達が監獄にいることである︒秘密婚を行う僧侶達が近隣の教会から派遣された監獄の教誨師

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ではなく︑特待

債務囚として監獄に収容された僧侶達であることは言うまでもない︒秘密婚は︑

自ら捻出せねばならない債務囚達が僧侶を中心にして監獄ぐるみで行う商売と言うべきであろう︒

聖職禄を剥奪され︑

こと

も︑

﹁聖職停止﹂という教会法上の刑罰の効果がない僧侶達であった

彼らを秘密婚に駆り立てた原因として若えられるであろう︒

そこ

で︑

通常の婚姻と比べて婚姻にかかる時間が短いことと︑

このことを含めたフリート婚の実態とフリート婚が引き起こした様々な弊害について次に考察するこ

一九七二年 J. 

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28 3.  

所長に支払われる

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数料が実際には法定

F

数料を越えて徴収されていたことは︑囚人達による議会への諮願や議会の調脊によっ て明らかにされている︒例えば︑フリート監似の囚人達によって提出された一七一.二年の議会への請願では︑所長の法定

T

数料は一ポ ンド一六シリング四ペンスであるのに対して︑実際には一︱i

ポンド五シリング四ペンスの所長の

F

数料が徴収されていることが告発さ

れている

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15 7 15 9.

 (湯浅猪平訳﹁監獄事情﹂矯正協会 しかしながら︑

フリート婚が非常に多くの一般

行う僧侶達がすでに囚人であり︑

さら

に︑

秘密婚を

るし

さら

に︑

必要ならば︑

挙式後の宴会の施設さえも利用できる︒

第三

に︑

秘密婚で生計を立てねばならない僧侶 特待債務囚として自分達の生活費を

一 六

12   3:‑450 (香法'92)

(13)

秘密婚とイギリス近代 (四完)(栗原)

と普通債務囚︶は

人であるが︑

一 七

( 1 4 )

  ︵ い ︶

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. ,   p .   1 1 7 .   ハワードの調在によれば︑了七七六年四月一.日にフリート監獄に収容されている債務囚︵特待伯務囚

  八人が特許自由区域に住むことが認められている

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15 6)

︒同年

12‑‑3‑451  ( 1 2 )  

( 1 1 )  

ハワードの調査によれば︑一七七六年四月六日に︑フリート監獄にはニ︱三人の特待債務囚と

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人の普通債務囚が収容されてい

たが︑さらに︑四七五人の特待債務囚の妻

f

が同居していたことが指摘されている

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16 0.

)︒王座裁判所監獄では︑

一七九一年に五

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人が収容されていたが︑そのうちの三四

0

人は囚人の杖子によって占められている

( J .

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26 3. ) れらの数字は十八机紀後半のものであるが︑監獄内での家族との同居は秘密婚が行われていた時代においても行われていたとみるべ きであろう︒

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( 9 )  

法理論上は︑四0シリング以じの金銭債務に対して債権者は訴訟を提起することができる︒監獄への債務者拘禁が生じるチャンス は二阿ある︒その第一は︑中間令状にもとづく拘禁

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である︒債権者によって訴訟が提起され︑

逮捕令状によって債務者が逮捕される︒保釈が認められなければ監獄に拘禁される︒通常の場合は︑公判

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に至るまでに両者の間

で解決され︑債務者は釈放される︒第二の債務者拘禁は︑両者の間で解決されず︑公判によって債権者が勝晶したときに生じる︒債権

者は︑債務者の財産に対する

f

続︵シェリフによる競売︶か︑債務者の身体に対する手続︵最終手続にもとづく拘束

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かのいずれかを選択せねばならない︒債権者が伯務を支払わせるための

f

段として後者を選択した場合に第二の債務 者拘禁が生じる︒この場合︑拘禁された債務者が釈放されるかどうかは債権者次第である︒このように︑債権者が債務者の身体に対す

F

続を選択した場合には︑債務者の財廂に対する

F

続はとられないために︑債務者は自分の財廂を売り︑金銭を所持して監獄に拘禁

されることが可能となるわけである︒債務者監獄の特待監房で長期間生活する債務囚やその特許自由区域で生活する債務囚は︑この第

二の債務者拘梵を受けた人達と手バうことができる

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(香法'92)

(14)

W i l l i a m   a n d   M a r y   C .  

21

.)

は ︑

ルク同盟戦争(‑六八九ー六九七年︶ れるのであろうか︒ に

すぎ

ない

それ

では

はすでに述べた通りである︒ E

座裁判所監獄では︑監獄内に住むもの︵囚人とその

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られている

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B r O ¥ v n ,   o p .   c i t . ,   1 1

7 ;  

リチャード・シュウォーツ 日常生活︐研究社一九九

0

 

フリート婚の実態

0

人が特許自由区域に住むことが認め

王政復古後の十七世紀後半のロンドンには秘密婚を挙式できる非常に多くの教会や礼拝堂が哨る所に存在したこと

フリート婚が秘密婚の中心的地位を占めるようになるのは︑

フリート婚がロンドンの秘密婚市場において営業独占を確立するに至った原因は何に求めら

一六九四年から一六九六年にかけて議会によって制定された三つの法律が︑

鎖させたためにフリートに秘密婚を独占させるという意図せざる結果をもたらしている︒

定されたものである︒これらの法律が秘密婚を規制することになったのは︑婚姻が課税対象のひとつとされ︑

税を確実に徴収するためにそれを脱法する秘密婚に対して罰則規定を定めたからである︒

フランスとの戦争を遂行するために婚姻許可証と婚姻証明書に対して︑

リングの印紙税を課すことを認めている︒ それぞれ五シ

一六九四年のもうひとつの法律

(6

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l l i a m   a n d   M a r y C .    

6. )

は ︑

一六九四年の法律

(5

a n d  

この租

においてフランスとの戦争を遂行するために必要な戦費を調達する目的で制

これらの法律はアウグスブ

フリート以外の秘密婚のセンターを閉

一六

0

年代に人ってから

玉井束助・江藤秀;訳﹁卜八川紀ロンドンの

一 八

12‑3 ‑‑452 (香法'92)

(15)

秘密婚とイギリス近代 (四完)(栗原)

︱︱

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d  

00 

婚姻そのものが︑出生︑埋葬︑二五以上の独身男性及び寡夫とともに︑五年間に限って課税対象とされている︒﹁施し﹂

を受けるものを除いて︑全ての人の婚姻に対して︑ニシリング六ペンスが課税され︑そのうえ︑身分のあるものは全

てニシリング六ペンスに加えてさらに課税されることが詳細に定められている

ンドが課税される︶︒そして︑課税対象となる婚姻︑出生︑埋葬を正確に把握するために︑それらを記録する教区簿冊

p a r i s h   r e g i s t e

r をつけることを僧侶に義務づけ︑違反した僧侶に対しては一

00

ポンドの罰金を課することも定めら

れている︒さらに︑この法律が秘密婚によって生じる脱税を封じるために︑﹁特権教会﹂で行われていた秘密婚に対し

ても規制を加えようとしたことは注目されねばならない︒﹁主教区の主教の巡察から免除されると主張するいかなる場

所においても︑婚姻予告が公示されることなしに︑あるいは婚姻許可証が獲得されることなしに︑何人も婚姻しては

ならない﹂と規定し︑これに違反して﹁人々を婚姻させる僧侶は一

00

ポンドの罰金が課せられ︑二度目には三年間

の聖職と聖職禄の停止が課せられる﹂としている︒

しかし︑この法律は秘密婚を禁止するためには不充分なものであったので︑

W i l l i a m  

I I I .   C .  

35

.)

が一六九六年に制定された︒

侶を代理人としたり︑雇用し︑

この

法律

は︑

﹁一

0

ポンドの罰金を免れるために︑僧侶達が他の僧

0

この代理人となった僧侶や雇用された僧侶が彼らの教会や礼拝堂で婚姻予告も婚姻許

可証もなしに婚姻させる﹂という先の法律の抜け道を塞ぎ︑

め に

それを是正する新たな法律

(7

さらに︑債務者監獄で行われている秘密婚を禁止するた

それを行う僧侶のみならず︑婚姻当事者︵男性︶や秘密婚を招助するものに対する罰則規定をも含んでいる︒

1 0

0

ポンドの罰金は︑婚姻予告も婚姻許可証もなしに婚姻させた僧侶のみならず︑自分の教会で他の僧侶が婚姻予

告も婚姻許可証もなしに婚姻させるのを認めた僧侶に対しても課せられ︑さらに︑秘密婚の当事者︵男性︶に対して

は 一

0

ポンド︑秘密婚を摺助したものに対しては五ポンドの罰金が課せられると規定されている︒ ︵例えば︑公爵であればさらに五

0

12 ‑‑‑3 ‑453 (香法'92)

(16)

によって法律が制定されたにもかかわらず︑ れることはないし︑

1 0

0

ポンドの罰金であれ︑聖職停止であれ︑

この僧侶達には秘密婚に対する抑止効果を生

これらの法律が秘密婚を規制する喫機となったのは︑秘密婚のために徴収されるべき租税が脱法されたからである︒一六九六年の法律では秘密婚そのものが規制の対象とされている︒秘密婚の規制は一六六六年以来議会において検討

ついに秘密婚を禁止するための法律が議会によって制定されたわけである︒秘密婚

の規制が世俗権力の手によって着手されたと言うことができる︒しかし︑

る議会の対応は︑秘密婚は処罰されるべき違法な婚姻であるが︑無効な婚姻ではないと理解されるべきであろう︒秘 密婚が無効であることを意図する文言はこれらの法律のなかに見い出されない︒秘密婚が有効な婚姻なのか︑

も無効な婚姻なのかという問題は議会が決めるべき事項とされていないのである︒

しかし︑秘密婚を禁止するという目的にもかかわらず︑

フリート監獄以外の特権教会においてにすぎない︒そのため

フリート監獄に秘密婚市場を独占させるという意図せざる結果を生み出している︒

ターとして生き残ることができた理由は︑まさに監獄に求められる︒すなわち︑

密婚を挙式させる僧侶達がすでに囚人であったことがフリート監獄を秘密婚のセンターとして生き残らせた最大の理

由と言うことができる︒

じないのである︒侑務のためにすでに投獄されている僧侶達が彼らに課せられた罰金を支払わせるために再び投獄さ

この僧侶達はすでに聖職禄を失ったものがほとんどであり︑

を再び停止されることはない僧侶達であった︒従って︑

除されていたと言うべきであろう︒

しか

し︑

それと

フリート監獄が秘密婚のセン

フリート監獄の礼拝堂を利用して秘 すでに聖職を停止されており︑聖職

この僧侶達には刑罰の効果がなく︑彼らは事実上刑罰から免 そのこと以上に看過してはならないのは︑秘密婚を禁止するために議会 フリート監獄で秘密婚を挙式することを求める広範な市民が存在したと

の法律によって秘密婚を禁止させる効果が生じたのは︑

これらの法律は意図せざる結果をもたらしている︒これら

これら三つの法律に示される秘密婚に対す

が里ねられてきたものであるが︑

︱ 二

0

12 ‑‑3・454 (香法'92)

参照

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