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西国三十
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愛知県安城市・本謹寺蔵
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愛知県安城市・本諮寺蔵
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洋の東丙を問わず宗教的型地霊地を巡礼する風習は、古今きわめて盛 んである。仏教徒ならばそれは釈尊の同大仏跡(誕生地ルンピ二、成 道地ブツダガヤ、初転法輪地サルナl
卜、浬般市地クシナガラ)であり、 日本の場合であれば熊野、伊勢へ詣でるごとをはじめ西国、坂東、父秩 の三卜一一一所観音霊場、岡田の弘法大師八十八所、はたまた法然卜-人や親 驚聖人の一一卜五霊場や一一十四輩などの遺跡巡拝が、それにあたるものと して全国的にも大変よく知られている。わけても西匿ご一1
二 一 所 観 音 葉 場 巡礼は、その際史と伝統に他の追随を許さない古さと重みと深い信仰が り や ︿ あり、ために宅十三札所の由来や利孫、案内等を記した文献や地図︹開問 版 〕 の類も、ほかの霊場巡りのものとくらべ質・量とも格段に遺再度 ﹃古語普陀洛伝記L
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翻 刻 と 解 題 I l l i-正
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が高い。それにつき子近にある﹃図書総白録﹄第二巻・第三巻、主口血( 籍総合目録﹄第一巻、コ四国三卜 4 ニ所観音霊場の美術れ(一九八七年四月 大阪市立美術館・毎日新聞社編集発行)、﹃西国コ十三所霊場寺院の総 合的研究﹄(一九九O
年 一 一 月 浅野山市編・中央公論美術出版発行)、﹃丙 国 三 十 三 所 飼 育 霊 場 の 美 術 ﹄ ( 一 九 九 五 年 九 月 東武美術館・京都 献 文 剤、化 だ 博 け 物 で 館も ・
百 日 点 本 を 経 は 済 る 新 か 聞 に 社 越 編 え 集 て 発 お 行 り ) 、 等 そ 々 の か '---il ら 道 メ 中 モ記 し
』 た に 凶 い 国 た 関 つ 係 て の は 文 ﹁少しく名称を変えて凡そ六卜種にも及ぶとされている﹂(上掲﹃霊場 の美術 h 二二一ページ) ほか略縁起や本尊︹凶版一︺、寺境の刷物類ま で含めれば、まさにそれは汗牛充棟ただならぬものがあるといわなけれ ばならない。いまとこに全文翻刻しようとする﹃西国順礼一三十三所普陀 洛伝記﹄ニ十巻もそのひとつであることはいうまでもないが、数ある西 凶関係の文献からあえて本書を選んだ原由は、まず第一に成立年代と編同 朋 大 学 悌 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 六 号 著者が明確であること。第二に本書の内蒋を談じた人物が時宗僧である こと。第三に巻数からみてもわかるごとく西岡関係の現存史料中最大規 模のものであること。第四に写本でのみ伝わり版本も活字本も存しない とと。第五に本書はすでに上掲二大目録にも登載されているにもかかわ らず、従来まったく注目されなかったととなどによる。以下に本書の成 立年代や談者・筆者につき概観し、あわせて管見に入った諸本の概要を 記しておきたいとおもう。
﹃普陀洛伝記﹄
の成立
﹃西凶順礼三イ三一昨川普陀洛伝記﹄(以下﹃普陀洛伝記トと略称する) は、文字通り紀州那智山(和歌山青岸波寺)に始まり美濃谷汲山(岐阜 に終る西凶三十三所観音霊場寺世間の縁起、因縁、山緒、来歴、 り し よ う た ん ご え い か 伝記、伝説、利生調および御詠歌とその釈文などを集大成するもので、 華 厳 寺 ) 全 十 巻 か ら な り 類 書 の 中-
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規 模 を 誇 る と 共 その
成 立 年 代 もすぐあとで触れるごとく比較的早いととが注目されるのである。この ような﹃普柁洛伝記九成立の事情については、その序文︹図版二一・四︺ にあらまし次のごとくあって、明瞭に知ることができる。すなわち﹁過 去・未来・現ι
の=世に妙法花・阿弥陀・観世苛があって、その利益は 同一駄であると経にいわれている。踏み分けて山に登るふもとの道は多 いが、どれもみな同じ高根の月を心にながめることとなる。いまこ与に 受付難き人身を受付、売・舜のようなよき時代に逢ったととは、前世か らの同縁のしからしむるところであろう。おおけなき恵みの道は広く、 山川万里どこまで行っても乗馬・舟橋の便があり、夜盗の憂いもない日 本国である。とのようなときにこそ観世音菩薩の浄利三十三所を順拝す れば、悪業の罪が除かれ来世は善所に生まれるであろう。そういう縁に なればとて、昌阿和尚が凶条道場で寛延二年八月一日より九月十八H
ま での剖卜八日間、岡田三十三所霊場寺院にまつわる法談をなされ、同時 に了随和尚の説法も行なわれたことである。本書はその阿和尚の法説を 拝聴した自分が、覚えているほんの十分の一ほどを書きつつり、同志の 人にうなずかせんとするものである﹂というとのような序文より明らか な通り、﹃普陀洛伝記﹄は今より二百五!年前の江戸狩代中期寛延二年 ( 一 七 四 九 ) に四条道場で、昌阿が法談し了随が説法した内容を書きま と め た も の-
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した時宗凶条 派本山錦綾山豊凶院大平興凶金蓮寺のことす附寺の住持は代々浄河を 称したから、昌阿は浄阿の背通にほかならない。問題はその昌阿 H 浄阿 が第何代目の住持であるかだが、とれについては京都金蓮寺に所蔵され 注 8 る﹃四条道場金蓮寺歴代世譜﹄の次の記事から、さいわい容易に特定で 表 。 ヲ ハ V υ -A 二 代 浄 阿 ﹃ 仁 人コ一条東正栄寺ヨリ入山正徳二年辰一一月形木和承当代不法ノ一防業有 之ニ付延享年中追放ニ相成候事 卜四代浄阿上人真阪大和尚 明利八年三月卜五
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進化 尼崎海岸寺ヨリ人山入山年月不詳 ﹃ 普 陀 洛 伝 記 L の寛延二年を右の甘歴代世譜 L に投じてみると次記の ごとくなって、それを談じたのは金蓮寺第三卜凶代浄阿真順であったと 明確に断定するととができるであろう。 正 徳 二 年 二 七 十二代浄阿形木相承 延 享 冗 年 二 七 凶 四 延 享 五 年 二 七 四 八 延享年中三十二代浄阿追放 寛延二年二七四九) ﹃ 普 陀 洛 伝 記 h 法談 明 和 八 年 二 七 七 二 十四代浄附真順遷化 山緒ある金蓮寺を追放されるにいたった前代の浄阿は恵観という人で あったが、その経緯については金井清光博士が名著﹃一遍と時衆教固い 註 4 で明らかにしておられる。すなわち、 徳 川 時 代 に な っ て 三 十 二 代 浄 河 唯 称 が 病 身 で あ っ た の で 、 一 冗 文 二 年 一 一 一 条橋東の浄士宗正栄寺恵観が師資の契約を結んで三十一一代浄阿となり、 ﹃ 諸 認 定 住 一 足 │ 翻 刻 と 解 題 後々のことを考えて金蓮寺を時宗・浄土宗・禅宗の三宗兼学にするこ と に し 、 四条派末寺と相談して一五文四年九月刊で約束書を作成した 音 f ¥ 、 資 名寿型車
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三所の伝記を談じたという背景には、かつての狩衆と霊場守 院がつよく結びついていた廃史事実が存してのことで、まことに興味深 い点といえよう。なお真順と共に説法を行なったy
随については知ると ころがないが、ぷ日陀洛伝記 R におけるかれの説法というのは、 西方極 楽浄士往生をことのほか強調する御詠歌の釈文部分が、内容的にみてそ れに当るものと考えられ、子随もやはり時宗僧であったと推定される。 さて、それでは H 閏 阿 H 浄 M 門真順の法談ならびにf
随の説法を開き書き し、﹁普陀洛伝記 L という大部な書物にまとめたのは誰であったのかと いえば、それは実見できた﹃普陀浴伝記 n の七本の写木中、愛知県安城 市 木 誼 + 寸 蔵 申 ・ 乙 一 一 木 ︹ 凶 版 一 一 了 山 ︺ の 序 文 あ と に 記 さ れ て い る ﹁ 華 洛 川原/図通庵夢鷲諜誌之﹂(甲本 ﹁花洛河東/国通巷夢粛/諮誌之 t (乙本)とある夢斎なる人物をそれに当てミ可であろう。残念ながら夢 斎についても京都鴨川東の門通庵に住した落飾者らしい姿が恕い浮ぶ程 同 詑 7 度 で 、 確 た る 史 料 を 持 合 せ な い 。 た だ 一 -一 凶 書 総 目 録 ﹄ 第 三 巻 六 二 一 九 ペ ー ジに﹁西同順礼歌図解MW
日削れれ川一冊⑩歌謡⑧一円通山主霊注 ⑩東博・雲泉﹂とみえる書名、著者名が何となく﹃普陀洛 ⑮寛政元刊 伝記九に近いものを覚えるのだが、寛延二年ぐ七四九) と 寛 政 一 五 年 二七八九)とでは阿十年ものひらきがあり、同一人物とするごとに議 時させられるから、夢斎については今後の課題としたい。﹃普陀洛伝記﹄
の写本
最後に管見に入った﹃普陀洛伝記﹄の諸本を紹介しておく。﹁普陀洛 伝記れはすでに記したごとく版本・活字本がないので、その本文は写本 でみるほかないが、現在のとごろ完本・欠木を含め九本の作夜がわかっ ている。いずれの本も全三十巻の漢字まじりひらかな本で、内容的に若 干の字句の相違はあるものの異木というべきものはない。たに写すにさ いし多いものは一令十八冊、少ないのは七附とまι
まちで、うちl
五冊本 が二部存するので、そとらが標準的な写本冊数であろうか。実見した七 本はいずれもす九世紀半ば以降の幕末期写本ばかりで、﹃北 H 陀 洛 伝 記 ﹄ はこの時期なぜか集中的に与伝されたことがうかがわれて興味深い。い ずれにしても﹃普陀洛伝記トは、寛延一一年の成立後百一一十年でいったん その流布の歴史を閉じ、二百五十年後のこんにち再浮上しようとしてい る も の と も 一 辞 す る こ と が で き よ う 。さて、管見に入った九本の写本というのは、①東京都千代田区永田町 の国立国会図書館蔵本︹請求記り IBI--88 ︺、②同品川区豊町の 国文学研究資料館蔵本︹請求記号ヤ
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七枚、三十九枚、四十一枚、三十八枚、丘十枚、二 十一枚、凹卜五枚、凶ト二枚、凶ト八枚、図卜三枚、六卜枚となってお 寸査団隷皆陀洛伝歪翻刻と堅四 り料紙は播紙である。漢字の多くにふりかなが付され全体に読みやすく 他本の誤りも正す点の多い善本で、今回翻刻の底本としたゆえんもそこ にある。書写者ならびに書写の年代を明記するところがないが、おそら く江戸末期十九枕紀半ばころの写本であろう。 ②は昭和六十二年二九八七てニ月発行の﹃国文学研究資料館蔵和古 サ イ フ ク υ y z ンレイサンシーウザンシヲプダヲクデン有 に﹁西国順礼コ卜三所普陀洛伝記 書 目 録 冨 叶M
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と 写 み 西 え7
国 る 冊 順 も 躍 の 半 二 に │ 当〈印〉三 る 山 所 。 城 普 縦 国 陀 二 北 協 十 笠 停 阿i
首 記 . 森 ( て 治 内 セ 、 ン ( 序 チ 請 首 、 求 ) 三 所 北 H 陀洛侍記(内、外) 普陀洛停記(内、尾)3
横十六・八センチの袋綴木で、半葉十二行、 一行三十二字前後のかなり 字詰密な写本である。その文字はスピード感のある達筆で書かれていて、 速筆の割には誤字脱字のすくない善本であり、①と共に﹃普陀洛伝記﹄ の有力な写本のひとつといえよう。外題、内題、首題、尾題等は﹃館蔵 日銀﹄の通りで、第一聞は巻一より巻固まで三十九枚、第一一冊は巻五よ り巻八まで四l
山 枚 、 第 三 間 は 巻 九 よ り 巻 十 一 一 一 ま で 五l
枚、第四冊は巻 十四より巻十七まで凶十コ枚、第五川は巻十八より巻二十一まで阿十三 枚、第六川は巻 e 一卜二より巻二十五まで五十四枚、そして第七冊は巻二 十六より最終巻 J 一卜まで五十五枚を数える。①と同じく料紙は緒紙で、 やはり卜九位紀中ごろ江戸末期の写しとみられる。各州はじめに押され る﹁山城越/森治/北笠置﹂ の黒門印(径二一-ゃい﹂ンチ)は、旧所蔵者 印とも貸本屋印ともみることができるが、 いずれにしても該写本が京都 五同 朋 大 学 側 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 六 号 方面にかつてあった事実をポす点で注意すべき印といえよう。凶文学資 料館へは昭和四十九年二九七四)八月十九
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に入っている。 ①は閲覧カードから明治四十年二九O
七)イ二月1
五日に七十五銭 で中之島図書館へ納まったことが知られる十四冊本で、各冊巻頭上部に ﹁ 仲 状 友 蔵 書 ﹂ の朱角印がみられる。おそらく住友財闘の前身住友家に伝 えられていた写本なのであろうが、同家の祖政友は花戸初期に京都で薬 種商および書林を兼業したというから、こうした﹃普陀洛伝記﹄の写本 も蔵書となっていても不思議はない。しかし紙質も粗悪な椅紙で筆風も 『 詩 陀 洛 伝E
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二 ・ 巻 ‘ 一 卜一一一を一九十七葉に、第十一冊は巻二十四を一十七葉に、第十三川は巻令一 ー五・巻一ト六を三十葉に、第十三加は巻一十七・巻一一十八・巻一奇十九 を一一一十七葉に、第卜山冊は巻ゴ十・巻三十 巻三十一一・巻三十三を ー一葉にそれぞれ写す。半葉八行、 一行の字詰も②の凶文学資料館本と 同様かなり慌である。表紙はや L 厚手の粗末な紙製品で、それに題第を ノ 、 貼り﹁普陀洛侍記開門主﹂等の書名を墨書する o ④は一五来十五冊本であったが、今は第一冊の巻一二一のみを存し残 りの十四冊二十八巻は行方不明となっている。残存の第一冊は縦一 4 十 げ ん か み ひ ; し 二・八センチ、横十六・一センチの袋綴本で、後補の現紙表紙に貼ら れ た 題 第 に は ﹁ 査 一 謂 一 一T
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陀洛停記巻の対﹂とあるが、対表紙の外題に は﹁藷醐羽一一時観世音伝記巻之壱﹂と書かれている04
宵陀洛伝記﹄を ﹃観世青伝記 L と記すのは今のところこの①のみである。ぃ背陀洛はいう までもなく党語の司o z z
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からきている観世青菩薩の住むインドム岡山栂 岸の山の名で、チベット・中国・日本では転じて観音の応現地にも使用 するから、右の題名も決して誤っていないが、やはり後人の賢しらによ よ も も と ひJ
し も と で ヴ ら る改題とみるべきものであろう。本文と共紙のこの克表紙は元裏表紙 ひょフり と共に後補の現表紙表裏にのりつけされているため透かしてみないと 読めない状態となっている。本文は半葉八行、 卜枚を数えるが、共紙の一五表紙表裏各一枚づつを加えると凶十二枚と 行二十字前後で紙数凹 なる。十五冊、八行、二十字前後の構成は①と似ており、木文も悪くな いので不明の他悶が再出現することを願わずにはおれない一本である。 江戸時代最末期の写本であろう。 ①(岡山版三︺は全一一十巻を八冊に写す袋綴本で、序文の部分を徐く本 文は干葉八行。その大きさは縦一一十四・ 一センチ、横十七・ 一センチを 計測する。紙製の表紙には各川左に﹁普陀落伝記﹂とした L めた黄色紙 の題簸が貼附され、その直下に 1 壱﹂より 1 八 ﹂ の冊数、および右下に﹁ 八 冊 之 杓 L の文{了を置く。とれらはいずれも木文と同筆である。第 冊の紙数は百七枚で巻一より巻図までを写す。以下第二附九十三枚自巻 立 至 巻 八 、 第 一 一 一 冊 九 十 六 枚 自 巻 九 歪 巻 イ 二 、 第 四 冊 八 十 一 て 枚 臼 巻 ト ゴ 一 至 巻十六、第五附六卜九枚自巻イ七百 ι 巻 一 一 ー 、 第 六 冊 六 十 コ 枚 白 書 ぃ 一 一 十 一 至巻二ー一一一、、第七附九十一枚自巻二十阿至巻二イじ、第八冊八十五枚 自巻二十八至巻三卜となっており全巻一筆である。その筆者は第一 六・八冊目の各奥書より三崎三一寄) の猶女(直立)という年わずか十 =歳の立位とわかり、まことに興趣そ L られものを覚えるが、とてもそ の年齢の筆致とはおもえない達筆ぷりである。しかし、誤字、脱字、見 誤りによる誤写も見受付りられ年齢相応の写本と評することもできようか。 崎 台T と も 」 は 姓 名
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し く は 地 名 で あ ろ う し 猶 女 向 女 と も はナオジョと読むのであろうが、彼女がいつ写したかについては、それ を明一不する肝心の第八冊奥書が抹消されてしまっている。しかしその奥 書は﹁普陀洛侍記 八冊/慶際凶辰年(この行抹消)/正月占日/二 A 崎 直女一干之し一と読めるので、江戸最末期慶応凶年二八六八) の写本であ ることがわかる。筆風、楕紙の紙質からもその点は卜分首宵できるもの があろう。周知のように河年正月二日に鳥羽・伏見の戦が始まり、九月 八 日 に 明 治 と 改 一 五 、 現 同 一 一 年 ( 一 八 六 九 一 五月ト八日五段郭の戦で、あ の戊辰戦争も終息に向うが、こうした激動の前夜にこの本は名もなき信 心深いひとりの女性によって写されたのである。数ある﹃並円陀洛伝記﹄ の中でもこの本のみが筆者と書写年次がわかる貴重な写本で、以後﹃普 尋問調肌昔器伝記﹄│翻刻と解題│ 陀洛伝記﹄は筆写された形跡もないまま忘れ去られた格好となって、現 代にまできてしまった感が深いともいえるのである。 1111 ⑥ を 〔 前 図 編 版 、 四 残 〕 り は 十 元 瓦 来 冊 二 を 十 後 八 編 冊 と か す ら る な 特 る 殊 現 なイ了: 巻Z
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第 十 一・一一・四・五・十令一冊目の計五川を欠くが、縦二十二・四センチ、横 十五・七センチの袋綴木で、半葉八行、 一行十八字内外で、漢字には多 くふりかなをつける。薄手の格紙に書かれるその文字はあまり達筆とは ひ ょ ョ り あ つ で ひ 之 ︾ し いえず幕末期の写本であろう。各冊表一一表の厚干表紙は雲竜紋様を型押 で浮き出しにした立派なもので、その左に劃和をあしらった桝恥り杭の 題簸を貼付するが、題簸の文字﹁羽岡珊瑚 とく墨書ではなく版木印刷となっている点、が注目される。各冊の葉数は 普陀洛停記ーは、他本のこ 次のとおりで、欠本分を合めるとその総計は六百五ト枚近くを数えるも のとなる。前編第一冊二十一枚、第二冊一一卜一枚、第ゴ冊二十一枚、第 四 附 一 卜 一 一 枚 、 第 五 冊 二 十 一 A 枚、第六冊二十二枚、第七間二十一枚、第 八 冊 一 一 十 五 枚 、 第 九 間 三 十 一 日 枚 、 第 十 冊 二 十 一 て 枚 、 第 卜 一 冊 十 八 枚 、 第 十二関一一十四枚、第十三川一一十一枚、後編第宅冊二十八枚、第六冊二十 五枚、第七冊二十一日枚、第八附十九枚、第九冊二十一一枚、第十冊二十四 枚、第十一冊二十二枚、第十二間二十六枚、第十四山一一十四枚、第十五 め ん ど て 川三十一枚。⑥はこのように前後編にわける巻立や表紙を立派にし題簸 を印刷刷しているなどの特色のほかに旧所蔵者を市す里山印、朱印がいくつ か押捺されていることも注目すべきであろう。印は全部で九種類ありほ 七阿 朋 大 学 側 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 六 号 とんど各附にみられる。まず仮に
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とする角里山印二 こ う へ ん ひ ょ 3 1 3 ち た い び チ)は、最後後編第卜丘冊H
の表紙一一衷と大出向下の二ヶ所に押されて -九×一・五セン いるが、墨が薄いために印文の判断は不可能である。しかし全部で卜積 類の印中最初に比附された可能位があり、特に大尾下にそれが認められる 事実は、ことによると筆写印かも知れず、あるいはいち一ばんはじめにこ れを所持した人の印であった可能性もあろう。判読不能なのがかえすが えすも残念というほかない。制もやはり肢終冊の表紙うらにたx
一 ヶ 所 押される角黒印(三・一×二・六センチ) で、点目昌小路/俵屋治衛/ 都三候上いと読め、何人の印はおを略した付 1 俵 治 ﹂ の 角 里 山 印 ( 一 了 三 × h ンチ)が、前編第附と不明の五冊を除く二│二冊の巻頭に それぞれみえるが、付を合めすべてω
丸黒印(律一・六センチ)で抹消 されている。京都冨小路二一条上ルの俵屋治衛から所有が移ったからにち がいない。俵犀が宝踏瓦年三七丘五)創業という古川銘菓雲竜のそれと ひ ょ う り ひ ょ う し すれば、厚手表裏表紙の庁出型押雲竜紋も納得いくものがあるも確か な こ と は わ か ら な い 。 川 円 ・ 料 、 が M H によって抹消されたあと制﹁近徳﹂ (二・阿×一・四センチ)なる角里山印と付二羽の烏を彫った竹製の朱丸 印(最大径二・一センチ)が河時に押されたようである。人宅冊に押印さ 忘 れ 貴 て 県 い 耳 る 梨 の之 で
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・九センチ)、川柏堂書庫﹂(三・四× -四 セ ン チ ) の同じく長方形 朱印よりわかる。倭は大和で現在の奈良県とおもわれ、士応資聯は今の橿 原市であたりであろうか。耳梨之里は畝傍山・香具山と共に大和三山の ある耳成山付近のごとかとも想像するが、柏堂書庫は ι 雰 囲 聞 に し て 知 ら な い。なお⑨にはこれ以外に後編第七冊の表紙裏貼中にも万御﹂らしき 一一又字が、わずかにみえる例黒印(約三・O
× 一 -九 位 ン チ ) が あ る も 、 これは書附そのものと関係なく料紙に最初から押されていた覚え印かも 知れない。ちなみにこの印の横にはー一写早 L かとも読める本文とは異 筆の墨書があり、こうした具筆の墨書はすぐ前の第六冊目最末尾にも 加藤杷俊﹂と書かれているものがH
につく。後者はととによるとこの 木が一一時期加藤侭俊なる人の所有物であったととを示すのかも知れない もの ιへいずれも本文と出娃関係なさそうな文字である。⑥において貴 重な点は序文の終りに﹃普陀洛伝一記﹄の編者、か円通庵夢+希であった事実 を明記していることで、この記載をみるのは実にこれとさきの⑤だけで、 他木になぜ記されていないのか不思議でならない。しいて立 H 陀洛伝記 L の系統をわけるならば、夢斎の記載有無をひとつのポイントに置くこと もできるかも知れないであろう。いずれにしても⑥は特色豊かな写本だ けに欠本の瓦冊がかえすがえすも惜しまれてならない。 ⑦︹関版丘︺は﹃普陀治伝記﹄の巻一十一から巻二l
四の阿巻分に相 当する端本一関で、札所醤号でいうと一一十番普峰寺、 一 一 十 一 番 穴 拙 寺 、 ゐ 一l
二 番 総 持 寺 、 二 十 三 番 勝 尾 寺 、 J 一l
四 番 中 山 寺 の 五 ヶ ム 寸 分 で あ る 。縦二十コ・七センチ、横十七・一センチの仮袋綴で、紙数百三枚を数え る o 第一葉表を表紙とし中央に E 一端覗珊普陀洛侍記﹂と大きく墨書す る。本文は半葉八行、 一行一↓十字内外で他本に比し濁点が多く
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立 ち 、 やはり江戸末期の写本であることがわかる。 附の枚数が百枚をこえて いるので、全巻このベースで写されたものとするならば六 j 七冊本になっ ていたであろうと想像され、他冊の出現がといねがわれてならない写本 のひとつである。 ③と①は所在の催認ができておらず詳細は不明の状況にある。⑥は ﹃国書総目録れに﹁雲泉(寛延二 V J -O 川)﹂とあって、あたかも寛延 一年成主当初の原本であるかのごとき記載がされているが、編著者夢斎 の名を出していないので原木ではなかろう。おそらく典拠の﹃雲泉荘山 詮 8 誌﹄、か﹃普陀洛伝記巴の序文より、その成立が寛延二年と記したのを ﹃国書総目録れは右のごとく示したにすぎないものとおもわれる。 ⑨は同じく叶問書総目録﹄に﹁三間﹂と出ているが、冊数からみて端 木の可能性が高い。所蔵は旧浅野とあり、その浅野図書館は﹃図書総白 録﹄の﹁図書館・文庫一覧(欄胡旧制叫)﹂ に よ れ ば 、3
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戦災その他で 焼失または所在不明のもの﹂となっているから、今はもう残念ながら存 在しないであろう。 ﹃諸課昔陀洛ト巨医師刻と解⋮題おわりに
以上の九本が呂下知られる立日陀洛伝記﹄の写本である。通覧してい えることは、書風に共通性があり江戸時代末期の十九世紀半ばごろによ く V 寸ド伍されたことがわかるとと。現在みることのできる完本は、 m w 一 ・ ② ・ 内 9 ③・一①の四本であるこど。⑤・⑥の一一本ーから﹃普陀治伝記れの編著者が 京都門通庵の夢斎であったことがわかり、この記載の有無が写本の系統 をたどる上で重要なこと。写本聞にたとえば第六巻の七醤札所側寺に登 ③ 場 ・ す ⑥ る は 義 東 i!~大 よ
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工 る 弓 が 官 て ヤ る う の し に た 対 点 し も ② 写 ・ 本の系統を考える場合無但しがたいとと。書名の文字につき順礼・巡礼、 三 十 三 所 ・ ﹁ 十 三 処 ・ 一 一 一 拾 = 所 ・ 品 川 三 所 ・ 参 拾 二 J 所・参姶参所、北 H 陀洛 伝記・普花器伝記・観世苛伝記と写本によってさまざまに記されるが、 註 日 深く拘泥する要はなく、内容的にみても木書には異本といわれるような ものはまったく有有しないこと等々である。 近年、西国三 I 1一二番札所めぐりはなかなか盛んなるものがある。しか しただ単に物見遊山的な気分での集印に終るだけでは空しい。各札所の 観音伝記を十分知った上で巡礼してこそ利益も広大というものであろう。 そうした点でこの﹃普陀洛伝記れは、たとえ江戸時代中期の成立とはい え h¥ 都 凹 条 道 場 金 i草 寺 第 十 四 代 浄 阿 真 順 な る 時 出 刀て { 曽 カ ミ 談じ
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と し 九同朋大学俳教士化研究所紀要第十六号 て大変興味深く、またその収められる彪大な説話も、古代・中慨にまで 原話がさかのぼれるものも見受けられて非常に貴重視されるのではない かと考えるり 翻刻にあたっては安城市在住の鈴木美保子さん、同朋大学の渡辺信和 氏 国 立 国
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話 な っ た 記して満般の謝意を表する次第である。 註 2 ﹃ 西 国 順 礼 三 十 A 一所昔陀洛伝記﹄については、すでにその大要を左記の拙 稿で述べたが、新たな写本も出てきたので、今回の翻刻を機に重複すると こ ろ あ る も 本 稿 を 草 す る こ と 、 ぶ し た 。 小山正文﹁﹃西国巡礼三拾三処普陀落伝記﹄凹条道場企蓮寺浄阿真順法 談 本i
﹂ ( ﹃ 詩 宗 教 学 年 報 ﹄ 一 一 一 ) 一 九 九 四 年 一 二 月 。 時宗教学研究所編﹃時宗辞典﹄九八九年三月時宗宗務所教学部一 二 八 ペ ー ジ 。 今井雅晴編﹃一遍辞典﹄一九八九年九月東京堂出版一三三ページ。 金井清光﹃一遍と時衆教問し一九七五年一一一月角川書庖凹岡三ページ。 向 右 凶 三 八 ベ ジ 。 同右何ページ掲載図版。 吉井敏幸﹁同国三卜=一所の成立と巡礼寺院の庶民化﹂(浅野清編寸西国三 十二所霊場寺院の総合的研究 L 所 牧 ) 一 九 九O
年二月中央公論美術出 版 。 甲本の川原日河原町より、乙本の河東 H 鴨川東の方がよいようにおもわれ る 。 な お 京 都 市 の 上 京 区 ・ 左 京 区 ・ 伏 見 区 に 円 通 寺 を 名 乗 る 寺 が 、 現 在 一 一 一 ヶ 寺あるも円通庵との関係は不明である。 杉 浦 丘 園 氏 の ﹁ 雲 泉 荘 山 誌 ﹄ は 、 UV ﹃慶長年間刊行本片付﹃江戸時代之 3 4 5 6 7 8。
10 9 書日 h 、 日 間 ﹃ 石 門 心 学 関 係 図 書 及 資 料 ﹄ ( 附 別 冊 二 附 ) 、 肺 ﹃ 家 蔵 慶 長 以 前 紀 年 金 石 類 ﹄ 、 同 ﹁ 家 蔵 看 板 凶 譜 ﹄ 、 的 ﹃ す ご ろ く ﹄ ( 未 定 稿 ) 、 肘 ﹃ 家 蔵 一 敵 国会に関する資料及文献﹄、川口車蔵松会仮之書目﹄の八巻十冊からなり、 昭和三年(九一八)の刊行だが、その後杉浦氏の雲泉文庫はどうなった の か 詳 細 は 不 明 で あ る 。 ④ の 大 谷 小 入 学 図 書 館 蔵 本 も 含 め れ ば 五 本 に な 令 。 この場合本数からみて東大寺を採用すべきであろう一。おもうに岡寺の義削 は は じ め 一 克 典 寺 へ 入 り 唯 識 ・ 法 相 を ひ ろ め た 人 と し て 有 名 で あ っ た か ら 、 元興寺衰退後の法相宗本山といえば興福寺ということになり、さらに京都 で生まれた﹃普陀洛伝記﹄は、東大寺と興福寺の寺名より名付けられた東 福寺と書かれるに至コたものと推考される。 ﹃謂諸普陀洛伝記﹄がいちばん多いので、とれが多分正式の題名とお も わ れ る 。 ﹃普陀洛伝記﹄の最後に十種の功徳があげられていることをおもいあわせ二 、 。
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一、本書は、国立国会図書館蔵本刈西国順礼一一一十一一一所普陀洛伝記﹄(凶 書請求記号1
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を翻刻したものである。 二、翻刻にあたっては、底本の書式・休裁など、出来る限り原木の面目 を逸しないように再現することを旨とした。意の通じない処、誤字 等もそのまふとし、注記を施さなかった。 宅、変体仮名、出字体、略字、俗字、具体文字等については、変体仮名 は通行の文字に、また旧字体以卜は新字体、通行の字休に極力改め た 凶、本文中には一部差別的表現がみられるが、歴史資料としてそのまま と し た 。一
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