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多形的な「私」の承認をめぐって

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多形的な「私」の承認をめぐって

X ジェンダーの語りから―

2017 年 1 月 6 日

総ページ数(A4):78 枚

総文字数:

99,027 字

学籍番号:04-154329

氏名:武内 今日子

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目次

序章 ... 4 1 用語説明 ... 4 2 問題関心 ... 6 3 本研究の構成 ... 8 第 1 章 先行研究の整理 ... 9 1 「X ジェンダー」の成立背景 ... 9 2 「X ジェンダー」に関する社会学・心理学的研究... 12 3 カミングアウトについての先行研究 ... 14 第 2 章 インタビュー調査の概要と分析方法 ... 19 1 インタビュー調査の概要 ... 19 2 調査倫理の説明 ... 19 3 インフォーマントを選んだ基準と偏り ... 20 4 分析方法と分析の視点 ... 21 5 限界と意義 ... 22 第3 章 「X ジェンダー」になること ... 24 1 自分の性別への違和感 ... 24 2 「X ジェンダー」を自認することの機能 ... 32 3 カテゴリーとの距離感 ... 37 第4 章 「性的マジョリティ」へのカミングアウト ... 45 1 カミングアウトの選択 ... 45 2 周囲の情報と繰り返しによる承認 ... 52 3 カミングアウトの「失敗」(1)――予期していないことへの対応 ... 57 4 カミングアウトの「失敗」(2)――親密な関係性における葛藤 ... 62 終章 ... 69 1 本研究のまとめ ... 69 2 「X ジェンダー」というカテゴリーの役割 ... 70 3 異質な他者との共存のために ... 72

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4 本研究の限界と今後の展望 ... 74 文献 ... 75 謝辞 ... 78

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序章

本研究では,「男でも女でもない」人のことを指す「X ジェンダー」という性的マイノリ ティのカテゴリーに注目する.本研究の問いは,「男」や「女」から性自認が逸脱した人た ちにとって,X ジェンダーというカテゴリーがどのような意味をもち,それが他者との関わ りにどのように影響するのかということを明らかにすることである.本章ではまず,X ジェ ンダーを始めとして,性的マイノリティに関する主な用語を説明する.それから,本研究 における問題関心を述べ,最後に構成を示す.

1 用語説明

本節では,性的マイノリティのカテゴリーを整理していく.ただし,これはあくまで便 宜上の区別であって,ある特徴をもっていればあるカテゴリーに必ず入るというものでは ない.それでもカテゴリーの説明が必要なのは,当事者自身がカテゴリー分けを参照し, 自らをそのどこかに主観的に位置づけているためである.まず,性自認と性的指向につい て説明する.性自認は,自分自身の性別をどのように認識しているか,その確信の状態が どのようなものかというものである.性的指向は,恋愛や性愛の対象となる性別のことを 表す.性的マイノリティは,基本的にはこの性自認と性的指向,そして出生時に割り当て られる性別の組み合わせで表現される.例えば,性的マジョリティとされるのは,出生時 に男性と割り当てられ,性自認が男性で性的指向が女性である人たちと,出生時に女性と 割り当てられ,性自認が女性で性的指向が男性である人たちである.これ以外の組み合わ せをもつ人たちが,性的マイノリティとされている. 性的マイノリティのなかでも,性自認におけるマイノリティと,性的指向におけるマイ ノリティに便宜上分けられる.X ジェンダーは性自認におけるマイノリティに属する.性自 認におけるマイノリティには,トランスジェンダー,性同一性障害,X ジェンダーがある. トランスジェンダーとは,社会的な性別を出生時の性別とは反対側の性別へ越境する人 のことである(Label X 編 2016).身体と心の性が不一致でなければならないというわけ ではなく,医療行為1 を望むかどうかも人それぞれである.異性装者もトランスジェンダー に含まれる.性同一性障害は,医学的な疾患名であり,生まれの性別と性自認が異なると いう性別違和を抱えている人のことである.広義にはトランスジェンダーに含まれる.性 同一性障害の当事者の間では,TS と TG という概念が存在する. TS(トランスセクシュ アル)は,身体の性別移行を強く望む当事者を指す.性同一性障害の下位カテゴリーとし て狭義のトランスジェンダーであるTG は,そこまで強い身体の嫌悪感はなく,社会的に希 望の性として扱ってもらえば満足と考える当事者を指す.したがって,性同一性障害の当 1 医療行為とは,ホルモン療法や性別適合手術によって身体を変えることを指す.ホルモン 療法は,生物学的男性に対して卵胞ホルモンを,生物学的女性に対して男性ホルモンを投 与する治療法である.性別適合手術(SRS)は,「性転換手術」と呼ばれることもある.生 殖器を取り,性器の外観を希望する性別に似せることを指す(田中 2006).

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5 事者が必ず医療行為を望むというわけではない. 本研究で対象とするX ジェンダーは,性自認が男性でも女性でもない,もしくは不安定 であると感じる人のことである.「男性でも女性でもない」というのは,遺伝子などの生物 学的な要素が生まれながらに中性的であるということを指すものではない.身体的違和感 の強さは当事者によって異なるが,医療行為を望む当事者もいる.X ジェンダー当事者の多 くは様々な社会化を受けた屈折のなかで,自分の性自認が「男」や「女」から逸脱してい ると感じ,その逸脱によって「男性でも女性でもない」と感じていく.そのような社会的 な逸脱が身体的な違和感に影響していることもあり,単純に身体を本質的なものと捉える ことはできない.X ジェンダーは,その逸脱が具体的にどのようなものかということや,性 自認の内容が当事者によって異なっており,一つのタイプの逸脱ではない点で他の性的マ イノリティとは異なっている.このようなX ジェンダーのあり方は,宮迫千鶴(1985)が 「カテゴリー規範ではなく「ありのまま」」と表現した「多型倒錯」的なあり方を含むもの であると思われる.つまり,X ジェンダー当事者の多くは出生時とは反対の性で生きたいと いうよりも,「今のままの自分をそのまま受け入れてほしい」と考えているのである(Label X 編 2016).そのために X ジェンダーは,基本的に反対の性として生きたいと考えるトラ ンスジェンダーや性同一性障害とは異なっている. X ジェンダーは日本で成立したカテゴリーであり,日本以外では現在のところ用いられて いない2X ジェンダーのなかでも,性自認のあり方によって「両性」,「中性」「無性」,「不 定性」に分けられると定義されることがある.しかしS.P.F. Dale(2012)は,これらの X ジェンダーの特徴はそれらを使う個人によって意味合いが異なるものであり,ある決まっ た定義を研究者が前提にするのではなく,X ジェンダー当事者がどのような意味合いで用い るかを重視する立場をとっている.本研究でインタビューしたX ジェンダー当事者も様々 な意味でX を自認しており,それらを尊重するために本研究でも Dale の立場をとる.また, トランスジェンダーにおいて生まれの性を基準にして,男性から女性への性転換者をMTF (Male to Female),女性から男性の性転換者を FTM(Female to Male)と表記すること にならい,X ジェンダーの場合も MTX(Male to X),FTX(Female to X)と表現される ことが多い.そのため,本論文でもそのように表記する. また,トランスジェンダーやX ジェンダーの服装についても整理しておきたい.性同一 性障害やトランスジェンダーの当事者の多くは,性別移行後の性別としてパッシングでき るような服装をすることを望む.X ジェンダーにおいて,それは人それぞれである.FTX について鶴田幸恵(2015)は,「完全に見た目を男性のようには呈示しようとすることも, しようとしないこともある.ボーイッシュな,あるいは中性的な外見を特徴とする.しか し,FTX は女には見られないことを望む」としているが,X ジェンダー当事者の中には,「中 性的」な外見にこだわらない当事者も多く見られる.外見のあり方を決めつけるのではな く,個別の事例から考えていきたい. 次に,性的指向に関するマイノリティについても説明していく.性自認が男性で,男性 に恋愛感情を抱く人をゲイ,性自認が女性で,女性に恋愛感情を抱く人をレズビアン,性 2 海外でも,bi-gender(両性),a-gender(無性)といった様々なカテゴリーはあるが,X ジェンダーはない.本研究では,海外のカテゴリーとの違いについて検討することはでき なかった.今後の課題としたい.

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6 自認を問わず男性と女性両方に恋愛感情を抱く人をバイセクシュアルという.また,恋愛 感情や性的欲求を抱かない人をアセクシュアルといい,恋愛感情を向ける相手の性自認を 問わず,それが男性や女性に限らずトランスジェンダーなど性別違和をもつ人にも向けら れるとき,バイセクシュアルではなくパンセクシュアルが用いられる.トランスジェンダ ーやX ジェンダーといった性自認のマイノリティは,性的指向は考慮しないため,様々な 性的指向をもつ人が含まれている.例えば,あるFTX 当事者が女性を好きになり,「男性 的な自分が女性を好きになる」という感覚が当事者にあるとする.そのとき性的指向はヘ テロセクシュアルに近いことになるが,当事者の外見が「女性的」であれば,周囲からは レズビアンのように見えることはありうる.このような場合に,当事者が自らをどのよう にカテゴライズするかということは,当事者によって異なるため,それぞれの事例から判 断することになる.

2 問題関心

近年,同性婚をめぐる社会的な動きなどから,性的マイノリティへの関心は高まってい る.しかし,しばしば性的マイノリティ当事者への差別的な事件が生じることからもわか るように,日本社会は性的マイノリティに対して寛容であるとはいえないだろう.そのな かで,異質な他者同士がどのように共存していけるのかということが,本研究の根本的な 関心である.そのうえで,他者との相互行為のなかで「マイノリティ」として逸脱した個 人がどのように生きていくのかという視点で,「X ジェンダー」という一つの性的マイノリ ティを事例としたい.X ジェンダーは,性的マイノリティのなかでは知られるようになった が一般的にはほとんど知られていない,性的マイノリティのカテゴリーであり,「反対の性 別に越境する」トランスジェンダーとは異なり,性自認が「男でも女でもない3 」と感じる 人を指す. X ジェンダーについての研究は,性的マイノリティとしての X ジェンダー当事者の困難 や多様性を描くものが中心であるが,本研究では異なる視点で X ジェンダーについて論じ る.X ジェンダーの特殊性は,反対の性別に完全に越境したいとは思わないが,性的マジョ リティでもないために,性的マイノリティと性的マジョリティの境界にある存在としても 捉えることができる点にあると考えている.割り当てられた性別に対し困難を感じている ゆえに社会的な弱者ではあるが,「X ジェンダーであること」が指す内容は曖昧であるし, 社会に求めることが具体的に共有されているわけでもない.X ジェンダーはどのような理由 で,どのような過程を経て,「性的マイノリティ」になってゆき,そのカテゴリーはどのよ うな人の生き方を支えているのか.また,X ジェンダーであることは,他者との関わりにど のように影響するのだろうか.これらが本研究の問いである. 本研究では,他者との関わりへの着目から,当事者に共通する経験として,誰かにカミ ングアウトすることをめぐる語りに着目する.カミングアウトというのは,性自認や性的 3 既存の意味での「男」や「女」というカテゴリーに当てはまらないという意味で「男でも 女でもない」と表記している.当事者の感覚には,「男でも女でもある(両性)」,「男と女 を揺れ動く(不定性)」など,様々なものがある.

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7 指向について何らかの方法で他者に伝えることを意味している.他者とコミュニケーショ ンをとるなかで,カミングアウトするか否かという選択を含め,カミングアウトの経験は マイノリティが社会のなかで生きるうえで重要なものである. カミングアウトは主に同性愛者が権利を獲得するうえで,政治的に同性愛者の存在を明 らかにするもの,また同性愛者の主体を形成するものとして重要な役割をもってきた.現 在では同性愛者に限らず様々なマイノリティが自らの「秘密」をマジョリティに向けて明 らかにするといった意味合いで用いられるようになった.そして,同性愛者のカミングア ウトにおいて,政治性のみに注目したカミングアウト論は批判され,他者との関係性の志 向といった,カミングアウトのもつ私的な側面が注目されるようになっている(金田 2003 など).トランスジェンダーやX ジェンダーのカミングアウトは政治的なものから私的なも のへという捉え方をされてこなかった.特に性同一性障害にあてはまらない性自認があい まいである当事者にとって,カミングアウトは自己を受容し,他者との関係性をひらくも のとして論じられている. このように,カミングアウトは特に同性愛者のそれをめぐって様々な意味づけがなされ てきたが,本論では,カミングアウトにある価値をあらかじめ与えたり,その機能をカミ ングアウトがなされたコミュニケーションの状況から切り離して論じたりすることは避け たい.カミングアウトはそれをする相手がいる以上,必ず他者との関係性に依存するもの であり,それは公的・私的と完全に区分できるものではなく,個々の状況によって相手を 含む当事者たちに何らかの意味をもたらすものであると考えていく.また,集団のなかで 存在をアピールするといった政治的な表明だけでなく,それとなく相手にほのめかすとい った消極的な伝え方もカミングアウトに含めるものとする. 以上の関心から,X ジェンダー当事者にインタビューを行い,その語りを分析する.その とき,類型的な認知枠組みとしてのカテゴリーの作用に注目して分析したい.特に,カテ ゴリー化が他者を前にしてなされ,そのことが同時に相互行為を形成していくという片桐 雅隆(2006)の視点は,あるカテゴリーについて伝える側と伝えられる側の相互行為であ るカミングアウトを分析するうえで重要である.また,インタビューでは,X ジェンダー当 事者が過去を振り返る語りを聞き取ることになる.「男」「女」の谷間にいる X ジェンダー 当事者のあり方は多様であり,さらに,ある個人においてもその場所・時間・関係性など によって,異なったあり方を見せるだろう.そのように多形的である当事者のその時,そ の場所のあり方である,「私4 」という地点から語りを読みとき,その存在をどのように自 ら承認し,また,他者に承認されようとするのかを明らかにしていきたい. 本研究は,X ジェンダーという,性的マイノリティのなかでも特殊な事例を扱うものだが, 「X ジェンダーの研究」にとどまらない意義があると考えている.第一に,X ジェンダーが どのように「性的マジョリティ」から逸脱してゆき,「性的マイノリティ」として自らを位 置づけるかということからは,逸脱を生じさせる社会的背景を記述し,性的マジョリティ と性的マイノリティとの関係性を明らかにしうる.第二に,当事者の性質を固定化するも のとして批判されてきたカテゴリーが,当事者にとってどのような機能をもつかを実証的 4 本研究では,当事者が過去を振り返るときの,その時,その場所の生活形態や信念,身体 のあり方を「私」とし,その「私」の積み重ねを,その個人に一貫したあり方として解釈 したものを自己と表す.

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8 に記述することで,カテゴリーの作用をめぐる理論に貢献しうる.カテゴリー執行は人の 相互行為全般に生じることであるため,異質な他者との相互理解がどのようになされるか を論じるうえで,カテゴリーの作用を明らかにすることは重要である.第三に,身体違和 をもつX ジェンダーの語りからは,本質主義/構築主義の枠組みに単純におさまらない,身 体と性自認との関係を描くことができる.これらの点から,本研究には意義があると考え る.

3 本研究の構成

本研究の構成を示す.1 章では,先行研究を整理し,本研究の視点を明確にする.まず, X ジェンダーというカテゴリーが他の性的マイノリティとの関わりのなかでどのように成 立したのかをたどっていく.次に,X ジェンダーについての心理学・社会学における研究を まとめることで,X ジェンダーを他のマイノリティのなかで位置づける.それから,同性愛 者とトランスジェンダー・X ジェンダーのカミングアウトについての文献を整理する.2 章 では,インタビュー調査の概要,分析方法,分析視点を示し,本研究のもつ意義と限界を, 当事者性に注目して明らかにする.また,インタビューの結果重要に思われたカテゴリー と相互作用の関係性について論じる.3 章と 4 章が当事者の語りの分析となる.3 章では, X ジェンダー当事者がどのように性別に違和感を覚え,X ジェンダーになっていくのかを描 く.そして,X ジェンダーというカテゴリーを得ることによる潜在的機能とカテゴリーの性 質について論じる.4 章では,親や友人といった「性的マジョリティ」である他者へのカミ ングアウトについて取り上げる.X ジェンダーのような集合カテゴリーと,親/子などの役 割カテゴリーとの関係に注目しつつ,当事者がどのようにカミングアウトを選択し,その 成否に何が影響するのかを論じる.終章で,本研究のまとめを行い,「X ジェンダー」とい うカテゴリーの役割と,異質な他者との共存のあり方について検討する.

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第 1 章 先行研究の整理

本章では,先行研究を整理し,本研究の視点を明確にする.まず,X ジェンダーというカ テゴリーが現れた歴史的背景を記述する(第1 節).次に,X ジェンダーについての既存の 研究をまとめ(第2 節),最後にカミングアウトについての研究を整理し,本研究の特色を 示す(第3 節).

1 「X ジェンダー」の成立背景

本節では,X ジェンダーというカテゴリーの歴史的な背景を,トランスジェンダーと性同 一性障害との関わりのなかで記述していく.あるカテゴリーを名乗るときのそのカテゴリ ーの意味は,歴史的な成立背景に影響されていると考えるためである. X ジェンダーというカテゴリーは,トランスジェンダーと性同一性障害というカテゴリー が広まっていった1990 年代に日本で成立したとされる.そこで,トランスジェンダーと性 同一性障害の成立から記述していく.日本には古くから異性装の風習はあったが,性自認 と身体の性が一致しないトランスジェンダーという概念は1980 年代に登場する.1980 年 代なかばには,「ニューハーフ」が商業的な MTF トランスジェンダーを指す言葉として一 般人にまで広く浸透していた.また,1980 年代後半から 1990 年代にかけて,心理学者の 渡辺恒夫によって欧米のトランスヴェスタイト,トランスセクシュアル,トランスジェン ダーという概念が紹介された(三橋 2015).1989 年ごろから,性別越境者全体を包括す る概念として用いられていたトランスジェンダーという言葉が,フルタイムの異性装者で ありながら,性別適合手術を望まない人という意味でも用いられるようになる.そして, この狭義のトランスジェンダーをトランスヴェスタイトとトランスセクシュアルの中間に 位置づけ,トランスセクシュアルを上位,トランスジェンダーを中位,トランスヴェスタ イトを下位とする階層意識が,一部の当事者の間で生まれるようになった(三橋 2003). 性転換手術は1952 年末から 1953 年末にかけて,アメリカ人男性ジョージ・ジョルゲン センの女性への性転換が大きく報道されたことが契機となり,日本でも行われるようにな っていたが,非合法であるという認識があった5 .1990 年代になると,正規の性別適合手 術(SRS)が日本で行われている.1995 年 5 月,原科孝雄埼玉医科大学教授が,2 人の FTMGID 患者の SRS の実施を同大倫理委員会に申請し,1996 年 7 月,同委員会は「性同 一性障害」患者に対するSRS は正当な医療行為と答申した.そして,97 年 5 月には,日本 精神神経学会特別委員会が手術療法を含む「性同一性障害」の診断と治療に関するガイド ラインを承認したのである(三橋 2003).その結果,性同一性障害の治療は,「精神療法 5性転換男娼が増加するなか起こった1965 年 10 月の「ブルーボーイ事件」において,3 人 の男娼に対して性転換手術を行った医師が優生保護法28 条違反の容疑で摘発された.この 事件は国内における性転換手術は非合法であるという認識を形成し,性転換者の潜在化を まねいた(三橋 2003).

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10 (カウンセリング)」→「ホルモン療法」→「手術療法(SRS)」の段階に沿って行われるこ とになった.「精神療法」においては精神科医最低2 人から「身体的治療」の許可を得るこ とが必要であった.ガイドラインが 2 度改定され,最終版では「ホルモン療法」と「手術 療法」のどちらを先に行うかを選べるようになったが,まず「精神療法」を終える必要が あることは変わっていない.鶴田(2010)によると,カウンセリングの場では性同一性障 害かどうかが精神科医によって診断されるが,精神科医が自分の性別観を基準に患者の「心 の性」を判定しようとしていたために,女になりたい人は「女らしさ」を,男になりたい 人は「男らしさ」をステレオタイプにふるまうことが必要であるという当事者の語りがあ ったという. このように医療化が進んだことは,トランスジェンダーの分裂にもつながった.性同一 性障害当事者を選定しようとするガイドラインが,「TS 原理主義」という考え方を招いた と三橋(2003)は言う.「TS 原理主義」とは,男女いずれかのあり方やそのステレオタイ プ的な表現を絶対視し,手術をしないトランスジェンダー,パートタイムのトランスジェ ンダーなどそれ以外のあり方を認めないという考え方である.また,ガイドラインは女装 者の排除,ニューハーフやミス・ダンディといった商業的なトランスジェンダーの排除, 子どもをもつトランスジェンダーの排除をもたらした6 (三橋 2010). 性同一性障害は1990 年代から「3 年 B 組金八先生」などのテレビドラマやインターネッ トで広く知られるようになった.X ジェンダーというカテゴリーができたのは,1990 年代 のことである.Dale(2012;2013a;2013b)の記述を確認するかたちで説明していく.X ジェンダーという言葉は,関西,特に大阪や京都のクィアコミュニティに起源をもつと推 測されている.正確な起源を特定することは難しいが,トランスジェンダーの個人に焦点 をあてた雑誌や,1990 年代後半から出されたクィアに関するローカル誌にも X ジェンダー という言葉が現れ始めていた.特に,G-Front 関西と,その元代表である森田真一が X ジ ェンダーの広がりに一定の役割を果たしたと考えられている.吉永みち子(2000)の森田 への取材において,森田は自分の性について以下のように語っている. 自分は何者なのかと模索する中で,ゲイやレズビアン,あるいはトランスセクシ ャル,トランスジェンダーなどのコミュニティーに身をおいてみても,どこにもし っくりこないという人が実はけっこういるんです.僕もそうなんです.『ゲイ・フロ ント関西』のトランスジェンダーのグループの人でも 3 分の 1 ぐらいは,自分がト ランスセクシャルなのかトランスジェンダーなのか,目指すゴールが男なのか女な のか明確にできない人がいますが,そういう存在を表す言葉がないんです.だから, 僕のような存在を,X-ジェンダーと勝手に呼んでいます,男や女のように社会的に 6女装者が「フェティシズム的服装倒錯症」であるという単純な図式がつくりあげられたほ か,1997 年に日本精神神経学会が策定したガイドラインの「除外項目」には,「文化的,社 会的理由による性役割の忌避,職業的利得などのために別の性を求めるものではないこと を確認する」という条文があり,職業的なトランスジェンダーを排除する意図がみられる という.「GID 特例法」第 3 条に示された性別変更請求の 5 つの条件のうち,3 つ目に「現 に子どもがいないこと」というものがあり,これは「子有り」「子無し」というカテゴリー を生み出し,「男性器で性行為をした人の心が女性であるはずがない」といった差別のため の論理によって「子有り」バッシングが一部の当事者の間であらわれた(三橋 2010).

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11 ジェンダー・アイデンティティーは認められていないけれど,きっと何かあるはず だって思っています.どこに違和感を感じているのか,どこがしんどいのかは,TS ともTG とも違う.トランスセクシャルからみたら,望む性を手に入れる通過点でし かないのでしょうが,その状態がずっとなんです.もうこのままのスタイルでいく しかない.今ではそれが自分の性だと考えています.それを周囲が理解してくれた らと思います(吉永 2000: 159-160) 性別違和を持ちながらも性自認が男女のどちらかに当てはまらない人が存在し,そのよう な人が既存のコミュニティにおいて生きづらさを感じるような状況が,X ジェンダーという カテゴリーが成立する背景となっていることが読み取れる. X ジェンダーという言葉は,年一回の機関紙「poco a poco」(vol.15 2000)において,X ジェンダーは巻末の用語集に登場している.また,田中怜の『トランスジェンダー・フェ ミニズム』(2006),ROS 編『トランスがわかりません‼――ゆらぎのセクシュアリティ考』 (2007),中村美亜の『クィア・セクソロジー――性の思いこみを解きほぐす』(2008)とい ったトランスジェンダー当事者の著書において,男でも女でもない性として X ジェンダー を説明する記述が見られることから,2000 年代には X ジェンダーという用語はトランスジ ェンダー当事者の間で認知されていることが推察される.X ジェンダーの当事者団体は少な いが,Label X という団体から,『X ジェンダーって何?――日本における多様な性のあり 方』(2016)が出版されている.X ジェンダーの広まりには,インターネットの果たす役割 が大きく,ブログ,2 チャンネル,MiXi,Twitter などで交流が行われている. Dale(2013)によると,X ジェンダーの人たちにも手術で身体を変えたり名前を変えた りすることを望む人は存在し,そういった人たちはGID の病院に行きカウンセリングや治 療を受けている.そのために性同一性障害という診断を受ける場合もあれば,X ジェンダー という診断を受けることもあり,それは病院によるという.「本当の」X ジェンダーになる ために公的にX ジェンダーであるという診断を受けるのだと語る当事者を例として挙げ, 医療機関がX ジェンダーとは何であるのかを決める場合があることを Dale(2013)は指摘 している.ただし,X ジェンダーが身体医療を求めたとき,医療機関は適切な方針を現状で は持っておらず,性同一性障害に準じて,それぞれの医療機関が判断し対応している状況 である7 (針間 2016).また,X ジェンダーのような,性自認が男でも女でもない,もし くは性自認が不安定な人が顕在化したことは性同一性障害の医療のあり方にも影響を与え ている.自分が性同一性障害かどうかわからない,あるいは治療すべきかどうかわからな いため,それを判断するための「自分探し」としてカウンセリングに通う人が増えている という(鶴田 2009).カウンセリングのあり方も,患者の「女らしさ」,「男らしさ」のス テレオタイプを助長するよりは,「反対の性であるというゆるぎない確信」と,「周囲から どれだけ理解されているか」ということを重要視するものに変わってきていると,鶴田 (2010)は指摘している. 7 針間(2016)によると,DSM-5 という米国精神医学会の発行する新たな疾患リストでは, 性同一性障害は「性別違和」という診断名に置き換わり,「反対のジェンダー」だけではな く「指定されたジェンダーとは異なる別のジェンダー」を望む場合でも,診断基準を満た すようになっている.しかし,日本精神医学会の作成するガイドラインは,性同一性障害 の人を対象にしており,DSM-5 の「性別違和」を対象としているわけではない.

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12 本節では,X ジェンダーというカテゴリーが成立した背景を整理していった. X ジェン ダーというカテゴリーは,トランスジェンダーや性同一性障害というカテゴリーが認知さ れていく時期に,既存のカテゴリーにはあてはまらないと感じた人たちによって日本のコ ミュニティのなかで生まれたものであると考えられている.また,現在のように「性的マ イノリティ」の間で知られるようになったのは,インターネットの影響が大きかった.X ジ ェンダーについての研究は,社会学や心理学において,多くはないが,なされてきている. それらを次節で検討していく.

2 「X ジェンダー」に関する社会学・心理学的研究

本節では,X ジェンダー当事者を対象とした心理学と社会学における先行研究を取り上げ, X ジェンダーに関してどのような関心で研究がなされているか整理し,本研究での立場を明 確にしたい. 心理学は,男女いずれかのアイデンティティをもっていない人はアイデンティティ拡 散・混乱状態にあると捉えてきた.これに対し佐々木掌子(2010)は,MTX あるいは FTX といった規定されないジェンダー・アイデンティティを拡散でも混乱でもなくもつことは 可能なのかという問いのもとでX ジェンダー当事者を調査した.そして,「目標とする姿」 に関する自由記述の分析から,「自己表現が社会的に許容されずアイデンティティの危機に 陥る可能性はあるが,心理学のいうようなアイデンティティ拡散や混乱とはみなせない」 と考察し,X ジェンダーがひとつの固定的なアイデンティティとして形成される可能性を指 摘している.戸口太功耶(2012)は,X ジェンダーを自認する個人の経験をインタビュー 調査によって記述し,X ジェンダーの人びとのアイデンティティがどのようなものかを明ら かにしようとした.X ジェンダーというカテゴリーを,男性か女性のどちらかにあてはまら ない自分の性自認に名前を与えてくれるものであると捉えたり,自分以外にも自分と似た ような性のあり方をもつ人の存在を知って自分の存在を確かめたりすることで,安心感な どの肯定的な感情を得ている当事者の姿を戸口(2012)は読みとっている.また,X ジェ ンダーというカテゴリーを選ぶときに,MTF トランスジェンダーや FTM トランスジェン ダーなどの他のカテゴリーには当てはまらないという考えを経ている場合があるという. 次に社会学の研究をみていく.まず,松嶋淑恵(2012)は,X ジェンダーも含む「性別 違和をもつ人々」を研究対象とし,経済状態の影響,他者との関係性の問題,精神的問題 の3 点の実態把握を目的とした質問票による量的調査を行っている.他者との関係性にお いて,性別のことを話せる相手や性別の悩みを分かち合う相手の数はMTF・FTM・FTX では比較的多い傾向がみられたが,MTX では性別について話せる相手が比較的少なかった. 性別について話す人との間柄は,友人が8 割ほどと最も多く,家族よりも親しい友人やパ ートナーに理解されていると感じる傾向がみられた.精神的問題に関して,性別移行に関 する不安を,自己表出葛藤(社会や他者との関係の中でありのままの自分でいることに対 する葛藤),パス意識(自分の望む性別として他者から受け入れられたいという希望が満た されなかったときの不満やショック),破滅思考(自分の望む性別になれないことを理由に,

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13 人生や生活について破滅的なことを考えてしまうこと),自己否定(生まれの性別らしくな れないことをマイナスに捉えていること)に分けて考察している.MTF と FTM では MTX やFTX に比べ,パス意識と破滅思考が強い傾向があり,FTX では,パス意識や破滅思考よ りも自己表出葛藤と自己否定が高かった.これについて松嶋は,「X ジェンダーでは,自身 のあいまいな性を社会の中でどのように折り合いをつけていくかが課題となって」おり, 「男女二元論や既存のジェンダー規範とは異なるあり方であることから,社会的に受け入 れられがたい存在として見なされる可能性があり,自身も規範を内面化し自己否定的にな っている」と考察している(松嶋 2012).石井由香理(2012)は,既存のカテゴリーにあ てはまらない自己像として,FTX,MTX を挙げる.それらの自己像は同一化すべきモデル を失っているために,再帰的で移ろいやすく曖昧なものとなっていると論じている.これ らの研究は,比較的新しい性別カテゴリーであるX ジェンダーがどのような特徴や困難を 持っているのか,アイデンティティを固定的なものと捉えることができるのかを探索的に 調査したものであるといえるが,当事者の姿を具体的に描いてはいない. 当事者の特徴や困難をより具体的に呈示してみせたのがDale(2013b)の研究である. Dale(2013b)は,個人がどのように X ジェンダーをアイデンティティとして自己をつく っているのか,また,二元的なジェンダーを超えられるのかという問いに,一人称・二人 称などの語り方,外見,場所,セクシュアリティ,カミングアウトと家族のつながりとい った点から迫っている.ここで重要なのは学校,トイレ,家庭といった,場によって異な る困難があることを考慮していることである.カミングアウトについても,どのような場 所におけるカミングアウトなのかという点は考慮する必要がある.また,X ジェンダーが男 性や女性にあてはまらない性別を意味するとはいえ,多くの場合,もともと文化的・社会 的に存在している,男性らしさや女性らしさを帯びていると考えられているような一人称 や服装,性行為のあり方などを選択することになり,そのことに違和感をもつかどうかに は個人差があり,その意味で二元的なジェンダーは超えられないという結論になっている. 一方,エスノメソドロジーに依拠する鶴田(2015)は,「男でも女でもない」ためにX ジ ェンダーが抱える困難を描いている.エスノメソドロジーは,いかに外見によって人の性 別が判断され,対面的相互行為において「男/女として」取り扱われているのかということ を,会話をデータとして記述してきた.鶴田(2015)は,E. Goffman(1963=1980)が『集 まりの構造』で論じた「焦点の定まっていない相互行為」と「焦点の定まった相互行為」 に着目し,FTX と FTM へのインタビューデータの分析から,「人が女か男である」という のは,さまざまな行為や光景を理解するときに主題化されない背景として進行している「焦 点の定まっていない相互行為」水準の秩序だという.鶴田は,FTX を「完全に見た目を男 性のようには呈示しようとすることも,しようとしないこともある.ボーイッシュな,あ るいは中性的な外見を特徴とする.しかし,FTX は女には見られないことを望む」と定義 し,中性的な外見ゆえに相互行為に困難が生じるとしている. 外見によるカテゴリーの判断が相互行為に影響を与えるという点は重要である.ただ,X ジェンダー当事者でも中性的な外見を目指さない人は多くいるため,このようにジェンダ ー表現のみによって定義付けすることは事実に反している.そういった当事者の存在は, Dale(2013b)で指摘されている.X ジェンダーの共通する特徴は,「男でも女でもない」 と何らかの理由で考えているということだけである.X ジェンダーをどのように扱うかとい うことに関しては,あらかじめX ジェンダーのジェンダー表現を決めつけるような定義を

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14 とるのではなく,Dale が行っているように,それぞれの当事者が X ジェンダーをどのよう に意味づけるかということを重視したい. また,相互行為によって X ジェンダー当事者が困難を抱く場面として鶴田が焦点を当て るのは,見知らぬ人に見られるという経験や,知り合いとの集団でのコミュニケーション に限られている.そういった場面で人にどのように見られるかということが,当事者にと ってどの程度重要なことなのか,また,友人や家族のような重要な他者との関係性では困 難がどのように現れるのかということを,論じる必要があるだろう. これらのX ジェンダーのアイデンティティや困難をめぐる既存の研究は重要なものだが, 本研究は,先行研究とは異なる視点をもっている.なぜ個性的な「性的マジョリティ」と してではなく,「性的マイノリティ」のカテゴリーである「X ジェンダー」を自認すること になるのかという,「性的マジョリティ」と「性的マイノリティ」の関係性については,既 存の研究では論じられていない.つまり,本研究は,X ジェンダーというカテゴリーを前提 にして,その困難を記述するのではなく,X ジェンダーというカテゴリーを得る過程にも注 目するものである.また,個人のあり方が様々であるにも関わらず,それでも「X ジェンダ ー」というカテゴリーをもつことが,「私」にとって,そして他者とのコミュニケーション においてどのような意味をもつかという,カテゴリーのもつ機能にも注目されていない. 本研究は,それらの観点からカミングアウトをめぐる語りを読み解くものである.カミン グアウトに注目するのは,他者と共存するあり方を探るうえで,どのような自己開示が多 様な関係性のなかで行われるのかということに,注目する必要があると考えるためである. 次節では,カミングアウトがどのように扱われてきたかを検討していく.

3 カミングアウトについての先行研究

本節では,同性愛者とトランスジェンダーのカミングアウトに関する先行研究を整理し, 同性愛者のカミングアウトとトランスジェンダーのカミングアウトの違いに注目しつつ, 本研究でカミングアウトをどのように扱うか示したい.同性愛者のカミングアウトについ て扱った論文は多いが,トランスジェンダーのカミングアウトについて記述のあるものは 少ない.そのため,トランスジェンダーのカミングアウトに関しては,主に当事者が著し た一般書からカミングアウトをどのように扱っているか探っていきたい. まず,同性愛者のカミングアウト論を整理する.カミングアウトという言葉は,欧米で のレズビアン/ゲイ運動を背景に,「解放」あるいは「抵抗」の行為として,政治的に意義の あるものとして語られてきた.1969 年にニューヨークで起こったストーンウォール事件を 契機に,ゲイ運動において,カミングアウトが積極的な意味をもつようになった.このと き,ゲイ・アイデンティティは自然な属性とされ,カミングアウトは,同性愛者に肯定的 な同性愛者のあり方を知らせる政治的なものとされていた.欧米の社会運動の流れをひき ついで,カミングアウトを抵抗の手段として肯定的に捉えたのが風間孝(2002)である. 風間は,同性愛者団体「動くゲイとレズビアンの会(アカー)」が差別的扱いをうけた「府 中青年の家」事件によって顕在化した日本のホモフォビアの構造の分析とゲイによる政治

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15 を可能にする理論的基盤を目指した.風間・川口・ヴィンセント(1997)は,カミングア ウトを次のように語る.「カミングアウトを通して,語られる存在から自らを語る存在にな っていくプロセスは,同性愛者同士の語りによって簡潔するものではなく,私たちがどの ように表象されるかに関して社会のホモフォビアと闘うことも含まれる.この闘いは,表 象の『客体』ではなく,『主体』として存在するようになるための過程の一部だ.同性愛者 としてのアイデンティティを獲得し,目に見える存在になるためには,カミングアウトを し続け,語り続けなければならない」(風間・川口・ヴィンセント 1997: 215).ここから, カミングアウトをすることで主体性を獲得し,他者の認識を変えて徐々に社会の変革につ なげようという,カミングアウトの政治的な意味が読み取れる. また,堀江有里(2015)は,抵抗の実践としてカミングアウトを捉えたうえで,ゲイの カミングアウトを語るときに同性愛者という言葉が使われることで,レズビアンの状況が 不可視化されることに懸念を示す.レズビアンのカミングアウトには,「①<カミングアウ ト>する行為が他者に受け取られずに無化されていくという側面と,②語り手の提示した< カミングアウト>がその意味から乖離し,受け手の解釈のなかで誤認され,抹消されるとい う側面」(堀江 2015: 124-125)といった困難があるという.受け手の解釈のなかでの誤認 とは,ポルノグラフィに象徴される性的な行為のイメージがレズビアンに貼りつけられる ということを意味している.一方で,ゲイはホモソーシャリティの体制のなかで男ではな いものと認識され,与えられるはずの特権を捨て去り,「正しいセクシュアリティ」への疑 義をつきつける価値転覆力を強くもつために,可視的でより強力に弾圧されることも指摘 されている.これらの研究は,レズビアンとゲイといった,カテゴリーごとのカミングア ウトの違いを意識する必要があることを示している.また,その違いをもたらすものとし て,カテゴリーによって異なる排除の歴史性を認識することが重要であると思われる. 他方,これらの研究は,異性愛規範の存在を顕在化し,私的領域と公的領域の境界線を 揺るがすものであるとして,カミングアウトの意義を主張するものと言える.そこには, 排除されてきた歴史への抵抗の意識が見られる.しかし,クローゼット/カミングアウト, 私的/公的という二項対立を前提にしたカミングアウト論は,M. Foucault の理論によって 批判されることになった.Foucault は,『性の歴史Ⅰ 知への意志』(Foucault 1976=1983) において,17 世紀以降近代のキリスト教社会では性は抑圧されており性について語ること はタブーとされたという「抑圧仮説」を否定し,むしろ人びとが性について積極的に語る ことによって,性に関わる「知」と,その知を媒介にして権力が構築されてきたとする. Foucault は,告白の実践を局所的に存在する権力への従属であるとしたのである.カミン グアウトをこの告白と捉えると,カミングアウトはセクシュアリティの装置の中核にとど まり続けることを意味することになる.E.K. Sedgwick(1990=1999)は,クローゼット/ カミングアウトの枠組みのなかでは,カミングアウトはむしろ異性愛を中心とする社会を 再生産することに寄与すると主張している.それは,同性愛が隠された秘密として明らか になり,それによって二項対立がむしろ強化されてしまうためである.赤川学(1996)が 言うように,「最終的にセクシュアリティの装置の外部に出るためにはたとえそれが肯定的 な価値を持つカテゴリーであれ,性のタームで自己同一性を得ることから脱出しなければ ならない」(赤川 1996: 132)のだ. 同様に二項対立的なカミングアウト論を批判する金田智之(2003)は,カミングアウト はしないが,周囲にセクシュアリティが「バレバレ」である状態が周囲の環境への受容に

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16 つながることもあるとし,カミングアウトしない状態は必ずしもクローゼットの中にいる 状態と同じではないと主張している.これから関係性を築いていこうとするときに,自分 を理解してもらうためにカミングアウトは重要であるが,すでに親密な関係性を築いてお り必要性がない場合,カミングアウトは行われないとし,カミングアウトをするかしない かの選択は,人間関係の質に左右されるとしている.この「バレバレ」である状態は,カ ミングアウトに対する周囲の反応が,カミングアウトを行う側によってコントロールでき ない(Sedgwick 1990=1999)ために必ずしも受容につながるわけではないと思われる.ど のようなカテゴリーにおいて,また,どのような関係性においてそれが機能するのかを考 える必要があるだろう. 金田(2003)の批判は,「なんらかの理想的な状態を設定し,その状態を達成するための 手段としてカミングアウトのみが有効であるかどうか,オルタナティブが可能であるかど うかを探るもの」(森山 2012: 118)であった.これに対し,理想的な状態を達成する手段 ではなく,カミングアウト後の相互行為とそこに関わるスティグマを探ることに焦点を当 てたのが三部倫子(2014)である.三部(2014)は,レズビアン,ゲイ,バイセクシュア ル当事者が親とどのように向き合い,また親は当事者である子どものカミングアウトをど のように受けとめ対処するのかという問いを,参与観察とインタビューによって明らかに しようとした.当事者にとって,親をはじめとする異性愛家族からの承認が重要なものと されているという現状や,親が同性愛者/両性愛者である子どものことを理解する状況は, どのような社会的条件のもとで生じているのかといったことが読み取られている.ここで はカミングアウトは個人的に選択されるものであり,親との関係性のために必要なもので あるという以上の意味合いは与えられていない.同性愛者のカミングアウトは,関係性の なかで個人が選択するものとなっているのである. 次に,トランスジェンダーのカミングアウトについて先行研究を整理していく.トラン スジェンダーのカミングアウト論は同性愛者のようには存在しないが,カミングアウトが どのようなものとして扱われているかについて,文献を狩猟した.カミングアウトの問題 は,手術やホルモン治療をする性同一性障害の人とそうでない人で異なって生じていると 思われる.すなわち,三橋(2003)が指摘しているように,自分を性同一性障害であると 考え,マジョリティの男女としてマジョリティの中にとけこんで生きていこうとする人と, 性別違和感を個性と考えて医療に頼らず自分で折り合いをつけながらマイノリティとして 生きていこうとする人では,状況が異なっているのである. 性同一性障害当事者は,基本的には自分の望む性別に一瞥で見られることを望む,すな わちパスすることを追求していると鶴田(2009)は指摘している.元の性別がばれても社 会的に望む性別で扱われればよいというのではなく,当事者の心理としてはパスを望むの だという.このようにパスしようとする性同一性障害当事者にとって,基本的にはカミン グアウトはしてはならないものなのである.この点で,性同一性障害当事者にとって,パ スできるかどうかが主要な問題であり,クローゼット/カミングアウトという図式は重要で はなかった.ただし,家族やパートナーのような私的な関係において,カミングアウトが 必要なものとなることがある.『性同一性障害30 人のカミングアウト』(2004)という本で は,FTM15 人,MTF14 人,インターセックス 1 人が自分の人生についてカミングアウト した記述がのせられている.それらの語りからは,ほとんどの人が性転換手術やホルモン

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17 治療をする際に家族とパートナーにカミングアウトしていることが読み取れる.また,職 場において,名前の変更や制服の変更などを要求するためにカミングアウトが必要なこと が多いようである.性同一性障害の場合,外見や身体的機能が大きく変化し,公的な書類 の変更も多いため,説明する必要が出てくる. 一方で,典型的でない性同一性障害当事者や,多様な当事者の自己像も描かれるように なってきた.かれらにとって,どのように見られるかということは,あまり重要でない場 合がある.そのために,パスできるかどうかというより,近年の同性愛者のカミングアウ ト論と同様に,関係性のなかで個人が選択するものとしてのカミングアウトが重要になる. 中村美亜(2005)は,深刻な性別違和感に苦しんだことがあるが,その苦しみが薄れてき ている当事者へのインタビュー調査を通して,カミングアウトすることが,自分のジェン ダー・アイデンティティを再構築し,自分のありのままを受け入れることで性別違和感の 解消につながる作用をもつ要因の一つであるとしている.また,性同一性障害当事者が性 同一性障害を名乗らなくなっていく過程を探った荘島幸子(2008)は,職場での寛容さに 加え,友人や家族にカムアウトすることで,人間関係が摩擦を引き起こしながらも開かれ ていき,性同一性障害に起因しないものにも当事者が目を向けるようになっていくことを 明らかにする.他者との対話を重ねて環境が安定してくると,手術で性転換するという飛 躍した未来に重心を置くことが難しくなるという.また,石井(2012)は,カテゴリーに あてはまらない自己像がどのように形成されていくかを探り,他の性的マイノリティ当事 者に会い,話を聞いたり情報を集めたりすることが,自己の受容につながると指摘してい る.これらの研究からは,性同一性障害ではないトランスジェンダーにおいてカミングア ウトはそれを通して自己を受容し,他者との関係性をよりよいものにするものとして捉え られているようであることがわかる. これらの研究からは,性自認がはっきりしていないトランスジェンダー当事者にとって, カミングアウトは個人が選択し,他者との関係性をひらくものとして論じられていること が読み取れる.ただ,これらの研究では,当事者がどのようにカミングアウトに至ったの か,その後の受容の過程がどのようなものだったかはわからないままである.それを知る ことは,異質な他者とどのように相互行為をしていくのかを考えるうえで重要だと思われ る. X ジェンダーのカミングアウトも,性自認が曖昧なトランスジェンダー当事者に近いもの だと考えられる.Dale(2013b)は,X ジェンダー当事者へのインタビューを行い X ジェ ンダーの特徴を記述するなかで,家族へのカミングアウトの経験にも一章を割いており, カミングアウトを困難にするような日本社会の特徴を記述している.Dale(2013b)が注目 したのは異性愛規範を基本とする「世間」という語りである.当事者は家族へのカミング アウトするときに「世間」を意識し,カミングアウトされた家族も「世間」に迷惑をかけ たくないという考え方をみせるという.また,Dale(2013b)は,カミングアウトせずにパ スしようとするのは「異性愛者」,つまり自分とパートナーの身体の性別が異なっているよ うに見える場合がほとんどであることを指摘している.X ジェンダーを自認する人たちでも, 少なくとも親に対しては,ほとんど一般には知られていない自分の性自認について説明す るのではなく,「同性愛者」であることを説明することを選ぶ傾向があるということになる. このように性的指向がカミングアウトの内容となったのは興味深い.自己の受容よりも家 族との関係性の安定を重視しているように見えるからである.

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18 このように,X ジェンダーであることが「正しく」伝わらないとしたら,それは当事者に とってどのような経験になるのだろうか.また,どのような関係性や経緯のもとでカミン グアウトが行われたのかという点や,カミングアウトをしない人がどのようにその選択を したのかという点は Dale(2013b)ではほとんど重視されていない.本研究では,これら の点に注目しつつ,当事者の困難を解消する要因の一つとしてカミングアウトを扱うので はなく,カミングアウトをめぐる語りを通して伝える側と伝えられる側の相互行為を記述 していくことに主眼を置く.また,カミングアウトという言葉は,同性愛者の運動の影響 もあり,政治的なものであるというニュアンスがあるが,本研究では政治的なものだけで なく,はっきりした言葉を使わずそれとなく伝えるようなものも,積極的にカミングアウ トと考えて分析していく. したがって,先行研究において検討が不十分であり,本研究で注目するのは,以下の 2 点である.第一に,「X ジェンダー」であることがカミングアウトにもたらす影響を,カテ ゴリーの性質やカテゴリーの歴史性に注目して明らかにしていくことである.ゲイ・レズ ビアン・性同一性障害者・トランスジェンダーに関する先行研究は,カテゴリーがどのよ うに逸脱的なものとして捉えられてきたかという歴史性や,それによって付与されるイメ ージの違いがカミングアウトに影響している可能性を示している.第二に,ある状況にお ける,伝える側と伝えられる側の相互行為を読み解くことでカミングアウトを論じ,それ がもつ自己への影響を記述することである.逸脱した「私」は,何を求めてカミングアウ トをして,その結果それは自己にどのように影響するのか.親/子,上司/部下などの役割カ テゴリーの影響を受ける,それぞれの関係性を重視していく. 本章をまとめていく.第 1 節では,X ジェンダーというカテゴリーが,トランスジェン ダーでも性同一性障害でもないものとして,日本のコミュニティにおいて成立していった ことを述べた.第 2 節では,X ジェンダーの先行研究を検討し,当事者の困難やアイデン ティティの安定性に注目するものではなく,当事者が得るカテゴリーの役割と他者との関 わりがもつ影響に焦点を当てるものとして本研究を位置づけた.第 3 節では,同性愛者と トランスジェンダー・X ジェンダー当事者のカミングアウトについて,先行研究や文献を整 理した.そして,カミングアウトは個人の選択として,私的な関係においてなされるもの であり,それとなくほのめかすような伝え方もカミングアウトに含めることを確認した. また,カミングアウトにはそれぞれのカテゴリーの性質に影響される可能性があること, 伝える側と伝えられる側の相互行為に着目することを述べた.次章では,インタビュー調 査の概要を説明していく.

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第 2 章 インタビュー調査の概要と分析方法

本章では,インタビュー調査の概要,インフォーマントを選んだ基準,分析方法などを 述べ,本研究でのインタビュー調査における意義と限界を示す.

1 インタビュー調査の概要

インタビューは,2016 年 5 月から 10 月にかけて,5 人の X ジェンダー当事者に実施し た.インタビューはいずれも喫茶店で,40 分から 2 時間半ほど行い,許可を得て録音した. 耳が聞こえない当事者に対しては,どのようにインタビューするのがよいか話し合い,主 にパソコン上に交互に文字を打ち込み,筆談で補うかたちでインタビューを行った8 .初め に年齢や身体的性別,性自認といった基本的な属性を聞き,それからカミングアウトにつ いて質問した.話題がずれていくこともあったが,以下のような質問リストに則って質問 しており,インタビューは半構造化されている. ・年齢・職業・出身地・居住地・家族構成を教えて下さい. ・身体的な性別を教えて下さい. ・ホルモン治療や手術をしていますか. ・身体への違和感はありますか. (ある場合)いつごろから,どのような違和感をもっていますか. ・性自認はどのようなものですか.いつごろから,その性自認を抱いていますか. ・X ジェンダーをどのように知りましたか.X ジェンダーを知ったときどう思いましたか. ・トランスジェンダーではなくX ジェンダーだと感じているのですか.それはなぜですか. ・カミングアウトをしたことはありますか. (ある場合)誰に,どのようにカミングアウトしましたか.そのときの反応はどのような ものでしたか. (ない場合)カミングアウトしないのはどうしてですか. ・性的マイノリティのコミュニティに入っていますか.どのような活動をしていますか.

2 調査倫理の説明

調査倫理について,インタビュー前とインタビュー後,インフォーマントに説明してい る.まず,インタビューの協力を募る際に,インタビューするときに録音し,後で文字起 こししてインタビュー後に許可を得られた場合,その部分を卒論に用いることを説明して 許可を得た.次に,インタビューの際,調査倫理に関して以下の点を確認した.第一に, 8 話し言葉によるインタビューと書き言葉によるインタビューでは,結果に異なる影響が出 る可能性があるが,本研究ではそれについて考慮できなかった.今後の課題としたい.

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20 答えにくい質問には答えなくてよいということを説明した.第二に,文字起こしすること や卒業論文に用いることなどの説明を再度行って理解を得た.第三に,個人情報の保護を 徹底することを説明した.具体的には,名前は仮名に置きかえるほか,個人の属性とイン タビュー結果を結びつけることはできる限り避けるようにするということである.これは, コミュニティの小さい性的マイノリティへの調査において特に重要なことだと思われる. また,質問の多くが当事者のアイデンティティに深く関わるものであると考え,慎重な聞 き取りを心がけた.インタビューとその文字起こしを終えた後,文字起こしの全文と,本 論文に用いようと考えている箇所をインフォーマントに送り,間違いや修正が必要なとこ ろがないかどうか,そのまま引用しても大丈夫かどうか,確認している.さらに,分析後 に再度論文を送り,事実誤認や不快な箇所がないか,目を通してもらった.分析部分につ いてさらに確認をとったのは,特に身体的な感覚に関するデリケートな部分について,不 快な箇所がないようにしたかったためである.文字起こしに関しては数点誤りが指摘され, 補足説明のやり取りもあったが,分析部分に関して修正点は指摘されなかった.

3 インフォーマントを選んだ基準と偏り

インフォーマントは,X ジェンダーの当事者団体 F のメンバーから募った.会員数は 90 人以上おり,当事者ではない場合はサポート会員という形で参加することになる.年 1 回 の講演会のほか,主に東京など大都市でオフ会が開催されている.会員専用の日記や SNS で会員同士コミュニケーションがとれるようになっている.X ジェンダーの人は 10 代~30 代が中心であり,FTX の数は MTX の数よりもずっと多いと言われている9 .筆者は去年 11 月に入会している.まずインフォーマントを集める前に,当事者団体 F の代表者と話し, 許可を得た.そして,3 月に 1 回,4 月に 1 回オフ会に参加し,そこで出会った X ジェンダ ー当事者の知り合いのうち4 人に,個人的に協力をお願いした.また,10 月にオフ会に参 加し,そのときに知り合った人のうち1 人にも協力していただいた. インフォーマントの情報は,特定を避けるために必要最低限示す.インフォーマント 5 人には,インタビューを行った順に,A さん,B さん,C さん,D さん,E さんと仮名をふ っている.このうち,FTX は A さん,D さん,E さんであり,MTX は B さん,C さんで ある.5 人の年齢は,20 代から 30 代であり,ホルモン治療や性転換手術を経験している人 はいなかった. 知り合いの中からインフォーマントを募ったのは,カミングアウトの経験というアイデ ンティティに深く関わりうる内容のインタビューをするうえで,初めて会う人よりも当事 者と研究者双方にとって話しやすくなり,相手の内面を傷つけるような危険性も減らせる のではないかと考えたためである.また,FTX と MTX では育った環境が異なると考えら れるため,どちらも含むようにした.また,本研究では,当事者団体に所属していたりオ フ会に参加したりすることで,他の X ジェンダー当事者と何らかのかたちで関わりを持と うとしている当事者を対象とすることになる.そのため,自分の性自認について誰にも話 したことがないような人は対象とすることはできない.それどころか,当事者同士のオフ 9 この点に関しては,当事者とのオフ会での会話から推察している.

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21 会に参加する人は,当事者全体のなかで,より社交的であったり,カミングアウトに積極 的であったりする傾向があると思われる.それゆえ,本研究では,オフ会参加者のなかで, 積極的には話そうとしない人,あまり積極的にカミングアウトをしていない人にも協力を お願いすることで,そういった偏りを補おうとしている.

4 分析方法と分析の視点

分析方法は,佐藤郁哉(2008)や木下康仁(2014)を参考にした.インタビューデータ を印刷し,話がひと区切りするごとにそれを短く要約した小見出しを書き込んでいくこと から始め,その具体的なコードをもとに,コード同士の関係を整理してより抽象度の高い コードを作成していった.一人ひとりの人生を時系列に沿って描くのではなくこのような 方法をとったのは,多様な経験をもつそれぞれの当事者の中にも,他の当事者に類似した 経験が多く見いだされたためである.分析の結果,当事者がX ジェンダーという性自認を 獲得する過程と,それを他者へのカミングアウトというかたちで伝達する過程には異なる 論点があると感じ,それぞれ3 章と 4 章に分けて論じた.また,論文に語りを記述する際, 筆者が質問するときなど必要な場合は筆者の言葉も記したが,単に肯定の意を表す相槌に 関しては記述を省略した.当事者の語りはそのまま載せている. 分析の視点は,個人を対象とする語りから社会を描いていくというもので,広い意味で 構築主義的な立場をとる.それはライフヒストリー研究の視点と似通っている.佐藤健二 (2011)によると,ライフヒストリーの試みが提起するものは,社会が複雑で多元的な構 成体であるのと同じように,個人は関係性が集積する複雑で重層的な存在であるというこ とだという.本研究では,このようなものとしての個人に着目する.個人誌をつづる作業 は,現在の観点から取捨選択的に語られるものと捉え,その時,その場所における「私」 が,どのように他者と相互行為していくのかを,カテゴリーの作用に注目しつつ読み解い ていきたい. ここで,カテゴリーの作用に注目するのは,生まれの性別から X ジェンダーになってい くことやそれを伝えるときの相互作用には,カテゴリーをどのように認知するのかという ことが関わっていると考えたためである.片桐(2006)は,「属性としてのカテゴリー」ご とに自己が対応するのではなく,カテゴリーは認知枠組みであり,カテゴリー化が他者を 前にしてなされ,そのことが同時に相互行為を形成していくと論じている.そして,自己 を構成するカテゴリーには,「上司/部下」,「教師/生徒」などの「役割カテゴリー」,企業や 学校などの集合体それ自体の成員である「集合体の成員カテゴリー」,「おたく」などの「時 代に固有な人間類型」,そして,「自己」,「個人」などの「自己そのものを名付ける名前」 があるという.ただし,片桐は分析上の具体的な方法を呈示していない.本研究では,片 桐の視点を参照し,特に,ある集合カテゴリーにどのような「私」のあり方が含まれるの かということ,ある集合カテゴリーの成員を誰が決めるのかということ,相互行為の場面 で集合カテゴリーと役割カテゴリーがもつ影響という三点に注目して語りを読み解いてい く.

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