第 3 章 「X ジェンダー」になること
3 カテゴリーとの距離感
本節では「Xジェンダー」というカテゴリーにどのような限界があるのかを明らかにして いく.そこで注目するのは,他のカテゴリーや「Xジェンダー」に対して当事者がどのよう に距離化しているのかということである.「Xジェンダー」は多形的な「私」をかたちにす るカテゴリーであったが,このようなカテゴリー内部の複雑性は,トランスジェンダーに も当てはまると考えられる.トランスジェンダーについての先行研究において,「自己」が 曖昧な当事者の存在は指摘されている.また,自分の性別に違和感をもつという経験がト ランスジェンダーを名乗ることにつながることはあるだろう.実際,トランスジェンダー などの他のカテゴリーではないかと考えたうえで,Xジェンダーを名乗ることにしていたイ ンフォーマントはいた.トランスジェンダーではなく,Xジェンダーを名乗ることに向かう のは,どのようにしてなのだろうか.また,Xジェンダーは,自己をうまく表すものとして 認識されているのだろうか.それらの点に着目し,本節ではトランスジェンダーや X ジェ ンダーというカテゴリーに対し当事者がどのような距離をとるのか論じていく.
まず,「トランスジェンダーではない」という判断を経由してXジェンダーを名乗ってい る当事者について論じる.「MTFではなく,MTX」と感じる当事者はなぜ MTF ではない と感じていたのか.性自認は「両性」であると語るMTXのCさんは以下のように言う.
*:じゃあなんか,その性自認になった,なんだろう,なっていく経過というか,
最初からそうだったとか,そういうの,聞いてもいいですか.
C:最初はトランスだと思っていて,その,トランスのオフ会というか集まりに行って たんですけど,そことはなんか違うなと思っていて,で言葉を探していたら X ジェン ダーにたどりついて,それから,それがしっくりくるなあと思ってそれにしてます.
*:トランスとはちょっと違うっていうのは,どういうところで感じたんですか.
C:考え方,感じ方とか,なんか違うし,別に治療をそこまで望んではいないかなって いう.
*:じゃあその行ったところは,けっこう治療を望むっていう感じが強かった,
C:そうですね,そう,当時は強かった.最近そうでもないですね.
「両性」という性自認になっていく過程を尋ねられた C さんは,はじめはトランスジェン ダーを自認していたが,「なんか違う」と感じてXジェンダーにたどりついたと語る.この
「なんか違う」という感覚は,当時のトランスジェンダーには治療を望む雰囲気があり,
それほど治療をしたいという気持ちがなかった C さんにはしっくりこなかったということ だろう.また,トランスジェンダーは身体的違和感が強いという認識は,同じくMTXのB さんによっても語られる.Bさんは,MTFトランスジェンダーとの違いを聞かれて,少し 考え込む.「近いところはある」としながらも,身体への嫌悪に耐えられることを挙げて,
MTFとは違うとしている.Bさんは,Cさんとは異なり,実際のトランスジェンダーのコ ミュニティではなく,トランスジェンダーへのイメージからこのように判断している.実 際には現在のトランスジェンダー当事者には性自認があいまいな人もいるが,イメージに
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よってトランスジェンダーであることは除外されている.ここでは,トランスジェンダー をよく知らないことが,ある種のステレオタイプ化をもたらしている.
ここで,カテゴリーへのイメージには,そのカテゴリーのもつ歴史性も影響していると 思われる.Butler(1993=1997)が指摘するように,ある性別になるとき,それはその性 を自由に選択することの結果ではなく,複雑な歴史性を帯びた規範の強制的な引用という 側面をもつ.例えば,ゲイやレズビアンは,そのカテゴリーに過度に性的な意味を付与さ れてしまう場合がある.また,性同一性障害やトランスジェンダーは,医療に包摂された イメージで認知されることがあり,それゆえにスティグマをもつことがある.これらのイ メージには,メディアなどの言説が関わっていると思われる.Xジェンダーはその曖昧な定 義や認知度の低さが影響して,当事者にとってはそのような意味づけをされていないもの,
より「私」を表しやすい有効な語として,スティグマを避けて名乗られている可能性があ る.
次に,FTMではなくFTXであると感じたという,EさんとAさんの語りを見ていく.E さんは,FTMでもなく,レズビアンでもないと考えていた.
E:FTM の人と話してるなかで,わりとジェンダー規範が強い人が,周りには多か
ったのがあって,ちょっと苦しくなっちゃったんですよね.ノリとか,テンポとか.
なんか,けっこうオラオラしてるというか.体育会系のFTMの集まりにちょっと行っ たことがあって,ちょっとついていけなかったりとか.
ここでFTMではないと感じている理由は,身体的な違和感の強弱ではなく,ジェンダー規 範である.このジェンダー規範は,会話のノリやテンポが速いことを挙げて「オラオラし てる」,「体育会系」であると表現されている.このような話し方が「男らしさ」として E さんに感じられ,それを強調するようなあり方がそのとき E さんに自分とは合わないと感 じたのであろう.また,Eさんは,自分の性的指向が女性に向くためにレズビアンではない かとも考えるが,コミュニティに参加したとき「一つのことに対してわーって盛り上がる 感じ,が自分からみたら女性的だなっていうふうに思って」,レズビアンではない,と考え るのである.
これらのジェンダー規範についての判断について,あくまで E さんの主観的なものであ るとE さんは強調する.E さんは,トランスジェンダーやレズビアンに対する自分の感覚 がステレオタイプ的なものだと自覚している.ここで,はじめに知ったあるカテゴリーの 性質が,そのカテゴリー全体のイメージとして残ることはありうる.さらに,「Xジェンダ ー」として性別に対する規範から逃れようとすることは,反対に,規範を一面的なものと して捉えることにつながりうるのである.また,Eさんがもう一つ理由として語るのが,身 体感覚の違いである.
E:生理期間中とか,に,こう…,普段感じてる違和感を感じなくて,女性だなって いうふうに,一か月のうち一週間くらいですよねなんか,女性だなっていう感覚,そ れが気持ち悪くてしょうがないんですよ.
*:ああー,なるほど.じゃあそのときは,心は男性だけど身体が女性で苦しいとい うよりは,女性と一致する感じが,
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E:そう,女性自認になるっていう感覚が,嫌.だからFTMの人とは,言説とかにあ
る,女性を突きつけられて嫌っていうような感覚ではないんですね.女性自認になる のが,気持ち悪いんで19.
Eさんは,「心と身体の性別が一致していないのが,なんか自分にとって当たり前になって」
おり,「違和感があるほうが,正常というか,落ち着いていられる」と語っている.そのた め,生理のときに自分の女の身体と女性自認が一致するように感じ,それを「気持ち悪い」
と感じるのである.一方でEさんは,FTMについての言説から,FTMが困難を感じるの は,男性自認にもかかわらず身体の女性性を突きつけられるためであると読み取り,自分 の感覚との相異を見出している.このように,身体感覚の解釈によって性自認を位置づけ ることがある.
A さんがFTMではなくFTXを名乗る理由についての語りも,身体感覚に関するもので あった.以前A さんは,FTMは身体的な違和感が強い場合に名乗るものと捉えていたが,
他の当事者の指摘を受け,そうではないということに気付く.
A:まあ次の日朝,起きて身体が男になってたら,もう超ラッキーみたいな感じなん ですよ.でも,まあなんか,寿命ちぢめてまで,というか,まで身体を変える必要は ないなあっていう感じなんですけど.
*:なるほど.じゃあ,けっこうFTMだとすごく身体変えてまで男になりたいってい うイメージっていうことですよね.
A:そう.ただ,考え方的に身体性よりも,あの,精神の方を大事にしているっていう ことがあるのかなって思います.でもFTMになるためには身体を変えなきゃいけない っていうのもまたないわけですよね.
*:ああ,そうですね.
A:物理的には自分がFTMですって言ったら,この身体でもFTMになれるわけです
よ.っていうのを,あの取材のとき,NHKの取材のときに言われて,あれ,ここに自 分いていいのかなみたいな感じになったんですけど20 (笑)
AさんはFTMの悩みと自分の悩みとに共通点があると言う.そして,身体への違和感は強 いが,手術をするほどではないと感じていることを,「身体性よりも」「精神の方を大事に している」と捉えて,その点がFTMとは異なっているとまず考える.ここでAさんはFTM を身体に重きを置く人たちであると考えているように読み取れるが,それから「FTMにな るためには身体を変えなきゃいけないっていうのもまたない」ことに,「NHK の取材のと
19 しかし,ここ数か月ほどは,生理期間中も性自認が女になることなく,男寄りで安定し てきているという.インタビュー後しばらく経ってから,連絡があった.この点に関して は分析できなかったが,性自認の感覚は,環境や本人の意識などの影響を受けて変化しう るものである.例えばEさんは別の場面で,子どもの世話をするとき性自認が女だと感じ そうになるときがあり,そのときは胸をおさえるナベシャツをつけると語る.それによっ て,男だと感じ安心するのだと言う.このように,胸をおさえるという「儀式」を経て,
性自認が変化することもある.
20 ここでAさんは,Aさんと筆者が参加していたあるオフ会の場を振り返っている.